転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
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HN「転勤族の妻よしこ」、筆名「山田亜葵」。家族は、転夫まーくん(またの名を「ツアコンころもん」)、転娘みーちゃん(1995年生まれ。首都圏在住。会社員)。
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いちばん良い遺影
じーちゃん&ばーちゃん
/
2011年05月24日 22時29分16秒
長門裕之さん通夜に俳優仲間ら400人
(SANSPO)
長門裕之さんが亡くなられ、お通夜や告別式の記事があちこちに出たが、
そのユニークな遺影を見ていて、私はいろいろなことを思った。
長門さんの写真は晩年のもので、このうえなく明るく、
故人の声が聞こえてきそうな、鮮やかな印象があり、
ご本人らしさがよく出ていると、列席者にも好評である由、報道されていた。
倒れられる直前までご活躍だった方の場合は、皆の思い出として最後に残る写真が、
最晩年の最も良い表情を捕らえたものであるのが、ひとつの理想なのだろうと思った。
うちの姑が亡くなったときには、それまでの療養生活が長かったので、
晩年の写真と言えるものは少なかったし、仮に数多くあったとしても、
遺族としては、それを是非使って貰いたいとは、必ずしも思えない状態だった。
結果として姑は、もっと若い頃の写真を使うことになったのだが、
遺影は決して証明写真ではないので、故人や遺族の強い希望があるなら、
「最も故人の良さが出ている写真」
であれば極端な話、壮年期のものでも良いではないか、と私は思っている。
大事なのは、生前その人が誰であったか・誰であったと皆に思って貰いたいか、
ということではないだろうか。
姑は最後の7年間ほどは、介護度が4~5の状態で療養していたし、
同時に認知症もあって、意思の疎通も難しくなっていたため、
「哀れなけぇ、人には会わせとぅない」
という舅の意向もあり、全く外部との接触を持たずに過ごした。
以前のお友達からお電話などを頂くこともあったが、
お目にかかれる状態ではないのでとお話して、
我々家族からお礼を申し上げ、非礼を口頭でお詫びするのみにとどめていた。
年々変化したというよりは、姑は急激に弱った最初の一年で目立って痩せ、
顔つきも変わってしまい、以前の元気だった頃とは別人のようになった。
同時期に認知症も加速度的に進んだので、容貌の変化については
姑本人が気に病むような時間すらなかったと思われるのだが、
この時期、一部の親戚など、ときどき顔を見る機会のあった、限られた人たちは、
会うごとに激変する姑の様子に戸惑っていた。
そのようなわけで、姑がその後の長い療養生活のあと亡くなったときには、
遺影をどうするか、多少、問題になった。
担当して下さった葬儀社の方は、当然のことながら、
「82歳のおばあちゃんのお葬式」
という前提でお世話をして下さっていたし、棺の中の姑しかご存じないので、
「あまりにも昔の写真だと若すぎて、弔う本人とかけ離れており、適切でない」
という意味のことを(言葉使いにはもっとずっと配慮して下さっていたが)仰った。
確かに一般論としては、かなり高齢の親の葬儀なのに遺影が中年みたいでは、
やはり、ちぐはぐな印象になるのだろう、ということは想像できた。
しかし私たちは敢えて、姑の元気だった頃の写真を選んだ。
年齢的には60代後半で、よく太って、生き生きとした笑顔の姑が写っていた。
それは棺の中に眠っている、小さい小さいおばあちゃんとは、確かに別人だったが、
姑を知っていて下さった方が、姑の名前を聞いてきっと一番に思い出して下さる筈の、
後半生で姑が最も元気だった頃の印象を宿した写真だった。
家族の自己満足かもしれないが、姑に関しては、きっとあれで良かったはずだ、
と私は今でも思っている。
亡くなったときの姑本人とは違う人の写真みたいではあったが、
集まって下さった方の大半は、最晩年の姑をご存じなかったし、
姑本人も、病んだ姿を皆に記憶して貰いたいとは願わなかったと思う。
舅は既にその場に居なかったが、いたとしても勿論それを希望しなかっただろう。
舅は、できるだけ姑を他人の目にさらさないようにして介護していたのだから。
果たして、遺影を見て、列席者の多くは少しも驚かなかった。
大半の人にとって、それが普通の姑の姿だったからだ。
むしろ、最後に姑がひどく痩せてしまったのを、その場で初めて知って、
何年も会う機会のなかった、以前のお友達やそのご家族が、涙をこぼしておられた。
逆に、ケアマネージャーさんと、ヘルパーさんたちと、介護職員さんたちは、
「お元気だったときは、こんな方だったんですね……」
と異口同音に言って、遺影に見入って下さった。
最後の日々をお世話して下さった方々にしてみれば、写真の中の、
輝くような活力あふれる笑顔の女性こそ、見たことのない人だったに違いなかった。
私たち家族にとっては、元気なときの姑も、療養中だった姑も、
どちらもうちの「ばーちゃん」だった。
私たちの感覚の中でその両者は、完全に同じ人だと思うには違和感があったが、
かと言って、病気したばーちゃんはばーちゃんでない、とも思わなかった。
あれから二年が経とうとする今、私の中で、最晩年の姑は、
少しずつその輪郭や印象が、柔らかく見えなくなって、次第次第に、
元気だったときの姑の姿の中へと溶け込んで、ひとつになって行くような気がしている。
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