魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

悩みの元

2008年09月14日 | 結婚コン

いろいろな悩みを聞いていると、大なり小なり、直接間接に、「結婚」が元凶になっている。
それは、生命の根源に関わることだから当然なのかもしれない。

生命の直接の目的は「子孫を残す」ことだ。
しかし、子孫を残さなければ存在理由がないわけではない。むしろ、そういう人こそ人類には貴重だ。
多様な人間、一人一人の違いが、人類の知としなやかさを支えている。他の生物のように、子供を産むこと(DNAの展開)だけが、人類の使命ではないようだ。

子供を残さなくても、人間社会の知的活動に参加することが、人類の子孫のDNAにやがて影響する。
人間社会も、生命や地球、果ては宇宙の変遷に関わっている。それが人類の究極の使命なのではなかろうか。

多様な結婚
生物としての「子孫を残す」方法として、従来の人間社会では「結婚」という方法がとられてきた。
結婚は、地域や集団の秩序を作り、同時に、秩序を守るためにそれぞれの方法がとられる。

子供を確実に育てるために必要な、「安全と経済」を確保する方法としての結婚は、その社会に従い、その社会に守られる。

父系>移動を基本とする遊牧民には、男女の確実な結び付き、互いに所有し合うことが優先され、男が女を守る形式の核家族になった。
母系>定住を基本とする農耕民は、男女の結び付きより、土地の所有権が優先され、親子の関係の明らかな女を軸とする族集団になった。

実際には、双方の文化が入り交じり、アジアでは男を軸とする族集団が主流になったのは、遊牧民が支配した影響だろう。
日本では、立て前は父系だが、本音には古いアジアの母系が流れている。

結婚の形式は、これでなければならないと言うものは無い。
要は、いかに子孫を残すかであり、社会や時代が変われば当然、変わってくるものだ。
しかし、ほとんどすべての人が、現在の形式にとらわれている。

今、一夫一妻は当たり前だと思われているが、遊牧民の宗教に基づくもので、一夫多妻もその変形であり、男が女を守る、所有するという男尊女卑と切っても切れないものだ。女は家畜と同じとみなされた。

経済が違う農耕文化では、生産、豊穣に価値があるので、土地と女は同一視され、女が子供を産み育てる環境が重視される。
土地権のある女のもとに通ってくる男と、気が合いうまく行くなら同居を始め、ともに暮らしていくことが定着し、これを結婚とする。うまく行かなければ子供を残して男は去り、別な男がやってくる。男は種馬に過ぎない。

一夫一婦制は、男が絶対的権力を持ち、女を所有する場合は成り立つが、男女対等では成り立たない。その証明が、アメリカの離再婚だ。
アメリカは男社会である分だけ、法律で女を保護するから、離婚が容易になる。
日本の場合、本質的に母系文化でありながら、常に立て前は父系だった。それが、江戸時代の三行半社会であり、今日の、できちゃった結婚→「里帰り離婚*」となっている。
*法律的には一夫一婦に従い、親の元で育てる母系文化の再来

これから
人類が子孫を残すには必ずしも結婚を必要としない。
文化破壊を前提とする略奪レイプにしても、DNAの視点から見れば充分に一つの方法であり、遊牧騎馬民族が走り回った地域には、実に多様な顔が混在している。
同様に多様な顔が混在する日本列島は、中央アジアなどと比べれば、神話などを見ても、かなり平和的な融合が行われたのだろうと思われる。

いずれにしても、重要なことは結婚ではなく、子孫を残していくことであり、経済と科学が発展し、文化と社会が変遷していく将来は当然、別の方法が必要になってくる。
現在はまさにその過渡期と言えるだろう。

このサブジェクト「結婚コン」では、従来の結婚を考え、将来どうあるべきかを考えるために、男と女の悩みと面白さを再考したい。

※なお、結婚コンのコンは、困、懇、金、恨、混・・・等、諸々の意