shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

風が落した涙 / 小川ローザ

2011-09-27 | 昭和歌謡・シングル盤
 ここ数年、猟盤ツアーに出かけてもほとんど空振りばかりだったが、今回のシングル盤ハンティングは久々に順調な滑り出しである。ミントで笠置シヅ子、大十で黛ジュンをゲットし、ルンルン気分で更に南へ行くと Disc JJ がある。ここのシングル盤コーナーは2階にあってめっちゃ広い上に客がいなくて閑散としているのでゆったり探せるのが嬉しい。在庫の多くは70年代半ば以降の数百円の盤がほとんどだが、油断していると森山加代子の「五ひきの仔ブタとチャールストン」なんていう激レア盤にウン千円の値段が付いていてビックリさせられる。
 私のメイン・ターゲットはナ行~ハ行~マ行なので後ろの方から順に漁っていくが、目ぼしい盤には中々出会えない。こんなに一杯あるのにここは収穫ゼロか...と半ば諦めかけていたところ、最後のア行をほぼ見終えたあたりで手にした1枚のレコードに私の眼は釘付けになった。白いヘルメットに白いミニスカ姿でこちらを見てニッコリ微笑んでいるのはパンチラCMで一世を風靡した小川ローザではないか!
 小川ローザといえば、何はさておき “Oh! モーレツ” である。ツバメ・マークが懐かしい丸善石油提供のこの衝撃的なジャケット写真を知らない昭和歌謡ファンはおそらくいないだろう。以前ヤフオクで2,000円かそこらで落札されているのを見たことがあるが、そんな貴重盤が満身創痍の VG コンディションとはいえ、300円という “持ってけドロボー” 価格(゜o゜)  このレコードは盤そのものよりもジャケットの方が大事なので、VG で安く買えるなら御の字である。これまでジャケットに魅かれて買った LP は数え切れないが、シングル盤のジャケ買いは初めてだ。
 それにしてもこの「風が落した涙」(←送り仮名が変???)という曲、インパクト抜群のジャケットに期待して聴くと思いっ切り肩すかしを食らう。曲調はしっとり系のバラッドなのだが、とにかく地味というかメロディーの起伏に乏しいというか、正直言ってほとんど印象に残らない。しかも彼女の歌い方が平板で単調なので、重くて暗~い感じに拍車をかけてしまっている。
 “思い出は帰らない 夢のようなふたりの思い出は帰らない 涙と一緒に消えたから” という歌詞もその後の彼女の人生を暗示するような暗~い内容で(レースクイーンだった彼女はレーサーと結婚したが、半年後にダンナが事故死してしまう...)、曲が進むにつれ段々とテンションが下がってしまうのだ。私的にはB面に入っているソフトロック調の「雨あがりの虹」の方がまだ馴染みやすいのだが、せっかくジャケットで純白のパンツまで見せているのだから、ここはやっぱり山本リンダみたいなダンサブル路線のイケイケ・ラテン歌謡で一発ド派手にブチかましてほしかったというのが正直なところ。
 そこで登場するのが昭和歌謡にも造詣が深い我らが桑田佳祐師匠である。2000年の夏にリリースされたサザン屈指の名曲「Hotel Pacific」で小川ローザ風の “モーレツ・ダンサーズ” をフィーチャーして大ヒット(^o^)丿 まるで “小川ローザはコレしかないやろ!” と言わんばかりにコモエスタなノリで我々ファンを楽しませてくれたのが忘れられない。YouTube にもこのモーレツ・ダンサーズの振り付けで踊る動画が一杯投稿されているが、やっぱりローザのパンチラにはラテン歌謡がよく似合う。たとえ時代が昭和から平成へと移り変わっても、小川ローザの “Oh! モーレツ” は永遠に不滅なんである。

猛烈ダッシュ


小川 ローザ  1969  風が落とした涙  CD.HD480


サザンオールスターズ - HOTEL PACIFIC | Southern All Stars


【踊ってみた】HOTEL PACIFIC@茅ヶ崎サザンビーチ Ver.β

天使の誘惑 / 黛ジュン

2011-09-23 | 昭和歌謡・シングル盤
 今日も前回に引き続きマジカル日本橋猟盤ツアー報告第2弾である。新装開店した MINT Record で笠置シヅ子のレア盤シングルを300円でゲットした私は意気揚々と店を出て南へ向かった。何軒廻っても収穫ゼロの時は足取りも重くなるが、最初の2~3軒でオイシイ思いをするとレコード・ハンターとしてのスイッチが入り、徹底的に漁ってやるぞ!という気になる。自分で言うのもなんだが、非常に単純な性格だ。
 次に行ったサウンドパック本店ではあいにく収穫ゼロだったが、気にせず更に南下して左折すると大十がある。1階は狭いCD店だが奥を2階に上がると広い店内に所狭しとCDやLPが並んでいる。このお店は商品の回転はあまり良くなさそうなのだが、貴重な盤が人目に触れずにひっそりと眠っていそうな雰囲気があるので楽しみだ。シングル盤コーナーは奥の隅の方にあり、細長い段ボール箱に入れられて棚に押し込められているので、一つ一つ箱を引き出して地べたにしゃがんで漁らなくてはいけない。
 エサ箱を猛スピードでチェックしながら “何となく演歌系が多いなぁ...” とテンションが下がりかけてきた時、私の手がピタリと止まった。私が引き抜いたのは赤いトロピカル系キャミソール(っていうのかな...ファッション用語は苦手です)からのぞくむっちり太ももが眩しい黛ジュンの「天使の誘惑」である。
 彼女のシングル盤のほとんどはヤフオクで簡単に手に入れることが出来るのだが、なぜかこの「天使の誘惑」だけは中々出てこないし、たとえ出たとしても “赤盤2,500円” とか、人をナメたようなボッタクリ価格なんである。レコード大賞まで取った大ヒット曲なんやから世間に出回ってるブツの数は多いはずやのに、何でこの盤だけ市場に出にくいんやろ??? とにかくそんな入手困難盤が、ジャケ左下がちょっと破れているとはいえ盤質良好で450円なのだ。コレを逃す手はない。
 黛ジュンは1967年に出した「恋のハレルヤ」で太平の眠りをむさぼっていた歌謡界にロック・ビートを導入して衝撃を与え、あの美空ひばりでさえ一目置いた歌唱力を武器に “一人GS” の先駆者として67年を席巻したが、年が明けた68年5月にリリースしたこの第4弾シングル「天使の誘惑」はそれまでのGS路線から一転してスティール・ギターをフィーチャーした “ハワイアン・ロック” になっており、ジュンお得意の小唄的な節回しを極力抑えながら、鼻歌感覚の親しみやすいメロディーをアップテンポで明るく歌うことによって万人受けしそうな非の打ち所のない歌謡ポップスに仕上げている。
 心がウキウキするような軽快なイントロに続いて “すっきぃなのぉにぃ あのひとぉは いなぁい~♪” と艶々したジュンのヴォーカルがスルスルと滑り込んでくるところなんかもう最高だし、バックのドラムスのビートの刻み方も絶妙だ。曲の雰囲気としてはハワイアンの「月の夜は」に似ているように思えるが、楽曲としての完成度は遥かにこちらの方が高いだろう。この曲を作った鈴木邦彦はジュンの一連のヒット曲を始め、ゴールデンカップスの「長い髪の少女」や奥村チヨの「恋の奴隷」など、私の嗜好のスイートスポットを直撃するような名曲を数多く生み出した名作曲家なのだが、この曲はそんな彼の作品中でも最高傑作と言っていいと思う。
 そういえば今月の音聴き会G3で私は森山加代子と黛ジュンのシングル盤を数枚ずつかけたのだが、バリバリのハードバップ・ジャズ・マニアである plinco さんとハイセンスなボサノヴァ・マニアである 901 さんが異口同音に “エエなぁ!!!” と仰ったのが他でもないこの曲だった。plincoさん曰く“パチンコ屋でよぉかかってたわ” とのことで、当時6歳だった私にはリアルタイムでの記憶は全く無いが、日本中でこの曲が流れ、口ずさまれていたであろうことは容易に想像できる。何度聴いても飽きないどころか、聴けば聴くほどハッピーな気分になれる曲なんてそうそうあるものではない。英語に stand the test of time (時の試練に耐える)という表現があるが、この曲なんかまさにその典型で、今の耳で聴いても実に新鮮に響く大傑作ナンバーである。
 それと、B面に入っている「ブラック・ルーム」がこれまたカッコイイ曲で、R&B歌謡とでも言えばいいのか、シャウトを織り交ぜながら水を得た魚のようにノリノリのヴォーカルを聴かせるジュンといい、そんなジュンをガレージっぽいノリでガンガンプッシュしまくるドラムスといい、コモエスタなイケイケ・サウンドを見事に演出するブラス・セクションといい、とにかくめちゃくちゃソウルフルでグルーヴィー。後半部のコール&レスポンスも最高だ。歌謡曲の範疇を軽く超越したこの曲、私の中ではミコたんの「風とオトコのコ」、カヨちゃんの「火遊びのサンバ」と並ぶ昭和歌謡史上最強のB面ソングなのだ。

Mayuzumi Jun - tenshi no yuwaku


ブラック・ルーム
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買物ブギー / 笠置シヅ子

2011-09-19 | 昭和歌謡・シングル盤
 昭和歌謡のシングル盤を集め始めて2ヶ月が経った。最初はヤフオクでコツコツと100円~300円盤を買ってコスパ抜群の音楽生活を楽しんでいたのだが、その一方でオークションに中々出てこない盤や、出品されても法外なプレミアが付いて買えないような盤も存在する。他の事ならともかく、こと音楽に関する限り私はそれで手をこまねいているような性格ではない。
 そこで思いついたのが猟盤ツアーの再開である。レコード探しはネット・オークションで検索・落札する方が圧倒的にラクチンだし、“足を棒にして歩き回って収穫ゼロ” が何回か続いたこともあって、最近はすっかり足が遠のいていたのだが、先月の後半あたりから猟盤に行く機会を虎視眈々と狙っていた。今のご時世、ジャズやロックのオリジナルLPで掘り出し物が見つかる可能性はほとんどゼロに等しいが、比較的ライバルの少ない昭和歌謡のシングル盤なら床に直置きの段ボール箱の中で有象無象盤に紛れて放置されていたりして、ヤフオクでは高値が付いてるブツでも案外安く手に入れられるかもしれないと考えたからだ。
 しかし私は人一倍暑さに弱い。連日35度近い猛暑が続く中を歩き回るなど論外だ。“しゃあない、10月まで待つか...” と諦めかけていた矢先、例の大型台風が奈良を襲った。県の南部は大雨でエライことになっていたが(←次の日にテレビで茶色い津波みたいな土石流の映像を見て愕然としてしまいました...)私の住んでいる北西部はほとんど雨も降らず気温も30度を下回って涼しかったこともあって、ネットで雨雲の状況を分析して大丈夫と判断した私は歌謡曲のシングル盤を置いてそうな店が集まっている日本橋周辺のレコ屋を廻ることにした。
 近鉄難波駅から南下して最初のターゲットであるナカ難波店へ。ビッグピンクの入っていたビルの斜め向かいにある細長い通路みたいなお店である。しかし日曜だというのにシャッターが閉まっている。確かココは年中無休のはず...(>_<) 後で知ったのだが8月いっぱいで閉店したとのことで、良心的な値付けで掘り出し物も多かったので非常に残念だが、いきなり出鼻を挫かれた格好だ。
 気を取り直してその2筋南にあるナカ2号店へと向かう。ここの歌謡曲関係の品揃えはかなり充実しているのだが、結構なプレミアが付いているケースも多く、以前も平山三紀のデビュー・アルバムが4,800円とか奥村チヨの「チヨとあなたの夜」が6,800円とか愕然とさせられたものだが(←どちらもヤフオクで1,000円台で買えました...)、今回の狙いはシングル盤。果たしてどんな盤に出会えるのやらと期待しながら歌謡曲シングル・コーナーに行くと、いきなり壁面に「買物ブギ」と「東京ブギウギ」という服部良一先生の2大クラシックスをカップリングした笠置シヅ子の超強力シングル盤が掛かっているのを発見!
 今現在CDで流通している「買物ブギー」は実は不完全なヴァージョンで、最後のオチの “わしゃつんぼで聞こえまへん♪” の部分が問題だとして言葉狩りにあい、レコード会社の自主規制とやらでその部分だけを不自然にカットして無理やり繋ぎ合わせたイビツなものなのだ。私は YouTube からダウンロードした完璧版(←こんな時代に既にプロモ・ビデオを作ってたとは...)を 320Kbps に変換して聴いているのだが、やはりこの曲はオリジナル・ヴァージョンで所有したい。このレコードは何故かヤフオクでも滅多に出てこない貴重盤なのでコレはラッキーやわと値段を見ると何と2,000円。う~ん、喉から手が出るほど欲しいけど、シングル盤1枚に2,000円というのは自分的にはあり得ない。後ろ髪をひかれる思いで壁に戻して更にエサ箱を物色するが、他にコレと言った収穫も無くテンション下がりまくりで店を出る。
 ナカ2連発が不発に終わったので今度はサウンドパックをハシゴしようと再び北上して道路沿いの通りへと戻る。長いことご無沙汰しているサウンドパックなんさん店だ。しかし行ってみると看板が MINT Record へと変わっている。お店の中は全然変わってないのでのれん分けでもしたのだろうか? ここのシングル盤の在庫もハンパなしに凄いが、商品の値付けが非常に良心的というか、あまりよく分かってないというか、とにかく何でもかんでも300円ベースというのが嬉しい。基本的に金さえ出せばどんな盤でも買えるこのご時世だが、私は安く買ってこそのシングル盤と思っているのでこういうお店の存在はホンマにありがたい。これからも贔屓にさしてもらいますわ(^o^)丿
 入口を入って左奥のシングル盤コーナーで身体をエビのように折り曲げて棚下に置かれた段ボールを漁っていると、何と先ほど2,000円で誇らしげに壁面を飾っていた笠置シヅ子盤を300円で発見! 出来すぎに聞こえるかもしれないが、ウソのようなホントの話なんである。あちらは72年の写真ジャケ、こちらは77年のイラストジャケという違いはあれど、どちらも同じSP原盤を音源とするコロムビア・ミリオン・カップル・シリーズで中身は同じと言って良い。念のためレジで歌詞カードを確認させてもらったところ、やはりカットされる前のオリジナル・ヴァージョンだ。因みに YouTube の映像にある “めくらのおばあさん” のラインがないのだが、この部分は元々音盤化されてなかったのかな?
 それにしてもこの曲は何度聴いても面白い。「おっさん、おっさん、これなんぼ?」「アホかいな!」とコテコテの大阪弁が炸裂、「たいに ひらめに かつおに まぐろに ぶりにさば」「とり貝 赤貝 たこにいか えびに あなごに きすにしゃこ」とまるでラップのような言葉の速射砲でリズミカルに歌いこなすところなんかめちゃくちゃファンキーやし、そんなイケイケ・グルーヴに拍車をかけるようなハンドクラッピングも実に効果的に使われており、コレがホンマに1950年の録音かと唸ってしまう。まさに日本で最初の“和製ラッパー” 笠置シヅ子姐さんの面目躍如たる大傑作ジャイヴ・ナンバーである。
 カップリングされた「東京ブギウギ」は今や押しも押されもせぬ昭和歌謡の大スタンダード・ナンバーで様々な歌手によってカヴァーされており、最近ではビールのCMソングなんかにも使われていたが、やはり本家本元の笠置シヅ子ヴァージョンが圧倒的に素晴らしい。服部先生が仕掛けた躍動感溢れるブギーのリズム(←ジーン・クルーパ楽団の影響を感じます)とシヅ子姐さんの自由奔放な歌いっぷりが見事に融合して誰にも真似の出来ないスインギーな歌世界を構築している。こんな名曲名唱をただ古い録音だからという理由だけで(1947年!) “懐メロ歌謡” の一言で片付けてしまうのはもったいないと思いませんか?

笠置シヅ子 買物ブギ Shizuko KASAGI,1950 高画質


笠置シヅ子 東京ブギウギ
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可愛い花 / ザ・ピーナッツ

2011-09-14 | 昭和歌謡・シングル盤
 私はこれまでの音楽人生で何度か昭和歌謡のマイブームで盛り上がってきたが、それらはすべて “あゆ祭り” や “ちあきさんスペシャル” のように特定の歌手に絞ってCDを買って聴きまくるというやり方だった。つまりミクロ的な聴き方である。しかし今回は愛聴曲のアナログ・シングル盤をパラパラと買い、時系列に沿って整理しながら大きな流れの中でマクロ的に聴いているので、洋楽ロック/ポップスからの影響や当時の世相との関係、作詞・作曲家による特徴など、これまでは気付かなかったような新発見が一杯あってめっちゃ面白い。
 今回のターゲットは歌謡曲の胎動期と言える1960年前後から自分がリアルタイムで体験出来なかった1970年代の前半あたりまでの約15年間なのだが、実際のところ、私のスイートスポットをビンビン直撃する楽曲は、洋楽的な要素を含んだビート歌謡や筒美京平先生に代表される新感覚の歌謡ポップスであり、それらのほとんどが1967年~1972年あたりまでの約5年間に集中しているのだ。ちょうど80年代の洋楽シーンのように、次から次へと名曲が生み出される百花繚乱の時代である。
 一方、私にとっての60年代前半の邦楽シーンは一部の例外を除けば “歌謡曲” ではなく “カヴァー・ポップス” の時代であり、人形の家に棲む前のミコたんも白い蝶になる前のカヨちゃんも明るく楽しいポップスのカヴァー曲でブイブイいわしていた。当時の純粋な “歌謡曲” の主流を占めていたのはあくまでも青春歌謡や演歌という、私とは全く無縁の音楽だったのだが、そんな不毛の60年代前半において、宮川泰という天才コンポーザー兼アレンジャーを擁して独自の昭和歌謡路線を切り開いていった孤高の存在がザ・ピーナッツなのだ。
 今日取り上げるのは彼女らのデビュー曲「可愛い花」で、何と1959年のリリースだ。シングル盤のレーベル面のデザインもいかにも年代物といった風情がある。この曲はジャズ・ソプラノ・サックスの巨匠シドニー・ベシェが1952年に若い奥さんのために作った「小さな花(プティット・フルール)」がオリジナルで(←ザ・ピーナッツで出す時に邦題を “小さな” から “可愛い” へと改題したセンスはさすがやと思う...)、日本では同じピーナッツでもピーナッツ違いの(笑)ピーナッツ・ハッコーのクラリネットをフィーチャーしたボブ・クロスビー楽団によるカヴァー・ヴァージョンで有名だったらしい。
 それにしても何という名旋律だろう... 人生の晩年を迎えたシドニー・ベシェの、愛する若妻への想いがヒシヒシと伝わってくるメロディーだ。そんな名曲を素晴らしいハーモニーでまるで自分たちのオリジナル曲のように聴かせるザ・ピーナッツは本当に凄い。1959年といえば彼女らはまだ18歳、しかもこれがデビュー曲というのだから恐れ入る。この曲は1975年のサヨナラ公演のその日まで、彼女らの名刺代わりの1曲として何百回・何千回と歌われることになるのだが、このオリジナル録音では一言一言丁寧に歌い込んでいる感じの、実に初々しいハーモニーが楽しめる。尚、以前にも紹介したことがあるが、この曲は67年に斬新なボッサ・スウィング・アレンジで再録音されており、そちらも実に洗練されたカッコ良いヴァージョンに仕上がっている。まさに宮川先生会心の一発と言えるだろう。
 ザ・ピーナッツの曲はその歌声といい、アレンジといい、あまりにも完成度が高すぎるせいか他の歌手は中々手を出しにくいのだが、そんな中で絶品!と言えるのがキャンディーズによるカヴァーだ。彼女らはアルバム「キャンディー・レーベル」で「ふりむかないで」、「恋のバカンス」、「恋のフーガ」の3曲をカヴァーしているが、この「可愛い花」は公式にはレコード化されていない。唯一、レッツゴーヤング出演時にステージで歌った超貴重な映像が YouTube にアップされているが、未音盤化が悔やまれるような気品に溢れた格調高いヴァージョンになっており、いつもはギャーギャーうるさい親衛隊の連中ですら大人しく聴き入ってしまうぐらいの素晴らしいコーラス・ハーモニーが楽しめる。ザ・ピーナッツからキャンディーズまで... 昭和歌謡はこれだからやめられない(^o^)丿

☆59年のデビュー盤
ザ・ピーナッツ   可愛い花


☆宮川泰アレンジによるボッサ・スウィング・ヴァージョン’67
ザ・ピーナッツ可愛い花


☆この曲を一躍有名にしたボブ・クロスビー・ヴァージョン
BOB CROSBY--PETITE FLEUR.mpg


☆キャンディーズのポテンシャルの高さを再認識させられる絶品カヴァー
CANDIES 『 可愛い花 』
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じんじろげ / 森山加代子

2011-09-10 | 昭和歌謡・シングル盤
 あーしんどかった... 9月に入って仕事は急に忙しゅうなるわ、台風は来るわ、暑いんか涼しいんかよぉわからん気候やわで、めちゃくちゃハードデイズナイトな1週間だった。こんな時は頭を空っぽにして楽しめるようなお気楽ソングがいい。ということで今日は森山加代子でヒットしたナンセンス歌謡の大傑作「じんじろげ」にしよう。別に意識したワケではないが、「初めての街で」、「上を向いて歩こう」に続いてコレも中村八大作品だ。
 この曲を歌っているカヨちゃんはミコたんと共に60年代前半のカヴァー・ポップス全盛時代に活躍したアイドルで、「月影のナポリ」「メロンの気持ち」「月影のキューバ」といったヒットを連発してまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、彼女が他のカヴァー・ポップス・シンガー達と決定的に違っていたのは “コラソン デ メロン デ メロンメロンメロンメロンメロン~♪” のフレーズが妖しく脳内リフレインを起こす「メロンの気持ち」を始め、「パイのパイのパイ」や「ズビズビズー」といった “言葉遊び的な呪文系(?)コミカル歌謡のおねえさん” というもう一つの顔を持っていたこと。この言葉遊び路線の「メロンの気持ち」が大当たりしたこともあって、“オモロイのをもう一丁いったろか” とばかりに作られたのがこの「じんじろげ」(1961)である。
 この曲、いきなり出だしから “ちんちくりんのつんつるてん~♪” 、2番も “おっぺけぺぇのすってんてん~♪” という人を食ったようなフレーズで始まるし、サビになると全くの意味不明で怪しげなフレーズのアメアラレ攻撃なんである;
 ジンジロゲーヤ ジンジロゲ
 ドーレー ドンガラガッタ
 ホーレツラッパノ ツーレツ
 マージョリン マージンガラ チョイチョイ
 ヒッカリコマタキ ワーイワイ
 ヒラミヤ パミヤ チョイナダ ディーヤ
 ヒラミヤ パミヤ チョイナダ ディーヤ
 チョイナダ ディーヤ チョイナダ ディーヤ
 ヒッカリ コマタキ ワーイワイ
 ヒッカリ コマタキ ワーイワイ
一説によるとインドの雨乞いの歌らしいのだが、ホンマかいな??? 作詞は渡舟人(ワタリフナト?)という人で、上記の「パイのパイのパイ」も彼の作品なのだが、 “渡りに舟の人” というのも何だかペンネームっぽくて怪しい。一体何者やねん、と思って調べてみると、 “君は僕より年上と まわりの人は言うけれど~♪” のフレーズで有名な山下敬二郎の「ダイアナ」の訳詞をした人ではないか! 「じんじろげ」と「ダイアナ」って一見何の共通点もなさそうだが、歌詞が7・5調でシンプルにスッキリまとめてあるせいか、リズムへの乗りが抜群に良いのだ。他に私が知っている作品はないのだが、この人はどうも只者ではなさそうだ。
 この奇妙奇天烈な歌詞を渡されて(←この曲はどう考えても先に歌詞があったとしか思えない...)ウキウキするようなドドンパ・リズムに乗せてコモエスタなナンバーに仕上げた中村八大も凄いし、そんな一癖も二癖もある迷曲(?)をハリのある歌声で溌剌と歌いまくって素敵なポップスにしてしまうカヨちゃんもさすがだと思う。この曲が流行った1961年には他にも「スーダラ節」や「ドント節」、「九ちゃんのズンタタッタ」といったコミカルな歌がヒットしているのだが、今と違ってのどかで平和な時代だったのだろう。
 この後、カヴァー・ポップス時代の終焉と共にカヨちゃんもヒットが出なくなっていき、ほとんど “過去の人” になりかけていたところ、1970年に折からのガールズ歌謡ブームに乗って「白い蝶のサンバ」で華麗に復活することになるのだが、それはまた別の話...

じんじろげ 森山加代子


じんじろげ(森山加代子)1995
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上を向いて歩こう / 坂本九 (Pt. 2)

2011-09-04 | 昭和歌謡・シングル盤
 この曲を作った中村八大という人は本当に凄い作曲家で、シンプルなメロディー一発で聴き手の心をがっちりつかむ技は誰にも真似のできないもの。彼の作品にはみんなで楽しく口ずさめるような明るい歌が多く、音楽にとって最も大切な要素といえる “鼻歌感覚” に溢れた “大衆にアピールする流行歌” の第一人者といえるだろう。例えるなら、高度な音楽理論に裏打ちされた精巧かつ華麗なアレンジで曲を仕上げる宮川泰を “ソースの魔術師” 的なフレンチ・シェフとすれば、中村八大は素材本来の良さを活かしたシンプルな家庭料理で大向こうを唸らせる和の鉄人といったところか。何にせよ、彼は邦楽史上屈指の天才的メロディー・メイカーの一人と言っていいと思う。
 それと、この歌詞を書いた永六輔という人は私の中では長い間 “浅田飴のCMおじさん” のイメージしかなかったので、「上を向いて歩こう」の作詞がこの人だと知った時はビックリ(゜o゜)  後になって知ったことだが、ベンチャーズ歌謡の「二人の銀座」の作詞もこの人だし、昭和歌謡史において重要な作品を何曲か手掛けている偉大な作詞家なのだ。この曲も、 “上を向いて歩こう” 、つまり “悲しみを乗り越え、うつむかずに進み続けよう” という言葉が親しみやすい旋律と相まって聴く者の心と身体に優しく沁みわたる、実に素晴らしい歌詞だと思う。今回の3.11の大震災の後この曲が頻繁にテレビで流れていた(←あのウィー・アー・ザ・ワールドもどきの CM はクサすぎて正直あまり好きになれなかったが...)のも、きっとこの歌に被災した人々を元気づけるパワーがあるからだろう。
 そういえば、中村八大が亡くなった時の追悼番組で永六輔がこの曲の面白いエピソードを語っていて、坂本九の歌い方が “ウヘホムフイテ アハルコォウフォウフォウフォウ♪” に聞こえた永六輔が “ちゃんと綺麗な日本語で歌え!”と激怒したところ、先輩にあたる中村八大の “いいじゃないか、それでいこう” というツルの一声で “フォウフォウフォウ♪” のままでいくことになり、結果的にそれが当たって世界的に大ヒット。後に坂本九の実家に招待された永六輔は母親の話から “フォウフォウフォウ♪” が日本の伝統音楽の歌い方であり、そのエキゾチックな歌い方に世界中の人々がフッと耳を傾けた、ということに気が付き、又それと同時に、そのことを最初から見抜いていた八大さんの凄さを改めて痛感したという。当事者だからこそ語り得る名曲誕生秘話というか、実に興味深いお話なのだが、ラッキーなことに YouTube にアップされてたので宜しければご覧下さい。
 私はこれまで何百回とこの曲を聴いてきたが、一番印象に残っているのが1985年9月21日の「アメリカン・トップ40」で 、DJ のケイシー・ケイサムが同年8月12日にJALの墜落事故で亡くなった坂本九への追悼として「ロング・ディスタンス・デディケーション」のコーナーで日本人リスナーからのリクエストを取り上げた時のこと。 “So Casey, please play SUKIYAKI for my national hero, KYU SAKAMOTO... Okay, here's your long distance dedication.” というケイシーの言葉に続いてこの曲のイントロが流れてきた時、私は胸にグッと熱いモノがこみ上げ、思わず涙がこぼれてしまった。今にして思えば、ケイシーの名調子とこの曲の名旋律、そして偉大な歌手を失った悲しみが化学反応を起こして私の涙腺を刺激したのだと思う。私は今でもこの曲を聴くたびにあの時のケイシーの言葉がオーヴァーラップしてしんみりしてしまう。
 この曲は世界中の人々が知っている大スタンダード・ナンバーだけあってカヴァー・ヴァージョンも数多く存在するが、私が特に好きなのは、この曲が世界に知られるきっかけとなったケニー・ボールの哀愁舞い散るディキシーランド・ジャズ・ヴァージョン、3.11に起こった東日本大震災に心を痛めたクレモンティーヌがそのわずか1週間後にレコーディングして我々に届けてくれた心温まるフレンチ・ボッサ・ヴァージョン、そして以前このブログでも取り上げたRCサクセションの “日本の有名なロックンロール” ヴァージョンetc... スタイルは違えども、そのどれもがこの曲の哀愁を見事に引き出す素晴らしいカヴァーに仕上がっている。涙がこぼれないように、上を向いて聴いて下さい。

☆レコードとは違い “冬の日~♪” まである映画版レア・ヴァージョン↓
0001 映画 上を向いて歩こう 坂本九 吉永小百合 昭和37年


☆お洒落なフレンチ・ボッサの中に宿る哀愁が聴き所↓
Clementine - Sukiyaki in French (Ue wo muite arukou)


☆ワン、トゥー、さん、しっ!!!
RCサクセション 上を向いて歩こう


【おまけ】永六輔が語るこの曲のエピソードは5:25あたりから↓
上を向いて歩こう~中村八大 こころのうた~ 1/6

上を向いて歩こう / 坂本九 (Pt. 1)

2011-09-01 | 昭和歌謡・シングル盤
 私は70年代ブリティッシュ・ロックのオリジ盤蒐集が一段落した2・3か月ぐらい前から性懲りもなく今度は昭和歌謡のシングル盤を集め始めた。最初は大好きなガールズ歌謡を何枚か買うだけのつもりだったのだが、CDを遥かに凌駕する野太い音に感激し、こーなったらガールズに限定せずに好きな曲は全部いったれと方針転換(←またいつもの悪い癖が...)、ヤフオクで古いシングル盤を買い漁る日々が続いた。
 昔の歌謡曲のシングル盤というのは狙っている人があまりいないせいもあって、ほとんどの盤は100~200円という安いスタート価格のまま無競争で落札できるのだが、中にはとんでもない高値で取り引され、私のような貧乏人にはとても手が出ないような盤が何枚か存在する。坂本九の「上を向いて歩こう」のオリジナル 1st プレス・シングルもそんな入手困難盤の1枚で、最初ウォッチしていた盤なんか落札価格が5,100円まで吊り上り、私は呆気にとられて見ているしかなかった。次に目を付けたジャケ違いの、 “スキヤキ” ジャケと言われる 2nd プレス盤ですら2,000~3,000円もする。くどいようだがシングル盤1枚がこの値段なのだ。私はこの盤に関しては潔く諦めるしかないかなぁと思った。
 そんなある日のこと、史上最高値を更新した超円高のニュースを見た私の頭にふと閃いたのがネット海外オークションのイーベイである。“スキヤキ・ソング”として世界的に有名なこの曲のことだから、ひょっとするとイーベイなら安く手に入れられるかもしれないと思って早速検索すると、ラッキーなことにハワイのセラーから格安で出ているではないか!しかも1st, 2nd, 3rd プレスの3枚セットである。これなら赤盤と黒盤の音質比較も出来て面白そうだし、 “Ue O Muite Areuko(←アレウコって...笑)” という誤表記のおかげでライバルもそんなにこないだろう。コレは千載一遇のチャンスとばかりに強気で勝負して首尾よくゲット。お盆の真っ最中に早起きした甲斐があったというものだ。世界経済の事はよく分からないが、とにかく円高さまさまである(^o^)丿
 ブツはハワイから1週間で到着、海外から日本の古いシングル盤を買うというのも何だか妙な気分だ。写真左から 1st プレス(JP-5083 / マト番7S-276-3 / 赤盤)、2nd プレス(JP-5083 / マト番7S-275-2 / 黒盤)、3rd プレス(TR-1150 / マト番7S-275-3 / 黒盤)で、すべてモノラル盤。 2nd の“スキヤキ・ジャケ”盤は全米№1になったのを受けて1963年に追加プレスされた時のものらしく、 “Smash World Hit! Sukiyaki スキヤキ” という紙片が入っている。
 盤質は 3rd がFairで 1st と 2nd の2枚はVG++ ということだったが、オルトフォンのモノ針は少々のキズなど笑い飛ばしてしまうようで、3枚ともかなり良い音で鳴ってくれた。で、肝心の音の違いだが、1st, 2nd, 3rd のプレスやマト番による違い、そして赤盤と黒盤のビニール色の違いによる音の差は私には全く感じられなかった。
 この曲は前回取り上げた西田佐知子の「初めての街で」と同じく永六輔&中村八大、いわゆる “六・八コンビ” の作品で、1961年の10月にNHKの「夢であいましょう」というテレビ番組の「今月のうた」というコーナーで発表されて大反響を巻き起こし、その後数ヶ月にわたって国内チャートの首位を独走したという。
 翌62年、日本に出張で来ていた英Pye レコードの社長がこの曲を聴いて大いに気に入り、ジャズ・トランぺッターのケニー・ボール(62年3月に「モスコーの夜は更けて」で全米2位を記録)にインスト・カヴァーさせ、63年1月に全英10位まで上がるスマッシュ・ヒットになったのだが、「ウエヲ ムイテ アルコウ」では DJ たちが発音しにくいということで、たいていのイギリス人が知っている日本語の「スキヤキ」というタイトルでリリースされたのだという。ということは、「テンプラ」や「フジヤマ」、「ゲイシャ・ガール」になる可能性もあったんか...(>_<)
 ちょうどその同じ頃、アメリカの DJ が坂本九の日本語オリジナル盤を入手して自分の番組でかけたところ局に問い合わせが殺到し、キャピトル・レコードが販売権を獲得してシングル発売するとアッと言う間にチャートを駆け上り、63年の6月15日から3週連続で全米№1を記録した。全米チャートで1位を取った日本人は後にも先にも彼だけだし、この「スキヤキ」は全世界で1,300万枚以上を売り上げたというのだからコレはもう凄いとしか言いようがない。まさに “六・八・九トリオ” による快挙と言っていいだろう。 (つづく)

☆冒頭の“Sukiyaka---スキヤカ(?)” の文字が笑えます
Sukiyaki - Ue wo muite arukou - Kyu Sakamoto


☆明るぅて やがて哀しき ジャズ・ヴァージョン
SUKI YAKI by Kenny Ball and his Jazzmen


【おまけ】このCMは... 沁みる(≧▽≦)
BOSS#31『宇宙人ジョーンズ タクシー(とある老人) 60s』
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