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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今期は、フランス語初級編・スペイン語入門編のいずれも、
2012年4月~9月に放送分された番組の再放送で、
しかも半分が終わらないうちに、ポゴレリチが日本に来てしまった、
というところまで、私にとって前回と全く同じ展開になった。
去年はそのせいで、3ヵ月目から学習者としての私が道に迷い、
百合はJapan Expoに行ったあたりで足取りが曖昧になり、
ホルヘは列車内でトイレに行ったまま帰って来なかったものだった。

それで、今回の私は、同じテツは踏むまいと固く決意し、
とにかく毎朝、意地で聴いている。
お蔭でとりあえず、百合は今朝、ツール・ド・フランスのゴールの日を迎えたし、
ホルヘ一家はちゃんとクエンカ観光をしてホテルに辿り着くことができた。
とても、めでたかった。
フランス語のほうはそれでも、前回の記憶がところどころには残っていて、
百合がこのあと、姉さくらに会いに行ってオモシロいことになる
というのを私はおおまかには覚えているのだが、
スペイン語はもう全然記憶がなく、ホルヘたちがどこでどうなるのか、
ここからは未知の領域だ(殴)。
引き続き頑張って、見届けたいと思う。

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明日はほぼ一日じゅう、家に居ない予定で(@仕事)、
パソコンを開ける機会もないと思われますので、
ここも更新できない可能性大です。
掲示板その他あちこち、レスできていませんが、
本当に申し訳ございません<(_ _)>。

今年は秋からこのかた、ずっと、
村祭が終われば・採用研修が終われば・ポゴ氏来日が終われば、
きっとそのあとは少しはほっとできる時間が持てる筈、
……と思いながらその都度、裏切られ続けて今に至っている。
全然暇にならないぢゃないか(T_T)。
結果論だが、TOEICをなんとかせねばとジタバタした11月半ばだけが、
最も自分本位に自宅で長く過ごした期間だったということだな(汗)。

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舅姑の墓掃除・墓参りに行った。
もしかしたら三週間ぶりだったかもしれない(汗)。
11月の下旬、勤務先の採用研修に出発する前に参って以来、
ポゴレリチ来日があったりしたから、もうずっと行っていなかった筈だ。
こりゃ花がドライフラワーになっとりゃせんか。

……と覚悟して行ったら、有り難いことに、
前に供えた花はまだ、さほどひどい状態にはなっていなかった。
カーネーションがしおれていた程度で、菊は割と綺麗だった。
私はひとまずホっとして、いつもの手順で花筒を洗い、新しい水を入れて、
花は全部きょう持参したものと取り替え、お灯明とお線香をあげた。
「お陰様で研修も東京遠征も終わりました。なむなむ…」
毎日冷え込んでいるせいか、きょうはだいたいどこのお墓のお花も
生き生きしているように見えた。

その帰り、墓地を出て最寄りのバス停に向かって歩いていたら、
背後からバスが来て、付近に私しかいなかったせいか、
停留所直前の場所で、ゆっくりと停まってドアを開けてくれた。
寒い中をバス停で待たされたらたまったものではない、
と思っていたので、なんと幸運なのだろう、と嬉しかった。
車内は私のほか数人しかおらず、とても空いていた。

……と、そこまでは良かったのだが、途中で思いがけないことになった。
なななんと、このバスは、私が乗って5分もしないうちに、いきなり、
私の家のある方角とは全然違う方向に曲がったのだ(爆)。
後ろから来て停まってくれたバスの行き先をろくに見ていなかったので、
どうやら、かなり本数の少ない、いつも乗らない系統のバスに
うっかりと乗車してしまったようだった。

わ、私は一体、これからどこに行くのでしょう(T_T)。
乗ってしまうと、終点がどこになるのか車内からはすぐわからないし、
車内アナウンスも「次は○○でございます」と停留所の案内しかなく、
それがまた、あまり聞かない地名なので、私は困ってしまった。
どっか知っている場所に出たら降りよう、と思っているうちに、
バスはどんどん、私の行ったこともない団地に入っていき、
こんなてっぺんで降りたらタクシー呼ぶしかなくなるよね、
と我慢していると、しまいに眼下に瀬戸内海が見え始め、
う、うそ、私の家の方角はどう考えても海じゃないっっっ
♪おうちが どんどん遠くなるー

そのとき、
「次は○○駅でござ…」
とアナウンスがJRの駅名を言い始めた。
私は早押しのような勢いでボタンを押した。

………。
結局、私はいつもは使わないJRの某駅から広島駅まで、電車で帰ってきた。
財布の中にICOCAが入っていて、本当に助かった。
墓参りに行って鉄道で帰れるということを、きょう初めて知った(爆)。

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・ポゴレリチのサントリーホールでのリサイタルから、きょうで一週間…。
そのように日数が経ったなどとは、まだ全く信じられない。
私の中では、依然として重く濃密な手応えが残ったままだ。
昔から私は、およそアートと呼べるものの根源には、
私怨とか慟哭とか、尋常でない「負」のエネルギーがあるとは思っていたが、
ポゴレリチはそれを、究極的な芸術的表現にまで昇華させているところが凄い
(2010年あたりのは多分、昇華に至っていなかった。無残にむき出しだった)。
ああいうヒトを、途切れることなく四半世紀にも渡って聴いて来たのだから、
私は聴き手としての耐性が無いほうではないと思うのだが、
ファンゆえに、細大漏らさずまともに受け取ろうとして、
その結果、いつも聴いたあとがこうして大変なことになる。

・去年と同様、ポゴレリチが何もかもなぎ倒して通り過ぎたあと、
私をじわじわと正気に戻らせる方向に働くのが、歌舞伎だ(^_^;。
昨日、音羽会からいつもの公演案内の封書が来て、
今回はそれに新年会の詳細も同封されていた。
この日記にもよく音羽会関連の検索語で来て下さる方々がいらっしゃるので、
一応書いておくと、今度の『音羽会新年会』は『平成26年1月12日』だ。
新年会は、寺島ファミリーとファンの交流会を兼ねたお食事会で、
出席するには音羽会会員になるか、会員の同伴者となる必要がある。
歌舞伎の後援会会員に入るためには、紹介者などは要らないが、
その役者さんが出演している公演のとき、ロビーに設けられている番頭席
(『○○会』という表示、或いは役者さんの名前での受付がある)に
直接申し出るというのが一般的だ。
1月から仕事が忙しくなるので、私は新年会に行けるかどうか不明だが、
とりあえずお正月休みはあるから、国立劇場は初日を観る予定にしている。
尾上菊五郎 待望の内孫に「『ひいさま』と呼ばせます」(サンスポ)

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【悲報】配信開始したゲーム「ボーイフレンド(仮)」が酷すぎて話題にwwwwwww(アルファルファモザイク)
Twitterで笑われていたので、何気なしに飛んでみたら噴いた。
以前、デートという設定で、イケメンの男の子が『やぁ』と
ブリーフ姿で華麗に登場するバグ画像を見たことがあったが、
こりゃまた、全然別の意味で仕上がっていないヒトばかり。
ふと見上げると、彼氏めっちゃイケメン、でも飛頭蛮(T_T)!!
むじなの彼氏はのっぺらぼうだけど、でもこれも
なぜだかイケメン以外ないだろってわかっちゃうから妖力凄い(爆)。

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・会社のガイジンさんたちがDirty Santaなるものの話をしていた。
なんだか、パーティでプレゼント交換をする遊びの名前らしかった。
時節柄、むこうの子供らのクリスマスのゲームのことか~
とテキトーに聞き流していたら、
「だから来週、プレゼント持って来てネ。ひとり500円くらい」
と隣のカナダ人が私にむかって唐突に言った。
何それ!??私らがやるハナシだったの!?

・主人の職場に、来年のカープカレンダーが届いた。
大竹投手も堂々と掲載されていた。……虚しいだけだった(^_^;。
そりゃあ編集時期を考れば、大竹のFA権行使の件は
まだ具体的になっていなかった頃だったのだろうとは思うが、
できあがりだけを見るなら、やはりマヌケとしか言い様がなかった。
宝塚のスターカレンダーだって、退団予定時期と掲載月には
一応の配慮がなされているというのに……。

Ivo Pogorelich, pianiste cosmique
……を、フランス語の勉強のためにもちゃんと読もうと思いつつ、
毎夜、睡魔に勝てず、ポゴレリチのパリ公演は終わってしまった(^_^;。
このあとは仏語の演奏会評がどこかに出るのでは。
ああ、こうやって宿題ばかりが増える…。
それにしても、写真のポゴレリチが着用しているシマシマパンツは、
もう何年越しだろうか。
私の観察では、2010年からずっと、日本にも毎回、着て来ている気がする。
とてもとても、ものを大切にするマエストロなのであった。
もはや何を着るか全く頓着しとらん、ということでもあるのだろうけど(逃)。
それにしても5月と同じズボンを12月にも、って冷えないんだろうか。
下にちゃんと、股引をはいとったんだろうか(逃×2)。

・ツィメルマンの三原公演が12月27日へと延期された。
【公演延期】クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル
本来は6日で、ポゴレリチ川崎公演と重なっていたので諦めたのだが、
27日なら私は日程的には行けないことはない。
今の壊れた頭で聴けるかどうか、という重大な問題はあるが…。
そのツィメルマン、ちょっと調べてみると最近のリサイタルでは、
楽譜を見ながら、それも譜めくりストの助手はつけず、
横に長くつないで製本した譜を自分でめくりながら演奏する、
というスタイルらしい。
暗譜に固執するあまり、細部を取りこぼした演奏をするくらいなら、
楽譜を置いた上で完成度の高い演奏をしたほうが、百万倍良いと思うが、
しかし同程度にクォリティの高い演奏であるなら、暗譜のほうがスマートだ、
ということも、聴き手としての私にはよくわかっている。
ポゴレリチはともかくとして(笑)、ツィメルマンまで譜を見るとは。
腰痛症になって心身のダメージが大きかったのだろうか…?
それとも演奏上の必然性等の理由が……?

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毎回、ポゴレリチの来日公演のあとは
拙サイト&ブログのアクセス数が増加するのだが、
今年は特にそれが顕著だった。
8日の東京公演から4日が経過した今もなお、
その余波が続いており、驚くばかりだ。

Twitter上でも、4日の名古屋公演直後から感想ツイートが増え始め、
6日川崎公演のあとからはもう膨大な量になった。
私はその内容に感激しつつも、旅先とあってガラケーひとつしかなく、
ひたすらリツイートし続けていたら(^_^;、このほど、
お友達のぽんず様が、それらをきちんとまとめて下さった。
本当にありがとうございました~~!!
素晴らしい!!

2013 ポゴレリッチリサイタルのつぶやき(togetter)

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『その後、大丈夫ですか』とメールで訊いて下さった方々にも
この場を借りまして御礼を申し上げます(汗)。
ご心配下さいまして、またご理解下さいまして本当にありがとうございます。
全然、大丈夫ではありませんが(爆)。

熱を出したとか寝込んでいるとかいうことではないのだが、
私は、心身ともに停止寸前、という気分だ。
パソコンを開くことも負担だし、音楽も聴きたくなくなった。
演奏会など、むこう数ヶ月はもう行かないだろうと思う。
自分でピアノを弾くことも、ハッキリとイヤになった。
とりわけ、自分のテレーゼは全く要らない。
だから今は、ハノンとツェルニーだけやっている。
ダウンロードしたものが巨大過ぎ、容量の限界まで食われており、
動作は激遅、些細な負荷がかかるだけでフリーズ寸前、
という実感がある。

ポゴレリチを聴いたあとは、私はいつもだいたいこのようになるので
今回だけが特別だったということではないのだが、
それにしても今年は、ショパン・リスト、それにベートーヴェンと、
それぞれに彩りの異なる彼の独自の世界に続けざまに触れたので、
その影響はこれまで以上に私の中に強く残りそうな気がしている。
何ヶ月か経てばまた、音楽を聴いたりピアノを弾いたりする、
以前の日常がどこかで戻って来る筈なのだが、
そうなるまでは、静かに自分の感覚の修復を試みるほかないと思っている。

私は彼と違って、本来、ごくごく凡庸な世界の住人であり、
狭い穏やかな空気の中で、自分の精神の均衡を保って暮らしているので、
あのような尋常でないものに容赦なく引きずり回されたら最後、
しばらくはモトに戻れない。
2010年の『独白・百物語』系のときにも、
まともに付き合おうとした私は随分と疲弊したものだが、
現在のポゴレリチの演奏は、あの頃とは全く異なっていて、
音も構成もすべてにおいて、上から下まで照準がピタリと合っており、
それゆえにこちらを一瞬たりとも逃さず的確に直撃して来るのだから、
これはこれで、受け手としては、たまったモノではなかった(^_^;。
いや圧巻だったのですよ勿論。ありていに言えば(汗)。
しかし圧巻もその規模と方向性によっては、やはり聴く者には命取りなのだ。

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去年の5月、既にそういう予感はあったのだが、
今回、6日川崎・8日東京と二公演を聴いて、
ポゴレリチがだんだん物凄いモノになって行くのがわかり、
私は今後、正気で彼を聴き続けることができるかどうか
ヤバいレベルに差し掛かってきたと思った(^_^;。

彼の巨大で濃密で精緻な、極上の芸術としての『追憶』の時間は
私の中にあった様々な、ごく個人的な記憶までも同様に呼び起こした。
普通はそんなものは思い出すにしても稀だし、
思いがけないものが姿を現すにしても、大抵ひとつずつなのに、
彼は多くのものを私の中で一度に蘇らせたので、
私はそれらに対処しかねて、深いところで真剣に混乱した。
幸福で甘美な想い出もあったが、できれば目を背けたかった記憶もあった。

人間は『忘れる』ことにより、生きることが楽になるのに、
ポゴレリチは、まるで『忘れる』ことを知らないかのようだった。

ポゴレリチが演奏会の少ないピアニストで、
私にとっては本当に本当に、良かったと思った。




…………で、ワタクシはこんな日から出社しなくてはならないって、
どゆこと(T_T)。なんかの天罰???

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ポゴレリチは今回、ベートーヴェンを通じて、
若き日の輝かしい出発の情景や、やり場のない激情や孤独、
大切な人への追慕、などを様々に描いていたと思うのだが、
私が本当に驚いたのは、それらすべてが、
限りない『想い出』として響いたことだった。
ショパンの夜想曲作品48-1での激しい慟哭でさえも、
現在進行形ではなく、既に浄化された追憶であるように、
私には感じられた。

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昨日は川崎市内のホテルで寝まくった(爆)。

前夜、ポゴレリチのリサイタルを聴き、
ホテルに戻って倒れ込んで寝て、夜中に一度起きたが
結局は朝というか正午まで覚醒せず、
それからパンを買いに一度外に出たが、
午後からまたベッドに戻った。
気力も体力も枯渇していた。

この日は演奏会がなく、夕方に娘と会うことになっていたので、
『武蔵小杉に着いたあたりでメールして下さい』
という文面を携帯から送信したあと、私はまた、
知らないうちに眠りに落ちていた。

午後4時過ぎに、娘からの
『武蔵小杉通過』
という連絡が来て、やっと本当に起きた。

午後5時頃に娘がホテルのロビーまで来てくれたので、
ふたりで川崎駅界隈に繰り出し、
彼女の希望で書店に行き、石焼きハンバーグの店で夕食を取り、
ユニクロでコートを買ってやり、
駅地下のスーパーでの買い物にも付き合った。

よくわからないが娘は楽しく暮らしているようだった。
先月の学園祭で、娘は似顔絵師として働いたのだが、
いろいろなお客様があって面白かった、という話をしていた。
娘によれば、目鼻立ちの小さい顔は特徴を出しにくいので難しく、
歌舞伎役者のように大ぶりで濃い顔だと、似顔絵にしやすい、
とのことだった。
「じゃあポゴレリチは描きやすい?」とフったら、
「ああええよ、メールで写真送って」と娘は笑った。
たいしたものだな(爆)。

ちなみに娘の言葉は相変わらず広島弁アクセントが混ざっていた。
私と喋っているからではなく、普段からそのままだと言っていた。
「完全になおすことは諦めた(笑)」
とのことだった。
まあ、フォーマルな言葉遣いと敬語さえきちんとしていれば、
普段の会話については何弁風だろうが『個人語』ということで
構わないだろうというのが私の考えでもあるので、
そのくらいで良いのではないかと思った。
フォーマルな言葉遣いと敬語さえきちんとしていれば、な(^_^;。

駅地下のフードコートで鯛焼きを売っている店があり、
娘はカスタードクリームの鯛焼きが好きだったことを思い出し、
「要る?買ってあげようか」
と言ったら、娘は、
「いや……、あれは良くない、と思う…」
と消極的だった。
娘は食べてみなくても、美味いかどうかは睨んだらわかると言った。
「私が、何年、鯛焼きソムリエをやっとると思うとる」
た、鯛焼きソムリエ……(^_^;?いや今初めて聞きましたけど…??
「これまで私が、幾度だまされ、どれほど欺かれ、……」
………???
娘には何か、私の知らぬ過去があったようだった(笑)。

この日の夜もまた私はホテルに帰って寝まくった。
家事も何もしなくて良いのだから、疲れを癒やすのみだった。
連日の演奏会でなくて、本当に良かったと思った。
これだけ枯渇していたら、たとえ演奏会があっても、
私はポゴレリチを受け付けなかっただろうから。

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ショパンの葬送が第三楽章に差し掛かったとき、
黄泉路がこれほど穏やかなものだったとは…、
と危うく説得されそうになった。私はまだ死んでないというのに。

ポゴレリチの描く死界には、現世のいかなる平和や平穏とも違う、
異次元の、果てしのない安らぎがあった。
アケローン川は音もなく清らかに、途切れることなく流れ続けているのだな……、
とも思った。

そして、その延長で聴いたリストのロ短調のむこうには、
前回のような「無」ではなく、透明な「永遠」を感じた。




ヤバいって。こんな演奏会は。マジで(汗)。

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