周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

11月30日―12月6日

2014年12月07日 | 日記

僕が高校生時代から岸和田の実家にあった柱時計。壊れてしまったのを広島の山間部、上下町にある小川時計店で修理してもらった。ボ~ンボ~ンという優しく懐かしい音がよみがえった。時を巻き戻すことが出来たら、あなたはいつの時代に戻りますか?僕はもう決まっている。1982年の8月30日。7万円入った財布を落とす直前に戻るぞ。

 

11/30(日) 教区交換講壇で三次教会へ。高速道路を走っていて三次が近づいて来たら濃い霧にぶつかった。そうか。三次は霧海でも有名な町やったな。山頂に登れば霧の海が見渡せる。もっと早く来ればよかったなあ。かく言う我が玖珂町でも時々早朝の山から霧海が見られる。もっとも・・寝坊の僕が見たのは三十二年で一回だけやけどね。

 

1(月) 昔、大島からハワイへ移民した者の中に「三ばか」と揶揄される人たちがいたそうな。理由は耶蘇=クリスチャンになって帰って来たからやとか。一昨日、大島教会のお婆ちゃんが亡くなった。葬儀は仏式。司会者が「生前は熱心な仏教徒として過ごされました」と紹介していた。安心して下さい。イエスとブッダが一緒に迎えてくれますよ。

 

2(火) 所用のついでに庄原市の山ん中で養鶏場を営んでいる明子さん宅を訪問した。家の前は川。後は山。かまどがある。テレビはない。トイレは外。ドアはカーテン一枚。当然ポッチャン。風呂は五右衛門。お隣なし。思っていた通りの理想的クソ田舎やったので僕のヴォルテージは急上昇。おお携帯も圏外や!神様!天国見つけました。

 

3(水) 突然訪ねて来たのは「取材相手がいなくて困っていたんです」「無名上等」と正直に話す赤旗の若い女性記者。何度も、僕でええの?もっとふさわしい牧師を紹介するよ、と尋ねたが、結局「他に誰か良い人を見つけたらボツにする」を条件で承諾した。よっぽど困ってたんやろなあ。これも人助けか。上司に怒られてもわしゃ知らんで。

 

4(木) 亀の里フェスタで焼き鳥コーナーを担当してくださっている恒さんのお店に行く。この方の本職は焼き鳥屋。K原K藏牧師が強引にお願いして、毎年、岩国M幼稚園のバザーや亀フェスで屈辱的な安い鶏肉を焼いてもらっとる。すんませんねえ。お詫びにせめてここで宣伝させてもらいます。岩国市麻里布町の焼き鳥『つね』を宜しく!

 

5(金) 彩七たちのパエリアが食べたいというリクエストで、材料を買い求めあちこち回った。手に入れたかったのは有頭エビとムール貝。貝はまだしも有頭エビがどこにも無い。え?気付いた?その通り!今回のパエリアがあまり美味くなかったのはエビと貝が無かったせい。よく気付いたな。あれさえあれば完璧やったのに。ああ残念残念。

 

6(土) ついにやって来た氷点下の季節。就寝時、寝袋に入る時いつも合唱組曲『山に祈る』を思い出す。六十年近く前、冬山で遭難した大学生の手記を元に作られた合唱曲。ええ曲や。聴きながら何度も泣いた。先週紹介したポリも「泣ける」と言ってくれた。ええポリでしょ。ところがポリ夫人はこの曲を聴いた時「ククク・・」と笑いやがった。