shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

Chet Baker Sings

2009-08-19 | Jazz Vocal
 ここのところ毎日のようにヤフー・ニュースのトピックス欄を騒がせているのが芸能人の麻薬禍である。ラリピーの逃走→逮捕劇のおかげで世間はこの話題で持ちきりのようだが、シャブ中女が一人捕まったぐらいで何をそんなに大騒ぎしてるのかとアホらしくなってくる。CMのキャッチ・コピーにもあったように “覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?”というではないか? しかし麻薬先進国(?)である欧米の音楽界に目を転じれば、この “人間をやめることを選んだ元アイドル歌手” が小物に見えてくるほど深刻な状況だ。昔から “Sex, Drug, Rock'n Roll” という言葉の示す通りロック界と薬物とは切っても切れない関係で、ジミヘンやジャニスはそれで命を落としているし、クラプトンも廃人寸前までいったという。もっとえげつないのがジャズ界で、インプロヴィゼイションに必要なインスピレーションを得ようとして麻薬に手を出すというケースも多かったらしい。チャーリー・パーカー御大を始め、アート・ペッパー、ハンプトン・ホーズ、ソニー・クラークと、挙げていけばキリがないが、今日取り上げるチェット・ベイカーもそんな筋金入りのジャンキーだった。
 チェットはウエスト・コースト・ジャズを語る上で欠かせない名トランペッターで、1950年代にはその甘いルックスとマイルスさえ凌ぐと言われた見事なプレイで人気絶頂だったのだが、ドラッグに溺れて身を滅ぼしていく。ブルース・ウェバーというカメラマンが晩年の彼を撮影したドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」で、若かりし頃の面影など微塵も感じられないほど頬がこけて落ち窪んだ眼をした、まるでシワシワの猿面冠者みたいなチェットが淡々と自分の薬物中毒について語る姿はインパクト絶大だった。あの映画を見れば余程のバカでもない限り薬物なんぞに手は出さんやろなぁ...(>_<) 晩年の柔らかいトランペットの音色と悲しげな歌声もそれなりに味があって悪くはないが、やはりベイカーといえば彼が全盛期に吹き込んだ初のヴォーカル・アルバム「チェット・ベイカー・シングス」に尽きるだろう。
 彼のヴォーカルの魅力を言葉で説明するのは難しい。一聴クールで淡々としていながら何故か心に染みてくる、けだるそうでありながら決して退屈じゃない、中性的ではあっても決してオカマっぽくはない... これらの一見矛盾するような要素こそが聴き手を彼の世界に引き込んでしまう魔性の魅力の秘密なのかもしれない。このアルバムを聴いていつも感心するのは、そんな彼の “力の抜き加減が絶妙な” ヴォーカルが彼のトランペットと見事なコンビネーションをみせていること。これこそまさに生粋のトランペッターだったベイカーがヴォーカルに求めたものであり、このアルバムの一番の成果だったといえるのではないだろうか?
 今、久しぶりにこのアルバムを聴き直しているのだが、やっぱりエエもんはエエなぁとつくづく実感させられる。全曲スタンダード・ナンバーで、それも彼の資質にピッタリ合ったものばかりが選ばれており、1曲1曲も素晴らしさもさることながら、曲と曲の流れが実にスムーズで、アルバム1枚で1つの大きな組曲のようにも聞こえる。だからスピーカーに面と向かって聴くのもいいが、BGM として小音量で流していると仕事が実によくはかどるのだ。又、間奏などで聴けるトランペット・ソロも短いながらキラリと光るもので、力を消去したかのようなヴォーカルのトーンとの連係も聴き所。特に⑫「ザ・スリル・イズ・ゴーン」の多重ヴォーカルと、それに絡むトランペットのオブリガートは絶品だ。
 全体的にスロー・バラッドが多く、どちらかというとアップテンポでスイングするジャズが好きな私は曲単位で拾い聴きする時はいつもCD選曲ボタンの①⑦⑪を押してしまう。私がこのアルバムを買ったのはジャズを聴き始めて間もない頃であり、まだ右も左も分からないような状態で聴いた1曲目の①「ザット・オールド・フィーリング」での、まるで鼻唄でも歌っているかのように気持ち良さそうにスイングするベイカーにすっかりハマッてしまったのだが、それと同時にこの曲そのものも大好きになった。今でも私にとって「ザット・オールド・フィーリング」といえばチェット・ベイカーなのだ。ガーシュウィンの名曲⑦「バット・ノット・フォー・ミー」や⑪「ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー」も、①同様にその曲の決定的愛聴ヴァージョンであり、気だるいムードで切々と歌いながら妖しげにスイングするチェットがたまらない(≧▽≦)
 スローな曲では③「ライク・サムワン・イン・ラヴ」が大好きで、流れるようなメロディーを持ったこの名曲を、ペットを演奏せずに歌のみで、訥々と歌うその歌声が逆に胸を打つ。続く④「マイ・アイディアル」も心に染み入るスウィートなバラッドで、ベイカーが一通り歌い終わった1分54秒のあたり、彼のペットがスルスルと滑り込んでくるその瞬間の快感は筆舌に尽くし難いものだ。ミディアム・テンポでスイングする⑥「マイ・バディ」や彼の得意曲⑭「ルック・フォー・ザ・シルヴァー・ライニング」でも変幻自在のペットとヴォーカルを聴かせるベイカーはまるで水を得た魚のようだ。
 デリケートな感性とセンシティヴな歌心でスタンダード・ナンバーの魅力を見事に引き出したこのアルバムは、チェット・ベイカーの求めた表現手段の究極の姿を捉えた1枚だと思う。

Chet Baker - But Not For Me