魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

未来の党

2016年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

消費税引き上げ再延期は既定路線だが、野党の無策にはうんざりする。
アベノミクス失敗の責任を追及して不信任を出したが、そんなことしか出来ないのかと、無能ぶりがますます目立つことになった。

野党は、自分たちの提案を自民党にパクられると言うが、それは、言わば野党の存在価値でもある。そんなことは気にせずにどんどん提案すべきで、それは国民のためだ。
そうして、日頃から価値を認められることで、初めて、いざという時の代役として認知される。

いざという時とは、従来の与党の方法が通用しなくなった時であり、まだ顕在化していないが、今がまさにその萌芽だ。
工業生産による発展モデルが通用しなくなっている。新興国に、工業生産でシェアを奪われたからと、それと同じ次元で競争しても労働力でかなわない。サービスやインフラ輸出の道も悪くないが、競争相手が多すぎる。しょせん、高いところから低いところに流す、産業革命パラダイムの植民地発想だ。

グローバル社会が進めば、地球は均質化する。同じクラスに生徒が集まったとき、誰かが一人だけ多くの給食をもらえるわけではないが、人気者は何かと得をする。何かにつけて、賛同者が多くなる。
未来の国家に必要なことは、物を売る力ではない。文化と知恵を発信する力だ。今現在の日本は悪くない位置にいる。ガリ勉君になるより、人に好かれ信頼される知恵を持つ国になることだ。それが、未来の地球で目指す、国家の立ち位置だ。もっとも、その時、国家の概念は、現在と同じではないだろう。

しかし、今現在はまだそうではない。そうではないから、保守が与党でいられるのだ。裏を返せば、野党は未来にこそ存在の余地がある。
与党にイチャモンをつけている暇があったら、嘘ハッタリでも良いから、与党には出来ない未来の夢を語ることだ。現在の問題を挙げて、未来のビジョンを描いてみせれば、何かの拍子に、民心は一気に野党に流れる。

与野党にかかわらず、プロ政治家が現実にとらわれているうちに、現実離れした放言を繰り返すトランプや、フィリピンのドゥテルテのような人間が、民心を捉えた。
現在の日本の野党は、まともな未来ビジョンどころか、放言さえ出来ない。
現実に拘泥する与党の、その足をさらに引っ張ることしか考えられないようだ。
このままでは、遠からず、日本にもトランプやドゥテルテが現れるだろう。

野党の切り札
ところで、野党の中には、日頃、消費税に反対していながら、安倍政権の消費税引き上げ延期案に巻き込まれて、その是非を云々している党もある。
本当に政権を取る気があるなら、奇想天外で、かつ現実味のありそうな次元に、論点をひっくり返してはどうか。
消費税を否定せず、それでいて、消費税反対を現実化させるのは、何と言ってもモラトリアムだ。野党が、安倍政権をひっくり返すとすれば、戦争反対ではない。経済の代替案、消費税の一時的全面停止だ。

もうしないと言っているが、万一、ダブル選挙になったら、どうせ、ダメ元なのだから、自らの空疎なお為ごかし政策を捨てて、中途半端な福祉を大幅に削減し、消費税を停止すると宣言して、勝負に打って出れば、思わぬ大逆転もあるかも知れない。
まあ、どちらも無いだろうが。