石巻港の海からわずか200~300mの場所で
自動車整備業を営んでいた後輩のY君に安否確認の連絡ができないまま
あの大震災からすでに1年以上が経ってしまっていました。
平日の午後に起きた未曾有の地震・津波ですので
当然仕事の真っ最中のはずでしたし、整備でお預かりしている車両を残したまま
責任感の強い彼が逃げるはずがないと勝手に思い込んでいたため
直接ケータイに連絡して繋がらない=死亡が怖くて
何処かから風の便りでも良いので安否の情報が入るのを1年の上、待っていたことになります。
結局、何の情報もなく、我慢できずに意を決して
彼の友人のお隣県のK君に電話をしたのは2週間くらい前のことでした。
大丈夫だと言う親たちを説得し、お預りしていたお客様のクルマを届け、かろうじて高台に非難できたのは
2階天井まで達するが押し寄せる10分前のことだったそうです。
無事が確認でき、急遽10年振りに3人で仙台市郊外の温泉旅館で一泊し
夜中の3時まで積る話をしてきたのは数日前のことでした。
「御香典」でなく「お見舞い」を渡すことになり本当に良かったと思うと同時に
その差が“運”以外の何物でもないことを改めてY君の話から知りました。
また、被災地は今、思わぬ好景気に沸いていると言います。
様々なお金が流れ込み、それが外車、ブランド品等などに
どんどん使われているのだそうです。
一方では、働かずしてお金を手にした人々が昼間からパチンコに興じ
求人を出しても働く希望者が来ない側面もあると言うのですから
「拾った命、残りはおもしろおかしく生きて行こう」と思ってしまったわけでもないのでしょうが
人間とは、なんともはや、難解な行動を取る生き物ですねぇ。
それにしても、食べ放題の太いカニ足もあった旅館のビュッフェスタイルの食事も
生まれて初めて連れられて食した本物の「仙台の牛タン」も、美味かったなぁ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます