shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

藤圭子の “隠れた名唱” 拾遺特集

2013-09-29 | 昭和歌謡
 前回は藤圭子の追悼特集最終回と銘打って彼女の最高傑作と言えるライヴ盤「演歌を歌う」を紹介したが、アタマの中はまだ “昭和歌謡モード” 全開だし、藤圭子という不世出の大歌手の魅力を徹底的に掘り下げるせっかくの機会でもあるので、今日はこのブログでまだ取り上げていない彼女の隠れた名唱をいくつかピックアップしてみようと思う。

①東京流れもの
 シングル盤のB面というのはA面がヒットすればするほど影が薄くなり忘れ去られていく傾向にある。彼女にとって最大のヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」のB面に入っていたのが何を隠そうこの「東京流れもの」で、シングルを買った時に一応両面聴いてはいたものの、B面は針飛びせぇへんかチェックするだけみたいなおざなりな聴き方で、1回聴いただけでこの曲のことはすっかり忘れていた。ところがその後、彼女のファースト・アルバムを入手することが出来てワクワクしながら聴いていた時、B面3曲目に入っていたこの曲に耳が吸い付いた。曲そのものは竹越ひろ子(1965年)のカヴァーだが、歌詞の方は彼女を育て上げた恩師でもある石坂まさを氏が新たに書き下ろしたオリジナルで、一段と凄味を増した彼女のドスの効いたヤクザなヴォーカルと絶妙なマッチングを見せており、数多いこの曲のカヴァーの中でも断トツの存在感を誇っている。特に3番の “笑いなさるな 極道の~♪” の節回しなんかもうゾクゾクさせられるカッコ良さだ。
東京流れもの / 藤圭子


②はしご酒
 藤圭子のシングルは、彼女を “演歌” という狭い枠に限定して売ろうとしたレコード会社の誤った戦略のせいで、ヒット曲に不可欠な “大衆性” という観点からみると4枚目の「命預けます」を最後に曲のクオリティーがガクンと落ちている。実際に1971年以降の彼女のシングルを一気聴きしてみても “相変わらず歌は上手いけど曲がイマイチ” なものがほとんどで、 “一聴しただけで耳に残り脳内リフレイン確定” だった最初の4枚のシングルとは雲泥の差がある。そんな中後期のシングル曲の中で私がめちゃくちゃ好きなのが1975年に出たこの「はしご酒」で、 “よってらっしゃい よってらっしゃい おにいさぁん~♪” のフレーズが強烈なフックとなって聴き手の心をグワッとつかむキャッチーなナンバーだ。低迷が続き “あの人は今...” 状態だった彼女にとって久々に10万枚を超えるスマッシュ・ヒットになったのも当然だろう。良い曲と出会い水を得た魚のように活き活きと躍動するこの粋なヴォーカルを聴いてくれぃ!
はしご酒 / 藤圭子


③朝日のあたる家
 1971年7月にサンケイホールで行われたコンサートの模様を収録した彼女にとって2枚目となるライヴ盤「藤圭子リサイタル」は「東京ブルース」を始めとするカヴァー曲が並ぶA面が白眉だが、その中でも唯一の洋楽カヴァーとして異彩を放っていたのがこの「朝日のあたる家」だ。私にとっての藤圭子とは “演歌の星” なんかではなく “女の情念を歌わせたら右に出る者がいない不世出の和製ブルース・シンガー” なのでこの選曲には大いに納得、彼女も “私の大好きな歌” と紹介しているが、アニマルズの古典的名曲を和製ブルースとして解釈し、説得力溢れるヴォーカルで聴く者を圧倒するキラー・チューンに仕上げている。彼女と同じく曲によってブルースと演歌を歌い分けていたちあきなおみもこの曲をカヴァーしており、そちらもこの曲屈指の名カヴァーになっているので興味のある方はYouTubeでどーぞ。
朝日のあたる家 / 藤圭子



④鈴懸の径
 私がこの「鈴懸の径」という曲を知ったのはちょうどジャズを聴き始めてすぐのことで、ジャズ・ヴァイブ奏者である鈴木章治の演奏を聴いてあの “ディア・オールド・ストックホルム” に匹敵する哀愁舞い散るメロディーに感動し、それ以来日本のジャズ界が生んだ屈指のスタンダード・ナンバーと信じて愛聴してきたのだが、ある時 YouTube でザ・ピーナッツがこの曲を歌っているのを見つけて不思議に思い、よくよく調べてみるとオリジナルは1942年(←戦時中やん!)の灰田勝彦のヒット曲だと知ってビックリ(゜o゜)  この「圭子の鈴懸」はオリジナルへのリスペクトを強く感じさせるもので、曲を慈しむかのようにしっとりした歌唱で歌い込んでいるのが印象的だ。例の5枚組CDボックスの収録曲の中にこの曲の名前を見つけた時はめちゃくちゃ嬉しかった。
鈴懸の径 / 藤圭子


⑤生命ぎりぎり
 彼女のデビュー・シングル「新宿の女」のB面、そしてファースト・アルバムのラストに置かれていたのがこの「命ぎりぎり」だ。彼女が生涯かけて歌ってきたメロディーを一点に凝縮させたような曲想のナンバーで、この曲を聴けば藤圭子という歌手が分かる!と言い切ってしまっても過言ではないと思う。考えすぎかもしれないが、石坂まさを氏による “私のことなら 放っといて 誰も知らない 東京で 生命ぎりぎり 生命ぎりぎり 燃やして 死ぬのさ~♪” という歌詞の一節が、今となってはその後の彼女の運命を暗示しているように思えてならない。
生命ぎりぎり / 藤圭子


【おまけ】ジュリーが作曲した曲を藤圭子が歌うという珍しい組み合わせが貴重な「愛と罰」。イントロを聴いて一瞬クリームの「ホワイト・ルーム」が始まるのかと思ったが、どうせなら開き直って「圭子の白い部屋」というタイトルでクリームのカヴァーやった方が面白かったかも...(笑)
愛と罰 / 藤圭子
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ポールの大阪公演チケットが当たったー\(^o^)/

2013-09-25 | Paul McCartney
 キタ━━━(゜∀゜)━( ゜∀)━(  ゜)━(  )━(  )━(゜  )━(∀゜ )━(゜∀゜)━━━!! ポールの大阪公演チケットが当たりました\(^o^)/  いやー、この2ヶ月ホンマに長かったですわ。東京や福岡の公演チケットがすぐ発売開始されたのに対し大阪公演の詳細だけが中々決まらず悶々とした日々を過ごした魔の8月...(>_<) 月が替わっても会場すら一向に決まる気配がなく、 “まさか大阪だけキャンセルっちゅーことはないやろな...” という不安に苛まれて仕事なんか全然手につかなかった9月の初め。そして9月12日になって待ちに待った “大阪公演・最速先行予約受付開始” のメールが届き、必勝を期して抽選にエントリーしたもののあえなく落選(T_T) めげずに第2回抽選にエントリーし、その結果発表が今日9月25日の18:00頃ということで、仕事を終えて速攻で帰宅した私はすぐにノーパソを開き、ドキドキしながらチケットぴあの抽選申込履歴にログイン。今まで薄いブルーグレーの「落選」という文字しか見たことがなかった私の目に飛び込んできたのが真っ赤な「当選」の2文字!!! 思わず「やったー\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/」と叫んでしまいましたがな。これまで抽選というものに当たったことが無い私としては、シュウじゃないが、 “神が最後に一つだけ願いを叶えてくれた!” という感じ。ついに生ポールが見れると思うと感無量だ。今から11月12日が待ちきれない(^o^)丿
+COMPLETO! Show de Paul McCartney em Fortaleza - Castelão - Turnê Out There (09/05/2013)
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歌いつがれて25年 藤圭子 演歌を歌う

2013-09-23 | 昭和歌謡
 これまで藤圭子のシングル盤やカヴァー曲を取り上げながら彼女の魅力を語ってきたが、 “流し” で鍛えた彼女の真の凄さはライヴでこそ発揮される。そんな彼女のライヴ・アルバムは「歌いつがれて25年 藤圭子 演歌を歌う」(1970)、「藤圭子リサイタル」(1971)、「聞いて下さい私の人生 デビュー七周年記念 藤圭子リサイタル」(1976)、「ビッグ・ショー 演歌・浪曲・おんなの涙」(1978)、「さよなら藤圭子」(1980)の計5枚がリリースされているが、後期の3枚は選曲が私の嗜好とはかけ離れており、アルバム片面聴き通すのも正直キツイ。ちょうどド演歌路線のちあきなおみ盤と同じである。一方初期の2枚は選曲も抜群で彼女のヴォーカルも絶好調、身震いするほど素晴らしい内容だ。ということで、藤圭子追悼特集の最終回は、彼女のレコードのうち最もターンテーブルに乗る回数が多い「歌いつがれて25年 藤圭子 演歌を歌う」でいこう。
 まず “演歌” と聞いただけでスルーしたくなった人も多いと思うが、この「演歌を歌う」というタイトルはこのアルバムの中身を正確に反映してはいない。全20曲中バリバリの “演歌” と呼べるものはごくわずかで、むしろ終戦直後のSP盤時代のヒット曲や昭和歌謡黎明期のムード歌謡が数多く取り上げられており、これらを十把一絡げにして “演歌” と言い切ってしまうのはどうかと思う。ここで歌われているのはクッサクサのド演歌ではなく “昭和” という時代を象徴する大衆歌謡の名曲ばかりなので、私のような演歌嫌いの歌謡曲ファン(←結構多いと思います...)でも十分楽しめる内容になっている。
 このアルバムは1970年10月23日の渋谷公会堂でのステージの模様を収録した2枚組のライヴ盤で、A面はまずA①「圭子の夢は夜ひらく」でスタート、ライヴと言うこともあってかスタジオ録音テイクよりも気持ちの重心を下げてブルージーに迫る圭子姐さんの迫力に圧倒される。他のライヴ音源も含め、私の知る限りではこの曲のベスト・テイクと言っても過言ではない素晴らしい歌唱だと思う。
 A面の残る4曲は並木路子のA②「リンゴの唄」(1946)、岡晴夫のA③「啼くな小鳩よ」(1947)、平野愛子のA④「港が見える丘」(1947)、菊池章子のA⑤「星の流れに」(1947)と、すべて終戦直後の流行歌で占められているのが興味深い。中でも「リンゴの唄」は “辛気臭い” という彼女のイメージを木っ端微塵に吹き飛ばす明るくてノリの良い歌声が楽しめる貴重なトラック。当時まだ19歳だった彼女の愛らしい、しかし抜群に上手いヴォーカルは必聴だ。又、「港が見える丘」はちあきなおみや青江三奈もカヴァーしており、三者三様の歌世界が楽しめて実に面白い。昭和歌謡のスタンダード・ナンバー聴き比べはホンマに楽しーな(^.^)
歌いつがれて25年 藤圭子 演歌をうたう
【圭子の夢は夜ひらく~リンゴの唄~啼くな小鳩よ~港が見える丘~星の流れに】


 B面は何と言っても高峰秀子のB①「銀座カンカン娘」が出色の出来。これも上記の「リンゴの唄」同様、彼女の歌手としての懐の深さを如実に示している名唱で、一連のシングル曲から彼女のことを “暗い歌を辛気臭く歌う女性歌手” だと誤解している人達にこそ聴かせたいトラックだ。2分40秒の中で様々な歌唱テクニックを駆使しながらウキウキワクワクするような曲想を見事に表現、オリジナルとはまた違った “圭子のカンカン娘” へと昇華させているところが何より凄い。わずか19才にしてこの表現力... いやはやまったく空恐ろしい天才シンガーである。
 前にも書いたように私は “藤圭子は女性歌手のカヴァーが一番!” と信じて疑わないが、もちろん男性歌手のカヴァーの中にも脳内リフレイン必至の名唱が少なくない。私にとってそんな1曲がこのアルバムに収められたフランク永井のB④「有楽町で逢いましょう」で、圭子節が曲想と絶妙なるマッチングを見せ、オリジナルを遥かに凌駕する「有楽町」になっている。又、お気楽宴会ソングの定番である和田弘とマヒナスターズのC⑤「お座敷小唄」も藤圭子の手にかかるとスピーカーに対峙して聴くべき昭和歌謡のスタンダード・ナンバーへと早変わり。クールファイブのD④「長崎は今日も雨だった」もオリジナルは暑苦しくてしんどいが、この圭子ヴァージョンなら毎日でも聴いていたい。まさに歌の錬金術師である。こんな歌い手が他に何人いるだろうか?
歌いつがれて25年 藤圭子 演歌をうたう3
【銀座カンカン娘~有楽町で逢いましょう~南国土佐を後にして~潮来笠~出世街道~お座敷小唄~網走番外地~長崎は今日も雨だった】


 以前 “藤圭子のカヴァー特集” で取り上げたエト邦枝のB②「カスバの女」と西田さっちゃんのC③「アカシアの雨がやむとき」のライヴ・ヴァージョンが楽しめるのもこのアルバムの大きな魅力だ。どちらの曲もスタジオ録音ヴァージョンを先に聴いて気に入っていたのだが、このアルバムのライヴ・ヴァージョンを聴いてその心震わす歌声に完全KOされ、 “藤圭子の真価はライヴにあり!” を確信したのだった。同じく以前取り上げた青江三奈のD③「池袋の夜」はこのアルバムか6枚組CDボックス「聞いて下さい私の人生」でしか聴けないスーパー・ウルトラ・キラー・チューン。コレを聴いて何も感じなければ昭和歌謡は諦めましょう。そしてこのアルバムを締めくくるのが「夢ひら」に続く彼女の4枚目のシングルD⑤「命預けます」... その魂のこもった歌唱でやさぐれた世界を構築し、聴き手に強烈なインパクトを与える藤圭子の魅力が全開の1曲だ。
 絶頂期の藤圭子の凄さを音溝に刻み込んだ歴史的名盤と言っていいこの大傑作ライヴ...  こんな名盤を廃盤のままにしておくのは音楽ファンへの背信行為であり、レコード会社は音楽の担い手としての役割を放棄しているに等しい。切り売り状態で小出しにするのではなく、「リサイタル」と共に早急な完全CD化を望みたいと思う。
歌いつがれて25年 藤圭子 演歌をうたう2
【カスバの女~好きだった~黒い花びら~アカシアの雨がやむとき~女のためいき~池袋の夜~命預けます】
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新宿の女 & 女のブルース / 藤圭子

2013-09-18 | 昭和歌謡・シングル盤
 私は今でこそ昭和歌謡マニアの端くれとしてお気に入りの歌手のCDやLPやシングルをせっせと集めて楽しんでいるが、若い頃は寝ても覚めてもビートルズとハードロックと80'sポップス一辺倒で、本格的に昭和歌謡にハマりだしたのは8年ぐらい前のことだった。たまたま立ち寄ったツタヤでお目当ての任侠DVDがすべて貸し出し中でガッカリし、せっかく来たんやから他も見てみようとそれまで見向きもしなかったCDのコーナーへと足を踏み入れたのがすべての始まりで、そこでたまたま見つけたのがレーベルの枠を超えて歌謡曲のヒット曲を1年ごとにまとめた「青春歌年鑑」というコンピレーション・シリーズだった。
 当時の私の手持ちの歌謡曲音源と言えばリアルタイムで買ったキャンディーズと太田裕美とジュリーのシングル盤だけで、真の黄金時代と言える60年代後半から70年代前半のヒット曲は “どっかで聞いたことあるなぁ...” 程度の認識だったが、手ぶらで帰るのも癪だったのでとりあえず1枚借りてみようと「1970年」版を選んだ。早速帰って聴いてみると「黒猫のタンゴ」や「白い蝶のサンバ」など、小学校に入ったばかりの頃に流行った曲が入っていてめっちゃ懐かしかったが、2枚組全30曲の中で最もインパクトが強かったのが藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」、「新宿の女」、「女のブルース」の3曲だった。
 前に取り上げた「圭子の夢は夜ひらく」は例の “十五、十六、十七と 私の人生暗かった~♪” のフレーズに聴き覚えがあったが、「新宿の女」と「女のブルース」は初めて聴く曲で、どちらも彼女のヴォーカルが怖いくらいリアルに迫ってくる。心の奥底までグイグイと入り込んでくるようなその歌声に完全KOされ、その濃厚な歌世界にズルズルと引き込まれていった。私はこの時初めて藤圭子という歌手の凄さを知ったのだ。この「青春歌年鑑」シリーズには他にもいしだあゆみや青江三奈など私好みの女性歌手の曲が数多く収録されており、これをきっかけに本格的に昭和歌謡に目覚めた私はその後時系列に沿ってヒット曲を後追いしていくことになるのだが、それはまた別のはなし。
 話を藤圭子に戻そう。まずは彼女のデビュー曲「新宿の女」だが、演歌というジャンルに対する先入観を捨てて聴けばその魅力的なイントロに心を奪われること間違いなし。クリスプなベースを露払いに颯爽と登場するトランペットの響きの何と瑞々しいことよ! 一杯ひっかけてホロ酔い気分のクリフォード・ブラウンが鼻歌感覚で吹いているかのような(?)見事なソロだ。それに続くギターもまるでハーブ・エリスが日本に帰化して演歌に改宗したかのような(←するかそんなもん!)歌心溢れるプレイで彼女の歌を引き立てているし、隠し味的に使われているヴィブラフォンや流麗なストリングスも彼女のドライでドスの効いたヴォーカルを柔らかく包み込んで歌と演奏の絶妙なバランスを演出している。曲調は古臭いネオン演歌の域を出ないが、この曲が今聴いても風化せずに新鮮な感動を覚えるのはそのあたりの器楽アレンジの妙によるところが大きいと思う。藤圭子というとついつい “暗い” だの “怨歌” だのといった面ばかりが語られがちだが、とにかく一度この曲のインスト・パートに注目して聴いてみれば、その素晴らしさに驚倒するだろう。
 この曲を聴いてもう一つ印象的だったのはその歌詞の展開だ。曲の出だしは “私が男になれたなら 私は女を捨てないわ~♪” と一人称の “私” を主語にしたストーリーテリングの定石に沿った始まり方をするのだが、途中の “バカだなぁ バカだなぁ だまされちゃーあぁてぇ~♪” で視点を第三者から見た “私” へと移動させることによって聴き手におやっと思わせ、最後は “夜が冷たい 新宿の女~♪” と体言止めでビシッとキメて余韻を残すという高等テクニックに唸ってしまう。 “バカだなぁ バカだなぁ~♪” という自虐的フレーズを敢えてサラッと歌い流す彼女のヴォーカリストとしての力量にも脱帽だ。これ、ホンマにエエ歌やわぁ... (≧▽≦)
新宿の女


 「新宿の女」路線を更に推し進めた彼女のセカンド・シングル「女のブルース」は彼女にとって初の№1ヒット、しかも8週連続1位という大ヒット曲で、続くサード・シングル「圭子の夢は夜ひらく」も含めたこれら初期シングル3枚にこそ藤圭子という歌手の魅力が凝縮されているように思う。この3曲に関してはただ単に “歌い手が歌を歌う” という次元を遥かに超越して、 “作詞作曲者がその歌に込めた想いを余すことなく聴き手に伝える表現者としての藤圭子” が堪能できるのだ。
 この「女のブルース」はそんな3曲の中で最もシンプルな構成で、1番から4番までそれぞれ “女ですもの ○○○~♪”、“あなた一人に △△△~♪”、“ここは東京 ×××~♪”、“何処で生きても □□□~♪” の繰り返しから成る4行詩なのだが、逆にそれが彼女の傑出した歌唱によってザ・ワン・アンド・オンリーな世界を構築し、聴き手に強烈なインパクトを与えるのだ。この曲に “昭和のオンナ” の情念を宿らせた藤圭子... まさに “シンプル・イズ・ベスト” のお手本のような名曲名唱と言えるだろう。
女のブルース
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艶・怨・演歌 / 藤圭子 (Pt. 2)

2013-09-12 | 昭和歌謡
 彼女のカヴァー作品で西田佐知子に次いで目を引くのが青江三奈の曲だ。このボックスに入っているのは④「恍惚のブルース」だが、個性の塊のような青江三奈の曲をガッチリと受け止めて自分の歌として表現する見事な歌唱力にはただただ参りましたと平伏すしかない。他に「池袋の夜」(←「歌いつがれて25年 藤圭子 演歌を歌う」に収録)や「長崎ブルース」(←デビュー・アルバム「新宿の女」に収録)も雰囲気抜群の名唱だ。西田佐知子、青江三奈、そして藤圭子... このあたりのディープな歌世界は一度足を踏み入れたら生涯そこから抜け出せない、まさに昭和歌謡の桃源郷である。
恍惚のブルース

池袋の夜


 黛ジュンの⑥「恋のハレルヤ」は “怨歌” 系のカヴァーが多い中で異彩を放つ選曲だが、ビートの効いたポップス調のこの曲でも堂々たる歌いっぷり。彼女のハスキーなヴォーカルが曲にバッチリ合っていて実にエエ味を出していている。黛ジュン以外でこの曲をこれほど見事に歌いこなせる歌手が他に何人いるだろうか? 同じ鈴木邦彦作品では朱里エイコの⑭「北国行きで」のカヴァーもダイナミックに押しまくるオリジナルとは一味違う繊細かつ雄大なヴォーカルが楽しめて超オススメ。又、同時期にヒットした筒美京平の “大人の歌謡曲” 路線の最高傑作である朝丘雪路の⑧「雨がやんだら」では女心を情感豊かに歌い上げており、カヴァーがオリジナルを凌ぐ瞬間を体験できる。いや、ホンマにもう凄いですわ(^o^)丿
恋のハレルヤ

北国行きで

雨がやんだら


 藤圭子カヴァー特集のシメはCDになっていないためあまり一般には知られていない隠れた名唱「東京ブルース」でいこう。オリジナルはもちろん西田のさっちゃんだ。テンポをやや遅めに設定し、オリジナルへのリスペクトを感じさせながら悠揚迫らぬ歌唱を聴かせる圭子姐さんが圧倒的に、超越的に素晴らしい。これは「ざんげの値打ちもない」と同じく「藤圭子リサイタル」に入っている名唱なのだが、残念ながら未CD化のままだ。こんな名盤を放置して涼しい顔というのはレコード会社の怠慢以外の何物でもない。世間では藤圭子のCDがガンガン売れてるらしいし、この際だからCDになっていないライヴ盤5タイトルは全てCD化してほしいものだ。いつ出すの?今でしょ!!!
 藤圭子はオリジナル “怨歌” も素晴らしいが、女心を歌った昭和歌謡の名曲カヴァーにこそ彼女の真髄があるのではないかと思う今日この頃。レコード会社も中途半端な選曲のベスト盤でお茶を濁さずに、“藤圭子、女心を歌う” というテーマのカヴァー作品をライヴ音源も含めてコンプリートにコンパイルしたCDを出してくれへんかなぁ...
東京ブルース
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艶・怨・演歌 / 藤圭子 (Pt. 1)

2013-09-04 | 昭和歌謡
 今日も藤圭子の追悼特集だ。彼女のベスト盤は似たり寄ったりの選曲のものが色々出ていてどれを買えばいいか迷ってしまうが、私が持っているのはカヴァーの選曲が最も充実している5枚組CDボックス「艶・怨・演歌」だ。確かにちょっとお値段は張るが、中途半端なCDに2,000円も出すくらいなら、名曲名唱のアメアラレ攻撃にゾクゾクさせられるボックス・セットに1万円出した方がいい。そういうワケでウチのCD棚の “昭和歌謡” のコーナーにはこの藤圭子を始め、西田佐知子、ちあきなおみ、青江三奈、ザ・ピーナッツ、江利チエミ、弘田三枝子らのボックス・セットが所狭しと並んでいるのだが、私にとってはどれもみな一生モノのお宝アイテムだ。
 このボックスは1「オリジナルを歌う」、2「男の情を歌う」、3「女心を歌う」、4「人生・昭和を歌う」、5「ふるさと・叙情を歌う」の5つのテーマに基づいて選曲されているのだが、私が最も愛聴しているのはもちろんディスク3の「女心を歌う」で、今日は違うのを聴こうと思いながらも結局はコレを聴いてしまうというくらい惚れ込んでいる。前回取り上げたさっちゃんの①「アカシア」⑤「赤坂」⑩「涙かわ」はもちろんのこと、他にも私の愛する女性歌手の代表曲が一杯入っているからだ。女心を歌わずして何の藤圭子か!と言いたい。ということで、今日はこのディスク3を中心に彼女の名カヴァーの数々を聴いていこう。
 藤圭子といえば何はさておき “怨歌” というイメージがあるが、そんな彼女のキャラにピッタリな選曲が梶芽衣子の⑪「恨み節」だ。そもそも藤圭子と梶芽衣子って、どちらも凛としたクール・ビューティーで、活躍した時期もほぼ同じだし、名前の響きも何となく似ているのだが、やはり一番の共通点は “怨みのこもったやさぐれ歌謡” を歌わせたらこの二人の右に出る者がいないということ。この「恨み節」でも背筋がゾクゾクするようなド迫力ヴォーカルが堪能できて言うことナシだ。北原ミレイの⑫「棄てるものがあるうちはいい」でもその抜群の表現力に唸ってしまうが、ミレイ作品のカヴァーなら何と言っても「ざんげの値打ちもない」(←アルバム「藤圭子リサイタル」に収録)にトドメを刺す。残念なことにこのボックスには入ってないが、曲を完全に自家薬籠中のものとし、オリジナルに勝るとも劣らない吸引力で聴く者をグイグイ魅きつける圭子姐さんにシビレます。何でコレがベスト盤から漏れるかねぇ...
怨み節

ざんげの値打ちもない


 エト邦枝の②「カスバの女」も彼女の持ち味が存分に活かされた名カヴァーだ。この曲自体かなり古い歌なのだが、歌詞といい曲想といい藤圭子にピッタリの雰囲気を持ったナンバーで、まるで自分の持ち歌であるかのように見事に歌いこなしている。翳りや愁いを感じさせるしみじみとした味わいのヴォーカルがたまらんたまらん(≧▽≦)  そういう意味では八代亜紀の(21)「舟唄」のカヴァーも秀逸。この曲はオリジナル・ヴァージョンが絶対的な存在感を誇っているだけにカヴァーするには相当の自信が無いと悲惨な結果に終わることは目に見えているが、さすがは圭子姐さん、貫録十分の歌唱でこの難曲を完全に自分のモノにしている。藤圭子のヴォーカルで聴く絶品「舟歌」... ハッキリ言って鳥肌モンですよ、これは!!! (つづく)
カスバの女

舟唄
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