転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



最近は晴れた日には、若干、暑くなってきたのを感じるが、
私は30度くらいまでなら「暑い」のはかなり好きなので、気に入っている。
春先よりもずっと強くなった、初夏らしい日射しを感じる頃、
私は一年でいちばん心身ともに活力が沸いて来るし、
更に気温が上がれば、子供の頃の、夏休みの楽しい気分を思い出すので、
夏の晴天に自然の風を感じながら過ごすのはとても気分が良い。

そう、冷房ではなく、木陰や縁側で感じられる普通の風が、
私にとっては、本来的に一番気持ちが良いのだ。
実家には私が小学校高学年になるまでエアコンが無かった。
山奥の寒村で標高が高く涼しかったし、田舎過ぎたせいで治安も良かった
(=村人以外が歩いている筈がなかった)から、戸締まりも不要だったのだ。
あの頃は、昼だけでなく夜だって、『トトロ』じゃないが縁側を網戸にして、
風を家の中にパーパー通して、虫の声を聞きながら、寝ていたものだ。
夏でも早朝の風は冷たいくらいだった。

もっと時代が下って、1980年代半ばになっても、
私の東京の下宿にはエアコンなどなかった。
暑いには違いなかったが、別に過酷というほどではなかった。
室温40度になった86年夏のある日だけは、このままでは倒れるかもと思ったが、
そのような話は例外中の例外で、普段はそこまで行かなかったから、
冷房を持たない下宿生活は、当時、私の知り合いの間ではおかしくなかった。
学生は質素だったし、私の感覚ではまだ、エアコンはワンランク上の贅沢品だったのだ。
あの頃は「暑いね~」と言いつつ銭湯に行き、帰りにアイスを食べていれば済んだ。

ところが、どうだ。全く、近年の夏は甘くなくなった。
最近は実家のあたりでさえも、真夏にはやはり気温35度などになるから、
エアコンをつけていない家は、もはや稀だろうと思われる。
オマケに、防犯の必要も出てきて、戸締まりしないで寝るわけには行かなくなったし、
あのような凄い田舎でも、住みづらくなっている。
ましてや、今、私が住んでいる程度の市街地になると、夏は例外なく猛暑だ。
長年、「暑いのが好き」と言い暮らしてきた私でも、
さすがに体温と変わらないような室温では、真面目にシンドいと感じるようになった。
私が暑さを楽しめる毎日は、きっと6月いっぱいで終わるだろう。

特に今年は、地震このかたの原発事故の反省や浜岡原発の停止などを受けて、
全国のほとんどの地域で節電を心掛けることになるはずだから、
連日35度を超えるような夏の二ヶ月ほどの間、冷房を控えて暮らせるものか、
仮にそれが体力的に厳しい状況となれば、どういう方法を採ることが可能なのか、
きちんと考えて行かなくてはならないだろう。
原発はイヤだが、自分は今まで通り十分に冷房して気持ちよく暮らしたい、
というのはナシだろう(^_^;。少なくとも、世の中の見通しが立つまでは。

とりあえず、先月からとっくに半袖半パンになっている主人は、
先日来「冷たい床が好き~♪」と言って廊下で寝るようになっているくらいなので、
冷房を使わないなどということになったら、一番先に弱るだろう。
彼の場合、冷房全くナシというのは生きていけないことに直結するので無理だが、
幸い、家にいるのが、夜になってから翌朝7時くらいまでの間だけなので、
家でのエアコン使用時間は、最大限に見積もっても家族の誰よりも短い。
次に暑がりの娘は、空調のある学校に出来るだけ居て貰おう。自習室もあることだし。
なんなら夏休みも毎日、学校で暮らしたらどうだね。
文化祭に向けた美術部の製作も、夏休みに頑張ってやってしまいなさい(^_^;。

あとは、節電のため家庭調理はできる限り少なくして、基本は外食、
……などという話になってくれれば、私は本当に生き生きできるのだがな。
あり得ないわねぇ。
とりあえず、電子レンジ使用は控えて、ガスだけで出来るメニュー優先だな。
ご飯も、可能な限りステンレス多層構造鍋で炊けば済む、という話か。
ジャーが使用不可ならば、残った御飯があれば翌日にチャーハンとか焼きおにぎりとか。
電子レンジも電気釜も持っていなかった、80年代の下宿時代とそっくりな感覚だ。
なんだか懐かしい(O_O)。
本当のところ、この程度で節電に貢献でき、
脱・原発が現実問題として議論できるものであれば、簡単で良いのだけれど……
それと同時に、いくら非常時とはいえ、
意地を張りすぎて熱中症で倒れてはモトもコもないから、兼ね合いも考えなければ。

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