魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

屋敷の中 4

2008年09月18日 | 結婚コン

人間の交尾は愛の確認か
愛に対する考え方は、長い人類史の中で、最も複雑なものになっているが、単純と言えば単純だ。
早い話、愛とは自己愛であって、どこまでを自己と見なすかということだ。

アフリカの水飲み場で、ワニに襲われそうになった鹿をライオンが助ける映像があった(動物が何か記憶?)。
おそらく、この時、ライオンは陸の鹿を「自分側」と感じたのではなかろうか。

宗教が説く無償の愛は、他を自分と同一視しろということならわかりやすい。何しろ自分に報酬は要らない。
しかし、困ったことに、常に自分の中には他人がいる。
(自分というものは統合と崩壊のバランスで成っている。病気はそれが崩れる時)

郷土愛や愛国心も、環境をどこまで自分と同一視できるかということだが、地球環境や世界人類を自分と同一視すれば、愛国心とは相反することになる。

恋愛は、相手を自分と同一視するから、相手を求め、他人に取られることを拒否し、自分と一体化したいと思う。
この思いが恋であり、相手と認め合えば恋愛となり、相手と認め会えなければ、片思いやストーカーとなる。

お互いの恋心(思い込み)を融合させ、互いに同一の自分であると想えれば恋愛(一体化)成立で、交尾が可能になる。

しかし、相手を自分とする時、統合と崩壊が働く。プラス思考の統合は快楽を快楽と思い、マイナス思考の崩壊は、苦を快楽と思う。
多くは、そのバランスの中を互いに行き来するから、恋愛とは「ややこしく苦しい」ものになるし、パズルにハマるように没頭する。

性的快楽は、苦痛が快楽に変わる脳科学的な所産と言ってしまえばそれまでだが、恋愛過程においてもそういう変化があるのだから、性も愛も、ことはもっと複雑ではなかろうか。

恋愛とは誤解のこと
相手と一体になる。と言っても、単に肉体のことではない。
恋愛状態とは、互いの誤解が、うまくかみ合っていることだ。

相手と自分が統合し同じ理解をしていると思うなら、すでにその時点で、崩壊が始まっている。

愛を触媒とした子孫の生産を成功、発展させるには
お互いが、同じではないことを知ることで、はじめて、「異質の混在という安定」が生まれ、統合が生まれる。
相手との違いを受け入れ、楽しめる統合は生産的だが、相手が自分と同じはずだと誤解したままの統合は崩壊する。
(恋愛結婚がうまく行かない一つの理由)

個人と同じ事は、集団にも言える。民族や国家がいがみ合うのは、同質なら和合し、異質は相容れないという、思い込みがあるからだ。

だから、自分たちの方式に変えることが、相手にとって良いことだという勝者の思い込みが、アレキサンダーの昔から行われてきたが、支配力を失えば崩壊する。
ただし、思い込みで進めた日本の皇国化や、アメリカの民主化戦争と違い、アレキサンダー自身が現地に入り、郷に従いながら進めた同化は、少なからず融合の結果を残した。

1+1=3
個人でも集団でも、和合は異質の認め合いで可能になる。
「あなたと私は何でも一緒」・・・は不幸になる。

「愛」が相手を自分と見なすことだとすれば、単純に、自分と同じだと思いたい。しかし、他人が同じワケはない。
相手と自分が同じに成るためには<1+1=3>の論理が必要だ。
自分も相手もそのままで、もうひとつ大きな自分達という枠で考える。

恋愛結婚より見合いの方がうまく行くのは、互いに違うはずだと解っているからだ。かみ合わなくても当然と思い、良いことだけを発見する。
逆に恋愛は、悪いことだけを発見する減点法だ。最後には0点になる。

見合いがうまく行かない場合とは、見合いなのに、結婚に恋愛と同じ夢を見て「100点のはずだ」と思ってはじめるからだ。
見合いに「100点」を期待するのは、全く努力してない分だけ恋愛より悪い。