goo blog サービス終了のお知らせ 

東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

東京を出発して24時間後も東京

2019-08-30 00:00:00 | 2019_夏_小笠原

 梅雨空模様だった東京を出発して、24時間後、ここでも東京ですが・・・ご覧のようなお天気ですよ!!

 東京からずーっとベタ凪ぎだったため、11時寄港予定のところを10時30分頃には・・・

 もう二見湾内で徐行中。見慣れない船が沖合で停泊中。よく見たら、豪華客船の「にっぽん丸」。日本一絶海の孤島、世界的に最も珍しい二重カルデラを持つ青ヶ島を紹介するため、島の回りをクルーズすることもあるそうです。

 この船に乗られるお客様は大富豪の方なんでしょう。高嶺の花なので、乗るチャンスはないかも。「おがさわら丸」なら何度も乗りに行きますが・・・(笑)「あおがしま丸」も!!

 さすがに小笠原。海の色が内地と全然違う。こちらのほうがピュア。

 11時ではなく10時45分頃、桟橋に接近中。

 3年前、「また帰って来るからな~」と心の中で密かに思っていたことが現実に。

 手話サークルの方がお出迎え~!!

 「ようこそ小笠原へ!」ではなく、何度も帰っているので「おかえりなさい小笠原へ」がふさわしいのでは・・・(笑)

 3年ぶりの再会を喜び、「ただいま~、帰りました!!」

ベタ凪ぎ、静かな航海

2019-08-23 00:00:00 | 2019_夏_小笠原
 このブログには友人のプロが使うようなカメラと、私の軽量コンパクトデジタルカメラで撮ったものを交互に掲載。次は小笠原編のところにちょうどSDカード到着!23区内 1.8.19の消印。手紙やハガキの仕分けは郵便番号枠を読み取ると同時に自動押印。機械で仕分けされたものは翌日、今回は郵便番号枠無し、手書きで住所を書いたものに切手がたくさん。機械で処理できず、人間の手で押印なので、余計に時間がかかったかも・・??

 8月20日、消費税10%対応の新しい普通郵便切手発売!!新しいものが出るとすぐに手に入れたがるのに、今回は珍しく見送り。発売終了となる62円や82円切手のほうが将来価値が出る。62円官製はがきに1円切手を貼り足せばいいですが・・・令和時代にハガキで通信する人はもういないかも・・・。スマホで文字または顔を見ながら手話(テレビ電話)は昭和や平成の初め頃だと考えられない時代。

 今から30年前の平成元(1989)年、日本で初めて3%消費税施行。40円はがきに1円切手は需要があり、飛ぶように売れたらしい。当時の2円切手は昭和28(1953)年に発行された初代のワンコロ(秋田犬)を紺色刷りにしてNIPPON表示入り。万国郵便連合に加盟した1966(昭和41)年から郵便切手はすべて「NIPPON」の文字が入っています。NIPPON表記無しは1965(昭和40)年以前に発行されたもの。
 今の新しい2円切手は可愛らしいウサギちゃんのデザインだけど、2円切手×645枚貼付された状態で「ゆうパック」発送。ウサギだらけ~でびっくりしますねぇ・・・。 見つけた記事は こちら


 友人から送られてきた画像を拝借。7月20日、関東ではまだ梅雨が明けていない状態なので、美しい夕日ではない。

 曇り1つもなければ、18時50分頃、青ヶ島の島影は見えるはずでしたが、この日は見えず。

 コンテナの中身は、食料品、郵便や宅急便などなどいろいろ。小笠原村で必要なものはすべて、この船で運ばれる。「おがさわら丸」に積められない大型のものは月2,3回運ばれてくる貨物専用の「共勝丸」。


 やがて、夜。ずーっと爆睡。


 翌朝8時頃。あと3時間で父島に到着!!昨日は雲が多くて肌寒かったのに、一晩明けると、すかっと晴れていて、真夏そのもの!!

 アホウドリがお出迎え。船の進行方向とともに飛んでいます。「ようこそ!父島へ!」と言っているかよう。阿呆と名付けられたのは、人間に対する警戒心もなく、あっさりとやられてしまうという由来らしい。こんな名前を付けられては可哀想・・・。

 私は朝ごはんへ。

 夏らしく、眩しい日差しを受けながら食事。

 3年前の初デビューものすごく美味しくなかったのに、現在は改良を繰り返しているのか、味は美味しい。

 定食だけではなく、お好みの小鉢を選べるようになりました。

 聟島列島。現在は無人島ですが。戦前、この島でも人が暮らしていたそうです。

 サンドイッチが食べたくなったので、7階のカフェ「ははじま」で2度目の朝食・・・・。

24時間といっても「あっという間」

2019-08-12 00:00:00 | 2019_夏_小笠原

 6階の1等スタンダード部屋の窓から。設備は普通のビジネスホテルのツインに変わりは無く、室内スリッパ、テレビ、お湯沸かしの電気ケトル、アメニティは歯ブラシ、タオル付き。(シャワーは別室でリンプー、石鹸の備え付けあり)スイートルームは、最高峰ランクのお部屋。なんと!浴槽付き。
 特2等寝台は窓がないけれど、カーテンで仕切ってしまえばプライベートを保つことができ、衛星放送のテレビ見放題。2等寝台はテレビ無し。2等和室は寝台特急サンライズの「のびのび座席」と同じ雰囲気。「のびのび座席」とは、頭の部分だけ仕切り板がついているだけで、横になれる。特急券+指定席券のみで乗れるので、かなりリーズナブル。個室のシングルだったら、ベッドに寝間着、枕や毛布が付く。特急券+寝台券+指定席なので、1泊分のホテル代を投資。
 「インターネット予約のえきねっとでも、7月1日から、のびのび座席の予約が取れるようになった」と友人からの情報。
 さきほど、えきねっとにログインして予約操作をしてみたところ、のびのび座席が追加されていました。しかし、個室の予約は不可です。では、JR東日本の首都圏エリアの住んでいる方は、サンライズ個室を申し込みたいときは「みどりの窓口」で並んで購入するしかないですが・・・
 駅に行かなくても予約できるのは、JR西日本のJ-WESTカード保有者かつe5489会員であれば、電話予約。JR東日本の東京都区内の駅またはJR東海の東京駅、品川駅、新横浜駅でも予約した内容の発券も可能。
 こちらの記事から参考しました。

 ランチは・・・竹芝桟橋の待合室で新しくオープンしたばかりの伊豆大島「べっこう寿司」専門店で購入したランチボックス。

 これから小笠原に行くのに、伊豆大島の郷土料理!?
 伊豆大島が生涯初の離島旅。中学のときに・・・。山口県の「角島」が実家に近く最も身近な離島なのに、1度も連れてもらえなかった。下関の蓋井島や、小倉北区の藍島も。伊豆大島から飛び石伝いで利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島、最果ては小笠原と覚え、その中で極端の興味を持ち始めたのは青ヶ島。「想像を絶するほどの秘境」と思い描いていたとおり、1999(平成11)年初上陸したときはカルチャーショックの連続。その後、青ヶ島が好きになり、5回も上陸。令和になって、青ヶ島へ行けるのはいつになるのやら・・・。

 私たちの部屋は小笠原方面に向かって右側なので、この風景は神奈川県三浦半島の先っぽ。

 1等スタンダードの部屋は衛星放送も視聴できるので、退屈しのぎに船内をウロウロしなくて済む。ずーっと部屋に居ながらにしても快適な空間。
 御蔵島はお椀をひっくり返したような島影なので、ここは三宅島近海を通過中。

 小笠原まであと781キロ・・。

 18時20分頃。八丈島近海通過中。この天気だと、18時50分頃見えるはずの青ヶ島の島影が見えず・・・。

 レストラン「ちちじま」で夕食。あっさり、さっぱり系が食べたくなり、「サラダ冷やし中華」をオーダー。
 3年前のメニューに比べると、今回は充実している。2代目の(旧)おがまるのレストランのほうが、ショーケースから自分の食べたいものをチョイスできたのに、今の新しい船はチョイスできるのはサラダと一部の小鉢。3年前に比べるとメニュー内容が充実している。変わり映えがなくいつまでも同じ、というわけではなく、改善を繰り返した結果なんでしょうね。

 小笠原のお酒を売店から購入。21時まで営業。売店は陸地とほぼ同額で発売しているので、特に高いとは感じず・・・。

 21時前、目的地まであと580キロ。東京から大阪までと同じくらいの距離、「のぞみ」なら2時間半だけど、「おがまる」は14時間もかかる。
 明日の父島をワクワクしながら早くも就寝。

おがさわら丸の荷台

2019-08-06 00:00:00 | 2019_夏_小笠原

 さらば、東京!!目的地も、同じ東京。「東京都」なので、都内から1000キロ離れた小笠原宛でも、ゆうパックは「同一都道府県内」、クロネコヤマトも関東から関東あて。ちなみに青ヶ島から小笠原宛はいったん、360キロ北上し、都心の拠点地を中継。そこから1000キロ南下。1360キロも旅するわけですが、それでも運賃は同じ都内(関東)扱い。

 レインボーブリッジの下をくぐって・・・・

 うーん、出発当日の朝は梅雨空模様。八丈島を過ぎたあたりに青ヶ島の島影を見届けようと思いましたが、この天気じゃ無理かな・・・。


 小笠原村では1000キロも海底ケーブルで結ばれた「光」回線なので、島民がネットでポチッ!と注文した商品や郵便、宅急便、生鮮食品、雑貨などがたくさん詰まっているコンテナかな?「あおがしま丸」だと蓋をするんですけど、「おがさわら丸」はむき出し。
 小笠原のネット環境は内地と全く同じ。UDトークの音声認識もスマホ機器そのものが通訳してくれるのではなく、Wi-Fiや4G(携帯の電波)を通じて翻訳機のサーバを経由。音声で話した内容をサーバーに送信し、文字に変換してくれるわけですが、話して1000キロ先の内地へ、内地のサーバが通訳して1000キロ先にリアルタイムで返す。(ドコモの見える電話も同じく)UDトークは20ヶ国語に対応できるので、音声の韓国語で話しても、瞬時に日本語の文字に通訳できる機能あり。英語も同様。つまり、世界どこに行っても、インターネット回線さえあれば、どこでも通訳可能!!!





3年ぶりでーす!

2019-08-05 00:00:01 | 2019_夏_小笠原
 東京都小笠原村。この存在を知ったのは、中学校の頃。緯度が沖縄と同じくらいの海洋国とは知っていましたが、行く手段が船しかなく、28時間も!?(当時の初代おがさわら丸)父島に「二見」という地名があり、山口県の何もない超ド田舎も「二見」。青ヶ島村も八丈島から70キロ、八丈島はひょうたんのような形。青ヶ島は米粒。こういう極端な場所に興味を持っても、当時はインターネットがなく、本などで調べるしかなかった。
 社会人になってから、小笠原フリークになり、毎年、山口の二見へ帰省すると同じように、南の「二見」へは必ず帰っていた。当時はメンバ-に学生もいるし、贅沢な乗り方はせず、いつも2等の和室。2代「おがまる」に窓があるのはCデッキ。それを狙うには、朝早く出かけては順番待ち。Dデッキだと窓がなく、今の時間は昼間なのか夜間なのかわからず、時間の感覚がわからなくなる。Cデッキにこだわりすぎて朝早く竹芝桟橋に到着。
 
 当時、1人暮らしなので、当然ながら自分で目覚ましをセットしなければならない。小笠原出発の日。目を覚ますと、時計の針は無情に当時10時出航時刻を過ぎていた。はっとして、当時、ガラケーの携帯電話の蓋を開ける。友人から次々とメール着信。「どうした?今どこ?」「もうすぐ出発だよ」乗り遅れている!!オーマイガー!!そのとたん、本当に目が覚める。はっとして飛び起きて、今日は何日!?今の時間は!?・・・・なーーーんだ、夢だったのか!はぁ・・・・

 2代おがまる(1997年~2016年)の時刻表 25時間半の船旅

  東京竹芝10時出航 → 父島二見 11時30分入港
  父島二見14時出航 → 東京竹芝 15時30分入港

 3代おがまる(2016年~  ) 24時間

  東京竹芝11時出航 → 父島二見 11時入港
  父島二見15時30分出航 → 東京竹芝 15時30分入港


 2代おがまるの2等和室は、先着順だけど、今の新しいおがまるは、あらかじめ座席が割り当てられる全席指定席なので、11時出航の1時間前の10時に竹芝桟橋に着けばいい。今回は余裕を持って出かけました。令和元年の7月は梅雨寒が続き、小笠原に出発する日の朝は、少しひんやり。

 これから24時間かけて、小笠原に行くんだぞ!!と早くも出発時点で「母島産のラム酒ソーダ割」をオーダー。母島で獲れたサトウキビを蒸留させたもので南国ムードが漂うような味わいです。

 船に入る前に改札。乗船券に印字されたQRコードにピッとスキャン。その乗船券は下船時に渡さなければならない大切なもの。理由は、下船時の集札時もピッとスキャンし、乗船時の人員と、下船時の人員、全く同じ数字にしなければならぬ。乗船時より人員が減ってしまうと、航海中に海に身を投げた可能性があるとして捜索になります。誤って紛失してしまっても、船内のフロントで身分証明になるものを提示し、乗船時に確かに改札を行ったと認めていれば、再発行してもらえます。

 6階フロアは1等。JRのブルートレインに例えるとしたら、A寝台の個室。1番安い2等和室はB寝台の開放型寝台。

 若かった頃は金銭に余裕がなく、いつも安いほうを利用していたが、私も友人も歳を取り、おじさん(?)になったので、ゆとりを持って、このお部屋。
 1等スタンダードは2人部屋だけど、1人で利用するときは6千円加算になります。1人旅のときは、まるでカプセルホテルだけど、ほぼ半個室になる、特2等寝台が便利。「特」が」付くタイプは、寝台に衛星放送が見られるテレビ付き。普通の「2等寝台」は寝台のみでテレビは付かない。

 ついに、竹芝桟橋離岸。次の着岸地は24時間後の、小笠原二見港。
 24時間運行になりますが、「おがまる」乗務員は1人8時間勤務で3交代制かな・・??
 


オガサワラから帰りました

2019-07-26 00:05:44 | 2019_夏_小笠原

 オガサワラに行きたい病が発症し、5月下旬頃から計画。予定通り(1つだけは私の技量不足、デブが原因で予定変更)にこなし、帰ってきました!!もう少し長くオガサワラでのーんびり過ごしたいと後ろ髪を引かれる思いで戻って参りました。

 現地の方からいただいた、見送り用のレイ。
 東京行きのおがさわら丸から海に投げ落としたレイが島に流れ着くと、その人は再び島に戻ってくると言われています。前回の小笠原は、いただいたレイをちゃっかり大切に内地へ持ち帰っても、再び小笠原へ行っているので、今回も投げ落とさず・・・。
 ゆりかもめで新橋駅。電光発車案内表示では 15:38 君津行。千葉で乗り換えなくてもボロ房線に直通できる便利な電車だ!と乗車。E217系の先頭車はロングシートではなく、4人掛けボックス。進行方向に向かって逆の座席に座ったため、上の荷台に乗せた荷物があまり見えない。船橋で座席向かいのお客さんが降りていったので、進行方向の座席に席替え。上を見向くと、レイを置いたはずなのに、ないんですよ!!
 (えーっ!消えなくなったというのは、市川か船橋でこっそりと盗んでいったんじゃない!?はぁ・・・小笠原に行きたくても行けないからと失敬したんじゃない!?)と思いめぐらしていたら、通路をはさんで隣の座席に座っていた、黒人の外国人が日本語の口形で「お・ち・た・よ」と指差し。指差した方向を見ると、あっ!!ありました!!
 日本人は落ちているのを見ても見て見ぬふり。拾おうとしない。日本人は冷たくて、外国人は優しいなんて、そんなのあり!?

 小湊鉄道バスなら、suicaやパスモが使えるけれど、本家の鉄道は昭和30年代で止まっているので、現金のみ。JRから小湊への乗り換え改札は簡易スイカをタッチして、五井まで清算。その先に、小湊鐵道の自動券売機があり、小湊のおばちゃまが券売機の切符を改札しているわけだけど、大きな問題あり。西船橋駅みたいに、東京メトロとJRの乗り換えに通せんぼバー付きの中間自動改札機が設置されていると同じように、キセラー撲滅のため、ここでも導入すべき。

 モバイルスイカでJRの改札を出て、国鉄オレンジカードで小湊鐵道の切符購入。右下に「カ」印字。今は無き国鉄にお金を払って、国鉄は1987(昭和62)年3月31日をもって解散した。ということは、JR東日本が今は無き国鉄に立て替えて小湊鐵道に納付、ということになりそう。小笠原の話はこれからエンドレスでスタートします!!

便利ツール