転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



原爆落下中心地に残された、もとの浦上天主堂の柱跡。


……しかしだな。
長崎も広島も、爆心地のすぐそばに川があるというのが同じで
それは良いんだが、どちらも今では隣にラブホが並んでる、って
どうしてなんだ(逃)


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長崎は、平和公園―原爆落下中心地―資料館が、それぞれ別の立地になっていて、
丘の上の平和公園からだんだん下って来ると、順路のように見学できる。
広島の平和公園とは全然違うコンセプトで建てられたものだということを感じた。
この、山に囲まれた地形ゆえに、長崎の原爆被害は拡大が食い止められたのだ。
広島のような平野だったら、長崎型原爆は広島型以上の破壊力を発揮したことだろう。

長崎の原爆資料館そのものは、文字通り資料展示という雰囲気で、
怖いとかリアルだ等々と感じるものは、私にとっては何もなかった。
強いて言えば、焼けてしまった犠牲者の姿とか、被爆者の火傷の状態などが、
写真でいくつか展示されていたくらいだったが、
それらもかなり、現実を和らげたものばかりだったと思った。

原爆について、文字以外にはほとんど知識のない見学者も多いだろうから、
そうした人たちが貧血を起こしたり、吐いて倒れたりするような資料館では
見学は惨憺たる経験となるばかりで、ものを考えるゆとりなどなくなってしまう。
広島の資料館でも、被爆者には「原爆はこんな甘いものじゃない」と言われるが、
資料館としての役目や目標をどのあたりに設定するかという点で、
どの程度の内容にするのが良いかは、難しいところなのだろう。

たぶん、資料館というのは、ほんの導入部分なのだ。
ここだけに止めておくというのも、考え方としては「あり」だと思うし、
一方で、これをきっかけとして、原爆被害とはどのようなものだったかを
初めて学ぼうとする人が増えてくれれば、それも良い、ということだと思う。

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広島のはお馴染みだが、長崎の平和公園には初めて来た。
原爆犠牲者の霊を弔い平和への誓いを新たにする、
という意味では共通したものがあるはずなのだが、
長崎にはキリスト教文化の反映をあちこちに感じるという点で
広島とは雰囲気が違っていると思った。
また、長崎は坂の多い地形の関係なのか、
平和公園・爆心地・資料館が互いにある程度離れた場所にある
というのを来てみて初めて知った。

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清と在日華僑の協力で19世紀に完成したという長崎孔子廟。
故宮博物館文物展もあり見応えがあった。

……が、グラバー園内を歩き過ぎて、そろそろ足の疲れが(汗)。

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坂の上のグラバー園。
神戸もそうだか、異人さんたちの邸宅は皆、高い山の手にある。
確かに見晴らしも良いし安全で快適だが
一体どうやって出入りしていたのか(汗)。
自家用車に乗れなかったら毎日が登山だ。

きょうの長崎は黄砂がすごい。
写真を撮ると背景がどれも灰色だ。

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17年ぶりに来てみた。
前回は新婚一ヶ月目に主人と二人で、今回は高校生の娘を連れて三人で。

今でも忘れられないのだが、前回、長崎旅行で来たのは
なんと偶然にも『平成5年8月豪雨』のときだった。
当時は福岡在住で、婚姻届は出してあったが挙式も披露宴もしていなかったので、
新婚旅行のつもりで、ハり込んで(笑)ホテル・マジェスティックを予約し、
一泊二日の休日を長崎観光で楽しもうと計画したのだ。
だが、ただひとつ失敗したのは、主人も私も仕事の都合があったために、
このときしか休みが取れず、結果として集中豪雨に当たってしまったことだった。

あの17年前の夏の午後、小雨の大浦天主堂は綺麗だった。
夕食後、雨がやんだときに訪れたグラバー園も風情があった。
だが、途中から雨が再度、強く降り始めて、ここから大嵐になったのだ(汗)。
一晩中、外はものすごい豪雨で、翌朝になってもやむどころか、
道路は浅い小川のように水が流れ、私たちは平和公園散策を断念した。
さらに午後には、JRが雨のため運休になってしまった。
私たちは結局、命からがらという風情で、
ようやく予約できたバスで福岡に戻ったのだが、窓から見える景色も尋常でなく、
民家が水の中を流れていく様子が見えたものだった(大汗)。

あのときを思えば、17年後のきょうは、素晴らしかった。
穏やかな五月の晴天に恵まれ、暑くも寒くもなく、気持ちの良い日だった。
天主堂の中でゆっくり祈祷席に座って、説明の音声を聞いたり、
外に出て暖かな日差しの中で写真を撮ったりした。
とてもとても、ありがたいことだった。
親子三人で、このような一日を過ごす境遇でいられたということは。

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