魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

金科玉条

2016年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

晩婚化、少子化で、卵子凍結保存が話題になっている。希望する独身女性は多く、実施した女性は安堵している。一方で、学会は消極的で、リスク認識を持つよう提言している。

どちらの気持ちも理解できるが、こういう話題を聞くにつけ、改めて婚姻制度の不合理に憤りを感じる。
これまでも事あるごとに言い続けていることだが、制度としての婚姻は諸悪の根源だ。
国があるから戦争がある、国がなければ個人が守られない。婚姻はこのような国家制度と表裏にある、人間の業のようなものだ。

制度さえ変えれば、簡単に解決する問題ばかりなのに、制度を守ることだけ考えるのが人間の習性だから、致し方ない。なぜなら、制度は守ることを前提に存在するから、誰でも、考える前に、先ず守ろうとするのが自然だ。

婚姻制度について色々言い出すと切りがないが、ハッキリしていることは、これまでの婚姻制度は人類の生き方の変化に、とっくに合わなくなっているということだ。
経済システムが変わり、家や部族から、個人と国家システムに替わり、男女平等の概念が浸透して、夫婦間の役割分担が不要になり、二人で支え合い子供を育てる必要が無くなっているのだ。子育てを支えるのは、第一義的に国家でなければならない。もちろん、国家のない時代になれば、人類システムということになるが、それは1000年先かも知れない。

個人が、国や企業と共生関係にある時代なら、人間の、つまり子供の面倒を見るのは、事実上、国や企業であり、女性の力をと言いながら、保育施設の用意も出来ない社会認識で政治をしているのが現在の政治家だ。(努力は認めるが原点が間違っている)
どだい、認識、発想が150年前のまま、現代をマネージメントできるわけがない。

少子化だと言えば、結婚を奨励するが、婚姻のない原始の時代から人間は生き続けてきたことを考えもしない。こんなことを言えば、きっと、文明人は原始人ではないと言うだろうが、その文明が、すでに陳腐化していることに気づいていない。頭を叩けば文明開化の音がするだろう。

憲法を変えることに熱心だが、確かに、憲法は金科玉条ではない。しかし、その中の婚姻制度を変える発想など、微塵もないだろう。 なにしろ、夫婦別姓ですら拒否している人々だ。
夫婦別姓を拒否し、育休を宣言して、不倫で辞職した議員を、特殊例のように扱っているが、不倫の部分以外は、同レベルだからこそ、仲間として迎え入れたのだ。いや、もしかしたら、不倫力も同じなのかも知れない。

卵子凍結保存を希望する女性も、結婚しなければ子供を産めないと考える、制度に従順な人達であり、気の毒としか言いようがない。
もし、堂々と子供を産めば、国が完全に面倒を見てくれるなら、多くは、とっくに子供を産んでいたのではなかろうか。彼女たちは、おそらく仕事をし、国に貢献している人達だ。
リスクを唱える学会も、専門家の当然の意見だが、じゃあどうするんですかと問えば、「だから早く結婚を・・・」と言うしかない。