魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

3年目

2008年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム

考えてみたら、このブログを始めて、9月2日でちょうど2年になっていた。
少しずつだが、見ていただく方も増えているようだ。

ところが、どういうわけか、ブログを書いているうちに、友人知人からのメールがめっきり減ってしまった。
よほど、気に入らないことばかり書いたのかも知れない。
それとも、本性がバレて、あいそを尽かされたのかも知れない。

酔っぱらった翌朝、
『何か、まずいこと言ったんじゃないかな』
と、後悔するような、気まずい気持ちになるが、(これで酒を止めた)
それでも、めげずに書こう。

占いという、世間の裏側からの視点も、あって良いんじゃないかと思う。
何の儲けにもならないが、勝手に使命を課して書く。

メールが来なくなったのも、きっと、ブログを見て「生きてるな」と、安心して貰っているからだろう・・・そう考えることにした

ところで、このブログでは、自分の占いデータは基本的に上げないことにしている。
本来、いくらでも正直に言うが、読む人に先入観をもたれても困るからだ。
占い的な分類では、いずれのキャラクターが良くて、いずれが悪いというようなことはない。
それぞれ一長一短で、それが互いの好き嫌いになるのだが、中立の立場から見れば、タイプに善し悪しはない。

だれかをほめている時には、例え言い忘れても、必ず問題点はある。逆もしかり。
魯生の場合、自分のことを表明してしまうと、過剰に非難しなければならない強迫観念を持つので、それでは同じ星の人に失礼だから、表明したくても表明できない。
この逆に、某有名女史などは自分の星を徹底してほめているが、それでは素人だ。

また、占い師の中には、星を裏読みされて他人に陥れられては困ると、自分のデータを証さない人もいるが、そこまで占いを信じていないし、仮にもしそうなら、返し技をかければよいだろう。