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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



・今月の音羽屋の旦那さん(菊五郎)は、名古屋の顔見世だ。
なんとかして見に行きたいと願っているのだが、難しいかもしれない。
今月の遠征は、先日のエル=バシャ大阪公演以外にはもう予定していないし、
どうにかもう一日を捻出できないものかと思うのだが、これがなかなか…。
音羽屋が出るのは昼が「伊勢音頭恋寝刃」、夜が「鬼一法眼三略巻」。

・11月の音羽屋は、新橋演舞場の顔見世で、昼が「文七元結」、
そして夜が、「四千両小判梅」じゃありませんか(T_T)。
音羽屋はこうやって二代目松緑の役をひとつひとつやって行くのだな。
昔、辰之助がしていた隅の隠居は、今回は誰が演るのだろう。
しかし来月、東京に行くのは無理だな。夜を観たら日帰りできないし。
ほんっっっとに、何もかもが東京にある、というか、東京にしかない!
私は既に、どれほどの貴重な舞台をみすみす見逃して来たのだろうか。

・1月の音羽屋一座は、例年のごとく国立劇場で復活狂言だ。
今年は「西行が猫 頼豪が鼠 夢市男達競」だそうだ。
こっちは全然知らないので、見逃すのが惜しいかどうかも不明(爆)。
しかし音羽屋のこういう試みは、何よりもまず観ることに意義があり、
中身がアタリかどうかは二の次なのだ(^_^;。
何しろ毎回、百年以上、上演されていなかったような芝居が
新たにアレンジされて取り上げられるという企画なのだから。
……モトの台本が面白かったら、そんな、
1世紀以上、忘れられたりしてないわな普通(逃)。

・今度の音羽会新年会は、「平成25年1月19日(土)東京會舘」にて、
と、音羽会から来た「お知らせ」に書いてあった。
わかってたけど、ああ(T_T)。
いくら私が痴(し)れ者でも、この日程では出席は無理だ。
娘のセンター試験の日ではないか(爆)。
ううう。あと1年、待っていて。
娘が都民になったら、きっときっと私だって新年から東京に行ってやる~
(そのとき娘は広島に帰省していたりして・爆)。

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うちのポインセチアのせっちゃんは、ずっと室内飼いだったのだが、
夏前に剪定して以来、あまり葉っぱが大きくならなかったので、
最近は昼だけベランダに出して、たくさん日光浴させてやるようになった。
そうしたら、葉は増えたがサイズはあまり大きくならず、
それはまあ仕方がないとしても、小蝿みたいな虫が寄って来てしまった。
今のところ、匹数は僅かで、追っ払ったら目に見えるものは居なくなり、
葉の裏側にも異常は無いようなのだが、やはり繁殖しやがるだろうか。
このまま外に置いておいたら、きっと事態は悪化するのだろうねえ。

しかし、いずれにしても、せっちゃんを取り巻く状況は今後も厳しい。
虫がつこうがつくまいが関係なく、
せっちゃんはこれから、つらい時代を生き抜かなければならない。
なぜならば、我が家の周辺は、このあとマンション建設計画が多く、
いずれうちの居間のそばにも、よそのビルが出来、
今よりずっと、太陽の光が遮られる予定だからだ。
マンションを買うときから、我が家は景観などは全く重視しておらず、
前後左右に何か建つ可能性の高い立地であることは、十分許容したうえで、
この部屋を選んだので、人間のほうは今更どうということはないのだが、
せっちゃんは、そうなると居場所がなくなってしまう。

思えば、せっちゃんが最も茂ったのは、酷暑の2010年の夏だった。
毎朝、起きたときから既に室温が35度あり、
どんなに冷房しても30度以下に下げることができず、
人間がとてもじゃないが居間には居られなかった、あの猛暑の日々、
せっちゃんは西側の出窓で、毎日、高温の西日に焼かれつつご機嫌だった。
あれから、うちの西側に新しいマンションが建設され、
今年の初めに完成を見て、入居以来初めて西日が遮られるようになり、
春以降、我が家の居間は、史上初(笑)の快適さになった。
私達は夏場にも安心して居間を使えるようになり、
私は、太陽を遮るというのはこんなに人間に優しいことだったかと
変な方向で認識を新たにしていたのだったが、
せっちゃんには逆に、ひどく不本意な夏となり、彼女はあまり茂らなかった。

このあと、すぐにまわり全部にビルが建つわけではないにしても、
一旦建設が始まれば、1年もしないうちに高層階まで出来てきて、
どんどん、日当たりは制限されるようになるだろう。
そんなふうにして、ひとつふたつと高い建物が完成すれば、
そのたびに、我が家まで届く日光の量は制限されて行くはずだ。
ビルが増えることはあっても、減ることはあるまいから、
この先、せっちゃんにとって、条件は悪くなるばかりだろうと思う。
室内飼い一辺倒では、十分な光合成ができない状態を受け入れるほかないし、
そもそもベランダだって、現在ほどの日当たりは、だんだん望めなくなる。

どうする、せつこ。
5年目の危機!?
いっそ、うちの田舎に嫁入りするか?
雪降って寒いし、あんたの原産のメキシコとはほど遠い気候の村やけど、
背の高いビルだけはひとつも無いから、お日さんはここよりはありそうやで?

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(備忘録的、練習記録。10月9日現在)

出だしから12小節目までのペダリングは概ね、決まった。
……のだが、弾くときは手元にほとんど全部気を取られているので、
響きが濁らないようにペダルを使えれば御の字だ。
3拍目に浅く踏むやり方を採用した箇所がいくつかあり、特にヤバい(汗)。
2拍目で完全に上げるのか、薄く残して3拍目に踏み直すかも含めて、
弾いていて瞬間的に迷うことがあって、本番は動揺するかもしれない。
勿論予め決めてはおくのだが、それでもいざ弾いたとき、
思った音と違う音が出ると、反射的に、足が迷うものなのだ。

16・17小節目、18・19小節目は、高いAs・Gという音連続のあと、
木霊のように低いAs・Gが繰り返され、面白い効果だと思うので、
せっかく自分でそう思うのなら、そう聞こえるように、
なんとかしろ、と思いつつ、ずっと出来ていない(爆)。
それに加えて、18小節目の高いほうのAsには装飾音がついているので、
これがまた心の中の理想の通りに鳴らなくて、欲求不満がたまる。

25小節目の中ほどから26小節目の終わりに向かっては、
パデレフスキ版は「<」のクレッシェンド記号が書いてあるのだが、
これが単に「音の大きさ」のことなのかどうかは、よくわからない。
ダン・タイ・ソンの演奏(エキエル版で弾いている)をCDで聴く限りは、
表面的にはデクレッシェンドのようにさえ聞こえる。
思うに、ここは音が「だんだんデカくなる」(爆)のではなくて、
音が「徐々に広がる」、もしかしたら「拡散範囲が広くなる」、
みたいな意味でのクレッシェンド記号かもしれないと思ったりする。

それと、あまりに姑息な話なのだが、私の場合ここでためておかないと、
このあと31小節目のffに向かって盛り上がらなくてはならないのに、
今の技術ではそこまでもたず、早くから最大音量になり、息切れするので
(こちらは30小節目にだけ、文字でcresc.とある)、
26小節目までと、27小節目以降をどういう配分でどう弾くかは、
もっと考え、かつ、それを忘れないようにしないといけない(汗)。
いつも足りなくなってからシマッタと思うような、
聞き苦しいことを繰り返していて、性懲りも無いとは私のことだ。

37・38小節目、39・40小節目のスラーは、楽譜の通りだと
私の場合、全くスラーにならない(爆)ので、ここは指使いを変えるか、
諦めてペダルに頼るか(泣)、難しいところだ。
それにここがまた、16・17小節目、18・19小節目と同様に、
高いAs・G→低いAs・G、のフレーズが和音になったかたちで再登場しており、
ということは上の声部だけはどうしてもスラーにしないと、
再現されている意味がないだろうと思う。
……できん、って(殴)。

45小節目からは、4小節ずつの音楽が変奏曲のように展開されるが、
和声感を含めて、手を変え品を変えの念入りな仕掛けがあるので、
それに左手の音の動きも考えて弾こうとすると、
私の能力で同時処理できる量を超えており、頭がハゲそうになる。
57・58・59小節目はずっとクレッシェンドして行くと書いてあるが、
これこそ、音量の問題というより、感情の高ぶりの記号だろう。
そのあとは、もうどうしてこういう和音を思いつきましたかと
訊ねたくなるような面白さ(泣)だ。
各声部、別々に弾いてみると気が変になりそうなのに、
合わせてみると絶妙のハーモニーで、ショパンの頭の中には、
一体どういう音が鳴っていたのかと。

69小節目からは左手に旋律が来て、低声部の独壇場なのだが、
私はもう、これ、手を交差させて右手で弾きたいくらいだ(爆爆)。
出したい音と、自由にならない左手とのギャップ、
合わないペダルに、それにウルサ過ぎる右手の和音の世話、
これらを同時になんとかしようとするのは、至難だ。

そして81小節目からが、まさにショパンの天才はここにありというか、
エチュード「別れの曲」を昔ちょっと弾いたときにも感じたことだが、
どないしたらこんなキショクの悪い和音進行を編み出せたのか、
一体それ何調が何調になって?という8小節が続き、
私の演奏では、普通に弾いているつもりでも現代音楽さながらだ。
聴く人が聴いたら、私が分析もせず理解もしないままで、
ただ楽譜をなぞって弾いているだけだということが、わかるだろう(汗)。

この和音のところから、息の長いクレッシェンド3小節、
次いでデクレッシェンド4小節という構成になっており、
曲としては実質的に、最大音で最高潮に達したのち、収束に向かうことになる。
先にも書いた通り、私に把握できるような和声感覚ではないという気がするので、
かくなる上は、覚えるのみだ。読書百遍、意自ずから通ず(爆)。
とりあえず声部ごとに弾いて、どう動いているかちゃんと確認して、
途中からでも弾けるようにして、幾度も合わせてみるしかないだろう。

残りは後奏だ。
しかし私の感性の中では、どうもまだ、さっきの81小節目から8小節間を
本当の意味でのクライマックスだとは、完全には納得できていなくて、
できたら、101小節目のa tempoのところから、もう一花咲かせたい、
みたいな気分が、どうしても、あるのだ(汗)。
もちろん、そのように弾くことは可能だと私は思っている。
105小節目からの下降音型はデクレッシェンド指定になってはいるが、
最後の108・109小節目には何の指定もないから、
明るさと強さのある音で、最後を鮮やかに締めくくっても良い筈だ。
a tempo以降、音型は昇る→降りる→昇るになっているのだし、
全体として駆け抜けるように、ジェットコースターか何かのように、
華やかにエンディングに向かう方法は、「あり」だと思う。

だがしかし不幸なことに、今の私の技術では、
「最後に一花咲かせたる!」の勢いで、しまいまで弾ききることは無理だ。
途中までは勢いづいて弾くことができても、
情けないことに、108小節目と109小節目にまたがるアルペジオを、
強い音で疾走するように弾くことは、私の手では出来ないのだ。
100発100中で最後が不協和音になり、台無しになること請け合いだ。
では最後だけ丁寧に弾くか?とも思ったが、それはやはり格好悪い。
イケイケ~!!と弾き始めたのに、フィニッシュ前に意気消沈しとる(大汗)。

なので、私は仕方が無いから次善の策として、
…いや、本来はこっちが楽譜からはあり得べき姿なのかもしれないが、
「一花咲かせる」考えは捨てることにし、a tempo以後は、
美しい後奏の最後のきらめきとして、飽くまでも優雅に名残を惜しみ、
もちろん107小節目まで支配しているデクレッシェンドの流れにも逆らわず、
最後はそっと、綺麗に、消え入るように弾こう(=弾くしか無いやんか)、
と思っている。

だけどそれでも、そのまま素直に終わるのはイヤだ。
何がイヤなのかよくわからないが、どうしても最後に何かしたい。
ので、最後は、楽譜では同じ音と休符でそっくりの二小節になっているが、
私は、110小節目と111小節目では、少し違うことをしよう、
と今は思っている。
ショパンがそんなことをしなさいと言ったかどうかは、
既に私の眼中になくなりつつあり、不遜の極みだ。
この、ヒトよりひとつよけいなことをしないと帰れない性格が、
これまでの人生でどれだけ災いしたことだろうか(爆)。
……あざといことやって、最後の最後で失敗しないと、いいけどねえ(涙)。

全体として、眼高手低というか、耳高手低の状態で、
思っている理想はある程度はっきりとかたちになっているのだが、
私の手足は、それを実現するようには動いてくれない。
出てくる音のしょーもなさに落胆することの連続だ。
それでもせめて、迷いのある箇所は、例えばエキエルなら何と言っているか、
コルトーはどうすると言い残しているか、この際、聴いてみようかしらん。
ちなみに、全音にはもう聞いた(逃)。

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……というわけで、昨日のエル=バシャは、私にとって、
ちゃんと聴けたとは言えない公演になってしまったのだが、
それでも感銘を受けた箇所はたくさんあった。
やはりエル=バシャは、実に見事なピアニストだと思ったし、
彼のエレガンスはほかに類を見ないもので、
こういう演奏家の、充実期の実演に接することができるのは、
聴き手としての私には、本当に素晴らしい幸運だと感じた。


アブデル・ラーマン・エル=バシャ ピアノ・リサイタル
2012年10月7日(日)午後2時開演 ザ・シンフォニーホール

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」
*****
ショパン:バラード第1番ト短調作品23
ショパン:バラード第4番ヘ短調作品52
ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品35「葬送」
*****
アンコール
 ラフマニノフ:10の前奏曲 作品23より第4番
 ラフマニノフ:10の前奏曲 作品23より第5番
 エル=バシャ:レバノンの歌


プログラム冊子を見ると、この大阪公演が日本ツアー初日で、
そのためか、ベートーヴェンはやや固い演奏だったと思った。
エル=バシャらしくないミスも、小さいものだがいくつかあり、
使用楽器の響かせ方についても、エル=バシャにはまだ、
試行錯誤が少し続いていたのではないか、という印象だった。

良かったのは、やはり楽器を把握した後半からで、
ショパンはいずれもほかではなかなか聴けない名演だったと思う。
バラード4番が終わったとき客席から、BRAVO!の声がかかったのも
当然という気がした。
エル=バシャはバラード2曲を続けて弾くつもりだっただろうと
私は感じたのだが、しかし熱狂的な拍手が起こったので、
1番と4番の間にも、きちんと立って、客席に応えていた。
総じて、前半も後半も一度も途中で袖に入ることはなく、
一礼してもすぐそのまま座って次の曲を弾いていたので、
エル=バシャが集中を維持しようとしていることが伝わって来た。

ショパンの葬送は、今のエル=バシャの到達点を表すような、
研ぎ澄まされた演奏で、また、私の知っている楽譜とは
微妙に違う箇所も途中にあり、研究の成果を問う内容でもあったと思う。
今年は既に様々な演奏家の弾くショパンを聴いたが、
エル=バシャもまた、ショパンの奥の扉を開け得た人のひとりで、
そこで彼の見たものが何であったかを、聴かせてくれる演奏だった。

アンコールは三曲あり、CDにもなっているラフマニノフの前奏曲からと、
最後は、自作のレバノンの歌が演奏された。
チケットを見直してみて驚愕したのだが、なんとこの公演、3000円だった。
興行の仕組みは、私など素人の理解が及ぶところではないが、
私にとってこの公演の手応えや充実度は、
たった3000円で済まされるものでは、到底なかった。
S席1万円設定などがあっても、全くおかしくない内容だった。

しかし、何より会場の反応が熱かったので、
演奏会全体としては完全な成功だったと満足している。
今から二十年以上前、私がエル=バシャの名を知った頃、
彼は日本ではまだ全くの無名で、かのU女史が、
どうやって彼を日本によぼうかと苦心なさっていた時期を
私は今でもよく覚えているので、
昨日は、華やかなシンフォニーホールで演奏するエル=バシャを聴き、
また大勢の聴衆から万雷の拍手とブラボーで讃えられる彼の姿を見て、
ついに、ここまで来ることができた、
ようやく、この人に相応しい評価が得られるようになって来たのだと、
心から嬉しく思った。

U女史もきっと、一緒に聴いて下さっていたと思う。

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大阪ザ・シンフォニーホールで、エル=バシャを聴いた。
素晴らしかった、とは思うのだ、……が。

きょうは、隣人が良くなかった(T_T)。
私はこれまで、数々のライブパフォーマンスに通ったから、
行きずりの、オモロい人やケッタイな人とたくさん出会った。
自宅の居間と、コンサートホールの区別が全然ついてない、
というタイプの人にも数多く遭遇した。
その都度、「をいをい(^_^;」と思いつつも、極力我慢してきた。
私だって、自分では気づかない奇癖の持ち主かもしれない、
と己に向かって問い直し、努めて隣人を受け入れるようにしてきたのだ。

しかしきょうの隣人は、その中でも屈指の迷惑さだった(爆)。

まず、隣の人は、際限もなく動き続ける人だった。
長いときでも三小節くらいしか、じっとしていられず、
どんな静かなフレーズのときでも遠慮無く姿勢を変えるのだった。
更に、なぜそうなるのか不明なのだが、手を自分の顔の前に
(位置としては鼻から口にかけてのあたり)に置き、
延々と、親指とほかの指とを強くすり合わせる動きを続けていた。
私がステージのエル=バシャを観ようとすると、
視界の隅に、必ずその人の、主として手のエンドレスな動きが
ちらちら、ちらちら、ちらちら、と入り続けるのだった。

しかしそれだけなら、私が目を閉じてしまえば済むことだった。
何よりいけないのは、その人の、指をすり合わせる動きが、
爪と爪を勢いよくこすりつけては、はじく感じで、
『小さな小さな指パッチンもどき』(爆)になっており、
かそけき「ペキ ペキ ペキ ペキ  ペキペキ ペキ ペキ ペキ ペキ
が、ず~~っっと、やまないことだった(T_T)(T_T)。

貧乏揺すり的な、ただの癖かもしれなかったが、もしかしたら、
何か心身の不調のためにその動きが止められないのかもしれない、
と考えて、私は最後まで隣人に苦情は言わなかった。
第一、その人は、動きこそ奇妙だったが、音楽は真剣に聴いていて、
居眠りもしなかったし(してくれたほうが私には良かったが・爆)、
終わると、大きな大きな拍手でエル=バシャを讃えていて、
本当に音楽が好きで聴きに来ているということは、よくわかったのだ。
その人なりに一生懸命聴いていて、その興奮が、
指の動きになっていたのかもしれなかった。
何にしても、エル=バシャを聴きに行って隣の人とトラブった、
という思い出になるのだけは、私にとって一番避けたいことだった。

隣で指すり合わされるも他生の縁(爆)。


高校時代、校外で某予備校の全国模試を受けたとき、
隣の男子が最初から最後までペン回しをしていて、
しまいにカーンと派手にペンを吹っ飛ばして、私に当てやがって、
殴ってやろうかと思ったことを、三十年ぶりに思い出した午後だった(爆)。

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毎年10月になると、書店や文具店には一斉に、
来年の手帳やカレンダーが並び始める。
この時期では、実際に年末やお正月を迎えるにはまだ間があるが、
少しずつ新しい年の準備に手を付けるのは、やはり楽しいと思う。
それに手帳に関しては、11月始まりのものが多数販売されているので、
実質的には、来月から使い始めることも、もう可能なのだ。

手帳については、私は2008年から、「リベルプラス」か、
ペイジェムマンスリー」の、いずれかのシリーズの中から
そのときの気分に応じて、色で選んで買っている。
前の年とは違うものにして、新しい雰囲気を味わいたいので、
毎年、色を変えるようにはしているのだが、
濃い色の表紙のものを使う気には、なぜかなったことがなく、
かと言って、薄い色ならいつでも何でもよいわけでもないので(←我が儘)、
もうだいたい、使えそうな色には手を出してしまった。
それで今回、来年用には、初めて柄物を選んでみた。

どちらのシリーズも、中身は年間予定表と、毎月の月間予定表、
あとはメモ欄のページ、それに付録として西暦年号対応表や、
住所録、主要都市の鉄道路線表、などがついており、だいたい同じだ。
縦横のサイズや、薄さ、軽さ加減など、私にはちょうど手頃な感じがする。
企画が揃っていれば保管にも都合が良いし、
過去の手帳をずっと取っておけば、これまでの記録として重宝だ。
一年間使用したあとの感触としては、ペイジェムのほうがカバーが丈夫で、
劣化しないので良いと思うのだが、色のバリエーションの点では、
リベルシリーズのほうが、若干、多彩で楽しいような印象がある。

2008年以前には手帳をどうしていたのだろうかと思い返してみたのだが、
2007年は、行きつけの美容室で貰った手帳を一年間使った記憶がある。
その前までは、和央の会(笑)のWaoのロゴ入りのを使っていたと思う。
2004年以前は、舅宅で同居しての介護生活だったので、
私はそもそも手帳を必要とせず、持っていなかった。
家庭介護をやっていたら、買い物や通院等を除けば外出はしないので、
私の個人的な予定は、自室のカレンダーに書き込めば十分だった。
私にとって手帳は、スケジュール表を持って外に出る場合には必需品だが、
家から出ないのなら、見えるところに予定が貼ってあるだけで足りたのだ。

今、毎年の手帳などを、実際に店頭で見て選べるなんて、
私もかなり、自分本位に暮らせる境遇になったというわけだ。
若い頃は、自分の時間を自分で使うのは当然のことだったが、
中年以降、それは実は極めて恵まれた状態でないと出来ないことだ、
と日々、実感するようになった。
手元にある5冊の手帳は、私がこの5年間、手帳を使う生活ができた、
という証拠に、ほかならない。感謝感謝(笑)。

ところで、カレンダーのほうも、この時期には選ぶのがなかなか楽しい。
主人は必ず、柴犬の写真のものを選んで、自分の書斎に置いており、
娘は毎年、西川貴教FCで、壁掛け用と卓上用を買うことにしている。
私は居間に、楕円形のボタニカル・アートのカレンダーを毎年掛けているが、
それ以外は成り行きだ。
私は犬でも猫でも好きだが、これでないと駄目というのは無いし、
贔屓が居ないと宝塚スター・カレンダーでもなく(爆)、
ポゴレリチ・カレンダーなど、もともと売ってない(笑)。

昨日、某書店で手帳を選んだあと、カレンダーのコーナーに行ってみたら、
主人が喜びそうな柴犬のカレンダーが既に何種類も出ていて、
私もそのひとつを手にとって開いてみた。
私も柴犬は好きで、特に小犬のときのころころしたヤツがたまらないので、
「子柴」などのシリーズが良いかなあ、などと思いながら眺めていた。
そうしたら、中年女性の二人連れがやってきて、
「まあ!もうカレンダーが出とるんじゃね!」
と歓声をあげ、ふたりは即座にマルチーズのカレンダーを手に取った。
「んまあ、可愛いね、どうしたんじゃろうか、ほんまにもう」
「ま、これ、見てみんさいや、可愛いねほんまに(^^)」
と御両名は、ほかの犬シリーズには目もくれず、
ひたすらマルチーズで大変な盛り上がりだった。

マルチーズ一筋の女性もいれば、柴でないと萌えないおっさんもおる、
ということが、今更だがよくわかった。

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昨夜、主人と娘が居間のソファで並んでテレビを観ており、
私は例によってテレビが嫌いだから別の部屋にいたのだが、
何かのコマーシャルになったとき、ふたりの間で、
今映っている人が櫻井くんか相葉くんかで、議論(笑)になった。

転娘「これって、櫻井くんでしょ?」
転夫「ちゃうって。相葉だろうが!」
転娘「えー……。相葉くんではないと思うけどなぁ」
転夫「おまえ、櫻井はもっと丸顔で?」
転娘「そうかぁ」
転夫「ほんまにヒトの顔が覚えられんヤツじゃのぅ。
 なんぼなんでも、相葉と櫻井を間違えるようじゃ、いけんで?」
転娘「いやぁ、はははは(^_^;」

娘は、確かに人の顔が覚えられない。
というか、イケメンに限って特に判別ができなくなる。
どうやら、整った顔立ちの男性はすべて、彼女の中では、
『二枚目』という同じハコに入っているだけで、
個々の特徴については、まったく識別できないようだ。
娘は例えば、亀梨くんも覚えられない。
「山Pとカブる(T_T)」とのことだ。
前も書いたが、彼女はキムタクを覚えるのにも、えらいこと時間がかかった。

中でも、未だに娘が記憶できないのは福山雅治で、…ということは彼は、
本当に典型的なハンサムであるということになろうかと思うのだが、
いつ画面に彼が出てきても娘は、
「えっ!?これが福山雅治だったっけ!?」
と、毎度性懲りもなく驚愕している。
そういえば、いつぞや何かのアンケート調査で、
今の若い男性が『なりたい顔』の第一位は、福山雅治、
という結果が出ていたが、どうもこうも、娘には厳しい時代が到来したもんだ。

さて、今朝ほど、いつものように主人は朝早く起きて、
パソコンに向かい、紅茶を飲みながら、
メールチェックとネットサーフィンをしていた。
娘はまだ朝寝坊をしている時間帯だった。

そのとき、何か検索して、主人が「うぉっっ!」と、
変な声をあげていたとは思ったのだが、
彼はそのあと、出勤前のスポーツクラブに出かけるとき、玄関で私に、
「あの、昨日のアレですけど(^_^;」
と突然、決まり悪そうに、妙にかしこまった態度で言った。

転妻「……?」
転夫「昨日の、アレ、松潤じゃったと、みーこに言っといて下さい」
転妻「は……」
転夫「コマーシャルの。ワシが相葉じゃと言うた、アレ(^^ゞ」

なななんと、主人も間違っていたのだ。
そのコマーシャルに出ていたのは、相葉くんでもなく櫻井くんでもなく、
松本潤くんだったのであります(爆)。
ふたりとも、合っていたのは『「嵐」である』ということだけ(爆)。

ちなみに、問題のCFは、コレです。
松本潤 CM 明治ミルクチョコレート オハラ篇(YouTube)

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リサイタルの最中に演奏を中断して病院に行かねばならなかった、
シプリアン・カツァリスの、その後なのだが、
ノーマン・レブレヒトの書いている続報によれば、
深刻なことにはならずに済み、順調に回復しているようだ。

Latest on pianist who collapsed in mid-concerto(Slipped Disc)
『シプリアン・カツァリスのニュースとしては、彼はベルリンの病院で回復しつつあるということです。脳卒中や心臓発作で倒れたのでは、とまで心配するのは、行き過ぎかもしれません。』『リストのピアノ協奏曲の自作編曲版を演奏中に体調が悪くなったあと、カツァリスはこのように言ったのだそうです。「今回のは、私の最高の演奏会のうちのひとつだった。何か特別なことが起こったんだ。私は、ギリシアとキプロスのため全身全霊をあげて演奏したよ。」』

少し体調が悪くなっただけ、ということで済みそうなら、
今後のことも特に心配ないのだろうし、とりあえず良かった。
それでも、仮に風邪や疲労などが原因であったとしても、
いっそう心身を労って、無理をしないようにして頂きたいと思う。
中年以降は誰でも、いつもと違う不調を感じたときは、
「頑張って、この場はとにかく最後までやってから…!」
などという無理は、できるだけしない方が良い。
それが引き金になって、大きな発作を呼んでしまうこともあるのだから。
終盤にまで進んでいたリサイタルを中断するのは、
演奏家として厳しい決断だったことは想像に難くないが、
このたびのカツァリスの判断は、本当に適切であったと思う。

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このブログでもときどき取り上げているカツァリスの話題だが、
今朝は、心配なニュースが出ていた。
ドイツの文筆家・評論家であるノーマン・レブレヒトのサイトに、
Just in: Eminent pianist rushed to hospital in Berlin
という記事が、10月2日付でUPされていたのだ。

『月曜(=10月1日)夜、ベルリン・コンツェルトハウスでのリサイタル中、ギリシア人ピアニストのシプリアン・カツァリスが故障を起こし、急遽、病院に運ばれたとの知らせが今入りました。それ以上詳しいことはまだわかっていません。彼のすみやかな回復を願っています。彼の回復状況について詳細が判明しましたら、どうぞお知らせ下さい。
こちらが、当『スリップト・ディスク』読者 からの報告です。
「私は昨夜、ベルリン・コンツェルトハウスで、シプリアン・カツァリスの演奏会を聴いていました。公演が終わりに差し掛かり、カツァリスがリストのピアノ協奏曲第2番の自作ソロ編曲版を演奏していたとき、彼は弾くのを中断し、左腕の感覚がなくなったと言い、客席に医師の方はいらっしゃいませんかと訊ねました。短い沈黙が流れ、カツァリスは『このような症状は初めてですので』と言い、再び、お医者さんは来ていらっしゃいませんかと訊きました。このとき数人が舞台に上がり、カツァリスを袖に入らせ、その後、病院に運びました。印象としては、演奏中に脳卒中の発作が起こったのではないかという感じで、私達は彼の病状が心配になりました。」』

カツァリスは半年ほど前、右腕の腱鞘炎の治療を受けていたが、
今回は左腕で、しかも痛みを訴えているのとは違うので、
『読者』氏の報告にあるように、脳血管障害の可能性も含めて、
病院で調べる必要が、おそらくあるのだろう。

しかし、ともあれ良かったのは、左腕の違和感を覚えるとすぐに、
その場で自分から医師の助力を求めたこと、
そしてその流れで、間を置かずに医療機関にかかったことだ。
状況がどうであれ、この御蔭でカツァリスは、
最善・最速の検査と治療を受けることが可能になったと思われる。
これ以上の対処は、考えられなかっただろう。
さすが、かっつぁん!素晴らしい判断力だ。

あとは彼の状況が良いことを、そしてこのあと順調に回復することを
日本のファンとして心から祈りたいと思う。
4月にキャンセルになった来日公演の、振替公演が、
年明けから組まれているので、私は楽しみにはしているのだが、
しかしそんなことより、まずは必要な治療を受け、十分に休養して頂きたい。
いつも朗らかで精力的なカツァリスだが、やはり年齢的に、
今は、心身を労るべき時期に来ているということではないかと思う。

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KISSのヴォーカリストであるポール・スタンレーの
御母上エヴァ・アイゼンさんが先月29日、亡くなった。88歳だった。
OUR DEEPEST SYMPATHIES TO PAUL(KISSOnline.Sept30, 2012)

「ポールは書いている。『母は、どんな種類の音楽を聴いても喜び、満足できるというくらい、音楽を愛していた。私もまた同じ情熱を見出すことが出来たのは、母の御蔭だった。母はとても長生きできたから、我が子や孫・曾孫に及ぶまで、家族に恵まれ、皆を愛した。母はまた、自分の住む地域社会に様々な貢献をし、母を知る人達から愛され慕われていた。うちのママは我が家の女家長、というくらいの存在だったので、今の喪失感は、とても言葉では表せない』。KISSの最初期の時代から最近までずっと、ニューヨーク界隈のライブではいつも、客席にエヴァさんの姿があった。我々の、心からの哀悼の意を、ポールとそのご家族におくる。我々の気持ちも祈りも、あなたとともにあるように。 ――エリック、ジーン、トミーより」

ポールの父上は、ロシア・ハンガリー・ポーランドの入った家系で、
母上のエヴァさんはドイツ人であり、
ニューヨーク生まれのポールは、だから典型的なアメリカ人として育った。
荒っぽいマンハッタンの住環境の中、エヴァさんは息子を、
喧嘩に巻き込まれても決して負けないように、と教育したそうだ。
(『KISS Behind The Mask』2005年)

フレディ・マーキュリーの母上も、ファンの間では大変有名で、
フレディもまた、ママを心から敬愛していることを、
いろいろな場所で発言していたものだったが、
どれほど立派になった息子にとっても、母はいつまでも母なのであり、
やはり、『母は強し』ということなのかなと、思わずにいられない。
フレディのママも言っていた。He is still my baby、と。
母こそは、永遠に息子の最大の理解者であり、最愛の支援者なのだ。

今日のポール・スタンレーを生み、育てて下さったエヴァ・アイゼンさんに、
私もKISSアーミーの端くれとして、心からの感謝を捧げたいと思う。
ユダヤ教の葬儀では、なんと言ってお祈りすれば良いのかわからないが、
でもきっと、世界中のファンは、それぞれの、自分の宗教に従って、
自分の神様にお祈りすれば良いのだと、私は思う。
お祈りの言葉は違っても、それはきっと天に届くとき、ひとつになるだろうから。
日本式に言うなら、エヴァさんのご冥福を、お祈りします。

**************

一方には、前に進むニュースもある。
KISSのニュー・アルバム『MONSTER』が、ついに発売になるのだ。
PRE-ORDER KISS MONSTER NOW!(KISSOnline.Oct1, 2012)

10月9日発売予定で、iTunesとAmazonでは既に予約が開始されている。
……とは言え、日本盤は出るのか(^_^;。
前作の『Sonic Boom』(2009年)も結局、日本では発売されていないままだ。
来日公演の話もどっか行ったし(爆)、当分この状態なのだろうか。

KISS MONSTER track listing:

1.Hell or Hallelujah
2.Wall of Sound
3.Freak
4.Back to the Stone Age
5.Shout Mercy
6.Long Way Down
7.Eat Your Heart Out
8.The Devil Is Me
9.Outta this World
10.All for the Love of Rock & Roll
11.Take Me Down Below
12.Last Chance


追記(10月5日):悪かった。日本盤はちゃんとあった。
日本では10月10日発売予定となっている。すみませんでした。
ユニバーサルミュージックからで、邦題は『地獄の獣神』。
しかも日本盤のみ、以下のボーナストラックが13曲目についているそうだ。

13. 暗黒の帝王 (ライヴ-ロック・ザ・ネイション・ロスト・トラックス)
  (日本盤ボーナス・トラック)

モンスター~地獄の獣神(amazon)

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