魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

屋敷の中 5

2008年09月19日 | 結婚コン

人間の交尾は、「愛」という、文化(価値観)の一体化で可能になる。
互いの文化が共存可能なら、子供を育てる環境が整うからだ。

しかしその前に、交尾による一体化も必要で、それが性の一致と言われるものなのだが、はたして性の一致とは何だろう。
性による満足や納得とは、アドレナリンやドーパミンの話ではない。

「愛」という文化の一致が無ければ、満足感は得られない。
どんなに興奮炸裂しても、満足しないこともあれば、何の成果も得られなくても納得することもある。
性的な興奮の後は誰でもしばらく体調が良くなり、気分は良くなる。
気分が良くなれば、不満にも耐えることができるから、互いの矛盾が解消したように錯覚する。だから、マメにしていれば、とりあえず夫婦円満の元と思われている。これはある種の麻薬効果だ。

しかし、マメだから価値観が変わるものでもない。確かに、麻薬効果で思考停止し、自分の価値観が失われていく場合もある。
その場合、逆に興奮度が低ければ麻薬効果が薄くなり、相互の文化のギャップが際立ち、つまり、アラが目に付き、溝は深まっていく。

この文化の不一致は、行為の最中に起こることもある。
人間の交尾は、性愛という知的同化を必要とするため、他の動物のように、交尾をゴールとして駆け引きが終了し、事後の子育ては必然的に行う、というわけではない。

人間の性愛の駆け引きとは、文化的な思い込みの確認だ。
様々なアプローチ、行為の過程で、「ちょっとちょっと、ちがうんじゃない」と思うのは、自分の持つ先入観が裏切られたと感じる時であり、逆に、全く同じ事を「こんなの初めて」と言う場合もある。

そういうギャップは、知力と知覚のすべてが織りなすマッチングの中にあるものだから、ケースで語るには無理があるし、語りはじめればまさに千夜一夜となるだろう。

オスの立場メスの立場
動物のメスが自ら交尾を求めないように、人間の場合も女の基本は「待ちと選択」にある。動物のオスは常に積極的だから、メスは地味に待っていれば良い。
ところが人間社会では、文化的規範があるので、男といえども見境無く働きかけるわけにはいかない。動物なら直接対決の勝ち負けで決まるが、人間の勝負は文化の中で多様な決着がある。
その複雑な文化的規範を乗り越えて、男が自分に言い寄ってくれなければ、女としては選ぶこともできない。
そこで、人間の女は動物のように地味に待っているわけにはいかず、男を刺激して働きかけさせようとする。それがオシャレの本質だ。

そうして誘惑しておきながらも、基本は「待ちと選択」だから、そう簡単には飛びつかない。よくよくにらんで良いDNAを得ようとする。
結局、動物と同じなのだが。これは、生理的にメスは子孫を残すチャンスが限られるからだろう。

また、一方で、人間の場合、女が男を追っかけ回すことがある。
(一応、ストーカーのような人格に起因するものは別として)
これは、「光源氏オットセイ現象」と言えばわかりやすいだろうか。

スターに憧れるのは、選良のDNAを残す方法として、経済的な心配さえなければ、「お種ちょうだい」のような衝動が働いている。
メスの卵子とオスの精子では、圧倒的にチャンスが違う。
「憧れ」は、本質的には経済保障の結婚願望はないのだが、夢のゴールとして一般的な「結婚」をイメージする場合はある。
では、憧れる選良のDNAとは何かという点では、何とも不思議な基準が多く、一概には言えない。

男にも追っかけがいるではないかと言われるかもしれない。それはそうだ。男は始めから追っかけが基本だから当然ではあるが、スターの追っかけはむしろ、オスの衝動より、ハチのような社会的な衝動が働いている。スターという追っかけられる存在を追っかけなければならない・・・という文化的思い込みからだろう。