魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

役者坊主

2016年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

射手座の市川海老蔵が、成田屋ゆかりの成田山新勝寺で得度して仏弟子になったそうだ。
土星は宗教や伝統を表し、寺や僧そのものも表す。土星が自分の星座に来たとき、得度する人が多い。気持ちが「土星」になるからだろう。つまり、悲観的で閉鎖的になりながら、それでも頑張ろうと、修行僧のような気持ちになる。

仏教徒は、仏弟子である先輩の師僧に従い、仏弟子になる。悟りを開こうと道を求める決心をすることを発心といい、得度して仏弟子に成り立ての人のことを新発心(しんぽっち)さんと呼ぶが、一般的には生前仏弟子にならず、死んで成仏できるように、慌てて仏弟子としての戒名を付けるから、死んだ人のことも新発心さんと呼ぶことがある。

海老蔵も、お父さんが亡くなったこともあり、土星が来て発心したのだろう。
得度式では、もともと坊主頭なので、形だけカミソリを当てたらしい。
見出しに「海老蔵出家」とあったが、正しくは、在家だから得度と言うべきなのかも知れないが、出家の方がインパクトがあって解りやすい。

得度して仏弟子にならなくても、人は生きていること自体が修行だから、みな、ニルバーナ(涅槃)を目指す求道の菩薩だが、仏弟子になると言うことは、その方法に従うということだ。その戒律を杓子定規に受け止めれば、うるさくてとても守り切れないが、要は趣旨を理解することにある。戒名は何か知らないが、そこに向かおうと、発心したことに意味がある。
これからは、海老蔵の芝居に、求道の精神が観られるのかも知れない。

同じ土星の影響が、舛添と海老蔵で、こうも両極端に出るのも面白い。