魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

長子と弟妹 5-①

2008年09月02日 | 兄弟関係

何度も言うのだが、兄弟関係論は、弟妹型の人にはあまり意味がない話かも知れない。
弟妹型は実用主義で、四択のコツには興味があっても、問題の考え方にはあまり興味がない。
だからと言って、長子型の人だけに話したのでは、双方の視野が理解されない。対比させながら考えたい。

また、長子型、弟妹型という場合、必ずしも長子、弟妹のことではない。環境によっては長子でも弟妹型になる場合がある。(長子と弟妹4
タイプの違いには、一長一短がある。どちらが優れていると言うことはない。
ここであえて型とするのは、社会や年齢で上下が逆転しているケースも多いからだ。

誤解
ものごとは、同じものを見ていても、人によって違うものに見える。
それは、理解の仕方が違うからだ。
理解の仕方は、その人の性格や価値観が反映する。

「登り坂で車が加速するのは、他の車に抜かれたくないからだ」
と言う人がいて、何と負けず嫌いな人だろうと驚いた。

確かに、そう考える人もいるだろうが、単純に、登り坂ではスピードが落ちるから、皆がアクセルを踏むのが原因だろう。
「遅くなったら後ろの車に迷惑をかける」と思う人もいれば、同じペースで走りたいだけの人もいる。
減速不安でアクセルを踏めば、元のスピードより速くなる。
すると、ペースを合わせようと、他の車がまたアクセルを踏む。
そんな悪循環の中で、中には、負けん気を起こす人もいるかも知れないが、その人が意地になるほど周りは気にしてない。

人はそれぞれ自分の思いこみで理解する。
「すごいなー!」とハモっても、何が「すごい」かは同じではない。

実際、自分の言動を、思いがけない理解をされて困ったことは、誰でもあると思う。

長子と弟妹は、異次元に住んでいる
世の中に、長子型と弟妹型の間の誤解は、想像以上に多い。
長子型は唯我独尊だから、周りを気にしていない。
ところが、弟妹型には、まず周囲がある。

よくあるトラブルは
長子型の勝手な気遣いと、弟妹型の過剰反応だ。
長子型は勝手に相手の処遇を決めてしまい。一方で、
弟妹型は「命令された」「無視された」「冷たくされた」「だまされた」と、被害者意識で受け止める。

弟妹型は誰かに反応して動く。
大げさなアクションも、自分の言動への反応を観測するためだ。だから、弟妹型の方が表だって仕切りたがる。
長子型が仕切るのは「決定」だが、弟妹型が仕切るのは「観測」だ。
弟妹型は、周りの反応を手がかりに次の行動が生まれるが、何もなければ、動きようがないので、最初からそのテーマを捨ててしまう。

関係主義の弟妹型は「なんだ、えらそうに」「口の利き方が悪い」など、外見的なことで腹を立てるが、実は自分はもっと「えらそうに」する。ただし、中間児型は腹にためる。
逆に、相手から厚遇されると、過剰に喜んだり、感謝したり、得意になる。それで、期待を裏切られると、また、恨むことになる。

これと比べれば、長子型は反応が鈍い。喜びも、怒りもしないので、弟妹型の人間から見れば「可愛げが無い」「KYだ」「冷たい」ということになる。長子は、何事も個人的問題だから、良いことも悪いことも、誰かのせいとは思わない。

弟妹型は寂しがり屋、長子型は義理人情
弟妹型は何事も自分が決定していると思っているが、実は相手の出方で決定している。
別れ話も、自分の判断や都合で別れるのではなく、相手の仕打ちにしかたなく別れたり、他の人が現れた時に別れる。そして、長子型のように、淡々と一人で居ることができない。たとえ猫でも居て欲しい。
しかし逆に長子型は、泣きつかれれば弱いし、別の人が現れたからといって別れられない。ただし弟妹型のように、相手次第でズルズルとは付き合わないし、別れた人に(筋として)再び声をかけられない。弟妹型はあわよくばという気持ちがある。(原理の長子と成り行きの弟妹)

政治家の長子型と弟妹型
弟妹型政治家と言えば、小泉純一郎、安倍晋三、鳩山邦夫
長子型は麻生太郎、福田康夫、小沢一郎(一人っ子?)
この例でも、弟妹型は好んで父兄の仕事の後追いをしている。
(長子型は責任として跡を継いでも、実は継ぎたくない)
福田康夫の無気力はいかにも長子のイヤイヤ総理だ。政治家にはなりたくなかったが、跡継ぎ責任として政治家になり、跡継ぎとしての総理職に義務的に就いた。(国民としては迷惑な話しだが)

麻生の場合は、むしろ政治家が跡継ぎからの脱出だから元気だ。リーダーシップはあるが、長子型は倒れるまで引けない。橋本龍太郎辞任時の表情は長子の断末魔の顔だ。
福田退陣は「主権」を守るために、自分で辞めることにこだわった。
麻生、橋本ともに、風貌態度にクセがあるが、福田にはないように見える。しかし、サラリーマン風を貫いたのも一つのクセだ。
長子型が個性的(KY)なのに対し、弟妹型は芝居がかっている。

麻生の失言は傍若無人の結果であり、同様に、福田の「せいぜいがんばって」もKY発言だ。(責任の重圧を知る長子としての気遣いなのだが)
一方、弟妹型の失言では、鳩山邦夫の「アルカイダ」は目立ちたがりの発言であり、死刑執行の「英断」も法務大臣「らしくしたい」の行動だ。

長子型は批判されても態度は改めないが、内心反省し懲りる。
弟妹型は批判されると、状況に即応し、「冗談、冗談」とごまかしたり逆ギレしたりする。表面はすぐ改めるが、内心は全く懲りない。
安倍晋三はヨレヨレの後でも、「何かありましたか」と出て来ている。
中間児型の小泉純一郎は、責任逃れの引け時を心得ている。