転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



娘は模試があると言ってお弁当を持って学校に行ったので、
主人と私は、朝から佐伯区の舅宅へ行った。
数年前まで、療養中の姑が外泊で家に帰って来ていた頃は、
その御蔭で私達も、定期的に舅宅に宿泊していたので、
家の中も外もそのたびに一応見られる程度に回復していたのだが、
姑が亡くなってからは、そのような機会もなくなり、
舅宅は荒れる一方になっている。
それでも初めのうちは、草取りをしていないのが目立つと、
ご近所の手前、なんだか恥ずかしい、という程度で済んでいたのだが、
最近は、ヘタをすると遠目に見てもうちだけ明らかに廃屋で、
いくらなんでも用心が悪い、という次元にまで落ちている。

それで今朝は、日曜で家にいた主人を動員した。
あの家の掃除をひとりでやるのはシンドい、と言った私に、
「そんなに汚れとるかいの?」
と主人は道中、呑気な返事をしていたが、侮ってはいけません、
私は舅姑と同居していた頃には、10月ともなれば、
毎日、朝と夕の二度、玄関まわりや庭の掃除をしていたものです。
そーしないと落ち葉だらけになるし、じーちゃんがキレるから。

本当ならそうやって、日に二度は掃除すべきだった庭を、
今では十日でも二週間でも放置しているのだから、
その荒れ果て方は大変なものだった。
私だって普段、全く来ていないわけではないのだが、
月に一度や二度、世話をした程度では、所詮、焼け石に水で、
雑草もゴミもたまるばかり、容易なことではリセットできないのだ。
じーちゃんは、もはや諦めたのか、単に霊力が及ばないのか、
事情はわからないが、掃除に出てきているようではなかった。
庭には、予想通り落ち葉が積もり、
いかにも「ロゼット」という形態の雑草がたくさん生えていて、
それらの間を、何かよくわからないツルのようなものが
いろいろな方向に伸びて、あちこちに横たわっていた。

秋の庭がどうなるかを改めて悟った主人は、
無言でガレージと玄関前を掃除し、
それから、お盆以来放置の裏庭に回ったら、
一面の雑草の間に、ウエストくらいまで来る高さの、
名称不明の草が何本も生えているのに怖れをなし、
「きょうは、もうええ。こっちは、またにしよう。枯れてから」
と意味不明なことを言って撤退した。
どのみち、半日で全部どうにかしようというのは無理だから、
それなら、裏はまた私がそのうち作業しに来よう、と思った。
そのうち、っていつだよ(T_T)。主人も私も虚しいことだった。

玄関を入ったところでは、立派なゴキが倒れていた。
私は出会った記憶がないが、夏の間、活動していたのだろうか。
二階の洋間でも、小さめのゴキが亡くなっていた。
こっちはベイビーゴキかもしれなかった。
なんまんだぶ、なんまんだぶ。
遺体を埋葬しようとして、ティッシュで包んでどけたら、
ベイビーのほうの触覚が取れて床に落ちた(--#)。
いちいち迷惑なことだった(爆)。
それでも全体としては、家の中も外も、朝来たときより、
事態は随分と改善したから、良しとせねばならなかった。
「廃屋」でなく「旅行で一週間留守」くらいの有様には、なった。

それから、二人で舅宅の戸締まりをして、
帰りにスーパーに寄って仏花を買い、舅姑の墓に行った。
十日ぶりくらいに来たが、前に備えた菊は元気がなくなっていて、
しかも、うちの墓石と通路を挟んで向かいの家の墓石との間に、
蜘蛛が壮大な巣をかけていた(^_^;。
墓所に来て殺生するのもアレなので、主人と私はそのまま、
蜘蛛の巣を壊さないように中腰になって、墓掃除をし、花を供えた。
新しい花が来ると、蜘蛛は「なんだなんだ?」と思ったらしく、
するすると降りて来て、花の上にかがんでいた(^_^;。

生い茂った下草、建物を囲むように巻くツルに、蜘蛛の巣。
グリムやペローのおとぎ話にありそうなパーツばかりだったが、
要は掃除をサボるとこういうものが出てくる、ということがよくわかった。
ちなみに、王子様やお姫様のお話にゴキが登場しないのは、
イメージの問題以前に、ヨーロッパにゴキが普通おらんからだろうな(爆)。

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日本時間では、今、もう10月20日になっている。
マエストロ・イーヴォ・ポゴレリチのお誕生日だ。
1958年生まれだから、彼は今年で54歳、
1980年を事実上のデビューとすると、演奏家生活32年目だ。

今年は、5月の来日公演が予想を遥かに上回る素晴らしい内容で、
私はファンとして、最高に幸せな思いをさせて貰った。
その御蔭で、いつにもまして、きょうは嬉しいお誕生日となっている。
81年の初来日以後、ずっと変わらず日本を訪れてくれていること、
そして今年は特に、あれほどの演奏を聴かせてくれたことに、
私は今も、心から感謝している。

演奏活動や芸術活動の日々が、決して平穏なものでないことは、
私のような者にもある程度、想像がつくところだが、
少なくとも彼の演奏を聴く限り、今年のポゴレリチは、
過去およそ十年くらいの間には無かったほど、
安定し充実した状態にあるように思われる。

どうかこれからの一年もまた、彼にとって実り多い毎日であるよう、
そして演奏を離れた時間には、心穏やかなひとときがあるようにと、
極東より、心からお祈りしております。

Happy Birthday, our dearest Maestro!

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娘は、今週火曜日から本日金曜日まで、2学期中間考査だった。
日頃ボケ倒している彼女も、さすがに毎日勉強していた。
何しろ、私大文系コースに絞った今、学校の授業も、
試験があるのはほぼすべて入試科目に関係するものばかりだ。
この期に及んで、手を抜いている場合ではないのだった。
普段から予習復習バッチリやっていれば、
こんな直前になって焦ることなどない筈なのに、
不心得者の娘は、試験が近づくほどにジタバタした。
あれもやってない・これもやってない、
と科目によっては半徹だった。

一方、主人は、今度の土曜日が健康診断の日だ。
日頃、食い倒れることの多い主人も、
さすがにこのままではマズいと、毎日、減食に励んだ。
何しろ、若い頃から一度たりとも痩せていたことがなく、
30代から脂肪肝を指摘され、検査値が改善したり悪化したりを繰り返し、
近年も、基準値ややオーバー、という値が続いているのだ。
主人は、先月からなんとなく検診日を意識し始め、
今月に入ってからはもう、その日に向けて日々努力するようになった。
出勤前と帰宅前にスポーツクラブに寄り、
朝は果物、昼は抜くかサンドイッチ程度、夜は魚と煮物、
という食生活で、完全断酒し、飲み物は豆乳オンリーにしており、
さすがに体重はじわじわと減少して来た。

二人とも、尋常でなく努力したとは思う。凄い頑張りだった。
しかし、はっきり言おう、キミらのは典型的な「付け焼き刃」である。
父娘、時を同じくして、本当にそっくりだった。
常日頃、地道な積み重ねなどして来ておらず、ただ直前だけ、
しないよりはマシであろうという努力をしただけだ。
頭にあったのはこれまでの反省ではなく、
ただ当日をやり過ごすことのみ。
その日が過ぎれば、またもとの木阿弥、もう何もしない。
それどころか、解放されたとばかり、一気に緩むに決まっている。
そして多分、このあと結果が返って来るまでの間だけが、
束の間の天国なのだ。

*************

ときに、検診日に提出することになっている問診票を見ながら、
主人がさきほど皮肉に笑っていた。それには、
『最近半年で、体重が3キロ以上減りましたか』
という項目が、あったからだ。
元来は、自覚症状がなくとも、悪性疾患や慢性病があるときに、
長期的な体重減少が続く場合があるので、
こういう自己チェック項目が設けられているわけだが、
主人の場合は上記の通り、姑息な事情が先にあった。
おお、減ったとも減ったとも。
3キロどころか、最盛期からすると5キロ近く痩せたかもしれない。
と主人は威張った。
主人は迷わず、この質問に『はい』を選択したのだが、
それって、医師にはどう判断されるのだろうかね。

……にしても毎回思うのだが、○キロなんて指標としては曖昧だ。
だって、40キロ台半ばの女性が3キロ痩せたら結構なダメージだが、
103キロが100キロになったって、そんなの誤差とか日内変動の範囲だ。
正確には元の体重の何割、という考えで判断すべきものだろう。
あ、勿論、『40キロ台半ばの女性』は私には全く関係のない話だし、
主人もさすがに100キロではないからね。念のため。

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昨日は午後からネットに接続しにくくなって、困った。
結論としては、夜になって解決できたのだが、
そこに至るまでには多少の難儀と、ささやかな犠牲とがあった。

ことの起こりは、昨日、午前中の外出から戻って、
いつも遊んでいるmixiのサンシャインワイナリーの具合を見ようと、
パソコンを立ち上げたときだった。
朝は異常が無かった筈なのに、このときにはmixiやTwitterや、
このブログ、その他、いつも行くページがとてつもなく重くなっていて、
再起動してもルータを点検してもコンセントを抜いても、
どうしてもそれが解決しないことがわかったのだ。

折しも、昨日は久しぶりに広島市内は大雨だった。
うちのインターネット接続は、某ケーブルテレビの光高速通信なので
フレッツ光の宣伝があまりにもあまりにも執拗なので、怒った私が、
NTTと縁を切り
、電話もネットも全部、そのケーブル会社でまとめたのだ)、
もしかして雨がひどくてどこか断線しかかっているなどということがある?
と最初は考えてみた。
しかし、それはかなり非現実的な話だと思われたし、現に途中で思いついて、
InternetExplorerでなくGoogleChromeを使ってこのブログに来てみたら
何の問題もなく表示されて、続いてmixiも、ログインに手間取りはしたが、
GoogleChromeなら開くことができるとわかった。
ということは、接続不良ではなくメインブラウザのほうに、
何らかの問題が起こっていることは明らかだった。

それから私は考えた。
ブラウザを換えれば済む、という消極的な解決ではいけないだろう。
今朝まで使えたのだから、IEをなんとか復活させなくては。
IEから行けなくなっているサイトの共通点は、何だろう。
特に、mixiのアプリであるサンシャインワイナリーが、
いつまで経っても待機画面より進むことが出来ず真っ白、
というのは、一体……。

IEでも、Googleのトップは軽いし、Yahoo!メールもちゃんと開ける。
その一方で、サンシャインワイナリーが開かないということは、
つまり、アニメーションが観られないということではないだろうか。
考えてみると、重くなっているほかのサイトも、
小さいものでもアニメや動画がどこかに使われているものばかりだった。

これは、もしかしてAdobe Flash Playerのせいではないか、
と私は見当を付けた。
パソコンの理屈など相変わらず私にはよくわからないが、
Adobeのどこかと、IEの何かがひっかかっていて、
動作が巧く行っていない、ということは、十分ありそうな気がした。
折りしも、少し前にAdobe Flash Playerは自動更新されており、
開いてみると、ソフトの動作説明のページに飛べなくなっていた。
壊れとるのやないか(^_^;。

それで思い切って、パソコンからAdobe Flash Playerを削除してみた。
フリーソフトだし、また入れることは可能だからこの際よかろうと思った。
それからIEでmixiに行ってみたら、思った通りサッサと開き、
ワイナリーをクリックしたら、これまた結果は予想通りで、
ソフトが無いために、見慣れたいつものゲームは表示されず、
Adobe Flash Player最新版をダウンロードせよ
という表示が、かわりに出ていた。
で、そうした。このソフトは簡単に再インストールできるのだ。

……なおった(^_^;。
万事、解決した。
何が起こっていたのかサッパリわからないのだが、
とにかく原因はAdobe Flash Playerだったと思うしかなかった。
こいつが改心したら、IEも心開いて、仲良くしてくれるようになった。
更にどういう影響なのか、一太郎まで和んで、前より作業が早くなった。
いいなぁ。人間もこういうふうに、あっさり別人になれたら、
私なんかも、旧悪の数々を捨て、良いヒトとして出直せるのになぁ(殴)。

ともあれ、そういうことで、めでたく十時間ぶりくらいで、
ようやく落ち着いてサンシャインワイナリーに入ることができたのだが。
朝、品質70以上を見込んで仕掛けていった、Cソヴィニヨンが、
四樽とも、開けてみたら、品質19で静かに瞑目しておいでだったorz。

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「EU加盟を機会にクロアチアの魅力を発見・再発見しよう」
という企画で、フランスではこの9月から年末12月まで、
『Le Festival croate en France(フランスのクロアチア祭)』
というイベントが行われているのだが、そのフェスの一環として
イーヴォ・ポゴレリチが特別リサイタルを開く、と先日発表された。
前々から少し話は聞こえていたのだが、ようやく具体的に出てきた。

12月14日・15日・16日の三日間に渡り、
『Week-end Radio-France(週末ラジオ・フランス)』
というイベントが企画されており、ポゴレリチの出演はその初日で、
12月14日(金)夜8時から、CENTQUATRE(104)という名の文化施設の、
400席ほどのホールSall400でリサイタルを行う。
Les Salles de Spectacle du CENTQUATRE(CENTQUATRE Paris)
(ホール情報は、千々岩英一様より頂きました。ありがとうございました。)

それで、ポゴレリチが何を弾くか、なのだが。
ラジオ・フランスとクロアチア大使館の主催公演で、
現在まで、複数のサイトに相次いで告知記事が出たのだが、
プログラムについては、まだ情報が錯綜している(^_^;。

Destination Croatie(Radio France)
Week-end Radio-France(Le Festival croate en France)
(上記サイトの情報は、フランス在住の某マダム、
ほか、ヨーロッパのポゴファン仲間から頂戴しました。多謝!)

前者ラジオ・フランスのサイトでは、ポゴレリチのリサイタルは、
5月の来日公演同様に、ショパンとリストのプログラムで、
ショパンのソナタ2番・リストのメフィスト、
ショパンの夜想曲48番・リストのロ短調ソナタ、となっている。
一方、後者のクロアチアフェスのサイトによると、
オール・ベートーヴェンで、ソナタ「悲愴」「テンペスト」「熱情」、
の三曲が予定されている。

さて、どちらが当たっているでしょうか(^_^;。

私としては、ベートーヴェンに一票、
……というか、少なくとも夏の休暇があけてからのポゴレリチは、
リストのメフィストはプログラムから外しているので
ショパンとリストで弾くとしても、来日公演当時の構成に戻ることは
考えにくいのではないかと私は思っている。
そしてオール・ベートーヴェンは、既に年明けのザグレブ公演で、
弾くということが発表されているプログラムなので、
時期的にも年末だし、こちらで行くのではないか、という気がするのだ。
もちろん、誰に訊いたわけでもないので、何もわかりませんが(爆)。

ほか、現地の方のお話では、ラフマニノフなども候補曲として
少し前には噂に出ていたそうなので、
もしかしたら、ここには公表されていない第三のプログラム(^_^;が
実際には演奏されることになるのかもしれない。

なお、ラジオ・フランスの企画ということで
ネットラジオでの放送は無いのかというご質問も頂いたのだが、
現段階では何も発表されていない。
しかし、これまた私の感じに過ぎないが、
放送される可能性は大変低いのではないかと思う。
普通のピアニストならすんなり放送されるところなのだろうが、
何しろ、ポゴレリチは一筋縄で行かないのだ。

いつも書いていることだがポゴレリチは、
「演奏会の実況」という形態を80年代から忌み嫌っており、
現在、公式的に残っている彼の演奏会映像や実況録音は、
すべて、80年代前半までのものに限られている。
彼に言わせると、ホールで、目の前にいる聴衆に向かって行う演奏と、
放送やレコード等を通じて不特定多数の聴き手のために行う演奏は、
全く別のものだそうで、両者をひとつの弾き方でうまく満たすことなど
自分にはあり得ない、というのが、彼の三十年来の持論なのだ。
極東に住むファンとしては、その持論が変わってくれることを
かれこれ二十年以上に渡って願い続けているのだが、
今回、何かが起こってくれるかどうかは……かなり心許ない気がする。

それにしても、クロアチアが連邦から独立して早二十年だ。
国を代表する芸術家として、このような演奏会を行うことを
ポゴレリチはきっと、名誉なことと思っているだろう。
彼のためにも、そしてクロアチア・フランス両国のためにも、
記念すべき、良いリサイタルになりますように……、
と太平洋の向こうからお祈りしております。

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『血圧130って普通でしょ?』
『いえいえ、実は「高め」です。』
『130を超えたら要注意』

で始まるSunt○ryの健康茶の宣伝が、
このgooブログ編集のページに出ているのだが、
こんなものを見て、血圧ノイローゼの人がよけいに症状を悪化させ、
いっそう血圧を上げてしまうことを、私は真面目に憂えている(^_^;。
アクセス解析を見ると、拙ブログに来て下さる方の検索語のうち、
年間を通じてほぼコンスタントに挙がって来るのが、
「血圧ノイローゼ」(と「扁桃炎」)なので、
血圧が高い高いと言われて気に病み、ネットで検索までしている人は、
世の中、決して少数ではないだろう、と私は思っている。

私が思うに、若い頃から明らかな低血圧で、
「いつも、上が100行くかどうか」だったような人が、
中高年になっていきなり、「いつ測っても130超」になったとしたら
それは確かに、「高め」だし「要注意」だと思う。
すぐ死ぬという値では勿論ないが、本人比として上がっているので、
体重や食事内容の変化など、原因があれば改善したほうが良いだろう。

しかし私のように、成人してこのかた、若くて痩せていたときも含めて
ただの一度も「低血圧」だったことがない(120台~130台)という人間は、
50歳近くなった今、検診血圧が130だったからと言って、
別に何が起こっているわけでもない。
それは確かに、この状態から更に心がけて、痩せたり運動したりして、
常に120以下が基本だ、と言えるようになればもっと良いとは思うが、
降圧剤を飲んで積極的に110台を実現するなどというのは、本末転倒だろう。

だいたいが、「健康には自信がある」「私に限って」のタイプは、
血圧がいくつだと言われても頓着せず、飲酒喫煙をやめないし、
倒れたりしようものなら、大変意外だとばかり、
「これまで病気ひとつしたことがなかったのに」と言うのだ。
うちの舅なんか、これはまだ彼が初老で十分元気だった頃の話だが、
「そのままでは死にますよ」と医師に言われて、
生活改善をするどころか、通院をやめただけだった(爆)。
逆に、検診で「130超」と言われた途端にビビる人は、
毎朝自宅で、気に入る値が出るまで10回でも血圧測定を繰り返し、
測定値を全部ノートにつけて、結果、更に血圧を上げるものなのだ。
どっちも、あんまり長生きしないんじゃないですかね(逃)。

私が個人的に気に入っているのは、「一病息災」という感覚だ。
検診のたびに指摘される悪いところが、ひとつくらいはあって、
健康なんてあんまりアテにならないかもしれないな、怖いよな、
という程度の意識は持ちながらも、
「ま、でも今日くらい、いいか(^^)」
と、ついついビールを飲んでしまう程度の状態が、
立派とは言えなくても、ほどほどで、良いのではと私は思っている。

健康管理は必要だし、基本的に良いことなのだが、
検診結果の数字合わせのために人生があるのではないので、
これが体にいいんだ!ここまでしか駄目!そんなことしたら体に悪い!
と、日々いちいちチェックして暮らすようになると、究極的には、
「健康を守るためなら死んでもいい」式の、
追い詰められ方をするのではないかと、私は思っている。
なので、S○ntoryのお茶を飲んだ程度で、すっかり元気になれる人は、
それはそれで、もう、ヨロシいのではないでしょうか(逃)。

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フレディ・マーキュリーの伝記映画、「きっとどこかで苦笑いしてるに違いないね」(BARKS)
『クイーンのフレディ・マーキュリーの伝記映画が2014年初頭にも公開されることはお伝えした通りだが、これまでの幾度に渡る企画倒れを乗り越えての決定であり、クイーンが出演した1985年のライブ・エイドまでのフレディの軌跡を描く作品になるという。』『 同作は、『クイーン』や『フロスト/ニクソン』でアカデミー賞ノミネート経験のある脚本家ピーター・モーガンが脚本を執筆し、ロバート・デ・ニーロの製作プロダクション、トライベッカ・プロダクションズ社が共同製作を務める。来春にもクランクインを予定しており、予定通りサシャ・バロン・コーエンがフレディ役を務める。』

そんな企画があったのか(^_^;。是非、観たい。
2014年と言えば、普通に考えて娘の受験も終わっていよう(爆)。
ワクワクしながら、QUEEN仲間と一緒に映画館に行き、
ふれで先生・一代記を観る日が、今から楽しみだ。
私はきっと、映画の出来映えやフレディの描かれ方がどうであれ、
「こんなの、フレディじゃない!」
などとは、思わないだろうと予想している。
映画の主人公としてのフレディは、やはりひとつの虚構なのだし、
ブライアンも言う通り、ほのかに困惑しつつも、笑って、
そしてそれなりに感慨を込めて、観れば良いと思うのだ。
私は映画は大変ウトいので、サシャ・バロン・コーエンについても
ほとんど予備知識が無いのだが、なかなか似合っていそうだ。
……で、この前歯は、やはり、つくりもん(^_^;?


T.M.R.西川貴教×全日本プロレスが初タッグ! クリスマスイブ合同興行(ORICON)
『T.M.Revolution・西川貴教が11日、毎年恒例の男子限定ライブ10周年記念公演として、全日本プロレスとタッグを組んだイベント『T.M.R. LIVE REVOLUTION’12 -Strikes Back X-』を12月24日のクリスマスイブに横浜文化体育館で開催することを発表した。都内で行われた記者会見で西川は「全日本の皆さんと新たな歴史を作ります!」と宣言。全日本プロレスの武藤敬司とともに「これまでのコラボとは一線を画したものにしたい」と意気込んだ。』

聖地・横浜文体で、T.M.Revolutionとグレートムタ(の代理人・爆)が
コラボですと!?しかも男子限定って。
広島のオバさん(=私)なんか、全然お呼びでないってかっ(--#)。
これまでも道楽と道楽が合体した催しは多々あったが、
いよいよ私の道楽の両極端が邂逅を果たしたようなことになり、
こりゃネット配信がないだろうかと、今は祈る思いだ。

『すでに全日本道場に足を運び“足四の字固め”を教わったという西川だが、武藤の「生だから何が起こるかわからない。足四の字固めだけじゃダメ。シャイニングウィザードも教えるよ」という言葉に、「心配なんですよ~。生なので」とビクビク。』

足四の字は、地味だから今時のレスラーは決め技にはしないけど、
武藤にとってはこれはフィニッシュ・ムーブとして特別なものだ。
投げ技や跳び蹴りで攻撃したあと、最後に四の字に持って行くのは、
武藤ならではの展開で、ファンなら「キタ――!!」だから。
シャイニングウィザードは武藤本人が開発した技で、
言ってはナンだが、ちっこい西川氏なら、かえって良い味が出せるかも。
タタっ!と相手の膝に乗って、目にも止まらぬ速さで膝蹴りするのだ。
大事な体なので(笑)、受身だけはよく習って、怪我に気をつけてね。
でもまあ、西川氏なら、プロレスは、基本、大丈夫っスよ。
和泉元彌はもとより、82歳の浅香光代でも出来たんやから(逃)。

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私を「よしおぅ」と呼ぶメキシコ人男性某氏は、
なんと最近、北朝鮮に行って来たそうだ。
この旅行を決める前、夏の終わり頃だったか彼は私にメールをくれて、
『よしおぅは北朝鮮に行ったことがある?どう思う?』
と訊ねて来たのだが、いや~、それはいくらなんでも、
一般的な日本人だと、北朝鮮で遊んだことのある人は稀でないの(^_^;?
『北朝鮮は地理的には遠くないが、日本とは正式な国交がないので、
北朝鮮へ観光に行ったことのある日本人は、大変少ないと思う。
もし周囲でそういう人がいたら、「勇気がある!」と私は思うでしょう』
と返事を送った。

それから一ヵ月ほどして、「よしおぅ」の彼からメールが来た。
タイトルが、『I made it!』、……『やったぜ!』と(^_^;。そして、
『僕は、キミの言う「勇気のある」人間になったよ!』。
このヒトは、ちゃんと行って来たのだった。平壌へ、観光旅行に。
ヨーロッパの人達との12名の団体旅行ということでビザが取れて、
ホテルから勝手に出てはいけない、という制約はあったものの、
現地ガイド2名がついての市内観光を、楽しんできたということだった。
アリラン・ショーを見て、サーカスを楽しみ、美術館を訪れ、
遊園地に行き、ボーリング場で遊び、
オーケストラを聴いて(北朝鮮の作曲家の作品のみの演奏会)、
……とイベント続きで、とても快適な旅行であったとのことだ。

食べ物も素晴らしかったそうだ。
彼好みの刺身や塩辛は食べる機会がなかったそうだが、
各種朝鮮料理をいろいろと味わって、彼のアジア趣味は大いに満足し、
最後にはなんと、「犬の足」料理も試したとのことだった(O_O)。
さすがに「犬の足」には同行のツアーメンバーもびっくりしていたそうだ。
そうだろうな(^^ゞ。
「犬」と言って食用をイメージする欧米人は少ないだろうから……。
しかし中華料理だって、ありとあらゆるものが食材になり得るというし、
ほかの動物なら良くて犬だけいけない、という理由は無いのだろう。

彼のメールを読んでいて私は、久しぶりに、
かつて話にだけ聞いていた、70年代のソ連のことを思い出した。
冷戦時代のソ連は、日本との国交はあったけれども、
日本の一般人にとっては「鉄のカーテン」に閉ざされた別世界、
という印象が強く、事情に疎い者がうっかり観光旅行で行ったりしたら、
無事に帰って来られないかもしれない、と言われていたものだった。
それこそ、勝手にホテルから出歩いたら殺されるとか、
予め提出した旅程以外の行動を取ったら、すぐに逮捕されるとか、
シェレメチェボ空港の税関でロシア語で巧く返答などしようものなら、
スパイ容疑で身柄を拘束されるから、ロシア語など出来ないほうが安全、
とか、……ほぼ真偽不明の、実に様々なことが評判になっていた。

しかし今、ロシアへの旅行は、そのように特殊なことではなくなった。
当時と比べて、日本との外交上の問題が全くなくなったわけではないが、
ロシアはずっと開かれたし、日本から見た印象も変わった。
願わくは、北朝鮮と日本の関係も、この先、もっと改善して欲しいものだ。
民間人が、楽しく観光で行き来できるくらいになるのは、一体いつのことだろう。
政治や外交、それに国民感情の問題が一足飛びに解決するとは思えないが、
昔のソ連の印象が、全く同じに維持されているわけではないことを考えると、
北朝鮮もまた、もう少し近い隣人の関係に、なり得る日が来ると良いな、
と思わずにいられない。

まあ、でも、「犬の足」は食べんけど。私は(^_^;。

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昨夜は、市内で遠藤郁子氏のリサイタルがあったので、出かけた。
私は不勉強なので、遠藤氏のイメージは長らく80年代で止まっており、
見事な経歴と知的な雰囲気を持つ、豪華なドレスをまとった演奏家、
という印象が最近まで変わっていなかった。
ところが、ポゴレリチが縁で知り合った、とある方から、
ここ20年ほどの遠藤氏が大きく変貌を遂げられたことを教えて頂き、
また別のポゴ仲間のひとりであった方から、奇しくもほぼ同時期に、
一度遠藤氏の実演に接してみたいと思いつつ果たせていない、
というお話を伺うことになり、私は遅まきながら、
現在の遠藤氏のあり方を、知ることになった。

23年前、乳がんを告知され、手術・療養・復帰を経て、
遠藤氏は今や、その独自の霊感に貫かれたショパン演奏をもって、
自身の芸術を世に問うピアニストになられていたのだった。
およそ、命や死と向き合うことのない芸術家は居ないとは思うが、
遠藤氏は、揺るぎない、徹底的な死生観を持たれており、
ショパンの残した言葉や、あの世に繋がる人生というものを
「音魂(おとだま)」として表現する境地に立たれていた。


遠藤郁子 ピアノ・リサイタル
2012年10月12日(金)18:30開演 広島県民文化センターホール

「ショパンの遺言」
ショパンの見たあの世。能のあの世 そしてピアニストの見たあの世。

前奏曲 第7番 イ長調 作品28-7
幻想曲 ヘ短調 作品49
練習曲 第3番 ホ長調「別れの曲」作品10-3
バラード 第1番 ト短調 作品23
スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31

**********

マズルカ 第47番 イ短調 作品68-2(遺作)
マズルカ 第50番 ヘ長調 作品68-3(遺作)
マズルカ 第1番 嬰ヘ短調 作品6-1
マズルカ 第2番 嬰ハ短調 作品6-2
マズルカ 第5番 変ロ長調 作品7-1
マズルカ 第13番 イ短調 作品17-4
マズルカ 第23番 ニ長調 作品33-2

練習曲 第10番 ロ短調 作品25-10
練習曲 第11番 イ短調 作品25-11「こがらし」
練習曲 第12番 ハ短調 作品25-12

アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22

**********

アンコール
 夜想曲 第20番 嬰ハ短調 遺作
 夜想曲 第5番 嬰ヘ長調 作品15-2
 ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53「英雄」


ステージには能舞台がしつらえられていたが、
実際の能楽が披露されるという趣向ではなくて、
遠藤氏の演奏そのものが、そこで奉納されたのだった。
登場した遠藤氏は、白いまっすぐな髪と、清らかな印象の和服姿だった。
能舞台でピアノを弾きたい、というのが遠藤氏の夢であったそうで、
それが実現できたことを喜んでいると、ご本人のお話にもあった。

「命には終りあり、能には果てあるべからず」
と世阿弥は『花鏡』で述べているのだが、
命の終わりを見つめたとき、遠藤氏のピアノが能の世界に通じたことは、
芸術としてごく自然なことだったかもしれないと思った。
この世での時間には限りがあるけれども、
ショパンの残した音楽が果てることはなく、
演奏で実現される世界も、おそらく無限へと繋がっているのだ。
私のような平凡な聴き手は、独力では到底、それを覗くことなど叶わないが、
遠藤氏のような弾き手に導かれれば、ふと、その片鱗くらいには、
触れることができそうだった。

ときに、昨夜のプログラムはオール・ショパンだった。
私は以前からときどき書いてきたように、決してショパンが好きでなく、
その理由は、ショパンの根底に、得体の知れない怖いものが渦巻いていて、
出口が無く救いが無く、私はそれを直視することに耐えられないからだった。
それに較べて、どうして私がベートーヴェンを偏愛するかというと、
彼の音楽は、重い苦闘を執拗に描いているときでも、どこかで必ず、
「神様は居るんだ」と言ってくれているのが、感じられるからだった。
私は、光や打開のないところには、長くは居られないと思っていた。
しかし昨夜の遠藤氏のショパンには、不思議な灯火が見えていた。
人間の煩悩や醜悪さも、天の高いところではこのように浄化され得る、
という、理屈でなくひとつのイメージが、私の脳裏に浮かんで来た。

あとでプログラムを読んだら、冒頭の「ショパンの遺言」という
遠藤氏の文章に、ご自身の闘病と再生についての言葉があり、
「当時、私の見たあの世は、とても暗く、重いものでした。しかし一昨年東京で開いた『ショパンの遺言』160曲全曲演奏の経過の中で、「あの世は亦、明るく軽やかなもの」という気づきもいただくことができました」
と書かれていた。
そうであれば、私の感じた灯りは、遠藤氏のご覧になっている、
明るく軽やかなあの世へと通じる道を照らすものだったのかもしれない。

当夜の使用楽器はShigeru Kawai(SK-EX)で、
音は全体的に、限りなく柔和な響きだった。
かなりソフトペダルを多彩に使用されているように感じられた。
一方で、バスは深く響き渡り、この年齢の女性の演奏とは
音だけでは容易に信じられないような、生命力が漲っていた。
二度目のアンコールのために登場され、愛らしいほどの微笑みで、
「では元気よく英雄ポロネーズを弾きます」
と仰ったときには本当に驚いたが、
これがまた、そこまでの演奏の疲労など微塵もないどころか、
弾けば弾くほど天から力を与えられるかのような「英雄」だった。
魂だけになったものは、もはや疲弊することなどないのだった。

単にピアノを楽しんだ、という次元ではない二時間だった。
遠藤氏が静かに、しかし力強く掲げて下さる灯火を頼りに、
私は永遠へと果てしなく連なる音楽のあることを教えて貰った。
けれども、時間の経過とともに、現実の演奏は進行し展開し、
やがて最後の曲になり、とうとう、リサイタルは閉じられた。
それは、遠藤氏の肉体はまだこの世にあり、
私たちもまた、時間に限りのあるこの世に生きている、
ということに、ほかならなかった。
私は束の間、果ての無い音の世界に誘われ、それを垣間見たが、
まだ、あちらへ渡るときは来ていない、ということだった。

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マエケン最高防御率 鯉記録57年ぶり更新(日刊スポーツ)
『広島前田健太投手(24)が、球団史上最高防御率をマークした。今季最終戦でDeNAを7安打1失点に抑える完投勝利を挙げ、1.53とした。55年長谷川良平の1.69を塗り替え、2年ぶり2度目の最優秀防御率タイトルを確定させた。3年連続の200イニング登板もクリア。奪三振王は逃したが、球界のエースに恥じない成績で4位のシーズンを締めくくった。』

とことん打てない広島カープを相手に、投げる、
というボーナスステージのような幸福を、
他球団の投手は皆、周期的に満喫する機会があるが、
当のカープの投手にだけは、それが無い。
その条件下で実現した防御率1.53は、本当に凄いと私は思う。
自分のところが打てないのだから、相手にも打たせないことでしか、
チームを勝たせることができなかった、
という事実が、彼の勝ち数と合わせて見ればはっきりとわかる。

しかしまた、その、とことん打てないチームを背負っているからこそ、
マエケンはこの神記録を実現できた、とも言えるだろう。
打線の応援がいくらかでも期待できるチームのピッチャーだったら、
毎回、こんな限界状況の中で投げるような思いは、
しようったって意識的に出来るものではない。
統計的に見ても、相手に先制された時点で勝ちがほぼ消え、
2点目を取られたところで負けが確定するチームなのだ。
先発なのに、初球からクローザーと変わらない土俵際感(爆)。
こんな緊張は、普通の投手がそうそう経験するものではないと思う。

今、マエケンの前途を阻み縛っているのは、カープの抜群の貧打率だが、
同時に、投手としてのマエケンを磨き上げているのも、その極貧打だ。
広島カープの、功罪、相半ば(苦笑)。

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ところで、『自由気ままな百科事典』アンサイクロペディアに、
広島東洋カープのページがあって、これがなかなか笑える。
まだご覧になっていない方は、どうぞ広い心でお楽しみ下さい。

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