魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

屋敷の中 1

2008年09月15日 | 結婚コン

子供の頃、家にあった「婦人公論」を読んでいると、
「夫を許せない体験」のようなシリーズがあって、

家で、出入りの大工に犯されそうになっている最中に、大学教授の夫が帰ってきて、「きみきみ、やめたまえ」と物静かに言った。
ことは収まったが、その時の夫の態度が許せない。なぜ、相手の男に飛びかからないのか、自分に対する情熱がないからだ。
・・・
だいたい、そんな風なことが書いてあった。
これを読んで、小学生ながらに考えた。
今の言葉で言えば、
「何で?これって、逆ギレだろ!」

夫の目線で考えれば、
家に帰ってみると、妻が男ともみ合っている。
少なくとも屋外ではない。どういう理由にせよ玄関も開いており、家に押し入ったようでもない。顔見知りの人間だ。
となれば、何らかの、合意のもつれかも知れない。
男女が対等の権利を有するなら、妻は夫の所有物ではない。一個の人間たる妻が、何らかの意識を持って、こういう事態を招いているなら、必ずしも相手だけが悪いとは言い切れない。
しかしながら、自分はこの家の住人であり、家の秩序を乱すようなことには抗議できる。
そこで、事態が解らない以上、とりあえず「やめろ」と言った。
・・・
そういうことじゃないの? 何を怒っているのか解らない。
と、小学生は思った。

この設定は、様々な要因が絡んでいるので、読んで以来、ほとんど永遠のテーマになった。
ところで、ことわるまでもなく、婦人雑誌のこういう告白シリーズは、当時としては、現代の女性ポルノマンガに近い扇情記事だった。
だから、多少なりともネタがあるのか、全くの創作かはわからない。
とりあえずは、実在する主婦が事実にそって書いたと仮定する。

この話の奥の深さは
「藪の中」的な心理の面白さ。
人権、結婚、愛情、性欲、感性、知力・・・そういった諸々が複雑に絡み合っていることだ。

その後の理解
どこまでが事実か
こういう一方的な話は、常に逆を想定して、比較しながら聞く必要がある。誰の話にせよ、人の話とは常にそういうものだ。

「犯されそうになった」とはどういうことか。
まず状況的に、男を断固拒否するつもりなら、初めから、何事も込み入った話は「主人に聞かなければよく分かりません」と距離を置いておく。お茶を出して話し相手をしても、話に乗って自分の意見を言わない。「そうですか、大変ですね、よく分かりません」など相づちだけで充分だ。「へえー、どんなの、ですか」などと興味を示さない。
もちろん、できることなら、お茶は人目につくところで出す。
「ここに置いておきます」で、特に相手にする必要もない。
この逆をやれば、男は『お、もしかしたら脈がある』と思う。

セールスマンを上げて、お茶やお菓子を出す主婦が意外に多い。
どう言うつもりであれ、フツーの男なら臨戦態勢にはいる。
家庭訪問の先生でもいろいろと起こるのだから、なりふり信用を気にしない職業なら、銃を構えて飛び込んだコマンド隊員だ。瞬時に発射する。

昔から、家に上がり込む職業で、「間違い」が起こるのは、
家庭教師、職人、銀行員、個人レッスン、営業マン・・・が代表だろうか。職人は大工や植木屋で、銀行員は得意先回りの行員。営業マンは江戸時代なら、小間物屋と言ったところだが、戦後は、デモ指導するミシンのセールスマンなどがあった。さらに、信じられないような本当の話ではコンドームのセールスマン、実演付き。

少し、脱線すると、
昔、30代の頃、家に40ぐらいのオバハンが入ってくるなり、
「あの、恥ずかしいので閉めますね」と言いながら、後ろ手に戸を閉め、コンドームの営業だと言いながらモノを広げ始めた。
爆笑したいぐらい可笑しいのをこらえながら、帰ってもらった。
後で、どういう営業トークをやるのか聞いてみれば良かった、と思ったが、君子危うきに近寄らず、である。