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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

15周年の夜に

2022-09-24 | 実生活

この店を始めて15年が経った。この店が出来た時、きっと皆いつまで続くだろうと心配してくれたのではないかと思います。
私はすぐにダメになるとは思っていなかったけれど、皆がそう思って見ていることは分かりました。

何が何でも店を続けて見返していやるとは思わなかったけれど、世の中の仕組みや常識のようなものを一切無視して店を始めて、皆を心配させていることは恥ずかしく思った。

でも今になって思うとそういう仕事の常識やセオリーのようなものに捉われて、自分の行動を制限することに何の意味もなかった。そういうものは年月が経って時代が変ったら消えてなくなっていた。

何の後ろ盾もなく、何にも守られず、とても無防備な状態で始めた店でしたが、自由ではありました。
仕事のやり方、方針などいろんなことを教えてくれる人は何人かいましたが、そういう意見を参考にしながら、自分で決めてきたので、変なストレスはなかったし、結果が悪くても人のせいにすることはなかった。

自分の意志で自分たちにできることを無理をせず地道にやってきましたので、15年続いてくることができたのだと思います。
良くも悪くも規模も数も変わらずに15年前のままの体制でやっています。

店は店主の姿、生き様を映すとよく言われますが、本当にその通りで、この店は私の等身大の姿を反映している。
この店を見れば私の能力や限界がよく分かり、お恥ずかしい限りです。

これから私が成長すれば店も成長するだろう。私が退化すれば店も悪くなっていく。
まだまだこの仕事でいきていかないといけないし、期待して下さるお客様もおられるので、面白いと思ってもらえることをやっていきたいと思っています。


救急車に乗る

2022-08-08 | 実生活

低血圧のせいかたまに立ち眩みのようなめまいがあります。いつもはしばらく座っていると回復して普通になりますが、日曜日はいつまでも目が回って、座っていられないほどでした。

90分以上そうしていて、埒が明かないので、森脇に救急車を呼んでもらいました。

お世話になったことのある人は分かると思いますが、救急隊員の方々がいるという安心感はすごくあって、車内で私の症状、身元の確認、家族への連絡などテキパキと処理していく。

普通なら目をつぶっていても分かりそうな地元の道ですが、どこをどう走っているのか分からないうちにあっという間に兵庫区の川崎病院に着いて、いろいろ検査をしてくれましたが、頭も血も良好とのことで、疲れが溜まっていたのでしょうねということになりました。

川崎病院には普段車で垂水区と明石市から出たことのない妻がナビを頼りに道に迷いながら迎えに来てくれて、しばらくして帰りました。

結局その日一日目が回っていたけれど、月曜日から嘘のように何ともなく元気に店で仕事をしています。

救急車まで呼んで大騒ぎして恥ずかしかったけれど、どこも悪いところがなくても、こんなにしんどいことがあるのだと自分の年齢を感じましたし、何の持病もない普段の健康の有難味が分かりました。これから摂生に努めないといけないと思いました。


象徴するもの

2022-08-02 | 実生活

今年9月で店を始めて15年になります。30年でも50年でも続かないと困るので、15年だからめでたいとか言うつもりはなく、ただの通過点だと思いたいけれど、過ぎ去った日の雰囲気を懐かしむような気持ちはあります。

プラチナ万年筆が代表的な万年筆のシリーズ3776センチュリー発売10周年を記念して、限定万年筆センチュリーディケイドを発売しました。
黒いボディに金の金具の、おじさんが好みそうな渋い万年筆です。
ペン先が特別で、今までのものよりも少し柔らかく、文字に強弱をつけて書きやすい。
こういう派手さはなく、渋い限定品に個人的に惹かれます。

3776センチュリーは、1万円台の14金ペン先の万年筆で、初めて万年筆を使うという方にもお勧めしやすいものでしたので、高校の同級生が万年筆を買いに来てくれた時にも買ってもらったこともありました。

3776センチュリー発売の時、当店は創業4周年を過ぎた時で、まだ出来立ての店と言ってもいい存在でした。
その頃の気持ちを思い出すと、むしろ今よりも楽天的な明るい気持ちでいたことを懐かしく思い出します。

あの時は店に無限の可能性があると信じていて、いろいろな夢を持っていた。今はあの時には考えつかなかったこともやれていて、店として成長しているはずなのにあの時のような気持ちとは違う。

きっとあの時の自分よりも今の自分の方が成長して、知恵もついて、少しは物事が分かってきたのだと思います。だからあの頃にような楽天的な気持ちになれずいろんなことを気に掛けるようになってきた。それはもしかしたら良いことなのかもしれないけれど、どっちが幸せなのだろうか。

あれからもう10年経ったと思うと、歳月の過ぎる速さに呆然としてしまいます。

センチュリーディケイドが指す2011年から2022年の歳月を私も懐かしく思う。
でも、もし時間を戻すことができたとしても、同じ幸運がまた自分に訪れるとは限らないので戻りたいとは思わないけれど、せめて若かった時のことをたまに万年筆を手に取って思い出せたらいいと思い、センチュリーディケイドを手に入れました。

センチュリーディケイドにはシリアルナンバーが入っていて、当店の創業年と同じ2007があっというものがあったので、それを使うようになりました

 


旅に149

2022-06-17 | 実生活

アウロラのような味わい深い書き味ではないし、自然に手に馴染むフィット感はペリカンM800に劣るかもしれませんが、旅が似合う万年筆はモンブラン149だと思っています。
大きくて厚いタフなペン先と肉厚で丈夫なボディの149は、ハードな状況にも耐える旅に安心して携えることができる万年筆です。

旅先でそれほど時間は取れないかもしれないけれど、149を持って行く理由作りのために書く時間は取りたいと思います。
いつも原稿を書くA5サイズのノートも持って、ホテルの部屋で小さな机に向かっています。

大阪に行った時に街中に人が戻っていると思っていました。
札幌に前に来たのはもう3年前のことになりますが、その時は中国やアジアからの観光客の多さが目立っていて、狸小路商店街などは日本人よりも外国人の方が多いのではないかと思うほどでした。
そういう記憶がありましたので、商店街はさぞ閑散としているのではないかと思っていましたが、札幌の街も人が多く、賑わっていました。

コロナ禍で沈みかけている経済がどうなるわけでもないけれど、居ても立っても居られなくなって今年は動き出しています。
きっと多くの人が私と同じように思っている。
動き出すことで、コロナ以前の状態に戻ったらと単純に思うけれど、よく考えたらあれから3年の月日が経っていて、様々な状況が変わっている。
街の様子も店も少し変わっている。そして3年の間に人の心も変わっているので、コロナ以前に戻ることはないとは分かっているけれど。
でも沈んだままでは嫌なので、動き出して元気をにしていたい。

札幌の街に降り立った時から賑やかで活気があると思っていたら、大通公園でヨサコイをしているという。
今回の出張販売はちょうどヨサコイと日程がカブっていて、市電は無料で乗り放題でした。

あまり祭りは好きではないけれど、コロナ禍で閑散とした街を見過ぎて、活気があって人通りの多い街を見ると明るい気分になります。

札幌は北海道の中心として、道内一円から人が集まって賑やかであってほしい。
もう何度も来ていて、他所の街とは思えなくなっています。前に来たのは3年前だけど、そんな前に思えないほど、これまでの間札幌の街を懐かしく思い出していました。

札幌の出張販売には商品の販売に来ているけれど、それだけではない私なりの意味があります。
ローラーアンドクライナー、KWZインク、クレオスクリベントを輸入卸をしている大切な取引先である北晋商事さんとのつながりを大切にしたいという想いもあるし、遠くて送料がかかってしまうのにWEBショップを利用してくれているたくさんの北海道のお客様との繋がりも大切にしたいとの想いがあります。
札幌に出張販売に行くことで、北海道のWEBショップのお客様に義理を通せたような感覚でいます。

そして新たに知り合いができて、繋がりが持てたらどんなにいいだろうと思っていましたので、初めてのお客様も既に存じ上げているお客様も来て下さって、ゆっくりとしたペースの中で和気あいあいとお話しできる時間が続いた大切な時間でした。

小説「メディコ・ペンナ」を読んで来てくれた人、ツイッターやフェイスブックを見て来てくれた人もおられましたが、多くのお客様が北晋商事の金さんや奥様の申修靜さんのつながりで来て下さった方でした。特に申さんは積極的に販売の手伝いをして下さって、申さんなしでは今回の札幌出張販売は成り立たず、感謝しています。
金敦也社長と申修靜さんの手を煩わせたことは申し訳なかったけれど、今後もこういう時間を札幌で積み重ねることができたらと思っています。


時間は流れる

2022-05-29 | 実生活

横浜に出張販売に行っていた夜、妹から父が心筋梗塞で緊急手術をしたと連絡が入った。

何かしたいけれど横浜にいるのでどうしようもなく、対応を妹にお願いした。
幸い術後の経過は良好で、手術をした病院の前に行ったかかりつけ医の駐車場に駐めたままになっている車のことを心配していて、神戸に戻ったら引き取ってくることになった。

午前中に日課になっているジムでウォーキングマシンをしている時に心臓が痛くなって、そのうち激しい肩こりがして、脂汗が出始めたそうです。シャワーを浴びて家に帰ってから、かかりつけ医に診てもらおうと電話したら、夕方なら空いているという。

5時にかかりつけ医に行って診せたら、すぐに救急車を呼ばれて大きな病院に行ったとのことで、それで車が駐めたままになっていたのだ。
かかりつけ医には、次はすぐに救急車を呼ぶように言われたそうです。

手遅れだったと言われても仕方ないほど時間が空いてしまったけれど、運がよかったのだと思います。
本人は「まだ生きていていいということか」とあっさりしていて、元気に動き回っているので本当によかった。

ウチの家系は変な体力だけはあって、皆丈夫で、多少無理しても倒れないことは恵まれていて有難いことだと思っています。

私も店を始めて、熱を出すことはたまにあっても、店を休みにしなければいけなかったことはなかった。

親指にシャーペンの芯を刺して、中に残った芯を取り除いてもらうために、店を半日抜けたことはあったけれど。
オートマチックシャープで、指に刺さった時に自動的に芯が出て、さらに深く刺さったので、オートマチックシャープの扱いには気を付けた方がいい。

今年79歳になる父は、まだまだ元気で丈夫だと思っていた。でも時間が流れて自分も齢をとっているので、父もその分齢をとっているので、こういうことも当然あるのだと思う。

タフだと自分では思っているけれど、数年前の代官山の出張販売の時、貧乏性のため少し無理なスケジュールを組んでしまい、3日あるスケジュールの2日目に熱を出したことがあった。
暑い日だったのに、震えながら仕事したことは教訓になっていて、あまり無理は利かなくなっているのだと思うようになりました。

自分が何歳まで元気に店をやっていられるか分からない。ゆっくり余生を過ごしたいとは全く思わないし、私たち自営業者にゆっくり余生を過ごす年金はないのであてにはしていない

80歳を目標にしているけれど、いくら元気でも世の中に求められなくなったら、自分で察知して身を引かなくてはいけないと思っている。

 

 


~それぞれの昭和~ たこ焼きの岸本(蓮見恭子著)

2022-02-07 | 実生活

 

大学生の時、下町育ちの子と付き合っていた。
元気のいい子で、何か買い物をした時にはいつも大きな声で「ありがとう」と言っていた。
お店の人にありがとうと言ったり、外食して店を出る時にごちそうさまと言うことをその子と一緒にいて覚えた。

今もあるブラジルという喫茶店で、たばこの煙の中で長い時間彼女や友達としゃべっていた。
ブラジルは4,5人用という大きなパフェや定食があった。
お金のない時は山陽そば、ある時は増田屋の寿司。本屋さんも3軒あったし、レコード屋さんもちゃんとあった。
小さな垂水の町の中に楽しみはいくらでもあった。

バス停のローターリーはまだなくて、山陽電車の高架下にバス停が縦に並んでいた。
バスが走る商大筋は狭く、曲がりくねっていて、慣れていない車が蓋のない側溝で脱輪しているのを何回も見た。そのためにバスには車掌さんが乗っていた。バスを降りるときは停留所の前で車掌さんに言ってバスを停めてもらう必要があった。
彼女は「次降りまーす」と大きな声で言えたけど、私はシャイで車掌さんと目が合うのを待っていた。
今では商大筋は長い直線の坂道になっていて、バスはワンマンカーになっている。

垂水漁港の駐車場は1日とめて500円で安かったけれど、満車になっていることが多く、バイトに遅れそうな時は一度家に帰って原付で出直した。

大学が地元だったせいで、昭和の終わりの大学時代はずっと垂水の町中にいたような気がする。
でもそれで楽しいと思って満足していたので、バブル景気に沸く外の世界を知らないというのはめでたいと思う。

垂水でもあんなに賑やかだったのだから、きっと日本中が賑やかだったのだと思う。
そんな垂水もきれいにはなったけれどあの頃の活気はなくなっている。

蓮見恭子先生の「たこ焼きの岸本」、続編の「涙の花嫁行列」はその物語の舞台の住吉大社近くの商店街に行ったことがないのに、自分が若いころ歩き回った風景を重ね合わせて読みました。

大らかで、活気があって、慎ましい昭和の暮らし。
日本中にこんな風景があって、小さな暮らしがあった。
この本を読んだ人は、それぞれの昭和を思い出すのだと思う。
今の世の中はきれいで、ちゃんとしているけれど、私は昭和の時代が懐かしいと思う。

この本を読んで、久し振りに若い時のことを思い出しました。
順番通り、「たこ焼きの岸本」を読んで、「涙の花嫁行列」の2冊を読んでください。

 

 


敦煌(井上靖)

2022-01-23 | 実生活

女言葉も敬語もない話し言葉も好きだし、凍える強風、灼熱の砂漠などの厳しい自然の情景も目の前に浮かぶようにイメージできる。
何度でも読んで、この小説の中の世界に浸りたいと思います。

戦いに生きる男たちの生き様を描いた小説が好きでよく読みます。

そういう話の中で、男の友情について書かれているところは特に好きで印象に残る。
「敦煌」も男の友情を中心に描いた小説だと思う。

貪欲にもっと上に行くために、あるいは生き残るために戦う。昨日の味方は今日の敵ということもよくある生活だからこそ、一度結ばれた友情は強く、細く長く続く。

それぞれが孤立して戦う者だから普段は一人だし、忙しい毎日なので、ベタベタと週に何度も会うことはなく、たまにしか顔を合わさないけれど、相手の生き方に共感して、離れていてもいつも心のどこかにあって、どうしているかとふと考える。
そしてその存在が自分の仕事の張り合いにもなって、強くいることができる。

「敦煌」には女性も登場する。契った愛を仕方ない理由で貫けなかった自分を恥じて自ら命を絶つ女性への敬意と恋慕を主人公は持ち続けて、それも彼を強くする。

それぞれが孤独だけど、タフに生きて砂漠に埋もれていった人たちの話。

自分の好きな分野で生きて、立ちまわっている私たちもこのまま時間の中に埋もれていき、忘れ去られるのだろう。
でもそれでいいのではないか。自分には同じ時代に生きた尊敬できる友達がいたのだからと思える小説です。


二人の門出を祝う

2021-05-04 | 実生活

前日までの雨交じりの天気が嘘のように、清々しい日になりました。

本当は昨年の同日に挙げる予定でしたが延期し、今年もあまり変わらない状況でしたが、気を付けて結婚式を決行するというのが二人の決断でした。

籍は昨年入れていて、二人の暮らしは始まっていましたが、遠い横浜での暮らしを見ることもなく、私たち神戸にいる両家の両親は何となく現実味のない子供の結婚だった。

式を執り行われて、二人が結婚したという実感をやっと持つことができました。

それぞれの両親、私の父、相手方の弟さんのコンパクトな式でしたが、気を張ることのない、温かな、いい時間になって、二人らしい式になったと思いました。

私は新郎の親なので気楽なものでしたが、大切なお嬢様が相手の名字になるご両親の想いは強いものがあったのだろうと思いました。

会食のような小さな披露宴では、それぞれが好きなことを言い合ったり、全員が順番に自己紹介したりして、羽目を外し過ぎず、堅苦しくもなく楽しい時間でした。

終わってから父が、「ご苦労様。親の責任果たしたね」と言ってくれて、そうなのかもしれない私は息子が社会人になった時点で責任を果たしたと思っていました。でも妻は子供はいつまでも子供で、心配のタネなのだと思います。

 

 


箱根の坂

2021-04-12 | 実生活

年が明けてからずっと本を読んでいるように思います。一人の時間があれば、わずかな時間でも本を開いていた。
今までは書店でブラブラと本のタイトルを眺めて、こういう本を読んだ方がいいだろうという選び方をしていて、そういう本は読んでいてもすぐに眠くなってしまった。
でも司馬遼太郎の書く様々な男の生き方を読んでいても、全く眠くならず、寝る前にも読むけれどむしろ目がさえる。

どの小説に書かれている人それぞれに魅力があるけれど、北条早雲は特に共感できた。
最初の戦国武将ということになっていて、その名前からも時代の風雲児のようにイメージしてしまうけれど、その真逆な人物像を読みました。

早雲の縁のある女性が嫁ぎ先の駿河今川家で、夫に戦死されて幼子を抱えて不安な状況にあることを知って、この母子を守るために保証された身分を捨てて、わずかな仲間とともに駿河に乗り込んでいく。
自分のキャリアのためではなく、旅の者といういつ去っても仕方ない気持ちで駿河の国、今川家を安定させて、諸説あるけれど50代で初めて自分の国を持って、領民や駿河の国を守るために領土を東に広げて、伊豆や相模を戦で勝ち取っていく。

戦をすれば滅法強かったし、領国は租税を安くして繁栄した。自分は誰のためにこの地位にあって、誰のために政治をしているのかということを理解していた。様々な自己の欲が渦巻く戦国の世において、そういう人は少なかったのではないかと思います。

大げさだと思われるかもしれないけれど、商売も戦国の世と変わらないのではないかと思います。そして会社というのはひとつの国なのかもしれない。

誰でもその気になれば店を持ったり会社を起こしたりできて、力のあるものが生き残り、存在価値をお客様に認められなければ滅びていく。
会社がダメになれば、自分たちの生活が立ち行かなくなり、生きていけなくなる。

司馬遼太郎の小説に様々なタイプの領主が出てきて、それぞれの生き方や思考が分析されています。
もちろん作者の創作の部分も大いにあるだろうけれど、実際の資料を参考にして書かれていると言われていて、近い人物像だったと思います。
それが事実かどうかというのは、私たちにとって大した問題ではないのかもしれなけれど。

戦国時代の国が会社なら、自分は領主と同じ立場になり、主人公に感情移入して読めるからこんなにも面白いと思うのかもしれません。


人生の宝

2021-01-30 | 実生活

分度器ドットコム/590&Co.の谷本さんにある企画を一緒にしようと誘われて、ル・ボナーさんを訪ねました。

ル・ボナーの松本さんには、開業前にも相談に行って勇気をもらったし、開業後もいろいろ助けてもらいました。最近は、なぜか忙しくなってしまって、行く機会が少なくなってしまったけれど、松本さんが店に来てくれたり、何かあるごとに電話で話したりして、交流はずっと続いています。
初めて訪れてからもう15年くらい経つけれど、それがそんなに前のことなのかと思うくらい、ル・ボナーさんのお店は変わらずにあそこにあるし、松本さんも変わらずにいろんなことに興味を持って、面白がっている。

私たちの仕事の源泉は、面白がる心だと松本さんの後ろ姿から勝手に学んだ。いつ行っても新しいことに興味を持っていて、話題がたくさんあります。
私もいろんなことに興味を持って、面白がっていたいとは思っています。

谷本さんはいつもウチ何てと、シラこく謙遜しているけれど、いつも尖がった新しいことをしていて、センスと才能のある表現者だと思います。
事情があって、王子公園の店は閉店したけれど、この2年で良い店を2軒も作った行動力とパワーもすごい。

仕事の打ち合わせがまとまって雑談していると、いつも10年前に3人で行ったドイツ~チェコ~イタリア旅行の話になります。
旅程もハードだったし、歩く距離も長かった。
地図係の私がひどい方向音痴で、ニュルンベルグで反対方向のバスに乗ったり、道に迷う人はいないと言われるボローニャの回廊で道に迷ったりしました。
どの土地でも相部屋で、ジャンケンに負けた(松本さんはいつも強かった)私と谷本さんがダブルベッドで一緒に寝たりしていた。
めちゃめちゃだったけれど、ものすごく楽しかったと思っていて、あの時の話をしたら尽きることがない。

私はあの旅の思い出は、人生の宝だと思っているけれど、松本さんも谷本さんも同じように思っていることが嬉しかった。

ボローニャで温かく迎えてくれたオマスもなくなってしまって、それだけ年月が経ったし、3人ともそれだけ分の齢をとったけれど、3人集まっていると何も変わっていないように思える。

何の利害関係もなく、ただ気が合うとか、会って話すのが楽しいというだけで一緒にいられる人たちがいるということが何にも代え難い宝物なのだと思います。