shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

Let It Be 2024 New Master Definitive Edition

2024-07-28 | The Beatles

 先週、ビートルズをメインに扱うブートレッグ通販ショップ「福武多聞堂」から新作案内メールが届いた。最近これぞ!というレコードやCDに巡り合えずに飢餓状態にあった私は待ってましたとばかりにリストに目を通したのだが、既発音源のAI解析による新編集リミックスとか最新マルチトラック・リミックスとかそういった類の盤ばかりで、さすがのブート屋さんもネタ切れやなぁ... とちょっとガッカリ。ところがその中に「レット・イット・ビー・フィルム コレクターズ・エディション 2024 NEW MASTER DEFINITIVE EDITION(1BDR)」というのがあって思わず “おっ、これは!” となった。
 「レット・イット・ビー」の2024って、今年の5月からネズミー・プラスで独占配信されてるリマスター映像のやつとちゃうんか!とコーフンしながら商品説明を見ると、ハッキリと “映画『レット・イット・ビー』2024年度版ニュー・マスターをデジタル・リマスタリング収録したHDクオリティの美麗ブルーレイ・エディション” と書いてあるではないか。これはえらいこっちゃである。
 私は今の時代に逆行するような配信嫌いのディスク至上主義者で、更にネズミーのことはそれに輪をかけて忌み嫌っている人間だ。2年前に「ゲット・バック」見たさにネズミー・プラスと2ヶ月だけ契約してすぐに解約したのだが、ネットのニュースで「レット・イット・ビー」の独占配信のことを知った時は “また糞ネズミーと契約せなアカンのか...” と不快な気持ちになった。しかしどんなにネズミーが嫌いでも、レストアされたキレイな映像で「レット・イット・ビー」を観るためなら喜んで悪魔に魂を売るのが私という人間である。それにしても「ゲット・バック」に続いて「レット・イット・ビー」までネズミーに差し出すとはアップルは一体何を考えとるんじゃ! ネズミーなんかと関わるとロクなことがないのは「スター・ウォーズ」の凋落ぶりを見ればアホでもわかることなのに...
『ザ・ビートルズ: Let It Be』|予告編|50年以上ぶりに伝説のロックバンド ザ・ビートルズ(The Beatles)幻のドキュメンタリー映画が復活|Disney+ (ディズニープラス)


 仕事がヒマな8月になったらネズミー・プラスと渋々契約するつもりだった私にとって、このブルーレイのリリースはまさに渡りに船、いや、地獄で仏(←この使い方であってるのかな?)レベルの朗報である。私は迷うことなく即オーダーした。
 で、この「レット・イット・ビー2024」のブルーレイを実際に観た感想としては、とにかく画質がめちゃくちゃキレイだということ、これに尽きる。まぁ2024年のテクノロジーで徹底的にレストアして画質が大幅に向上したブルーレイなのだから美麗映像に仕上がっているのは当然といえば当然なのだが、それにしてもこれほどまでにクリアーな映像で「レット・イット・ビー」が観れるとは夢にも思わなんだ。薄暗くて寒々しいイメージのあったトゥイッケナム・スタジオのシーンですら印象がガラリと変わるくらいなのだからこれはもう参りましたとひれ伏すしかない。例えるなら視力0.5ぐらいの人が初めて眼鏡を作っていきなり2.0まで見えて “何じゃこれは!” と腰を抜かしたような、そんな感覚なのだ。とにかく画質に限って言えば、100点満点、いや、120点をあげてもいいくらいのクッキリ・ハッキリ感で、これだけでも十分3,800円の元は取れたと思っている。
The Beatles: NEW Let it Be (2024) vs Original Let It Be (1970) part 2


 しかし長年オフィシャル・リリースが渇望されてきた映画「レット・イット・ビー」に関してはこれにて一件落着... となるかと言えばそうはならないのが辛いところ。何度も見返すうちにいくつか気になる点が出てきたのだ。まず、観始めて数分と経たないうちに “あれ? 何じゃいこれは???” と思わされたのが、音声の不自然な差し替えである。モノラル音声をステレオにするとか、そういう些細なレベルなら別に気にならないのだが、ポールが弾く物悲しいピアノに続いてジョンが豪快に “Don't let me down~♪” とシャウトするはずのところで、ジョンの歌い方から荒々しさがキレイさっぱりと消えており、私は “えっ、何これ?” とさっきまでの高揚感が一気に萎んでしまったし、続く「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」でも、オリジナルではカン!カン!と響いていたマル・エヴァンスが叩くハンマーの金属音がほとんど目立たないレベルまで抑えられており、めっちゃ違和感を感じてしまった。
 違和感を覚えたのは映像編集も同様で、例えばエンディングでジョンの “オーディションにパスするといいんだけど” 発言の後、メンバーが楽器を置いたところで画面が止まり、エンド・クレジットが入ると共に「ゲット・バック」のリプリーズが流れてきて大団円となるはずが、画面が止まった所でスパッと終了していきなりメニュー画面に戻ってしまうのがめっちゃ興ざめ。これでは尻切れトンボ感がハンパないではないか! 特に私はあの「ゲット・バック」リプリーズの脱力感(笑)を味わってこそのエンディングだと思っているので、この終わり方は全く納得がいかないのだが、ひょっとするとエンディング画面にネズミ―関連の表示が出るとかで慌てて映像をちょん切ったのかも...
 又、トゥイッケナム・スタジオからサヴィル・ロウのアップル・スタジオに切り替わるシーン、そしてスタジオから屋上へと切り替わるシーンでゆっくりと幕を引くように暗転するはずなのがいきなり画面が替わってしまうのも何だかなぁ... という感じ。「ハリウッド・ボウル・ライヴ」ニュー・リマスター盤のオフィシャル発売の時にも感じたことだが、画質や音質を向上させるのは大いに結構なのだけれど、オリジナル作品に手を加えて作り変えたものをオフィシャル・リリースするということは裏を返せばオリジナルの存在を永久に葬ってしまうことをも意味するわけで、旧来のファンとしては一抹の寂しさを覚えてしまうのだ。
 それと、余計なお世話というか、蛇足感がハンパないのが日本語字幕だ。商品説明に“要望の多かった日本語字幕にも対応。関東と関西の2種類より選択可能。” とあったので嫌な予感はしていたのだが、蓋を開けてみると悪いことにその予感が的中。関西ヴァージョンの字幕では例えばポールとジョージの口論の場面で “ワイがなんぞ言うとジブンいつもイラつくやないか” ってポールが自分のことを “ワイ” と呼んでて雰囲気ぶち壊しだし、他の関西弁も “ジョージがただ今感電しましてん” とか “何ともおまへんで”(←吉本新喜劇かよ!)みたいに不自然極まりない使い方が多くて(←ちょうど我々関西人がふざけて使う怪しい標準語みたいな感じ...)呆れてしまった。こんなアホバカ字幕を “要望” するファンが “多かった” とでもいうのだろうか? まぁ字幕選択を関東にしておけばすむことだが、ファンの一人としては “ビートルズで遊ぶな!” と言いたい。
 ということで、まぁ今挙げたようにいくつかの欠点はあるにせよ、HDクオリティの超絶美麗映像であの「レット・イット・ビー」が楽しめるという厳然たる事実の前にはそういった些細な不満はすべて戯言として雲散霧消すること間違いなしの家宝級ブートレッグだ。

【70's ヘレン・メリル】「Helen Sings, Teddy Swings」「John Lewis / Helen Merrill」

2024-07-21 | Jazz Vocal

①「Helen Sings, Teddy Swings」
 私はジャズの全ての楽器の中ではブラッシュが一番好きだ。軽快にリズムを刻むあの “ザッ ザッ♪” という音を聴くだけでもう大喜びなのだが、そんな“ブラッシュ・バカ” の私が狂喜乱舞した1枚がこの「Helen Sings, Teddy Swings」だ。
 このレコードがリリースされた1970年というのはちょうどジャズの “暗黒時代” で、ヴォーカルのバッキング演奏もモードをこじらせたような奇天烈なものがあったりキモいエレピが入っていたりで要注意なのだが、ヘレンと共演しているテディ・ウィルソンはそういったアホバカ・ジャズとは激しく一線を画す王道ジャズの人だし、ビリー・ホリデイに因んだ選曲も私好みだったので迷わず購入。オリジナルは1970年にビクターから出た日本盤(SMJX-10111)で、巷に出回っている黄色ジャケのUS盤は1976年に Catalyst Records から出たリイシュー盤だ。
 このアルバムは誰が何と言おうとA面1曲目に収録されたA①「Summertime」が最大の聴きものだろう。そもそも「Summertime」という曲はオペラ「ポーギ―とベス」で使われた原曲がスロー・テンポなせいもあってか重苦しいヴァージョンが多くて個人的には辟易しており、軽やかにスイングするチェット・ベイカーのパリ録音ヴァージョンやクリス・コナーのダブル・エクスポージャー・ヴァージョンが私的ベストなのだが、テディ―・ウィルソンがバックを務めたこのA①もそれらと甲乙付け難いスインギーな歌と演奏だ。
 ここで鈍重な原曲を豪快にスイングさせている最大の要因は強烈なリズムで演奏をグイグイ引っ張っていく猪俣猛のブラッシュ・ワークだろう。とにかくこのブラッシュ、まるでタップダンスでも踊っているかのような感覚で気持ち良さそうにリズムを刻んでおり、ピアノはおろかヴォーカルよりも目立っているのだから笑ってしまう。私はこの演奏を聴いてすぐにバド・パウエルの「懐かしのストックホルム」を思い出したのだが、メロディーを奏でるような感覚で溌剌とリズムを刻んでいたカンザス・フィールズの爆裂ブラッシュ・ワーク(←あれをOKテイクにしたプロデューサーのエリントンの慧眼はさすがの一言!)を彷彿とさせる猪俣猛のプレイが圧巻だ。
 フロントのヴォーカルとバックのリズム・セクションのバランスが見事なのがB③「Pennies From Heaven」だ。軽快なリズムに乗って気持ち良さそうにスイングするヘレン姐さんが圧倒的に素晴らしい。特に姐さんがフェイクを織り交ぜながら絶妙な軽さで歌う “Be sure that your umbrella is upside down... ♪" のラインが好きだ。
 このレコードに関して残念なのは猪俣猛が参加しているのは全10曲中A①A⑤B③の3曲のみで、残りの7曲はレニー・マクブラウンが凡庸なドラムを叩いているせいか、スイング感がイマイチ。全曲猪俣猛が叩いていたら大傑作になっていたかもしれない。
hellen merrill teddy wilson summertime 1970


②「John Lewis / Helen Merrill」
 1977年に日本のトリオ・レコードからリリースされたこのアルバムはジョン・ルイスとの双頭アルバムという体裁を取っているが、アルバム全体を貫くトーンは紛れもなくジョン・ルイスのもので、ドラムがコニー・ケイだったり、選曲がMJQのレパートリーとダブることもあって、ヘレン・メリルがミルト抜きのMJQに客演しているかのような錯覚すら覚えてしまう。ただ、全9曲中でリズム・セクション入りの曲は3曲のみで残りの6曲はヴォーカルとピアノのデュオなのが実に残念。ロックであれジャズであれ、私は思わず身体が揺れるようなリズムが何よりも好きな人間なので、辛気臭いデュオは体質的に合わない。ということでこのアルバムを聴く時はいつもベースとドラムスの入った曲だけをつまみ聴きしている。
 まずはA①「ジャンゴ」だが、歌詞は無くてヘレン姐さんは全編ヴォーカリーズで押し通しており、ジョン・ルイスがヘレン・メリルのスキャットを一つの楽器と見なして「ジャンゴ」という曲に落とし込んでいってるように聞こえる。私はてっきり「ジャンゴ」のヴォーカル・ヴァージョンが聴けるものと思って興味津々だったので初めて聴いた時は少し肩透かしを食ったような気分だったが、二度三度と聴くうちにこの曲が持つ哀愁をMJQとは一味違う形で見事に表現したジョン・ルイスの凄さがわかってきた。リチャード・デイヴィスの轟音ベースもめっちゃ気持ち良い。
 A④「クローズ・ユア・アイズ」はMJQっぽい雰囲気が濃厚に立ちこめるトラックで、ミルトのヴァイブの代わりと言っては何だがヒューバート・ロウズのフルートが実に良い味を出している。「ジャンゴ」もそうだが、ジョン・ルイスのピアノはこういうマイナー調のメロディアスな曲とは抜群の相性を誇っており、醸し出す哀愁がハンパないキラー・チューンになっている。
John Lewis & Helen Merrill - Django

【60's ヘレン・メリル】「The Artistry Of Helen Merrill」「Bossa Nova In Tokyo」

2024-07-14 | Jazz Vocal

①The Artistry Of Helen Merrill
 この「ジ・アーティストリィ・オブ・ヘレン・メリル」はエマーシー/マーキュリー・レーベルを離れたヘレン姐さんが1965年に Mainstream Records というマイナー・レーベルからリリースしたレコードで、世界各国の民謡やポピュラー・ソングを歌ったいわゆる “企画アルバム” である。
 チャーリー・バードのバッキングの妙を楽しめるボサ・ノヴァの名曲A①「クワイエット・ナイツ」やアニマルズの名演で知られるA④「朝日のあたる家」、翌年リリースする「シングス・フォーク」でも再演するほどのお気に入り曲B③「五つ木の子守歌」や普通のジャズ・シンガーなら取り上げそうにないポピュラー・ソングB④「禁じられた遊び」など、実にヴァラエティーに富んだ選曲に驚かされるが、幅広いジャンルの曲を自分の色に染め上げて聴かせてしまうヘレン姐さんの面目躍如といえる内容だ。
 そんな中でも私の一番のお気に入りはA②「ケアレス・ラヴ」。これは元々アメリカ南部の民謡からW.C.ハンディがアダプトしたブルース曲だったものだが、このトラックではキーター・ベッツのウォーキング・ベースをバックに見事な歌声を聴かせるヘレン姐さんが実にカッコ良いのだ。
彼女は日本ではほとんどの場合 “ジャズ・シンガー” にカテゴライズされているのに対し、海外ではシナトラのようにジャズもポピュラーも歌える “キャバレー・シンガー” という捉え方をされることが多いのだが、このアルバムを聴けばそれも大いに納得させられる... まさにそんな1枚なのだ。
Careless Love


②Bossa Nova In Tokyo
 ヘレン・メリルは1966年から1972年まで日本に住んでいたほどの親日家で、「ヘレン・メリル・イン・トウキョウ」(1963)を皮切りに「ヘレン・メリル・シングス・フォーク」(1966)、「オータム・ラヴ」(1967)など、キングやビクターといった日本の会社からレコードをリリースしていたが、そんな “日本制作盤” の中で私が断トツに好きなのが「ボサ・ノヴァ・イン・トーキョー」(1967)だ。
 このレコードで彼女はA①「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」、A②「イパネマの娘」、A③「いそしぎ」、A⑤「黒いオルフェ」、B②「ハウ・インセンシティヴ」、A⑩「おいしい水」といったボサ・ノヴァの定番曲を中心に、A⑥「夢は夜ひらく」(園まり)やB⑥「信じていたい」(西田佐知子)といった当時の歌謡曲、そして何とビートルズのB⑪「イエスタデイ」までもボッサ化しているのだ。
 で、その「イエスタデイ」だが、これが結構エエ感じ。ビートルズをカヴァーする場合、オリジナル・ヴァージョンが素晴らしすぎるが故にアレンジをしっかり工夫しないと悲惨な結果に終わってしまうことが多いが、メリル姐さんの「イエスタデイ」はボッサのリズムで換骨奪胎してあるだけあって一味違う「イエスタデイ」に仕上がっている。エンディングの “mmmm... yesterday♪” は前年の武道館公演を思い起こさせる。
 ボッサ・スタンダード曲はどれも素晴らしい出来だが、敢えて1曲選ぶとすれば「黒いオルフェ」だ。物憂げなヘレンのヴォーカルを際立たせる渡辺貞夫クインテットの哀愁舞い散る歌伴に涙ちょちょぎれる。ガチのボサ・ノヴァ・マニアの人達から見たらこのアルバムなんか雰囲気だけボサ・ノヴァを真似た “邪道” と言われるかもしれないが、ボサ・ノヴァ門外漢の私にとってはこれくらいがちょうど良いのだ。
イエスタデイ

黒いオルフェ

【50's ヘレン・メリル】「The Nearness Of You」「Parole E Misica」

2024-07-07 | Jazz Vocal

 ヘレン・メリルというとデビュー作の “「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」だけ聴いてればそれで十分” という声をこれまで何度も聞いたことがあるが、それって “イーグルスは「ホテル・カリフォルニア」だけ、フリートウッド・マックは「噂」だけ聴いてればいい” と言っているようなものだろう。しかしイーグルスに「テイク・イット・イージー」や「ザ・ロング・ラン」が、マックに「ファンタスティック・マック」や「タンゴ・イン・ザ・ナイト」があるように、ヘレン・メリルにだって「ウィズ・クリフォード・ブラウン」以外にも素晴らしいレコードがたくさんあるのだ。ということで当ブログではヘレン・メリルの “隠れ名盤” を年代別に特集してみたいと思う。まずは1950年代から...

①「The Nearness Of You」
 ヘレン・メリルは全盛期といわれる1950年代にはエマーシー・レーベルに5枚のアルバムを残しているが、クリフォード・ブラウンと共演したデビュー・アルバムに次いで私が好きなのが5作目にあたるこの「The Nearness Of You」だ。そもそも彼女のヴォーカルはねっとりとベタつくところがあるので、ウィズ・ストリングスやスロー・バラッドはあまり好きではない。“ニューヨークのため息” と言われる彼女のハスキーなヴォーカルが引き立つのはバックの演奏が軽快にスイングする楽曲で、このアルバムにはそんなスインギーなナンバーが何曲も入っており、聴いてて実に心地良いのだ。「Bye Bye Blackbird」や「I Remember You」「All Of You」といった有名スタンダード曲から「Dearly Beloved」「This Time The Dream's On Me」といった知る人ぞ知る佳曲に至るまで、ミディアム・テンポで軽快にスイングするメリル姐さんが最高だ。ジャジーなアレンジが光る「Softly As In A Morning Sunrise」も素晴らしい。
 このレコードはB面に収録されたニューヨーク・セッションにピアノのビル・エヴァンスが参加していることも大きな魅力で、一聴してすぐに彼とわかるユニークなフレージングに耳が吸い付くし、他にも絶妙な歌伴を聴かせるフルートのボビー・ジャスパーやギターのバリー・ガルブレイスを見事に活かしたジョージ・ラッセルのアレンジも素晴らしい。尚、裏ジャケにはドラマーが Jo Jones と書かれているが、特徴的なリム・ショットやブラッシュ・ワークなど、どこをどう聴いてもこれは Philly Joe Jones の間違いだろう。まぁフィリー・ジョーも一応 ”ジョー・ジョーンズ” なので勘違いしたのかもしれないが、そもそも音楽性が全然違うやん...
 尚、このレコードは1958年にリリースされてすぐに EmArcyレーベルが倒産したために 1stプレスの“ビッグ・ドラマー・レーベル” は非常に稀少で、今ではキレイな盤は何万円もするようだ。私は25年くらい前に難波のビッグ・ピンクで7,200円で購入したのだが、そのえげつない値上がりようにビックリさせられた。
Softly, as in a Morning Sunrise (Remastered 2016)


②「Parole E Misica」
 ヘレン・メリルは1959 年に渡欧してイタリアに居を構え、1962年までそこに滞在していたのだが、この「Parole E Misica」というアルバムはその滞在中1960年の10月から11月にかけてローマでRCAに吹き込んだもので(RCA Italiana LPM-10105)、日本では「ローマのナイトクラブで」というタイトルで知られている。
 このレコードは変わった作りになっていて、各曲が始まる前にイタリア語に訳されたその曲の歌詞が朗読されるのだが(←何でもイタリアにそういう趣向のTV番組があるらしい...)、イタリア語なんて当然何を言っているのかサッパリわからないし、朗読の仕方も聞いててこそばいというか、ムズムズするというか、何だかこっ恥ずかしい気持ちになってしまうので、私はちょっと苦手。日常的にはmp3DeirectCutというソフトを使ってCDの朗読パートをカットしてCD-Rに焼いたものを聴いているし(←朗読 “無し” と “有り” で雰囲気が全然違います!)、レコードで聴く時は少々面倒臭いが1曲ごとに朗読を飛ばすようにしている。
 このように私には不要な朗読パートが入っているというデメリットはあるものの、それを補って余りあるのが彼女の歌とバックの演奏の素晴らしさだ。彼女はこのレコードでピエロ・ウミリアーニと共演しており、ウミリアーニの編曲とピアノ、ニニ・ロッソのトランペット、ジノ・マリナッチのフルートなど、名うての名手たちの演奏に乗って軽快にスイングするメリル姐さんの浮遊感のある歌声で実に粋なジャズ・ヴォーカル・アルバムに仕上がっている。
 選曲も私の大好きなスタンダード・ナンバーばかり取り上げられており、それも私がこのアルバムを溺愛している要因の一つになっている。全曲気に入っているが、一番のお気に入りは軽快にスイングするB③「I've Got You Under My Skin」で、私にはジュリー・ロンドンと並ぶフェイヴァリット・ヴァージョンだ。 “軽快にスイング” という点ではB⑥「When Your Lover Has Gone」もB③に引けを取らない名演で、ヘレン姐さんのハスキーな声質と相俟って、どちらも“クールに、軽やかに、粋にスイング” というジャズ・ヴォーカルの真にあらまほしき姿を堪能できるトラックになっている。軽快なギターとフィンガー・スナップで始まる出だしからヘレン姐さんのヴォーカルがスルスルと滑り出すA①「Night And Day」もたまらんたまらん... (≧▽≦)
 このレコードのイタリアRCAオリジナル盤は昔から超入手困難盤として知られており、ごくたまに市場に出てきても5~8万円くらいで取り引きされている。私も当初はオリジナル盤なんて絶対に無理... と諦めていたのだが、ビートルズのイタリア盤をeBay Italiaで漁っていた時にたまたまこのレコードのオリジナル盤を€120で見つけて狂喜乱舞ヽ(^o^)丿 この機会を逃したら二度とチャンスは無いと思い、Strong VG という言葉を信じて即決。届いた盤は見た目は確かにVGだったが実際に聴いてみると VGどころかExレベルの盤質で大喜びしたのを今でもよく覚えている。初めてその存在を知ってから16年経ってようやくオリジナル盤を手に入れることができた掛け替えのない1枚だ。
Helen Merrill - I've Got You Under My Skin (1961)

Helen Merrill - Night and Day (1961)