shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

Storytelling Giant / Talking Heads

2009-08-18 | Rock & Pops (80's)
 初めて聴いた時は “何じゃこりゃ?” 状態だったものが、ふと何らかのきっかけで好きになったりするアーティストがいる。私にとってトーキング・へっズはそういうバンドである。彼らとのファースト・コンタクトは高校時代だったと思うが、確かテレビの深夜番組で音楽評論家の今野雄二氏が彼らの「サイコ・キラー」を紹介していたのを聞いて、“変な音楽やなぁ... 何このファファファファーファファ ファファファーファーベタ♪ って?” といぶかしく思いながらも、彼らのサウンドを “先進的” と絶賛する氏の論調の前に自分の感性が鈍いのだろうと納得してしまった。私はポップで分かり易い音楽が好きな一方で、知的でアートの薫りがする音楽に弱い。例えば70年代のデヴィッド・ボウイとか、ブライアン・イーノとか、スノッブな感じがしてどうも苦手なんである。これがグランジ/オルタナ系のロックとかフリー・ジャズのような騒音雑音の類なら自信を持って “問題外!”と切って捨てることが出来るのだが、インテリ系ロックは一応ちゃんとした音楽の体をなしているのでそうもいかない(>_<) こんな複雑な音楽、聴いててどこが楽しいねん、どーせ単純バカのワシには一生ワカランわい!と諦めて、その手の音楽の話題になると貝のように口を閉ざしていた。
 彼らに対するそんな見方が変わったのはその数年後、「ベスト・ヒット・USA」で彼らの②「ワンス・イン・ア・ライフタイム」という曲のビデオクリップを見た時だった。これは1980年のアルバム「リメイン・イン・ライト」からのシングルで、デヴィッド・バーンの歌うある種つかみどころのない摩訶不思議なメロディーが妙に耳に残り、ポップ・ソングのあるべき姿からはかけ離れた異端なサウンドながら、今度はその変な味が病みつきになってくるのだ。それと同時に一度見たら忘れられないような彼の痙攣ダンスもインパクト絶大で、私は苦手だったトーキング・ヘッズをヴィジュアルの助けを借りながら徐々に好きになっていった。因みに小林克也さんがバンド名の由来(トーキング・ヘッズとは “喋る顔” 、つまりテレビ業界の専門用語で “クローズアップ” の意味)を教えて下さったのを今でもよく覚えている。
 次に見たのは彼ら初のミリオン・セラー・アルバム「スピーキング・イン・タングズ」からカットされ、彼らにとって唯一の全米Top 10ヒットとなった⑥「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」で、そのサウンドはアフリカン・ポリリズムを大胆に取り入れた複合リズムが面白いユニークなものだった。ビデオの方もワケがわからんストーリーながらやはり印象に残るもので、②と同様、 “ちょっと変やけど、そこがエエねん” という感じで繰り返し聴いていた。奇妙でユーモラスでエキセントリック... 今にして思えばこの頃がヘッズ中毒症状の初期段階だったのだろう。
 1985年にはエスニックな薫りを残しながらもアメリカのバンドであることを強く意識させるようなサウンドを大胆に導入した「リトル・クリーチャーズ」をリリース、何とダブル・ミリオンを記録して彼ら最大のヒット・アルバムになったのだ。 1st シングル⑪「ロード・トゥ・ノーウェア」もそれまでとは打って変わったように親しみやすいメロディーを持った行進曲調のナンバーで、日本でもホンダ・シティーのCMソングとしてテレビで頻繁に流れていたので覚えている方もおられるかもしれない。ビデオ・クリップもデヴィッド・バーンが前のめりになりながらひたすら曲のリズムに合わせて走り続ける姿が何とも滑稽で、録画したビデオを何度も繰り返し見て楽しんでいた。思えば②にせよ⑥にせよ⑪にせよ、ヘッズのクリップは彼の特異なキャラに負うところが大きい。そしてそれが音楽と一体となって映像に不思議な魅力を与えているのだ。ロック界広しといえども彼ほどキャラが立った存在はそうはいないだろう。同アルバムからの 2nd シングル⑦「アンド・シー・ワズ」もキャッチーなメロディーを持った曲で、一聴するととてもあのトンガリ系サウンドのバンドとは思えない変貌ぶりなのだが、カントリー・ミュージックのエッセンスを大量投下して外見のサウンドは聴き易くコーティングされていてもリズムへの拘りは相変わらずで、むしろより洗練されつつあったと言えるかもしれない。
 1986年のアルバム「トゥルー・ストーリーズ」はテックス・メックスなどアメリカ南部の薫りがうまく散りばめられた好盤で、 1st シングル③「ワイルド・ワイルド・ライフ」は曲そのものよりも当時全盛を極めていたMTVを意識したビデオ・クリップ(ビリー・アイドルやプリンスのソックリさんが出てた!)が面白かったが、逆に何でヘッズがここまで大衆に迎合せなならんねん(>_<)という気持ちにもなった。まぁ当時はあのピーガブでさえ「スレッジハンマー」でビデオ大賞取ってたぐらいやから、猫も杓子も MTV っていう時代の流れってやつなのかもしれない。続く 2nd シングル⑩「ラヴ・フォー・セール」はヘッズにしては実にストレートアヘッドなロックンロールで、彼らの私的ベスト3に入れたいぐらい大好きな1曲だ。ビデオクリップも凝っていて、アメリカのテレビCMを徹底的にパロッたようなその作りはまるでCM 優秀作品集のダイジェスト版を見ているかのような底抜けの面白さ。特にメンバーがチョコレートの海に飛び込むシーンがインパクト大だ。
 このようにトーキング・ヘッズを映像中心で楽しんできた私にとって、ヘッズは “見る対象” というイメージが強く、彼らのヒット曲を中心に編集されたLD「ストーリーテリング・ジャイアント」が出た時はすぐに買いに走ったものだった。残念なことに未だに DVD 化されていないので、勝手にLDからDVDに焼いて楽しんでいる。おかげで今ではすっかりトーキング・ヘッズの大ファンで、昔ワケがわからんかった「サイコ・キラー」もすっかり愛聴曲の仲間入り... これだから音楽は面白い!!!