まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第4回九州西国霊場めぐり~臼杵石仏総選挙

2021年09月30日 | 九州西国霊場

9月19日、温泉だけでなく大仏はじめ諸仏がずらりと並ぶのが印象的だった「臼杵湯の里」から出発である。この日はまず臼杵の石仏に向かった後、三重町の第11番蓮城寺まで行き、大分駅でレンタカーを返却する。そして午後は豊肥線に乗って豊後竹田に向かう行程である。

移動の前に、「臼杵湯の里」のすぐ横にある田んぼに向かう。稲穂もよく実ったところに何体もの案山子が並んでいる。毎年この時季に「かかし祭り」が行われているそうで、国道を行く人たちの目を楽しませている。

こういうところではアニメのキャラクターや世相を反映したものが並ぶのだが、今年はやはり東京五輪が開催されたこともあり、スポーツ選手をモチーフにした作品も並ぶ。ソフトボールの上野投手なんてのもある。

そうかと思えば、昔の田起こし風景として黒牛が現れたり・・。

こんなところにも阪神ファンがいたりする。この時タイガースはセ・リーグ首位を走っていたが、急にスワローズも追い上げており、この旅のすぐ後に首位が入れ替わった。パ・リーグ、セ・リーグとも順位はまだまだわからない(とはいううものの、11月に行われるクライマックスシリーズについて、バファローズ主催予定分の前売りが始まったのでとりあえず確保した。優勝してめでたく京セラドームでファイナルステージが行われるのか、いや結局現在の順位のままファーストステージになるのか。とりあえず両方の日程を抑えたが、そもそも京セラドームでの開催がなくなるというシャレにならん事態にならないとも限らない・・・といいつつ、マリーンズとの直接対決に3連勝して一気にゲーム差0に縮めるとは驚いた!!)。

・・・案山子で秋の風情を楽しみ、臼杵石仏に向かう。臼杵湯の里からはクルマで5分ほどと近い。

臼杵の石仏もかなり以前に一度見物した。その時印象的だったのが大日如来像。昔のガイドブックで、石仏の損傷が激しいために頭部が胴体から離れた生首のように置かれていたのを見たことがある。それが、実際に臼杵に行くと修復されてくっついていて、ガイドブックとは違う姿に違和感を持ったのを覚えている。この頭部をそのまま置いておくか、あるいは修復して胴体とくっつけるかについては、その当時いろいろ議論があったそうだ。

ただよく考えれば、石仏の頭部だけが置かれているのも不自然なことだし、修復して頭部と胴体とをくっつけることを条件として臼杵石仏も国宝に指定されたのだから、ありがたい話ではないかと思う。

見学のチケットを買うと団扇のサービスがあり、「今こういうのをやっています」と案内される。それは「国宝臼杵石仏美仏総選挙2021」というもの。団扇でも告知されている。

この総選挙、国宝に指定されている61体の石仏の中から厳選された9体の中から1体を選んで投票するとある。投票した人の中から抽選で臼杵市の特産品などが当たるという。この「総選挙」の「各候補者」についてはまさに選挙用のポスターも作られ、それぞれの仏の特徴を活かしたキャッチフレーズ・公約?も記されている。

この石仏一帯(有料ゾーン)に入る手前に、摩崖仏として彫られた不動明王を見る。これは国宝に指定されているわけではないが、山肌に安置された姿はなかなか立派である。

そして国宝の一帯へ。チケットを提示し、順路に沿って進む。本来の摩崖仏に屋根をかけてお堂のようにして保存している。早速総選挙の「候補者」も姿を見せる。

そもそも、臼杵石仏、国宝とありがたく拝むところが、この石仏群がいつ頃できたものかははっきりしていないそうだ。地元の伝説では、聖徳太子の父である用明天皇の頃に登場する豊後の真野長者が娘の菩提を弔うために彫らせたそうだが、実際には仏像の様式などから平安後期~鎌倉時代の作とされる。石仏群の向こうにある満月寺を創建した蓮城法師の手によるとされるが、これも伝説の中のことという。実際にこれだけのものが出来上がったのにはさまざまな人たちの尽力があったはずだが、それを感じさせないのも魅力といえるだろう。

まずは九品の阿弥陀如来が並ぶ一角。自然の岩をこうして活用させるのも相当な技術が必要だろう。観音の水というのも湧いている。

続いては、平安から鎌倉時代にかけての作である20数体の石仏が並ぶ。この一角から「総選挙」に出馬している石仏も多く、かなりの激戦区のようだ。

さらに奥に進んでお堂に着くのが山王山石仏群。釈迦如来を中央に、左右に阿弥陀、薬師如来を従えるが、今回の「総選挙」にはいずれも出馬していないようだ。

そして来たのが古園石仏群。臼杵石仏の中でもここが中心の役割をしており、頭部を修復した大日如来もここに祀られている。

ありがたみを感じるスポットである。久方ぶりにこの大日如来を拝んだが、今となってはすっかりこの姿かたちに落ち着いているように感じた。改めてここで般若心経のお勤めとして、書置きの大日如来の朱印もいただく。九州西国霊場の札所以外の朱印をいただくのは、宇佐神宮以来のことである。

そして「総選挙」。ここにも各「候補者」のポスターが貼られ、投票箱もあり実際の選挙さながらである。私もある「候補者」に投票した。投票期間は10月末までとのことだが、果たして投票結果はどのように出るのかな・・・?

岩場に彫られた摩崖仏の見学はここまでで、目の前に広がる石仏公園に出る。

その奥にあるのが満月寺で、そちらに向かうと、膝から上だけが表に出る仁王像が出迎える。臼杵石仏は昔から満月寺が守護していると伝えられている。

これで臼杵いちばんの名所を訪ねたこととして、次は三重町に向かう。まずは、大分県最後の札所である・・・。

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第4回九州西国霊場めぐり~臼杵湯の里・・臼杵には石仏だけでなく大仏もある

2021年09月29日 | 九州西国霊場

9月18日の一泊は臼杵ということになった。当初は大分駅前のホテルを予約し、駅前の居酒屋で一献(一応、座席も予約)と考えていたが、直前の台風14号の影響でスケジュールを一部変更した。そこで臼杵に宿泊としたが、駅近く、あるいは国道沿いにビジネスホテルもある中、少し臼杵石仏よりに進んだところに「臼杵湯の里」というのを見つけた。日帰り入浴、宿泊の両方に対応という。

ここに決めたもう一つのポイントが、「ワクチン接種応援プラン」。コロナワクチン2回接種済の人を対象に1泊2食付料金を1割引するものである。今後、ワクチン接種を進めるにあたりこうしたプランで利用客を呼び込もうというのが増えてくるのかな。チェックイン時に、ワクチン接種済の2枚のシールを貼った控えを提示する。浮いた分は・・・結局夕食時の一杯にすり替わるのだが。

係の人がわざわざ部屋まで案内してくれる。靴を脱いで別棟に上がり、通されたのは洋室のツインルーム。直前の予約でよく空いていたものだ。部屋はトイレ、洗面台つきで、風呂は臼杵唯一の温泉という「薬師の湯」を利用する。

さて、とりあえず荷物だけ置いて外に出る。この「臼杵湯の里」の敷地の奥に「臼杵大仏殿」というのがある。拝観料不要でそのままお参りできるそうだ。臼杵といえば石仏で有名だが、大仏殿があるとは・・。

臼杵でホテルを経営していた社長の夢枕に黄金の大仏が現れ、「仏殿を作ってくれ」と言ったのがきっかけだったという。社長は偶然だと思ったが、それが何度も続いたという。そのため、本当に大仏殿を作ってしまったそうだ。珍百景の番組でも紹介されたこともあるとか。

新興宗教めいたものかなと思いつつ、坂道を上がって現れたのが願掛け大仏。有名な臼杵の石仏とは違うが、こういうところに大仏を彫ってしまうあたり、やはり大分は石の国なのかなと思う。この右手がパワースポットとして知る人ぞ知るところという。

大仏横の階段から上がった先には金堂がある。中に入ると圧巻の仏像群が出迎える。かたや千手観音、こなた薬師如来といわんばかりに室内の両側で存在感を示している。それぞれ10メートルはあろうかという「大仏」である。周辺の諸仏も揃い、薬師如来の側は日光・月光菩薩の他に十二神将の「チーム薬師」が並ぶ。いずれも近年彫られたもので歴史的価値があるわけではないが、見事な姿だ。

祈祷として、紙のお札を火鉢で燃やすこともできる。せっかくなのでここでも般若心経でのお勤めとする。

ホワイトボードに寄せ書きがある。絵馬を奉納するようなものだろうが、このところの状況を反映してコロナ退散を願うメッセージも寄せられている。私も一筆書かせていただいた。

さらに上には大講堂がある。こちらの中心は大日如来。先の金堂と合わせて、新たに彫ったのもあれば、ひょっとしたら近隣の寺院から譲り受けた仏像もあるだろう。

ふと、由緒あるが本尊が秘仏という寺院と、歴史はほとんどないが仏像がいつでも出迎えてお参りができる寺院、そのどちらが人々にとってありがたい、頼りになる、親しみやすいのか・・・と考える。ここまでしっかりとさまざまな仏像が祀られるスポット、ひょっとしたらこの日これまで訪ねた九州西国霊場の札所よりも受け入れられているということはないだろうか。

ここも九州西国霊場の特別霊場?のような感覚を持って宿に戻り、温泉の「薬師の湯」に入る。露天風呂もあり、ゆったりとした一時を過ごす。

入浴の後はテレビでの大相撲秋場所観戦。ここではBS中継も入らず、部屋でのネット通信もできなかったのは残念だったが仕方ない。相撲はちょうど大関、横綱戦のところで、結びの一番では新横綱の照ノ富士が若手の琴ノ若を退けた。話が逸れるが、照ノ富士が新横綱優勝を決めた直後に白鵬が引退の意向を示したのには驚いた。

そろそろ夕食の時間である。1つの部屋を2組で使う席割である。前菜の後は刺身盛り合わせ、天ぷらと出てくる。また、最初に出ていた豆乳鍋にも火が付けられた。

その中のメインが、魚のあら煮。タイとブリ(ハマチだったかな?)の2種のあらが乗った一品。甘味に炊いたからかもしれないが、これが結構食べ応えがある。飲み物はビールのほかに大分ということでかぼすのサワーを楽しむ。臼杵ということでフグのヒレ酒、さらに次酒も勧められたが、さすがに9月はフグには早いかなと、追加はかぼすサワーとする。まあ、先ほど興山寺参詣の後にコンビニに寄って部屋飲み用のアルコールは買っていたので、夕食の席はほどほどに、後は部屋で楽しむ。

パソコンは持参したが部屋では使えない。まあ、それは織り込み済で、この日はだらだらテレビで過ごし、夜にはNHKの「爆笑オンエアバトル」の復刻を見たりして、その後はぐっすり休んだ・・・。

さて翌19日、朝食が8時からとゆっくりなので、まずは部屋でのんびりする。普段の生活で、休みでも朝食が8時というのはないことなので戸惑うが、それまでの間、もちろん朝湯にも浸かった。この日もレンタカーを運転するので仕方ないが、もし鉄道やバスだけでの札所めぐりならば、朝食前に朝酒でもやっていたかもしれない。

朝食は本館のレストラン。品数が結構豊富だ。しっかりといただき、九州2日目も元気に動くことにする。これも、薬師の湯のほかに、数々の仏像たちのおかげかな・・・・。

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第4回九州西国霊場めぐり~特別霊場「興山寺」(臼杵の高野山)

2021年09月28日 | 九州西国霊場

九六位山にある圓通寺に参詣後、山の東側の道を下って大分市から臼杵市に入る。臼杵といえば石仏の町で、石仏はかなり以前に一度訪ねたかな。今回、八幡浜からフェリーで上陸してもいいかなと思ったところである。「水曜どうでしょう」の「サイコロの旅」第1回でも、東京からいきなり松山に来て、道後温泉に入浴した後、さらに西へということでフェリーで臼杵に上陸している。

山道から県道に出て、末広川に沿って下っていく。以後、国道217号線、国道502号線と順調に走っていく。臼杵といっても港や駅の辺りからはかなり西側だ。臼杵の石仏は見ようと思うが、大友宗麟の本拠地だった臼杵城(丹生島城)の辺りはこの九州西国霊場めぐりでは外れることになった。まあ、いずれ訪ねる機会もあるだろう。

国道502号線から南側の集落に入る。細い道が続くが、そのうち興山寺への案内板が出る。道の向こうには東九州自動車道の高架橋があり、その下を回り込んで高度を上げる。九六位山ほどではないが、ここでも上り坂が続くことになった。日豊線の最寄り駅である上臼杵から直線距離だと歩いて行けそうに見えるが、実際に来るとまた大汗をかきそうなルートである。

どこまで上るのかなと走らせるうち、最後は境内に入った。クルマを停め、本堂のほうに向かうと駐車に気づいたのか、若い僧侶が扉の向こうから出てきて会釈してくれる。「お詣りですか?」と訊かれ、「九州西国の・・・」と言うと、「ならば、あちらのお堂がご本尊なのでお回りください」と、奥の庫裡へ回るよう案内される。

興山寺の縁起は高野山にあるという。興山寺を開いたのは安土桃山時代、木食応其上人という。豊臣秀吉の紀州攻めで兵火が高野山に及ぼうとした時、この木食応其上人が秀吉に直談判をして高野山を守った。その後、上人は高野山にて青巌寺と興山寺を建てたが、明治になって興山寺が青巌寺に合併されて金剛峯寺と称された。これを惜しんだ山縣玄浄僧正が臼杵にて興山寺を再興し、山号も高野山とした。臼杵の人たちにとっても、臼杵に高野山が移ってきたとして親しまれる存在だという。

・・・と、公式サイトなどの説明文を元に書いたが、金剛峯寺って、昔は金剛峯寺でなかったのか?という疑問が出てくる。改めて見ると、金剛峯寺は元々真言宗の総本山としての高野山全体と同じ意味だったのが、明治の神仏分離の影響で、高野山真言宗の管長が住む寺に限定されることになったとある。

寺の本尊は無量寿如来で、九州八十八ヶ所百八霊場ではこちらが本尊である。九州八十八ヶ所百八霊場・・・これも九州がおいでおいでしているな・・・というのはさておき、九州西国霊場の本尊である十一面観音が奥のに庫裡に祀られているので、そちらを案内された次第だ。

仏間の十一面観音を前にお勤めとする。プロの僧侶が後ろに控えていて緊張する。お勤めを終えると、お接待ということか綴じ込み式の朱印とともに、お茶菓子をいただく。

ここでもう1枚いただいたのが、九州西国の第2番・長谷寺の朱印である。無住寺である長谷寺の朱印はここ興山寺で対応しており、ようやくここで朱印帳がつながる。先ほど、「2番の朱印を・・」とお願いした時、「いつお詣りされましたか?」と訊かれた。同じ中津の第3番と同じ日に訪ねたなと思いつつ、ここまでの朱印を持ってきていないので慌てて手帳を見て日付を思い出す。ちょうど3か月前のことである。

これで興山寺を後にして、山道を下って国道502号線まで出る。この日はここまでとして、国道を少し進んだ「臼杵湯の里」に泊まることにする。半日で慌ただしく札所めぐりをしてこの後はゆったりするのだが、実はその前にまた仏たちを拝むことになる。それは次の話として・・・。

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第4回九州西国霊場めぐり~第10番「圓通寺」(九六位山へどうしようもない私が歩いてゐる・・)

2021年09月27日 | 九州西国霊場

九州西国霊場は第9番の吉祥院・観音院を終えて、第10番の圓通寺を目指す。同じ大分市でも東部に位置する。地図を見ると東九州自動車道の真上にあるように見えるが、この区間はちょうどトンネルである。九六位トンネルというが、それが山の名前であり、寺の山号にもなっている。

吉祥院・観音院を出る時にカーナビに圓通寺と入れるが、該当の場所はヒットしなかった。何か代わりのキーワードと見つけたのが、九六位山キャンプ場。ここに至る道の途中に圓通寺があるようで、そのルートをたどることにする。距離にして20キロほどだが、途中からは山道を通る難所のように見える。公共交通機関で・・ということも厳しそうだ。そもそも、九州西国霊場の各札所の案内も、公式サイトではグーグルマップで場所を示しているだけだし、他のところでもクルマで行くことを前提とした道案内になっている。まあこちらもそれを承知でマイカーやレンタカー中心でプランニングするのだが・・。

レンタカーは住宅地と自然公園が隣接する明野地域を過ぎ、昭和電工ドーム大分の横を通る。開閉式のドーム競技場で、Jリーグの大分トリニータの本拠地であり、ラグビーのトップリーグの試合でも使用される(2019年のラグビーW杯の会場の一つにもなった)。周囲には大規模ショッピングセンターもあり、大分で人が集まるエリアの一つだろう。

この後はカーナビの案内に従って走るが、そのうち道が細くなる。初めのうちは、すっかり実をつけた稲穂と彼岸花の組み合わせに思わずうなったりしたが、徐々に勾配もきつくなるし、道路上に木の枝や石ころが撒かれたように転がっているのに悩まされる。前日、台風14号は九州を横断して四国に向かったが、その際に転がったものか、そもそもこの道じたい放置されているのか。

かと思えば、大分名物のかぼすだろうか、柑橘類の畑に差し掛かる。そこでクルマを停め、果実が入った籠を道路に置き、道端に腰かけているおじさんがいる。これ、クルマが通らんやないかと声をかけようとしたが、おじさんは座ったまま笑ってそのまま手を回す。おじさんの足を轢くか、果実の籠を引っかけるかどっちかやなと思いつつ恐る恐る進むと、最後はおじさんが立ち上がった。よかった・・。

展望が開ける一角に出た。昭和電工ドーム大分をはじめ、ここまで通ってきた一角を見下ろす。また遠くの別府湾にはフェリーが通るのが見える。いつの間にかあんなところから上って来たのか。ここの夜景も見事だろうなと思いつつ、通ってきた山道からして絶対夜には来たくないなとも思った。

前の札所から40分ほど走ったか、カーナビが目的地に近づいたことを告げ、道端に圓通寺の石柱が見えた。九六位山キャンプ場への案内板もあるが、こんな山の中にキャンプ場があるの?と思わせるくらい人の気配がしない。道路際に駐車場があるが、草生していて整備されているようには見えない。クルマを停めたとたんにドアにバッタが張り付いたのはご愛嬌だが・・。

まずは石段を上る。途中に、年季が入ってそうなイチョウの木が立つ。樹齢1400年近くあるという。

山門をくぐる。山の中にあるためか小ぢんまりした境内である。その中に圓通寺の縁起を記した案内板がある。

これによると、圓通寺が開かれたのは聖徳太子の時代。百済から来た日羅上人が、大分の東に慶雲がたなびくのを見て、聖地があるとして山に登った。しかし上人が山中で容易に進むことができず、難渋していると九頭の鹿、猪が多くの仲間を連れて道を開いた。上人はこの山頂こそ聖地として、千手観音像を彫ってお堂を建て、「九鹿猪山圓通寺」と号した。合わせてイチョウの実を門前に植えて、将来の繁栄も願ったとされる。その後、豊後の守護である大友氏の保護もあって多くのお堂が建ち、九鹿猪山は信仰を集めた。

後に戦国の兵乱で伽藍は焼失したが、日羅上人が植えたイチョウの木だけは残ったという。

江戸時代になり、量海法印という僧の夢枕に「九鹿猪山のイチョウの洞中に日羅上人が刻んだ観音像がある」というお告げがあり、その通りたどって行くと観音像が見つかったという。量海はこれに歓喜してこの地に移り住み、寺を再興した。その後、清雄法印が江戸にて大名の奥方の懐妊を祈願し、めでたく男子を出産したお礼に鐘が贈られた。これに合わせて、「九鹿猪山」の文字が「九六位山」に改められたという。鹿と猪が九頭とは、よほど山深いところなのだろうが、神仏の使いを表しているのかな。

本堂も簡素な造りだが、側面を板で覆われている。冬にはこの辺りにもそれなりの量の雪が降るのだろう。小ぶりながら座布団が敷かれた外陣からは御前立ちの千手観音像を見ることもできる。

本堂の前には九州西国霊場のエピソードにちょくちょく登場する種田山頭火の句碑がある。「どうしようもないわたしが歩いてゐる」は山頭火の名句(名言?)の一つとして知られている。この「どうしようもないわたし」、さまざまな解釈がなされる中、一説では「性格的にどうしようもない私」とも取れるし、「このような自堕落な状況を自分自身でどうにかすることもできないが、それでもなお生きていく私」とも取れるという。山頭火も九六位山をヒーコラ登る中で、自分自身にいろいろ向き合う、考える場面があり、その思いがこの句になったのだろうか。

そんな境内の一角に、表示は出ておらず外観も普通の家屋に見えるが、おそらく本坊であろう建物がある。呼び出しのチャイムを鳴らすと寺の方が出てきて、朱印の対応をしてもらう。この山の中まで来てお留守、あるいは無人だったらがっかりしたところだが、ホッとする。

さて、次の特別霊場の興山寺は臼杵市にある。九六位山へは西側からの道をたどったが、今度は東側に下りる。少し下ると大分市から臼杵市に入るが、東側のほうが道路の幅も広く、アクセスには適しているように思えた・・・。

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第4回九州西国霊場めぐり~第9番「吉祥院・観音院」(大分の子安観音)

2021年09月26日 | 九州西国霊場

9月18日、広島~小倉~(門司港)~大分と乗り継いで、高城に到着。島式ホームの端に駅舎があり、改札口で、大分からのはみだし乗車分の料金を払って外に出る。「ああ、この後豊肥線に乗るっちゃ」と返される。

駅舎から南北の自由通路を渡って外に出るが、現在改装工事中。駅周辺は住宅や店舗などが数多く広がっていて、近郊駅といった感じである。少し海側に行けば大分の臨界工業地域、山側に行けば大分スポーツ公園競技場(昭和電工ドーム大分)にもアクセスできる。

駅近くのトヨタレンタカーに向かう。18日の13時から、翌19日の13時までの24時間利用で大分駅前店に返却する。今回高城駅前店から乗ったのは、これから向かう九州西国霊場の第9番の吉祥院・観音院がすぐ近くにあり、大分から市街地を抜けることを思えば高城で借りたほうがスムーズかなと思ったためだ。この後翌日にかけて臼杵、三重町と時計回りに進み、大分駅に戻るルートだ。高城に店があるのは、工業地域などのビジネス利用があるのかな。

今回利用するのはトヨタレンタカーの定番のヴィッツ。いったん駅前のコンビニの駐車場に入ってルート入力だ。目指す吉祥院・観音院にはものの5分もあれば着くようだ。ここだと、駅から徒歩でのアクセスも十分可能だ。

日豊線を跨線橋で越して、ナビに従って住宅地の中へ。すると、寺の看板は出たが「こちらから車両で入ることはできません。反対のイオン側の道からお入りください」と書かれている。あらあら。

ナビの地図で道の見当をつけて走ると、町並みを見下ろすスポットに出た。ちょうどカフェ、イタリアンの店があり、眺望を活かすためか、店の前が開けている。夜に来るのもいいかもしれない。右前方に寺のお堂らしきものが見えるのが目的地かな。

この後狭い道も通りつつ、寺の門前の駐車場に着いた。石造の金剛力士像の横の看板には「高城山子安観音」と記されている。先ほどカーナビに入れようとしたところ、吉祥院や観音院ではヒットしなかった。住所を入れると「高城山子安観音」と表示された。地元ではこの名で親しまれているのだろう。

参道の両脇には地蔵や観音が並び、安産祈願や子の健康祈願が書かれた前掛け(よだれかけ?)が幾重にも掛けられている。掛けるものは違うが、西国三十三所の中山寺を連想させる。

山門、本堂とも歴史的に新しいように見える。自由にお堂に上がれるようなので、中に入ってのお勤めとする。吉祥院・観音院が隣り合わせて伽藍を持っているようだが、同一の本尊として如意輪観音を祀っているとのこと。

両院が開かれたのは奈良時代の初め、和銅年間とされる。当地の豪族だった阿曽の小連という人がいて、妻が懐妊したが大変な難産となった。そこで阿曽の小連は如意輪観音を彫り、安産を祈願した。そのおかげか、妻は無事に男の子を出産。阿曽の小連はそのお礼として、また多くの人の観音の功徳が施されるようにとお堂を建て、人々にも拝むことを許したという。後にこの話を聞いた行基が、阿曽の小連の如意輪観音像に開眼入魂して供養をしたとも伝えられる。

その後、戦国時代の兵火や太平洋戦争の空襲で本堂は焼失したが、本尊はそのたびに難を逃れ、現在の本堂は平成になって再建されたものという。

離れでは、先ほど見た安産祈願の前掛けに願い事を書くための場所がある。お参りをして、ここで願い事を書いて、参道の石仏に掛ける流れ。私は九州西国霊場めぐりで初めて知った寺だが、札所めぐりどうこうではなく、大分の人たちには根付いた存在であることがうかがえる。

本堂の隣の部屋が祈願の受付で、朱印もここで対応する。お供えもののお下がりの菓子が籠に入れられていて、「ご自由にお持ちください」とある。これもお接待かなということで、土産用にちょっと頂戴する。出てきた朱印も吉祥院・観音院の連名である。一つの境内に寺が2つあるのもよほど歴史的なものがあるのかなと思うが、ここで訊くことはできなかった。

半日かけて移動してきて、まずは1ヶ所を参詣。この日はこの後圓通寺、興山寺と、九州西国霊場の南東部を回る・・・。

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第4回九州西国霊場めぐり~九州上陸、大分へ

2021年09月25日 | 九州西国霊場

台風一過となった9月18日、広島8時26分発の「こだま837号」は、通常なら500系使用のところ、700系でやって来た。元グリーン車使用の6号車をあてにしていたが、これは仕方ない。

自宅を出た時は少し黒い雲も残っていたが、新幹線に乗る頃には雲も取れてきた。数日は安定した天気のようで、これからの道中も楽しみだ。

徳山で約5分停車。前回はここ徳山から周防灘フェリーで竹田津に渡り、国東半島を回った。

新関門トンネルを抜け、9時44分、小倉に到着。次に乗るのは11時09分発の「ソニック15号」である。小倉を1時間前に出る特急にも間に合うが、時間に余裕を持たせた形である。

いったん改札の外に出る。コンコースには福岡県への帰省者向けの無料PCR検査場が設けられている。

さて、指定席はJR九州のネット予約を出発前に券売機で引き換えたのだが、小倉からの乗車券がまだである。今回、日豊線、豊肥線と乗り継いで熊本までの乗車券を買うことにしている(往復の新幹線はそれぞれ割引きっぷを使うため)。で、小倉駅の窓口に向かったが、結構行列である。大分方面の指定席も満席との表示が出ている。やはりシルバーウィーク、人は動きますなあ。このぶんだと自由席は立ちっぱなしの客も出そうだ。

さて、小倉で1時間あまり滞在してもその時間内で行くところも限られる。そんな中、門司港駅に行ってみようかと思った。特急「ソニック」と同じホームの向かい側から10時08分発の門司港行きが出るところだ。

九州西国霊場は日田彦山線の彦山が最寄りの英彦山から始まり、九州北部をぐるりと回るのだが、北九州市には札所がない。その中で、かつての九州の鉄道の起点であった門司港に顔を出すのも悪くないだろう。

門司港に到着。とは言っても滞在時間は10分ほどしかない。

とりあえず来たということで、門司港駅舎の写真だけでも収める。ちょうど駅前では何かのロケか撮影かが行われていた。やはり、絵になる建物で重要文化財に指定されただけのことはある。

駅前の下関行き船乗り場にも向かい、関門海峡、関門橋をちらりと見る。またいずれ下関を訪ねることも楽しみにしている。慌ただしいが、ともかく立ち寄ってよかった。

折尾行きに乗車し、小倉に到着。「ソニック15号」の乗車口には長い行列ができている。大分方面に帰省、あるいは別府、由布院などの温泉に行く方も多いだろう。そんな中、「ソニック15号」に約20分遅れとの表示が出ている。前日の台風で大分県内の区間で倒木があったそうで、特急の行き帰りのダイヤに影響しているとのこと。でも、その程度で済んでよかったと思う。もしこれが土砂災害などで「日豊線終日運転見合せ」となったら、今回の札所めぐりそのものを中止せざるを得ないところだった。

待ち時間ができたこともあるが、ここで昼食としておこう。ホームには小倉駅名物の「かしわうどん」のスタンドがある。このかしわうどん、各ホーム、そして乗り換え通路と計4店舗あるが、2つの業者が2店舗ずつ経営しており、少しずつ味が違うそうだ。中でも一番人気はこの7・8番ホームのものだとか。

20分あまり遅れてようやく「ソニック15号」が到着した。車両は「白いかもめ」タイプである。シートも皮張りで、頭が当たる部分も柔らかい。

指定席は満席で、隣・前後も当然着席されていたから、なかなか周りを見渡すとはいかない。まずは北九州近郊の区間を走る。前回の九州西国霊場はマイカーで訪ねていて、復路は大分から国道10号線をひた走った。日豊線と並走する区間も多く、その時の車窓を思い出す。やはり特急は速い。

山国川を渡って大分県に入り、中津に到着。ちらりと、駅前に建つ福沢諭吉像が見える。中津では札所や耶馬溪、さらには耶馬溪鉄道の保存車両を再利用した民宿に泊まったが、結局中津城や福沢諭吉関連はすっ飛ばしてしまったなあ・・。札所めぐりのプラスアルファでどこに行くかは、結構いい加減な基準で選んでいる。

この後宇佐、杵築と過ぎて別府湾に出る。列車は20分あまりの遅れを持ったまま、別府に到着。半分くらいが別府で下車した。

大分までは別府湾沿いの区間。遠くに見えるフェリーは八幡浜との航路だろうか。今回のアクセスにあたっては、広島~四国~九州というルートも一時考えていた。結局見送りとなったが、またそうした移動もしてみたい。何ならここに徳山への周防灘フェリーを加えてもよい。

大分に到着。この先の12時52分発幸崎行きの鈍行が接続待ちをしていた。こちらの列車も8分遅れで発車。

日豊線で2駅先の高城に降り立つ。大分近郊の住宅や商店が広がる駅だが、今回の札所めぐりはここから始まる・・・。

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第4回九州西国霊場めぐり~いろいろ予定していたが、直前で大きく変更が・・・

2021年09月24日 | 九州西国霊場

7月の国東半島、別府シリーズ以来となる九州西国霊場めぐりの第4回。ちょうど3連休となる9月18日~20日に行くことで早くから計画していた。

行き先は大分から臼杵にかけての一帯で、第9番・観音院&吉祥院、第10番・圓通寺、特別霊場・興山寺を考えていた。そのアクセスも、広島から新幹線~日豊線乗り継ぎというものから、いっそのことフェリー乗り継ぎで広島~松山~八幡浜~臼杵と1日がかりで行こうかとか、例によっていろいろ考えていた。その中で、大分駅前のホテルも押さえていたのだが、ホテルから電話があり「コロナ患者のホテル療養場所となったので・・」と言われ、系列の別ホテルに案内されたこともあった。

また、このプランだと大分県で第11番・蓮城寺が残ることになる。あえて1ヶ所だけ残しておいて、その次、熊本県に横断するのに合わせて訪ねようかとも考えていた。

そんな中、ふと何の気なしに、今季九州に発足したプロ野球独立リーグの「九州アジアリーグ」というのに目が行った。現在は熊本県の火の国サラマンダーズと、大分県の大分B-リングスの2チームで活動しており、2チームの公式戦とホークス3軍や四国アイランドリーグのチームとの交流戦を行っている。また、ホリエモンが福岡・北九州に球団を作って参入を目指していることもニュースになっている。

また、昨年オフにカープを退団した小窪選手がNPB復帰を目指して今季火の国サラマンダーズに所属し、ここでの活躍が認められて8月にマリーンズと契約した。そのことで広島でもちょっとした話題になった。

九州西国霊場めぐりにあたり、四国八十八ヶ所めぐりの時のような独立リーグ観戦は科していなかったが、どこかでタイミングが合えばとは思っていた。日程表を見ると、ちょうど9月18日~20日に豊後竹田にて大分対火の国の3連戦が行われるとある。球場は豊肥線の豊後竹田駅から歩いて20~30分ほどだろうか。そして、豊後竹田まで行くのなら、手前の三重町にある第11番・蓮城寺も訪ね、帰途は豊肥線でそのまま熊本県に入り、阿蘇にある第12番・青龍寺、第13番・西巌殿寺も回ることにする。一気に九州横断となる。

これらを踏まえて立てた行程は以下のとおり。

・9月17日夜:広島~(新幹線)~小倉 小倉泊

・9月18日:小倉~(日豊線特急)~大分~(日豊線普通)~高城~(レンタカー)~観音院・吉祥院~佐賀関~圓通寺~興山寺~臼杵石仏~蓮城寺~大分 大分泊

・9月19日:大分~(豊肥線)~豊後竹田~岡城・九州アジアリーグ観戦 豊後竹田泊

・9月20日:豊後竹田~(豊肥線)~宮地~青龍寺~西巌殿寺~阿蘇~(豊肥線)~熊本~(新幹線)~広島

初めに「9月17日夜」とあるが、9月18日の朝からレンタカーを借りて1日がかりで札所を回るとして、これに備えて前日に小倉まで移動しておこうというものである。仕事を終えて帰宅して、遅い時間の「こだま」でも「新幹線直前割きっぷ」が使える。そして早朝の特急で大分に移動式、第9番最寄りの高城駅前でレンタカーだ。大分県内の札所の並びで行くと、どうしてもクルマ移動とせざるを得ない。その中で、海を見ようということで佐賀関、そして臼杵に行くのだからと石仏見物も入れる。

また、豊後竹田も豊肥線で通っただけで、町じたいは初めてである。野球だけでなく、一番の名所である岡城も入れておきたいところだ。阿蘇については今回で一気に抜けるのはもったいないと思いつつ、熊本まで駒を進めておくことにする・・・。

・・・とまあ、相変わらず出発前の記事が長いのだが、ここまで決めて交通機関、宿もすべて押さえた中で迎えた9月16日。

・・気にしていた台風14号が西日本を横断する可能性が高くなったとのニュース。そしてこれを受けて、9月17日の午後以降終日、山陽新幹線の広島~博多間を計画運休することが発表された。

正直、台風の進路には気をもんでいたが、台風が過ぎた後に九州を回る形になってよかったと思う。ただ、17日夜のうちに小倉まで移動することはできなくなったため、全体の行程も組みなおしである。18日は天候が回復するとはいえ、新幹線や在来線のダイヤに遅れがあるかもしれないということで、広島を朝2番くらいに出発することにした。

・9月18日:広島~(新幹線)~小倉~(日豊線特急)~大分~(日豊線)~高城~(レンタカー)~観音院・吉祥院~圓通寺~興山寺 臼杵泊

・9月19日:臼杵~臼杵石仏~蓮城寺~大分~(豊肥線)~豊後竹田~岡城 豊後竹田泊

・9月20日:当初と同じ

行程が半日ずれることになるため、レンタカーも18日13時から19日13時までの利用に変更し、宿泊も大分ではなく折り返しとなる臼杵とした。そして残念だが、豊後竹田での九州アジアリーグ観戦は外した。まあ、札所めぐりに野球が加わるのがこのブログの特徴の一つだが、野球はまたどこかで観ることができるだろう・・・。

そして9月17日夜、台風14号は福岡県に上陸して四国南部から紀伊半島へと抜けていった。幸い大きな被害は出なかった模様で、18日は広島近辺はおおむね平常通りの運転となった。これなら早い時間に出てもよかったなと思うが、それは結果論。

広島8時26分発の「こだま837号」に乗車。時刻表では500系使用とあるが、やって来たのは700系のレールスター。まあ、前日は計画運休があったから車両の運用もいろいろ変更されたのだろう。車両形式は別にどれでもよく、ともかく無事に3日間出かけられることに感謝する・・・。

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「奥出雲おろち号」に乗る~帰途ものんびりと

2021年09月23日 | 旅行記F・中国

「奥出雲おろち号」は備後落合に到着。ここで20分ほどの折り返し時間となる。乗客も思い思いに駅構内を散策する。この日は残念ながら、名物の元国鉄機関士のボランティア男性の姿はなかった。

駅の外から国道に続く道には何台ものクルマが停まっている。「奥出雲おろち号」の撮影に来たのかな。今回は往復乗車できたが、もし備後落合~木次までの指定席しかとれなかったら、最悪備後落合駅前にクルマを停めて往復してもいいかなと考えていた。木次駅のようにはっきりとした駐車場があるわけではないが、駐車禁止の表示があるわけでもなし・・。

当初は進行方向後ろ向きの通路側だったが、当日朝に券売機で前向きの窓側に変更できた。ただ、備後落合からの乗車券を持っていなかったので、車掌から買い求める。

備後落合からの乗客だが、往路より減ったように見える。芸備線の三次、新見各方面への列車は2時間待ちだが、どうにかしてこの駅で過ごすのだろう。復路には乗らない人たちのお見送りを受けて発車する。

今度はDE15が牽引する形になる。それはいいのだがやはり往路とは違う。例えばトンネルに入ると、往路では前方から涼しい風がサーッと入り込んだのだが、今度は機関車からの排気、熱風も混じって来る。後に木次で降りたところで気づいたのだが、この排気のためか、つけていた白マスクが結構汚れていた。

そういえば、トロッコ車両が空いているのに備後落合から木次までずっと控え車両に座っていた人もいたように思う。ひょっとしたら木次行きはこうしたことがあるのを知っていたのかな。

それはさておき、まずは油木、三井野原と広島県区間を行く。並走する国道から手を振る人の数も増えたように思う。また、国道を急ぎ走るクルマも目につく。この先、同じクルマを何度も見る場面もある。「奥出雲おろち号」がのんびり走る一方、クルマで先回りして撮影し、また先のポイントまで行って撮影する人のようだ。

三井野原を過ぎ、「おろちループ」を見る。ここでも速度を落として景色を見せてくれる。

続いては出雲坂根の三段式スイッチバック。行き止まりのポイントでまた運転士が機関車から客車に乗り込んで、客車改造の運転台にやって来る。そして下って出雲坂根に到着する。

ここでは備後落合行きの鈍行とすれ違う。出雲坂根到着前、「備後落合行きご利用の方は車掌にお知らせください」の案内があった。すでに駅舎側のホームに1両の備後落合行きが停まっており、反対側のホームに「奥出雲おろち号」が入る。備後落合行きが先に出るので踏切が鳴るのだが、その前に折り返しの乗り換え客を通すものである。数人が出雲坂根で折り返していった。なるほどこれなら備後落合で2時間待つこともなく、到着後に芸備線に乗り継ぐことができる。

「奥出雲おろち号」は出雲坂根で18分停車。往路では5分停車と慌ただしかったが、今度はゆっくりできる。往路でペットボトルに「延命水」を汲んだが、ここでもう1回汲む。ちょうどドライブの途中で列車を見に来た人もいる。

静かに、のんびりと進む。最後部となった客車後方の展望スペースに行ったり、隣の控え車両のリクライニングシートに身を寄せたりと過ごす。地元の人たちも過ぎゆく列車に手を振ってくれる。また、撮り鉄の数も往路より増えているように思う。やはり機関車を先頭にして走るほうが絵になるのだろう。

八川、亀嵩では引き続き「そば弁当」の予約販売が行われ、往路ほどではないが買い求める客もいる。

14時55分、出雲三成着。ここで列車行き違いのため20分停車。出雲三成には駅舎に地域の物産コーナーがある。せっかくなので仁多米2キロと、亀嵩の生そばを購入。鉄道の旅で米持参て・・戦時中の旅ではあるまいし荷物になるだけ。また仁多米は近所のスーパーでも買えるのだが、せっかく本場に来たことだし、今回はクルマに積んで帰れるから・・。

もうしばらく客車の旅を楽しみ、15時57分、終点の木次に到着。宍道行きがすぐに接続しており、ほとんどの客が反対側ホームに乗り継いでいった。ここまで乗って来たのだからもう少し余韻を感じる時間があってもいいと思うが、ここの乗り継ぎだけ慌ただしい。まあ、出雲坂根や出雲三成で長時間停車するから列車の撮影はそこで十分でしょ、ということか。それよりも少しでも早く松江や出雲市に帰れたほうがいいということか。

かくいう私は木次で下車する。地元の人たちが駅の外で「奥出雲おろち号」をお出迎えである。しばらくすると備後落合側に向けて発車していった。また側線の車庫に入って一休みするのだろう。

時刻は16時、これから広島に向けて戻る。往路は高速利用で2時間半ほどだったが、復路は下道で行こうか。国道54号線をひた走ることにする。昨年、中国観音霊場めぐりで同じ雲南市にある禅定寺という札所を訪ねたが、その時以来である。順調に走り、3時間半ほどで広島に戻ることができた。

さて、これで「奥出雲おろち号」の往復全区間乗車がかなった(その前段にえらい手間をかけることになったが)。今季は11月まで運行されるが、これから秋を迎えると紅葉見物などで団体利用で賑わう日が増えるだろう。今回は乗りっぱなしだったが、地元スポットをめぐるミニツアーも企画されており(ただし、指定席は自分で確保する必要あり)、いろんな形で木次線を楽しむのも面白そうだ。また、クルマで訪ねて外から列車を追いかけるのも、鉄道の旅とは趣旨が異なるがそれもありだろう。「おろちループ」を久しぶりにクルマで通る日もあるだろう。

2023年度での運転終了ということは変わりないようだが・・・。

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「奥出雲おろち号」に乗る~木次線でのおもてなしを経て備後落合へ

2021年09月21日 | 旅行記F・中国

「奥出雲おろち号」は宍道で向きを変えて木次線に入る。私の席は宍道から進行方向逆向き。向かいの席は空席なのでしばらく移ってもいいのだろうが、そのまま座っている。

木次線に入ると速度も遅くなるが、窓の外から生い茂った葉っぱが飛び込んでくる。特に後ろを向いているので後頭部を不意打ちされることもある。体を横に向けてやり過ごす。

加茂中を出ると平野部に出て、稲穂の実る景色が広がる。この辺りから、沿線で「おろち号」を見送る人、また撮り鉄の姿も出てくる。サギも飛んで「おろち号」をお出迎え・・いや、これは単に音に驚いて飛んでいるだけだろうが。

10時06分、木次に到着。ここで果たして10数人のご年配の団体が乗ってくる。空だったボックス席はこの人たちの席だったようだ。それでも私の向かいの席は空席だし、隣の席の男性もお連れさんがいる向かいのボックス席に移ったまま。この先の駅で乗ってくる確率は低いのだろうが、とりあえずこのまま進む。

停車時間はわずかだが、ホームには販売のワゴンが出ている。予約の弁当や、木次牛乳などの販売で、乗客が車内から身を乗り出して、あるいはホームに出て先を争うように買い求める。空いている私の向かいの席から身を乗り出して購入する人もいる。私のお目当てはこの先にあり、いずれも前日に電話予約していたのでその時まで楽しみに待つことにする。

木次から先は一層ローカル線らしくなる。次の日登を出ると勾配に挑む区間に入り、列車ものんびりとした走りになる。トンネルに入ると心地よい冷風が車内に容赦なく入り込む。

駅の一角に「駅ナカ農園」が設けられている下久野に到着。もっともこの時は収穫も終わったのか、農園も草生したように見える。

下久野を出てしばらくすると、木次線で最長の下久野トンネルに入る。全長2241メートルあるが、直線で掘られているため、入口から出口まで見通すことができるという。先頭部からだと、トンネルに入ってもかすか向こうに出口を見ることができる。これは車掌のアナウンスで知ったことで、普通の列車ではこうした案内はなかったと思う。観光案内では、このトンネルの通過中に車内でイルミネーションが輝くとあったが、この日だけなのか、それとも取り止めとなったのか、天井の豆電球が光るだけだた。まあ、トロッコ型列車といえばそれらしい。

トンネルを抜けた後の出雲八代では、地元の人たちがホームに出て熱く手を振ってくれる。合わせて、クリーム大福を手にした係の人が乗り込み、車内販売が行われる。この列車、木次線の中でも木次以南のほうが駅ごとの歓迎やPRが盛んなように見えた。

次の出雲三成でクリーム大福の方が下車し、代わりに「仁多牛べんとう」を積み込んだ別の人が乗って来る。この「仁多牛べんとう」、私も前日に予約していた昼食の一品で、車端部で名前を告げて受け取る。仁多米コシヒカリの上に仁多牛を牛丼風にのせた一品。スイスイと胃袋に入ってくる。これなら「飲み鉄」といきたいところだが、この後帰りにマイカーで広島に戻らなければならないので自重。

列車がゆっくり走る間に「仁多牛べんとう」を平らげ、次の亀嵩に到着。松本清張の「砂の器」の舞台として、また駅舎がそば屋と一体化している駅として有名なところだ。もっとも、訪ねる人のほとんどはマイカーなのだが・・(私もその経験あり)。

ここは普段の列車でも事前に予約すれば「そば弁当」を受け取ることができるが、「奥出雲おろち号」だと注文も増えるという。ご主人も含めて店の人が3人ホームに出て、「○○様いらっしゃいますかー」と声を張る。その昔、窓の開く特急や急行に乗って、駅のホームで弁当の立ち売りから我先に買い求める・・そんな景色が山間の小駅で繰り広げられる。窓全開の「奥出雲おろち号」ならではである。

こちらの「そば弁当」をいただく。素朴な見た目のそばにつゆ、そして温玉をかけていただく。そばを弁当にするならこのスタイルが最善なのだろう。口直しに飴玉が1個入っているのはご愛嬌。

出雲横田に到着。ここでも地元の人たちの歓迎を受ける。予約・購入しなかったが「笹ずし」が売られていた。笹の葉でくるんだ押し寿司で、うなぎ、えび、舞茸、鮭、さば、たこの6種の具材を楽しめるという。これも酒のアテにちょっとつまむのにいいかと思う。また機会があれば買ってみよう。

出雲横田の次は八川。ここも駅前に人気の「八川そば」がある。ここにも「そば弁当」があり、先ほどの亀嵩ほどではないが受け取る客がいる。私もその一人・・・。こちらは舞茸の天ぷらや山菜などをのせた一品。亀嵩と八川、どちらも美味しくいただくことができた。

八川のそばをいただいている間にまた速度を落とし、出雲坂根に近づく。三段式スイッチバックで有名な駅で、これから上りに挑む。その前にわずか5分の停車だが、駅の外にある「延命水」をペットボトルに注ぐ。またその横には焼き鳥などを売る店が出ており、そちらを買う客もいる。この上に焼き鳥なんぞ食べると絶対に「飲み鉄」と行きたくなるが、仕方ない。時間はかかるが、出雲市までバスで行けばよかったかな・・という思いがよぎる。

「延命水」をいただいてスイッチバックの上りに入る。車両の前に人だかりができる。私も席を立って景色のよい方向に陣取る。出雲坂根駅で進行方向が変わり、折り返しとなる行き止まり線に到着。ここで再度向きを変えるが、運転士が機関車を降りて、客車の貫通扉を開けて車内に入り、そして先頭部にやって来る。移動するだけでも手間である。

そして三段式の三段目に入る。出雲坂根から次の三井野原までは、直線距離では1.5キロほどだが、高低差が約160メートルもある。10メートル進むごとに1メートル上がる計算で、登山ならともかく鉄道では厳しい勾配だ。それを克服するためのスイッチバックだが、鉄道としては名所となっている。もっとも、日常の通勤列車でいちいちこういうことをされては利用客もウンザリだろうが・・。

スイッチバックを上りきった後に広がる車窓は「おろちループ」。ループ線も勾配を克服する手段であるが、それなりの半径が必要なことから、鉄道では導入が限定されている。そこはクルマのほうが適しているようだ。この「おろちループ」が開通したことで並走する国道の利便性が高まり、木次線の存在意義も低くなったのだが、今は逆手にとって車窓の名物として紹介している。一方、「おろちループ」を上ったところにある道の駅では、「奥出雲おろち号」が通るのを見物できるのを売りにしている。ここはお互いにエールを送っていると言っていいだろう。「奥出雲おろち号」の運転が終了する2023年度終了以後はどうなるのかな・・。

三井野原に到着。ここで、木次から乗って来た団体を含めて下車する人も出る。終点の備後落合まで行くことにこだわりがなければ、車窓の見どころも過ぎたことだしここで下車するのもありだろう。団体用か、駅前にはマイクロバスも停まっている。今度は逆に「おろちループ」をたどり、その後はどこかで奥出雲の味を楽しむといったところか。

三井野原を過ぎると広島県に入る。山深い中、最後の走りを楽しみ12時36分、備後落合に到着。結局、向かいの席の客が座ることはなかった。隣の控え車両にいたのか、黙ってキャンセルしたのか。

「奥出雲おろち号」はおよそ20分後に折り返し木次行きとなる。広島県に戻ったのに再び島根県に行く形になるが、改めてこの列車の復路を楽しむことにしよう・・・。

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「奥出雲おろち号」に乗る~山陰線区間

2021年09月19日 | 旅行記F・中国

9月12日、国道54号線の「ホテル上代」をチェックアウトして、木次駅に向かう。この日、出雲市から延長運転される「奥出雲おろち号」に乗るためである。この後、朝10時に木次を通るのでここから乗ればいいことだが、まあそこは少しでも長く乗ろうということで・・・。

木次駅の駐車場にクルマを停め、券売機で出雲市までの乗車券を購入する。もう夏の「青春18きっぷ」の有効期間は終了しているが、そういう時季だから予約を取ることができたと言っていいだろう。

6時42分発の松江行きは、キハ120の2両編成で車掌も乗っている。いずれも首都圏色で、ボックス席も備えている。

また、6時45分には反対側の備後落合行きも発車する。出雲横田~備後落合間1日3往復のうちの1本である。こちらは山吹色の木次線カラー、ロングシートの2両編成。こちらには、カメラを手にしたその筋の人が一人、踏切を渡って乗りに行く。

こちら松江行きは、地元の人らしいのが数人乗車して発車。木次からは比較的集落が広がるところで、少しずつではあるが乗客もある。ちょうど稲刈りも終わり、田んぼの中で干している風景も見る。

かつて上賀茂神社の荘園があり、事代主神を祀る加茂神社がある加茂中を過ぎると山がちな区間。南宍道までは勾配が続く。

7時15分、宍道に到着。出雲市方面に乗り換えるために下車する。次は7時45分発の快速ということで、いったん改札の外に出る(この時持っていたのは短距離の乗車券で、本来なら途中下車できないのだが、改札の係員もいないので、ちょっと駅前に出る形で)。

待合室には、地元で産出される良質の来待石を加工したベンチや金魚鉢が置かれている。また、豪華列車「トワイライトエクスプレス瑞風」の歓迎メッセージが掲げられている。山陰コースでの停車駅で、乗客は宍道で専用バスに乗り換えて、奥出雲のたたら製鉄の遺構見学や神楽見物などの後、松江に向かうという。宍道湖も眺めることができるだろう。

やって来た快速だが、本来であれば益田まで運転されるところ、西出雲行きとしてやって来た。参院選は8月の豪雨で現在も江南~田儀間で運休が続いている。小田~田儀間で並走する国道9号線で地滑りが起きており、線路の安全が確保できないことから、道路と合わせての復旧を目指すという。

8時02分、出雲市に到着。すると、ホームの反対側にはすでに8時45分発の「奥出雲おろち号」が入線していた。昨日木次駅の車庫で見かけたが、どのタイミングで出雲市まで回送されてきたのだろうか。すでに多くの人が車両の前後ろからカメラを向けている。中には、機関車の細かな部品単位で記録に残すかのように、機関車にべったりくっついて撮影する人も(後で車掌が扉を開ける時、この人が機関車に引っ付いていたものだから開けられず、周りの人に注意されていた)。

出雲市から備後落合までの乗車券も買う必要があるので、いったん改札の外に出る。そして、試しにみどりの券売機で、帰りの備後落合~木次間の座席変更を操作してみる。帰りは進行方向逆向きの通路側という席で、せめて向きだけでも変えられないかと思ったのだが・・・出てきたのは、なんと進行方向前向きの窓側。当日にこうした空きが出るとはどこかキャンセルでも出たか。

行き帰りとも窓側の席で楽しめてラッキーということで、改めてホームに上がる。扉が開き、車内へ。まずはトロッコ車両の1号車に向かう。完全に取っ払われた窓、木製のシートが並ぶ。確かに、車両自体を見ると年季が入っているのがうかがえる。車端部は片側に運転台があり、それ以外はフリースペースとなっている。窓を開けることもできる。出雲市を出る時は最後尾だが、木次線に入ると進行方向が変わり、この運転台に運転士が乗り込んで木次線を上って行くことになる。

真ん中の2号車は窓付き、冷房付き。そして簡易リクライニングシートが並ぶ。1号車の座席番号と同じ番号の席に座ることができ、雨風が気になる時や、落ち着いて食事をする時の控え車である。元々はボックス席が並んでいたが、リクライニングシートを無理にはめ込んだものだから、座席と窓の位置が合っていないところもある。それでも、こちらはこちらでかつての客車急行の風情が楽しめそうだ。

そして先頭の機関車はDE15。元々は除雪作業用に製造された機関車で、前後に除雪機をつけて運転する。このDE15 2558は「奥出雲おろち号」専用となり、客車と合わせた塗装が施されている。ただ、「奥出雲おろち号」が2023年度で運行終了となると、この機関車もどうなるだろうか。

発車時刻が近づく。私のいる4人掛けボックス、向かいの2席には乗る人がいなかったが、隣には、通路を挟んだ席の人のと男性2人連れがやって来た。ただ、隣のボックスに他の人がいないようで、「誰か来るまでこちらにいます」とそちらに陣取った。他にも、相客をきらってかあえて控え車に移った人もいる。車掌は「本日この列車は満席です」とアナウンスしていたが、出雲市出発時点では空席も結構目立った。まあこの先、宍道や木次などで団体客なども乗ってくるのだろう。

8時45分、客車列車らしい警笛を鳴らし、のそりという感じで発車。宍道までは進行方向を向いた状態で走る。少しずつ加速すると、さっそく外からの風が吹き込む。最近、コロナ対策での換気として普通の列車でも窓を開けることがあるが、トロッコは最初から全開である。コロナなんか吹き飛ばしてしまえと言わんばかりだ。

山陰「本線」上ということで快走したかと思うと、次の直江では早速10分停車。ホーム上に出ての撮影タイムとなる。

宍道に到着。ここで進行方向が変わるため、その準備でしばらく停車する。木次までは日曜・祝日限定の延長運転のため、宍道で特に地元のおもてなしがあるわけでもない。

発車時刻となったが、松江方面からの接続列車が10分ほど遅れているとのことで発車をしばらく待つ。もっとも、跨線橋を渡って木次線乗り場にやって来たのは1~2名。まだまだ空席は残っている。

宍道からは客車に取り付けられた運転台を操作する珍しい形で出発。いよいよ「奥出雲おろち号」も本来の木次線に入る・・・。

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雲南、木次へと向かう(木次線に乗る前泊のために・・)

2021年09月17日 | 旅行記F・中国

9月11日、「奥出雲おろち号」に乗るために木次に前泊する・・・というわけで、14時半頃に自宅をマイカーで出発する。まずは山陽自動車道の五日市インターから乗車し、広島自動車道から中国自動車道に入る。

広島市でも安佐南区~安佐北区の山深いところを走るため、カーブも多いし勾配も厳しい。ただ、山陽自動車道と比べてトラックを含めた交通量が少ないので、まだ気楽に走行できる。

途中、補修工事のため高田~三次間で対面通行の区間があったが特に移動には支障なく、三次インターを通過する。カーナビでは三次市街を抜けて国道54号線を通るルートを案内しているが、三次東インターから松江自動車道を通ろうと思う。木次線に乗りに行くのに無料の高速道路を使うとは何だか妙な話ではあるが。

まあ、乗っているのが中古車で、カーナビには三次東~三刀屋木次までの区間がデータに登録されておらず、何もないところを矢印だけが動いていく。この地図、そして周りの景色を見ると、並走する国道や集落などは関係なく、最短距離で結ぼうと建設されたのがよくわかる。

たまたま、松江方面に向かうクルマはほとんどなく、対面通行区間も後続車を気にすることなく走ることができた。

休憩のため、高野インターでいったん下車。隣接する「道の駅たかの」に向かう。合併して庄原市の一部となったが、県最北の高野町にある。「庄原市(高野)」としてテレビの天気予報でも県北の天気、また冬は積雪量の情報で登場する。

店内では地元産の野菜や、比婆牛、イノシシ肉などが豊富である。ここ高野から東城にかけては、「古事記」のイザナミノミコトの伝説にちなんだ「比婆いざなみ街道」としてPRしている。ここで肉など買ってもいいのだが、この日は宿泊ということで断念して、高野産のしいたけや、同じ庄原市の東城町にある「吉岡香辛料研究所」というところの激辛唐辛子を使ったカレー、ラーメンなどを購入する。商品の外装を見るだけで汗が出てきそうだが、これは休日の前にいただくことにしよう。

また、「道の駅たかの」には本数は少ないながら、広島~出雲市間の高速バスも停車するし、三次、庄原への路線バスも通る。公共交通機関でのアクセスも可能だ。

中国地方最長の大万木(おおよろぎ)トンネルを抜けて島根県に入る。その後も順調に進み、17時前に三刀屋木次インターに到着。高速利用だと、広島から木次まで休憩込みで2時間半とは結構近い。これが鉄道にこだわって芸備線~木次線経由で行ったならば・・・。

インターを出て、いったん斐伊川を渡って木次駅に向かう。翌日、6時42分発の松江行きで宍道まで出て、乗り換えて出雲市まで行って「奥出雲おろち号」に起点から乗るつもりだが、クルマをどこに停めようかの下見である。幸い、駅前の一角に「木次線お客様駐車場」の札があり、無料で停められそうだ。数台分のスペースがあるので満車になることもないだろう。

ちょうど、駅に併設の車庫で「奥出雲おろち号」が休んでいる。この日もちょうど1時間前までは木次線内を走っていたところ。翌日は出雲市からの延長運転のため、どこかのタイミングで回送されるはずだ。

これで翌日も安心ということで、国道54号線まで出て宿泊先の「ホテル上代」にチェックイン。駅からは2キロほど離れているが、国道54号線沿い、そして三刀屋木次インター近くということでさまざまな店も並んでいる。少し行くと雲南市役所もあり、この一帯の中心といっていいだろう。

普通の洋室もあるが、予約したのは6畳の和室。ホテルというよりビジネス旅館といったほうがしっくり来る。ちょうど窓の外に国道54号線を見下ろすが、窓が二重なのは寒さ対策のためかな。

さて夕食だが、サイトを検索する中で出てきたのが、山陰を中心に店舗を展開する「炉端かば」。これまで中国観音霊場めぐりなどでも登場したが、ここ木次にも「雲南店」として存在する。別にこのチェーンの全店制覇を狙っているわけではないが、念のためカウンター席を予約しておいた。

場所は松江自動車道が国道54号線をオーバークロスするところで、ホテルからは歩いて5分ほどのところ、「コトリエット」という飲食店街にある。2019年に開業したばかりだという。もっとも、店名の前に「しゃぶしゃぶと海鮮」とあり、単なる居酒屋ではなくしゃぶしゃぶの店としてサービスしているようだ。この時もしゃぶしゃぶを食べる家族連れがメインで、カウンターで居酒屋メニューを注文するのは私だけだった。もともと家族連れをターゲットにしているのだろう。

居酒屋メニューもあるにはあるが、他の店のように「本日のおすすめ」が別の紙で用意されているわけではなく、メニューも絞っているようだ。それでも刺身の盛り合わせ、赤天、白いかの天ぷらといった海の一品をいただく。

飲み物で変わっていたのが、「シャリキン」。あのキンミヤ焼酎をシャーベット状に凍らせたもので、その季節の島根・鳥取県産の果物のサワーでいただく。この時は鳥取県産の梨で、果肉も入って新鮮な味わいを楽しむことができた。

今回は素泊まりにしたので、帰り際にコンビニで二次会用の何がしかと翌日の朝食を買い求め、ホテルに戻る。国道に沿って川が流れていて、そこから秋の虫たちの鳴き声が聞こえてくる。一足早い秋の気配を感じる。

こうしてわざわざ観光列車のために前泊したわけだが、木次線の沿線に泊まる機会もそうあるものではなく、プラスになったと思う。翌日も天気は問題なさそうで、楽しみな1日になりそうだ・・・。

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「奥出雲おろち号」に乗ろう

2021年09月16日 | 旅行記F・中国

中国山地のローカル線の一つである木次線。ご多分に漏れず赤字で苦しむ路線だが、利用促進を目的として1998年に運行を開始したのが「奥出雲おろち号」である。私も以前の広島在住時に乗車したことがある。

列車はディーゼル機関車と12系客車2両が連結され、客車のうち1両が窓のないトロッコ型車両に改造されている。もう1両は控車で、トロッコ型車両と同じ番号の座席が利用できる。

その「奥出雲おろち号」だが、2023年度をもって運行を終了することが発表された。使用している客車が製造から約50年経過し、老朽化が進んでいることが理由である。なお、後継となる列車を走らせるのかについては何も出ていない。山口線の「SLやまぐち号」のようにレトロ風の客車を新たに製造するやり方もあるのだろうが、果たして木次線のためにそこまでできるだろうか。

運行終了が発表されたこともあり、今のうちにもう一度乗ってみることにする。中国観音霊場めぐりやこのところのローカル線乗り鉄で、中国地方を行くいろいろな観光列車に乗車することができたが、「奥出雲おろち号」だけが飛んでいた。同じ広島県内の備後落合に来る列車だが、あくまで木次、出雲市側からの利用が前提である。備後落合から乗るにしてもそれに接続する列車はなく、また木次方面から備後落合まで乗ったとしても、乗り換え列車は例の「3方向の列車が落ち合う」まで2時間待ちである。まあ、2時間なら何とか待てるかな・・・。

ともかく全車指定席なので、あらかじめ確保しておかなければならない。それでe5489のサイトをにらめっこするのだが、上下列車とも連日満席である。e5489では、通常の発売開始である1ヶ月前よりも1週間早く事前予約を受け付けるのでエントリーしたこともあるが、それでも確保できなかった。すごい人気だなと思うが、「奥出雲おろち号」に乗車する旅行会社のツアーもあるようで、余計に取りにくいのかもしれない。2両編成といっても実質は1両分64名が定員である。

ただ、連日のようにサイトで検索するうち、9月12日の備後落合発、そして同じく出雲市発と空席が出て、無事に指定席を確保することができた。このうち出雲市発は木次線内進行方向逆側ながら窓側の席である。島根県は対象外だが、緊急事態宣言の対象地域拡大でツアーが中止されたとか、個人客もキャンセル、変更があったのかもしれない。往復確保したことで、とりあえず備後落合で数時間待ちということは避けられた。

さて、「奥出雲おろち号」の出雲市発(日曜日限定)は8時45分、そして帰りの木次着は15時57分(その後すぐに宍道行きに接続、宍道乗り換えで出雲市着は17時03分)である。乗り通すとなると出雲市で前泊ということになりそうだ。前日の11日は所用があるため広島の出発は午後からとなる。広島~出雲市の高速バスで往復するか・・なら、行きはいいが帰りがかなり遅くなる。

そこで目についたのが、高速バスではなくクルマで島根に向かい、途中の木次に宿泊するというもの。松江自動車道の三刀屋木次インター近くにホテルがあり、木次駅近くにクルマを置いて朝6時台に出発する列車に乗れば、「奥出雲おろち号」に出雲市から乗ることができる。帰りも木次からクルマに乗ればそれほど遅くならない時間に帰宅できそうだ。初めての町に宿泊する楽しみもある。

・・・そうまでして列車に乗りたいのか?という声が聞こえてきそうだが・・・。

さて乗車前日の9月11日、14時30分頃にマイカー(軽自動車)にて自宅を出発。まずは拠点となる木次を目指す・・・。

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芸備線の残り区間を行く

2021年09月15日 | 旅行記F・中国

14時43分、芸備線の備後落合を出発。こちらも先ほどの新見からの列車同様乗り継ぎ客で賑わっているが、ボックス席の進行後ろ向きの席がぽっかり空いていた。特に先客に難があるわけではなく、そちらに座らせていただく。

備後落合から西は西城川に沿って少しずつ景色が広がる。それでも、備後落合~三次間も1日5往復が走るだけだ(平日は、備後庄原~三次でもう2往復ある)。ここも国道に沿っており、車窓にも見覚えがある。

備後庄原に到着。ホームにはカープのユニフォームを着たいろんな「坊や」の人形が並ぶ。画像には写っていないが、外野フェンス際でのファインプレーをかたどった天谷、赤松両元選手の人形もある。

庄原市はカープの応援熱が高い土地柄で、公設応援団も結成されているという。こちらでは芸備線活性化のアイデアとして、カープのラッピング車両を走らせようと動いている。「芸備線にカープ号を走らせる会」というのがある。地元企業など協賛金を募るとともに、市内のショッピングセンターにはカープ名物?の「たる募金」を置いているとか。

ラッピング車両はよいが、うーん、これで芸備線の目玉になるのかなと思う。

庄原といえば、昨年、私が広島に転居して間もない頃だったが、臨時列車「庄原ライナー」(快速「みよしライナー」が延長運転)で備後庄原まで来て、その後は名物ガイドの案内で食事や参拝を楽しみ、備後落合駅、出雲坂根のスイッチバックと回るツアーに参加した。もっとも帰りは広島バスセンター直通の高速バスで、地元の人も普通にバスを使っていたが・・。このように片道だけでも芸備線を使った日帰りツアーは時々行われているようだが、こうしたところにラッピング車両があれば話題も増えるのかなと思う。

とはいうものの、芸備線の存続については、やはり地元の人がどれだけ利用するかにかかっているだろう。

庄原市を抜けて三次市に入り、16時03分、三次に到着。すぐに接続の16時09分発快速「みよしライナー」に乗り継ぐ。車両もワンマンのキハ120から車掌つきのキハ47に変わる。これまで混雑した中、ようやく各ボックス席やロングシートに分散して着席できた。

三次からはそれなりに利用客のいる区間ということもあり、保線もしっかりしている。先ほどまでの時速25キロゾーンが嘘のように、快速ということもあって気動車も爆走する。

広島市に入り、志和口に到着。行き違いのためしばらく停車とあってホームに降りる客も多い。

17時34分、広島に到着。この日も明るいうちに帰宅できる。

やはり青春18の時季だからか、ローカル線は賑わっているように見えた。年中そのくらいの乗車率であれば存続の話など出ないことで、普段は厳しい状況であろう。いずれ、普通運賃で同じ列車で乗り比べてみたいものだ。

そしてこの後、中国山地を行くあの観光列車に乗る機会が訪れた。運行終了が発表されたこともあって指定席が取れない、取れないと言っていた列車である・・・。

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芸備線の超閑散(混雑)区間を行く・・

2021年09月14日 | 旅行記F・中国

行列のできるローカル線めぐりの続き、姫新線の次は芸備線・新見~備後落合間である。13時02分発。備後落合まで行くのは1日3本のみで、他の2本は早朝の5時18分発の快速と、18時25分発の鈍行である。ただし、18時25分発の鈍行で備後落合に着いてもその先には進むことはできない(暗闇の中、かろうじて新見には戻れるが)。途中の東城からは広島行きの高速バスがあるのだが、この列車が着く時間にはすでに運行を終えている。

逆に、5時18分発の快速に乗ろうと思えば新見のホテルに泊まるのが必須である。駅近くにホテルが2件あるし、宿泊サイトの書き込みを見るとその列車に乗るために泊まった客のコメントも見かける。わざわざ前泊して訪ねたくなる路線といってもいい。

とはいうものの、新見から日中の時間帯で芸備線に乗るための旅をするなら、自ずと13時02分発に乗ることになる。行列ができるのも仕方がない。

早くから並んだ甲斐があってか?、進行後ろ側のドアから入り、うまい具合に進行方向向きのボックス席を確保することができた。一方、進行前側のドアからも乗客が次々入り、座席はあっという間に埋まり、立ち客も出る。

新見からまずは伯備線を行き、布原に停車。伯備線の駅だが、停まる列車は芸備線の気動車のみという変わった駅だ。もともと信号場として設置され、一時は「仮乗降場」の扱いだったが、JR発足時に駅に格上げされた歴史がある。そんな駅だが、芸備線の列車も含めて撮影しようという人が何人もいる。もし芸備線のこの区間が廃止になったら、布原駅はどうなるのかな。そのまま伯備線の駅として残すか、元の信号場に戻してしまうか・・。

備中神代で伯備線と分かれ、芸備線に入る。神代川に沿って集落が続き、ここでも中国自動車道が出てくる。同じ新見市の旧神郷町、旧哲西町のエリアだ。

芸備線の利用促進に向けて、JRと沿線自治体の会議も持たれているが、沿線の人口も少ない地域でもあることから、コミュニティバスの利便性向上といっても効果は限定的なものだろう。また、観光スポットになりそうなところもなかなか見当たらない。とりあえず通学生とローカル線目当ての人たちが利用客の主力といったところだろう。

県境のトンネルを過ぎて、広島県に入る。ここからは平成の大合併で1市6町が合わさり、西日本で最も面積が広い市となった庄原市である。芸備線の存続をもっとも懸念している、また影響を受ける市といっていいだろう。その中で東城に到着。新見から東城までは1日6往復のところ、ここからいよいよ3往復の区間に入る。

岡山県から広島県へはそれほど車窓の変化を感じなかったが、むしろ広島県に入ってから厳しい地形を行くように感じる。成羽川沿いの緑の景色はよいのだが、またも時速25キロゾーンが続く。芸備線の中でも運休になることが多い区間で、最近では2020年3月には線路上に流れ込んだ土砂に列車が乗り上げ、横転する事故も起こっている(もっとも、この列車は新見5時台発の快速で、当時の記事によると「乗客は乗っておらず」とあった。それも悲しい話だが・・)。

先日8月の大雨でも線路損傷で東城~備後落合が不通になり、しばらく代行バスが運転されていた。ひょっとしたら中国山地ローカル線めぐりを計画していた9月4日、5日まで長引いていたかもしれない。その代行バスだが、東城を出て備後八幡、内名に停まる便と、小奴可、道後山に停まる便の2つが運行されるとあった。地図を見ると、後者はまだ国道314号線に近いルートにあるが、前者は駅に行く道もかなり狭そうだ。まあ、そうした代行バスに乗るのも貴重な経験かと思ったが、その前に線路のほうが復旧してくれた。保線の方も大変だっただろう。

途中に、芸備線内の秘境駅として知られる内名がある。あえてここで下車する人もいる。1日3往復の区間ではあるが、この便は終点の備後落合からほどなく新見へと折り返す。内名の場合、1時間あまり滞在することができる。駅周辺の観察にはちょうどよい時間だろう。

道後山から次の備後落合へは、三角形の2辺を通るルートである。直線距離だと近いが、標高差が150メートルほどあり、これをクリアするのが難しく、迂回せざるを得なかったという。途中に中国地方一の高さ30メートルを持つ第一小鳥原(ひととばら)橋梁があり、谷間を見下ろすことができる。並走する国道からこの国道を見上げたことがあるが、立派なものである。この橋梁をなくすのももったいない話だ。

14時25分、備後落合に到着。ご存知の方もいらっしゃるとおり、この時間帯は芸備線の新見から14時25分、三次からはちょっと前の14時21分、そして木次線の宍道からは14時33分と、相次いで列車が「落ち合う」。1日でもっとも人が集まる時間である。

そして備後落合からは14時38分発の新見行き、14時41分発の宍道行き、そして14時43分発の三次行きとそれぞれ順次発車する。その間、わずか20分ほどだが、かつての陰陽連絡のジャンクションだった頃のかすかな名残を感じさせる一時である。

以前にも触れたが、備後落合では元国鉄の機関士がボランティアとして乗客へのガイドや駅の清掃などを行っている。この時も木次線の列車を待つ客にホームで備後落合駅の案内をしていたし、それぞれの列車が出る時も手を振って見送るのも名物である。私が乗った三次行きにも、宍道行きが出たばかりの木次線ホームから手を振ってくれた。

ここからは芸備線の後半戦・・・。

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ローカル線は行列して乗らなければならないようで・・・

2021年09月13日 | 旅行記F・中国

広島から新幹線~津山線~姫新線~(伯備線)~芸備線を回って広島に戻る循環ルートの乗り鉄旅。岡山からは8時07分発の津山行きに乗る。折り返しの列車は4両編成で来たが、岡山で2両を切り離して2両で出発。次の法界院で下車する客が多く、各ボックスに1人ほどの乗車率で北に進む。

市街地を抜けると、旭川に沿って田園風景が広がる。かつて岡山県の南北の交通は水運が主流で、高梁川、旭川、吉井川が中心だったが、岡山が旭川沿いなのに対して、県北の津山は吉井川沿いにある町である。この両市を結ぶために敷かれたのが津山線である。

金川に到着し、列車行き違いのためしばらく停車する。ここもまだ岡山市内である。

誕生寺に到着。この夏の青春18きっぷのポスターで登場した駅である。現在はホーム1本きりのローカル駅だが、レトロ調の木造駅舎が雰囲気を出している。この後到着した津山でもこの誕生寺寺が紹介されていた。

駅の近くには法然上人生誕の地に建つ誕生寺がある。中国観音霊場の特別霊場として参詣したこともある。現在回り始めている中国四十九薬師霊場も、終点の津山を含めて津山線沿線に3つの札所がある。それぞれ最寄り駅から結構離れており、津山線だけで参詣するかどうか思案中のところ。

9時42分、津山着。次に乗るのは10時07分発の姫新線新見行きである。ちょっと時間があるのでいったん改札口を出る。

出口に、津山まなびの鉄道館の臨時休業の案内が出ている。岡山県に緊急事態宣言が出ていることの影響で、期間は9月12日までとある(岡山県の緊急事態宣言は9月12日で解除され、9月13日からまん延防止等重点措置に移行したが、臨時休業はそのまま延長された)。

さて、改札内に戻って次に乗る姫新線のホームに上がる。するとどうだろう、列車が入る前だが乗車口には行列ができている。津山線で来た人もいるだろうし、その前に姫新線の姫路、佐用方面から来た人もいるのかな。来るのはキハ120の1両編成で、ボックスシートも限られた車両であることはわかっている。

列車がやって来て順番に乗り込むが、ボックス席は当然すぐに埋まる。何とかロングシートに席を見つける。中には最初から展望の利く前後の出入口付近に立つ人もいて、車内を見る限りでは満員である。まあ、夏の青春18きっぷの有効期間最後の週末だし、同じような考えでローカル線に乗ろうという客が多いのも確かである。

姫新線のこの区間も1日10往復あまり(途中の中国勝山止まりを含めて)と本数は多くない。ロングシートで景色は見にくいが、それでも少しは余裕があり、首を後ろに向けて何とか車窓を見ることができる。

沿線は完全に中国自動車道と並んでおり、クルマで高速を走っていても線路や駅を見ることができる。かつての姫新線には大阪と結ぶ急行も運転されていたが、今はそうした役割は中国自動車道を行く高速バスが担っており、細々とローカル輸送をこなしている。

美作落合に到着。先に記した中国観音霊場めぐりでこの地を訪ねたことがある。もっとも、その時に利用したのは大阪から三次に向かう高速バスで、バスが停まったのも美作落合駅ではなく、駅から1キロあまり離れたサンプラザというショッピングセンターの前だった。落合地区の中心部がそちらということもあるのだが・・。

その時は暑い中、木山神社~木山寺と山道を歩いて汗だくになった。次の中国四十九薬師霊場めぐりで訪ねるのはこの美作落合が最寄り駅となる勇山寺だが、これも駅から離れていて、さすがに他の札所と合わせてクルマで行く予定である。だから今日姫新線に乗っているわけで・・・。

真庭市の中心部にあたる久世に到着。列車行き違いで4分ほど停車とあって、車内から外に撮影に出る人もちょこちょこいる。津山から地元の人も乗っていたがここ久世、そして次の中国勝山でほとんど下車し、車内はその筋の人が占める割合がより高くなった。

中国勝山を過ぎると山がちな区間に入り、時折中国山地名物?の時速25キロゾーンも登場する。富原の先のトンネルを抜けると美作から備中に入る。

11時48分、新見に到着。さてこれから、芸備線の閑散区間である備中落合まで乗る。13時02分発だが、おそらくこの列車にも同じような客が集中するだろう。早めに座席を確保しなければ・・。

とはいうものの、この先の道のりも長いのでせめて駅前で昼食を仕入れるとしよう。ということでいったん駅前へ。駅内にはコンビニなど併設されておらず、駅前の道をまっすぐ行った突き当りにコンビニがあるので、そちらで調達する。

その途中でかかっているのがこの看板。菅義偉首相と地元選出の加藤勝信官房長官。この1年、まあいろいろなことがあったが、この2人が並んだポスターもこれで見納めだろう。ちょうど自民党総裁選挙と衆議院の総選挙の時期が重なったのも政局に影響したのだろうが、この総裁選挙が何か明るい方向に変わるきっかけとなるのか。

駅に戻る。まだ12時10分すぎだが、1番ホームの「東城方面ワンマン乗り場」の札の前には早くも立っている人がいる。私もそれに従って立つ。順番からすると今度はボックス席に座れそうだ。・・・というか、自分でも何を心配しているのかと思う。

新見には伯備線も通っていて、そちらから乗り換える客もいる。時間が経つにつれ、先ほどの津山よりも行列が延びてきた・・・。

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