転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



どこに旅行しても中華街がある(笑)。
しかもここではメニューに長崎ちゃんぽんがある。
そういえば確か長崎ちゃんぽんは、
もともと中華料理から始まったものだったよな~と思い出した。

夜は中華街を散策し、某店で中華料理を楽しんだ。
宿泊も近くのホテルだったので、とても便利だった。
部屋風呂だけでなく大浴場があるのでこのホテルにしたのだが、
思った通り、広々としたお風呂はとても気持ちが良くて、正解だった。

その大浴場の使い方について、チェックイン時に、
「女性の方は、暗証番号を入れて解錠して頂くようになっていますので」
とフロントで説明があり、きょうの番号を書いた紙を渡された。
あとで娘が言うのに、
「『女性の方は』って言ったとき、よっちゃんのほうしか見とらんふうだった」。

例によって娘は『息子』だと思われていたのだろうか。
ちなみに長崎駅から中華街までタクシーに乗ったときには、
娘は運転手さんの手元をワザと注視していたが、
乗車記録をつけた様子はなかったということだ。
我々が降りてから記入されたのだろうか。
例によって『男2 女1』なのではないかと娘は期待して、いや疑っていたのだが。

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きょうから三泊四日の長崎旅行。
……の前に、吉野ヶ里遺跡に来た。

歴女の娘は、できれば大学に入ったら墓堀をしてみたいヒトだから、
こういうものは大好きなのだ。
主人は二十年くらい前、吉野ヶ里遺跡がほんの僅かに公開され始めたとき
職場の研修旅行で来たことがあったのだそうだが、
娘と私は全く初めてだった。

建物の大半は復元だから、本当にこのような姿だったかどうかは、
わからない部分も多いと思うし、推測が外れている可能性もあるだろうけれど
この地で日本人の先祖にあたる人たちが暮らしていたのだと考えることは
やはり感慨深いものがあった。
現在の気候から想像するに、寒さに凍えることはあまりなかっただろうけれど、
全体的に湿度が高いし、台風などは当時から脅威だったに違いない。
高床式倉庫などは見事な工夫の跡だと思うが、住居の多くは竪穴式で、
じめじめして暗く、今の感覚からすると快適とは言いがたい感じだった。

甕棺墓列を見ながら娘が、
「さすがに、『中のヒト』は、居ないのね」
と言った。出たな、ミイラ趣味!

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