転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



かつてNTTの電話を解約して以来、我が家はめでたく、
フレッツ光プレミアムの宣伝からは解放されたのだが、
某ケーブルプラス電話に変えただけなので、
家電そのものは今でもあるし、電話番号も生きている。
それで最近は、フレッツ某ほどではないが、銀行と保険会社関係が、
さかんに勧誘電話らしきものをして来るようになった。

数社あるのだが、パターンは完全に同じで、
「転夫さんいらっしゃいますか」
と主人の名を出し、不在だと答えると、
「急ぎのご案内ではありませんので、それではまた連絡致します」
と言って、電話は終わる。
二往復で確実に会話が終了するのと、同じ週に二度はかけてこないのとが、
フレッツ某よりは、まだしも好印象であるので、
今のところ、私はこの人達に対して怒ったことはない。
どうせ彼らだって、仕事だから仕方なく方々に電話をしているだけなのだ。

彼らは、平日週末問わず、昼前後の明るい時間帯にかけて来ることが多い。
主人は、平日の昼は仕事に行っているし、
週末も体調に問題のない限りはほとんど外で過ごす人なので、
そんな時間にかけてきてもほぼ絶対に捕まらないのだが、
先方はあまり気にしていないようで、
「いつならご在宅ですか」
などと、訊いて来たこともない。
確実に宣伝を果たしたかどうかでなく、単に電話を鳴らした本数で
出来高制みたいな給与体系になっているのだろうか。

現在の私は、電話というものが結構嫌いで(テレビほどではないが)
長電話をする趣味も全く持っていない。
若い頃は、電話はだいたい、心躍る知らせをもたらす道具だったので、
友人と深夜の長電話を大いに楽しんだ時代もあったのだが、
近年のある時期から、電話で来る話と言えば、身内や知人の誰彼の
「容態急変」「危篤」「呼吸停止」が相次ぐにようになってしまい
(同じ人の身の上にこういう緊急事態が繰り返し起こったこともあり)、
幾度も心臓凍る思いをさせられた挙げ句、今では電話が鳴るだけで、
「今度は、誰が死んだの!?」
と反射的に思うようになってしまった(爆爆)。どうしてくれるんだ。

そのかわり、今は、良いものの大半はメールで来るようになった。
だいたい、メールは一刻を争う知らせでないことがほとんどだから、
のどかで微笑ましい話や、チケットのお知らせなど道楽系が多いのだ。
私は携帯電話が鳴るのも嫌いだが、メールの着信音だけは嫌っていない。
深夜とか体調不良のときは、着信音を切ることも気軽に出来るし、
時間差で読んだり返信したりが、ある程度の幅で許されるのも、
メールの優しいところとして、今の私には好ましく思われる。

私の実家の近所に、70歳代の未亡人の女性が一人暮らしをしているのだが、
彼女はいつぞや畑仕事をしながら、
「私はこのごろは、電話が鳴っても、一切、出んことにしとる」
と言っていた。
理由は、電話はロクなことを言って来ないからだそうだ。
何かを買えとか、金送れとか、票をくれとか、人が死んだとか。
もう、どの話も聞きたくないし、知る必要もなくなったと思っている、
と彼女は言った。
そのために被る不利益など、大した問題ではないということだった。

私は自分の実感に照らしても、彼女の言うことには一理あると思うし、
仮に私がもっと高齢になって、社会生活が今より消極的なものになったら、
そもそも電話には応答しない、という対処法もアリかな、と思っている。
しかし、電話は基本的に取らない、というほど思い切っていても、
彼女がなおも電話を解約しないのは、どうしてなのだろうと思うのだが、
それはやはり、自分からは、かける必要があるからなのだろうな(^_^;。

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