ドキドキ!プリキュア 第32話「マナ倒れる!嵐の文化祭」
「この幸せの王子!」という六花の言葉が、まさか1話丸まる使われるまでになるとは思いませんでした。幸せの王子は愛を与え、最期には鉛の心臓だけになってしまう。確かツバメも暖かい地方に渡らず、王子の隣で冬を向かえて亡くなるんでしたっけ。つまり犠牲になるのはマナだけでなく、ツバメである六花も一緒というわけですか・・・
しかしマナの学校の生徒たちは違いました。マナに頼るだけではなく、マナから受け取った愛を自分の中に芽生えさせ、それを他の人々にも分け与えて行く。実行委員達の適切な対応で問題が解消されたことにより、文化祭に来たお客さんの中にも愛が芽生えたことでしょう。そうして繋がっていく愛の連鎖がそこにあると。
童話の人々だけが悪い、という話に終わらせず、童話の人々も描かれていない部分では、王子からの愛を誰かに分け与えていたかもしれないと希望をもたせる解釈がされたのも良いですね。
愛は与えるだけでなく、与えた愛がいずれ自分にも返ってくることもある。マナが頑張れるのも、そうして人々から愛を受け取っているからなのでしょうね。
今回はマナを心配して奮闘した亜久里。誰もが何でも出来れば1番良いのは確かですが、それが出来ないから互いに支えあっていかなければならない。亜久里のやり方は正しいのですが、正しすぎるのだと思います。
で、亜久里はマナを「マナ」と呼びますが、ありすは「ありすさん」なんですね。マナとありすの違いって一体。
次回は幼馴染3人の話。
「この幸せの王子!」という六花の言葉が、まさか1話丸まる使われるまでになるとは思いませんでした。幸せの王子は愛を与え、最期には鉛の心臓だけになってしまう。確かツバメも暖かい地方に渡らず、王子の隣で冬を向かえて亡くなるんでしたっけ。つまり犠牲になるのはマナだけでなく、ツバメである六花も一緒というわけですか・・・
しかしマナの学校の生徒たちは違いました。マナに頼るだけではなく、マナから受け取った愛を自分の中に芽生えさせ、それを他の人々にも分け与えて行く。実行委員達の適切な対応で問題が解消されたことにより、文化祭に来たお客さんの中にも愛が芽生えたことでしょう。そうして繋がっていく愛の連鎖がそこにあると。
童話の人々だけが悪い、という話に終わらせず、童話の人々も描かれていない部分では、王子からの愛を誰かに分け与えていたかもしれないと希望をもたせる解釈がされたのも良いですね。
愛は与えるだけでなく、与えた愛がいずれ自分にも返ってくることもある。マナが頑張れるのも、そうして人々から愛を受け取っているからなのでしょうね。
今回はマナを心配して奮闘した亜久里。誰もが何でも出来れば1番良いのは確かですが、それが出来ないから互いに支えあっていかなければならない。亜久里のやり方は正しいのですが、正しすぎるのだと思います。
で、亜久里はマナを「マナ」と呼びますが、ありすは「ありすさん」なんですね。マナとありすの違いって一体。
次回は幼馴染3人の話。