転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



このところ気に入っているCDのひとつに、『ピアノ・パッション』というのがある。
インターネットで見つけて、割と面白そうだなという程度の気持ちで購入したのだが、
私としては、ちょっと昨今ないくらいのヒットになってしまった。

まず、選曲が面白い。
1曲目が唐突に、アルベニスのタンゴ ニ長調、演奏がシューラ・チェルカスキー。
大変に優美で、しかも、なんとも言えない明るさがあって素晴らしい出来だ。
次もアルベニスで、『イベリア』から一曲、演奏はアリシア・デ・ラローチャ。
これはまた、堂々たる第一人者の演奏で言うことなし。

そしてそのあとに来る作曲家が、バッハ。
わざと、バッハから始めなかったところに、
私は編者の美意識というか、ひとつのこだわりを感じてしまう。
曲は、『ゴルトベルク変奏曲』のアリアをロザリン・テュートレック、
『平均律』の第1番ハ長調をウィルヘルム・ケンプ。

それからどうなるのかというと、次はバラキレフ。
ポゴレリチのオハコ『イスラメイ』で、演奏はジュリアス・カッチェン。
なんとこれは1957年、ポゴレリチが生まれる前年の録音だ。

こんな感じで延々と、実に意外、かつ秀逸な名曲・名演奏が続いている。
演奏者はほかに、お馴染みのアシュケナージや、バレンボイム、
アルゲリッチらの名前が連なり、ルイザダの90年代の録音という新しいものも混じっている。
幾度聴いても飽きることのないCDだ。

ところで、途中にゾルタン・コチシュの弾くバルトークが入っていて、
『6つのルーマニア民族舞曲』がすべて収録されているのだが、
改めて一曲ずつのタイトルを見て私はシビれてしまった。

第1曲:棒踊り
第2曲:腰帯踊り
第3曲:足踏み踊り 
・・・・

どんな踊りなんだろう。腰帯とかが特に気になる(^_^;)。

ちなみに曲想は、リストのハンガリー狂詩曲やチャルダッシュなんかにそっくりで、
どうして両者が似ているのか初めは全然わからなかったが、
地図を見てみると、トランシルバニアを境にして、
ハンガリーとルーマニアは、国境を接していたのだった。
チャルダッシュというのもどうやらこのあたりの民族舞踊のことらしいので、
似ているのもやはり道理だったようだ。

ちょっとお利口さんになった(^^ゞ。

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午後、とあるmp3ファイルをCD-Rに転送する作業をした。
めいっぱいの重さだな~とはわかっていたが、
ちょっとのことだからと勝手に判断し、パソ子には頑張らせることにした。
画面を見る限り、なんとか順調に、転送と書き込みが進行しているようだった。

と、ポーン♪とメール着信音が鳴ったので、
受信フォルダを開いて、読もうとした、途端。

ひゅううううぅ

とパソ子が一声鳴いて、ぶち、と画面が真っ黒になった。

え・・・?停電?
と私は部屋の中を見回したが、テレビの電源のランプはついているし、
スイッチを入れたら天井の灯りもついた。

ってことは。

ひえええええ~!!!パソ子、しっかりしろっっっっ!!!
パソ子の電源を入れようとしたが、受け付けない。
私はパニクった。福岡旅行の直後で、すっからかんよ私。
壊れないで~!!頼む!!

主人のパソ夫を起動して、トラブル対策のページを探した。
mp3、mp3。どこじゃ~~!!

『CDexを実行するとブルーバックになり、例外OEでハングアップします。
Windows98系標準のApix.vxdが原因でハングアップするようです。
対応策としては、下記ファイルをダウンロード後解凍し、
WNASPI32.DLLをCDexのホルダに、NEROAPIX.VXDを
c:windowsSystemIOSUBSYSにコピーしてください。
AdaptecのASPIドライバーVer4.71は使用できません
(CD-ROMドライブが表示されません)』

何が書いてあるのか、さっぱりわからんっっっ!!!

落ちケツ、と自分に言い聞かせて、座り直して血圧をはかり(意味不明)、
コーヒーを淹れ、深呼吸してそれを飲み、
半時間ほどしてから、もう一度、パソ子のところに行ってみた。
パソ子は、もう、冷たくなっていた(違)。

私は、恐る恐る、電源を入れてみた。

ひゅいん

パソ子は、静かに起動した。
画面は、・・・・異常がない、ようだ。

よよよよよよよかった~~~(T.T)!!!!
やはり、さっきのは、あまりに仕事量が多すぎたので、
一時的に、パソ子がキれただけだったようだ。
ごめん、ごめんな、パソ子。もう、あんな無理はさせないようにするから。

♪オーバーヒートで~ 焼き豚になってもっ!

という忌野清志郎の歌が、私の頭の中をこだましていた。

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宝塚のスカーレットは、歴代、男役によって演じられることが多かったので、
今回、花總まりが演じるにあたって、観客の多くが注目したのは、
『娘役が演じたらどうなるのだろうか?』という点だったと思う。
しかし私は、彼女の舞台人としての自己顕示の仕方には、
既に信頼にも等しい気持ちがあって、
それは事実、この『風共』の舞台においても裏切られることはなかったので、
娘役が演じたことでマイナス面があったとは、ほとんど思っていない。

花總まりのスカーレットは、全体としては良い出来だったと思う。
技術的に破綻がないうえに、元来はっきりと自己主張のできる人だから、
怖じ気づいたりせずごく自然に、男役に踏み込む演技が出来ていたと思うし、
それはスカーレットという役に必要とされる要素でもあった。
コンビとしてのキャリアのお陰で、和央ようかとの信頼関係も充分で、
恋愛ものとしてのバトラーとスカーレットの関係性には、私はほぼ完全に満足だった。
自我が強く、過酷なまでに前向きで、
他人の視線など跳ね返すような逞しさもあり、同時に子供っぽく、
・・・・こうした観点では花總スカーレットはとても良かったと思うのだ。

が、結論として、花總スカーレットは、最後まで、私の思うスカーレットではなかった。
初見の倉敷昼公演のとき、私は舞台を観ながら、
なんとも言えない違和感が募って来るのをどうしようもなかった。
これは、脚本があまりに端折られ過ぎているせいなのだろうか、
私はこれのどこを、スカーレットではないと感じるのだろうかと、
曖昧な気持ちのまま、ずっと、花總まりを観ていた。
それが、二幕のバトラー邸新築披露パーティで、突然わかったのだ。

スカーレットはここに来て初めて、それまでの喪服やエプロン姿ではなく、
目の覚めるようなイブニング・ドレスを着て、一分の隙もない姿で立っていた。
そのほっそりとした首から肩にかけての高貴なライン、
すらりとした立ち姿は、生まれついての貴族か姫君のようだった。
この場面で初めて、花總まりが本来の輝きを放ったと感じられた。
こんな美しい娘役は、滅多にいないだろうとさえ思った。
だが、だからこそ、いけなかったのだ。
絹の装いが何の疑問も寸分の違和感もなく身についてしまうなどとは!

確かに、娘時代のスカーレット・オハラは大農場主の長女として、
労働とは無縁の育ち方をしたが、だからといって英国貴族の令嬢だった訳ではない。
その体には絶えず、父から受け継いだアイルランドの百姓の血が燃えていて、
彼女自身がタラの一部として、暑い赤土に根を張るような生命力を持ち、
その力強い輝きゆえに、バトラーやアシュレを魅了したのだ。
アトランタ陥落の夜に、彼女が命がけでタラを目指したのは、
タラの大地こそが、彼女に命を与えてくれた、胎内にも等しいものだったからだ。

彼女には、土が必要だった。
どんな苦難の中でも、あの赤土に抱かれれば、
彼女は自分に還ることが出来、明日を目指す力を与えられた。
そのことは、彼女を理解している周囲の人々にとって何より明白だった。
だからこそ、母の墓の前で泣き崩れるスカーレットに、マミーは土を握らせるのだし、
「貴女が僕よりも愛しているもの」だと、アシュレもまた彼女に土を与えるのだ。

私の思うスカーレットは、『タラを愛しタラに愛されるアイルランド系の女』で、
それはレット・バトラーが、どのような放蕩な生活を送ろうとも、
結局チャールストン上流階級の男だったことと、鮮やかな対比をなすものだ。
こんな女に、絹のドレスが皮膚そのもののように同化したりするだろうか。
どれほど贅沢なドレスであれ、そんなものは、美しい仮面に過ぎない。
彼女の父親譲りの血が隙あらば顔を出そうと見え隠れしていて、
彼女は、その葛藤を体現するようにして、立っているべきではなかっただろうか。

花總スカーレットには、その葛藤が無かった。
彼女にとっては、タラは一応故郷だったというだけで、
なくてはならないものとは思われなかった。
彼女はタラと無関係に、自分の意志や欲求によって行動しているように見えた。
私はそこが、根本的に不満だったのだ。

断っておくが私は決して花總アンチではない。
これまで、私が和央ようかに5000字分の文句をつけたことはあっても、
花總まりをかくも明白に否定したことは一度もなかった筈だ。
あのスカーレットは、彼女独自の考え方によるものか、
それとも劇団による指示や演技指導がああなっていたのか、私にはわからない。
しかし、和央・初風によるバトラー・アシュレがあまりに目覚ましかったからこそ、
花總まりのスカーレットは、私には、残念でならなかった。

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スカーレットは、その人生の途上に何が起きても、
自身はいかほども傷つかず、常に破格のバイタリティを持って生きている。
『明日になれば』というソロナンバーに象徴されるように、
彼女は過去を省みてくよくよすることも、
思い出を温めて自分を慰めることも好まず、
日々新たに、前だけを見つめて暮らす力を、生来、与えられている女だ。

そんな彼女の愛した男がふたりいて、
ひとりは夢の中の貴公子であるアシュレ・ウィルクス、
もうひとりが、彼女が最後にその価値に気づいた風雲児のレット・バトラー。
このふたりは、外見的には、正反対の存在として描かれているが、
その実、本質的なところでは、同じ人物の表裏と言っていいくらい、
同質の部分をしっかりと共有している。
スカーレットがこのふたりに惹かれ、
ふたりともを失うのは至極当然のことなのだ。

・・・ということが、今回の宙組公演『風と共に去りぬ』を観ていて、
よくわかった。

レット・バトラー(和央ようか)が、ほとんど終わりのほうの場面になって、
スカーレットに別れを告げるところで、
『自分は、壊れたかけらを辛抱強く拾い集めて糊でつぎ合わせてしまえば、
新しいものと同じだと考える人間ではない。
むしろ、新しかったときのことを思い出しながら、
壊れた様子を眺めていたいのだ』
という意味のことを言ったとき、一挙に、私の目の前で、
ここまでのいくつかの場面が一貫した大きなひとつの流れになった。
レットの、この台詞こそ、物語の様々な場面で、何人もの登場人物が、
さりげなく語った、この作品のテーマに他ならなかったからだ。

例えば、敗戦後の再建時代の南部を見て嘆く仲間に、ルネ(悠未ひろ)が、
『もう嘆くのはよそう。目を閉じてご覧。
僕には見えるんだ。昔のままの南部が』
等と言ったこと。
また、あるいは、ケネディ雑貨店を訪れたスカーレットに、アシュレが、
『覚えているかい?』
と囁いて、もはや戻ることのない輝かしい青春時代や、
永遠に失われた、幸福に満ちた南部の光景を語った(歌った)こと。

これらはすべて、結末のところで、レットの別れの台詞に繋がるのだ。
「思い出の中でしか生きられない」「過去を振り返ってばかり」
とスカーレットが軽蔑して来た、古い世代の南部人たちの想いを、
よりによってレット・バトラーが、
最後の最後になって体現して見せたのだ。

実は原作を丹念に読めば、この流れは詳述されている。
スカーレットの本性を面白がり、彼女と同じ目で世の中を眺め、
南部人の貧乏をせせら笑って暮らしてきたレットが、
本当は、伝統的な南部の上流階級で育まれた男そのものであったこと。

また、南部の紳士として高い教養を身につけたアシュレが、
その枠から大きく外れている筈のスカーレットに心惹かれ、
彼女の本質的な美点を見抜き、絶えず賛美したことは、
レットの言動と、ある意味で常に表裏であったこと。

更に、このような人間たちは、
古き良き時代の南部と訣別しては生きていけないこと。
そして、それはスカーレットのような女には共有できない、
独特の世界観であるということ。

和央ようかが、あの限られた出番と制限付きの台詞の中で、
このテーマを鮮やかにすくい取って見せたことには、
今回本当に驚嘆したし、
そこにつなぐように演じた、初風緑や悠未ひろ等の力量にも感服した。

特に、今回は、アシュレと表裏一体であることの面白さの中に、
バトラーの存在の妙味があったように思われてならない。
そう見えたのは、和央ようかと初風緑が、「巧かったから」、
と言う以外に、今、私には良い言葉が浮かんで来ないのだが、
ほとんど同じ場面に出ていないのに、
あのふたりの呼吸の合わせ方は絶妙だったと思う。
外見は反対でも、実はバトラーとアシュレがよく似ているからこそ、
ふたりともスカーレットに惹かれ、スカーレットもまた、
このふたりの男を愛するのだ、という説得力が非常にあった。

あの名作と誉れ高い映画版でさえ、なかなか、
このような切り口を堪能させてくれるほどの出来映えには
なっていないのではないかと私は個人的に思う。
世間的には「風共」の面白さはスカーレットのキャラクターに有り、
南北戦争前後の南部の風景や南部人の誇りの話などは単なる背景、
と思っている人のほうが、多いのではないだろうか。

あの世界を成立させて見せてくれた和央ようかには完全に脱帽だ。
イタいファンと笑いたければ笑って下さい(^^ゞ。
多分、大劇場主演歴4年の彼女だから、出来たのだ。
どんなにルネが名演でも、アシュレが絶品でも、
最後にバトラーがそれを受けて立たなかったたら、
「風共」は単なる男女の悲恋もので終わるところだったのだから。

巧い、巧すぎる。
やはり、今回の感想は、これに尽きる。

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6日と7日の一泊二日で福岡に行って来た。

「道訊かれ顔」のせいか、広島駅のホームからいきなり、
全然知らないおばちゃんに袖をつかまれ、
「ひかり○号は、こっちですか!?」
と詰問口調で尋ねられた。
「このホームの、あっち側ですね。表示によると」
と答えると、おばちゃんは、私のほうを見もせず、
「あっち側だって!!」
と連れの何人かに呼びかけて、あっという間に、行ってしまった。

さて、私が早良区民だった十年ほど前から数えたら、
福岡市民会館に行くのは、一体、これで何度目だっただろうか。
以前から思っていたのだが、福岡には不思議な「博多時間」があって、
土地の人たちは、開演に遅れても、あまりキリキリしないように見える。
ゆったりと席を探して、悠々と着席する人が結構いるのだ。
今回も、舞台ではバトラーさんが歌っているのに、どこ吹く風で、
遅れてきたおばちゃんと元からいたおばちゃんが、
なごやかに挨拶を交わしていた。
はよ座らんかい(^_^;)。

また、開演前にちゃんとアナウンスがあったのに、
携帯の電源を切っていない人が多く、
芝居の最中にあちこちで鳴りまくり、ヲイヲイと思っていたら、
私の隣でも鳴り始め、隣人はガサゴソとバッグをまさぐり、
「もしもし」。
出るか、普通!!

そうこうするうちに、舞台はいよいよクライマックス、
去りゆくバトラーに、スカーレットが必死で追いすがる場面になった。

バトラー「僕はもう、何も聞きたくないんだよ」
スカーレット「でも、私が何を言おうとしているか、あなたにはわからないじゃありませんか!」

その刹那、私の背後から「がっ!!」。
後ろのおっさんがゲップをした音だった(--#)。

まあ、この和やかさが、よろしいと言えば、よろしいのだった。
私はこういうことで「観劇が台無し」とは思わないほうなので、
苦笑しつつも、大変楽しく、私にとっての福岡初日は終わった。

この日は、素晴らしいオマケがあった。
出待ちに行きそびれた私は、市民会館前で偶然、お友達のMさんに会い、
ちょっと喋っていたら、そこに、宙組の面々を乗せたバスが、通りかかった。
見たら、前から三番目の窓際に、和央ようかがいた!
我々は、手を振った。振って振って振りまくった。
すると、むこうも気が付いて、手を振り返してくれたのだった!

神様・・・・(byバトラー)!

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きょう笑ったニュースは、これ↓

黒パン仮面の正体は強盗、店員思わず「本物?」

千葉県君津市のゲームソフト販売店に、サングラスの男と、
もうひとり、頭から黒パンティーをかぶった男が来て、
「カネを出せ」と要求し、店員さんは思わず「本物(の強盗)ですか?」。

店員さんは「友人がギャグでやっているのかと思った」そうだが、
刃物で脅されて正真正銘の強盗だと知り、
レジから現金約十万円を渡すと、犯人らは逃走したという。
捜査関係者は
「なぜパンティーをかぶっていたのかまったく分からない」
と首をひねっているということだ。

いや、だが、私の考えでは、
こういう強烈な変装をすれば、目撃者の印象が「黒ぱんつ」のみになり、
他の特徴を記憶されにくい、ってことではないの?
そんな、人のこと、まるでウケ狙ってぱんつ被ったアホみたいに言わんでも(^_^;)。

そういえば、いつぞや銀行強盗をやろうとして失敗したおじいさんが居たな。

これは確か、広島の話だ。
何かで読んだのか、人から聞いた話だったかは忘れたが。
なんでも、前科十数犯というおじいさんがいて、
この人は後半生のほとんどを、刑務所で暮らして来た人だったという。
彼は今では、むしろ積極的に、国営ホテルで生活し続けたいと望んでおり、
現に、出所するたびに、すぐまた何かをやって捕まる、
ということを、もうずっと繰り返して来たのだった。

で、彼はある時、何度目かの出所をして考えた。
今度は何かデカいことをやって、うんと長く入っていられるようにしよう、と。
それで思いついたのが、銀行強盗。
彼は、近くの銀行に入って行って、女子行員に言った。

「強盗だ!カネを出せ!」

しかし、悲しいかな、この人には迫力が全くなかった。
ちょっと惚けたおじいさんかと思った女子行員は、優しく言った。

「通帳がないと、出せないんですよ?」

それでも頑張って彼は強盗であると主張し続け、
押し問答の末、ついに希望通り(?)警察を呼んで貰ったのだが、
彼の罪状は、ただの「恐喝未遂」。
「強盗」どころか「恐喝」にすら成功していなかったという訳だ。
そのへんのコンビニで弁当でも万引きしたほうが、
「窃盗」罪が成立するだけ、彼的にはマシだった、という(涙)。

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きょうは娘の小学校で授業参観があった。
科目は「理科」、単元は『ガスバーナーの使い方』。

4年1組が理科室を使うのは、これが初めてらしかった。
まず、先生から、理科室の仕組み全体についてざっと説明があり、
次にガスバーナーの点火の仕方を板書で確認し、
元栓を閉めた状態で、手順だけやってみなさいという指示があった。
児童らは、嬉々として、一人ずつガスバーナーに触った。
初めて見る道具が、面白くて仕方がないらしかった。

それから、マッチの扱い方について、一般的な注意があった。
人に向けてすらないこと、やけどしないよう火を上にして持つこと、
燃えカス入れに水を入れて準備しておくこと、等々。
先生がお手本として一本すって見せ、ぱっと炎が上がると、
「おお!」
と児童たちの間から歓声がわき起こった。
……思えば、このあたりから雲行きがおかしかったのだ(^_^;)。

で、それでは皆もマッチをすってみましょう、ということになった。
バーナーは、まだだ。とりあえず、マッチだけ。
これが。
えらいことだった。

まず、すっている友達の手元を、班員全員が興味津々で覗き込んでいる。
「顔近づけたら危ないよ」
とすかさず先生の声が飛ぶと、今度は子供らは、ザっと壁際まで離れ、
マッチをする友達を遠巻きにして眺めている。
マッチをする子は、イケニエよろしく、震えている。
おいおい。原始人か君ら(^_^;)。

ご多分に漏れず、うちの娘も、ろくにマッチを使ったことがなかった。
が、鈍くさいだけあって神経の太いのが幸いしたか、
娘は、数回失敗したのちに、ぐいっっと力任せにすったら、
奇跡的にうまく火がつき、仲間から拍手喝采された。
「先生っ、今、転娘みーこが、出来た!」
と班員の男の子が先生にすぐさま報告した。
娘は、『照れるな~(^^ゞ』という風情だった。
「良かったね。何人、済んだ?」
という先生の声に、男の子は胸を張って答えた。
「ひとり!」

この頃には、既に他のグループも大変な盛り上がりだった。
ひとりがマッチをするのを、別の班まで一緒になってとり囲んで、
大勢で固唾をのんで見守っている。
時々、ほうぼうから応援の声がかかる。
「○○ちゃん!」
「頑張って!」
「一瞬で力、入れろ!」
試行錯誤の後、どうにか火がつくと、一斉に大歓声と拍手!

結局、きょうの授業は『マッチのすり方』で終わった(爆)。

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ポゴレリチのアメリカ公演が始まって以来、
私のネット活動も非常に活発化している。
アメリカ各地の新聞に掲載される、リサイタル予告や演奏会評を、
次から次へと探そうとするものだから、ネットサーフィンで忙しいのだ。

昔、八十年代の半ばを過ぎた頃、彼のファンになって数年目だった私は、
どうにかして海外での彼の活動を日本にいて知る方法がないものか、
と頭を悩ませていた。
その当時、私が思いついたことは、彼を招聘したことのある、
日本のマネージメント会社に頼んでみることだった。
私はある会社に電話して臆面もなく言ったものだった。

「イーヴォ・ポゴレリチの、海外での演奏会情報は、どうしたらわかるのですか?」

この途方もない質問に対して、先方は親切だった。
「情報」を提供し続けることは無理だが、今手元にある範囲で、
アメリカの新聞に掲載された記事をコピーすることならできる、
と言ってくれたのだ。私は喜んでそれを貰った。
リアルタイムの情報でないにせよ、日本では手に入りにくいものだったから、
そのときの私には値千金だった。

当時、パソコンはまだ一般に普及していなかったし、
職場にあったコンピュータも、私はワープロとして使うだけで、
あとは決まり切った手順の表計算に利用するのがせいぜいだった。
私は、「ロータス123」を起動しながら考えたものだった。
この画面に、何か入力して、どこかに信号を送ったら、
例えば、ニューヨーク市立図書館や、ワシントンの議会図書館に、
ぱぱっと繋がるという仕組みにならないものか。
で、暗証番号なんかを送信したら、蔵書の閲覧が出来るとか。

私がこの希望を言ってあげていれば、
ビル・ゲイツは「窓95」に最初からインターネットに関する機能を搭載したかな(^^ゞ?
いずれにせよ、パソコン通信の時代の後に到来したIT時代は画期的だった。
世の天才と呼ばれる人は、私が「あるワケねーよな」と夢想したことを、
次々に、見事に形にして見せてくれたのだ。

今や、極東の一市民であるオバちゃんの私が、
家から一歩も出ずに、ポゴレリチの演奏会の日時を前もって知り、
自分が行きもしないのにその演奏会評を手に入れ、
まるで蜘蛛が巣を張って待っているかのように、
次の演奏会の開催地の新聞を「お気に入り」に登録して待機している。

さて、次はニュージャージーだな(^_^;)

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数日前、主人が散髪屋から帰ってきて言うことには、
「俺の頭は皮がむけやすいからというので、いい薬を貰った」。
見たら、『ふけ鎮(ふけちん)』とラベルに書いてあった。

確かに、主人はフケ症だ。
などと書くと、若い女性には「いや~っっ!!」と嫌われそうだが、
主人の名誉のために言うと(こんなことで名誉を賭けるのはどうかと思うが)、
シャンプーしていないからフケが出る、というのではない。
この人は気の毒なことに、洗いたてでも頭皮がぽろぽろむける体質なのだ。
フケなどというケチなものとは一線を画した、
結構な面積の頭皮が、剥がれて落ちてくることもしばしばだ。

あるときなど、主人は仕事から帰って来るや否や私を呼び、
「きょうは、凄いのが取れた」
と言って、一平方センチくらいの、頭皮のとれたものを見せてくれた。
「勤務中に、ぽろ、っと落ちてきて感動したんだよ~」
それを後生大事に持って帰って来るというのも訳わからんが、
主人はこれを「フケ子」と名付けて、しばらくの間、
電灯に透かしてみたり(毛穴が空いている(^_^;))、
ためつすがめつ、可愛がっていた。

主人はまた、腹話術師のごとく、フケ子を操り、
娘に向かって『おねえちゃ~ん』、私に向かって『おばちゃ~ん』と言わせた。
そうだな、主人の細胞から出てきたものだから、
フケ子(しかし、なぜ女?)は主人の子かもしれないが、私には他人だな。

………どうでもいいが。とほほ。

それにしても、その「ふけ鎮」なるものは、どの程度、効果があるのだろう。
ケアをしないよりは、したほうがいいに決まっているのはわかるが、
やはり目に見えて、頭皮の状態が良くなるものだろうか。
これで何日かは、「ふけ鎮」を使用してみたことになるので、
私は今朝、主人に、その使用感について尋ねてみようと思った。

思ったのだ。が。
私の口から出てきた言葉は。

「ねえ。はげ鎮、使ってみて、具合どう?」

しまった。しまった。しまった。しまった。
ついに、言ってしまった。言わないようにしていたのに。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい(;>_<;)。

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今朝7時過ぎ、娘を送っていく途中で、交通事故現場を見た。
広島城の南側、県庁方面に向かう曲がり角のあたりで(ローカル過ぎ(^_^;))、
ワゴン車が横倒しになっており、そばに転倒したバイクもあり、
人が血を流して倒れているのが見えた。

中央公園の端に数人の人が立ったまま、これを眺めているだけで、
まだ、警察が来ている様子はなかった。
通報すべきだろうか、と私が思ったとき、
通りの向こうからサイレンが聞こえてきた。
良かった、通報は済んでいたのだ。

あのあと、今夜までの時点で、
この事故の関連と思われるニュースは見かけないので、
多分、大事に至らずに済んだのだろう。

今のところ、広島はそんなに事故が多いような印象はないが、
これまで住んだ中で、交通事故がよくあるなと感じた土地は、
私にとっては、神戸と松江だったと思う。

神戸は、市バスの事故が多かった。
新神戸駅から三宮方向への道路で、乗客の全くいない市バスが、
道の片側に寄って不自然に停車している風景を
入居後わずか一ヶ月の間に幾度も見かけたことがあり、
『このあたりのバスは、変なところで待機しているんだな?』
と私は首を傾げていたものだが、
あれは事故って、そこから先の運行を中止したバスだったのだ。
今は改善されたかもしれないが、震災から数年後のあの当時、
本当に市バスの事故が多かった印象がある。

松江のほうは、全市的な傾向というよりは、
住んでいた官舎の前が、たまたま、事故の多い場所だったのだと思う。
松江駅から、くにびき道路を少し北上したところに(ローカル過ぎ・2)、
とある銀行のビルがあったのだが、これの玄関が全面ガラス張りで、
ここによく、夜間、自動車が衝突していたのだ。
我が家の斜め前くらいの場所だった。

ある晩など、どーーーん!という衝突音に驚いて出てみたら、
車も何もなくて、道も綺麗で、あり?と思ったことがあったのだが、
実は、正面衝突した乗用車が、真夜中の無人の銀行店舗の中に
すっかり乗り入れてしまっていた、というのが真相だった。
私が住んでいた3年間、あの銀行はほとんどいつも、
正面ガラス扉が修理中だったものだが、今は良くなっただろうか。

折しも今日から、運転中の携帯電話の使用に罰則が適用される、
改正道路交通法が施行されることになった。
今更だが、交通事故には、気をつけよう(^_^;)。

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