魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

良かった

2016年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム

北海道の置き去り「しつけ」事件。大和君が見つかって良かった。
結果的には、みんなが喜ぶ、笑い話で終われた。

親の表情を見れば、悪意ではなかったことは一目瞭然だが、親の犯罪を疑う人は結構いたようだ。それだけ「しつけ」名目の犯罪が多いと言うことだ。

ただ、親の犯罪ではないとしても、これだけ探して周辺の山中にいないようでは、誘拐されたのではないかと心配になった。悪意の誘拐でなかったとしても、誰かが車で拾ったら、本人が帰りたがらなくて、判断に迷っているうちに時間が経ってしまうと言うことはあり得ることだ。

当然、警察は道路カメラなども分析しているだろうから、これだけ山林にこだわって探すと言うことは、監視カメラには手がかりがなかったのだろう。
しかし、それにしても、目と鼻の先にある自衛隊の施設などの建物に思いが及ばなかったことは、「子供がそんなに行けるわけがない」と言う思い込みがあったからだろう。

子供は大人より強い
置き去りにした親も、捜索をした大人達も、子供への理解がなさ過ぎる。
世の中のほとんどの人がそうなのだが、自分が子供だった頃のことをすっかり忘れている。
幼稚園ぐらいの子供の時、一人で通園していなかっただろうか。小学校低学年で友達の家に一人で遊びに行かなかっただろうか。

今は、世の中が物騒になって、送迎バスや保護者の見守りがあるが、昔は子供がもっと自立していた。山に暮らしている子なら、山林は近所の横町と同じで、子供同士で山に分け入って遊ぶことは普通だった。つまり、現代の街の子は、その機会がないから、そうしないだけで、能力はじゅうぶん持っているのだ。

今回の大和君は、「親に見捨てられた」決死の心境になっていたのだから、何とかしようと、秘めた子供パワーを全開したわけだ。
たまたま、身体を休めるにはもってこいの小屋があったことも幸運だったが、そこまで歩かなければ小屋を見つけることもなかった。

発見された後、ニュースで健康のことを聞かれたコメンテータ-の医師が、相変わらず「心のケアが大切です」と言っていたが、近頃は、子供は、様々な体験をして傷だらけになりながら個性を身につけていくのだと言うことが、忘れられている。

敗戦の復興を成し遂げたのは、心が傷だらけになった子供達だった。ケアケアで保護だらけの現代人が営んでいるのが、美しく沈みゆく日本だ。
治療漬け、福祉漬けの国民では、真昼の太陽を招き帰すことなど出来ない。

不幸な出来事ではあったが、大和君は、子供の生命力を大人に気づかせてくれたのではなかろうか。