万年筆の業界もご多聞にもれず、売上げが低迷しているそうです。
電器、自動車、外食産業などの苦戦を聞くとそれも仕方ないと思ってしまいますが、万年筆の業界の苦戦を不景気のためだと片付けるのは少し違うと思っています。
世の中の消費者の購買行動を見たり、聞いたりしていると、家で過ごすためのものには変わらずお金を使っていますし、お金や物よりも自分の内面を豊かにするものへ人々の興味が向いていることを考えると、万年筆にとって今の状況は逆風どころか追い風なのではないかとさえ思えます。
家での時間、あるいは一人の時間を楽しくしてくれる物、自分の精神性を表現することのできる道具が万年筆だとすると、今苦戦している産業が提供しているものと万年筆とは対極にあるもので、需要は増えていると思われます。
そんな整った状況の中で、筆記具の業界が苦戦しているのは業界内の問題が大きいのではないかと思っています。
昭和初期あるいはそれ以前に確立された古い販売の仕方はお客様にもっと快適で楽しい一時をすごしてもらいたいという工夫に欠けていて、物さえ買っていただけたらいいとする考え方が表れています。
作り手は、筆記具以上の書くことが楽しくなるものを作っているという誇りに欠けるような検品の甘さを感じるものを出荷してしまうこともあります。
両者とももっとクオリティの高いものをお客様に提供しなければ、万年筆の業界に未来はありません。
現在の万年筆の業界の負のスパイラルに落ち込んでいて、「売上げが悪い」「理念のないただの物売りに走る」「お客様が離れる」ということを繰り返しています。
あるお客様が私に警告してくださっていますが、万年筆というものをただの道具として、ただの文房具に属する物として提供し続ければ、この業界は必ずなくなってしまい、数十年後には万年筆という筆記具があったと過去のものとして扱われるようになってしまうという意見に同感です。
今の万年筆の業界に足りないもの。
それは今万年筆を買ってくれている人以外にももっと多くの人に万年筆を所有してもらおうとする新しい価値の提供です。
そうするには物作りの考え方から、販売の方法、プロモーションなど全てを考え直さないといけないでしょうが、万年筆にはそうする価値があると思っています。
そんな価値があることを作り手、売り手が認識して、それぞれの仕事を反省して、変えていかなければならないと、自分自身を含めて業界が取り組んでいかなければならないと考えています。
電器、自動車、外食産業などの苦戦を聞くとそれも仕方ないと思ってしまいますが、万年筆の業界の苦戦を不景気のためだと片付けるのは少し違うと思っています。
世の中の消費者の購買行動を見たり、聞いたりしていると、家で過ごすためのものには変わらずお金を使っていますし、お金や物よりも自分の内面を豊かにするものへ人々の興味が向いていることを考えると、万年筆にとって今の状況は逆風どころか追い風なのではないかとさえ思えます。
家での時間、あるいは一人の時間を楽しくしてくれる物、自分の精神性を表現することのできる道具が万年筆だとすると、今苦戦している産業が提供しているものと万年筆とは対極にあるもので、需要は増えていると思われます。
そんな整った状況の中で、筆記具の業界が苦戦しているのは業界内の問題が大きいのではないかと思っています。
昭和初期あるいはそれ以前に確立された古い販売の仕方はお客様にもっと快適で楽しい一時をすごしてもらいたいという工夫に欠けていて、物さえ買っていただけたらいいとする考え方が表れています。
作り手は、筆記具以上の書くことが楽しくなるものを作っているという誇りに欠けるような検品の甘さを感じるものを出荷してしまうこともあります。
両者とももっとクオリティの高いものをお客様に提供しなければ、万年筆の業界に未来はありません。
現在の万年筆の業界の負のスパイラルに落ち込んでいて、「売上げが悪い」「理念のないただの物売りに走る」「お客様が離れる」ということを繰り返しています。
あるお客様が私に警告してくださっていますが、万年筆というものをただの道具として、ただの文房具に属する物として提供し続ければ、この業界は必ずなくなってしまい、数十年後には万年筆という筆記具があったと過去のものとして扱われるようになってしまうという意見に同感です。
今の万年筆の業界に足りないもの。
それは今万年筆を買ってくれている人以外にももっと多くの人に万年筆を所有してもらおうとする新しい価値の提供です。
そうするには物作りの考え方から、販売の方法、プロモーションなど全てを考え直さないといけないでしょうが、万年筆にはそうする価値があると思っています。
そんな価値があることを作り手、売り手が認識して、それぞれの仕事を反省して、変えていかなければならないと、自分自身を含めて業界が取り組んでいかなければならないと考えています。
それまで名前はおろか存在すら知らなかったオプティマというペン。手にして「これがいい」と思った、その時の気持ち。そういうところに共感したのでしょう。
心に働きかける「もの」には、そんな部分が必要です。使わないかもしれないけれど持っていたい、と思わせるぐらいでなければいけませんね。
ありがとうございます。
理屈な持っていたいもの。そういうものが万年筆以外の分野でもそうですが、必要だと思いますし、作り手、売り手はそのようなものをお客様に提供できるようにしないといけませんね。
がんばりますので、これからもよろしくお願いいたします。
私自身、そういう思いから、ここ最近の原稿の内容はそういう方面です。
私は万年筆を中学校の入学祝いでもらったのを最後に購入したことも使った事もありません。
ただ、文具好きということで、ネットサーフィンの際に発見した吉宗さんのブログは楽しみに拝見しているものです。
私がなぜ万年筆を使わないかというと、単純に万年筆を使っているにイメージが自分の中に無いからです。
私は万年筆を車で例えるとフェラーリの様に感じます。(高価で取っ付きにくいイメージもありますし。)
日々書くことに関して、他の筆記具で充分のように思っています。
でもフェラーリに憧れるように万年筆にも良く似たものがあります。
フェラーリが乗り手を選ぶように、万年筆を使う人は、それなりの拘りがある人だったり、小説家のように書く事を生業としている人。という概念もあったりします。
万年筆に限ったことではありませんが、作り手がユーザーに対して押し付けるものではなく、吉宗さんのおっしゃる通り、使う人へ価値(バリュー)をいかに提供できるかが問われるように感じます。その価値に対してユーザーはお金を支払うわけですから。
そこはユーザーと吉宗さんのような方々がコツコツ作り上げていくべきなんでしょうね。
今後もブログの更新楽しみにしております。
ありがとうございます。
万年筆を使う人が少ないのは業界の怠慢だと思います。万年筆の良さをたくさんの人に伝えられず、近寄り難たいイメージだけが先行しているところがあります。
万年筆ユーザーの裾野を広げる努力は本当に必要ですね。
それをやっているつもりの活動が、実はより間口を狭める一部の人たちだけのものにしてしまっていることを心配します。
このお客様や、そこに居合わせたお客様、そして選ばれる万年筆があり、そしてこのような場を提供できるお店を運営する店主がいらっしゃるのだから。
ありがとうございます。この店の財産は、お客様方が作り出す、優しい空気だと思っています。
それは意識して作ろうとしても作ることのできないとても貴重なもので、物を手に入れるだけでなくお金に替えられないものも手に入れたいと思っている、ご自分の心を豊かにしたいと思っておられる方には不可欠なことだと思います。
このような心通う場面をこの店でよくめにしますので、みよ様もきっと居合わせることができると思います。