転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



土蔵
用事があったので実家へ行き、一番古い土蔵に入ってみたが、
1階は傾いでいる感じで、歩くとミシミシと音を立てて床が沈み、
上を見ると、頭上の2階部分が天井板の隙間から透けて見え、
冗談じゃなく倒壊の危険があるのではないかと思った(汗)。
民法第717条だっけか、老朽化した家屋が崩れる等の事故が起こったら、
持ち主の責任として損害賠償をせねばならない、というのがあったよな(汗)。
これって、成人の体重で2階を歩いたら床が抜けるのでは。
2階の手前あたりまでは、小学生の頃に上がってみた記憶があるが、
奥のほうには、私は生まれてから一度も入ったことがない(大汗)。
ここの内部は、いっそもう見ないで解体するか(爆)。
なんかヘンなもんとか、ヤバいもんとか(←何?)が出たりしないだろうね?
ここと、あの鎖ぐるぐる巻きで閉ざされている、納屋2階への出入り口とが
この家のオバケ屋敷たる所以だ。

祖霊舎
私はこれでも、実家に行くと必ず祖霊舎にお詣りするのだが、
私の打つ柏手が静かな空気の中、涼やかに響くのは良いとして、
私の横と背後につながる濡れ縁は、今や、カメムシの巣窟である(爆)。
一昨年くらいからヤバいのではないかと思い始めて、今に至る。
家全体がボロくてスカスカだから、虫なんか平気で入って来て住み着くのだ。
こいつらが座敷の内部にまで侵食してこないうちに、
(a)縁側全体を掃除してピレスロイドを撒く
(b)霊璽だけとりあえず救いだしてマンションに持って帰る
(c)座敷含む母屋を大々的に解体する
の三つの選択肢の間で、私は悩んでいる。
ご先祖様を粗末にしてはならないし、
あまり暑くならないうちに決断すべきだと思うのだが、
「重い」ので、正直どれもやりたくなく、一日延ばしにしている。

交渉もう一件か
実家を、親が実際に住まなくなった日から3年以内に売却するならば、
相続が発生した場合でも、親が存命の場合でもそれぞれ、税金に関して、
2023年12月31日までは、ある種の特例が適用されることがわかった。
知ってた?空き家になった実家、3年以内の売却でなんと最大約609万円の節税が可能に!(お家の いろは)
実家がこれに該当するかどうか、まだわからない部分もあるのだが、
先日、父の私有地の田んぼを神社に売却する話が決まったばかりで、
私は目下、たまたま税理士さんと繋がっているので、
この機会にまずは尋ねてみるかと思っている。
ちなみに、この田んぼの件でも私は最近までずっと苦労をさせられてきた。
この土地は休耕田で、名義は父だが神社の駐車場として長年使って来た場所で、
神社も父本人も、実際の使用者、つまり神社名義にするべきだという点で
かなり以前から意見が一致していたのだが、
個人が私有地をうっかりと宗教法人に寄付すると、法外な税金が、
寄付した父にも寄付を受けた神社にも、双方にかかることが判明し、頓挫していた。
それで、私がツテを頼って不動産鑑定士さん・税理士さん・司法書士さんを依頼し、
既に2年越しで幾度も神社と話し合い、寄付でなく安値で売却のかたちを取ることにし、
県の学事課や神社庁、神社本庁に書類を送りまくり、駄目を出されてまた直し、
各所交渉し頭を下げハンコを貰い、それはもう、
筆舌に尽くしがたいヒドい思いをして来た。
幾多の手数と苦難にめげず、普通なら言いにくいことも言って事態を打開し、
最終的にこの話をまとめたのは、私の功績である(自画自賛!)。
私の名を石碑にでも刻んで、境内か駐車場内かに残して貰いたいくらいである!!
まったくどうして父は元気なうちにこういうことを処理しておかなかったのか、
と私は憤懣やるかたない思いを幾度もした。
ということで、家土地を処分する話はどのみち「重い」ことになるので、
もうほとほとイヤになっているのだが、そう言って日延べをしていると、
つまり私もいずれ今の両親のようなことになる訳で、
やはりここは、自分でやるほかない、と思う今日この頃です。

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布マスク、1450万枚配布完了 菅官房長官(時事通信)
『菅義偉官房長官は20日の記者会見で、政府が配布している布マスクについて、18日時点で13都道府県において約1450万枚の配布が完了したことを明らかにした。その上で、「(布マスクが)東京などに届き始めてから、店頭での品薄状況も徐々に改善され、価格も反転したので非常に効果があった」と強調した。』

うちにはまだ来ない。
私自身はマスクには不自由していないから、まあ良いのだが、
両親が、特に母のほうが、早く欲しいと待っているのに、実家にも届いていない。
広島はさほどの感染地域にならなかったので、後回しなんだろう。
仕方が無いから、私の持っている市販品ガーゼマスクのうち、
新品のを両親に2枚ずつ送ったのだが、
「安倍さんがマスクくれはる言うから、待っとぅのに、なかなかや」
と母は不満そうだった。人口が多いから、全国一度には届かないやね。
一方、ネットで見ていると、既に届いた人が「もう要らない」と言っていたりする。
世の中、うまくいかないものだね。


10万円給付金、1162人に二重払い 福島・天栄村(朝日新聞)
『新型コロナウイルス対策として国が支給する1人10万円の「特別定額給付金」をめぐり、福島県天栄村は19日、住民の約2割にあたる1162人に対し、二重に振り込むミスがあったと明らかにした。村は住民に謝罪し、計1億1620万円の回収を進めている。』『村によると、担当職員が15日、住民の振込先が記録されたデータを金融機関に渡す際、すでに依頼済みのデータを誤って渡したという。二重に支払われた住民からの指摘などがあり、ミスが判明した。(田中基之)』

これまた何しろ数の多い話なので、なかなか混乱しているようだ。
二重に貰った人から指摘があったとは、イイ話じゃないか(^_^;。
アベノマスクだけでなく給付金も、我が家にも実家にも何の音沙汰もない。
こっちもやっぱり広島は後回しにされているらしい。
両親など、90歳も過ぎると、生きとるうちに貰えるんかねぇと心配にならんか、
と私は端で勝手に思っている訳だが、母のほうはなぜか、
給付金はマスクほどには心待ちにしていない様子だ(爆)。

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Zoom-Zoomという語がMazda Stadiumの名前に付いていることを
私は日頃ほぼ思い出す機会はなかったのであるが、昨日久々に思い出した。
と言っても、この日記の話題は野球とは全く関係がない。
このたび会社の仕事でZoomなるものを使うことになったのだ。
今ハヤりのテレワークである。

私はこういうものが本来は好きでなく、これまでSkypeを一度だけ
仕事絡みで試したことがあるだけだった。
LINEも基本的に家族としかせず、ビデオ通話は使ったことがなかった。
つまり、人並み外れて不慣れなのであった(爆)。
それで、不本意ではあったが、東京の娘を頼り、
一度、Zoomのリハーサルに付き合って貰えまいか、とLINEで頼んだ。
娘は、在宅勤務が17時に終わったあとなら良い、とのことだったので、
昨日、17時半から娘とZoomのミーティングなるものを試してみた。

私が予めミーティングを設定し、娘にIDとPassを送っておいたら、
当日、定刻になり画面に出てきたのは、東京の自室にいる娘と、
彼女の飼っているオスの黒い柴犬9ヶ月、だった(笑)。
私はまだ、この柴ちゃんに実際に会ったことがないので、
名前を呼んでみたが、彼は画面に映るものも音声も自分に関係あるとは考えず、
娘に言われて一度「お座り」はしたが、すぐに居なくなった。
残念だったが仕方が無かった。
実際に会ったら、暗黒大将軍の私は、やはり黒柴に激しく吠えられるのであろうか。

娘のほうは、変わりなく元気そうにしていた。
酒飲みの娘はどれだけオンライン飲み会をしていることかと想像していたが、
会社の同期女子会でLINE宴会を一度やっただけだということだった。
全国に散っていて、日頃は集まって飲むことがほぼ不可能な顔ぶれが、
オンライン飲み会の御蔭で一堂に会して、なかなか良かったとのことだ。
私は娘が大学進学で横浜に行って以来、日頃は電話で喋ることもほぼなく、
帰省中以外はメールかLINEしか接点のない暮らしを7年続けてきたので、
昨日も正月以来久しぶりに、画面越しに対面したのだが、
積もる話があったかというと、別にそういうこともなく、
映り具合と音声を確認して、10分ほどでミーティングは終了した。

リハーサル本体は、かように滞りなく終わったのだが、
実のところ、これを試したことは私には大きな意味があった。
なぜならば、私はミーティングが始まる前、入室してみたとき、
自分のパソコンのどこにカメラがあるのか思い出せず、
画面にどうして自室の壁しか映っていないのかと途方に暮れたからだ。
それでしばらく、あちこち覗き込んだりして、ようやく
パソコン上部のカメラ部分を立てればこちら側が映るのだ、と理解した(爆)。
それまでは、パソコンの背中側の壁が画面に出ていたのだ。
ダイレクトに仕事でやっていたら、先方様に壁紙と対面させて、
なぜ私が映ってないんでしょうかと時間を取り、えらい恥をかくところだった。

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実家が「築100年超のオバケ屋敷」であることは幾度も書いた。
しかも、私にとっては経年劣化したゴミの山としか思われないものが
広い田舎家の隅々にまで詰まっている。
僻地であるだけに、都会では考えられない広大な面積の家土地だ。
あれを、いずれ私が相続せねばならないことを考えると、
冗談でなく、心が重く、暗くなって来る。あまりにも鬱陶しい。
そこそこレベルのゴミ屋敷の、サイズのデカいヤツですよ奥さん!!
最も合理的なのは、両親に、存命中に自分で家財を処分して貰い、
土地の大部分を売却して貰うことだ、と私は思っている。
それら必要な作業や工事を親名義で行うことで、私はラクになり、
おそらくは節税としてもなんらかの意味がある筈だ。

しかし、トシ取った親というものは、何ひとつ、手放さないものなのだ。
二人は既に、あの家に戻って生活することなどあり得ないのに、
それでもなお、自分たちの家、自分たちの家財道具、自分たちの土地を、
人手に渡すなど言語道断、娘と言えど勝手に処分するなど許さない。
……と、そこまでハッキリ言葉にされたことはないが、
それ的なことは、既にこれまで、二人とも、幾度も匂わせていた。
中でも、敢えて言うが、田舎もんは土地への執着が凄い。
土地はお宝で、手放したら最後、二度と取り戻せないから、
理由が何であれ、とにかく土地を減らすことは、人生の敗北なのだ。
更に今は老人ホームに居るので留守宅に手を付けてしまったら、
自分たちの帰るところがなくなる、という不安感が強い。
一部を売るだけ・家はなくならない、と言っても抵抗するだろう。

母は、10年くらい前、もう少し頭がハッキリしていた頃には
「この家は、あんたが今更、住むことは現実問題としてあらへんやろから、
○○(=親戚)に買い取ってもぅたらええ」
と言ったりした。手放すなら他人にやるのでなく、身内に、という訳だ。
しかし○○さんだって、とっくの昔から持ち家があるし、
こんな、とてつもなく古い、意味不明なオバケ屋敷+ゴミ山を、
縁者だから買えと言われても途方に暮れるに決まっている。
せめて更地になっていれば、まだしも。

この家がまた、単に広いだけではない。
増築改築を重ねて恐ろしい迷路に成り果てている。
鍵が何十カ所もあるような家ですよ(^_^;?
初めて来た人は、奥まで入ったら、まず独りでは出られない。
主人が最近になって告白したことには、
「初めて来たとき、なんでこんなに無駄なつくりになっとるんかと思うた」。
そうなのだ。家族が父母の2人なのに、例えば、台所が3つ、風呂が2カ所、
土間が4カ所、寝間(ねま)と呼べる部屋が6部屋ある。
トイレなんか6つだ(爆)!2人暮らしなのに、何ケツあると思っているんだ!?
家具だって、食器棚が5つ、ダイニングテーブルが3つ、
書斎机が4つ、ベッドが4台、箪笥なんか二十棹くらいゆうにある。
どれも、うっかり分解しようとしたら、ゴキがザっと出て来るようなヤツですよ。
金庫が4個で驚いている場合ではないのだ。

どうしてそうなったかというと、家族が母屋で暮らしながら、
空いている土地に3DKに相当する2階建てを増築して母屋と繋いだり、
そこが古くなった頃に祖母が亡くなったので、
母屋の、祖母の居室だった場所をなおして父の寝室につくりかえ、
ついでに大昔に五右衛門風呂のあった場所を壊して新しい台所をこしらえたりと、
生活しながら新しい居場所を増やして行ったのが理由だ。

都会だったら、家をリフォームするときには、一旦、中身を全部出して、
自分たちは近所の賃貸アパートに仮住まいして、
そこに入らないものがあれば倉庫など借りて置き、要らないものは捨て、
家の工事が出来上がったら、またゼロから家具など戻して、
以前よりは整理のできた暮らしになるよう、家財道具を入れていくものだろう。
それが田舎では幸か不幸か、家に住んでいながら宅地内で新築や改築が可能で、
完成したら、新しい部分で暮らし始め、もと住んでいた部屋は劣化するに任せ、
撤去もせず直しもせず、しかし全く使えないこともないので、そのまま、という。
増改築により、ものを置く場所は増えるので、
何ひとつ捨ててないのに広々と快適になり、なんだかんだと買い足す一方。
歴史の重み感じさせる立派な御屋敷、というのならまだしも、
半世紀をかけて継ぎ足しを重ねた、ただ事でない重量のゴミ山、
というのが、今の実家の有様だ。

18歳であの家から脱出して、私は時間をかけて、
自分の、タイトなライフスタイルを作り上げた。
6畳の間借りでスタートし、就職してからワンルーム、
結婚してからは転勤族として、各地の狭くて古い官舎を渡り歩きつつ、
私は何でもすぐに処分し、捨てられる限り捨てて身軽に暮らしてきた。
舅姑と同居した時代には、掃除魔の舅に大いに鍛えて貰った!
そうしてマンション住まいとなった今、私が最も関心を持っているのは、
自宅を磨き、整えることだ。
そう、もはや私は、かつて「なんか変だな」と思いつつ実家に住まっていた、
あの無知な高校生ではない、のである!

現在の私は実家を眺めているだけでイライラする。
片付いてなさ加減も、不潔さも、古さも、昏さも、……負担感が半端ではない。
薙ぎ払え!と一刀両断にしたいが、前述の通りそれは老親の望みではない。
一方で、最近いろいろな記憶が曖昧になってきた母は、
老人ホームに入るにあたり、昔住んでいた家は、
自分たちで綺麗に片付けてきた、という前提になっていたりする。
「ここへ来るために、そらもう、えらい思いして、家を全部、片付けてきた訳やが」
と先日も言っていた。
そらまた、どこのお住まいのことですか~~~orz
(多分、昭和47年に神戸から広島の父の家に引っ越したときの記憶だねorz)

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オンライン・エアロビクス
スポーツジムに行けなくなった主人が、エアロビクスの無料動画を流して
家の廊下でエクササイズに励んでいるので、私もここ数日、一緒にやっている。
私はエアロビクスなどあまりにもご無沙汰だったため、息は多少あがるが、
一セットが10分なので、決して出来ない内容ではない。
ドカ太郎:筋肉は裏切らないかもしれないが、関節はいきなり裏切るからな。腰とか膝とか肩とか
という名言tweetに出会ったので肝に銘じ、
とりあえず跳ばない、ローインパクトのプログラムだけ私は参加している。
さて、うまく続けられるだろうか(^_^;。
3密を避けるとなると、巷のジムが完全復活することはなかなか難しかろうし、
今後はオンライン・フィットネスが、この業界の新たなビジネスチャンスになるのでは。
内容次第で有料会員を定員無関係に募ることができるし、
利用者側は帰省などで遠方にいるときも参加でき、悪くないと思うが。

オンライン英会話
かなり以前から私は某英会話スクールの生徒なのだが、
毎週グループレッスンに通っていたのは何年か前までの話で、
ここ数年はずっと、超不定期プライベートレッスンの生徒であり続けている。
英語の目標も特にないし、退会しようかと思ったことも一度ならずあるのだが、
スクールの常として引き留められ、なんとなく今日まで来てしまった。
プライベートにしたのは自由度が高かったからで、
レッスン単価も平日昼は割引価格だし、内容もスケジュールも思いのままで、
多忙かつ我が儘な私にはちょうど良かった。
御蔭で、昨今の私は、1ヶ月に1回かそれ以下、という不熱心さである。
さてこの度、コロナ騒動で教室レッスンは4月以来すべて休校になり、
日頃まともに通っていないとはいえ私も籍はあるので、スクールから、
休校の案内とともに、オンラインレッスンは可能、というお誘いが来た。
私は今後も外出自粛を継続する意向ではあるし、
そういうものがあるならやってみようかと、久々にレッスンの予約を入れた。
今週の後半、初レッスンの予定だ。
フィリピン人講師等のネットレッスンに特化した会社があることは
話に聞いて知っていたが、私は対面に勝るものはないという考えだったので、
ずっと関心が無かった。
しかし今回は、既に馴染んだ先生とのオンラインレッスンだから、話は別だ。
気に入ったら続けるかもしれない。

オンライン面会
両親がお世話になっている某老人ホームは依然として面会禁止で、
かれこれ3ヶ月ほど、私は会いに行っていないことになるのだが、
このほど、施設のほうでオンライン面会サービスが開始される由、案内が来た。
面会時間は、午前午後それぞれに設定されている利用時間帯の中から、
ひとり20分、前日までの予約を、予め施設2階の受付でするようにとのことだ。
母とは電話で喋ってはいるのだが、父がどの程度ボケ倒しているのか、
しばらく確認していないので(爆)、近日中に申し込んでみようかと思っている。
これだと忙しいときでも自宅その他からアクセスできて、
遠くにいる家族親族も、やろうと思えばこのシステムなら顔が見られるし、
今までよりかえって良い方法かもしれない。

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2018年1月に『53歳の宿題』を自分に課し、それらのうち、
これまでに2つは既に決着がついた。すなわち,

1.両親の入る施設の選定・入居手続 done
2.山の上の墓の始末および移転 done
3.実家の売却+神棚の行く先の決定
4.実家が代々やってきた地元八幡様のお世話係の引き継ぎ

一番難題なのは宿題4だが、これは私ひとりでは決められず、どうしようもない。
私は父の代理のリリーフのつもりでやっており、引き継ぐ先としては、
 (a) 「地元に住んでいるがあまり付き合いのない親戚」
 (b) 「他人だが昔から縁のある隣地区の某家」
 (c) 「地区は遠いが血縁としては大変近い親戚」
の3択が以前からの候補ではあるが、なにぶんにも相手のある話だし、
そもそも神社と総代会と地元の皆が了承してくれないと、私は手を引けないので、
まだ年単位で、意見調整しつつ考えて行くほかないと思っている。
おおまかな傾向としては、総代長は地縁重視で(a)、私は実績重視で(b)、
父は血縁重視で(c)を推しているのだが、
私の一番の腹立ちは、父は自分の希望があるなら、
なぜ、現役で元気で発言力のあった時代にきっちりと(c)と話をつけ、
地元にも挨拶して、決定事項にしておかなかったのか、という(--#)。

一方で、宿題の3は、近い将来、私が努力すればどうにかできるだろう。
これとても、今すぐにというのは無理で、
相続が発生しない限り、家土地については両親が権利者なのだから、
現状では私は、何も決定する立場には無いのだが、
きょうだいがなく、私が相続から逃げられない以上、
いざというとき何ができるか、どうするのが良いか、
その可能性については探っておくべきだと思う。

地元の村で観察していると、昔からかなりの規模の地主さんが多いので、
住まい方が変化して土地が余ったときは、アパートなどを建てて借家にする、
というのがよくある解決方法だ。
税金対策になり、経営が順調なら不動産収入として老後の安心にも繋がる。
場所的には、実家のあたりは開発から取り残された僻地ではあるが、
反面、静かで空気が良く住環境として悪くないうえ、安価で広くて、
車で西のほうに20~30分行けば、かなり大きなショッピングモールもあり、
自家用車を持っている若い世代の間では、それなりに需要がある。
近所でも去年、田んぼをやめて賃貸アパートにしたお宅が3軒あった。

しかし小さくともアパートを新築するには、相当な初期費用が要るし、
アパート経営には難しさや危うさもつきまとう。
仮に最初は良い借り手が見つかったとしても、経年劣化で空室が増えてくると、
将来的に負債になってしまう可能性もあるだろう。
私はあまり、そういうリスクのある方法は採りたくないと今は思っている。
前に書いた通り、私自身は、あの築100年超の実家を解体・整理して、
東側三分の一くらいの敷地に、小さい平屋を建て直し、
西側の残りの土地は分筆して売却したい、というのが今の希望だ。

先祖代々の土地を一度に全部手放してしまうことへの畏れは、私にもあるし、
当面、私が神社の奉仕や手伝いに通うときに寝泊まりする場所も要るから、
一角だけは残して小さい家に作り直したい、と一応、思っている。
また、広すぎず高すぎなければ、将来的に、神社が社務所や宿泊所として、
借りるor買い上げることも可能だろう、と総代長が先日、言っていたし、
そうならなくても、小さい一戸建てなら娘が相続しても迷惑にはなるまい。
残りの土地については、条件的には上に書いた通り住宅地としては悪くないから
全く売れないことはないだろうし、解体業者さんにも既にあてがある。

どっちへまわっても、家をひとつ始末するというのは
どうかすると人生を左右するくらい、お金のかかる事業なのだ。
逆を言えば、私自身がいちばんラクで、最も自分のお金を出さずに済むのは、
何もせず、古い家をあのまま「放置」することだろう。
そう考える、あるいはそうせざるを得ない人が多いからこそ、
今、全国で空家問題が深刻化しているのだ。
しかし、ゴミため同然の、田舎のデカい一軒家をまるごと残して死ぬと、
我が家の場合、娘ひとりが、否応無しに家土地を相続させられる。
そのような未来図は、想像しただけでも、やりきれないものがある。
あの家で実際に暮らした年月のある直系の私(=男系女子)ですら
既にこれだけ迷惑しているのに、娘(=女系女子)ともなれば、
何度か行ったことがある程度の関わりしかなく、酷い災難でしかない。

ちなみに実家には、普通の感覚で言う「仏壇」よりも
もうひとまわり大きな「祖霊舎(みたまや)」があり、
父より五代前のご先祖の実筆の和歌みたいなもの(←読めない)の額とか、
四代前の当主からの代々の霊璽(れいじ。神道で位牌に相当)などが
その中に納められていて、なかなかにキショク悪い(殴)。
しかも、御神体や御神札の祀られた「神棚」は見当たらない。
どうなっているのか(大汗)。
私の妄想通りに実家の改築が相成ったあかつきには、
その家の和室に、小さめの神棚と祖霊舎を新しく設置するか、
マンション用にミニ神棚を購入して、こちらに移すか。
舅宅の仏壇も放置できないので、マンションにモダン仏壇を買って設置し、
いずれ、舅宅から仏像や仏具を持って来なくてはなるまい。
まあ、サイズさえ小さければ、相続人たる娘の、将来の迷惑も
いくらかは、小さくなるというものだろうよ(^_^;。

ともあれ、今年と来年に関しては、私は頭の中で大いに計画はするが、
まだ具体的な方針は決めないし、業者さんにも相談などしないつもりだ。
なぜなら、相続云々の話以前に、私、子丑天中殺だから(^_^;。
天中殺の年に発展的なことを決めると、失敗するんだよ(^_^;。
それは非科学的な言い訳だ、という非難もあるかもしれないが、
選ぶ余地があるなら、わざわざ「悪い」と言われている時期に動くべきではないし、
一般論としても、こういう重大な決断は、焦っても何も良いことがないだろう。
急ぐべきなのは、あの異臭のする旧・台所の掃除だけだ(大汗)。

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午前中は、うちの村の宮司さんが兼務している隣村の神社の
夏祭の案内状の作成をやった。
宮司さんが共通なのと、お互い隣同士の村なのとで、
この村とうちの村は、「きょうだい分」みたいな関係だ。
我が家と、ここの総代会との関わりはそう深い訳でもないが、
神社の事務系の仕事は、父が長年、うちの村と隣の村の両方を
ひとりで引き受けてやっていたので、今は私がそれを受け継いだ。
父の前には祖父が、その前には曾祖父が、先代から引き継いでやって来た。
明治、……いや、おそらくは江戸時代から綿々と行ってきたことに、
今更「なぜ私がそれを」はないのだ。
やることになっている者が、やるべきことを、やる。問答無用だ。

うちの村にも夏祭はあるが、それは6月下旬で、いわゆる夏越の祓だ。
一方、この村の神社の夏祭は少し時期が遅くて7月上旬から中旬、
内容も、麦初穂奉献祭と夏越の祓が合体したようなものだ。
露店が並ぶ等はもともと一切なく、当日の祭典だけしかないから、
人も集まらないし、密になる心配は全くない。
世の中の多くの人が思う「お祭り」は、神輿や神楽や夜店のことだが、
それらは飽くまで「余興」であって、祭の本体ではない。
祭とは、祝詞奏上をメインとする神事のことを言うのだ。
宮司さんと総代会で話し合い、前もって、祭典がいつであるかを村民に告知し、
村内で15ほどに分かれている地区それぞれの世話人さんに
総代会から、案内状と配付用の神札を渡して、
家々をまわって初穂料を集めて戴くように、お願いをする。

案内状の文面は、昭和の頃に作成した手書きのものがあり、
父は面倒なのでそれを長年、日付だけ直しコピーして使い回していたのだが、
3年前に交替してからは、私は愛用の一太郎で美しくレイアウトして打ち直し、
季節の挨拶や、出費多端の折に御尽力下さいまして等々の御礼を付け加えて、
勝手に若干、改良してやった。
その案内状と、初穂料の集計用紙――これも私がエクセルで作成し直した――
と、必要枚数の神札とを、地区の数だけ用意して、
地区ごとの封筒に入れて準備するところまでが、私の仕事だ。
父は更にそれを、車を運転して自分で世話人さん方の家をまわって
届けていたのだが、そのやり方というのが、
「車で、だいたいこのへんじゃのぅと思うあたりまで行ったら、
たいがい、家の人が誰か近くの畑に出とるけぇ、呼んで、手渡す」
という超・原始的なものだった。

私は車を持っていないし、『このへんじゃのぅ』という土地勘も皆無だし、
世話人さんたちの顔も知らず、ましてや『家の人』なんてわかる筈がない。
父は世話人さん方のお宅の、正確な所番地など全然把握しておらず、
お名前さえも、屋号しか覚えていないものもあった(爆)。
お手上げになったので、私はこの神社の総代長さんに正直にそれを告げ、
私が案内状作成したら、配付のほうは総代長さんにお願いすることにした。
快く引き受けて下さった。有り難いことだった。すみません、無能で。

このあとは、祭当日までに、世話人さんへのお礼状を準備して、
それにつける撤饌(てっせん)となるものを人数分、用意する。
祭の日に、世話人さんたちは集めた初穂料を供えて参拝されるので、
お礼状と撤饌をそこで手渡すことになっているのだ。
この場合の撤饌は「おさがりのお菓子」等で、予算内で我が家に任されており、
父は落雁(らくがん)か砂糖の二択で、判で押したように配っていたが、
私は神社用の授与品カタログをネットで見て、
せんべいや、干支にちなんだ飴など、毎回、変えるようにしている。
世話人さん方が全く同じ顔ぶれなのだから、
祭のたびに違う授与品があったほうが、楽しいのではと思ったのだ。
今回は、御神酒飴と夏向きのティーバッグを注文してある。

ときに、こうした地区の世話人さんたちというのも、
我が家の事情と似ていて、家の役目として代々受け継がれている。
この村では彼らは「世話家(せわけ)」と呼ばれている。
そういう家に生まれた者は、一生「神社の○○地区の世話人」なのだ。
息子さんたちもそれを免れることはできない。
万が一、跡継ぎが居なくなったらどうなるのだろう、
と思っていたら、先日まさに、世話人さんの中のおひとりが亡くなられ、
動向に注目していたら、別の家が新しい世話家として就任された。
どういう経緯でその家に変わったのか、私には全くわからなかった。
質問したい気持ちはあったが、こういうのはデリケートな問題なので、
よその村のことを私が根掘り葉掘り聞くのも憚られた。
しかしともあれ、やれる人が途絶えたら、別の家に役割が移る、
ということは、わかった。
私がやらなくなったら、きっと村の誰かが選ばれて、
新しく案内状作成係に就任するのだな。ふむ。

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午後、十数年来の馴染みの、某耳鼻咽喉科クリニックに行った。
このところ毎朝鼻炎を感じていて、花粉症発作ほど酷くはないにしても、
連日の黄砂のためか、アレルギー性鼻炎を起こしている自覚があったので、
ついに、意を決して、出かけた。

COVID-19が流行りだしてからは、医療機関全般、寄りつきたくなかったし、
特に耳鼻咽喉科は、「匂いがわからん」「味覚がおかしい」の人たちで
混雑しているのではないかと、3月4月はずっと良い気がしなかったのだが、
家で忍耐しているだけでは鼻炎はなおらないようだし、
前回貰った薬も使い果たしてしまったので、もう、仕方が無かった。
きょうは緊急事態宣言が解除されることだし、これから外出自粛が緩むと、
ほぼ確実に、近いうちにまた感染拡大が始まるだろうから、
そうなる前に受診を済ませておくべきだろう、とも考え、思い切った。

手帳を見たら、2月21日以来の耳鼻科だった。つまりほとんど3ヶ月ぶり。
……ときに、こういう場合に最近は、「2月21日ぶり」と言う人が結構いるが、
私はこの言い方は、生理的に大変キショク悪くて、到底、使う気になれない。
規範的に過ぎるとの誹(そし)りを免れぬとしても、この点、譲るつもりはない。
例えば2016年のカープの優勝は1991年以来25年ぶりだったのであって、
決して、*1991年ぶりだったのではないのだよ(^_^;。わかって下さいます?

さて、それで、混んでいたらよそうと思いながらクリニックを覗いてみたら、
先客は1人だけだったので、入ることにした。
その人も私も、受付の方々も勿論、皆がマスク姿だった。
まず体温計を渡されて熱を測り、有り難いことに36度7分で問題なく、
その間に、先客はもう診察が済んで帰るだけだったらしく、すぐ出て行き、
間無しに私は待合室でひとりになった。
私のあとにも誰も入って来る様子は無かった。
以前は置いてあった雑誌や絵本、ぬいぐるみが
接触感染を避けるためすべて撤去されており、
呼ばれて診察室に入ると、換気扇がぶんぶん回って換気中であり、
様々に感染症対策がなされていることがわかった。
ネプライザーも、エアロゾルの関係で使用中止らしく、カバーがかかっていた。

先生「どうですか」
転妻「このところ鼻炎で。そんなに激しくはないんですが、鼻水とクシャミが。
 大丈夫な日もありますが、でも一週間ずっと具合が良かったことはないです」
先生「前回は2月ですね。しばらくは気にならなかったですかね」
転妻「まぁ……(気にはなったけどコロナのほうがもっと気になったんだよ(汗)」

ということで鼻処置をして戴き、内服薬と点鼻薬の処方箋を出して戴いて、
大変スムーズに耳鼻科受診は終わった。負担額¥600。
薬を受け取る薬局も先客2名で空いていて、早かった。
間を空けて椅子に座るようにと貼り紙がしてあったが、
人数が少なかったので、ほとんど心配なかった。
なにごとも100%の安心というのは無いが、
とりあえず、当分の薬は確保できたので、良かった(^_^;。

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概況  


News Digestによると、本日20:57現在で日本のCOVID-19感染状況は、
 累計感染者数16075(前日比+53)
 累計回復者数9868(前日比+948)
 累計死亡者数695(前日比+18)
 現在患者数5511(前日比-914)

まだ連休中の感染状況については数字に反映されていない筈だが、
緊急事態宣言以降の全国外出自粛の効果は、あったということだと思う。
日本の人口が1億2千万人超であることを考えれば、
多くの人の努力がかたちになったと言って良いのではないだろうか。

大型連休中の成田の出入国者数は例年の99%減、
国内でも人出は激減し、新幹線・特急利用95%減、
高速道死亡事故もゼロ
であったとのことだ。
また、副次的な話だが、今年は4月の自殺者数が前年比約20%減だった、
というニュースもあった。
StayHome実践中、こういう数字が出てきたということは、
これまで、仕事や学校に毎日行かなければならないというのが
それなりに大きな、自殺の原因だった、ということになるのではないか。

人と人が出会わないのでウイルスにも出会わず、伝染病の広がりが断たれ、
長距離運転して移動しなかったため、交通事故の起こるきっかけも無く、
ずっと家にいることにより、自殺を決行する人が減った。
すべて記録的だった。結果的に、命の助かった人が多かった。
そして何よりも、不眠不休で感染症その他の治療や看護に当たられた医療従事者の方々、
インフラや物流などライフラインに欠かすことのできない職務を果たされた方々の
多大な尽力により、この春、我々の生命は様々に守られたのである。

一方で、目下、日本経済は半死半生だ。
これだけの成果を上げるために、
経済活動の大部分を犠牲にした人たちもまた少なくなかった。
今後の難題は、いかにして、かつ、どの程度まで社会活動を再開することができるか。
緊急事態宣言は、予定を早めて39県で解除に向かう見込みで、
いよいよ明日、諮問委員会が開かれる。
緊急事態宣言 特定警戒の5県含む39県 解除の方針固める 政府

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きょうは用事があったので朝から実家に行き、
現地のゴミ収集時間に間に合ったので、実家の可燃ゴミを出し、
神社の手伝いに寄って、入荷した「疫病退散」根付を社務所で片付け、
あらかじめ実家の前に呼んでおいたタクシーで帰ってきて
母の代理で、予約のあった中区某所の某医院を受診し処方箋を貰い、
昼過ぎには、近日中に予定している飾り棚の納品の関係で
馴染みの某インテリアショップのマダムが我が家に立ち寄られて、
設置場所の採寸と下地の確認作業があり、
そのあと私は久しぶりに会社に出なくてはならなかったので、出勤。
帰りに金融機関に寄って、支払いその他。

時計を睨みながら用事の間に用事を巧くはめ込んで1日で回す、
みたいなことを、ほぼ一ヶ月ぶりにやった。
2月まではこんなのが毎日だったのだ。
やってみれば、夜には仕事の片付いた開放感・爽快感はあったが、
やはりこのような消耗する過ごし方は、もう終わりにしなければと思った。
会社のほうは、きょうの打ち合わせで今月あと1回は出勤することになり、
当初は一月間、全く何もない予定だったのが少し変更になったが、
マネジャーと話し、来月も引き続き、月2回の業務だけにして、
あとは原則的に私の仕事は無しにして貰った。
もう極力、会社には出ないようにしようと思っている。

ところで、実家で久しぶりに母屋のほうの古い台所に行ったのだが
どうも、何か、軽くだが、異臭がしていた(汗)。
食料の古くなったものが見えないところにあって、傷んでいるのか、
ネズミとかそんなものが、ひっそりと遺体になっているのか(爆)。
異臭がする以上、衛生面で放置できない問題が起きていると思われ、
夏に向かうことでもあるし、今年はどうしてもここの掃除をせねばなるまい。
費用と時間を度外視するなら、私の今の希望としては、もう、
増築部分の新しい台所と父の寝室、玄関と続きの間だけ残して、
母屋と土蔵と納屋のすべてを解体して更地にし、
宅地を分筆して西半分を売却したい、
というか、私は権利者ではないので、父に売却を決めて貰うしかないのだが、
90歳のおじーさんには、もう何も決定できないから、現実には無理だわね(汗)。

やっぱり地道に掃除かorz

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