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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

北川浩文くんの勝負

2017-11-05 | 実生活

クラウドファンディングという言葉を最近よく耳にします。今の時代らしいお金の集め方で、思いついた人はすごいなと思いますが、自分の仕事のやり方とは違うと思っていました。

フェイスブックをたまに見る時に、クラウドファンディングで出資者を募る記事をたまに見掛けます。すぐに流れていってしまうフェイスブックの記事の中で、中学高校の同級生だった北川浩文くんが元町商店街で食堂を開くための準備をしていて、開業費600万円のうちの広告費50万円の出資を募っていること知りました。 詳細はこちら。

あればいいに決まっているけれど、お金が集まらなくても食堂は開くだろうと思うので、皆さん出資して下さいという宣伝ではありませんし、北川くんも私がそんなことをすることは望んでいないと思います。

高校を卒業してから30年以上も経つけれど、たまに行き来をして顔は合わせていましたし、この店にも何度か来てくれて万年筆も買ってくれました。

起業したいという話は数年前から聞いていて、本当におせっかいな偉そうなことを先輩面して言ったこともあった。
そんな時でも北川くんはうんうんと真摯な態度で話を聞いてくれた。そんなヤツなのです。


中学3年の時のクラスは、仲の良いとても思い出深いクラスで、勉強は嫌だったけれど、毎日楽しかった。

北川くんは、1年間通してそのクラスの全員賛成の委員長でした。

すごく勉強ができたわけでもないし、強いリーダーシップを発揮するわけではないけれど、彼が困っていると助けたくなるような存在で、皆に愛されていた。
いつも皆のことを気にかけていて、面倒見のいいところがあって、皆がそれをよく分かっていたからだと思います。

卒業してからの34年間、北川くんはそのクラス全員の連絡先を把握していて、一人ずつと交流を持ち続けて近況も理解している。

自分のことしか考えていなかった私はそれを聞いて半ば呆れたけれど、彼の面倒見の良さと優しさを表しているエピソードだと思います。


接客業、サービス業を長くして分かったけれど、その仕事の一番の資質は優しさだと思う。

店は人が優しくないとお客様が来てくれないし、長く続けることができない。

お客様に対して優しい気持ちを持っているから、喜んでもらえることを実行したいと思うのだと考えると、北川くんは絶対にまた行きたくなるようなお店を作ると思う。

49歳の遅い創業だけど、それも人の世話ばかり焼いて自分のことが最後になる彼らしい。

友人が人生の勝負に出ていて、それについて少しでも多くの方に知ってもらいたいと思いました。

 


大和座狂言事務所ガラ公演 12月10日(日)14時開演

2017-10-24 | 実生活

年末恒例となっている大阪能楽堂で開催される大和座狂言事務所のガラ公演が12月10日(日)に今年も開催されます。

毎年、狂言という枠に収まらない幅広い分野のアーティストを招いて共演していて、古典狂言の他に、今年も箏(こと)やファゴットと安東先生の能舞との共演のプログラムもあります。

イラストレーター西口司郎氏による公演チラシは、舞台での安東先生の姿をリアルにとらえて、空気感も含めて劇的に表現しています。

チラシの言葉、 伝統に、革新はあるか。 は安東先生が常に立ち向かってきたテーマだと思いました。

 

私も自分の仕事で革新に立ち向かうことができるだろうかと思う。

先人が100年以上前にほぼ今の形にした万年筆を商材として扱って、その歴史だけしか語らず、未来や変革について示すことができていないと思う。

何の変化も起こさないのはもっての外、時代に沿うだけではきっと万年筆はいつか時代の中に埋もれていくし、当店もその中に埋もれて、跡形もなくなってしまうのだと思います。

 

それではつまらないと、安東先生の気概に満ちた姿を見て、刺激を受けて、思い始めました。

私にも私なりの理想があって、それを実現するために孤軍奮闘でもいいから大立ち回りを演じたいと思うようになりました。


2017-10-22 | 実生活

梅雨でもこんなに続けて雨が降ることはなかったかもしれない。これほど雨が続くと憂鬱な気分になるし、洗濯をしている人は大変だと思います。

バス停まで15分ほど歩かなければいけないので、雨が降ったり、降りそうだったりすると、履ける靴が限られるのでつまらない。
雨降りの少し憂鬱な気分を晴れさせるためには、雨用の靴と雨具に凝ると楽しいのかもしれない思っています。

靴にこだわり出してから、天気に気を付けるようになりました。雨が降りそうな時は折り畳み傘を持って出るようにして、雨降りでも履いていい靴を履く。

靴の選択が私の限られた服の中でも組み合わせを決定するので、どの靴を履いて出るか、今日はどの靴を履いていいのかを知ることは朝の一大事です。

長年使った長い方の傘がダメになったので、新しいものを買いに行きました。

使っていて楽しいと思えるような、なるべく上質なものがほしい。

ブランド品は高くて買えないし、デザインや色遣いが特長的過ぎるものも好みではない。

何のマークもない、紺色の上質な傘が欲しかったですが、私の手が届く範囲の上質なものはほとんどがライセンス生産品で、どこかで聞いたことがあるブランドのライセンス生産品でした。

そういうものは小さいながらも自店の名前に誇りをもってやっている小店主が持ってはいけないような気がしました。

そんなふうに思っていると選択肢は少なくなったけれど、スタンダードなデザインで、上質だと思えるものを買うことができました。

雨の日が楽しくなるほどではないけれど、大切に使うことができるものがまたひとつ増えました。

 

 


死後の世界?

2017-10-08 | 実生活

10月4日の仲秋の名月はきれいでした。自宅の庭から。



少し前に誕生日を迎えて49歳になってしまった。

40歳を過ぎてから齢を取るスピードがどんどん早く感じられたような気がします。

今よく思うことは、自分では若い頃の気持ちと変わっていないけれど、人から見た時に49歳のいい齢した大人で、それなりの態度、生き様を求められるということです。

若い頃はその辺りのギャップはないけれど、齢を取るごとに気を付けないと世間が見る目と自己とのギャップが大きくなっていきます。そんなことを常に気を付けておかないといけないことは、情けないことだと思っています。

誕生日の日に、息子が49歳になった父から、母の齢を超えることができそうで安堵したかのようなメールがきた。

安心するのは、母と同い年である49歳が終わってからではないのかと思いましたが、いくら体質を受け継いでいるからといって、同じ齢で亡くなるとは限らない。

でもそういうことを心配してもおかしくない齢になっているのは確かで、当然齢をとるごとに死は近付いている。

もし自分が死んでしまったらどうなるのだろう。

世の中は何ごともなかったように流れていって、私は万年筆の歴史の中に埋もれていって、一部の人の記憶の片隅にだけ残るのだろう。

子供は神奈川で教師をすることが決まっているので、何も心配していないけれど、妻は私がいなくても生きていけるだろうか。

スタッフの二人は協力してやってくれると思っているけれど、店は続いていけるだろうか。

本当は何も変わらないかもしれないし、私がいなくても何事もなかったように全ては動いていったらそんなに素晴らしいことはない。

しかし、そうするにはまだまだ準備不足で、ずっと先かもしれないし、明日かもしれないので、考えておかなければならないとことだと思っている。


10年

2017-10-01 | 実生活


グイード・リスポーリのグリーティングカード、アウロラの限定品ミネラーレと江田明裕のガラスペン


10年という月日は本当に早いと思っている。ただ何もせずボーッとしていたわけではないけれど、それでも時間の流れはあっと言う間に感じられて、私はまだ同じ所にいる。

10年経っても同じ所にいることは幸せで恵まれたことなのかもしれないけれど、10年経っても何も変わらずにいることは、まるで成長していないようで、自分の能力のなさを物語っているようで少し恥ずかしくもあります。

知人、友人で同じ立場にいる人の中には、次々と自分のステージを変えて、活躍の場を移して人生の目標に近付いている人もいる。

ただ、人と同じようにしようとしたり、世間の風潮に流されて自分の道を見誤ることは、仕事を傾けかねない一番危険なことだということは、この10年で学習できたような気がします。

仕事の方策を立てる時に一番考えないといけないことは、世の中で何が流行しているかではなく、何が自分らしくあって、どうしたいかだということだと、今のところは思っている。そういう考えも、また変わるかもしれないけれど。

当店の仕事と時代について自分なりに分析してみました。

私もその一人ですが、世の中にはもともと書くことが好きな人がいます。書くことが苦でも何でもなく、楽しいことなので、とにかく何か書いていたい。

万年筆を愛用している人、万年筆に惹かれる人というのは、そういう方がほとんどだと思います。当店のお客様方もそのような方が多く、年齢、性別は関係ない。

そういう人はいつの時代にも変わらずにおられて、いなくなることはありません。

書くことが好きな人が存在して、そういう人達が万年筆に惹かれるというのは、時代が流れても変わらない事実で、万年筆が今では使われなくなった忘れ去られそうになっているものという、世間一般のイメージとは異なります。

この書くことが好きだという変わらない人の心のようなものは、私がいつも探していたもののひとつだと思っている。

一方、こういう仕事でも変化していくことがあります。

それは情報発信のやり方です。
テクノロジーは常に移り変わっていて、私たちの生活環境の表面だけはその影響を受けて変化していますので、それに合った方法で情報発信をしないと、トンチンカンな方法にいつまでもこだわっていても成果が上がらないし、方法にこだわるのは本質から外れている。

私が仕事で情報発信をし始めた時、既にインターネットが普及していましたのでホームページやブログがその手段で、今もその方法が中心です。

しかし、一般的にはTwitter、Facebook、インスタグラムなどのSNSが主流になっているので、それらを上手に活用しないといけないのかもしれませんが、何となく気が進まない。もう少し今のやり方を続けたいと思っている。

時代の流れはますます早くなっていて、SNSでさえすぐに飽きられて、廃れてしまうような気がするし、自分に合っていないような気がする。

10年があっという間なのだから、人の人生は本当に短いと思う。30年で、40才の中年が70才になってしまうと思うと、私のようなスピードの遅さでは一生にできることは本当に少ない。

変わらないことを掴んで、いろんなものに惑わされずに、自分はどの方法を選択するかを見極めていかないといけないと思っている。

 

 

 


人の事情を汲む

2017-09-18 | 実生活


夏季休暇中に京都の鉄道博物館に行きました。屋上からの景色。

 

明らかに正しくないことをした人をつるし上げて、皆で批判するように仕向けるテレビなどにうんざりしている。

対象になった人はあきらかに不道徳なことをして、賛否両論ある行動ではないけれど、テレビを観ている人まで、ひどい、許せないと言うほどのことかと思う。

週刊誌やテレビはすごく分かりやすい正しくない行為をした、反論できないような対象を見つけて、それを皆で、彼らの行為によって何の利害もない視聴者までもが、批判している。

それをわたしはいじめと言うのではないかと思う。

明らかに悪いことをした人に対して、悪いと言うことは本当に誰にでも簡単にできる。

その人もそれは悪いことだと思っていたはずだし、その行動の代償は払っている。

そろそろ、その行為に走ってしまったその人の事情を汲んでやって、無関心でいることの優しさも持ってもいいのかなと思います。

あまりにも誰もかれもが批判して、いじめていると、私は天邪鬼なのか、その人たちの事情が気になります。

それに、他人の色恋をほじくり出して、それを飯のタネにする方が、私にはどうしても、下衆で、醜くみえてしまい、そんなメディアの発信に簡単に多くの人が関心や感情を誘導されていいのかと思う。

私はイクメンではなかったけれど、いつも家族のことを気にかけている家族的な人間で、背徳的なことをした人を庇うつもりはないけれど、他に怒りを向ける対象はいくらでもいるような気がする。

私は自分たちのお金を無駄に使われたり、不完全な制度によってお金を搾取される方が腹が立つけれど。


休日

2017-09-11 | 実生活

今年の夏季休暇はどこかに泊りがけの旅行に出るわけでもなく、毎週の休みが5日続いたような休日を過ごしました。

でも普段しようと思っていてなかなかできなかった家の用事、洗車とか靴を磨くとか、庭の草抜き、本棚の整理などに丸1日当てることができたし、他の日も岡山と京都に行ったりして、朝から晩まで出掛けていて充実した、リフレッシュできた休日でした。

どこか他所の土地に行った時、観光ということはあまりせず、その土地のお店を見て回ることをしています。

夫婦ともにそれが一番楽しく、買い物も楽しいからそうしているわけだけど、他所の店を見ながらいつも自分の店について考えている。

好きだと思う店は何回でも見たい。
多少遠くても、その店の世界観や雰囲気を感じていたいと思うし、その店に行くためにお金を貯めて、なるべくそこでお金を使いたいと思う。

当店もそんなふうに思ってもらえる店にしたい。

休日は仕事から離れるから、気持ちをリセットしたり、リフレッシュできるのだと考える人もいるけれど、私の場合は休日にしか考えられない仕事のことを考えています。

静かで落ち着いた雰囲気の店なので、ゆっくりモノを考えることができるのではないかと思われるかもしれないけれど、この店でゆっくりモノを考えられたことはなく、何かを頭に仕込んでおけるのは休みの日だったり、夜家の中だったりします。

頭の中に仕込んでおいたものが、店でのちょっとしたことでひらめいたりすることはよくあるけれど。
店にいるとどうしても目の前の作業に意識が行ってしまい、店でしかできない仕事をしないといけないと思ってしまいます。この店は私にとってもやはり店という、表の舞台なのだと思います。

夏季休暇も終わると、9月23日(土)24日(日)の工房楔のイベントもあり、当店にとっても忙しい時期に入ります。

年末までの日々を駆け抜けるための、気持ちの充電ができた夏季休暇だったと思いました。


グイード・リスポーリのカード~イタリアの光と影~

2017-08-27 | 実生活

今年になってからイタリアに目が向いていました。

その時々でいろんな土地に興味を持ちますが、イタリアについて知りたいと思っていました。

イタリアについて書かれた本を読み、イタリアの風景の写真を見て、イタリアのペンについて考える。

万年筆だけを見ていると華やかな部分しか見えてこず、明るい性質で、優れた美的感覚を持った国民性というふうに思うけれど、イタリア人も日本人と同様にジメジメした部分は持っている。

賄賂が行政サービスの潤滑油と言われるメチャクチャな行政、自分たちの生活を脅かすと思っている移民への差別、行政までも牛耳るマフィアの存在など日本同様多くの問題を抱えた国で、もしかしたら、私たちが憧れるほど、住みやすい国ではないのかもしれません。

イタリアは、安定していて、国民のために仕事をしてくれる政治が存在してこなかったため、国民の多く

は国を全く信じていない。

脱税や年金の詐取が多く行われ、税収不足から強引な課税を行い国民の心が離れていくという悪循環。

様々な脅威があって、呑気には暮らすことのできないイタリアにおいて、信じることができるのは自分の力しかない。

誰よりも美しいもの、良いものを作り出さないと、足を引っ張るものから逃れい生きていけないと、自分の力で生きていくと覚悟を決めた人は考えていて、それが製品に表れているのではないかと思うようになりました。

パッサールの岩田さん、阿曾さんとのご縁で、日本で最初にイタリアのグラフィックデザイナー グイード・リスポーリのカードを販売する店になれたことを誇りに思っている。

グイード、リスポーリに関して、今後もご案内を続けていきたいと思っています。

非常に当店らしい10周年を飾る企画のひとつだと思っています。

 

 


雑感

2017-08-21 | 実生活


庭に毎年お盆に百合が咲きます。母の想いかなとロマンのあることを思って、百合を見ると墓参りに行かないとと思います。

朝晩少しは風が爽やかに感じるようになりました。

今夏は本当に蒸し暑いように感じました。それとも自分が暑さに弱くなっているのだろうか。

今年当店は、それほどたくさんの企画をしているわけではないけれど、例年していなかったことをしています。

それは10周年の年だからといった気負った気持ちから盛り上げようとしているわけではなく、そうしたいからしているという感情的な理由からです。

考えることは好きで、ただ考えることはよくしているけれど、当店の今後についてじっと考えることがあります。

そういう時に放っておくと思考は、どうすれば店が続いていくことに繋がるかということばかりを考えている。

長年かけてそういうふうに考える癖がついてしまった。

しかし、それだけを考えるのはただ死ぬために生きているような、安泰に一生を終えるために生きているようなものだと思うようになりました。

もちろん続いていくことは大前提で必要なことだけど、それだけではない。

やっていることは万年筆店だけど、それで自分が何を表現できるかということを考えるようになりました。

自分ができること、自分の手元にあるものでどんなものを表現するかが、仕事ではないかと思っています。

表現するからには人を感動させたいし、共感してもらいたい。そして何よりも他の誰もしていない自分らしい表現をしたいという想いが強くなりました。

またこれからも変わっていくかもしれないけれど、今私が考えることは、自分がどうしたいかということです。

49才の年の今頃になって、この世に生まれて好きなことをさせてもらっているのだから、自分なりの作品を作りたいと思っています。


言葉でつくせないこと

2017-08-14 | 実生活

口下手で、心の中でモヤモヤしてもなかなか言葉に言い表すことができないことがよくあります。

それをボキャブラリーが乏しいと言うのかもしれないけれど。

スタッフには辛いかもしれないけれど、仕事の内容だけでなく普段の立ち居振る舞いなどおかしいと思ったら、躾のつもりで言おうと思っている。

私ができているわけではないけれど、私以上にお客様から支持される人間になってもらいたいと思っているので、変な癖は直しておきたい。

お客様や人への反応、態度、言葉などおかしいと思ってもどうおかしいのか言葉で上手く表現できないことがよくあって、私の言い分としては「おかしいと感じるからおかしい」としか言いようがないけれど、これを言われても素直に「はい」とは言いにくい。

しかし彼は人柄が良いので(これは我々の仕事において何よりの武器だと思う)私の気持ちを汲んでくれて、「はい」と言うだろうけれど、それが不憫な気はします。

言葉に言い表すことができないと言えば、これは私の勝手な意見で真面目に聞かれても困るし、偏った考えでまた変なことを言っていると笑ってくれたらいいけれど、最近大流行していて、電車の中にも広告が出ているある漢字ドリルについてモヤモヤしている。

子供たちが楽しく漢字を覚えることができると評判で、親御さんも大喜びでさせているらしいですが、漢字以上に身に付けないといけないたしなみのようなものはないのか、これは大人が子供に媚びているのではないかと思っている。

 

励ます言葉も難しく、私はあまりいい言葉を持っていない。

例えば災害に遭った人に対して、どう言っていいのか分からない。頑張れとか元気を出してなんて私には言えないけれど、それを言葉にしている人は私のつまらない迷いを乗り越えた人だからすごいと思う。だからといって黙っていていいはずはないけれど。

このあたりのことはたまに本を読んでいると、言い表していることがあるので、そういう言葉に出会った時はとても嬉しくなるし、私のモヤモヤを事も無げに言い表してくれる人もいてすごいと思います。