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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「マイナンバー通知カード」が今月廃止予定 既発行の通知カードは引き続き使用可能。
ただし、変更や再交付不可に~変更がある人は、廃止前に変更手続きするよう注意喚起
(ネタとぴ)

こんな話↑はきょう初めて知ったのだが、本当のことなのだろうね?
私がこの記事を読んだのは、午後にTwitterを眺めていて、
たまたま、「マジかよ!?」と言ってリンクを貼っているtweetに出会ったからだ。
それで一次情報に当たろうと思い、総務省のサイトに行ってみたが、
これに関する記載が全く出ていないし、広島市のサイトにも無かった。
少なくとも、私の現在の検索能力では該当の記述に巡り会えなかった。
総務省はこの件を、いつ、どういうかたちで発表をしたのだろうか。

記事中にある千代田区のtweetの『お知らせ』は2020年4月14日付けなのだが、
その頃既にTVニュースはコロナ一色だったし、
Twitterでも私のフォロー関係でこの話をしている人はきょうまで居なくて、
今夜、主人にも尋ねてみたが、「何それ」という返答だった。
2020年5月25日(月)に廃止というのが本当なら、あと二週間ほどしかないが、
総務省も広報に努めない・テレビでも言っていない・(広島)市も触れていない、
……いい加減過ぎませんか??

上にリンクした記事に出ているのは、通知カードの廃止に伴って
「この機会にマイナンバーカードを取得しましょう」
という方向の話で、その申請の仕方についての記述は具体的で良かったのだが、
それにしても今は、給付金の件で各自治体の窓口は大混雑なのに、
こういう時期に合わせてマイナンバーカードの取得を勧めるとは、これ如何に。
初めて申請する人たちが、ドっと押し寄せて来ても良いものなのだろうか。
混雑で更に「密」になってコロナがウツりませんか。
前々から決まっていたことなら、総務省は、これこそ延期すべきなのでは。
なんでわざわざ、今やらせる?さすがに不要不急の部類じゃね(^_^;?

ちなみに私はマイナンバーカードは作っていない。
イデオロギー的に強固な何かがあった訳ではないのだが、
当初、マイナンバーカード取得は推奨ではあっても必須ではなく、
私は何しろ多忙なので、そんなどうでもいい話に付き合っていられなかったのだ。
運転免許証があるので、ずっと身分証明書には全く困っていなかったし、
マイナンバーカード取得のために、新たに指定サイズの写真を用意して
申請をして、受け取りに行って、というのが、面倒過ぎた。
だいたい役所は毎日、私より遅く働き始めて私より早く閉めるし(--#)。
使う機会のない身分証明書の取得のために、
貴重な休日をつぶしたり、有休取ったりする気にまでは
到底、なれなかったのだよ。

過去に、マイナンバーを何に使ったかというと、数えるほどしかなく、
とりあえず勤務先には一度だけ届けた、が、証明は求められなかった。
あとは毎年の確定申告のとき、所定の記入欄にマイナンバーを書き入れ、
添付書類として通知カードのコピーをつけているくらいのことだが、
通知カードそのものは廃止になっても、税務関連の証明書としては
これまで通りコピーをつければOKなんですかね?
私は住所も氏名もとりあえず変わる予定はないが、
もし通知カードがナンバーの証明として役に立たなくなったら、
マイナンバーの証明がないから確定申告できないのかね。

『廃止後は、通知カードに関する「氏名、住所などの記載事項の変更手続き」、「交付および再交付手続き」ができなくなります。転入や婚姻などで氏名や住所に変更がある人は、廃止前に変更手続きを行なうよう呼びかけています。』

と上の記事には書いてあるのだが、『呼びかけています』って、
本当に?誰が?いつ?どのように?
これ、おそらく世の中の大半の人が気付いていないと思うのだが、
本当の本当に、あと二週間で廃止になるの……????

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COVID-19の流行状況は、日本に関する限りは落ち着きが見えてきた。
News Digestの集計によると、5月10日(日)22:05時点で、
 累計患者数15822(前日比+70)
 累計回復者数8293(前日比+166)
 累計死亡者数633(前日比+9)
 現在患者数6896(前日比-105)
となっている。4月の第一週には新規感染者数が5日で倍増のペースだったので、
これはついに感染爆発が来たかと覚悟したのだが、
東京都の外出自粛要請、ついで緊急事態宣言からの全国的なStayHome実施で
多くの人々の努力が実り、連休頃からついに国内感染者数は減少に転じた。

有り難いことだが、こうなると皆の気分は早速に活動再開へと向かい、
まだ緊急事態宣言は解かれていないにも関わらず、
なんとなく全国的に自粛ムードが緩み始めている。
ニュースの映像を見ても、Twittter等の皆の言葉を読んでもそれが感じられる。
きょう私は神社の用事があって、かなり久しぶりに公共交通機関を使ったのだが、
広島市街地もまた、以前は閉まっていた各種店舗が開いていて、人通りも増え、
連休前より明らかに開放的な雰囲気が漂っていた。

そろそろ一度、営業再開し、某かでも稼がないと息がつけない、
という事業主も多いことなので、この傾向は歓迎すべきものだとは思うが、
皆が勇み足になると、また感染者数が増え始めてしまう可能性が、まだまだある。
連休中までのStay Homeの成果が見えるのが5月後半、
そして今の、緩み始めてからの結果が数字に表れるのが5月末。
緊急事態宣言が5月末まで延長されているのは、感染症防御の点で理に適っている。
本来、そこまで確認して初めて、今後の方針が打ち出せるというものだ。
そもそも、東京の感染状況は、今でも他地域より桁がひとつ上だし、
北海道でも、まだ依然として厳しい状態が続いている。
海外を見れば、ロシアでは他国に遅れて感染拡大が始まったところだし
ロシア、感染20万人超 新型コロナ(時事通信))、
先に流行が収まりつつあった中国や韓国も、今また再燃の傾向が見えている。
安心などできる状況ではないし、日本にも次の波が襲って来ることは、
ほぼ、想定内と言わなくてはならないだろう。

しかし各地では多分、もう待てない、待ちたくない気分が支配的なのだ(汗)。
コロナ倒産を回避するためには、もはや営業自粛は限界、という業界も多いし、
自粛自粛で息が詰まり家族関係が崩壊寸前、という個人レベルの問題もある。
コロナウイルス全般が、夏の高温多湿の環境下では活性が落ちる、
と言われているので、これに賭けることにして、少々早めではあるが、
試しに制限解除を開始してみよう、となるのも、全くわからないわけではない。
そもそもが自粛は要請であって、国家が外出や営業を禁止した訳ではないのだから、
自主判断で再開することは、言ってみればいつでも可能なのだ。あとは、
「そろそろ良いだろう」
と、認める発言を、早く、政府にして貰いたい、
と今は多くの人が望むようになっている(ように私には見える)。

私は個人的には、このままお籠もり生活を継続したい意向だが、
それでも世の中が元通りに社会生活を再開するとなれば、
やはり最低限の務めは果たさなくてはならなくなる。
すなわち、神社の行事や総代会が開かれるときには出向き、
会社も12月までは契約があるので、最大で月2回は出勤することになるだろう。
明日11日(月)から、広島は段階的に自粛解除に向かうと既に発表されている。
これからの5月は、そして6月は、さて、どういう状況になるだろうか……(汗)。
このまま収束に向かって欲しいのは勿論なのだが、
私自身は、活動再開は全然したくないのよねぇ(殴)。

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土曜日で、主人が休みだったので私も寝坊した。
いつもの朝6時半に一度目覚めたのだが、
主人の部屋も静かだったし、出勤時間も関係ないしと思って、
また寝床に戻って、二度寝して起きたら9時だった。
とにかく最近深くよく眠れる。会社がないから(殴)。
私はこれまでも、寝付きなど良いほうで、睡眠障害は無いつもりだったが、
現在のように気持ちが穏やかになってみると、やはり忙しいときは、
始終、気が立っていて、夜中に瞬間的にでも目が覚めたり、
朝も早いうちからキリキリした気持ちで起床していたことが多かったとわかった。

さて、それでのたのたと起き出して、
これまた何時までにどこそこへ集合などという縛りがないので
コーヒーと軽食でゆっくりと朝食みたいなものを済ませて、
気の向くまま、午前中を使って保存食の整理をした。
最初に冷蔵庫と冷凍庫の中の食品を全部、調理台の上に出して、
古くなり過ぎたものは処分し、取り出しやすいように入れ直した。
私はもともと、冷凍冷蔵庫の中にはあまりモノを入れていないつもりなのだが、
それでも、底の方まで全部出してゼロからの入れ直しをする機会は少なく、
今回も、忘れていた2015年の「栗御飯の素」が出てきたりした(汗)。
私は背が低いので、高い段に置いたものは目に入りにくく、忘れがちだ。

更に、最近は外出自粛の影響で、多少は買い置きしておかないとと思い、
かつてなく野菜やハムや卵、乳製品、冷食の副菜など仕入れていたので、
冷凍冷蔵庫の中身は、これまでよりは量多めだった。
それらに主人の買ったアイスクリーム類が同居して、
冷凍庫の中は結構、混雑していたことがわかった。
雑に入れると、奥になったものが見えにくくなりがちなので、
もの同士が重ならないよう、入れ方を工夫した。

それから、常温の食品庫の中のドライものも一旦全部出して、
賞味期限の切れているものは除けて、
近日中の夕食に利用するように調理台の目立つところに出し、
そのほかの、来年や再来年までの期限に余裕のあるものは、
レトルト、調味料、缶詰、コーヒー紅茶、カレールウ、乾麺、
粉末スープ、海苔、などに分けて収納しなおした。
ここにもまた、主人が自分用に買って来たカップラーメンやスナック類が
私の知らない間に一緒に入っていて、しかもそれらは、
空いていたところに適当に押し込んだ感じになっていたので(--#)、
ちゃんとアイテムごとに分類して、入れ直しておいた。

昨年も確か、連休が取れたときにこういう作業をした記憶があるが、
やはり一年経つと、ここまでの間に期限の来てしまったものや、
既にあるのを忘れて二重に買い足したものなどのあることが発覚し、
年に一度は点検しないといけないと思った……、
が、なかなか普段は忙しくて、わかっていてもできないのだ。
今年は外出自粛で会社もなくなったから、順調に出来て、良かった。

ということで今夜の御飯は、生協で2週連続購入してしまったニラと、
主人と私がそれぞれで買って来てダブっていたエリンギ、
それに食品庫の片隅から発掘された、今年1月が賞味期限の
ガーリック&赤とうがらしのオイルソースを使って、
パスタを作ることにした。
整頓したのでキッチン各所がスッキリしたし、
発掘した食品で晩のメニューが早々に決まり、有り難かった。

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昨夜、去年の今頃どうしていたかと手帳のページを繰ってみたのだが、
見開き2ページが全体に黒く、様々な濃さの文字がぎっしり詰まっていて、
「ふ……、ひどい毎日だったな」
と、今は余裕があるので、過去の自分を憐れんであげた。
週末平日関係なく1~2時間ごとに人の名前と用件が書き込まれており、
日によっては、途中に割り込みがいくつも入った跡があった。
見ただけで、どれほど嫌だったか思い出せる用件もいくつもあった。

昨年4月の休日は月4日、5月は連休もあったので8日休めているが、
6月も7月も休みは3日ずつ。残りの日はすべて真っ黒だ。
当時は、予定から予定へと、日々、時間ごとに綱渡りしている気分だったし、
「間に合った!」「ここも間に合った!」「やればできるもんだ!」の連続だった。
なぎ倒すように予定をすべてこなしきった日には、大きな達成感はあったが、
こんなこと果たして何歳までできるんだか、と、ときどき思ったものだ。
もともと能力のない自分の、許容範囲を超えていることは常に感じていた。

あのままの日常の真っ最中に寿命が尽きていなくて、本当に良かった。
いやマジで(^_^;。
こうして家でひとりで過ごせる毎日が与えられるなんて、
私はなんと幸せなのだろうかと、幾度も思ったことをきょうもまた思った。
過去3年間、身の丈に合わない働き方をした反動だと思うのだが、
私には目下、個人的には全然Stay Homeが足りていない感じがする。
省みれば3月くらいからできるだけ外に出ない生活を開始し、
4月半ばからは会社にも行かなくなって、3週間ほども経過した訳だが、
今に至るも、退屈だとか暇過ぎるなどとは、全く感じることがない。
舞台や演奏会は変わりなく愛しているけれども、
価値ある公演を、自分のしがらみのために逃すのがつらいのであって、
今は全国どこも何もやっていないのだから問題ない。
私は元来が、旅にもグルメにもブランド品にも興味がない、
タバコは勿論、アルコールなどの嗜好品も必要のない人間だ。
ただ綺麗に掃除して整えた家で、静かに過ごすことこそ至上なのだ。

更に良いことには、今は、お金がほとんど出て行かなくなった。
ほぼ稼いでないのだが、出費が激減したので格段に生活が楽になった。
化粧せず洋服も買わず、スーツ不要なのでクリーニング代もかからず、
パンストを補充しなくて良いし、パンプス等の外出用靴の手入れも要らない。
白髪染めも必要なくなり、美容院代もかかっていない。
遠征しなくなったため、チケット代・交通費・宿泊費は0円、
家には自家用車がないから、もともと車関係の出費はゼロだったのだが、
更に、仕事で走り回らなくなり、日常のバス代もタクシー代も不要になった。
今は、少々の場所なら歩いて行けば良いのだ。時間に追われていないから。
会社で遅くなり、デパ地下に駆け込んで総菜を買って超特急で夕食の用意!
ということも全くなくなり、最近は生協の宅配でまとめて魚や野菜を買い、
冷凍冷蔵保存し、計画的に組み合わせを考えて晩ご飯をつくるようになった。

勤労せず、いぎたなくサボっているだけ、
と言われれば、まあその通りなのだが、
自分的には、老後の生活ってこういう感じでいいんじゃないかな、
と思う今日このごろである。
しかし勿論、私にはよくわかっている。
「使わないから金が貯まるようになった。よかったでした」
というのは、ただの後ろ向きな、マイナスの考え方でしかない。
私のような人間がいくらいても、経済は停滞するばかりだ。
これは飽くまでも、隠居老人の考え方だ。
皆が、もっと稼いで、貯蓄だけでなく消費活動にも積極的になり、
出歩いて飲み食いして、各種サービスを利用してこそ、
地元、ひいては国家の経済が活気づき、発展するのだ。
これからは、若い人たちが活発になれるよう、
何か後押しできるようになりたいというのが、ささやかな願いかな。

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先日、「母の日」のカーネーションのアレンジを実家母に贈る手配をし、
ついでに、自分用にも花束にしたのを予約購入した。
それが昨日夜、自宅に届いた。
今年は「レインボー・カーネーション」を混ぜてみた。
虹色の花言葉は「感謝」。

母からも、昨日の夕食後、電話があった。
「綺麗なカーネーション、ありがとう。
ほんまに綺麗やね。なんとも言えん、ええ色や。
もう90も過ぎて、目もよう見えへんよんなったけど、
色の綺麗な花は、ようわかるわ。
こうして電話したら、あんたの声を聞くこともできる。
良かったわあ。ありがとうね」
と母は機嫌が良く、何よりであった。
前日に私と話したことは、もう全然覚えていないとのことだった(^_^;。

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政府、34県に休業要請の緩和指針 劇場でマスク着用など(日本経済新聞)
『政府は緊急事態宣言の延長にあわせ、都道府県が休業要請を緩和する際の指針を示した。特定警戒都道府県以外の34県は感染防止のための条件を満たせば飲食店の営業短縮の解除などが可能になる。県や事業者は新型コロナウイルスの感染防止をにらみ経済活動の再開を探る。』『劇場や映画館、展示場はマスク着用を前提としつつ四方を空けた席の配置が必要になる。2メートルを目安にした入退室時の間隔を確保する。イベントも最大50人程度の規模なら開催可能だ。』

特定警戒都道府県には、東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県・大阪府・
兵庫県・福岡県・北海道・茨城県・石川県・岐阜県・愛知県・京都府、
が該当しており、それ以外の34県は一定条件のもとに
各種休業要請が緩和される、ということだ。
それで問題が起こらなければ、特定警戒都道府県も患者数減の程度に応じて、
いずれ、こうした基準から始めて、段階的に規制が緩和されていくのだろう。

まずは50人規模なら芝居や音楽会も再開の可能性があるようだ。
ステージ上が「密」にならないものから開催が実現するのではと思われ、
伴奏や共演者の要らないソロ形態の音楽は、
最も早く、再開が検討されることになりそうだ。
……もしも、ポゴ氏のリサイタルを50人以下で聴けるとなれば、
チケット代がいくらであろうとも、私などにしてみれば見過ごすテはない。
隠居中でも洞穴の奥から娑婆へと這い出す決意を固めることになりそうだ。
しかし今の彼には、いつも譜めくりストさんがついているので、
さて、マスク着用のうえ離れて座って貰うことって、可能なんだろうか?

しかし現実には、焦って元に戻そうとするのは得策ではないだろう。
今は全国的に外出自粛をそれなりに徹底しているから、
感染者数がピークアウトして落ち着いてきたように見えるが、
気を許して、皆があちこちで同時に出歩くようになると、
また、日々の感染確認の数は増加に転じる可能性が高いと思う。
更に今、ロシアとブラジルが急激に感染拡大している最中なので、
そこから日本に次の波が来ることも考えられる。
1月終わりから中国の感染騒動が始まり、3月に欧米が爆発して、
日本はその両方から影響を受け、なんとか踏みとどまって来たのに、
見事な時間差攻撃で第三波が来るなんてのは、もう勘弁して貰いたい。

そうでなくてもワクチンが開発されるまでは、
我々は常にマスクを着用し、3密を避けて暮らすほかないだろう、
COVID-19で死にたくないならば。
折しも今朝、こちらの宮司が兼務社として奉仕している、
隣村の神社の総代長さんから電話があり、
今年の秋祭りは余興をすべて中止して、神事だけにする予定だ、
と連絡があった。
私は隣村の巫女舞指導もやっているので、大いに関係があるのだ。
うちの村の神社がどうするかはまだ決まっていないのだが、
仮に流行が少々下火になったとしても、
皆で群れて神楽や御神輿や餅まきなんて、どう考えても危険だよな(汗)。
そこから感染が再燃して、重症者や死亡者が出たりしようものなら
神社が祟り神になってしまう(大汗)。

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昼に、両親がお世話になっているホームのスタッフさんから電話があり、
母が、父にオヤツを大量に買い与えているという報告があった。
父はかなり以前から糖尿病で、昨年秋に肺炎で入院したとき、
高血糖を主治医に指摘され、危険であるということで、
退院後からはホームでも血糖コントロールを強化して頂き、
間食は菓子パンを1日1つ、それ以外はスタッフさんが点検して
部屋にオヤツ類はおかない、という方針になっていたのだが、
母は何を思ったか、最近その決まりに従わなくなったらしかった。
父はオヤツを食べ、食事はあまりとらず、血糖値は高値安定、だそうだ。

母は自分自身が、ホームの食事にかねてから相当に不満なので、
父が、母の満足するほどには食欲を発揮しない様子を見るにつけ、
こんな粗末な食事では駄目だ・何か食べさせなくてはの一念が募り、
売店で父の好みそうなものを買って来ているのだろう。
父が好き嫌いをしてホームの食事を残す、というのは
入居以来、母がずっと言い続けていることなのだが、
周期的に、母はそれが特に耐えがたくなる瞬間があるようで、
前にもよく、私に苦情の電話をして来たものだった。
母はとにかく、家族にものをたっぷりと食べさせるのが好きで、
家族が満腹したと言っている姿を見て、自分も安心する人なのだ。

父のほうは自制心はないが、自分から売店に行く積極性もなく、
渡されれば食べる、という状況だ。
特に、テレビを観ながらベッドに寝そべって食べるのが好きで、
あの姿勢での飲食は年齢的に誤嚥性肺炎も心配だ、
とスタッフさんは仰った。
しかし母に注意するようなことを言えば、母が不穏になって、
また別の問題が起こって来ることが目に見えているので(爆)
スタッフさんとしても、強く出にくいところがあり、
とりあえず今できることは報告だけになってしまうのですが…、
という主旨のお話だった。

私から母に話してみようかと言ってみたが、
スタッフさんはそれもあまり賛成できない様子で、
母の難しいところは私もよくわかっているのでさもありなんと思い、
では当面、そのままでお願いしますと返答した。
良い状況だとは全く言えないが、私は、それで良い、と了解した。
両親ともに90歳超なので、お互いが良ければ良いのでは、
と私は基本的にはもう、納得している、というか諦めているのだ。
父は安楽に、食べたいものを食べて満足しており、
母も多分、自分が用意したものを父が食べるのを見ると嬉しい筈で、
最悪、それで死んでも寿命やろ(爆爆)、と私は思っている。
どのみち、なんらかの理由で遠くないうちに天寿を全うするトシなのだ。
二人がひととき、したいと思ったことがささやかながら叶えられれば、
それが医学的には少々よろしくないことであっても、もう良いのではと思う。

ホームは2月から面会自粛になり、3月からは面会禁止になっているので
私は母とは2月の通院介助で会ったのが今のところ最後になっているし、
父とはそのもっと前だから1月下旬にホームを訪ねたとき以来、
最近は直接には顔も見ていないし声も聞いていない。
母は放っておいても自分で電話して来るが、
父はもともと口数が多くないので、自分から喋るほうではない。
この状況に関して、ホームからは先日、ふたりの最近の写真と、
変わりなく過ごしているという内容のお手紙を戴いており、
私はスタッフさんたちのお心遣いには本当に感謝している。

思い返せば、父は若い頃からベッドでオヤツを食べるのが好きだった。
テレビを観ながら甘い物を食べ、そのまま寝入ることが、
昼寝のときも、夜の就寝時も、あった(汗)。
父は猫のチーコを寝かしつけるときにまで、「お弁当持って行きんちゃい(^^)」と
「いりこ」を数匹、猫用ベッドの上に乗せてやったりしていたものだった。
それどころか、幼い私が眠るときも、父は甘い物を与えようとしたことがあった。
小学生の頃だったと思うが、おやすみなさいを言いに行ったら、
お菓子をくれた時期があったのだ。
『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい』ってか。
今思えば、どんだけ教育に悪いのか(--#)。
私は、シーツや毛布にクッキーの粉などが残る不潔さが我慢できず、
自分からこの習慣を拒否したのだが、父にとってはそれほどまでに、
好きなものを食べながら寝るのは、最高の極楽であったのだ。

ああもう、遠慮無く全うしたまえ、と私は既に悟りの境地だ。
歯磨きは、っていうか入れ歯がどうなっているのか、想像したくないけども(逃)。


追記:今夜、母が「あんた今、電話した?」と私に電話してきた。
電話のかけかたはマスターできたようだった(爆)。
ちなみに、私から電話をかけたりはしていなかった。
母が何か勘違いしたか、空耳で鳴ったように思ったかの、いずれかだったようだ。
ホームはいたるところに『面会禁止』の紙が貼られているので、
母もコロナのコの字くらいは認識しているようではあり、
私が姿を現さないことについては何も不満は述べていなかったが、
何度説明しても、外出自粛がどういう状況かが頭に染み通って来ない様子だった。
「連休やから、世間のみんなは出かけたり、旅行に行ったりして留守やろ」
というので、そんなことは今、事実上禁止だと説明したが理解せず、
世界中で25万人も亡くなっているのだと言うと、けらけら声を出して笑っていた。
『25万』という途方もない数字に対して反応したらしかったが、
「なんでそんな笑うねん、大変な伝染病が流行っとぉいうことやで」
と私が呆れると、母は、
「せやけど、私らにはどないもできん話やもん」
と完全に人ごとだった。それでも、一応何か関連のある話題を出そうとして、
「そういや、このごろ、買い物は必ず3人で行け、いうんやったね」
と、母はとんでもないことも言っていた。
3の数字は合ってるけど、そこじゃない。
3日に1度だけ、1人で行くのだよ、今時の買い物は(;´Д`)。

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緊急事態宣言31日まで延長、首相「可能なら期限前の解除も」(読売新聞)
緊急事態宣言 月末まで延長 広島・湯崎知事「外出・休業 段階的に緩和へ」(中国放送)

緊急事態宣言の当初の期限は5月6日だったが、
これが31日まで延長されることになり、それとともに、
状況次第では途中から段階的に緩和・解除されることもあり得る、
という見通しがきょう発表された。
現状、新型コロナウイルス感染症の騒動の終息が見えた、
というほどの安心感は得られていないので、
7日から完全解除に至らないことは、私としては想定内だった。
一方で、未だに感染者数の増加が進んでいるのは主に東京と北海道で、
かつ、両都市ともに院内感染等のクラスターのあることが明らかなので、
そうした現象の起こっていない地域については、
今後、段階を踏んで緩和から解除へと進むことも可能だろうと感じた。

私個人の、極めて私的な次元に関しては、生来が超インドア人間なのと、
おじ(い)さん&おば(あ)さんの静かな二人暮らしという有り難い境遇ゆえに、
「パアっと遊びに行きたい」「自粛疲れ。息が詰まる」等は
全く思っておらず、Stay Homeはまだまだ十分に継続可能なのだが、
そういう、どうでもいいレベルの話とは異なり、
もう世の中全体が、そろそろ限界だということは強く感じている。
休業したままで経費だけが出ていく現状では、
どの店舗も企業もとてもじゃないが踏みとどまれないし、
学校も中途半端に閉じられたままで、
入試は?実習は?卒業は?就活は?各種資格試験は?と問題も山積みとなり、
この一ヶ月で関係各所、相当追い詰められている。
出口戦略が重要となる段階に来ていることは明白だろう。

ただ、患者になる高齢者がいる限り、医療現場の逼迫が続くことになり、
若い人の、一般的な救急医療やガン治療なども制限を受けてしまうので、
高齢者の外出自粛だけは今後も呼びかけていかなくてはならないと思う。
制限したり禁止したりはできないので、呼びかけにとどまることになるが、
40代以下とは異なり、年齢が高くなるほど重症化率も致死率もきっちり上がる、
ということを、高齢者もその周囲も肝に銘じておくべきだ。
病院や老人ホームの面会禁止も当分は解除すべきでないだろう。
私自身も、引き続き患者にならない努力は続けて行くつもりだ。

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緊急事態宣言からそろそろ一ヶ月、
私が会社に行かなくなってから三週間。
無収入になったが制約が激減し、かつてなく心身が生き返った。
改めて気付いてみれば、今年と来年の私は「天中殺」なのだった。
こうやって世間から遠ざかり、活動を縮小することは、
今の私には最も相応しいことだったのだ。
道理であまりにもシックリ来ると思った(殴)。
コロナ禍は日本の社会の在り方を強引に変えたが、
私にとっても、こんな暮らし方はコロナの御蔭で実現したものだ。
折しも天中殺は、退職や隠居にはちょうど良いタイミングだし、
今後の隠遁生活のやり方について、更に考えてみたいと思っている。

一定の技術を提供して報酬を得る仕事に関しては、
「私もとうとう老いた、駄目になってきたな」
と自分で感じるようになるまで現役を続行してはいけない、
と私は常々思っている。
自分は概して自分の成果に対して甘い。
努力しているという自覚があるときは尚更だ。
周囲が「○○さんも、トシとったな」と思うようになっても、
自分ではその変化がわからず、まだまだやれると思いがちだ。
私は、両親を初めとして、そのような例をいくつも見てきた。
だから私は自分自身に関して、
「現役引退には、若干、早いのではないか」
というタイミングで、自分を裁ち切り、幕引きをやろう、
と以前から心に決めている。
現状は有り難いことに、変わらずオファーがあるので、
だからこそ、そろそろ辞め時かな、と思うのだ。
55歳、一昔前なら定年退職の年齢だ。何も早すぎることはない。
私が辞めれば、きっと新しく若い人が採用されるだろう。
それはとても、望ましいことだ。

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宝塚歌劇団、なかなかサービスが良いではないか!
期間限定 おうちでタカラヅカ 第1弾(YouTube)

********************

ちなみに我が家では本日、1990年花組『ベルサイユのばら―フェルゼン編―』
という懐かしい録画を夫婦で観ていた。
私はこの30年くらいは、それなりに本気でヅカファンをやって来た訳だが、
懐かしいのは私だけであって、我が家の宝塚歌劇団人事評論家ころもん氏は、
全然ベルばらには詳しくない、ということが改めて、わかった。

まがりなりにも宝塚に意見のある者が、ベルばらをわかっていない、
などということがあって良いのか!と思う訳だが、
そもそも彼の関心事は主に人事異動であって、舞台ではないのだ。
そのくせ、私と一緒に1994年月組『風と共に去りぬ』(主演:天海祐希)
などという伝説の舞台を旧・東京宝塚劇場で観た経験を持っていたりして
その、文字通りの「豚に真珠」具合が許せないとは思いませんか(^_^;?

この男が内容や演出にまで通じていると言える宝塚歌劇の公演は、
1994年星組『ジャンプ・オリエント!』(主演:紫苑ゆう)、
1996年雪組『エリザベート』(主演:一路真輝)
2000年月組『ゼンダ城の虜』(主演:真琴つばさ)、
2008年星組『スカーレット・ピンパーネル』(主演:安蘭けい)、
2014年花組『エリザベート』(主演:明日海りお)、
……これくらいしかない。

それできょうは、ノーカットの90年花組ベルばら(主演:大浦みずき)を、
彼は居間で神妙に、観た。
プロローグ、真顔のフェルゼンが、「ステファン人形」を抱いているので
「大の男が、なんでオモチャのお人形??怖い(^_^;」、
と私に助けを求め、メルシー伯爵がフェルゼン宅を訪ねて来る場面では、
「一体どーやって入ったん!?門も扉も開けっ放しいうことが、あるん!?」、
と動揺し、革命前夜の戦闘でアンドレが撃たれても撃たれても起き上がり、
歌まで歌うのを観たときには、
「早く、もう、誰か、介錯してやって(T_T)!!」
……と、ころもんなりに、最初から最後まで集中して鑑賞し、
フィナーレまで見終わって、言うことには。
「ベルばらって、大映テレビ

そ れ な

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