転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



自分的StayHomeをするつもりが、世の中がそうなっていないので
なかなか忙しく、きょうは出ずっぱりになってしまった(汗)。
田舎で行き来しているぶんには、そう危険ということはなさそうではあるが。

午後から地元神社の夏祭り&総代会令和2年度総会があるというので、
それなら午前中に両親の顔でも見るかと、オンライン面会を申し込んだ。
ふたりとも笑顔で機嫌よくしており、私が土蔵で発見した昔のアルバムのことなど
古い話題を振ると、喜んで昔話をしたりした。
次は古いアルバムを持って行ってやろうと思った。
私が帰ったあとも、写真を見ながらふたりで共通の昔話でもすれば、
思い出がいろいろと蘇って、楽しいのではないだろうか。
ちなみに母のほうは、こうしてホームで暮らしていると、もう、
もとの家がどういう間取りだったかよく思い出せない、とのことだったが、
父は、「そんなこたぁない、全部、覚えとる」と言っていた。
やはり、両親が存命の間は、家を大々的にいじることは良くないな。
特に父にとっては、生まれたときからあった家をなくすことになってしまうから。

それからタクシーで実家に向かい、雨漏りの箇所の洗面器を掃除して
明日以降の雨のために再度、セットし、タオルを周囲に敷いて、
前回使ったタオルは洗濯し、浴室に干した。
浴室乾燥の設備もあるようだったのでやってみたが、
我が家のマンションのものほどパワフルでなく、
1時間ほど温風をあてたあとはもう、自然乾燥させることにして
そのまま置いてきた。

最近は、各所に私の手が入るようになって両親宅がかなり片付き、
徐々に実家が居心地よく整ってきたのを感じて、嬉しく思った。
縁側と座敷も先日、プロの者さんを頼んで清掃して戴いたので、
空気が清浄になり、明るくなった気さえした。
祖霊舎に詣ると、柏手の響きもかつてなく冴え冴えとしていた。ように思った(笑)。
いずれは、玄関からまっすぐ数部屋だけリフォームするのでも良いかもしれない。
母屋は将来的には解体するという前提で、当分は残しておくことにして。

午後からは、神社で夏祭りと総代会の総会があった
(神社に向かうのに実家を出るとき、Roombaを稼働させてきた。
10畳のダイニングキッチンだけなら、この子の電池でも掃除完了できるとわかった)。
夏祭りと言っても、一般の参拝は例年、ないに等しく、
総代会の面々が参列して、宮司さんによる神事があるだけだ。
大祓・夏祭祝詞・新型コロナウイルス感染症早期収束祈願、
の三種類の祝詞が奏上された。

そのあとの総代会は、会計報告と、秋の例祭をどうするかの話し合い。
例祭も神事はかわりなく行われるのだが、問題は余興で、
神楽・神輿・餅まき、などはいずれも境内が「密」になる可能性が極めて高く、
また、酒も入るのでマスク着用や手指消毒などの徹底も困難と思われ、
今年の秋は「余興は中止」と、満場一致で決まった。
広島限定では、これまでのところ市中感染頻発でコントロール不能、
という状態にまでなったことはなく、ましてや僻地の秋祭ともなれば、
強行することも不可能ではなさそうだったが、
田舎とはいえ、近年は参拝客も増え、良い雰囲気でやって来ているので、
「この流れをクラスター発生などという事件で損なってしまうのはイヤだ」
「万が一かもしれないが、何かあったとき神社として責任のとりようがない」
等々と総代会の主立ったメンバーが発言し、私もその通りだと思った。
神事そのものは何も省略はなく、事前に幟立てもするし、
前夜祭・例祭ともに、笛太鼓の奏楽もありで例年どおり行い、
巫女舞も出て貰い、大祭として挙行することを確認した。

ニュースを見ていると、今、全国でCOVID-19が再度拡大中なので、
総代会としても警戒厳重で、皆がマスク着用し、
戸や窓はすべて開け放って換気しながらの会議だった。
そして、いつもはこの総代会の総会のあとは、仕出し弁当を取っての宴会なのだが、
昨日はそれも省略で、お下がりのお酒から好みの銘柄のを各自持ち帰り、となった。
私はアルコールは受け付けないし、主人も日本酒は飲まないので、うちは辞退(^_^;。

……今年の祭は、余興が全部ないならこんなメに遭うこともなく
早く帰れて、夢みたいや、ラクで最高やん、
と大きな声では言えないことを思った、わたし(逃)。

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「Go Toトラベル」 今月22日からスタート(TBSニュース)
『新型コロナウィルス対策の観光消費喚起策「Go Toトラベル」について、赤羽国土交通大臣は10日朝の会見で、キャンペーンの開始を今月22日とすることを発表しました。』『このキャンペーンは、国内旅行を対象に旅行代金の割引と旅行先で使えるクーポン券の配布をあわせ、最大半額相当を国が負担するものですが、クーポンの作成は偽造防止などに時間がかかることから、まずは先行的に旅行代金の割引のみから始めるということです。』

*go to travel などとは違和感が凄すぎて耐えがたいのだが、
「旅行に行く」ならgo on a tripかtravel単独でないと、ヘンなのでは??
これと並行して、飲食業支援のためのクーポン券が配布されるという、
もうとつのキャンペーンの名称はgo to eatというそうで、
こっちは文法的には誤っていないが、普通はgo eatで良いのでは(大汗)。
名称として揃えたいなら、せめて、
go travelキャンペーン、go eatキャンペーンであってくれたら良かったのにorz
それとも、「Go To」とこんなに堂々と書かれているところをみると、
何か私が間違っているのか?

しかし!そんなことより、今やはり問題なのは、
首都圏でCOVID-19の感染が急拡大している最中に、
みんなでどんどん楽しい旅行に出ましょう、という方向性のほうだ。
世界じゅうで1200万人が感染し55万人が死んでいるのを尻目に、
欧米では大規模デモが繰り返され、暴動が頻発し、ビーチが賑わい、
日本では前倒しでキャンペーンを張ってまで大移動を推奨。
感染症が世界的に流行している時期には、
なるべく出歩かず集まらず、手洗いに励み、外ではマスクを着用し、3密を避ける、
というのが予防の基本ではなかったのか。

医療従事者の方々のメンタルは、こんな流れで大丈夫なのだろうか。
どう考えても、旅行が増えればそれだけ患者も増えると私は思うのだが。
それとも、今そのようなことを疑問に思う私のほうが、既に頭が狂っているのか。
コロナにさえ罹らなければ、観光業その他の産業は滅びるに任せてもよい、
とは私とて思っていないが、それを考えるには、まず東京の感染拡大を
ある程度制御してからではないのか。順序がおかしくないか?
コロナを恐れるあまり思考停止した状態を「コロナ脳」という。
コロナに支配された狂人は、むしろ私のほうなのか。
私のコロナ脳では、もう英語も何が正しいのか、わからなくなったようだし(汗)。
とりあえず私が自分の判断でできることは、家に引っ込んでいることのみ。

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実家の縁側のカメムシ一掃の日だったので、朝から行った。
全国各地からCOVID-19が出るようになったので、もう最初からタクシー往復。
ダス○ンさんに来て戴いて、縁側の清掃と、床下のシロアリ診断をして戴いた。
縁側から座敷にかけては、カメムシを取り除きバキュームをかけて貰って、
それはもう、見違えるように綺麗になった。有り難いことだった。
縁側の徹底的な清掃なんて何十年ぶりか。

 

その作業を待っている間に私もあちこち掃除したり片付けたりした。
洗濯機の前から、意味不明なガラクタの乗ったワゴンをどけて、
ランドリーラックから山ほどの箱や籠、様々な種類の布類を下ろし、
それから、洗面台の横のチェストを開けて、「うへ~~…」と脱力した。
そこには、使いかけの洗濯洗剤やスプレー、洗顔料、固形石けん、
シャンプー、リンス、景品?の小分け粉末洗剤、等々が、
うんざりするほど詰め込まれていたからだ。
これこそ、片付かない暮らし方の典型的な光景ではなかろうか。

一見すると、まあまあきちんと収納しては、あるのだ。
しかしどれもこれも開封済みで、途中まで使った品々だ。
なぜ、これらがことごとく使いかけのままなのか知らないが、
何が何本あったか、当人たちに把握できなくなっていたことは明白だ。
「でもまだ使える」「いつかまた使うかも」と思ったのだろうか。
多分、ここに十分なスペースがあり、なんとなくぴったり埋まったので
両親はそのことで気分的に一区切りついてしまい、
以後、ここを触らなくなっていたのだろう。それから何年?何十年?

洗剤なんて、今使用中のもの以外に予備がもう一本あれば、
或いは詰め替え用の袋入りのがあれば、
もうそれ以外に何も要らないではないか。
洗顔料だってどうして何種類もあるのだ。
一体、顔の洗い方が何通りあるというのかっっっ。
開けてみて気に入らなかったのなら、
あるいは何かのきっかけで他のものを使い始めたのなら、
前のは見切りをつけて、捨てとけよ(--#)。
勿体ない?では何種類も順番に使い切る計画があったか?
捨てずに、品質劣化するまで観察しながらとっておくのが供養になるとでも??
固形石けんについては、もらい物などで多少だぶつくのは理解できるが、
それにしても洗面台の下や抽斗に入りきらない量になっているのに、
始末もつけず、ただ保管していて、この先どうなると思っていたのだろう。

この、ごちゃごちゃの洗剤類は、つまるところ皆、廃棄すべきものだ。
とっておいても、全く、なんの意味もない。
不潔で片付かない、という害だけだ。
だいたい、入れる場所があるからこんなに訳のわからないものが増えるのだ。
このチェスト自体、捨ててしまえ!と私は噴火した。
こんな不要な収納家具があるから、その背後にまたゴミや埃がたまるのだ。
「デッドスペース利用」とか「隙間収納」などという考え方に
私は元々、好意を持っていない。
そんなものを買ったり設置したりするより、今ある収納だけでおさまるように
持っているもののほうを捨てて量を減らせないかを、先に検討すべきだと思う。
そして、一旦捨てたら深く反省して、二度とよけいなものを買わないことだ。
まだ使えたかもしれないものを大量に捨てることについてぐずぐず思うより、
そんなに処分せねばならない買い方をしたことのほうを、反省すべきだ。

ちなみにチェストの上の段には、父の肌着が入っていた。
父の部屋にも肌着を入れる箪笥があるというのに、
なぜあちこちに、似たような肌着を置いているのかと呆れた。
いや、想像はつく。以前、ここは脱衣場も兼ねたスペースだったので、
入浴後にすぐ着るために、この場所に肌着を収納していたのだ。
父の部屋の方は、もっと高齢になってから、入浴が億劫になったために、
寝る前にすぐ着替えられるようにと考えて、
ほかの部屋で余っていた箪笥を持ってきて設置したのだろう。
何しろこの家には、箪笥なんて何棹も何棹も、シぬほどあるのだから(--#)。
そしてそのときは、脱衣場の肌着を引き揚げてくるのは面倒だったから
放置したのだ。多分。

抽斗の中の洗剤や洗顔料がなくても何も困らないことがわかった時点で、
抽斗の中身はすべて捨てるべきだった。
脱衣場で着替えをしなくなったのなら、もとの肌着や収納家具は処分すべきだった。
そんなもの、終活でもなんでもなく、極めて日常的な整頓ではないか。
時間がなかったという言い訳はできない筈だ。
父が60歳で定年になってからでも、完全に老いるまで、20年はあった。
我が両親は性格的に、あれもこれも、ことごとく、捨てられず、
そこへおあつらえ向きに、古い一軒家がひたすら広かったために、
家じゅう、ここまで汚くなり、収拾が付かなくなったのだ、と私は改めて理解した。
そして、今、これほど辛辣に両親の暮らし方を批判する私が、
いつか、自分も家を汚すようになったら、そのときこそ
私は救い難く老いぼれたのであり、もう、自立した生活は無理、
ということだなと思った。

******************

ときに、床下シロアリ診断をして戴いたところ、予想どおり、
母屋のほうはシロアリの蟻道みたいなものがあちこちにあり、
木部はかなり食われた跡があることがわかった。
ただ、シロアリ本体は見つからなかったので、
今は虫は居なくて、以前、荒らされた跡が残っているだけかもしれなかった。
費用は作業面積に準じるとのことで、とりあえず、古すぎる母屋は見捨てることにし、
ほかの、特に新しい部分に累が及ばないように、
玄関から増改築部分にかけてのみ、シロアリ駆除と予防薬散布をして戴くことにした。
見積もりでは、15万円ほどで高かったが(汗)、5年間有効とのことで、
1年3万円、……これはさすがに、父に出させようと思った。
この件については、また後日。

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私の実家は神社神道であり、しかも地元神社へのご奉仕という意味では
先祖から少なくともこれまで11代に渡って務めてきた家の役割があり、
私は日頃はその「村の神社」の話ばかり、ここで書いている訳だが、
実は婚家は普通の、というよりかなり熱心な、安芸門徒(浄土真宗)である。
舅も姑も、そして主人も、仏様をとても大切にして来たことを私は感じている。
それゆえに、舅宅の仏壇をマンションに移動させる段取りについて
私はこのところ自分なりに腐心しているのだ。

更に、舅宅には、お仏壇のご本尊以外にも、何体も仏像があり、
結構な大きさの立像も含まれている。
それらも仏壇と同時に、我が家の和室に安置しようと私は考えている。
そう思って改めて検索してみたら、「インテリア仏像」というジャンルが
既に定着しつつあることがわかった。
若い女性に阿修羅王のファンが多いことは私でも知っていたが、
様々な仏像を敬愛し、自分の守護のシンボルとして部屋に置く、
という人たちが、世の中には少なからず存在しており、
そうした仏像を専門に扱うお店もあるのだった。

見たら絶対欲しくなる、インテリア仏像の世界(Daily Portal)

私はその方面の知識は全く無いに等しいのだが、
舅宅には座像も立像もいくつかあり、鋳造象も木像もあるので、
和室の壁一面を使ってなんらかのレイアウトを考え、
これらの仏像を飾るようにしてみたいと思っている。
更に、かつて官舎に始まりマンションに来てからも、ずっと、
御飯をお供えしては「まんまん」していた、小さい仏像もあるのだ。
仏壇が来たら、この小さいほうもまた「インテリア仏像」になるのだな。

……まさに、神仏習合を地で行く生活(爆)。

  

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オスカー女優ハル・ベリー、批判を受けトランスジェンダー役を降板(ねとらぼ)
『ハルは生まれたときに割り当てられた身体的な性別と、自分で認識している性別が一致している「シスジェンダーの女性」として、「自分はこの役を引き受けるべきでなかった」と謝罪。この役は実生活でもトランスジェンダーの俳優が「自分のストーリーを世の中へ伝えるために生かすべき機会」だと述べ、寄せられた厳しい意見にも感謝。今後は勉強を心掛け、またマイノリティーの支援者として公私にわたって自分の発信力を生かしたいと表明しました。』

私は自分自身が演じる側にまわったことはなく、
もっぱら、舞台を観るためにお金を払う側だけをやってきたが、
こういう話には全く共感できない。
本人の属性など、本来的には役に関係がないと思っている。

仮に、同じような力量や魅力を持つ俳優が二人いたとして、
トランスジェンダー役をやるのに、実生活でもトランスジェンダーの役者のほうが、
より観客の心に迫る演技ができるのではないか、という判断で、
トランスジェンダー役者が最後に選ばれた、という話であれば私は頭から否定はしない。
或いは、トランスジェンダー役者が、『自分のストーリーを世の中へ伝える』ことが
自分だからこそできる、と主張するなら、それはその通りだろうとも思う。

しかし『性的少数者のキャラクターを、ストレートの男性や女性が演じること』そのものに
問題があるとは、私は思わない。
本人の身体的な性別や自覚的な性別の問題は一切伏せた状態で、
役者としての資質のみを決め手に、キャスティングをして貰いたいと私は思っている。
他のあらゆることを敢えて捨象して言うならば、トランスジェンダー役は、
下手なトランスジェンダー俳優が演じるよりも、
巧いシスジェンダー役者に演って貰いたい、
というのが私の感覚だ。
この記事のような話に従うなら、逆に性的マイノリティの俳優は、
ストレートの男性・女性の役を、引き受けるべきではないということになるのかね?

舞台上で表現されるものが、観る側の心に
なんらかの影響を及ぼすところが、芝居の力であり素晴らしさだ。
実物通りに、リアルであるのが「巧い」ということではない。
観る側に「そうか!そうなのか!」と深い納得を与えられるなら、
たとえ舞台上のものが現実と掛け離れた表現をしていてさえも、いっこうに問題ではない。
駆け抜ける演技をするのに、必ずしも実測として速いタイムで走る必要はないのだ。
まさに疾走しているという手応えや迫力を観客に感じさせるかどうか、のほうが大切だ。

舞台で実現されているものが、演者が本当はどういう人間かという前提に
最初から左右されるとしたら、随分とお粗末な話だと、一観客としての私は思う。
私は、そんなもので夢は見られない。
もっと、何もかもを、忘れさせてくれなくては!
そもそも、東洋人の女性ばかりで男の格好をしたり西洋のドレスを着たりして
日本語で「ジェロ―デルさん」「ソフィアさん」とやっている宝塚歌劇なんて
それじゃ一体どうしたら良いのか。


後日記:こちらの記事には、今回の件の背景についてもう少し詳しく出ていた。
ハル・ベリー、トランスジェンダー男性役を「女性」と表現して批判殺到。謝罪、役の降板も発表(HUFFPOST)
『動画が配信されると、ベリーが「トランスジェンダーの女性」「女性の物語」と発言していたことについて批判が殺到。』『性自認が「男性」の役であるにも関わらず、「She」や「Her」(彼女)という女性を表す代名詞を使っていることに、「トランスジェンダー男性は『男性』で、誤った認識をしている」と指摘する声が相次いだ。』『こうした批判の背景には、トランスジェンダーの俳優に、シスジェンダーの俳優と同等のキャスティングのチャンスが与えられていない、という問題がある。』

ハル・ベリー自身の役の捉え方に問題があったということと、
トランスジェンダーゆえに不公平な扱いを受けている俳優たちが居るということ、
こうした事情が、今回の降板騒動の背景にあったということだ。
役の解釈は役者本人の問題だし、
才能ある役者がトランスジェンダーだというだけで仕事ができないなら、
それは社会的に解決されなければならないことだと思う。
しかし観る側としての私の望みは、芝居を観て手応えを得たい、という点に尽きる。
役者の個人的プロフィールに私は一切、関心がない。
「役の設定と同じことを経験したことのある役者のほうが、
そうでない役者より本物なのだから、巧いに決まっており作品のためになる」
とは私は思わない。

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朝から大雨警報が出ていたのだが、
午前中は神社の用事があったので仕方なく実家へ行った。
先日来、実家の洗面所の床が濡れていて、
雨漏りだろうと思っていたが、きょうはまさにその現場を見ることができた。
天井の継ぎ目から主に2カ所、てんてんと雨漏りのする場所があり、
その真下の床が朝9時の段階で相当びしょぬれになっていたので、
とりあえず雑巾で拭いたあと、雨水を受けるように洗面器を置いた。
大きい洗面器から、「ぽん」という低めの音が約10秒に一度、
小さい片手桶からは、「ぴん」という高めの音が約30秒に一度響いていたが、
きょうのところはそれ以上どうしようもないので、そのままにして来た。

昼からは舅宅に仏壇屋さんが来られることになっていた。
実家から舅宅へは、もともと直通の公共交通機関は無く、
一旦、市街地に戻って佐伯区方面のバスに乗り直すしかないのだが、
きょうは大雨だったので、とてもそのような回り道を成し遂げる気力はなく、
計画の初期段階からすべてを諦め、前夜のうちにタクシーを予約してあった。
予約でなければ、実家みたいな田舎にもなると、
タクシーはなかなか来て貰えないのだ。こんな大雨ならばなおのこと。
行ってみると、舅宅方面もやはり雨がひどいのは同じだったが、
ここはさすがに雨漏りはしていなかった。
仏壇屋さんは、約束どおりの時間に来られて、舅宅の仏壇を採寸し、
うちのマンションの押し入れを仏間にリフォームする段取りをされ、
これから大工さんと打ち合わせして見積もりをして下さることになった。

終わって、大雨の中を中区まで帰る勇気も元気もなかったので、
またしてもタクシーを呼び、……舅宅は普通程度に街なので
地元のタクシーさんがすぐに来て下さり、助かったが、
……それに乗って、中区のマンションにそのまままっすぐ帰った。
帰宅してネットで大雨警戒情報を見たら、
実家界隈は河川の氾濫の危険性が高まっており、また、
舅宅の北側にあたる場所は土砂災害の恐れがあると表示されており、
いずれも避難勧告が出ていた。
中区も朝から大雨洪水警報は変わって居らず、相変わらず激しく降っているが、
マンションの我が家は、高層階ではないが2階以下でもないので、
垂直避難という原則に従い「高いところに居る」という意味では、
私は今、とりあえず身の安全は確保した、と言えるだろう。
この大雨で、実家と舅宅が流れないことを祈るのみ(大汗)。


後日記:7月9日の朝行ったら、こう↓なっていた。
とりあえず、溢れてはいなかった。


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私が案内状を作成した隣村の神社の夏祭りがあったので、
朝から手伝いに行った。
それに先だって、秋の例祭を今年はどうするかについて、総代会があった。
皆さん多少迷われていたが、コロナが怖いという点では一致していたので、
「今年は日曜昼の例祭の神事のみ。余興すべてと、土曜の前夜祭は、無し」
と最終的に決まった。
私はここの地元民ではないので、議決権もなく、単なる傍観者だったのだが、
妥当な線で落ち着いたのではないかと感じた。
この決定は、大なり小なり、うちの村にも影響を与えることであろう。

******************

午後からは実家に行き、天気がもっていたので家の片付けをした。
30年ぶりくらいに入る「丸窓の物置」が中庭の奥のほうにあり、
土蔵同様、床が抜けそうで恐る恐る立ち入ってみたのだが、
中にあったのは活け花用の花器や花瓶類だったので、
ここはもう、ひとつひとつ見なくてもいずれ廃棄処分にして良いな、と感じた。
昔、ここには私が小学生時代に可愛がっていたぬいぐるみと、
リカちゃん人形が入っていた記憶があったのだが、それらは影も形もなく、
さすがにどこかの段階でゴミに出されたのかな、と思った。

もっと昔は、ここは倉庫だけでなく、その先に、
いわゆる「ぼっとんトイレ」と男子用くみ取り式トイレがあった。
昔は、雪が積もるような季節にも、トイレのために外に出ていたのだ。
都会のマンション暮らしのアタクシには、二度とあんな野蛮な生活はできない、
と「元トイレ」だったあたりを眺めながら、思った。

……という、実家の昔話を、帰宅してからしていたら、主人が、
「わし、あんたの家で行ったことない場所が未だにいっぱいあるよ。
全体の間取りがどうなっとるのかとか、全然わからんもん。
ていうか、わしが知っとるのは、玄関と、ガレージの横の食堂と、
お父さんの寝室あたりだけじゃと思うよ」
と言った。
そうだろうな。いいんだよ、あんなボロ家の全貌なんか、知らなくても。
街っ子には、本物の田舎家の、真の恐ろしさなど、一生、わからんのだよ。
ふぉっ、ふぉっ、ふぉっっ。

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5月の終わりに、左下7番の歯の外側歯茎の腫れに気づき、
6月5日に歯科受診してフロモックス4日分を貰い、
腫れはひいてきたものの、完治しなかったので、
6月19日に再度受診したら、小さく切開され、
今度はタリビット4日分が出された。先生は
「膿はほんの少し残っていただけでした。これでなおってきますよ」
と簡単に仰っていたし、事実、そこまででかなり改善したのだが、
そこから、どうも完全になおらない感じが、いまだに残っている。
一時期かなりよくなっていたのを、気にして幾度も舌で触ったのが悪かったのか、
一点、赤い傷ができていて、その周囲が小さくぷっくりしている。

日常、何も困っていないし、最初から見ると改善しているのだが、
なんともない右側と比較すると、完治していないように思われる。
しこり等はなく、指で圧迫すると膨らんだ部分が平らになる、が、
こうやって触ったりするからいけないのだよな(汗)。
主人がいつぞや、フィステルみたいなものができて治療して、
長く瘢痕が残っていたが、気にしていないうちになおっていたのを思うと、
私は小さな変化でも結構、その後どうなったかと意識してしまうほうで、
それがまた、よろしくないのではという気がする。
しばらく触れないように気を付けたうえで、
いずれ受診してみようと思っている(汗)。

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先月終わりに壊れたオートロックを、今日、ついに交換して貰った。
メーカーに問合せ、製品パンフレットを送付して貰い、型番を決めて
注文して、届いて、取り付けに来て貰うまで、ちょうど2週間。
毎日毎日、出入りのたびに鞄から鍵を取り出して開け閉めして
長々と不自由を忍んだが、ついに、交換が相成った。
動作は快適、電池ボックスの開閉も改善されていてスムーズ。
古い型番のものよりスレンダーで、洗練されたデザイン。

……なのだが、そのせいで、玄関ドアの塗装のない部分が
8ミリほど、白日の下にさらされることになってしまった。
実は我が家の玄関ドアは、過去13年の間にいろいろなものをぶつけ、
あちこち傷やへこみができたので、昨年夏に全面塗装をして貰ったのだ。
そのとき、もとの色や光沢と全く同じ塗料は用意できないとのことで、
若干、濃いめの色合いに塗って貰った。
それ自体は、玄関インテリアの雰囲気にもよく合っていて、
私は塗り直しをして貰ったことを大変喜んでいたのだが、
なんと、新しいオートロックのサイズが異なるなどという事態があろうとは、
今日の今日まで、予想もしていなかった。
塗装をし直す前は、こんな色合いだったんですねぇ。

8ミリくらいのことは我慢して出来ない訳ではないのだが、
玄関ドアは、出るに入るに必ず目につくものだし、私の性格上、
やはりこれは毎日のように、同じことを気にしてしまうだろう。
そう思ったので、昨年塗装して下さった業者さんに、さきほどメールを出した。
この足りない8ミリのところだけを塗り足して戴くことが可能なら良いのだが。
広い範囲で塗る話になると、それだけ費用も時間もかかるだろう。
特別給付金がまだ残っているので、これの支払いに充てるかorz
近日中に、見積もりが来る予定(汗)。

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三日前、突然に浴室照明の具合が悪くなった。
蛍光管の両端が明るくなるだけで、そこからちゃんと点灯しなくなったのだ。
この照明は入居したとき既に設定されていたもので、私の趣味は入っていない。
「お高いんでしょ?」という間接照明風で、デザイン性は一応評価しているのだが、
もし私が選ぶとしたら、交換の簡単な壁直付型にしていただろうと思う。
どんなデザインの照明でも、この横長の蛍光管は、取り替えに少々コツが必要で、
私は常日頃から、あまり良いと思っていないのだ。

幸い、昨今は時間に余裕があるので、取説を丁寧に読んでから、
蛍光灯の新しいのを出してきて交換してみたが、状態は変わらず、
こうなると問題はグローランプのほうだろう、と思われた。
浴室照明は入居以来、壊れたことがなく、グローのことなど
日頃は存在すら忘れていたのだが、考えてみたら寿命かもしれなかった。
残念なことに、グロー球の予備は我が家には置いていなかった。
グロー球にも種類がいろいろあるので、外してみたところ、
ここのはP型で、しかもNationalと書いてあった。なんとも、古い……。

それでグロー球を購入し、改めてすべてを交換してみたら、
ありがたいことに浴室照明は蘇り、何事もなかったように点灯した。
灯具本体の故障ではなかったのだ。助かった。
今のところ、浴室全面リフォームをすぐにやるつもりは無いので、
もうしばらくはこのままモっていて欲しい。
蛍光灯とグロー球の換えは置いとくから、あと何年かは頑張ってね(^_^;?

ときに、この一連の交換作業のためには、シャワー手前のカウンターに上がり、
天井に近い位置にある灯具を触らなければならなかったのだが、
見ると、灯具本体にも部品交換の仕方を書いたものが貼り付けられていた。
しかし、なんと、これが上下さかさまに貼られているのであった。
床側から見上げたのでは、文字も何もかも逆になってしまい、
天井側から見下ろすかたちで読まないと、何が書いてあるのかわからない、という(汗)。
ヤモリかて、天井から仰け反って読んだら、首がこむら返り起こすで(--#)。
ったく、つくった人間に誠意が無いったら(--#)。
 

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