安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係
産直の生産者は多種多様である。
中には仕入品を、恰も自分が生産したかのように偽装して出品する生産者もいる。
そのような不正行為を厳しく取り締まる産直もあれば、知っていながら積極的に容認する不当な産直もある。
残念ながら、その後者の典型例が厳美の「道の駅」となっている。
駅長は「値札シールには生産者ではなく出荷者と表示しているので問題はない」と得意の詭弁を弄して言い
逃れをしている。
しかし、お客様は産直を「生産者直売所」と思って来店するのであって、「出荷者直売所」と理解している
お客様は皆無と言っていい。
そのような産直で、仕入品であることを不明確にして販売するのは「生産者偽装&産地偽装」以外の何物でも
ない。
「道の駅」のこのような姿勢は、未だに「値札シールに出荷月日を明示しない」ことと同様で、お客様の立場
よりも「自分達の都合を優先させている」ことの証明でもある。

(周囲は色づき始めたが、この畑一帯は未だ緑一色となっている)
もっとも、国が認めた「農産物検査員」が一等米或いは二等米と評価した我が家のモチ米を、「お宅のモチ米は
品質が悪いと理事会で決めました」と呆れ果てる見解を示し、総会の場では「とてもお客様に出せる品質ではない」
と平然とウソブクのだから、その横暴さや厚顔無恥と比べたら、生産者偽装のような不当行為は未だカワイイ方
かもしれない。
籾摺りを終え30kg単位に袋詰めされた玄米は、庭先に有る穀物倉庫まで軽トラで運んで保管する。

重機が未だ一般化していなかった45年前、二人の人夫が人力のみで建設した石倉は、外気温に
左右されないことから、本来は穀物保管用の倉庫として活用すべきものだった。
しかし、ジイチャンの時代は、米は収獲すると直ぐに農協に出荷するため保管すべき穀物は無く、
ずっと「単なる倉庫」でしかなかった。

無用の長物とも思われた石倉が、時代が変わって本来の用途である米、麦、大豆等の穀物保管庫
として大活躍するようになった。
ジイチャンは「石倉は、必要があった訳ではなく見栄で作った」と謙遜していたが、実は
「半世紀後を見据えた布石」だったのかもしれない。
ウルチ米と異なりモチ米は、「田植えは早く、稲刈りは遅く」が一般的。
そんな関係もあり、各産直でもウルチの新米は出回っているが、モチ米の新米は未だのようだ。
我が家でも、昨年産米が未だ在庫として残っている関係もあり、モチ米の「籾摺り」は保留して
いたが、ようやく今日から始めることにした。
なお、昨年度産のモチ米は「在庫一掃セール」と表して特別価格で販売していて、順調な売行き
となっている。

稲作の今年の作柄は、産直の生産者仲間では「良くない」という人が多いようだ。
そんな中で、我が家ではウルチもモチも昨年の収量を上回っている。
もっとも、一昨年、昨年と二年続けて「良くなかった」ので、単純に喜ぶ訳には行かないが・・・。
千貫石温泉に一泊した帰途、近くにある県立花きセンターを見学した。
大きな温室に亜熱帯性植物のほか、多肉植物、サボテン、ハーブ、香木などが展示されていた。
その中で、「世界で初めて紙の原料となりペーパーの語源ともなったパピルス」の現物を見る
ことが出来た。

(カメラが電池切れだったので、ネットから借用)
その説明文に「パスカルの『人間は考える葦である』は、パピルスを見て生まれた言葉」と
書いて有るのを見て驚いた。
どちらも高校時代の授業で習い、関心を持っていた。
もっとも、パスカルの哲学的名言の意味するところは、必ずしも理解できてはいなかったので、
チコちゅんから「ボーっと生きてんじゃねーよ!」」と叱られるかもしれない。
川口の叔母夫婦は帰省時に、市野々の叔母を温泉に連れて行って一泊するのを恒例としている。
「親孝行したい時に親は無し」で、年の離れた市野々の叔母が親代わりに孝行される立場にある。
その「親孝行温泉旅行」が農繁期以外の時は我が家でも付き合うことにしている。
今回は、枝豆収獲を止め一息入れたい時だったので、グッドタイミングとなった。

目的地は金ヶ崎町の千貫石温泉。
千貫石は市野々の叔母が昨年行って「良かった」と話していた温泉なので、叔母のリクエストに
応えるつもりで決めたもの。
チェックインの出来る三時までに到着して温泉に浸りたいと思っているが、その前に産直を経由
するので少し遅れるかもしれない。