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世代格差

2016年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は大変な日であるらしい・・・と言われても、
昨日は親父の命日で・・・今日は水無月を食べる日で・・・???
ぐらいしか思いつかないのだが、「ビートルズ来日公演50周年」と言われたら、「へーっ」としか言いようがない、複雑な心境になる。
あの日の騒ぎは、確実に記憶しているが、果たして、今、世間で盛り上がっているほどの出来事だったのだろうかと、何か、喉元にもどかしいようなものが沸いてくる。

十代の記憶は、多くの人がそうであるように、そう楽しいものではなかったが、高度成長期と言われる当時の日本の若者は、東京オリンピックと、ポップス&ロックに刺激され、テレビと車が時代のアイテムだった。
当然、ビートルズの現役世代ではあったが、ビートルズも他のポップスやロックの一つに過ぎず、周囲でも、好みは様々だった。

60年代、まだプレスリーの映画もヒットしていたし、ビートルズも、ローリングストーンズと、人気を争っていた。ボブ・ディランなどのフォークもあって、とにかく当時は、百花繚乱というのか草莽崛起というのか、音楽にかかわらず、世界中で若者パワーが爆発した。

戦後、10~20年経ち、その中で育った世代が、既存の価値観を打ち破ろうとするエネルギーで溢れていた時代だったが、その火付け役をしたのは、実は大人だった。
ミュージック・シーンを盛り上げたのは、既存の音楽システムであり、ビートルズのブームを作ったのも業界だった。若者は、大人の思惑にエネルギーを利用されたと言ってもいいだろう。60年代を風靡した学生運動も、文革の紅衛兵も、裏に思想的扇動者の存在があった。さらにもっと大きな背景としては、既存の世界システムと価値観が崩れることになる、ベトナム戦争が進行していた。

そんな時代の渦中でのビートルズ来日は、百花の嵐の一つに過ぎず、50年後に、それが大事件だったように語られるとは、思いもしなかった。
ビートルズは、その嵐の60年代の終わりとともに解散した。

ところが、ビートルズが解散して10年ほどすると、むしろビートルズ一色になっていた。これは、60年代の現役世代からすると、不思議なことだったが、むしろ、60年代の衰退とともに、ビートルズが墓標のように残ったのではなかろうか。

今、世代としてもっともビートルズを支持しているのは、おそらく80年代に青春を過ごした、今50代の人ではなかろうか。
人の心に染みこむ音楽は、幼児期に子守歌のように聞いた流行歌のようだ。歌手が、もっとも上手く歌えるカバー曲は、その歌手の生まれた頃の歌だ。
今、番組編纂などの実権を握る50代の人が、これほどまでにビートルズを賞賛するのは、まさに幼児期に聞いた歌だからだろう。

しかし、今年二十歳の人にとって、50年前と言えば、その50年前の二十歳の人にとっての1916年、第一次世界大戦の最中だ。ビートルズ来日は第二次大戦後約20年だが、その時、第一次世界大戦の話しを聞くのと同じ感覚なのだ。
別の言い方をすれば、今ビートルズを熱く語る50代は、昭和初期の自分の青春時代の価値観を、戦後20年後の、ビートルズに夢中の若者に「昔の大日本帝国はなあ」と、語っているのと同じなのだ。

ビートルズの価値を否定するものではないが、ビートルズそのものを語り継ぐことより、その時代の息吹として、自然にリメークされ受け継がれていけば、それで良いのではなかろうか。

哀の賛歌


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