立春が過ぎて朝の気温がプラスになる日が出て来ました。このまま春になってくれれば良いんですがそうもいかんだろうな~。
月初は一日休みなので今日はNも屋根を一枚塗っただけ。記事にするほど進展はありません。阿佐鉄が客寄せプランを募集してるそうで何か応募してみようと資料を作るつもりでしたがそれも出来ず・・・で、困った時の昔の写真。
先ずは小松島でC11-137号機。この年の2月2日も今日と同じ日曜でした。
137号機は徳島で最後まで残ったC11です。よほど状態が良かったのか稼働率が高く写真の枚数も多いです。
徳島に向けて貨物列車が出ていきます。走ってない日もあったようなので不定期列車だったのかもしれません。
ただ牟岐線貨物より長かったですね。小松島には客貨車支区があったので検修を終えた車両も繋がっていたのでしょう。31号機は型式入りナンバープレートと大型ヘッドライトが特徴でした。
入替中のようにも見えますが、徳島から池田行き423レとなる回送が徳島に向けて出発するところです。C58は小松島では転向しなかったので常にこの向き。小松島線下り(小松島→徳島)は逆行運転です。
別の日の同じ列車ですが、勝浦川鉄橋を渡り終えて地蔵橋に向かうところです。どちらが2日か9日かは分かりません。この列車は徳島に回送される機関車が付いて重連になることがよくありました。
ほぼ同じ場所でC11が牽く回送列車。当時は421~428レという早朝4時過ぎに小松島港を出て池田まで往復する客車列車がありました。(徳島着は12時過ぎ)その回送です。
そういえばC11も常にこの向きでした。
今度は園瀬川鉄橋を渡る牟岐行き521レです(徳島発17:21)。当時多かった撮影パターンは午後から小松島機関区で撮ってその後中田~二軒屋間で徳島に向かう回送列車やこの521レを撮るという流れでした。
1969年2月の徳島の天気を検索すると2日は曇りで9日は晴れ。ということは最初の方の小松島の写真は9日とほぼ断定出来ますが、夕方のこの時間ではどっちか分かりません。
同じ場所で、上の521レと地蔵橋で交換してきた小松島発穴吹行き425レ。先のC58牽引池田行き423レと違いこの列車は小松島から客扱いしてました。
連続撮影した最後の写真で園瀬川の鉄橋を渡っているところ。前後に撮った写真は過去に掲載済みです。一応確認はしましたがダブっているのもあるかもしれません。
この列車、地蔵橋発17:35、二軒屋が17:41。徳島は関東より陽が長いですが冬場の撮影は限界です。
それでも当時から寒いのが大嫌いで冬の写真が極端に少ない小生にとっては貴重な記録です。