shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

初めての街で / 西田佐知子

2011-08-28 | 昭和歌謡
 気が付いてみると今年の8月も残すところあと3日、昭和歌謡の嚆矢といえる「アカシアの雨がやむとき」に始まり、60年代邦楽の進化・成熟を絵に描いたような筒美京平作品2連発まで、西田佐知子三昧でマッタリと過ごしてきたのだが、さっちゃん祭りの最終回は多分誰もが一度は耳にしたことがあるであろう名曲「初めての街で」でシメたいと思う。
 もちろん「初めての街で」というタイトルを聞いただけでは “そんな曲知らんでぇ...” となるかもしれないが、“やぁっぱりぃ おぉれはーあぁぁぁ 菊正宗~♪” という例のフレーズを聞けばほとんどの人が “あぁ、あの曲か!” と思うに違いない。ヒット云々という次元を超越して、少なくとも曲の認知度という点においては「アカシア」を遥かに凌ぎ、多分彼女の歌の中で最も広く親しまれている曲といえるだろう。
 この曲は坂本九の「上を向いて歩こう」と同じ永六輔&中村八大コンビの作品で、元々は1975年に菊正宗の CMソングとしてレコーディングされ、メーカーが宣伝用に非売品のサンプル盤として配っただけで、公式にはリリースされなかった。この CMヴァージョンは当時の日本人なら知らぬ者はいないと言ってもいいくらい国民的レベルでお茶の間(←懐かしいなぁこの言葉...)に深く浸透、そのせいもあるのだろうが、4年後の1979年に歌詞もアレンジも微妙に変えて再レコーディングされ、シングルとして発売された。つまりオリジナルというべき “CMヴァージョン” と再録の “シングル・ヴァージョン” という異なった2つのテイクが存在するのだ。
 そんな事情など全く知らなかった私は、初めて買った彼女のベスト盤 CD「西田佐知子全曲集」でラストに収められていたこの曲(再録シングル・ヴァージョン)を聴いてビックリ(゜o゜)  “この曲歌ってたの西田佐知子やったんか!” とまさに目からウロコな新発見に大コーフン(^o^)丿 21世紀に入って遅まきながら「コーヒー・ルンバ」から西田佐知子に入門した私は、実はその30年前から彼女の歌声を耳にしていたというワケだ。
 私が好きなのは耳に馴染んだ CMヴァージョンの方で、メロディー展開はほぼ同じながら再録ヴァージョンの方は引退からかなり時間が経っているせいかさっちゃんの声の張りがいま一つだし、AORくさい軽薄な器楽アレンジもごちゃごちゃうるさいだけで原曲の良さをスポイルしているようにしか思えない。それと歌詞も以下のように何故か偶数行だけが微妙に変えてあるのだが、 “やっぱり俺は~♪” に続くフレーズは “一人じゃない~♪” ではなく “菊正宗~♪” じゃないとしっくりこない。
  L2 これで独り ぼっちじゃない → ちょっと気取って 独りぼっち
  L4 ちょっと口説いて みたりする → キザに口説いて みたりする
  L6 それだけで なじみの客 → 飲み方ひとつで なじみの客
  L8 又どこかで 逢おうじゃないか → 達者でいろよ 又逢おう
  L10 口惜しかろうが まあいいさ → ふってふられて 又惚れて
  L12 やっぱり俺は 菊正宗 → やっぱり俺は 一人じゃない
尚、今現在入手可能な盤でこの CMヴァージョンが聴けるのは、さっちゃんの最新ベスト盤「初めての街で」と4枚組オムニバス盤「中村八大作品集~上を向いて歩こう~」のみ。前者での表記は「トラディショナル・ヴァージョン」となっている。
 作曲した中村八大という人は「上を向いて歩こう」の他にも「こんにちは赤ちゃん」や「明日があるさ」、「世界の国からこんにちは」に「笑点のテーマ」など、シンプルながら日本的で親しみやすい鼻歌メロディーを書かせたら天下一品。そんな作風がわずか15秒で聴き手の心をつかまなければならないCMソングにぴったりハマったのだろう。この曲はCMで使われたAメロだけを6コーラス繰り返すという大変珍しい作りになっているのだが、さっちゃんの鼻にかかった歌声とねっとりした節回しがそのユニークな和風テイスト溢れる旋律の髄を完璧に引き出し、菊正宗という商品のイメージを見事なまでに表現したコマソン史上屈指の名曲名唱に仕上がっている。酒を一滴も飲まない私でもこの曲を聴くとお酒を飲む人の気持ちが何となく分かるような気がするというのはひょっとして凄いことなんじゃないだろうか?

初めての街で(CMバージョン)萬年社制作 - 西田佐知子


AMラジオCM「菊正宗」(1995)

星のナイトクラブ / 西田佐知子

2011-08-24 | 昭和歌謡・シングル盤
 音楽ファンの楽しみの一つは、あまり人の話題には上らないが内容的には最高!という、いわゆる “自分だけの名曲” を見つけることである。だから古き良きムード歌謡からバリバリのリズム歌謡まで様々なタイプの楽曲を違和感なく歌いこなす西田佐知子のレコードは、私にとってはまさに宝の山みたいなものなのだ。そんな中でも私がとりわけ気に入っている1曲がこの「星のナイトクラブ」である。
 この曲は前回取り上げた「くれないホテル」に続くシングルで、作詞作曲も同じ “橋本淳&筒美京平” だ。この黄金コンビと西田佐知子の初コラボレーション作品である「くれないホテル」がどちらかというと洋楽テイストを巧く取り入れて時代を先取りしたような洗練されたナンバーだったのに対し、その4ヶ月後にリリースされたこのコラボ第2弾「星のナイトクラブ」は従来の歌謡曲ファンにも強くアピールするようなコンテンポラリー感覚溢れるキャッチーな歌謡ポップスに仕上がっている。
 筒美京平作品の一番の魅力は思わず鼻歌で歌いたくなるようなその親しみやすいメロディーにあると思うのだが、この曲でもキャッチーな “筒美メロディー” が全開だ。そしてそんな美メロを引き立てているのが京平先生お得意のゴージャスなストリングス・アレンジ。イントロに始まり、歯切れの良いストリングスを絶妙なタイミングで大量投下、この曲に更なる高揚感を与えることによって、煌びやかな夜の世界を小粋に表現している。
 さっちゃんのちょっと鼻にかかった歌声も憂いを帯びた曲想にピッタリとマッチしており、柔らかさと温かさを併せ持った力みのない独特の歌唱法でたんたんと歌い上げるところなんかもうたまらない(≧▽≦) この曲を聴いていると、西田佐知子って曲を完全に自分のモノにしてるっていうか、微妙なニュアンスの表現がホンマに上手いなぁと感心してしまう。その歌声を聴いていて、私は思わずいしだあゆみを思い出してしまったのだが、そういえばこの曲自体、雰囲気が何となく「ブルーライト・ヨコハマ」に似ているような感じがするのだ。
 これはあくまでも私の想像だが、あまり売れなかった「くれないホテル」のリベンジに燃えた京平先生が、同じ橋本淳とのコンビで1969年の2月から4月までヒットチャート1位を独走した「ブルヨコ」の再現を、あゆのノンビブラート唱法の源流とでも言うべき西田佐知子で狙った... というのは考え過ぎだろうか? 特に間奏の雰囲気なんか「ブルヨコ」を彷彿とさせるものがあり、それに続く“甘くて~ 甘くて~♪” のラインを “あるいてもぉ~ あるいてもぉ~♪” と歌ってもあまり違和感なさそうだ(^.^)
 この曲は初めて聴いた時に “夜の銀座に 夜の銀座に い~るという♪” のラインが脳内リフレインを起こして一発で気に入った私的キラー・チューンなのだが、考えてみると60年代昭和歌謡にはこの曲以外にも「二人の銀座」や「銀座ブルース」、「銀座の恋の物語」など、「銀座」をテーマにした名曲が多い。これらの歌を聴けば、行ったことのない人間にも何となく “夜の銀座” がイメージできてしまう。これは「ヨコハマ」(←「横浜」じゃないところがミソ!)にも言えることだが、ある特定の地名が作り手側の創作意欲をかきたてると同時に、聴き手側のイマジネーションをも増幅させる好例だと思う。

西田佐知子 星のナイトクラブ (ステレオ)


くれないホテル / 西田佐知子

2011-08-20 | 昭和歌謡・シングル盤
 西田佐知子のヒット曲では「アカシアの雨がやむとき」、「コーヒー・ルンバ」、「東京ブルース」あたりが売り上げトップ3だと思うが、彼女の場合、世間的にはそんなに売れなかった曲の中にも素晴らしい作品が少なくない。いわゆるひとつの隠れ名曲というヤツだが、そんな裏名盤の筆頭に挙げたいのが「くれないホテル」(1969)である。
 この曲は邦楽史上最強の作曲家、筒美京平先生が初めてさっちゃんに提供した作品で、バタくさい歌謡曲とは対極に位置するような、バート・バカラック風の粋なワルツ・ナンバーだ。当時の他の歌謡曲が古き良き時代の “懐メロ” という感じなのに対し、この曲はとても40年以上も前の曲とは思えないような洒落たメロディーと斬新なアレンジによって、時代を超越した瑞々しさを感じさせるのだ。逆にそのあたりが「アカシア」や「エリカ」あたりの古き良き王道歌謡曲路線に慣れ親しんだファンの耳には地味に響いて売り上げが伸びなかったのかもしれない。まぁ時代を先取りしていたというか、10年早かったというところだろう。
 京平先生の最大の功績は、日本独自の音楽ジャンルである “歌謡曲” に洗練された “洋楽テイスト” を巧くブレンドすることによって “歌謡ポップス” という新しい世界を構築したことだと思うのだが、この「くれないホテル」ではお洒落なムード歌謡をベースにしながらも、そこにワルツやボサノバといった様々な要素を取り入れるという当時の常識からすれば前衛的ともいえる試みによって、ウエットな失恋ソングに陥ることなくカラッと乾いた質感の中に自然な潤いを感じさせるという不思議な感覚を持った楽曲に仕上げているのが凄い。歌謡ポップス百花繚乱時代の黎明期にあたるレイト60'sに作られた京平ワークスの中でもミコたんの「渚のうわさ」と並ぶ最重要作と言えるのではないだろうか?
 この曲がリリースされた1969年というのは彼が橋本淳とのコンビで「ブルーライト・ヨコハマ」を大ヒットさせ、他にも「太陽は泣いている」や「涙の中を歩いてる」といった名曲でいしだあゆみをスターダムに押し上げた頃なのだが、この「くれないホテル」を “ジャパニーズ・クール・ビューティー” こと西田佐知子に歌わせたのはまさに慧眼。さっちゃん以外の歌手が歌っていたらこの微妙な味わいは出せなかっただろう。歌い手選びの妙にも京平先生の天才を見る思いがする。
 この曲は歌詞、メロディー、ヴォーカル、そしてバックの演奏という4つの要素が高い次元で見事に融合、当時の歌謡曲の範疇を超えたエヴァーグリーンな魅力を持った作品へと昇華した稀有なナンバーで、“くれない” というタイトルに巧く引っ掛けた “深紅のベッド” というライン、そして悲しみが “暮れない” くれないホテルという発想はこの曲のイメージに独特の彩りを添えている。絶妙なタイミングで挿入されるストリングスや哀愁舞い散るブルースハープの音色にも涙ちょちょぎれるし、ズゥゥ~ンと響く重低音ベースも隠し味として効いている。一つ一つの楽器の音が筒美マジックによって “もうこれしかない!” という感じで絶妙に配置されているのだ。
 又、ジャジーなムード横溢のワルツ調にさっちゃんの鼻にかかったアンニュイなヴォーカルが怖いくらいにマッチ。他の誰にも真似できない柔らかさと温かさを併せ持ったその歌声が独特の雰囲気を醸し出し、この曲に時代を超えた世界観を与えている。特に “あ~ぁ くれない~ くれない~♪” と引っ張っておいて “くれないぃぃ ホッテェルゥ~♪” でシメるところなんかもうたまりません(≧▽≦) 歌詞を味わい、メロディーを楽しみ、歌声に酔い、器楽アレンジに唸る... 1曲で4度オイシイという、グリコもビックリのキラー・チューンなのだ。
 私が初めてこの曲を聴いた時に感じたのは “声も歌い方も何となく中島みゆきに似てるなぁ” ということ。もちろん実際はその逆で、中島みゆきの方がさっちゃんに似ていたのだが...(笑)  そんなアホな、と思われた方は一度、この曲と彼女の「わかれうた」を続けて聴いてみて下さい。ちょっと投げやりで気怠い感じの歌い方がクリソツです。本家が引退同然でその歌声を聴けなくなってしまった今こそ、その正統後継者たる中島みゆきが「西田佐知子を唄う」なんていう企画アルバムを作ってくれたら最高やのにと思ってしまう。みゆきが歌う「くれないホテル」、一度でいいから聴いてみたいなぁ... レコード会社さん、この企画何とか考えてくれない???

くれないホテル SACHIKO NISHIDA 1969 (海外向け最高音質版/220)
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涙のかわくまで / 西田佐知子

2011-08-17 | 昭和歌謡・シングル盤
 美人といわれる歌手は数多いが、昭和の気品溢れる “イイ女” 西田佐知子はホンマモノの美人である。ルックスを云々するのはどうかと言われるかもしれないが、やはり女性ヴォーカルは雰囲気なんである。しかも彼女にはその歌声だけで聴き手をグッと引き込む力があり、まさに60年代を代表する美人流行歌シンガーと言えた。
 しかしいくら美人で歌が上手くても肝心の曲がつまらなければ売れるわけがない。ラッキーなことに、彼女はその美貌と才能に加えて楽曲にも恵まれていた。60年代前半の彼女は「アカシアの雨がやむとき」の “水木かおる&藤原秀行” コンビの曲を中心にヒットを飛ばしていたが、65年あたりから他のソングライターの曲もどんどん歌うようになり、より一層歌手としての表現力の幅を広げ、深みを増していった。
 そんな中でもダントツに素晴らしい出来なのが筒美京平、そして宮川泰という日本が誇る2大作曲家の作品である。60年代後半のさっちゃんはこの2人の存在を抜きには語れない。ということで、今日はさっちゃんが歌う宮川ナンバーの大傑作「涙がかわくまで」(1967)を取り上げたいと思う。
 さっちゃんの代表曲はどちらかというと切々と歌い上げるタイプの曲が多いのだが、この曲は彼女には珍しくビート感を前面に押し出したテンポの良いナンバーで、その軽快でリズミカルなイントロから一気に引き込まれてしまう。特にビート感全開で盛り上がっていくサビの部分なんかもう最高! “別れるなんてできないわぁ~♪” の歌い方なんてめちゃくちゃカッコイイと思いません?
 この曲がリリースされた67年と言えば黛ジュンの「恋のハレルヤ」や中村晃子の「虹色の湖」などが大ヒット、あの女王美空ひばりですらブルコメをバックに「真赤な太陽」を歌うという、まさに “ビート歌謡全盛期”。だから私はこの曲を、人一倍流行に敏感で好奇心旺盛な宮川泰が仕掛けた “さっちゃん流 一人GS” ではないかと思っている。
 編曲を担当した森岡賢一郎はブルコメの「ブルー・シャトウ」を始め、クール・ファイヴの「長崎は今日も雨だった」やあゆの「砂漠のような東京で」、小柳ルミ子の「私の城下町」などで明らかなように雄大なスケールを感じさせるアレンジが得意なのだが、この曲でもそれがドンピシャとハマり、イントロからエンディングまでの2分38秒を全くムダな音のない至高の歌謡ポップスに仕上げている。
 塚田茂の作った歌詞も実に良く出来ていて、未練たっぷりの1番とその未練を断ち切ろうとする2番、そしてそんな女心の微妙な揺れをたったの4行で見事に表現した “もう少しいてほしい あきらめる約束の 涙のかわくまで かわくまでぇ~♪” のライン... これはもう単なる流行歌の次元を遥かに超え、行間を読む芸術作品と言ってもいいぐらいのレベルに達している思う。
 このシングルは67年の暮れも押し詰まった12月27日に発売され、その4日後に紅白で歌われたということだが、それが良い宣伝になったのか年が明けてすぐにヒットしたらしい。ポリドールもたまにはエエ仕事するやん(笑) とまぁこのように文句なしの大ヒット・シングルなのだが、唯一不満なのが “ナントカ写真館” で撮ったような地味なポートレートを使ったジャケットで、中身の素晴らしさに比べるとめっちゃ味気ない。まぁ使い回しの切り絵写真よりはマシやけど、もーちょっと何とかならんかったんか...
 ザ・ピーナッツでノリにノッていた宮川泰が手掛けたこの「涙のかわくまで」は、「アカシア...」や「エリカ...」、「東京ブルース」ではちょっと古臭い感じがしてイマイチ馴染めない、というイケイケの歌謡ポップス・ファンにも自信を持ってオススメできる、ビート歌謡の大傑作ナンバーなのだ。

涙のかわくまで 西田佐知子 Sachiko Nishida 1967 (OH!モーレツ復活版 / 218 )
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赤坂の夜は更けて / 西田佐知子

2011-08-14 | 昭和歌謡・シングル盤
 西田佐知子特集も何やかんやで4回目、今日は今や昭和歌謡のスタンダード・ソングと化した感がある「赤坂の夜は更けて」でいこう。
 私がこの曲を初めて聴いたのは青江三奈の CD「グッド・ナイト」で、元々クラブ・シンガーだったという彼女のハスキーな歌声とジャジーなムード満点の演奏(←むせび泣くサックスなんかカフェ・モンマルトルのジョニー・グリフィンそっくり!)が絶妙な味わいを醸し出していてめっちゃ気に入ったのだが、当時はまだ今ほど昭和歌謡に詳しくなかったこともあってすっかり彼女の曲やと思い込んでいた。
 それから何年かが経ち、ちあきなおみにハマって彼女の昭和歌謡カヴァー音源を集めていた時にこの曲のオリジナルが西田佐知子だということを初めて知った。時系列に沿って整理すると、“西田佐知子→青江三奈→ちあきなおみ” ということになるのだが、他にもザ・ピーナッツ、松尾和子、藤圭子など、傑作が目白押し。珍しいところでは “Akasaka After Dark” というカッコイイ英題(←何かカーティス・フラーみたいやね...)が付けられたブレンダ・リー盤や白木秀雄のファンキー・ジャズ・ヴァージョンなんかも面白い。
 そんな数々の名カヴァーを生んだオリジナルの西田佐知子ヴァージョンは1965年にリリースされたもので、ジャケットを見ると「女の意地 / 赤坂の夜は更けて」という表記になっていてどう見てもB面扱いっぽいのだが、センター・レーベルでは「赤坂」の方に A と記されているし、その年の紅白でもちゃんとこの曲を披露している。いつもながらポリドール・レコードって大らかというか何というか、細かいことは全然気にしない会社らしい。
 作詞作曲は洒落た歌詞と洗練されたマイナー・メロディーの絶妙な融合による都会的な歌謡ブルースを得意とする鈴木道明。あの「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」も彼の作品だ。「ワン・レイニー...」も「赤坂...」も歌謡曲ファンの心の琴線をビンビン震わす大傑作なのだが、そんな昭和歌謡史上屈指の名曲をさっちゃんの気だるい歌声で聴ける幸せ... 大袈裟に聞こえるかもしれないがこの曲の良さが分かる日本人に生まれて良かったなぁと思う。
 ポリドール・オーケストラの演奏も相変わらず文句ナシの素晴らしさで、鈴木章治みたいなクラリネット・ソロといい、ラルフ・シャロンみたいなピアノのオブリガートといい、ジャジーな雰囲気が横溢だ。この場合 “ジャズ” ではなくあくまでも “ジャジー” 、つまりジャズっぽいというのが重要なポイントで、ムード歌謡の名曲名唱を見事に引き立てている。
 この曲はタイトルに地名を入れたいわゆる “ご当地ソング” の傑作としても忘れ難い。これは 60年代の歌謡曲にはよく見られた手法で、具体的な地名を歌詞の中に入れることによってリスナーはその情景を想像しやすくなり、ストーリーによりリアリティーが増すという案配だ。私はコテコテの関西人なので、「雨の御堂筋」や「京都の恋」なんかを聴くとその情景が目に浮かぶような錯覚を覚えるのだが、やはりよく知っている場所はイメージしやすいということだろう。奈良の人間としては吉永小百合の「奈良の春日野」だけはカンニンしてほしいが...(>_<)
 お恥ずかしい話だが、私は東京に関してはレコード屋のある街にしか行ったことがない。だから和泉雅子&山内賢の「二人の銀座」を聴けばハンターを、青江三奈の「池袋の夜」を聴けばレコファンを、藤圭子の「新宿の女」を聴けばディスクユニオンを目指して彷徨い歩いた夜の街並みがすぐにイメージできるのだが、残念ながら赤坂には行ったことがないので “夜霧が流れる 一ツ木あたり~♪” と言われても何のこっちゃなのだ。これが吉祥寺や神保町、高田馬場あたりやったらわかるんやけど...
 「夜が切ない」(59年)、「アカシアの雨がやむとき」(60年)、「エリカの花散るとき」(63年)、「東京ブルース」(64年)と、これまで純日本風の曲が多かった彼女だが、このレコードあたりから徐々に洗練の度合いを増し、洒落た都会的なムードの歌を聞かせるようになっていく。その成果の集大成と言えるのが69年の「くれないホテル」あたりだと思うのだが、そういう意味でもこの「赤坂の夜は更けて」は彼女にとって非常に重要な1曲だと思う。

赤坂の夜は更けて 西田佐知子 1965 (最高級音響版/217)PCM
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エリカの花散るとき / 西田佐知子

2011-08-11 | 昭和歌謡・シングル盤
 「コーヒー・ルンバ」で西田佐知子に入門した私はカヴァーポップスを中心に初期の音源を集めた「アーリー・デイズ」というCDを購入、その中に入っていた「アカシアの雨がやむとき」を聴いて彼女の歌う昭和歌謡の素晴らしさに開眼した。しかし彼女に関してほとんど何の知識もなかった私はとりあえず代表的なヒット曲を聴いてみようということで「西田佐知子全曲集」というベスト盤をゲット、彼女のシングル・ヒット曲をほぼすべて網羅した上に「ワン・レイニー・ナイト・イン・東京」や「ウナ・セラ・ディ・東京」、「ベッドで煙草を吸わないで」といった昭和の名曲のカヴァーまで収録したスグレモノだ。そのCDで「アカシア」に続く2曲目に入っていたのが今日取り上げる「エリカの花散るとき」だった。
 私はドライブ用にコンピレーション CD-R を作ることが多いのだが、その時に選曲と同じぐらい重要なのが曲順である。曲の配置ひとつで全体の印象がガラリと変わるのがコンピ盤作りの面白さだ。上記のベスト盤でも1曲目の「アカシア」で大団円を迎えて放心状態のところへいきなり「エリカ」の突き刺さるようなストリングスのイントロが流れてきたのにはビックリ(゜o゜) ダッダッダッダッ♪と刻むリズムが音楽を前へ前へと押し進めていくドライヴ感溢れる演奏に耳が吸い付く。哀愁舞い散るアレンジも絶品だ。昭和世代でこの歌謡曲特有の流れるようなマイナー調の旋律に心を動かされない人はいないのではないか。イントロだけでつかみは OK だ。
 ヴォーカル・パートはもう絵に描いたような名曲名唱。特に “やまぁ かぁげぇんにぃ~♪” や “べにぃ いろぉんのぉ~♪”、“かも めぇにんも♪” と古式ゆかしいコテコテ唱法で迫るところが曲想にバッチリ合っていて効果満点だし、 “わぁ かぁ れたひとんのぉ~♪” と鼻にかかった歌声で情感たっぷりに歌い上げるところなんかもうたまらない。この独特な節回しにハマるとさっちゃん中毒も本物だ。トドメは吸引力抜群の “エ~リィカァ♪” から一気にたたみかけてストンと落とすエンディング... まさに曲良し、歌良し、演奏良しと3拍子揃った昭和歌謡の名演である。
 それともう一つ、まったく以て恥ずかしい話なのだが、植物に疎い私の中では “エリカ” というのは女性の名前というイメージしかなく、「エリカの花」を私はてっきりエリカという女の人が植えた花のことだと思い込み、長い間 “エリカって誰やねん??? 何かワケのわからん歌詞やなぁ...” と訝しく思っていた。まぁただ単に国語力が無かっただけなのかもしれないが...(>_<) ある時たまたま google で “エリカ” と入れるとキーワード入力補助で “花言葉” という候補が出てきたので何じゃこりゃと思い “エリカ 花” で画像検索したところ、コンピューター画面いっぱいに咲き誇るかのように薄紫の花が現れたのだ。やっぱりインターネットって凄いわ...(^.^) 私はこの時初めて歌詞の意味が分かってめっちゃスッキリした気分になれた。
 シングル盤のジャケット・デザインは相も変わらずトホホな出来で、彼女の写真はモノクロのままだし、子供の落書きみたいな女の子の絵といい、飛び散る汗みたいな花びら(?)といい、もうちょっと何とかならんかったんかと思う。まぁ今となってはコレはコレで味があってエエねんけど。
 因みにこの曲がリリースされた1963年2月当初は NHK テレビ歌謡の「浜辺と私」が A面扱いだったが、B面ながら「アカシア」と同じ水木&藤原コンビが書いたこの曲の方がジワジワとヒットして結局 AB面が逆転、その年の紅白でも「エリカ」の方を歌ったのだ。言っちゃ悪いがこの「浜辺と私」という曲はメロディーの起伏に乏しく聴いた後で全く印象に残らない凡曲で、「エリカ」と比べれば月とスッポン、フェラーリと自転車ぐらいの差があるように思う。前回の「コーヒー・ルンバ」といい、この「エリカ」といい、ポリドール・オーケストラの演奏は文句なしに素晴らしいのだが、肝心の制作サイドにはヒット曲を見極める目が無かったということなのだろう。

エリカの花散るとき 西田佐知子 さん


↓こちらはテレビ出演時の映像。テンポも遅めでレコードとはかなり印象が違います。
エリカの花の散るとき 西田佐知子 Nishida Sachiko 1963

コーヒー・ルンバ / 西田佐知子

2011-08-08 | 昭和歌謡・シングル盤
 今日も西田佐知子である。彼女は決して強烈な個性があるとか、歌がめちゃくちゃ上手いとか、そういう歌手ではないが、そのハスキーで物憂げな歌声が独特の雰囲気を醸し出し、60年代ニッポンの懐かしい空気を運んできてくれるところに魅かれるのだ。ノンビブラート唱法を受け継いだいしだあゆみも、デビュー前に師匠の鈴木淳氏から得意の “コブシ” を禁止され徹底的にハスキーなストレート・ヴォイスで歌うレッスンを受けたちあきなおみも(←「アカシア」を数ヶ月にわたって歌い続けされたらしい...)、そのルーツを辿ればみんな西田佐知子に行き着く。彼女こそ私にとって理想的な昭和歌謡の歌手なのだ。
 彼女は1956年にマーキュリー・レコードから “西田佐智子” という名前でデビューし、58年にコロムビアへ移籍した時に出身地の大阪を意識したのか “浪花けい子” というドサ回りの演歌歌手みたいな名前に改名。翌59年のポリドールへの移籍で再び “西田佐智子” へと戻し、60年9月から今の “西田佐知子” になったらしい。芸名の変遷一つを取っても不遇時代の彼女の紆余曲折の一端が垣間見れるが、やはり都会的で清楚なイメージを持った彼女には “佐知子” という名前がピッタリだ。そんな彼女が世間に名前を知られるきっかけになった大ヒット曲が1961年の8月にリリースされた「コーヒー・ルンバ」だった。
 この曲は元々ベネズエラのウーゴ・ブランコの1958年のヒット曲で、タイトルの Moliendo Cafe とは “コーヒーを挽きながら” という意味。当時スペイン語圏を中心に大ヒットして様々なカヴァー・ヴァージョンが作られたようだ(←私はミーナの巻き舌全開ヴァージョンが好き!)。日本では西田佐知子とザ・ピーナッツの競作となったのだがこの2つのカヴァーは日本語詞がそれぞれ違っており(←以前特集した「さすらいのギター」と同じ状況やね...)、大ヒットしたのは西田佐知子の方だった。ストーリー性のある歌詞とさっちゃんの気怠い歌声、そしてエキゾチックなムード横溢の演奏が見事に解け合ってカヴァー・ポップス史上屈指の名演になったのだ。
 何を隠そうこの曲は私が初めて買った西田佐知子のアナログ・レコードで、そういう意味でも忘れられない1枚だ。当時はまだ本格的に昭和歌謡を聴き始める前で、フランス・ギャルやミーナといったイエイエからの流れで60年代のカヴァーポップスにハマっていた時に音楽仲間の 901 さんに教えていただいたのがきっかけだった。シングル・トーンのつたないギター・オブリガート(←こーゆーのをヘタウマっていうんやろな...)を “グラント・グリーンみたい” と言ったら大笑いしておられたっけ(^_^) 又、歌詞の「コーヒー・モカ・マタリ~♪」が「コーヒーも鎌足」に聞こえて仕方なかったのを今でもよーく覚えている。
 聞かせていただいたその日の晩に早速ヤフオクでシングル盤を検索したところ、同じデザイン(←彼女の写真は「日曜はいやよ」の使い回しという超手抜きっぷり... ポリドール、ちゃんと仕事せぇよ!)で「欲望のブルース」のB面扱いになってるこげ茶っぽいジャケットのヤツ(DJ-1157)とAB面が逆転した赤茶っぽいジャケットのヤツ(DR-2007)の2種類があり、レコード・ジャンキーの直感でこげ茶ジャケの方を取ったのだが(←300円でした...)コレで大正解! このレコードはB面扱いの方がオリジナルで、A面扱いの方は69年に出た再発盤だということを知ったのはそれからずっと後のことだった。尚、赤茶ジャケのオリジ盤(DJ-1157)というのも存在するようなのでコレクターは要注意だ。
 確かこのブログを始めた頃に「コーヒー・ルンバ」特集をやった記憶があるが、それ以降に見つけたカヴァーの中で面白かったのがアントニオ古賀の「クスリ・ルンバ」。コレもやはり 901 さんに教えていただいたものだ。やっぱり持つべきものは趣味の合う音楽仲間ですね。901さん、これからもご指導の程、どうぞよろしくお願い致します m(_ _)m

コーヒールンバ / 西田佐知子


ナンセンス歌謡 『クスリ・ルンバ(アントニオ古賀)』1971年
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アカシアの雨がやむとき / 西田佐知子

2011-08-05 | 昭和歌謡・シングル盤
 またまたスカイプ・ネタで恐縮なのだが、一昨日サムがコールしてきてくれた。私にとってはスカイプ初体験である。受信したらどんな音がするんやろ?(笑)とワクワクしながら待っていると、事前にメールで決めておいた時間きっかりに着信ウインドウが開き、 “応答” をクリックするとコンピューター画面にいきなりサムが現れた。私の方にウェブカメラが無いから単なる音声通信だと思っていたのでコレにはビックリ(゜o゜) サムの方には音声だけが聞こえるらしく、 “まるでコンピューターがしゃべっているようで何か spooky な感じがする” とか言いながらも缶ビール片手にすっかりリラックスムードだ。TV電話初体験で大コーフンした私は結局1時間ほどしゃべり倒したのだが、絶対にウェブカメラを買おうと心に決めて電話を切った。サム、これまで色々と最先端のテクノロジーを教えてくれてホンマにありがとう。感謝してるで!!!

 スカイプの話はこれぐらいにして、ここからは音楽の話。実はこの2ヶ月ほど、ザ・フーや清志郎と並行して密かに(?)昭和歌謡熱が再燃していて、特に60年代半ばから70年代前半の女性歌手のレコードを買いまくっているのだ。事の発端は6月の初め頃にヤフオクで沢知美の「人の気も知らないで」(←例のグリーンのジャケットのヤツね)と小山ルミの「ベンチャーズ・ヒットを歌う」のピッカピカのオリジナル盤を立て続けに安値でゲットしたことで、CD とは比べ物にならないくらいの生々しいアナログ・サウンドにすっかりハマってしまったのである。これまでロックやジャズのオリジ盤の音の良さは知っていたが、まさか昭和歌謡のレコードにこんな優秀録音盤があるとは思わなんだ(^o^)丿
 特に目からウロコだったのがヤフオクでは100円~300円ぐらいで買えるシングル盤で、めちゃくちゃ芯のあるごっつい音がスピーカーから飛び出してくる。 LP よりも傷に強いのかノイズも少なめなので、コスト・パフォーマンスは抜群に高い。私にとってそんな “シングル瞠目盤” の嚆矢と言えるのが今日取り上げる西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」である。
 この昭和歌謡史上屈指の大名曲は彼女にとっての4枚目のシングルで、1960年に原田信夫の「夜霧のテレビ塔」とのカップリングで発売されたものがオリジナルの 1st プレス。ただ、名前の表記はまだ古い「佐智子」のままやわ(←“佐知子” になったのは60年9月から)、ジャケの顔写真はモノクロのショボイやつが使われとるわというトホホな盤で、レアではあるが私的には購買意欲はそそられない。その後ジャケットを彼女一人のカラー写真に差し替えた 2nd プレス(←ブルー・バックの黄色いタイトル文字で、有名なトレンチコート・ジャケのやつ。レコード番号は 1st と同じ DJ-1062、290円)が有線を中心にジワジワとヒットしてロングセラーとなり、1962年の紅白でこの曲を歌ったという。
 私が買ったのは「東京ブルース」とカップリングされた 3rd プレス(DR-2006、370円)で、この番号や値段から類推すれば60年代後半にリリースされたものかもしれない。この盤は 2nd のトレンチコート・ジャケットと同じ時に撮影されたジャケ写が雰囲気抜群で、 “これぞ西田佐知子!” と言いたくなるような大人の女を見事に演出している。 “女性ヴォーカルはジャケットを聴くべし” とはよくぞ言ったものだ。
 何だかジャケットの話ばかりになってしまったが、中身の方はもう何の説明も不要なぐらいの名曲名唱で、私の考える昭和歌謡はこの曲から始まったと言っても言い過ぎではない。初めてこの曲を聴いた時に最も印象に残ったのがその不思議な歌詞で、1番の詞で “このまま死んでしまいたい~♪” とまるで自殺志願のようなフレーズが飛び出してくるのにもビックリしたが、特にインパクトが大きかったのが3番の詞だ。 “ベンチの片隅で冷たくなった私の抜け殻” や “あの人を探して飛び立つ影” というフレーズはどう考えても幽体離脱をイメージさせる。当時の “流行歌” の歌詞とは激しく一線を画す文学的薫りが立ち込めている。何処かへ消えた “あのひと” を探して魂が身体を離れ、鳩となって飛び立っていくという、凄まじいまでの女の情念を見事に表現した歌なのだ。この歌が私の心を魅きつけて離さないのは一にも二にもこれらのフレーズが放つ不思議な魅力のせいだろう。因みに “アカシアの雨” というのはアカシア並木に降る冷たい雨のイメージだ。
 旋律面でも “夜が明ける 日がのぼる 朝の光のその中で~♪” と一気にたたみかけ、エンディングで “涙を流してくれるでしょうか~♪” とオトシマエを付けるあたりなんかもう見事という他ないし、器楽アレンジが際立つポリドール・オーケストラのバッキングも絶妙だ。オルトフォン・カートリッジで聴く重心の低いモノラル・サウンドもたまらない(≧▽≦)
 カップリングされた「東京ブルース」(1964年)も「アカシア」と同じ “水木かおる&藤原秀行” コンビの曲で、イントロの雰囲気も女の恨み節を綴った歌詞も「アカシア」を彷彿とさせるモノがあるが、私の受けるイメージとしては「アカシア」をよりモダンにしたような感じで、彼女のヴォーカルもより洗練されているように聞こえる。この2曲の間に横たわる4年という歳月を彼女の歌声から感じ取るのもこのレコードの楽しみ方の一つではないだろうか。

※このジャケットの盤は4thプレスで69年盤ということが判明しました。因みに 3rd プレス盤は67年頃に出ており、2nd ジャケと同じ構図でさっちゃんの写真だけが 4th ジャケのもの(←襟に手をやり視線がこっち向いてるヤツ)に差し替えられてます。(9.18追記)

アカシアの雨がやむとき  西田佐知子


[t] 東京ブルース(西田佐知子)
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デイドリーム・ビリーバー / Leyona

2011-08-01 | J-Rock/Pop
 唐突ですが skype って知ってますか? 私は今の社会の流れにも先進テクノロジーにも興味の無い古い人間なので当然ながらその存在すら知らなかったのだが、もうすぐ日本を離れるサムに “ワタシガ ロンドンニイッテモ スカイプデ ハナシガデキルヨ” と言われ、“スカイプって何なん?” と聞き返して “スカイプ シラナイノ?” とビックリされたのだ。聞くところによるとスカイプに登録したパソコン同士なら無料でテレビ電話やチャットが出来るらしい。 “それって国際電話もタダなん?” と聞くと “タダダヨ!” という。私はケータイもツイッターもフェースブックも生理的に大嫌いという変わり者だが、タダで国内海外問わず電話し放題というのは魅力的だ。私は早速そのスカイプとやらを導入することにした。
 スカイプを始めるにはマイク付きのヘッドセットが必要ということなのでアマゾンでイヤフォン型で評判の良さそうなのを830円で購入、ウェブ・カメラは3000円前後するらしいので今回はパス。とりあえずタダで電話できればそれで十分だ。インストールも登録も結構簡単に出来たのだがイマイチ使い方がよく分からない。とりあえず plinco さんや 901 さんを引っ張り込んで色々と試してみたいと思っている。それにしても私にとってはSF映画並みのハイテクであるTV電話(笑)を一般家庭で出来るなんて、知らん間にテクノロジーってめっちゃ進化しとったんやなぁ...(゜o゜)

 さて、ここからが本題である。サムの一言をキッカケに始めたキヨシロー特集、今日は趣向を変えて彼へのトリビュート作品の中でダントツに気に入っている Leyona の「デイドリーム・ビリーバー」を取り上げたい。
 私はこれまで何度も書いてきたように洋邦問わずコンテンポラリーな音楽に疎いので、この Leyona という女性シンガーのことも全然知らなかった。彼女のこのヴァージョンは YouTube でこの曲を色々検索していた時に偶然見つけたもので、その心地良い歌声がすっかり気に入った私はすぐにこの曲が入っているCD「MUSICISMAGIC」を購入した。
 この盤は彼女がリスペクトするミュージシャン達の曲を取り上げたカヴァー・アルバムで、私が知っていたのはタイマーズの「デイドリーム・ビリーバー」、井上陽水の「夢の中へ」、RCサクセションの「君が僕を知ってる」、チャボの「ガルシアの風」の4曲のみ。そんな中でも群を抜いて素晴らしいのが「デイドリーム・ビリーバー」だった。
 そもそもその歌声自体が圧倒的な存在感を誇る清志郎のナンバーをカヴァーするというのは至難の業だと思うし、現に成功した例を私はほとんど知らないのだが、この Leyona のヴァージョンは彼女のちょっとハスキーで温か味のある歌声、ハートフルな歌い方、そして彼女の持ち味を絶妙に活かしたアレンジと、どこを取っても文句なしの名カヴァーに仕上がっている。
 因みに、未知の曲では G Love & Special Sauce の「ステッピング・ストーンズ」がグルーヴィーな仕上がりでめっちゃカッコイイ(^o^)丿 念のため YouTube でオリジナル・ヴァージョンを聴いてみたが、Leyona ヴァージョンの方が圧倒的に良かった。kiroro の「長い間」という曲もサビのメロディーが綺麗で Leyona の歌声がソウルフルな癒し系ヴォイスが心に沁みわたってきて実にエエ感じ。バタバタとうるさい無神経なドラムスが無かったら完璧だったのだが...(>_<) とまぁこのようにバックの演奏が好きになれないトラックもいくつかあるが、少なくとも彼女のヴォーカルに関しては文句ナシで、清志郎のおかげで又一人お気に入りのシンガーに巡り合えたのが何よりも嬉しい。
 下に貼り付けたのは彼女が関西ローカルの「ちちんぷいぷい」に出演した時の映像で、清志郎の愛弟子である三宅伸治(←タイマーズのトッピです!)のギターをバックに天国の清志郎に届けとばかりに力強い歌声を聞かせてくれる。清志郎が亡き母に捧げた歌を彼への追悼曲として歌い演奏する2人の胸中を想うと切なくてたまらないが、2人の清志郎への溢れんばかりの想いが痛いほどに伝わってきて何度見ても泣ける名唱だ。やっぱり音楽はハートやねぇ... (≧▽≦)

daydream believer Leyona with 三宅伸治 追悼 忌野清志郎 2009.5/20
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