いい大人になって、人から注意してもらえることが少なくなってしまいましたが、やはり人から注意してもらって改めようと思うことはあるし、それはとても恵まれていることだと思います。
今までの人生で、自分に親身になって注意してくれた人は何人かいて、そういう人にはやはり頭が上がらない。
注意してくれたこともそうですが、言いにくいことを嫌な想いをしながらでも言ってくれたその気持ちに感謝して、頭が上がらなくなる。
考えてみると、人に注意するよりも、注意されることの方が多かったような気がする。
それだけ無邪気で、自分の考えだけで完結して、周りのことが見えていなかったのだと思います。
話は少し違うけれど、妹はそうでもなかったけれど子供の頃から母親によく怒られた。
よく怒られたけれど、あまり言うことを聞く子供でもなかった。
落ち着きがない、余計なことをする、勉強をしないなど、勉強しなさいというのはしょっちゅう言われていた。
本当に勉強が嫌いな子供で、それを見て母は焦ったのだと思います。
父も母も優等生で(多分)、学生時代勉強はできた方だった(多分)から、自分の子供を見てなんでこんな子になってしまったのだろうと、自分たちの育児能力をうらんだりしたのだと思うと両親が気の毒に思います。
でも、子供は親とは全く違う独自の人格を持っているので、親に似ず勉強のできない子供が産まれることもあると思うけれど、そうはなかなか思えなかった、この子は勉強すればできるようになると信じたのかもしれません。
母親は亡くなってしまったけれど、父親には何か遠慮みたいなのがあって、それはやはり頭が上がらない。
子供の頃、言うことは聞かなかったけれど感謝しているのだと思います。