転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



思うように自粛生活ができないまま、7月も後半戦だ。
世間様が本格的に動き始めた6月後半から私も忙しくなってきて、
なんと、この19日(日)20日(日)は、私が今月初めて得た連休となった。
尤もそれは、自分の考えで予定を入れた実家のメンテもあったので、
今年の冬までやっていたように、仕事が次から次へと!という状態とは
少し違ってはいたのだが、コロナ禍の最中、やはり不本意ではあった。
この後、21日(火)と22日(水)は、発熱した同僚の代打で会社に出なくてはならず、
結構これがまた、朝から晩までの予定になっていて嬉しくないのだが、
23日(木・祝)以降の連休からは、なんとかして、
ゆったりとしたStayHomeの日々に戻りたい、と願っている。

(余談だが、同僚の発熱のことを知ったのは先週後半だったが、
今に至るも「コロナ」であるとは聞いていない。ただの風邪か何かなのだろう。
しかしうちの会社では、目下、発熱を認めた場合は理由の如何を問わず、
解熱後8日を経過するまで、出社してはいけないことになっている。
仮にPCR検査して陰性まで行ったとしても偽陰性の可能性は残っており、
安全とは言い難いのだから、会社の慎重な方針に私は賛意を表する。)

……などと休みたい話をしつつも、私は実は、
神社の裏山の件が気になって仕方が無い。
自分が「道」だとしか思っていなかった場所が「川」になりかかっていて、
一体それは、上のほうのどこから来ているのか、上ではどうなっているのかと
寝ても覚めても、……と言えば大袈裟ではあるが、気に掛かっている。
昨日も神社に御朱印と御守りを受けに来られる方があったので、
留守番がてら行ったのだが、雨が2日間降らなかったら「川」も消えたか、
と思って裏のほうを眺めて見たら、全然変わらずに「川」が流れていた。
どうやらこれは、大雨で溜まった水が上から降りてきているだけではなく、
上のほうのどこか、元は小川か何かだった場所の一部が決壊して、
水路そのものが変わってしまったということではないのだろうか。

私は、見に上がってみたいという思いを、おさえきれずにいる。
この季節、マダニも蜂も怖いから、長靴長ズボン、長袖ウインドブレーカー、帽子、
という重装備を整えてからの話にはなるが、
ちょっと裏山に登ってみたいと、先日来妄想している。
しかしおそらく私は、自分の頭で思っているより既に体が鈍くなっているはずだ。
小学生の頃の感覚のまま、すいすいと上れる前提で考えているが、
実際にはあのケモノ道さながらの山を、56歳の私に上れるだろうか。

ひとりで行って遭難したら、えらいことになるから、
誰か一緒に行ってくれないだろうか。
骨の髄まで街っ子の主人は、こういうとき全く戦力にならないし、
総代会の面々は私よりどうかすると二十近く年上なので、マズいだろう(汗)。
宮司さんも高齢、町内会長さんはかねてから体調がお悪いと聞いているし、
昔の同級生、近所の顔なじみ、……うぅむ、皆さん唐突過ぎて、ちょっと。
実家でお世話になっている植木屋さんは、どうだろうか。
トシとった両親が、以前、墓への道の掃除を頼んだことがあった筈だ。

これは、山の上のほうの様子が知りたいという私の好奇心が第一ではあるが、
同時に、神社に将来的な影響はないかどうかを心配しているためでもある。
今までと違う場所に水が流れるというのは重大な変化だろう。
流れる水の働きで地形ができる、って小学校の理科で習ったではないか。
場合によっては、市のほうに相談する必要さえ、出て来るのでは。

一考を要する。


追記:とにもかくにも総代長に電話で報告した。
総代長は副総代長に連絡したあと、改めて電話をくださり、
来週、総代会の主立った面々で集まるときに皆で神社の裏をまずは見てみよう、
と言ってくださった。
話はそれからだな。

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