shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

The Kids Are Alright DVD / The Who (Pt. 1)

2011-05-29 | Rolling Stones / The Who
 「ザ・キッズ・アー・オールライト」は1979年に公開されたザ・フーのドキュメンタリー映画で、デビューからキース・ムーンの死の直前までのライヴ映像、ビデオ・クリップ、インタビューで構成されている。楽器を壊して大暴れするステージや個性溢れるメンバーの言動(特にキースの奇人変人ぶり!)、人を食ったようなインタビューなど、彼らのクレイジーな側面にスポットを当ててその魅力を見事に描き切ったという点で、数多く出ている彼らの映像作品の内でもベストと言っていい秀作だと思う。
 DVD の43チャプターのうち曲の演奏シーンは約半分の20チャプターで、(22)「サブスティテュート~ピクチャーズ・オブ・リリー~マジック・バス」を除けばどの曲もほぼフル・コーラス見れるのが嬉しい。私が60'sフーの最高傑作と信ずる「アイ・キャン・シー・フォー・マイルズ」が最終段階でカットされたのとアルバム「クアドロフェニア」がほとんどシカトされている点(←せめて「ザ・リアル・ミー」は入れて欲しかった...)を除けば選曲的にもベスト・アルバムとして楽しめる内容だ。
 この映画はまず彼らの名刺代わりの1曲とでもいうべき(1)「マイ・ジェネレイション」で幕を開ける。アメリカのTV番組「スマザーズ・ブラザーズ・ショー」出演時のライヴで、司会者とのやり取りからも彼らのユーモアのセンスが窺えるが、注目はやはりエンディングでのお約束の楽器破壊。ピートがアンプにギターを突き刺す前から煙が出ていることからも分かるようにコレは彼らの楽器破壊をネタにしたコントみたいなモンなのだが、キースが裏方を買収して限度を超える火薬を仕込んでおいたらしく、アンプの爆発が強烈すぎてキースは爆風に吹っ飛ばされピートの髪も爆発状態... 大暴れする3人を尻目に表情一つ変えないジョンにも笑ってしまうが、コレはもうほとんどドリフ大爆笑のノリである。映画のオープニングとしてもインパクトは抜群だ。
 (2)「アイ・キャント・エクスプレイン」は「シンディグ」出演時のもので、デビュー直後の生硬な4人が見れる貴重な映像だ。特に若かりし頃のキース・ムーンの天才的なスティックさばきとワルそのもののロジャーのふてぶてしい歌いっぷりに目を奪われる。(4)「ババ・オライリー」はこの映画撮影の為に500人程度のオーディエンスを招いて行われたシェパートン・スタジオでのシークレット・ライヴの映像で、本調子ではないキースの分までカヴァーしようと張り切るピートやロジャーのハイテンションなパフォーマンスが必見だ。(7)「ヤング・マン・ブルース」は1969年のロンドン・コロシアムでのライヴだが、ライヴ・バンドとしての全盛期にあった彼らの素晴らしいプレイに圧倒される。名盤「ライヴ・アット・リーズ」やワイト島フェスでの演奏と遜色ないカッコ良さだ。
 (11)「トミー・キャン・ユー・ヒア・ミー」はドイツのTV番組出演時の口パク映像で、メンバーが横一列に並んで楽しそうに歌っている姿が微笑ましい。まるで CSN&Y みたいな爽やかなコーラスはあんまりザ・フーらしくないのだが...(>_<) (13)「ピンボール・ウィザード」、(15)「シー・ミー・フィール・ミー」は共にウッドストック・ライヴからのもので、正直言ってロック・オペラ路線があまり好きではない私だが、ライヴになると話は別。やっぱりザ・フーはライヴ・ヴァージョンがいい(^.^) 1975年のアルバム「ザ・フー・バイ・ナンバーズ」から唯一選ばれたのが(20)「サクセス・ストーリー」で、空中高く投げ上げられたゴールド・ディスクをジョンがライフル射撃で撃ち落とそうとするも失敗し、マシンガンを取り出してゴールド・ディスクを木端微塵に破壊するというビデオ・クリップが面白い。
 (25)「ア・クイック・ワン」は1968年にストーンズの「ロックンロール・サーカス」に出演した時の完全ヴァージョン。この曲は短い曲をつなぎ合わせて一つのストーリーに仕立て上げた組曲形式、彼らの言葉を借りればいわゆるひとつの “ミニ・オペラ” で、翌年の「トミー」への布石となった重要なナンバーだ。私はアルバム1枚丸ごと(というか「トミー」も「四重人格」も2枚組...)ロック・オペラというのは途中で中だるみがしてどうも苦手なのだが、この曲は “ミニ” というだけあって異常なくらいのハイ・テンションが持続し、息つく暇もなく8分近い熱演が楽しめる。このザ・フーの演奏が盛り上がりすぎて、それとは対照的に演奏がイマイチ精彩を欠いていたメイン・アクトのストーンズ側が番組自体の放送中止を決定、長年お蔵入りしていたという伝説の名演なのだ。確かにミックが嫉妬するのも頷けるくらいの凄まじい盛り上がりようで、特に後半部分で一気呵成にたたみかける爆発力は圧倒的! この曲はスタジオ録音テイクも含めモンタレーやリーズのライヴでも聴けるが、この “R&R サーカス” ヴァージョンが一番好きだ。(つづく)

My Generation


The Who - I Can't Explain


The Who - Success Story


The Who - A Quick One While He's Away (Rock and Roll Circus)

Live at Leeds / The Who (Pt. 2)

2011-05-25 | Rolling Stones / The Who
 このアルバムはオリジナルの6曲入り LP、それをそのままデジタル化した初期盤 CD、ボートラ8曲を追加した14曲入りの25周年エディション CD、更に「トミー」パートを大量に追加した33曲入り2枚組デラックス・エディション CD、そしてその2枚組+“リーズ翌日のハルでのライヴ CD 2枚”+“オリジ盤を模した6曲入りレプリカ重量盤 LP”+“「サマータイム・ブルース」の7インチシングル”という超弩級の40周年記念スーパー・デラックス・コレクターズ・エディションと、もうワケがわからなくなるぐらい様々な “商品” が入り乱れて流通しているが(←この調子でいくと50周年にはスーパー・ウルトラ・ハイパー・デラックス・スペシャル・プレミアム・コレクターズ・エディションとか出そうやな...)、私としては「ライヴ・アット・リーズ」はオリジナル・フォーマットの6曲入り LP を可能な限りの大音量で聴く、というのが一番だと思う。
 A①「ヤングマン・ブルース」はミシシッピー在住のジャズ・ブルース・ピアニストであるモーズ・アリソンが1957年にプレスティッジ・レーベルからリリースした「バック・カントリー・スイート」(←渋っ!!!)に「ブルース」というそっけないタイトルで入っていた1分半の瀟洒な弾き語り4ビート・ジャズを換骨堕胎してゼッペリンもブッ飛ぶようなバリバリのハードロックに仕立てたもので、モーズ・アリソン盤を持っているにも関わらずライナーノーツを読むまでは全くそれとは気がつかなかった。下に一緒に貼っときましたので興味のある方は聴き比べてみて下さい。
 それにしても凄い演奏である。メンバー全員が鬼神の如きハイ・テンションで凄まじいまでのエネルギーを放射しながら暴走し、 “これぞハードロック!!!” と叫びたくなるようなスリリングな展開を見せている。ピート、ジョン、キースの3人がそれぞれリード・ギター、リード・ベース、そしてリード・ドラムという感じで、ザ・ワン・アンド・オンリーなアンサンブルが爆発する瞬間のこの快感は筆舌に尽くし難い。2分を過ぎたあたりからのロジャーのヴォーカルはロバート・プラントとタイマンを張れそうなカッコ良さで、まさに “世界最強(最凶???)のライヴ・バンド” の看板に偽りナシの大名演だ。
 A②「サブスティテュート」はイギリスで「マイ・ジェネレイション」の次のシングルとして5位まで上がった彼らのヒット曲(←「恋のピンチヒッター」というトホホな邦題は何とかならんかったんか...)。いかにも60'sビート・ポップス然としたスタジオ・ヴァージョンに比べるとこのライヴ・ヴァージョンはキースの怒涛のようなシンバル攻撃によってパワー・ブーストがかけられ、演奏の重心が下がったような感じで躍動感溢れるロックンロールに仕上がっている。
 A③「サマータイム・ブルース」は言わずと知れたエディ・コクランのロカビリー・クラシックスのカヴァーだが、原曲に潜む攻撃性を見事に引き出して全く新しい「サマータイム・ブルース」を作り上げているところが素晴らしい。特にビックリしたのがジョンのテケテケ・ベースで、最初聴いた時は “このギター誰やねん?” と思ったぐらいだ。ザ・フーもベンチャーズが好きやったんやね(^.^) ピートのエッジの効いたギターもめちゃくちゃカッコ良く、 “真夏の憂鬱” なんか吹き飛びそうな勢いで突っ走っている。
 A④「シェイキン・オール・オーヴァー」はジョニー・キッド&ザ・パイレーツがオリジナルで、1960年に全英№1に輝いたヒット曲。ロジャーのヤクザなヴォーカルは貫禄十分で、ジョンのベースもうねりまくって毒を撒き散らす。そしてキタ━━━(゜∀゜)━━━!!! 2分30秒あたりからピートが刻むこのギター・リフはどこをどう聴いても「ゲット・バック」そのものだ(^o^)丿 アップルのルーフトップ・コンサートで寒さにかじかむ手で見事なリズムを刻んでいたジョージ・ハリスンの姿が目に浮かぶ。コレはピート流のビートルズへのオマージュだろう。ビートルズ・ファンはこのリフを聴いて萌えましょう。又、この “ゲット・バック・リフ” から入魂のギター・ソロへとなだれ込むところも鳥肌モノで、ピーンと張り詰めた緊張感にゾクゾクさせられる(≧▽≦) 尚、たまたまゼッペリンのヴァージョンもYouTubeで見つけたので一緒に貼っときます。
 B①「マイ・ジェネレイション」は15分近いトラックだが、あの「マイ・ジェネ」を延々やっているのではなく、いくつものパートから成り立っている組曲風の演奏だ。オリジナルの「マイ・ジェネ」は2分40秒ぐらいまでで(←ブンブンうなりを上げて縦横無尽に駆け巡るジョンのベースに驚倒!)、一転して「シー・ミー・フィール・ミー」へと繋がり、インプロヴィゼイション・パートを経て、8分40秒を過ぎたあたりからアグレッシヴなハードロックへと転じ、「スパークス」から一瞬の静寂の後、最後の大暴れとばかりにゼッペリンの 1st アルバムみたいなサウンドが荒れ狂う凄まじいエンディングを迎える。もう参りましたと平伏すしかない見事な構成力だ。
 B②「マジック・バス」はボ・ディドリー風のビートがユニークなナンバーで、キースが叩くウッドブロックとジョンが刻む単調なベースラインのリズムに耳を傾けていると、 “さぁこれから無茶するぞ!” と言いながらピートのギターがやってきてひと暴れ、ロジャーのブルースハープは絶妙なアクセントになっているし、ジョンは頭の線が2,3本切れたような感じでベースを弾き倒している。キースに至ってはもう無線状態だ。たった3一のアンサンブルでこれだけの破壊力を持ったサウンドを作り上げるとは、いやはや、ザ・フー恐るべしである。
 前回取り上げた「フーズ・ネクスト」を “綿密に練り上げられた美しいハードロック” とするなら、この「ライヴ・アット・リーズ」は “聴く者をアブナイ衝動に駆り立てる凶暴なハードロック”。 ブリティッシュ・ロックが最も熱かった時代の空気を生々しく伝えてくれるプリミティヴなエネルギーに満ち溢れたロック史上屈指のライヴ名盤だ。

Young Man Blues - The Who (Live at Leeds)

Mose Allison Young Man's Blues Mose Allison Sings 1959


Shakin' All Over - The Who #Live at Leeds#

Led Zeppelin - shakin all over
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Live at Leeds / The Who (Pt. 1)

2011-05-23 | Rolling Stones / The Who
 ザ・フーの真の凄さはライヴを見ないと(or聴かないと)わからない、とよく言われる。今でこそ様々なコンサート映像が DVD化されて簡単にその壮絶なライヴ・パフォーマンスの全貌に触れることができるザ・フーだが、1964年のハイ・ナンバーズ名義によるレコード・デビューから1983年のピートによる解散宣言に至るまでの約20年間の間にリリースされた公式ライヴ・アルバムはこの「ライヴ・アット・リーズ」1枚きりである。
 90年代に入って初めて「フーズ・ネクスト」を聴いて彼らの魅力に瞠目するという “遅れてきたザ・フー・ファン” の私も、遅まきながらその噂のライヴを聴いてみようと早速このアルバムを購入した。アルバムといっても私が買ったのはもちろん CD で、しかも25周年エディションとやらでリミックス&リマスターが施され、更にボートラ8曲が追加された超お買い得盤(←その後33曲入りの「デラックス・エディション」も出たけど...)である。「トミー」のロック・オペラ路線に馴染めなかった私もこのライヴ盤で聴けるハードなロック・サウンドは見事にツボで、大好きな「サマータイム・ブルース」や「マイ・ジェレネイション」も聴けて大喜びだった。
 それから数年が経ち、私は50年代ジャズも聴くようになってアナログ・オリジナルLPの音の素晴らしさに開眼、CD で買って内容が特に気に入った盤は “一生モノ” としてオリジ盤LP も買うようになったのだが、やがてその対象はジャズからロック、ポップス、歌謡曲にまで広がった。特に今年に入ってからは自身何度目かのオリジ盤熱再燃で(←サムとデイヴに感謝!)、ザ・フーやクリーム、フロイドといった60's~70'sのブリティッシュ・ロック系で未入手だったUK盤を中心に獲りまくっており、この「ライヴ・アット・リーズ」も激しい競争を勝ち抜いてゲットした嬉しい1枚だ。
 アルバム・ジャケットは当時の海賊盤を模したそっけないもので、タイトルのスタンプの色は赤、青、黒の三種類が存在する。しかも付属品のポスターの文字や見開き内ジャケ左下のクレジット印刷の色の違いなどで何種類ものエディションが存在し、一体どれが1st プレスなのか識別が難しいというコレクター泣かせの盤なのだが、私はコレクターじゃないので音さえ良ければ 2nd プレスでも 3rd プレスでも、ドイツ・プレスでもインド・プレスでも(?)全然OKだ。レコードは聴いてナンボであり、重箱の隅をつつくように考古学的に研究するのはあまり好きではない。因みに私が獲ったのは NM の赤トラ盤、落札額は£17だった。
 この「ライヴ・アット・リーズ」、オリジナルLPの収録曲は全6曲と少なく、トータルで40分にも満たないのだが、アルバムを一気通聴してみて驚いたのは聴き慣れた14曲入りCDとは同じ音源でありながら受ける印象がかなり違うということ。CDでもそれまでの60'sビート・ポップスやロック・オペラ路線とは激しく一線を画すバリバリのロック・サウンドが楽しめたが、オリジナル・フォーマットのLPの方はまるで初期のレッド・ゼッペリンを彷彿とさせるような凄まじいハードロック・アルバムと化しており、その野放図なエネルギーの放射に圧倒されるのだ。
 よくよく考えてみるとザ・フーとレッド・ゼッペリンというのは似ている部分が多い。バンドの音楽的リーダーは派手なステージ・パフォーマンスとは裏腹に頭脳で勝負するタイプのギタリスト(P.タウンゼンド/J.ペイジ)であり、サウンドの要となるドラマー(K.ムーン/J.ボーナム)は豪放磊落なプレイでバンドを引っ張ったがプライベートでムチャクチャした挙句アルコールとドラッグで夭折。ベース(J.エントウィッスル/J.P.ジョーンズ)は寡黙な仕事人というのも同じだし、ヴォーカリスト(R.ダルトリー/R.プラント)は共にカーリーヘアで胸をはだけて歌うというところまでクリソツである。違いと言えば胸毛の有無ぐらいだが(笑)、とにかくこの2つのバンドは不思議なくらいにキャラがかぶっているのだ。
 そのせいかどうかは分からないが、このレコードをプロデュースしたピートは相当ゼッペリンを意識していたようで、それがこの偏った選曲に表れているように思う。膨大なセットリストの中から選ばれているのはヘヴィーでアグレッシヴなナンバーばかりで、全英トップ3シングルの「ハッピー・ジャック」や「アイム・ア・ボーイ」は外されている。このあたりにピートの “60'sビート・グループからの脱却” と “究極のハードロック・アルバム制作” という明確な意図を感じるのだ。
 又、大ヒット・アルバムとなった前作「トミー」からの曲が1つも入っていないのも、 “同じことをやるのは絶対にイヤ!” が信条のピートが “ザ・フー=トミー” というイメージの固定化を嫌ったからではないか。新作ライヴ・アルバムに「トミー」の楽曲を入れるのは彼の言葉を借りれば “厚顔無恥” な行為なのだろう。この選曲からはロック・オペラじゃなくてもザ・フーは凄いんだぜ、という自負がビンビン伝わってくる。
 要するに、ウッドストックやワイト島フェスティバルでの圧倒的なパフォーマンスで自信を深め、ライヴ・バンドとして最も脂がのっていたこの時期のザ・フーのハードボイルドな一面をギュッと濃縮還元して1枚のレコードに仕上げたのがこのアルバムなのではないかと思う。 (つづく)

Summertime Blues-The Who (Live At Leeds)


The Who - My generation- Live at Leeds (PART I)


The Who - My generation- Live at Leeds (PART II)

Who's Next / The Who (Pt. 2)

2011-05-18 | Rolling Stones / The Who
 このアルバムは1969年の大ヒット作「トミー」に続くロック・オペラ第2弾として構想されていた「ライフハウス」が企画倒れとなりノーマルなロック・アルバムとしてリリースされたもので、ピートは “「ライフハウス」の残骸” などと呼んでいたが、いやはや、凄い残骸である。あのグリン・ジョンズをプロデューサーに迎え、ダイナミックでライヴ感溢れるサウンドを盤に刻み込むことに成功しているし、それまでのアルバムに比べても楽曲のクオリティーが格段にアップしている。
 しかし一番の目玉はシンセサイザーの大胆な導入だろう。私はハッキリ言ってシンセの安っぽい音は嫌いなのだが、このアルバムで彼らはその無機質なループ音をまるでリズム楽器のように使うという斬新な発想で絶妙なグルーヴ感を生み出しており、 “シンセは悪!” と信じ込んでいた私にとってはまさに目からウロコという感じだったし、シンセの音がヴォーカルやギターをより引き立てる名脇役として使われているところが何よりも凄いと思う。
 このアルバムを聴くまではザ・フーというとどうしても “飛んだり跳ねたりして暴れるわ、楽器はガンガン壊すわで、まるで荒れる成人式みたいなライヴ” というイメージがあったのだが、シンセのループ音が長々と続く①「ババ・オライリー」のイントロにはビックリ(゜o゜) 何じゃいコレは?と思っているといきなりガーン!と叩きつけるようにピアノが何度も入り、キースのパワフルなドラムスが爆裂、続いて満を持したようにロジャーの力強い歌声が響き渡るところなんかめっちゃカッコイイし、後半部でヴァイオリンがシンセやドラムと組んずほぐれつしながら疾走していくところなんかもう快感の一言だ。そこには暴走するライヴとは対極に位置する知的なロック・バンドの薫りすら漂う。まさに曲良し・演奏良し・アレンジ良しと三拍子揃ったキラー・チューンである。
 シンセと言えば、私がこのアルバムを知るきっかけとなった名曲⑨「ウォント・ゲット・フールド・アゲイン」でも大活躍だ。イントロや間奏で “ピポポポ...♪” という無機質なシンセのループ音をキースのワイルドなドラミングが突き破り、ピートのアグレッシヴなコード・ストロークが炸裂するところが一番の聴き所(≧▽≦)  いつもながらキースの縦横無尽に暴れまくるドラミングの一打一打はまさに圧巻で、この味を覚えるとザ・フー中毒者完成(?)である。ジョンの地を這うようなベース・サウンドはズンズン腹に来るし、気持ちよさそうに歌うロジャーは水を得た魚のようだ。これこそまさにザ・フー名曲数え唄、掟破りの逆シンセ、サウンドのワンダーランド、アックスボンバー三つ又の槍である(←何のこっちゃ!) 8分を超える長さを全く感じさせないザ・フー屈指の名曲名演だ。
 この①と⑨に挟まれた残り7曲も驚くほどレベルが高い。正直なところ、彼らの他のアルバムには何曲かイマイチな曲が入っていることが多いが、この盤には捨て曲が1曲も無いのだ。そんな中でも特に気に入っているのが②「バーゲン」(←コレは “取引き” の意味で、バーゲン・セールとは何の関係もない...)で、くすんだトーンのフォーキーなイントロから一転してキースのドラムが一閃、ロジャーのドスのきいたヤクザなヴォーカルが切り込んでくるところが最高だ(≧▽≦) ザ・フーというとどうしてもキースのドラムス、ピートのギター、ジョンのベースといった風にインストのプレイヤーばかりに目が行きがちだが、ロジャーのヴォーカリストとしての急成長もこのアルバムの聴き所の一つで、特にこの曲の “ザ ベスト アイ エ~ヴァ ハァ~ド♪” と伸ばす所なんかめちゃくちゃ巧いと思う。もちろんキースは相変わらず絶好調で、効果的なフィルインを随所に入れるなど、秘術を尽くして、死力を尽くしてダイナミックなサウンドを作り上げており、ロックな衝動に溢れたカッコ良いナンバーになっている。
 コンサートの定番となったザ・フー・クラシックス⑧「ビハインド・ブルー・アイズ」は静と動のコントラストが実に見事な構成になっており、後半一気に盛り上がってエンディングで再びスローな1st ヴァースでシメるところがたまらない(^.^) コレ、ホンマにグッときまっせ。
 アコギが実にエエ味を出してるブルージーなナンバー③「ラヴ・エイント・フォー・キーピング」、ホーン・セクションの使い方が絶妙なミディアム・テンポのロックンロール④「マイ・ワイフ」、ニッキー・ホプキンスの静謐なピアノのイントロから一転して中盤以降ドラムス乱れ撃ちといった感じでキースの独断場と化す⑤「ザ・ソング・イズ・オーヴァー」、後半に向かって徐々にテンポアップして盛り上がっていく展開がザ・フーらしい⑥「ゲッティング・イン・チューン」、一風変わったサウンド・プロダクションと軽快なノリが楽しい⑦「ゴーイング・モバイル」と、様々なタイプの曲が収められているにもかかわらず、アルバムにビシッと1本芯が通っているような印象を与えるあたりがザ・フーのロック・バンドとしての懐の深さだろう。
 このアルバムにはロックンロールの原始的なエネルギー、うねる様なグルーヴが見事に封じ込められている。ザ・フーを聴かずしてロックを語るなかれ、そう声を大にして言いたくなるようなブリティッシュ・ロックの金字塔的アルバムだ。

WON'T GET FOOLED AGAIN - Special Edition Recut


The Who - Baba O'riley (live Keith Moon)


The Who-Bargain [Who's Next]


The Who, Behind Blue Eyes, with Lyrics, Roger Daltrey

Who's Next / The Who (Pt. 1)

2011-05-16 | Rolling Stones / The Who
 ザ・フーはビートルズ、ストーンズに次ぐブリティッシュ・ロック第3のバンドと言われながらも欧米での圧倒的な人気・ステイタスに比べると日本での認知度は不当なぐらいに低い。それは多分彼らがシングル・ヒット志向のグループではなく №1ヒットを持っていないため、洋楽をヒット・チャート(特に全米)という形で紹介することの多い日本の音楽風土の中で埋没してしまったからだろう。又、AC/DC のケースと同じように怒濤のようなタテノリ・グルーヴで聴く者を圧倒していくその演奏スタイルが、泣きのギターソロを好む日本のロックファンにイマイチ浸透しなかったのかもしれない。だから “ザ・フーって名前だけは知ってるけど曲は聴いたことがない” という人も多いのではないだろうか?
 私が初めて彼らの名前を耳にしたのは洋楽を聴き始めてすぐのことで、何かの本の「ヘルター・スケルター」の曲目解説に “ザ・フーは誰よりもうるさいダーティーなロックンロール・ナンバーを作った、というメロディ・メイカー誌の記事(←「アイ・キャン・シー・フォー・マイルズ」の事らしい...)を読んだポールが、じゃあ自分も作るしかないと思ったのがきっかけで出来た曲” とあるのを読んで、天下のポール・マッカートニーにそこまでさせるザ・フーというバンドに興味を持ったのが最初だった。
 運良くラジオの60's ビート・グループ特集みたいな番組で何曲かエア・チェックできたのだが、その中で気に入ったのが「マイ・ジェネレーション」と「サマータイム・ブルース」。今にして思えばこの時に “ザ・フーと言えばこの2曲” という刷り込み(?)が出来てしまったようで、バンドのイメージとしては現役バリバリというよりも “懐かしのビート・グループ” に近いモノがあった。
 この頃の私はミュージック・ライフや音楽専科といった音楽雑誌の記事から貪欲にロックの知識を吸収しいったのだが、あいにくザ・フーが目立った活動をしていなかったこともあって、彼らに関して入ってくる情報と言えば、楽器を壊しまくるド派手なステージ・パフォーマンスのこととか、キース・ムーンの奇行であるとかといった、音楽以外のことばかりだった。
 私がリアルタイムの新譜として彼らのアルバムを聴いたのは1978年の「フー・アー・ユー」が最初で、シングル・カットされたタイトル曲の “フゥ~ アーユー フッフッ フッフ~♪” というキャッチーなサビのコーラスが脳内リフレインしていた時期があった。今の耳で聴けばこの曲は「ババ・オライリー」から続くシンセ・サウンドを効果的に使ったアレンジの集大成のようなナンバーなのだが、洋楽ロックを聴き始めてまだ2,3年というド素人の私は、バンド名をタイトルに盛り込んで “アンタ一体誰なん?” を連呼するこの面白い曲を軽快なポップ・ロックという感覚で楽しんでいた。
 真の意味で私が彼らの魅力に開眼したのは例の「カンボジア難民救済コンサート」を見た時で、あのコンサートの主役はポール・ファンの私の目から見ても間違いなくクイーンとこのザ・フーだったように思う。ユニオン・ジャックが一番似合うのは彼らだということをイギリスのファンはよく知っているのだ。NHK放送分は「ババ・オライリー」がカットされて3曲のみだったのが惜しまれるが、マイクをブンブン振り回すロジャーや腕をグルグル回してパワー・コードを弾き続けるピートのパフォーマンス(←人呼んで “風車奏法” って、ビル・ロビンソンかよ...)はめちゃくちゃカッコ良かったし、「シー・ミー・フィール・ミー」の後半部の異常なまでの盛り上がりようはまるでハマースミス・オデオン全体が揺れているような凄まじいノリの嵐。この思わず身体が動いてしまうようなグルーヴ感こそがザ・フーの本質であり、このライヴ映像を見ても何も心に湧き上がるモノがなければその人は所詮ザ・フーとは縁がなかったということだろう。とにかく私はこの時初めて彼らの凄さを垣間見れたように思う。
 お調子者の私は早速 “あの感動をもう一度!” とばかりに名盤の誉れも高い「トミー」を借りてきて聴いてみたのだが、コレが全くの意味不明。そもそもロック・オペラって何なん?という感じでワケが分からないままに2枚組が終了。しかも78年にサウンドの要とも言うべきキース・ムーンを失ったザ・フーは80年代に入ってすぐに解散、私の中で彼らは再び “過去のバンド” になろうとしていた。
 そんな私がザ・フーという名前を久々に耳にしたのはそれから約10年経った1993年のこと、大好きなヴァン・ヘイレンがライヴ・アルバム「ライト・ヒア・ライト・ナウ」でザ・フーの「ウォント・ゲット・フールド・アゲイン」(邦題:「無法の世界」)をカヴァーしたのだ。恥ずかしながらザ・フーのオリジナル・ヴァージョンを聴いたことはなかったのだが、ヴァン・ヘイレンのカヴァーを聴いてその圧倒的なグルーヴ感にシビレまくり、 “ザ・フーにこんなエエ曲あったんか!” と慌ててこの曲が入っているCDを買いに走ったのを覚えている。それがこの「フーズ・ネクスト」(1971年)であり、私的には文句なしにザ・フーの最高傑作アルバムなんである。(つづく)

Who Are You by The Who


The Who See Me Feel Me


【おまけ】相変わらずエディー凄っ!アレックスはムーニー憑依状態でノリノリやね(^.^)
Van Halen - Won't Get Fooled Again ( LIVE inside the 5150 studio )

「21世紀の精神異常者」特集

2011-05-12 | Cover Songs
 前回のキング・クリムゾンに対して mossforester3 さんから “「21世紀の精神異常者」は「USA」のジョン・ウェットンver. が「宮殿」のグレッグ・レイクver. を凌ぐ” という趣旨のコメントをいただき、それが私のスキッツォイド熱(?)を再燃させた。最初はクリムゾンのヴァージョン違いだけを聴き比べてコーフンしていたのだが、それが高じて手持ちの色んなカヴァー曲まで引っ張り出してきてアレコレ聴いているうちに例のメロディーが頭の中で鳴り止まなくなり、ついに「21世紀の精神異常者」ばかりを詰め込んだ自家製コンピ CD-R まで作ってしまった。早速今朝の通勤BGMに選んだのだが、朝っぱらから車内大音響で60分間フルタイム聴くスキッツォイド・マ~ン♪って、これがもうめちゃくちゃ楽しすぎて当分病み付きになりそうだ(^o^)丿 きっかけを作ってくださった mossforester3 さんに大感謝である。ということで、今日は「21世紀の精神異常者」特集です。

※私の知らない間にこの曲の邦題が「21世紀のスキッツォイド・マン」に変わってしまっていた。どうせまたアホな言葉狩りを恐れてヘタレのレコード会社が改題したのだろうが、あの歌詞の一体どこに差別を助長する要素があるというのだろう? 今更 “スキッツォイド” などという医学用語をカタカナ表記にしてみたところで何が変わるというのだろう? ハッキリ言って偽善臭くて鬱陶しいだけだ。ということで、このブログでは由緒正しいオリジナル邦題「21世紀の精神異常者」で押し通させていただきます!

①King Crimson
 この曲はスーパーウルトラ愛聴曲なので、これまであまり深く考えずに「宮殿」も「USA」も両方楽しんできたのだが、いざ聴き比べてみるとコレが甲乙付け難い。mossforester3 さんが仰るようにヴォーカルに関しては僅差でウェットンなのだが、マイケル・ジャイルズのドラミングが超越的に素晴らしいのと、ピンク・アイランド盤の音の素晴らしさ、そして初めて聴いた時の衝撃度や思い入れの深さから、自分としては「宮殿」ヴァージョンに一票を入れたいと思います。
King Crimson - 21st Century Schizoid Man (album version)

King Crimson - 21st Century Schizoid Man - 1974 Live


②シーズン
 「21世紀の精神異常者」のカヴァーでダントツに気に入っているのがコレ。このシーズンは5人のうら若き女性達から成るストリングス・ユニットで、雰囲気としては以前ビートルズ・カヴァーで取り上げた1966カルテットに相通ずるものがあるのだが、その演奏は見た目とは裏腹にめちゃくちゃハードボイルド。私は昔からヴァイオリンの音色がどうも苦手で、大好きなジプシー・ジャズでさえもヴァイオリン抜きの演奏を選り食いして聴いているくらいなのだが、この「21世紀の精神異常者」を初めて聴いた時は最初の数秒で完全KOされた。原曲に潜む狂気のようなものをクラシックの弦楽器であるヴァイオリン、チェロ、コントラバスを使って力強く表現しているのが凄いし、何よりもその緊張感溢れるユニゾンが実にスリリングで、高度なテクニックに裏打ちされたダイナミックなプレイは何度聴いても鳥肌モノ。ロバート・フリップにぜひとも聴かせたいクリムゾン・カヴァー史上屈指の大名演だ。
Seasons - 21st Century Schizoid Man


③Entombed
 数年前のこと、リビングで寛いでいると隣の母の部屋からいきなりこの「21世紀の精神異常者」が聞こえてきた。ビックリして見に行くと、TVで大食い選手権みたいな番組をやっており、そのBGMがコレだった。すぐにUSアマゾンで曲名検索して判明したのがこのエントゥームドというバンド。そんなアンダーテイカーみたいな名前は全く聞いたこともなかったので調べてみると90年代に活躍したデスメタル・バンドとのこと。私は90年代ロックもデスメタルも大嫌いだが、このトラックだけは好き。名曲はジャンルを超えるの格好の見本と言えるだろう。ネットでアルバムを試聴したら他の曲はすべてゴミだったので、 YouTube から DL したものを CD-Rに焼いて楽しんでいる。
Entombed - 21st Century Schizoid Man (cover)


④Crimson Jazz Trio
 高い演奏力を持ったプレーヤー達の火花が散るようなインプロヴィゼイションの応酬というジャズのイディオムをプログレの世界に適用し、危ういバランスの上でギリギリの緊張感をもって音楽をザックザックと切り刻んでいったのがキング・クリムゾン。このクリムゾン・ジャズ・トリオは第2期クリムゾンのドラマーであるイアン・ウォーレスを中心に結成されたピアノトリオで、元々ジャズ的要素が強いクリムゾン・ナンバーを自由な発想と大胆なアレンジでスリル満点のヨーロッパ風ピアノトリオ・ジャズに仕上げている。0分33秒でいきなり炸裂するブラッシュのシュパッ!! という音には思わずのけぞってしまった。尚、このCDは既に廃盤になっており鬼のようなプレミアが付いているが、YouTube で簡単に楽しめるのでジャズ・ファンの方は第2集共々聴いてみて下さいな。
Crimson Jazz Trio - 21St Century Schizoid Man


⑤California Guitar Trio
 厳密にいうとコレはドリフで有名なあの「ズンドコ節」に過激なスキッツォイド・アレンジを施したものなのだが、何と言っても邦題が「21世紀のズンドコ節」(原題は Zundoko Bushi )とくればコレはもうこのブログで取り上げないワケにはいかない。このカリフォルニア・ギター・トリオ(CGT)はロバート・フリップに見い出された3人から成るギター・ユニットで、プログレ・ナンバーからベンチャーズ、クイーンに至るまで様々な楽曲をユニークなアレンジで聴かせてくれるのだが、やはりフリップに因んだこの曲は外せない。尚、リズム隊は80'sクリムゾンのトニー・レヴィン(b)と90'sクリムゾンのパット・マステロット(ds)だ。
California Guitar Trio


【おまけ】心の広いクリムゾン・ファンの方に...
山寺宏一 - 21世紀のリサイクルマン
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Larks' Tongues In Aspic / King Crimson

2011-05-08 | Rock & Pops (70's)
 すっかりプログレ・ウイークと化してしまった今年の GW も今日でお終い、フロイド、EL&P と来ればシリーズ最終回は当然キング・クリムゾンである。絵的には牛、ガイコツに続いて “赤ら顔がうわぁぁぁ!” な「宮殿」でシメれば申し分無いのだが、コレは以前に2回も取り上げたのでパス。クリムゾンはリーダーのロバート・フリップを核にしてメンバー・チェンジを繰り返しながらその時々で異なる音楽性を提示してきた非常にユニークなグループなので、私的にはその時期ごと、アルバムごとに好き嫌いがハッキリ分かれてしまう。
 具体的に言うと、69年の「宮殿」~70年の「リザード」までを第1期、71年の「アイランズ」~72年の「アースバウンド」までを第2期、73年の「太陽と戦慄」~74年の「レッド」までを第3期と分類し、そして80年代の3枚は「ディシプリン・クリムゾン」と呼ぶのが一般的だと思うのだが(←90年代以降の盤は聴いてないのでよく分からない)、デビュー作にして最高傑作となった「宮殿」を別にすれば管弦楽器を多用した叙情的なサウンドを主体とする第1期~第2期のクリムゾンは私の嗜好とはかけ離れていてあまり楽しめない。
 私が好きなのはインプロヴィゼイション主体のエキセントリックなプレイがたまらない第3期とドライなギター・サウンドによるジャングル・ビートが快感を呼ぶ80’sディシプリン・クリムゾン。メロトロンがブワァ~な曲も決して嫌いではないのだが、やはりクリムゾンは緊張感漲るスリリングな演奏がベストと思ってしまう。今回はそんな中でも一番の愛聴盤でジャケットもタイトルも意味深な「太陽と戦慄」でいくとしよう。
 まずはアルバム・タイトルの原題 Larks' Tongues In Aspic、直訳すると “ヒバリの舌のゼリー寄せ” となり全く意味不明である。Elephant Talk の FAQ8 によると、スタジオで “このアルバムのタイトル何にする?” みたいな話になった時にパーカッションのジェイミー・ミューアが “そんなモン、Larks' Tongues In Aspic で決まりやん!” と言ったのを聞いたフリップがそのコトバの持つ響きを気に入ってそのまま採用されたとのことで、当初はタイトルそのものに特に深い意味はなかったらしい。一説によるとこのタイトルは男女のまぐわいを暗示しているらしいのだが、いずれにせよこーやって色々と言葉の裏に隠されたメッセージを探そうとしてしまうところがプログレのプログレたる所以なのかもしれない。
 太陽と月をあしらったジャケットも暗示的だ。後にフリップがインタビューで語ったところによるとこのアルバムの基本コンセプトは荒々しさを表す男性的特質と繊細さを表す女性的特質の融合らしいが、そうするとこのジャケットも “太陽=男” で “月=女” という隠喩なのだろうか。さすがはプログレ界でも孤高の存在と言われるクリムゾン、音を聴く前から既にプログレ特有の難解なオーラに頭がクラクラしてしまうが、いずれにせよ邦題を「太陽と月」にせず(←それじゃあドリス・デイになってしまう...)、そのスリリングな演奏を “旋律” と引っ掛けて「太陽と戦慄」とした担当者のセンスはさすがだと思う。
 このアルバムにはインスト3曲とヴォーカル入り3曲の全6曲が収められているが、聴き物は何と言ってもインストのA①B②③の3曲だ。初めてこれらのトラックを聴いた時は全くワケが分からず、ただ何となく怖いものを聴いてしまったような、そんな感じだったが、怖いもの見たさ、じゃなかった聴きたさに何度も繰り返し聴いているうちに、クリムゾンの演奏と自分の身体感覚が共鳴現象を起こしたかのような不思議な感覚を覚え、気が付けばアンプのヴォリュームを上げていた。
 まずアルバム冒頭を飾るA①「ラークス・タングズ・イン・アスピック・パート1」、最初はガムラン音楽みたいなイントロが延々と続いて少々ウンザリさせられるのだが、2分53秒を過ぎたあたりから緊張感を煽るようなヴァイオリンの細かい刻みに導かれるようにディストーションを効かせたギターがフェイドイン、思いっ切り不安感をかき立てておいて3分40秒でアンサンブルが大爆発し、それ以降はブラッフォードの叩き出す複雑でタイトなリズムにウェットンの強靭なベースが絡み、その中をフリップのアグレッシヴなギター・リフと狂気に満ちたミューアのパーカッションが乱舞しながら疾走していくという、実に緊張感とエネルギーに満ち溢れた破壊的な音世界を構築している。7分40秒以降は静謐なヴァイオリン・ソロが続くのだが私には退屈以外の何物でもない。邪道ではあるが、私は序章の冗長なガムランと後半の退屈なヴァイオリンのパートをカットして「自家製・太陽と戦慄パート1」を編集して楽しんでいる。
 A②「ブック・オブ・サタデー」とA③「エグザイルズ」、そしてB①「イージー・マネー」ではジョン・ウェットンのヴォーカルが楽しめる。A②③は落ち着いた雰囲気の叙情的なバラッドなのだが、A①のインパクトが強すぎるせいか、あまり印象に残らない。B①は変拍子炸裂のナンバーで、ブラッフォードの変幻自在のプレイに耳が吸い付く。パーカッションの “ポヨ~ン” やエンディングの笑い袋(?)には思わず脱力してしまうが、何はともあれ面白い曲だと思う。
 B②「トーキング・ドラム」は風が吹きわたるような音の中をパーカッションがフェードイン、ドライヴ感溢れるドラムのビートに乗って延々と反復されるベースのリフ(←このベースラインがこの曲のキモやと思います...)に怪しげなメロディーを奏でるヴァイオリンとギターが重なり合いながら絡みつき、壮絶なインプロヴィゼイションが繰り広げられるという、キング・クリムゾンにしか作り得ない名演だ。
 そして徐々に音圧が増していき、悲鳴のような金属音から切れ目なしにB③「ラークス・タングズ・イン・アスピック・パート2」へとなだれ込む瞬間こそがこのアルバム最大の聴き所。ヘビメタよりもヘヴィーでメタリック、凄まじいくらい攻撃的なギター・リフが変拍子満載で堪能できるのだからたまらない(≧▽≦) このあたりはメタリカのルーツと言っても過言ではないくらいスリリングだし、不協和音を奏でるヴァイオリンも狂気を感じさせる。反復運動を繰り返しながら徐々に絶頂へと向かい最後の最後でエクスタシーの大爆発を迎える様を見事に音で表現したパートは聴いていて実に心地良いもので、このカタルシスは一度味わうとクセになる麻薬的な魅力を内包している。コレはまさに男女のセックスを連想させるものであり、タイトルからジャケット、そして演奏に至るまで全てがフリップの言う “男女の融合” というコンセプトで見事に貫かれていることが分かる。とにかくこの曲はクリムゾンの私的トップ3に入る超名曲名演だ。
 第3期のクリムゾンは、同じプログレ・バンドでも感性に訴えかけてくるようなフロイドとは対照的に何かこうネチネチと攻めてくる理詰めのサウンドというイメージがあるが、このアルバムは綿密に計算・構築されたサウンドとスリリングな即興演奏の融合というアンビバレントな手法を両立させた類稀なる傑作で、決して万人にオススメできるような盤ではないが、個人的には「宮殿」に比肩するくらい愛聴している1枚だ。

King Crimson - Lark's Tongues In Aspic, Part I


King Crimson "Easy Money"


King Crimson - The Talking Drum


King Crimson - Lark's Tongues In Aspic, Part II
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Brain Salad Surgery / Emerson Lake & Palmer

2011-05-04 | Rock & Pops (70's)
 “勝手にプログレ” シリーズ、牛に続く第2弾はしゃれこうべである。アルバムは大好きな EL&P の「恐怖の頭脳改革」。ジャケットは映画「エイリアン」のデザイナーとして有名なH.R.ギーガーのアートワークで邦題共々おどろおどろしい雰囲気を醸し出しているが、このガイコツ・ジャケット、アナログLPは観音開き仕様になっており、開けるとギリシア神話に出てくる妖女メドゥーサ(目を瞑っているので石にならずにすみます...)が現れるという仕掛けである。
 原題の「Brain Salad Surgery」は直訳すると “脳ミソサラダ外科手術” と意味不明なのだが、いくら何でもコレを邦題にするワケにはいかない。後にキース・エマーソンがインタビューで語ったところによれば、コレは性的な意味を持つスラングなんだそうで、確かに円内の女性の口元から下の部分(特に喉仏)をよくよく見ればなるほどなぁと思えるが、高尚な音楽ブログを目指す私としてはこれ以上は書けない(笑) そんなアブナイ原題をガイコツのイメージと Brain Surgery というコトバを巧く組み合わせて「恐怖の頭脳改革」としたセンスは見事だと思う。
 このアルバムの聴き所は何と言ってもA面ラストからB面すべてを使い、トータル30分近くにわたって繰り広げられる空前絶後のプログレ絵巻「カーン・イーヴル9」(邦題:「悪の経典#9」)である。この曲はA⑤「1st インプレッション・パート1」、B①「1st インプレッション・パート2」、B②「2nd インプレッション」、B③「3rd インプレッション」の3部構成になっており、当時最先端だったモーグ・シンセサイザーを大胆に導入しながら “キーボード主体のハードロック” とすら呼べそうなイケイケのナンバーに仕上げている。
 A⑤とB①の「1st インプレッション」は一番ロック色の濃い演奏で、プログレのお約束とでも言うべき細かい転調はあるものの、緊張感漲る3人のプレイが混然一体となって有無を言わせぬパワーで迫ってくる。その圧倒的なスケール・存在感はもう凄いという他ないし、何よりもこのたたみかけるようなスピード感がたまらない(≧▽≦) 尚、アナログLPでは収録時間の関係からAB面でパート1と2に分かれているが、B面アタマで “Welcome back, my friends, to the show that never ends...” とフェイド・インしてきていきなり全開で突っ走るところがカッコ良くて好きだ。
 B②の「2nd インプレッション」はキースのジャジーなピアノ・プレイからパーカッシヴなパートへと一気になだれ込む怒涛の展開にゾクゾクさせられる。タイトルの Karn Evil とは Carnival を一ヒネリした造語なのだが、特にカーニバル感が強いのがこのパートで、2分22秒あたりで炸裂する「セント・トーマス」の一節にはニヤリとさせられる。この後静と動のコントラストを描くようなピアノ主体のパートが続くのだが、ここはもうキースの独断場。実にスリリングなインプロヴィゼイションが楽しめて言うことナシだ。
 B③の「3rd インプレッション」は宇宙戦艦ヤマトのテーマみたいな勇壮な感じの行進曲調で始まり、そのまま大団円に向けて予定調和的に突き進むのかと思いきや、さすがはプログレ、そうは問屋が卸さないとばかりにキースのシンセが4分25秒あたりから風雲急を告げるようなフレーズを連発、変幻自在なプレイでもう一盛り上がりをブチかまし、今度こそ怒涛のエンディングへ... しかしコレがピコピコ音を前後左右に振り回しながら突然スパッと終わるという何とも尻切れトンボ感が拭えないトホホなエンディング。何コレ? ドラマチックな大作のエンディングに相応しくもっと大仰でカッコエエ終わり方にしてほしかったというのが正直なところだ。(←ゼータク言うな!)
 このA⑤B①②③と続く「カーン・イーヴル9」の組曲的展開はまさに圧巻の一言で、起伏に富んだメロディーや緩急を付けたリズムを駆使した見事な構成によって30分という長さを感じさせずに一気呵成に聴かせてしまうところが凄い。とにかくプログレの持つ重苦しい思想的・観念的・哲学的な側面、そしてすぐにクラシック音楽に色目を使いたがる技術偏重主義的な所が大嫌いなカタギのロック・ファンである私にとって、この痛快無比な「カーン・イーヴル9」はクリムゾンの「21世紀の精神異常者」、フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」と並ぶプログレ3大名曲名演の1つであり、これら3曲は大音量で音の洪水の中に身を投げ出すようにして聴くとその凄さが実感できると思う。
 私がこのアルバムをかける時はいつもA⑤からで、A面アタマの4曲は滅多に聴かない。壮大なオープニング曲と言える①「エルサレム」は讃美歌っぽくてあまり好みではないし、②「トッカータ」なんてシンセに寄りかかっただけの何の面白味もない無機質な演奏であり、ハッキリ言って私がEL&P の中で最も嫌いなタイプのトラックだ。③「スティル・ユー・ターン・ミー・オン」はグレッグ・レイクお得意のアコースティックなバラッドで①②よりは遥かにマシだが、このタイプの曲ならやはり1st アルバムに入っていた「ラッキー・マン」の方がいい。
 ④「ベニー・ザ・バウンサー」はこの4曲の中では1番楽しめるアップテンポなナンバーで、ラグライム・ピアノ主体の軽快なロックンロール。カール・パーマーのパスパスと手数の多いドラミングが良い味を出しているが、所詮は大作⑤に入る前のお遊び的な楽曲に過ぎない。私的にはむしろ “久しぶり そいつはゲイだ なぁ部長~♪” という空耳ソングとして忘れ難い1曲だ。
 1973年に彼らが設立したレーベル「マンティコア」からのリリース第1号となったこの「恐怖の頭脳改革」はA面の一部を除けば(←しつこい)間違いなく EL&P の最高傑作であり、このアルバムで彼らはプログレ・ロック・トリオとしての可能性の限界を極めてしまった感がある。だからこれ以降彼らが失速してしまったのも大いに頷けるのだが、その事実が逆説的にこのアルバムのとてつもない完成度の高さを証明しているように思う。

Emerson, Lake & Palmer - Karn Evil 9: 1st Impression


Emerson Lake & Palmer - Karn Evil 9 2nd Impression


Emerson, Lake & Palmer - Karn Evil 9: 3rd Impression

Atom Heart Mother / Pink Floyd

2011-05-01 | Rock & Pops (70's)
 今年に入って震災は起こるわ、仕事は忙しゅーなるわ、スーちゃんは亡くなるわで自分的には暗い気分の日が続いている。こんな時こそ音楽を聴いてスカッとしたいものだが、ヒネクレ者の私は凹んだ時に明るい音楽を聴いても全然楽しめず、むしろ暗くてヘヴィーな音楽を本能的に求めてしまう傾向がある。ということで最近はカラッとしたアメリカン・ロックよりも翳りのあるブリティッシュ・ロック、それもハッピーで分かりやすい80's よりもちょっと難解な70'sのロックをよく聴いている。
 難解なロックといえば真っ先に頭に浮かぶのがプログレである。私は基本的にはビートルズやラモーンズのような分かりやすいストレートなロックンロールが好きなのでプログレに関しては専門外なのだが、そんな私でもピンク・フロイド、EL&P、キング・クリムゾンの三大バンドだけはそれなりに聴いてきた。EL&Pはギター抜きとはいえ基本的には自分が聴いてきたロックのノリとほとんど変わらなかったし、クリムゾンも当たり外れはあるにせよ「宮殿」を含め何枚かは自分の嗜好に合っていたのだが、フロイドだけはどうにもつかみどころがないという感じで、「吹けよ風、呼べよ嵐」や「マネー」、「シープ」といったイケイケなナンバーを除けば私には敷居が高い演奏が多く、 “やっぱりプログレは難しいわ” という思いを植え付けられたものだった。
 私が基本的にプログレ・ド素人なせいかもしれないが、ピンク・フロイドほどその時々でアルバムの好き嫌いが乱高下するバンドは珍しい。「ザ・ウォール」なんて発売された当時は結構好きでよく聴いていたが、最近久々に引っ張り出して聴いてみるとそのあまりの暗さに辟易して途中で聴くのをやめてしまった(>_<) 逆に「炎」は昔はそんなに好きじゃなかったのに、彼らの音楽の根底に潜むブルース・バンドとしての魅力に目覚めてからは愛聴盤になったのだから、やはりフロイドは一筋縄ではいかないというか、奥が深いバンドである。
 今日取り上げる「原子心母」は私が初めて買ったフロイドのアルバムで、別に「神秘」でも「おせっかい」でも「狂気」でも良かったのだが、ジャケットのインパクト一発でこのアルバムを選んだのだ。今ではヒプノシス(←フロイドの主要作品や後期ゼッペリン、ウイングスにT.レックス、ユーミンまで手掛けた名デザイン・グループ)の作品ということで大いに納得だが、当時中学生だった私にとっては “牛のジャケット” というのがメチャクチャ衝撃的だった。牛でっせ、牛。しかもこの牛、こっちを振り向いてガンを飛ばしてるように見えるではないか。ここで引いたら負けである。(←何のこっちゃ!) 因みに裏ジャケでは3頭の牛が正面からメンチを切っている。コレはさすがにコワイですわ...(>_<)
 このアルバムはジャケットのみならず、邦題タイトルのインパクトも絶大だった。原題の Atom Heart Mother を、竹を割ったような潔さで直訳して「原子心母」ときたモンだ。「げんししんぼ」って私にはまるで既成の四字熟語みたいに聞こえるのだが、このコトバの響きには何か人を引き付けてやまないサムシングがあるように思えてならない。原題は原子力電池で動くペースメーカーを付けた妊婦さんの新聞記事から取られたらしいが、ここはやはり重厚な響きを持つ「原子心母」(←何か原子力空母の名前みたい...)の方が「アトム・ハート・マザー」よりも数倍カッコイイ(^o^)丿
 邦題と言えば、アルバム・タイトルだけではなく各曲の和訳も面白い。「ミルクたっぷりの乳房」(←濃厚な牛乳が飲めそう...)に「むかつくばかりのこやし」(←くっさ~)、「喉に気をつけて」(←製薬会社のCMかよ!)、「デブでよろよろの太陽」(←どんな太陽やねん!)など、まるでリスナーを笑わそうとしてるんか、と思いたくなるような迷訳珍訳のオンパレードなのだが、コレがまた音楽を聴く前からこちらの好奇心・想像力をビンビン刺激してくる。とにかくシュールなジャケット、重厚な邦題、笑える曲名と、これでつかみは完璧にOKだ。
 このアルバムは何と言ってもA面すべてを使ったタイトル曲①「アトム・ハート・マザー」が圧倒的に、超越的に、芸術的にすんばらしい!巷では “オーケストラとの共演によりクラシック音楽の要素を導入” という点ばかりが強調されているような感があるが、クラシックがナンボのもんじゃいと思っている私にとってはロック・シンフォニーがスベッただの、合唱隊のコーラスがコロンだだのといった能書きはどうでもいい。心して聴くべきはデイヴ・ギルモアのブルージーなギター・ソロが炸裂するパート(3:50~5:21と10:10~13:25あたり)と「レヴォリューション№9」みたいなサウンド・コラージュ・パートを経て曲のテーマのフラグメンツが現れては消え、消えては現れを繰り返しながら徐々に形を整えて大団円に向かって収斂していくかの如きエンディング・パート(18:40~23:45)、コレに尽きると思う。A面を聴き終えた頃にはもう「アンクル・アルバート~アドミラル・ハルセイ」を裏返しにしたようなテーマ・メロディの脳内リフレインは確実だ。
 B面の大半はA面とは対極に位置するようなアコースティック・ナンバーで、そのあまりの落差に唖然とさせられるが、①「イフ」は曲調は思いっ切り地味だがその歌詞はアルバム「狂気」へと繋がる重要なナンバーだし、牧歌的な雰囲気で始まるリック・ライトの②「サマー’68」なんかブラスが炸裂する1分12秒あたりからのポップな展開は「マジカル・ミステリー・ツアー」の頃のビートルズっぽい味わいがあって結構気に入っている。③「ファット・オールド・サン」は沈む間際の大きく見える太陽のことで、その名の通り何となくよろよろした歌声に脱力感を禁じ得ない(笑)が、ギルモアの歌い方といい、ニック・メイソンのドラミングといい、どことなく「マザー・ネイチャーズ・サン」っぽい雰囲気を持ったナンバーだと思う。
 ④「アランズ・サイケデリック・ブレックファスト」はバンドのロード・マネージャーだったアラン・スタイルズの朝食風景を音で表現したもの。蛇口から雫ががポタポタ落ちる音やジュージューと目玉焼きを焼く音、ガツガツ食ってゴクゴク飲む音etcをフィーチャーしたミュージック・コンクレート風のナンバーだが、随所に挿入されるピアノやギターが奏でるメロディーの断片が素晴らしく(←特に「上を向いて歩こう」みたいなピアノと「ディア・プルーデンス」みたいなアコギが好き!)、いかにも前衛やってます的ないやらしさは微塵も感じられない。スピーカーに対峙して聴くような音楽ではないが、何かをしながらBGMとして聴けば中々面白いトラックだと思う。
 この「原子心母」は初めて聴いた時はどこがエエのか全く分からずすぐに売っ払ってしまったが、 “ひょっとして自分の感性が乏しいんとちゃうやろか...” とその後も心の片隅でずっと気になっていた因縁浅からぬアルバムで、それから30年ぐらい経ってCDレンタルで聴き直して、初めてその真価が分かったというニクイ1枚なのだ。やはりプログレの道は1日にしてならず、ということだろうか。

Pink Floyd - Atom Heart Mother Suite


Pink Floyd - Summer '68


Pink Floyd-Alan's Psychedelic Breakfast