まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

平野佳、横浜相手に完封!! 交流戦@神戸

2009年05月31日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

Dscn1423頼もしい「元エース」が帰ってきてくれた。オリックス・バファローズ、平野佳寿、背番号16。横浜ベイスターズ相手に、先週の巨人戦に続いての勝利を今度は完封で飾るという好投を見せ、先発陣がピリッとしない中で今後への大きな期待となりそうだ。

今季3戦目の観戦となる神戸。朝は雨が降っていたものの昼から天気が回復し、さわやかな風と日差しにつつまれたスカイマークスタジアムに現れる。この日は大学時代からのお付き合いのMさんとご一緒する。

Dscn1335この日は「ファンクラブデー」ということで、ファンクラブ会員であれば指定席(フィールドシート除く)・自由席が半額。私も普段1席4000円のライブシートを2000円で購入。絶好の観戦位置に行くことができた。フェンスが低いため障害となるものがなく、実に見やすい「ライブ」シートである。これが京セラドームなら高いフェンスがかえってストレスに感じるところだろうが・・・。

Dscn1309交流戦は今季初めての観戦で、普段お目にかかれないセ・リーグのチームとファンを観るのも楽しみ(私が普段セ・リーグの試合を見ないからなのだが)。行列にはこういう出で立ちの方々を見つけた。現在の田代監督代行、かつての「大洋ホエールズ」の主砲である。「大洋」というチーム名も懐かしいな・・・。

Dscn1331試合前には「応援への感謝の気持ちを込めて」ということで「選手からファンへの花束贈呈」というのもあったり、抽選で選ばれた子どもが球場DJを務めたり(ちゃんと、「いちばん、せんたーふぃーるだー、ともたかー・さかぐち」などと、英語にフリガナを振ったような読み方をしてましたぞ)、ファン参加のイベントもあり。

ライブシートということで試合前のボール投げ入れにも参加してみたが、惜しいのもあったが結局キャッチできず。なかなか、難しいわな。

Dscn1355試合はオリックス・平野佳、横浜が小林の先発。1回裏、四死球とラロッカの安打で1死満塁のチャンスを作り、ここで5番に入っている大村が内野安打を放ち、1点先制。しかし北川が併殺打でチャンスをつぶす。満塁で攻めて1点。立ち上がり不安定だった小林を攻略できず、ちょいと嫌な感じ。

Dscn1334一方の平野は、スタメン復帰(これでナマでは見納めになるかもしれない)の仁志に内野安打を許すなどの場面もあったが、ストレート、スライダーともにキレがよく、横浜打線になかなか的を絞らせない。中盤までの安打はすべて内野安打で、打球が外野に飛ぶシーンもほとんどない投球。Mさんと「どこまで行くんやろか」という話になる。

Dscn1362小林も初回のピンチをしのいでからは少しずつ安定感を出し始め、オリックス打線もなかなか打ち崩せない。4回に山崎浩がライト前にポトリと落とすタイムリーを放ち2対0とするも、今日は投手戦で早いペースで試合が進む。

Dscn1398私が観戦すると大体打撃戦か、最後までもつれる試合になることが多いのだが、「せっかくいい席に座っとるんやから、もう少し長いこと楽しませてくれや」というのはMさんの感想。私も同感です。

Dscn1380試合途中では最年長勝利投手の横浜・工藤も投球練習を始める。打線が追いつく、小林がKOされるということを想定しての動きだが、この投手もなかなか持ちこたえている。

Dscn1383追加点は6回。ラロッカがセンター前にポテンヒット。続く大村、初球にバントを試みるがファール。「バントなんて慣れないことはさせないほうが・・・」「ヒットを打つことしかできない選手なんやから」とこぼすと、ベンチもそう思ったかどうかはわからないが続くボールをバスター。高めのボール球を強引に引っ張ったのがライト線へ。ラロッカが懸命に走って3対0となる。本当、ヒットを打つことしかできない野手だが、現在のこのチームにあっては非常に重要なキーマンである(この日結局4安打2打点)。

こうなれば平野がどこまで持つか。味方の攻撃が2アウトになるとベンチ前に出てきてウォームアップするが、「よしもう1回」「このまま完投、いや完封」と期待が高まる。

Dscn1410ピンチらしいピンチは9回表。下園、内川に安打が出て、1死一・二塁で打者は4番・村田。一発出れば同点という、横浜としては絶好のチャンス。ここで打球は高々とレフトに上がり、一瞬ヒヤッとしたがレフト高波(途中出場)が悠々と追いついて2死。最後は佐伯を空振りの三振に切って取り、スタンドからは大きな拍手が起こった。

平野の完封は1年10ヶ月ぶりということだが、淡々としているように見えて結構厳しいボールもあり、観ていてうならせるものがあった。前日の金子、この日の平野、合併球団発足後1年目と2年目のドラフト1位が厳しい台所事情の中でいい働きを見せてくれている。

Dscn1424スカイマークは環境もいいし、観戦しやすい。また機会があればライブシートで観てみたい。神戸での観戦が何年ぶりかというMさんもご満悦のようであった。それにしても、なぜこの球場から撤退してしまう方向なのかと改めて思う。土日のデーゲーム限定でもいいから何とか神戸開催を存続してほしい。ファンの多くもそう思っているのではないだろうか。

Dscn1340・・・一方の横浜といえば、TBSの「朝ズバッ!」でも司会のみのもんたが入れ込んでいる球団。結局土日でのこのカードは連敗ということになる。ただ、前日は吉村が9回に満塁本塁打、この日は敗れたものの先発小林は結局8回を投げ切って3失点の好投という材料がある。

月曜の放送で、このおっちゃんがどのような「負け惜しみ」を言うか、スポーツコーナーが楽しみである・・・・。

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ようやくETC導入です

2009年05月30日 | ブログ

車載器が店頭から消える、補助金導入、そしてGWの大渋滞・・・。今年に入って何かと話題を呼ぶETC。

私も2ヶ月以上前に店頭予約していたのだが、そのこともすっかり忘れてしまいそうになった頃にようやく入荷の連絡があった。本日は出勤していたのだが夕方に立ち寄り、ようやくセットアップ→据付ということになった。

やれやれ、これでようやく「土日1000円」の仲間入りである。購入代金は定額給付金を充てる。何やかんや言って、麻生政権の口車に乗っております。

さて口車ではなく実際に乗る車のほうだが、関西を中心に中国、四国、東海、北陸くらいならカバーできそうだ。車でのアクセスが多い地方球場目がけて独立リーグ観戦旅行に出ることになるかな。

これから行動半径が広がりそうで、楽しみ。

20090530190702・・・それにしても、ETCというのはまだまだ不足なのだろうか。私が買い求めたこのカー用品店では「今後、年内にお渡しできるかわからない」として、新規予約を断っていた。日本の生産能力というのはその程度なのかと首をかしげたくなる。どうなんだろう。

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折尾の駅舎と若戸の渡し船

2009年05月27日 | 旅行記H・九州

昨日、一昨日とブログへの書き込みはお休み。その間は、ドラマ『妄想姉妹』のDVD4巻(11話)分を一気に通しで観るということに。

Mousou320480今年の1~3月に日本テレビの深夜ドラマとして放送していたものだが、ついぞ観ることがなくDVDということに。吉瀬美智子、紺野まひる、高橋真唯の3人の女優扮する3姉妹が、作家であった亡き父親が「順に読め」と残した11の文学作品について、自分たちと作品の女性の主人公を照らし合わせ、その「妄想」の世界に入っていくという短編ドラマ。

文学作品の世界で展開する「愛」というものについて、サスペンス的な話の展開の中、それぞれの「艶技」と、明治・大正・昭和(戦前)の情景をよく描写した映像美でしっかりと描かれており、私のような男性でも最後はホロッとくるものがあった。

3姉妹のうちなら吉瀬美智子さんがタイプやなと思いつつ、紺野まひるさんもいいかなという私の下種な「妄想」はさておき、よく、各話ごとの文学作品をつないで1本の連続ドラマに仕上げた脚本にうなるものであった。

・・・・さて、福岡旅行記ももう少しである。

5月5日の子どもの日、午前中は太宰府天満宮参拝と九州国立博物館を見学後、博多から鹿児島線の列車に乗る。次に降り立ったのは、筑豊線と交わる折尾駅。

Dscn0611上で書いた『妄想姉妹』に出てくるシーンは大正時代の考証ということになっているが、今、目の前にあるのはその大正時代に建てられた折尾の駅舎である。重要文化財にも登録されている門司港駅が有名であるが、この折尾も、交通の要衝として栄えた、いかにも「汽車の駅」という風情を残している。

Dscn0608ただ、これも時代の流れか、高架工事の着工のため、今年の秋を持って90年以上続いたこの駅舎も取り壊しになるというのである。今回の旅行の直前にそのニュースに触れ、もう一度この目で見ておこうというものである。

Dscn0603今や数少なくなった「汽車の駅」である。待合室では駅舎の往年の姿が展示されており、当時から変わらぬ姿で、多くの乗客を「行ってらっしゃい」と送り出し、また多くの乗客を「お帰り」と温かく迎えた様子がうかがえる。門司港駅は九州の玄関駅としてちょっと堂々としすぎているようにも見えるが、こちら折尾の駅は地元の風情によく溶け込んだタイプの建物に見える。

Dscn0609この折尾から乗るのは、筑豊線の若松行き。今では「若松線」というのが愛称とか。現在では数少なくなった国鉄型の気動車である。豪快なエンジン音と、窓を開け放って扇風機を回すというのが、この駅のホームによく合う。途中の運河を右に見て、20分足らずの気動車の旅である。

Dscn0622終着駅、若松に到着。ここから歩いて10分ほどで、赤い若戸大橋を見る。ここが対岸の戸畑とを結ぶ渡し船である。この渡し船も久しぶりで、これに立ち寄りたいがために若松まで気動車に乗るという行程を入れてみたのだ。

Dscn0627やってきた小ぶりな渡し船。完全に地元の足であり、身軽な格好で乗り込んでくる客もあれば、自転車を持ち込む高校生の姿も見る。

Dscn0635わずか3分の船旅とはいえ、見せ場はさまざまにある。こういう光景、かつて「大分麦焼酎 二階堂や「いいちこ」のCMで観た記憶があるような気がする。CMのカラーにあるような「郷愁を醸し出す」という舞台はなかなかないだけに、貴重な風景である。駆け足で通り過ぎるのがもったいない。

最後は赤い鉄の若戸大橋に見送られ、戸畑へ。港町、倉庫群の似合うところである。

これからは小倉に向かう。そろそろ、この旅も終わりに近い・・・・。

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きっかけになるか~関西独立リーグ・エキシビションゲーム

2009年05月24日 | プロ野球(独立リーグほか)

先週、「分配金問題」でにわかに注目を集めた関西独立リーグ。結果、運営会社「ステラ」が撤退し、参加球団が自前で運営事務局を設立していくことになった。本当にこれからどうやって運営していくのか改めて注目されるところである。

新型インフルエンザの影響で、24日までの試合は中止が決定している。今日は午前中にブログの記事を書き、後は家でのんびりと大相撲の中継でも見ようかと思っていた。

Dscn1153ところが、ふとネットの記事を読むと「24日、大阪と神戸が住之江でオープン戦」とあった。これは両球団からのメッセージのようなもので、何とか試合を観てもらいたいということなのだろう。本来は今日は同じ住之江で大阪対紀州の試合が行われる予定だったのだが、対戦カードが大阪対神戸になったのは、吉田えり投手を擁した人気球団だからということだろう。ちなみに入場料は無料で、選手たちによる募金活動を行うという。それならば、どのような試合をやるのかこれは行かなければならないだろう。

Dscn1135・・・というわけで、夕方17時に住之江球場に現れる。入口にはやたらとテレビ局のカメラが多く見える。例の騒動後、初めての「試合」だからだろう。うーん、毎試合とは言わなくても、あんたたちがもっといろんな面で注目してこのくらい取材に来てやれば、注目度も上がっていてこんなゴタゴタにはなってなかったのでは???と言いたくなる。

Dscn1176本日試合をやることを知らなかったのは私だけだったようで、スタンドにはこのリーグにしては大勢の観客が詰め掛けている。いつしか一塁側の応援団席は人が増えており、本当にみんな野球が好きなんだなと思う。

Dscn1216この日は三塁寄りのネット裏に陣取ったのだが、後ろでは「紀州魂」のハッピ姿の人が。本来なら今日の予定の紀州戦だったのだが、やってきたのは神戸9クルーズ。肝心の神戸応援団らしき姿が見られないのは???だったが、それでも彼らが「代理」で応援するという。おまけに、「かつて浪速の華であったあの緑色のチーム」の旗がゆらめいて・・・・。何やら不思議な空間に身を置いた心地である。

Dscn1154試合前に大阪の浦野球団代表からの挨拶があり、これから新たな体制で臨むことの決意と、今の力では足りないのでファンからのさらなる応援をいただきたいというお願いがあった。とりあえずこんな日に野球場に足を運ぼうという連中である、メッセージはしっかりと伝わったようだ。

Dscn1160始球式は地元の少年野球の女子選手に対し、打者として「指名」されたのは吉田えり。おそらく公式戦で打席に立つことはないだろうから、これもファンサービス。ただ近くの人などは「女の子の投手」とか「りえちゃん、りえちゃん」などと言っていたから、本当に名前を覚えてもらうのは登板をこなしてからになるだろう。

Dscn1166さて試合は、大阪が韓国プロ野球出身の崔、神戸が元千葉ロッテマリーンズの末永。1回、二死三塁から神戸の四番・若林がきれいにレフトへはじき返し、1点先制。おたまじゃくしでフライパンを叩いて音頭を取る「紀州魂」の応援団と南海ホークスの旗が(神戸のチームカラーのブルーは全く入っておらず)ひるがえる。

Dscn1196一方の大阪は、今度は「関西独立リーグ応援歌」というものをこしらえてきた「ピアニカ吹き」の応援団長がリードを取る。吉田えりの次に有名な関係者かもしれないな。こちらは小さな太鼓や鍋も鳴り物で活躍する。

これらの鳴り物応援に、両軍応援団からの「関西の野球独特の温かい声援」(つまり野次)の応酬が飛んでスタンドから笑いが起こる。まあ、今日は一種の「お祭り」である。「オモロいなあ」「昔の大阪球場もこんな感じやったんやで」という観客の会話も聞こえる。そう、関西の野球といってもパ・リーグ3球団のそれで、甲子園球場しか知らないファンにはわからないだろうな・・・(若い選手にとっても一種の「プロの洗礼」かもしれない)。

Dscn1195さて試合は、3回裏に大阪がエラーと四球、ダブルスチールでチャンスをつくり、2番・永峰の内野ゴロの間に1点取って同点、さらに3番・山門の大きな犠牲フライで2対1と逆転に成功。このリーグ、本塁打はなかなか出ないのだがその分足を絡めた攻撃が目立ち(牽制でのアウトもよく見るが)、こうした走塁も見せ場の一つである。

Dscn1211今日はエキシビションということもあってか、お祭り男の大阪・村上監督の采配で大阪の投手は1イニングごとに交代という見せどころ。一方の神戸も、結局登板はなかったものの吉田がブルペンで投球練習も披露。ファンやマスコミが移動したのと、一塁側から「おーい三塁側!野球を観んかい!」と野次が飛んだのでそれとわかる。

4回の表に神戸が金谷のタイムリー、その裏に大阪が林の三塁打と1点ずつを取り合って迎えた5回の裏。審判がバックネットの放送席に向かって「ピッチャー・中田、バッター・村上!」と告げる。すると、「ただいまから、大阪・村上監督対、神戸・中田監督の1打席のガチンコ対決をお送りします」とのアナウンス。これにはスタンドも拍手。

Dscn1234Dscn1232神戸の中田監督とは、阪神で先発・中継ぎに活躍した中田良弘。打席にはユニフォームの色こそ違うが「背番号5」の村上監督が登場。一塁側から近鉄時代の「飛~ば~す~パワーは誰にも負けない・・・」という応援歌が唄われる。

Dscn1237その対決、ファールで粘ったものの最後は空振り三振で中田「投手」の勝ち。三塁側からは「やった~やった~またやった、村上やった~またやった、近鉄電車で早よ帰れ!!」の「お約束の応援」。この勝負は試合進行とは別で、また仕切りなおしである。

Dscn12395回裏にはグラウンド整備に向かう選手とは別に、両チームの監督以下、それぞれ募金箱を持った選手たちがスタンドに上がる。半数以上の観客がそれに向かって選手への声援と小銭を送る。中には1万円を入れるという方もいてその男気に拍手が起こる。私ももちろん募金箱に入れたが小銭ではなあ・・・。

Dscn1248一方で「スポンサー募集」という切実な問題もある。チーム個別のスポンサーもそうだが、リーグ全体のオフィシャルスポンサーが絶対必要。ただ地盤沈下の進む関西経済とこの不景気である。よほど「スポンサーとしてのメリット」がないとなかなか難しいだろうな。個人の募金も、気持ちはありがたいがそれだけでは球団経営の改善にはつながらないだろうし・・・。

Dscn1255もう一つの見せ場は7回表。この回、神戸の三番・武田のタイムリーで3対3と同点となる。ランナーを一人残して、ここで投手交代。マウンドに向かったのは背番号48、石毛コーチ。そう、四球連発で記憶に残る元巨人・近鉄のストッパー、石毛である。今度はエキシビションではなく、試合中の登板である。そりゃ、両チームのファンから笑いが起こる。佐々木や高津といった、出てきただけで相手チームが萎える守護神とは対照的に、出てきただけで今でも笑いが起こる抑え投手というのも、そうはおらんぞ。

Dscn1257打者は先制打を放った四番・若林。その初球、若林が振りぬいた打球はレフト場外へ(この球場には外野スタンドがないので、ホームランはすべて場外になる)。これで5対3と神戸勝ち越し。公式戦で本チャンの選手なら「何やっとんねん」だが、お祭りで石毛となればこれはもう笑うしかない。石毛は次の打者にも四球を与え、現役時代の「雄姿」をファンにさらしたが、さすがに元NPB、続く2人の打者を三振とピッチャーゴロに打ち取り「やっぱり独立リーグの選手とは違う」ところを見せてくれた。

Dscn1263続く8回表には神戸のコーチ、元阪急・オリックスの村上眞一が代打で登場。三塁側からは「阪急、阪急、ブレーブス、お~お~われらのブレーブス」というコール。一塁側からは「阪急のメイン応援歌」が起こる。もう、在阪パ・リーグ球団の野球の虫たちがお盆で帰ってきたかのようである(村上は併殺打。今度は一塁側から「阪急電車で早よ帰れ!」の野次に送られる)。この後9回には、同じ神戸のコーチで元近鉄・ヤクルトの衣川幸夫が代打で登場し、タイムリーを放つ。

8回の交代時に、「本日の試合は、8時45分をもって試合終了といたします」とのアナウンスが入る。まるでテレビの野球中継のようだがもちろん生中継などあるわけなく、おそらく球場の使用時間との兼ね合いなのだろう。それが、投手交代が多かったり(特に大阪はファンサービスで、石毛コーチを含め10人が登板)、監督対決などがあったから伸びたのかな。

Dscn12809回に衣川コーチがタイムリーを放ち7対3となり、続く今井がヒットで出塁したところで20時45分。この時間を超えて新たなイニングに入らないというのではなく、時間きっかりで審判がコールドによるゲームセットを宣告。9回裏までは行かなかったが、健闘した両チームの監督、選手たちにスタンドからは惜しみない拍手と声援が送られた。私も大阪、神戸関係なしに今日は大拍手である。

Dscn1293試合終了後、両チームのファンが球場の出口での募金活動。今度は私も英世1枚をビンに入れる。本当、選手は必死そうな表情である。「とにかく野球をやりたいんです。よろしくお願いします」と。

今日は昔のパ・リーグの雰囲気を楽しんだ面もあるが、選手による募金ということを目の当たりにして、球団ができた時の広島カープというのも「たる募金」というのがあったが、こんな感じだったのかと思う。昔NHKの「プロジェクトX」で、カープの創成期に「たる募金」をやったカープの初代監督・石本秀一さんのことをやっていたのを思い出した。あの時は「わしらが何とか支えてやらにゃあいけん」というのが、広島市民の多くにあった。たる募金の金額よりも、その思いが球団存続の力になったという。

Dscn1297この日こうしてファンの熱心な応援や、募金にも協力する姿を見たが、残念だが関西全体の声としては少数派だろう。リーグ運営にはまだまだ多くの問題があるが、今日のような面白い趣向が何かのきっかけになってくれればと思う。それにはそう、試合途中で帰ったマスコミも、単に「吉田えりのいる神戸の試合がありました」とだけ伝えるのではなく、球団経営や地域活性化と独立リーグのあり方について何か掘り下げるものをやってほしい。あとは、在阪パ・リーグの雰囲気を知らない世代の客も新たに開拓しなければ。地元少年野球チームとの交流ももっと必要だろう。ファンとしては、なるべく多くの試合を観ることかな。

こうした、球団が手作りで出来上がっていく過程を見るのも面白いと思うのだが。

Dscn1156そろそろ関西のインフルエンザ騒動も一段落して、また公式戦も復活する。初代優勝を目指して、4チームのがんばりに期待したいものである。

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太宰府天満宮参拝と九州国立博物館にうなる

2009年05月24日 | 旅行記H・九州

福岡旅行記も明けて5月5日。前日の雨とは一転したさわやかな晴天である。

Dscn0562この日は朝から西鉄福岡駅を出る西鉄電車の人となっていた。目指すのは太宰府である。二日市から乗り換えたのは、かつて西鉄のエースとして活躍した稲尾・・・もとい2000系という車両である。昭和48年製造というこの車両、現在もローカル輸送でがんばっており、福岡の私鉄など滅多に乗ることもないので、クロスシートの座り心地を楽しむ。

まだ朝早く、門前の土産物屋もようやく店を開けたところであるが、すでに大勢の参拝客が天満宮に向かって歩き出す。やはり寺社参りというのは気分的にもすがすがしい朝の行事だな、と思う。

Dscn0565太宰府天満宮に参拝したのはこれが3回目。初めて参拝したのは高校1年生の正月で、これから迎える受験のための学力向上祈願という名目で初詣に出かけたのだ。それが私の九州初上陸。その時はほとんどが鉄道乗りつぶしの旅で、太宰府にも終夜運転のJRを利用して宿代を浮かせたのだが、日本有数の参拝客が詰め掛ける天満宮とあって人の多さに圧倒され、最後は賽銭も「投げ銭」になったと記憶している。2回目が大学時代に、高校時代の友人との旅行で参拝している。・・・となると、これも10数年ぶりということになるのか。社会人になって九州を訪れた際も、ここは素通りになっていたということである。

Dscn0568毎年の初詣は実家近くの天満宮に訪れているのだが、菅原道真公が没した地ということもあり、久しぶりに「本場」に挨拶にでも訪れたかのような懐かしい感じである。社会人とはいえ、これから目指す資格試験等もあり、やはり学力向上は永遠のテーマである。そこのところをよーくお願いする。私も努力しますんで、応援したってください・・・・。

Dscn0589さて、これから訪れるのは「九州国立博物館」である。かねてから一度見学してみたかった博物館である。事前に詳しい場所の下調べと行っておらず、どこかの駅からバスか何かに乗っていくのかと思いきや、これが天満宮の境内に隣接しているという。案内に従ってエスカレーターと動く歩道を乗り継ぐと、あのガラス貼りの独特な形状の建物が山の中に突如現れる。

Dscn0587九州国立博物館。東京・京都・奈良に続く4番目の国立博物館である。東京が古代から近世に至る日本文化の総論的な展示、京都・奈良はそれぞれの都で栄えた日本の伝統美術に関する美術館という感じなのに対し、ここ九州は「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」という視点での展示という。日本の文化というのは大陸の影響を多分に受けており、その窓口となったのは九州である。その九州の政庁が置かれていた太宰府に博物館を建設したのも、「アジアの中の日本」を意識させるうえでよい着眼点である。これらのことから、いつの日か見学してみたかったのである。

Dscn0576エントランスは吹き抜けの明るい感じがするところで、東京や奈良の国立博物館の重厚さとはまた違い、大陸の風を感じさせる。ここでまずは3階の特別展示室に向かう。この時行われていたのが「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」というもの。チベット仏教に関する数々の仏像、仏画の展示である。

インドで発生した仏教とはいっても、インドではもはやヒンズー教が中心であるし、日本、東南アジア、中国、チベットではその様相が異なっている。その中でチベット仏教というのはインド密教の影響を今でも強く残していると言われ、チベット仏教をたどることで仏教の原点にたどり着くことができるそうなのである。

中国の国宝にあたる「国家一級文物」の仏像や仏画が、チベットの時代ごとに区切られた各コーナーで多くの見学客を出迎えてくれる。日本の仏像とは顔の造りとかスタイルが異なっており、やはり現在のインド人あたりに似ているなと思わせる。

O0226032010183535720その中で日本の仏像では見ることがないのは、「男女が一体となった立像」というのがある。カーラチャクラ像というのがあり、4つの顔、24の腕を持つ二体の仏像(これが父母を現している)が抱き合っているという像。方便(慈悲)の象徴である父神と、空(般若)の象徴である母神が一体化することで、無限の悟りの境地を表現しているというが・・・。それにしても、熱い抱擁です。それにも増して、パンフレットでは表現されていないのだが、下のほうでも一体化しております。性器こそは描かれていませんが・・・・。いいんですかね?いいんです!ってなもんである。もっとも、普段安置されているチベットの寺院では下のほうは布で覆われているとか。やはり「密教」ですな。

こういう情熱的な表情を見るに、どちらが良い悪いというのではないが、日本の仏像がどうしてもおとなしく見えてしまう。まあそれはそれぞれの風土の土着信仰と混ざり合った面があるのだろうが、同じ宗教でもこうも違うのかとうなるばかりである。キリスト教やイスラム教でもここまでの違いはなかなかないのではないだろうか。

Dscn0577アジア異文化としてのチベットの展示を楽しんだ後、4階の通常展示室である「文化交流展示室」に向かう。古代の旧石器時代~古墳時代までに至る時期の展示は石器、土器、青銅器など、まあこれらはどこの歴史博物館に行っても必ず展示されているものなのでおさらい程度に流すとして、充実しているのが「太宰府」が活躍していた奈良~平安時代、そして大陸との往来の窓口となった鎌倉~室町時代のあたりである。その中で強調されているのが「アジアとの交流」「アジアの中の日本」である。

ユニークだったのが、遣唐使が持って行ったもの、そして持ち帰ったものの復元物を紹介していること。そのうちのいくつかは実際に手に触ることもできる。布帛や生糸、香木などである。同じように展示してあった衣服もそうかと思い手に触れたら、「それは違います」と注意された。

この後は、長崎を窓口として海外との交流が行われた江戸時代の文物を紹介して、展示は終了となった。

Dscn05851階のコンコースには、アジアやヨーロッパの国々の音楽、玩具などに触れながら異文化に親しみを持てるという「あじっぱ」というのがあり、子どもたちの遊び場になっている。国立博物館と聞くと敷居が高いようなイメージがあるが、ここ九州は建物の斬新さとも合わせてユニークな立ち位置にあると思う。歴史の時間というとどうしても東京・京都・奈良的な歴史観ということになるのだが、大陸との交流の窓口となった九州(特に福岡)、あるいは環日本海交流圏を形成する北陸などの視点からの歴史に接するのも意義のあることである。そのことをもう少しアピールしてもよいのではないかと思う。

Dscn0590博物館の開館に合わせて入館したのだが、出たときはすでに昼となっていた。駅前の「暖暮」というラーメン屋で昼食とし、太宰府を後にする。次に機会があれば柳川や大牟田といった筑後エリアも訪ねてみたいなと思いつつ、再び西鉄電車で天神に戻る。九州にいるのはこの日の夕方まで、今度は鹿児島線で再び東へ向かう・・・・。

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福岡・博多の夜

2009年05月23日 | 旅行記H・九州

5月4日の福岡は雨。「どんたくって必ず一日は傘を差して見物するんですよね」と地元テレビのキャスターが言っていたとおりである。

九州に来る前、4日の宿泊は博多駅前のホテルを取ったのだが、夜は佐賀県は鳥栖に行こうという計画だった。プロ野球四国・九州アイランドリーグの福岡レッドワーブラーズ対香川オリーブガイナーズのナイターが行われるということで、久しく観戦していない同リーグをのぞきに行こうと思っていたがこの雨である。もちろん試合は早々に中止が決まった。

・・・ということで、「仕方なく」福岡・博多の夜を楽しむことにする(→本当はそっちを望んでいたのではないのか・・・)。

Dscn0496夜は何にしようかということだが、名物のもつ鍋をいただこう。地下鉄に乗り天神へ。駅をあがったところの路地をちょっと入ったところにある「楽天地」に向かう。もつ鍋をメジャーな存在にしたという店で、昔一度入ったことがある。どんたく期間中ということで店を早めに開けておりすでに賑わっている。

Dscn0490ここの特徴は、てんこ盛りになったニラとキャベツ。最初は「こんなに食べられるのか」と思うのだが・・・。

Dscn0492時間が経つに連れてスープの中に溶け込んでいき、なかなかいい感じになる。スープもさっぱりする中にもコクがあり、おいしくいただける。女性客もぺろりと平らげて〆のチャンポンまで行ってしまうのもうなづける。生ビールも普通の店の大ジョッキサイズで、鍋とともにいい感じで体に入る。いや~ごっつぁんです。

Dscn0497会計を済ませる時に「お口直し」でガムをくれたが、これが「本場」ロッテのチューンガム。さすが福岡というべきか。それとも、韓国の人がやっているのかな(あちらには、そういう料理があるのだろうか)。

Dscn0498日が長くなる時期、特に西の福岡ではまだまだ明るい。周辺のいたるところにステージが設けられ、いろいろな演奏やら踊りやら行われている。福岡・博多の芸能である「にわか」を披露するステージもある。「博多どんたく」はGW期間中もっとも多くの人出を集めるというイベントだが、正直「何がメインか」というのがある。観光客の中には「だんじりを引くやつでしょ?」と勘違いされている方もいらっしゃるのでは(それは祇園山笠です)。まあ、何がメインというよりは、街中の至るところで唄ったり踊ったり、街全体で賑やかにやろうよというのがどんたくである。ぶらぶらしながらあちこちのぞいてみる。・・・ということは、「どんたくを見物に行く!」という人だけでなく、街に遊びに来た人もいつしか「見物客」にカウントされるということで・・・。そりゃ、人出全国一にもなるわな。

Dscn0514パレードの舞台となった道路には「花自動車」が練り歩いたりもする。

Dscn0530夜の部は盆踊りの会場となった。浴衣姿の踊り手だけではなく、一般の見物客もしゃもじをたたいて踊りの輪に加わる。音源は一つで、それをあちこちの会場で踊っているというところだ。こうして、福岡・博多の一日は暮れようとしていた。

Dscn0544

Dscn0548いつしか足は福岡から中洲に向かい、博多に入る。ちょうどここは屋台群である。屋台にも行列ができている。でも、屋台って「並ぶ」ものなのかな・・・。こういう姿を見ると、まるで戦争中の食糧配給のイメージが重なり、あまり気分のよいものではない。

Dscn0546少し離れたところで串焼きやラーメンを扱っている屋台をみつけ、そこに入る。ちょうどラジオがかかっており、流れていたのは神戸でのオリックス・バファローズ対福岡ソフトバンクホークス戦。ラジオは当然ホークスびいきの中継だが、久しぶりにラジオでの野球中継の雰囲気を楽しみつつ、ビール、串焼き、仕上げにラーメンと、こちらは福岡と博多での「ダブルヘッダー」を味わう。(さすがに中継は最後まで聴かなかったのだが、この試合は大村敬遠・下山が涙の逆転ホームランでオリックスがホークスを降した。まさか翌々日から9連敗に突入するとは、この時は全く予想していなかったのだが・・・)

Dscn0549最後はキャナルシティの中の賑わいを経由し、ホテルに戻る。本当に、プロ野球の雨天中止がよいほうに転んだという一夜であった。翌日は再び晴天の予報でもあるし、もう一日、福岡県を満喫することにする・・・・。

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源じいの森と田川伊田

2009年05月21日 | 旅行記H・九州

もう一度福岡旅行のほうに話を戻す。

4日の朝、行橋から平成筑豊鉄道の田川線の列車に乗り、沿線の駅のネーミングライツのことを書いた。ローカルな第三セクター鉄道にあってここまで来れば「なりふり構わず」という感じだが、こういう取り組みも画期的なものだろう。どこぞのプロ野球独立リーグも、ありもしない運営事務局からの分配金を頼りにしていて各球団が営業拡大を怠ってたとしたならば、それも球団の努力不足と糾弾されても仕方ないところだろう。

Dscn0429さて、途中下車した「源じいの森」。駅前にそのまんま「源じいの森」というスポットがある。「源じい」というのは「ゲンジボタル」から来たものであり、このあたり、シーズンには野生の蛍の鑑賞ができるという。それだけ自然豊かなところであることをPRしている。キャンプもできる宿泊施設、体験施設を備えたところである。GWはここでのんびりということか、キャンプ場ではちょうど朝食を終えて川辺でくつろいでいる家族連れの姿を見かける。

まだ雨は降っていないもののどんよりした天候の中、森の中を風が通りすぎていく。世間の喧騒というのとはかけ離れた居心地のいい空間である。

Dscn0426ここは線路にも近く、昔の貨車(車掌車)が展示されていたり、先にくぐってきた石坂トンネルを間近にみることができる。本当、山間のローカル線的風情を味わえる。ちょうどやってきた次の列車が走る光景など、鉄道模型のレイアウトを間近に見ているようだ。

Dscn0428時間もあることなので、駅から裏手に回るところに「源じいの森温泉」というのがあるので、入浴することにする。キャンプをしていたと思われる子ども連れも多く、賑やかである。温泉としては単純アルカリ温泉ということだが、ヒノキ風呂の内風呂、石造りの露天風呂など、森の中の温泉風情を楽しむ。やはり気持ちがいいものだ。

Dscn0412さて、朝からさっぱりとしたところで、再び平成筑豊鉄道の旅となる。源じいの森駅にも掲示があったのだが、この4月から導入された、ネーミングライツを持つ駅の一覧が載っていた。筑豊や福岡の企業が多いのだが、中には先ほどの「れいめい拳.com」のような、どこに活動拠点があるのかなと思わせるところもある。果たして宣伝になるんだろうか。

このあたりから筑豊の平野が開けてくる。それはちょうどかつての炭鉱が多数存在した一角になる。右手から日田彦山線の線路が合流し、中心部である田川伊田駅に到着。ここで再び途中下車とする。

Dscn0442お目当ては、駅の裏手に広がる石炭記念公園。かつて三井鉱山の鉱業所があったのが、閉山後、地域の公園やら諸施設が集まるエリアになったという。ただその中にあって立派にそびえ立つのが、竪坑の巻揚機の櫓に、二本の煙突。「月が出た出た月が出た~」の炭坑節発祥の地という田川、町のシンボル的存在である。

Dscn0449その一角に堂々と建つのが、田川市石炭・歴史博物館。何年かぶりの訪問である。ここでは石炭の成り立ちや採掘の様子をさまざまな形で展示しており、学習することができる。

Dscn0450中でも充実しているのが屋外の展示場。まずは採掘や運搬に使用された大型機械などを目にする。先ほどの竪坑櫓や大煙突を含めれば、実際の作業風景が目の前に広がるかのようである。

Dscn0453次は、時代ごとにリアルに復元された炭鉱住宅。こうしてみると本当の長屋のような雰囲気である。背景に竪坑櫓や煙突を持ってくれば一気に時代が遡るようである。ここでは炭鉱労働者の生活ぶりや、労働争議に関することも紹介されている。風情としてはおすすめ。

屋内の展示室に戻る。さらには、労働者の生活を描いた絵画や文学作品も数多く見ることができ、ここでもまた思い図録を購入する。炭鉱での労働経験もある故・山本作兵衛氏の「炭鉱記録画」というもので、何よりも当時の労働者の生活実感がにじみ出ている。ここまで数多く描かれたものは見たことがなく、展示されたものをじっくりと眺めることになる。さすがにここで、メドにしていた列車を一本遅らせることになったが、それだけの価値は十分にあるとこである。

Dscn0464展示場の外に、「世界遺産」という横断幕があった。もちろんここが世界遺産というわけではなく、これから目指そうというものである。石見銀山が世界遺産に登録されたからか、同様の鉱山でも世界遺産をという声を聞くことがある。個人的には世界遺産の乱発というのはあまり好まないのだが、世界の目をこちらに向かせるならば、まずは日本国内での知名度向上である。どちらかといえば古代・中世・近代までのウエイトが高い日本の歴史教育の中で、鉱山を中心とした近代化遺産について、もっと触れてもよいのではないだろうか。日本の近代産業を支えたというだけではなく、現在につながる日本的経営というものも鉱山の仕組みを通して産まれてきたものといえるし・・・。

Dscn0471平成筑豊鉄道と日田彦山線の乗換駅である田川伊田駅に戻る。今でこそ両者別の会社で、改札口も二つに分かれているが、かつては炭鉱を支えた同じ国鉄の路線同士である。炭鉱閉山後、その多くは乗客数の減少で廃線となったが、そんな中を残ってきた田川伊田駅。建物やホームが昔からの堂々とした造りで、多くの側線跡も残るのは古きよき鉄道の時代を今に伝える貴重な遺産である。もっともここが現在では「Mr.MAX田川伊田」というネーミングに変わっているのは、時代の流れ。

Dscn0478ここからは平成筑豊鉄道の伊田線。かつての石炭輸送が盛んだった頃の名残で、現在も複線である。電化されていないのに複線の区間が続くというのは珍しい。「HEICHIKU」と、マスコットキャラクターとローマ字のロゴを大胆にあしらった車両で走り抜ける。

Dscn0481ここでも、「大阪サン・ニュース中泉」などのネーミングの駅名に出会う(それはそうと、筑豊にいながらなぜ「大阪」なんだろうかという疑問はあるわな・・・)。

Dscn0483終点の直方着。雨は本降りとなってきた。こちらも筑豊を代表する駅で、駅舎は明治時代から続くものという。直方といえば、こちらも昔ながら続くいかにも「力士」という感じの大関・魁皇の出身地。この駅舎を見ていると、昔ながらの風情の大関をイメージすることができる。いつまでも、その姿をとどめてほしいものである。

Dscn0485タイミングが合えば直方から飯塚・桂川まで出て、筑豊線の本数の少ない末端区間・通称原田線に乗ろうかと思ったが、先ほど石炭の博物館で列車を遅らせたためにタッチの差で間に合わず、結局篠栗線経由で博多に向かう。まだ時間は16時にもなっていないが、4日の行程はここまでで、駅前のルートインホテルにチェックイン。久しぶりの福岡市内宿泊である・・・・。

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関西独立リーグ、やはり経営は失敗

2009年05月20日 | プロ野球(独立リーグほか)

思っていたよりも早く経営問題が表面化しましたな。

プロ野球の関西独立リーグ、運営資金として参加4球団に分配される予定の3000万円が、当初は3月末に運営事務局から支払われる予定だったものが、5月中旬になっても「未払い」であったことが判明したという。

このため、3000万円をアテにしていた各球団で、選手への給料も払えない球団が出るなど、リーグ開幕2ヶ月足らずにして経営問題が表面化した。

うーん、やはりね・・・・。

昨年のリーグ構想発表時から、今年実際に観戦する中で、「このリーグは”興行”として失敗するだろう」と予想していたのだが、地元関西ですらマスコミの露出が吉田えり投手のことくらいしかないという注目度では、案の定といったところか。

Dscn0711もちろん、各チームには熱心なファンがいるし、特に大阪ゴールドビリケーンズでピアニカ片手に孤軍奮闘の応援を送る応援団の青年には感心するのだが、観客動員が四国・九州、北陸・上信越の試合をも下回る状況ではね。

こういうことで、来年から大阪エクスポセブンティーズだの、三重スリーアローズだの新球団が加入しても、きちんとした運営がなされるかどうか疑わしい。今年はともかく、来年は無事に開幕を迎えることができるのだろうか。

・・・・コミュニティサイトを見ると、運営を心配する声、こういう状況だからこそ熱心に応援するという声も聞くのだが、世間全体から見れば小さな声でしかないのがさびしいところだ。

気がかりなのは、こうした報道に対して、リーグ関係者から何の説明・釈明、あるいは否定のコメントというものが一切ないことだ。

果たして、リーグの運営事務局は機能しているのかな??まさか夜逃げ・・・なんてことはないよな。ファンの声ではなく、こういうところからリーグ運営の理念とか、球場に足を運んで状況を観察しようという動きが全く見えないのが気になる。いつも比較するようで悪いのだが、北陸・上信越のBCリーグの村山代表はリーグのサイト内に自身のブログを持って自分の思いを発信しているし、またどのチームといわずあちこちの球場で姿を見かけている。また、四国・九州だってスポンサー集めや観客動員であの手この手を使っている様子がうかがえる。しかるに関西だけ・・・・完全に目測を誤っているように思う。

Dscn0725日夜練習に励み、ファンサービスに努める選手や監督・コーチ、裏方スタッフのがんばりがあるのだから、もう一度やり直してほしい。そして関西の野球ファンたちが一人でも1回でも多く球場に足を運ぶよう、PRしてほしいものである。

負けるな、関西!

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平成筑豊鉄道のネーミングライツ(旅行記最下位もとい再開です)

2009年05月19日 | 旅行記H・九州

新型インフルエンザ騒ぎで揺れる日本国内。昨日は東京へ講習出席のはずが「マスクと消毒液の買出し」という特命係長出張(?)に出かけていた私。今朝、仕入れた消毒液を提出し、早速事務所に2ヶ所ある入口に置いた。

事務所のほうも手をこまねいていたわけではなく、昨日のうちに、本社から人数割りで全国の支店に配布されたマスクについて、まだ感染者が確認されていない地方の支店にお願いして一部を融通してもらったり、取引業者に依頼して業務用のマスクや消毒液の入手を進めたりしていた。当面は何とかしのげそうで、「しばらくすれば収束に向かうと思われる。しかし、インフルエンザがそれ以上長期的に問題になるようであれば、国や自治体のほうがもっと本腰を入れた対策に乗り出すだろうから、そのときの判断に委ねよう」というのが勤め先の方針ということになった。やれやれ。

・・・・このところブログの記事が野球のほうに飛んでいたが、久しぶりにGWの福岡旅行の続きを書こうと思う。時計の針は、ちょうど半月前の5月4日に戻る。

Dscn0389前日の3日は終日関門地区をぐるぐると回り、充実した一日を過ごすことができた。翌日4日は雨の予報。いつ降り出してもおかしくない天気である。特にこの4日は「雨になってほしくない」という思いがあったのだが、なかなかそううまくいかないものだ。朝、福岡ローカルの番組を観ていたのだが、司会のアナウンサーが「どんたくって、毎年どちらかは傘を差して見物してるような気がしますね」と言っていた。そう、5月3日と4日は、GWの間、日本でもっとも多くの見物客を集めるという博多どんたくが行われる日である。この2日間のうち、いずれか一日は雨が降ることが多いというわけだ。しかし、何かで読んだことがあるのだが、このGWの時期は春と夏の境目で天候が崩れることが多いと言われている。

門司港駅から列車に乗り、小倉で日豊線の列車に乗り換える。この4日は、宿泊は博多の駅前なのだが、鹿児島線でまっすぐ博多どんたくに直行ということはせず、ここは福岡の東部、京都地方にまずは向かう。日豊線に乗ること30分で行橋駅に到着。

Dscn0395ここから、第三セクターの平成筑豊鉄道に乗車。かつて筑豊を網の目のように走っていた炭鉱路線の名残である。そしてこの鉄道、列車の本数を増やし、駅を新設し、その他、地元の人に親しまれるような駅づくりを行うなど、経営にいろんな工夫を凝らして、赤字に苦しむ第三セクター路線が多い中で健闘を見せているという路線である。行橋から田川伊田までの旧田川線には乗車したことがなかったので、今回の行程に組み入れたのだ。

Dscn03961両の気動車の年配の運転手から、平成筑豊鉄道の1日フリーきっぷを購入。きれいな字で日付を入れてもらい、軽快なエンジン音をうならせる気動車に身を任せる。

もちろんワンマン列車で、次の駅の案内はテープ(CD?)によるもの。そんな中、行橋を出て2つ目の駅だったか、「次は、保険ひろばゆめタウン行橋店今川河童です」というアナウンス。それが2回繰り返され、思わず、へ?という感じになる。その駅を過ぎると、「次は、サントミ豊津、サントミ豊津です」というアナウンス。

Dscn0397この違和感というのは何なのだろう。実はこれ、多くの鉄道ファンには有名なことらしいのだが(私は全く知らなかったのだが)、駅の「ネーミングライツ」というものである。これも平成筑豊鉄道の増収策の一つとか。これが路線バスなら、「次は今川河童、今川河童です(という駅名も珍しいのだが)。保険のことなら”保険ひろば”。ゆめタウン行橋店はこちらが便利です(実際は、この駅の近くにゆめタウンがあるわけではないのだが)」というアナウンスなのだが、これが駅名だからな・・・・。

もっとも、正式な駅名は「今川河童」、「豊津」であるが、現在スポーツの世界では、スカイマークスタジアムとか、味の素スタジアム、福田電子アリーナなどよくあるネーミングライツも、こういう形で駅に冠せられるというのは他にあるだろうか。

Dscn0403私が個人的にうなったのは「次は、れいめい拳.com崎山です」というもの。とうとう駅名にも「ドットコム」が入りましたか。すごい時代になったものだな。もっとも、崎山駅の周りは「どっと混む」どころか全くのんびりとした田園風景が流れるのだが・・・・。

Dscn0412ところで、こう聞けば「れいめい拳」って何やねん??と思いますよね。はい、気になる方はぜひ、http://とwww.の後に、ローマ字で入力してみてください。・・・・後は私は何も言いません。そりゃいいんですが、「これって福岡と関係あるの?」というところだし、「こういう業界のところを駅名にしちゃっていいの?」という疑問は、ふつふつと湧いてきますよ・・・・。

話は前後するが、こんな感じで駅名の写真を撮ったり、そもそも1日フリーきっぷを買い求めた時点で「その筋の客」と見た運転手が、犀川の駅に停まると、後ろのほうに座っていた私を手招きする。行ってみると私を外に案内する。そして改札の外のあるものを指して、「これを写真に撮りなさい」という。

Dscn0400そこにあったのは立派な木の根で、かつてこの地を開いたという龍の伝説とも結びついて「犀龍」と呼ばれるものであった。それにしても、ここまで来れば自然の芸術作品である。運転手に例を言って車内に戻る。

先の「れいめい拳.com崎山」を発車すると、再び運転手が私を手招きし、運転台の横に立たせる。「次の"源じいの森"の手前に、明治時代のトンネルがあるからこれも見てよ」という。

Dscn0410車窓はいつしか森の中となり、新緑の間を気動車が駆け抜ける。と、気動車が減速を始める。そして現れたトンネル入口の煉瓦。これが、明治28年に掘られたという石坂トンネルである。福岡県の「近代化遺産」にも登録されているとかで、こうなると、近代化遺産には興味のある私にすればうなってしまうところである。また、運転手の粋な計らいに感謝感謝である。

Dscn0413そして到着した「源じいの森」駅。ここは、ネーミングライツというよりは、駅前に広がる施設が「源じいの森」というのである。ここを最初の途中下車地とし、運転手に礼を言って降りようとすると、「これを持っていきなさい」という。差し出されたのは、平成筑豊鉄道沿線にあるいずれか1ヶ所の日帰り温泉の割引券。実は、1日フリーきっぷの乗客の特典という。これはラッキーだ。重ねてお礼を言う。

さてやってきた「源じいの森」。こちらでしばらく時間を過ごすことにする・・・・。

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新型インフルエンザの影響を感じる特命係長

2009年05月18日 | ブログ

新型インフルエンザの感染者数が関西を中心に拡大している。日ごとに倍々ゲームで増えていっているような感じがする。国内での感染が高校生や大学生を中心に広がっていることから、学校での活動で外に接している時間が長く、ウイルスに対する抗体を持たない世代に集中しているという説があるようだ。もちろん連日世間はこの話題で持ちきりである。

さて、今日は早朝から新幹線で東京に向かう。東京の本社での講習会が夕方まで予定されており、北海道から九州まで多くの支店から出席者がある。主催するのは私が昨年まで勤めていた部門であり、そこの人たちと顔を合わせるのが楽しみである。

そんな移動中、現在の私の勤務先から携帯に電話が入る。「インフルエンザの影響で、今日の講習の出席見合わせとのメールがあった」とのことである。そのメールは日曜日に上司のところに入っていたとかで、それはちょっと確認できないだろう。「せっかく行くのだから、関東の営業所の挨拶回りでもすればええやんか」ということで、そのまま直行する。もっとも、そのメールはよく読めば「神戸市内と大阪茨木市内の支店・営業所に勤務している者は出席を見合わせるように」とのことだった。尼崎に住み大阪市内に勤務している私は中途半端な扱いに思え、直接主催部門に確認。「モロに神戸市内というわけではないから、そのまま来てください」とのことで、そのまま直行する。

全国から120名ほどの出席があったこの講習、遠隔地は前泊していたり、翌日に関東での出張を組み込んだりという人も多い。またマスク姿の人も多く、会場でも今回会社が段取りしたマスクを用意し、希望者に配布していた。

ということで始まったのだが・・・・。

午前中に1回目の休憩に入った際、総務部門の担当者が教室に入って何やら耳打ち。その内容というのが、「当面の間、このような集合形式の講習の開催はすべて凍結する」というのが緊急に決まったとかで、早速本日のこの講習もそのターゲットになったというもの。「せっかく遠くからお越しいただいたのに申し訳ない」ということで、これには「時期が時期だからな」と皆苦笑である。

結局昼を待たずに「中止」ということになったため、これならば午後から関東地区の営業所など訪問するつもりにして、本社で久しぶりにいろいろな人とお話しする。一様に「サッパリしたなあ」という言葉が返ってきたのだが、何や、それまでがサッパリしていなかったような感じではないかな。

昼食もご一緒して、さて出かけようかといううち、また携帯に連絡が入る。大阪の上司からで「特命だ(とは言わなかったが)。マスクと手の消毒液を買えるだけ買ってきてほしい」というもの。聞けば、本社からマスクは送られたものの、インフルエンザの感染源になっている関西である、これだけでは当座しのぎにしかならず、さらなる補充が必要とのこと。しかしながら「関西のドラッグストアからマスクや消毒液が一斉に消えてなくなった」という状況で、「関西での補充は絶望なので、東京ならあるやろうから確保してほしい。何なら、別便で送ってきてもよい」という「特命」。ミッション・インポッシブルか特命係長只野仁やな。まあ、別に誰かと格闘したり、女性とベッドを共にするわけではありませんが・・・。

ということで、本社最寄の新橋を起点として、とりあえず山手線各駅途中下車の旅で薬局、ドラッグストア回りである。

・・・ところが、神田、上野、日暮里など6駅ほど下車して店を回ってみたものの、世間はもっと敏感に反応していたようで、こちらも店頭からマスクが消えてなくなっていた。たまに在庫のある店を見つけても「お一人様2点限り」というのだから、個人用ならともかく従業員の配布用には間に合わない。辛うじて消毒液が若干手に入った程度で、これもまあ、当座しのぎにしかならないだろう。

店の人も「こんなの初めて。冬のインフルエンザの流行時期でさえ、マスクを求める人がここまで押し寄せることはなかったよ」とのことだった。

うーん、ほんまに「ミッション・インポッシブル」になってしまうな。

結局帰りの新幹線の時間が近づいてきたため、「関西もそうだが東京はもっと敏感になっているようだ」との一報を入れて、「特命」は終了。(結局、東京には講習ではなくマスクを買い求めに来たようなもので、出張旅費の精算書類はどないすんねんということを考えなくては)。

個人的に気になるのだが、このところ「店頭から○○が消える」ということが多くないかという気がする。少し前なら(現在もそうだが)カー用品店からETCが消えたし(私、申し込みから2ヶ月を経過しても順番が回る気配が全くなし)、一時はバナナがスーパーから消えたこともあった。そして今回の「マスクが店頭から消えた」である。

確かに新型インフルエンザはそのメカニズムがわからないだけに「感染が広がったら怖い」という心理はあるし、インフルエンザの予防として自分でできることとして、手洗い、うがい、マスク着用というのはある。だから需要が増えるのは当然なのだが、それにしても、マスコミで報道→消費者が店舗に殺到する→商品が消える(次の入荷のメドが立たない)という現象が続くのって、不気味に思う。昭和48年というから私が産まれた頃なのだが、中東不安の影響で「トイレットペーパーがなくなる」ということで消費者が店頭に殺到したというニュースがあるが、今のこの状況って、この頃と少しも変わっていないのではないかと思う。

群集心理というのかな。あるいは日本の生産・消費構造の問題なのかな。こういう切り口で見ていくと、新しい発見があるかもしれない。

それはさておくとして、職場の衛生管理のこともある。しばらくは買出しに奔走しなければいけないかな・・・・。

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ゴルフコンペに参加

2009年05月17日 | ブログ

今日は大正ドームでの試合でオリックス・バファローズが北海道日本ハムに6対0と快勝。いよいよ先発投手がいなくなっての出番となった光原が失点0の好投を見せ、打線も2ケタ安打で効率よく得点を重ねた。これで連敗も9でストップし、いよいよ交流戦へと入っていく。

いや~、選手もよくがんばったようだし、こういう試合を観戦した観客は最高の気分だろうな・・・これまでの鬱憤が晴れた感じで、「これから上がって行くんや!」という気持ちになっただろうし。私もこういう試合に出会いたいものである。

さて、かくいう私は今日はそんな大正ドームに行くことはできず、神戸の山奥にいた。会社のゴルフコンペに参加していたのである。

この前の記事で「浮世の義理でこの気持ちをクラブにぶつける」と書いたが、それがこれのこと。半年に一度、勤務先および取引業者の人たちを交えての30人以上の会である。もっともいわゆる「接待」というのとは違い、参加者からはきちんと会費を取るし、ハンデ制ではあるもののあくまで勝負はガチンコである。今いる業界、何かにつけゴルフが盛んであり、私も立場上自然とメンバーに組み入れられていたのだ。私も3月に久しぶりに実戦に臨んだ時は実戦経験少ないことを差し引いてもボロボロだったのだが・・・。

現れたのは西神戸のコース。スカイマークスタジアムよりもさらに分け入ったところである。前日からの続きの雨で、プレーするにはコンディションはよいとはいえない。

私も今回から初めてティーショットでドライバーを持つことにしたのだが、最初のホールでは「前に飛ぶかな」と緊張する。初顔合わせの人が多かったし。それでも、「(オリックスの)カブレラ打法」で何とか前に飛び(「あんあ打ち方でどこをどうすれば前に飛ぶのか」と周りはあきれ顔だったが)、レベルは低いものの何とか足を引っ張らずにすむかなとホッとする。

・・・と思ったのもつかの間。次のショートホールは池と谷の両方を越えるコース。変に力んだか雨のせいか、振ったアイアンがスピンを描いて左の林の中へ。ただし、ボールは右の林の中へと、「右や左のだんな様」状態。かつて福岡ダイエーホークスにいたライマー選手(よくバットがすっぽ抜けていた)のごとくで。ボールはあっさりとあきらめたが、アイアンがないとこの先どうにもならないので雑木林の中を捜索。ほかの人たちにも捜索隊を出してもらい、がけっぷちに引っかかっているのを発見。何とか手を伸ばして救出する。前の組および追いついてきた後ろの組がこの光景を目撃し、これまたあきれ顔。「ボールよりクラブのほうがよく飛んでいた」というのが目撃談である。

この後は雨中のプレー。おまけに時折山の中を台風並みの強風が吹きつける。同じ組で回る人も「こんな天気でやってんのって、ほんまにアホちゃうかと思うで」とボヤきながら。なかなかスコアがまとまらないようである。

それでも中止や中断することなく、午後からしばらくは雨も小止みになったこともあり、全参加者が無事にホールアウト。私のスコアはまだ公表できるものではないが、それでもこの天候の中で、ショートホールでのパーや、ダブルボギーを取ったミドルホールも出て、前回職場の部署内で行ったプレーよりはいい成績を出すことができたので、個人的には満足。

今回は会費の中から参加者全員に各順位の景品も出て(上位だから必ずしも「いい」と思うような構成になっていないのがミソ)、全体で見ればやはり下位の私もありがたく頂戴した。なお、ブービー賞は「次回の幹事を行う権利(というか義務)」だったのだが、何とかこれは免れた。まあ、景品はさておき、一緒に回った人たちや、「アイアンがOB」の場面を目撃した人たちから声をかけてもらったのがよかったかな。

付き合いでのプレーとはいえ、やるからには珍プレーばかりではなく、楽しくプレーできるように人並み程度の力はつけたいところ(いや、力任せにボールを引っぱたくのではなく、アプローチ、パットを含めての話だが・・・)。少しずつでも練習を積んで、次のコースに臨みたいところである・・・。

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あっさりと9連敗・・・・大正ドーム観戦記

2009年05月16日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

いや~、何とか連敗ストップを期待したのだが、オリックス・バファローズファンとしては観ていて余計にイライラするような試合展開であっさりと9連敗。対戦相手の北海道日本ハムにはこれで5連敗。首位と最下位のチームの差がはっきりと出た試合だった。

3月のオープン戦以来の大正ドームこと京セラドーム大阪に現れる。今日は少年野球の大会の開会式を行うとかで、参加チームの子どもたちは「招待扱い」。これはよいのだが、何チームあるのだろうか、これらの子どもたちが内野席入口で長い行列を作っており、開門してもなかなか入ることができない。こういう場合、彼らは団体客扱いなのだから、別にある入口から所定の手続きを踏んで入場させればよいのにと思う。彼らのせいで、一般客がなかなかスタンドに入れないのだから。

Dscn1038場内のあちこちにユニフォーム姿の一団が目立つ。逆を返せば、少年野球の子どもたちがいなければスタンドはガラガラということで、寒いチーム状況が余計に寒く感じることだっただろう。しっかり応援したってや。

Dscn1037さてこの日は、試合前に異例のお知らせがあった。神戸市内で新型インフルエンザの感染が確認されたというニュースを受けて、「ドーム内でのジェット風船の自粛」を呼びかけていた。なるほど、風船を膨らませるのには口を使うし、飛ばされた風船を拾ったりなにやらで触ることになるし、インフルエンザウイルスが風船を伝って伝染しないとも限らない。これはもっともな措置だろう。・・・・もっといえば、インフルエンザ騒動をきっかけに、ゴミの削減・球場美化(チームも、しきりに呼びかけていますね。風船もそうじゃないのかな?)、そして試合進行を円滑に進めるために、もうこういう風船を使った応援などやめてしまえばどうだろうか。現に、NPBのいくつかの球場では以前からジェット風船禁止の措置を取っており、各チームのファンをそれを守りつつラッキー7の声援を送っているのだから、できないことはないだろう。

Dscn1033何でも今日はいろんな日ということで「おけいはんデー」というイベントも。京阪電車を使っていることがわかるもの(定期券や、京阪で発行したPitapaなど)を提示すれば自由席の入場料が半額とか。そして、マスコット始球式を務めたのが「おけいはん」こと、女優の神農幸(じんの さち)さん。CMではお嬢さん的キャラだが、特製ユニフォーム姿もきれいじゃないですか。

Dscn1041Dscn1045先発はオリックスが小松、日本ハムが藤井。この組み合わせ、昨年のクライマックスシリーズでオリックスが第1ステージ敗退となった試合と同じである。硬くなっていた小松とベテランの味を出した藤井の対照が印象的だった。

Dscn10441回表、小松が先頭の田中に四球を与える。田中はすかさず盗塁。続く森本が送りバントを決め、3番・稲葉がライトへの犠牲フライ。ノーヒットで1点先制。大きいのは目立たないが、こういう攻撃できちんと点が取れるのが日本ハムの強いところ。逆にオリックスとしてはまたいやな展開である。

Dscn1056ところが一方の藤井も序盤が不安定で、2番・下山が二塁打、3番・ラロッカ、4番・フェルナンデスが四球を選び満塁のチャンス。しかし、一輝の押し出し四球による1点だけで、ここでたたみかけることができないのが今のこのチーム状態である。大丈夫かな。

Dscn1059チャンスを逃したオリックスに対し、日本ハムは2回にスレッジが天井直撃のファールの後、ちょこんと合わせた打球がレフトのレストラン席へ飛び込む勝ち越しHR。小松もどうもしっくりとしない。抑えているようで抑えていない。4回には伏兵・糸井に今度は完璧に捕らえられ、一発を許す。ズルズルと3対1という展開になる。

Dscn1093スタンドが沸いたのは5回裏。二塁打のラロッカを置いて、この日5番に入った大村(切り込み隊長を5番に持ってこざるを得ないのが現在のチーム状況の現れ)がピッチャー返しのタイムリー。これで3対2と追い上げるも後が続かない。

Dscn1099小松は結局7回途中まで3失点と踏ん張ったもののランナーを出して降板。この日も勝つことができなかった。本当にこのままズルズルといってしまうのだろうか・・・・。この後も日本ハム打線にコツコツと当てられ、8回まで6対2。もう、決まったかな。

Dscn1110オリックスは8回裏には満塁と攻め立てるも、ここで代打に出てきたのは北川・・・ではなく古木。前日の試合でヤル気のない見逃し三振に倒れた選手だ。もう「右対右、右対左」などといっている場合じゃないだろうに・・・。案の定平凡なゴロに倒れ、見せ場なし。1点くらい取れんのか。まあ、代打もこういう選手しかいないのが今のチーム状況である。

9回表にも1点を許し、最終回。ライトスタンドからは鳴り物のテーマ曲がやみ、悲鳴にも似た選手コールが続く。ナインも少しは奮起したか、ラロッカのタイムリーで1点を返し、抑えの武田久をマウンドに送るまで攻めたが、反撃もここまで。最後は「仕方なく」4番に入っているフェルナンデスが討ち取られ、ゲームセット。

Dscn1134いや、野球の試合を観てこんなにイライラしたというか、試合中にスタンドで「何やっとんじゃ!」と声を荒げた試合は久しぶりである。選手も懸命にプレーしているのはわかるが、「試合を通して選手を育てていく」という独立リーグとは違い、一戦一戦がペナントの行方に直結するNPBの公式戦である。

17日の試合はいよいよ先発がいなくなり、オリックスは光原を立てる。日本ハムは武田勝がピタリと照準を定めており、厳しい戦いが続きそうだ。これが終われば交流戦(もうそういう時期かいな)であり、昨年も交流戦終盤からじわっと来ただけに、何とか踏ん張ってほしいものだ。

17日は浮世の義理で、この気持ちはクラブにぶつけることになるので観戦できないが、ちょっとは意地を見せたってや・・・・。

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元気なく8連敗・・・・どないかせえ!!

2009年05月15日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

大相撲ならストレートで負け越しやで。

今日はYahoo!動画で観戦していたが、もう「相手がダルビッシュ」というだけで気後れしているような感じだし、選手にも覇気のようなものが見えてこなかった。あっさりと4対2で敗戦。最後の古木なぞ、何しに出てきたのかわからない、CS放送に映りに来ただけの素人以下の打席だったのでパソコンの前で怒声を出しておりました。1軍で活躍できるチャンスにも関わらず、2軍にはこの程度の野手しか残っていなかったのか。

明日は開幕投手・小松が先発に出る。こういうチーム状態だし、朝から雨ということで土曜日とはいえ客足は鈍いだろうな・・・・だけどこういう時だからこそ応援してやらねばならない。ということで、私もオープン戦以来の大正ドームに乗り込みます。

小松もまだ勝ち星はないが、このところは少しずつよくなってきているようだし、そろそろ、勝ってほしいものだ。現在首位争いをしているチームの監督2人なら間違いなく2軍で干されるような内容だが、それがここまで出番があるのはチーム事情によるとはいえ監督の「お前しかいない」という期待。もう5月なのだから、そろそろね。

明日勝ったならば、チームの連敗脱出でもあるし自身の今季初勝利である。久しぶりに「キターッ!!」を、思う存分にやってもらいたい。

かくいう私、生「キターッ!!」を観たことがないので・・・・。期待しているぞよ!

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気合を入れろ!バファローズ!!

2009年05月14日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

・・・いったい、どないなっとんねん。

今日14日も埼玉西武ライオンズに完敗したオリックス・バファローズ。わずかな貯金生活もどこへやら、とうとう7連敗となってしまった。

昨年も初夏から交流戦にかけての時期は調子が悪かったのだが(監督の交代もありましたな)、今年もそんなことになっている。

おまけに、ローズの死球が全治2ヶ月の骨折ということが判明し、戦前には「1000発カルテット」と称された多国籍重量打線がこれで完全に瓦解してしまった。

しかも明日15日の日本ハム戦では、またしてもダルビッシュが照準をピタリと合わせて待ち構えている。重量打線とはいうもののオリックス打線が今季他チームのエースを打ち崩した試合はなく、こりゃ8連敗濃厚やな、と客観的に見てそう思ってしまう。

ラロッカ、フェルナンデスにも元気がなく、他球団から来た濱中や古木も期待薄ということなら、若手をどんどん出すしかない。そろそろ、ウエスタンの月間MVPも取った岡田あたりが中軸として出てきてもええんとちゃうの?

このところ関西独立リーグのほうに注目が行っていた私にも問題があるのかな・・・・と思い、この土曜日はチームに気合を入れに行ってきます。

踏ん張れや!!

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大連への架け橋

2009年05月14日 | 旅行記H・九州

門司港の臨港線を行く「潮風」号の線路に沿って門司港レトロ地区に戻る。「門司港レトロフェスタ」ということで特設ステージを組んでバンドの演奏など行われているが、ちょっと騒がしいかなと思う。そんなステージの間を縫うようにしてやってきたのが、国際友好記念図書館である。

Dscn0305この図書館、北九州市と友好都市提携を結ぶ中国は大連市にある建物を擬して建てられたもので、中は中華レストランと図書館という造りになっている。図書館ということもあり、外の騒がしさからはちょっと間を置いた静かな空間である。この図書館、国際友好、特に大連との友好を意識して建てられただけあって、内容は中国を中心としたアジアに関する書籍で埋められている。特に3階のフロアには中国語の書物で埋められており、その展示の多さにはうなってしまう。「漢語」に接したことで心の中で何かが動き、思わず、手に取った書物をくすねて帰ろうかと思ったほどだ(貸し出しは北九州市およびその近郊に在住もしくは勤務している人だけだしな・・・)。

面白いところでは映画がヒットしている「レッドクリフ」の中国語版原書というのが置かれており(表紙には"Red Criff"とちゃんとありましたな)、こういうのは中国語のテキストとして通して読んでみるのもとっつきやすいのではないかと思う。

Dscn0306私はかつて一度だけ大連を訪れたことがあるのだが、そのときは日本企業が多く進出している、日露戦争の激戦地であった二〇三高地があるということで行き先としたのだが、この図書館をはじめとした「北九州市との友好都市」というのがきっかけになったことがある。門司港のあれこれを見て、その中に大連のことがあったから「大陸に渡りたい」という思いが出たのだ。

なお、これは今回の旅行ではじめて気づいたことだが、今年は大連という都市が誕生して100周年にあたるとか。また、北九州市と大連市が友好都市提携を結んで30周年にあたるという。これを記念として、中国のコンサルタント会社主催による記念展示が門司港の「海峡ドラマシップ」で行われていた。

展示会の内容は大連の懐かしい写真と美しい風景の写真がメインである。また、かつて日本が支配していた頃の絵地図や、かつての絵葉書を集めた写真集もあり、それらをのぞいていると、中国人の女性から声をかけられた。彼女の勧めもあって写真集と絵地図を購入したのだが、そういう客はよほど珍しいのか、彼女から「お客様は大連に行かれたことがあるのですか」と話しかけられ、しばらく雑談となった。経済成長が著しい都市のこと、私が訪れた時から比べてもいろいろと変わっているようで、「ぜひ大連にいらしてください」と勧められる。

うーん・・・大連か。中国東北部にあって昔の日本とロシアの面影を残しており、経済開発はあるものの、路面電車も走る風情のあるところ。ちょうど、門司港を含めた北九州のようなところで、パスポートはとっくに失効してしまったが、またいずれ「大陸」そして「この地」に渡ってみたいという気にさせられたひと時であった。

ただ、同じ100年ということで気づかされたのが、「伊藤博文没後100年」ということ。今朝方は下関の春帆楼で日清戦争の講和会議の舞台の外見を見学し、ここでは伊藤博文の直筆掛け軸や、伊藤博文を暗殺した安重根の旅順投獄中の直筆掛け軸などに出会う。実に歴史に深くかかわる今回の道のりである。今年が2009年で来年は2010年・・・ということは、韓国併合から100周年ということになる。韓国側で何か反日行動が起こらないかどうか心配である。

Dscn0321そろそろ夕方にさしかかってきたので一度ホテルにチェックインし、歩き回った汗を落とす。西日本はまだ日が長いものの、今度は夜の部ということで再び中心部へ。この日の午前中に散策した栄町商店街に「鶴亀」という漁港直送の居酒屋を見つけ、ここで陣取る。門司港といえばおしゃれな洋食屋がにあうのだろうが、どうもこういう系統のところに行ってしまう。知人からは「居酒屋で日本酒・・・演歌の花道だね」と言われるのだが。

Dscn0318メインは「鯨の四種盛り」。赤身、ベーコン、さえずり、本皮という4つの味。普通に刺身の盛り合わせを注文するより値打ち品。関門海峡を挟んだ下関が近代捕鯨での水揚げが盛んだったこともあり(現在の横浜ベイスターズ、かつての大洋ホエールズは、チームの名前も「鯨」ということがあったが、球団発足当時の本拠地は何と下関であった。当時捕鯨で名を馳せた大洋漁業の拠点でもあったのだ)、現在は調査捕鯨のお余りを食べることになるが、このあたりらしい一品である。

Dscn0320このほかには「門司代表」として、「バナナ梅酒」という瓶が目の前にあり、気になったので一杯注文する。「バナナの叩き売り」発祥の地の碑文に近い店でバナナ味の酒。一口目は甘く感じるがそのうちに酒の濃さがじわっと出てくるというところである。

Dscn0342居酒屋で心地よくなったところで、今度は「ナイトクルーズ」へ。800円で20分ほど、関門海峡に出ても門司港レトロや下関の夜景を海上から味わうというもの。乗客はカップルばかりで野郎一人はやや肩身がせまかったが、夕涼みということで夜の海に漕ぎ出す。もう関門海峡は行ったり来たりなのだが、昼と夜では景色が違う。これはぜひとも両方味わってほしいところである。ただでさえ撮りにくい夜の写真を撮るには苦労するのだが。

Dscn0366ホテルに戻るまでの道筋、改めて建物を眺める。昼間の喧騒はどこかへ去り、まったりと過ごすカップルを温かく包み込む夜の表情である。朝から長かった一日はようやく終わりを告げようとしていた。野郎一人は、そろそろこのムードからは引いたほうがよいかな・・・・?

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