shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

沢田研二 A面コレクション

2009-04-16 | 昭和歌謡
 私が好きな昭和歌謡の歌手はほとんどが女性である。彼女らは抜群のリズム感に恵まれ、ある者はジャズのスイングを、またある者はカヴァー・ポップスで培ったノリを血や肉とし、自らのアイデンティティーを確立していった。だから彼女らの歌うリズム歌謡が私のような “ジャズ&ロック好き” でも十分楽しめるものになったのは今になって考えれば当然の成り行きだった。一方、邦楽の男性歌手はその大半が演歌かアイドル系(いわゆる“御三家”ってヤツね)でどこをどう聴いても自分とは無縁の世界だったが、ただ一人だけロックのフィーリングを感じさせる歌手がいた。ジュリーこと、沢田研二である。
 彼は60年代にGSの人気バンド “ザ・タイガース” のヴォーカルを務め、ソロになってからも他の歌手にはない “スーパースターのオーラ” を発散しながらヒット曲を連発していった。当時の私はまだ中学生で、ビートルズやカーペンターズといった洋楽一色の音楽生活だったにもかかわらず、ジュリーの歌だけは “邦楽” とか “歌謡曲” が持つダサイ感じがなく、ノリの良い “歌謡ポップス” みたいな感覚でスンナリと受け入れていた。彼には “天性の声” という最大の武器があり、又充実した楽曲群に恵まれたこともあって、当時の邦楽男性歌手の中ではまさに “ザ・ワン・アンド・オンリー” といえる存在になっていた。特に77~82年あたりの怒涛のような快進撃は凄まじく、新曲を出すたびに大反響を巻き起こしていた記憶がある。
 その約20年後、京都へCDハンティングに行った時のこと、河原町のビーバーレコードで彼のシングルA面を年代順にコンプリート収録したこの3枚組CD「A面コレクション」を見つけた私は懐かしさのあまり衝動買いしてしまった。Disc 1 が71~76年、Disc 2 が76~80年、Disc 3 が80~85年という構成だ。
 Disc 1では、何といっても印象的なギター・リフが耳に残る⑥「危険なふたり」のインパクトが大きい。私が初めて聴いたジュリーであり、例の振り付けもよくマネしたものだ。あの艶のある声で声量一杯に “オォォ~ ニーナ、忘れられない~♪”と歌うサビの部分の盛り上がりに圧倒された⑩「追憶」も忘れられないし、井上堯之氏の哀愁舞い散るギターのイントロから “あなたは~ すっかり 疲れてしまい~♪” とジュリーのヴォーカルが入ってくるだけで鳥肌モノの⑭「時の過ぎゆくままに」なんて、昭和歌謡史上屈指の名曲名演だと思う。
 Disc 2では時代を代表する名曲③「勝手にしやがれ」が素晴らしいのは当たり前だが、それを更にリファインしたような⑦「ダーリング」の疾走感もたまらない。 “春が来ても~ 夏が来ても~♪” とたたみかける後半部での押し寄せるようなパワーは圧巻だ。⑬「TOKIO」を歌うジュリーを初めてテレビで見た時は正直ぶっ飛んだ。スーパースターのジュリーが電飾付きのミリタリー・ルックにパラシュートまで背負って歌っていたのだ(゜o゜) こんな姿で歌ってサマになるのはジュリーしかいない。これぞ真のプロフェッショナリズム、ホンモノのエンターテイナーとしての存在感がお茶の間で見ている我々にもヒシヒシと伝わってきて圧倒されたものだ。
 Disc 3では④「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」がストレイ・キャッツからの、⑨「晴れのちBLUE BOY」がアダム&ジ・アンツからの影響をストレートに表出していることからもわかるように、当時ロンドンで流行の最先端をいっていた音楽を積極的に取り入れていたジュリーのアグレッシヴな姿勢に共感を覚える。それでいて楽しく聴ける歌謡ロックになっているところが凄い。キャッチーでフレンドリーなジュリーの決定版といえる⑥「おまえにチェック・イン」、ユニークなイントロと “毎日 僕 眠れなぁい やるせない~♪ (ha! ha! ha!)” の部分が妙に耳について離れない⑦「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」と、時代を牽引するヒットメイカーとしてのジュリーも健在だった。
 30年以上経った今でも全44曲のほとんどは題名を見ただけで頭の中でイントロが鳴り出すくらいよく覚えている。どんなに時が経っても風化しないジュリーの歌声とヒット曲の数々... 彼の全盛期をリアルタイムで経験できてホントにラッキーだった。

TOKIO