まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

新幹線と青春18で目指すは日田彦山線

2021年03月31日 | 九州西国霊場

春の青春18きっぷの4回目、5回目は3月27日~28日の1泊2日でのお出かけ。これまでの記事でも触れているが、北、東、南と来て最後は西に向かう。最初は山口県辺りを日帰りで・・とも思っていたが、いっそのこと九州に渡ろうと思う。

九州へは今年の年始、大分県は別府、宇佐八幡、国東半島といったところを回り、別府から八幡浜に渡るという変則ルートをたどった。このたびはどこに行こうかなと時刻表や地図を見る中で、目についたのが日田彦山線である。

日田彦山線は日豊線の城野から久大線の夜明までを結ぶ路線(実際の運転系統は小倉から日田まで)だが、2017年(平成29年)の九州北部豪雨で大きな被害を受けたところである。特に福岡~大分の県境を越える添田~夜明間では63箇所に被害があり、代行バスによる運行が続いている。そんな中、JRと沿線自治体の協議の末、鉄道による復旧は断念、バス(BRT)転換が決まった。

この区間にはこれまで1回、いや2回くらい乗ったかなというところだが、現在の代行バスがどのようなものか乗ってみようかなと思う。そして、行き先の日田は天領の町として知られているが、町歩きをしたことがない。小倉から日田彦山線に乗り、途中の炭鉱の歴史があるスポットを訪ねてもいいか、そして添田から代行バスで日田に移動し、日田で1泊がいいかなとプランニングする。

その中で、ふと思うことがあって、逆に初日に日田に行き、翌日に代行バスに乗るのもいいかなとなった。代行バスの時刻の組み合わせを見て、こちらのほうが行程として都合がよいようにも思う。キーワードは「日田彦山」線。今回、2日のコースで日田と彦山を訪ねようと言うコースである。

とはいっても、単に日田彦山線を往復するのももったいない。そこで、日田へは久留米から久大線で行くことにした。この久大線も久しぶり・・・というより、九州のほとんどの路線が久しぶりで、広島に移った機会を利用していろいろ訪ねたいところが多い。結局日田は日中の町歩きだけとして、宿泊は日田彦山線で福岡県に入り、筑豊のどこかということで別路線ではあるが新飯塚駅前のホテルとする。新飯塚は日田彦山線の田川後藤寺から後藤寺線で行ける。

青春18で西に向かうのなら、山陽線の西広島、または新井口から始めるところだが、この日は西広島からいったん広島に出て、山陽新幹線に乗る。これで一気に関門海峡をくぐって小倉まで行くことにする。

6時47分発の「こだま781号」に乗る。700系のレールスター車両だ。

今回利用するのは、JR西日本のネット予約「e5489」専用商品の「こだま直前割50」。3日目から前日までの購入で、山陽新幹線の「こだま」指定席が通常の50%オフで利用できるもの。3月28日までの金・土・日曜・祝日が利用期間ということで、この週末はまさに最後のチャンス。広島~小倉も指定席利用で3890円。

もっとも、このきっぷは指定列車の指定された席のみが有効で、列車の変更はできない。また「ルール上では」同じ列車の自由席に乗ることもできない。同じ商品の乗客が多いのか、指定席の5号車、6号車だけが乗車率がよい。

指定席が5号車、6号車・・という表示を見て、ちょっと違和感。山陽新幹線の「こだま」の指定席は8両編成のうち4~6号車の3両ではなかったか。改めてJR西日本の案内を見ると、一部の列車については4号車も自由席の設定だという。指定席が2両しかないから余計に・・。

広島を出発。ちょうど桜も満開を過ぎたところで、車窓も鮮やかに彩る。次の新岩国からも指定席に乗ってくる客がそれなりにいる。ただ、隣の7号車の様子も見た客が「7号車、誰もおらんで」と連れの客に話をして、通りがかった車掌に「ええじゃろ?」と声をかける。車掌も「どうぞどうぞ」てなもんだ。この人たちが「こだま直前割50」の客かどうかは知らないが、現場レベルでは自由席に移っても問題はなさそうだし、移る客もいるのだろう。中途半端に客が集まっている指定席と、ガラガラの自由席。コロナ対策云々ということになれば、どちらが安心だろうか。

徳山では周南の石油化学工場群。この景色は新幹線の高架ならではである。徳山から国東半島に渡るフェリーもあり、またいずれ乗ってみたい航路の一つである。

この後は新山口、厚狭、新下関と過ぎる。ここまでで1時間、やはり「こだま」といえども新幹線は速い。

新関門トンネルを通る。新幹線で九州に入るのも久しぶりのことである。7時57分、小倉に到着。ここでまとまった下車があった。

久留米に行くのならこのまま山陽新幹線~九州新幹線と乗るのが通常のルートだし、「こだま直前割50」にしても、もう少しお金を出せば博多まで安く行くことができる。ただ九州に入ったならできるだけ九州の在来線に乗ろう。

次に乗るのは8時21分発の快速久留米行き。終点の久留米までは1時間46分、なかなか乗りごたえがありそうだ・・・。

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予讃線を行く、いろいろ回想する

2021年03月29日 | 旅行記G・四国

伊予西条のアサヒビール園でビールとジンギスカンをいただいた後、午後の列車で予讃線からぐるりと広島に戻る。今回も瀬戸内海を挟んだ循環ルートなので、「行き」の区間は限りなく長いのだが。

15時30分発の多度津行き。ホームに停まっている車両に乗り込むとこれは松山行きとのアナウンスがある。同じホームの前と後ろで接するように2つの列車が停まっている。多度津行きは前の1両、松山行きは後の2両。松山行きは伊予西条で40分ほど停車しており、ひょっとしたら3両で来た列車をここで切り離して、1両を多度津行きで折り返すのかもしれない。

そこそこの乗客もあったが、多くは新居浜で下車。新居浜は四国八十八ヶ所めぐりでは列車や高速バスで通過しただけだが、別子銅山関連のスポットもあり、また訪ねてみたいところである。

この後は伊予三島、川之江と紙工業のさかんなところを過ぎる。ここまでが愛媛県だが、川之江から伊予西条、今治、松山、宇和島を経て、予土線の県境にある真土まで鈍行だけで移動しようとすると結構な時間がかかる。まあ、ローカル列車が不便でどこかの駅で待ち時間が長くなるからだが、川之江に宿泊して始発で出発する場合のみトントンと進むようだ。それでも、川之江6時19分発の伊予西条行きに乗り、伊予西条、松山、宇和島と乗り継いで真土には15時08分着。途中で10分や20分停車する駅があるとはいえ、9時間近くの大旅行である。そして、この辺りの鈍行となるとトイレなし車両が続くことも頭に入れておく必要がある。

海が近づき、香川県に入って箕浦に到着。予想通り雲が広がり、雨が降りそうな感じである。

16時34分、観音寺到着。13分停車する。

観音寺から先は四国八十八ヶ所めぐりの札所が集中するところである。観音寺近辺を回った時はレンタカーも活用して、また宿泊した観音寺駅前のホテルでは夏場ということで夕食は屋上のビアガーデン。夕陽を見た後、NPBのオールスター戦中継を大画面で楽しんだ。

ただ、その次に訪ねた第71番から第77番までの「讃岐7ヶ所参り」シリーズは、猛暑の中で四国アイランドリーグ観戦も含めて丸亀をベースキャンプにしたが、7ヶ所参りで身体が参ってしまった。熱中症のような症状もあったが、それも四国の思い出である。

こう書くと、また四国八十八ヶ所めぐりに出るのかと思われるかもしれないが、現時点ではその予定はない。その一方で、札所めぐりについては最近自分ではあちこちの札所に着手して「多重債務者」になっているようで、また近々、それについて触れることにする。

17時15分、多度津到着。同じホームの向かい側に、JR四国の観光列車「四国まんなか千年ものがたり」が停車している。つい先ほど、大歩危から到着したばかりのようだ。実物を見るのは初めてで、せめて外側だけでも眺める。

次の列車まで時間があるので、一度改札の外に出る。四国鉄道発祥の地、少林寺拳法発祥の地である。

この後は17時39分発高松行きで坂出に向かい、ちょうど同じホームにやって来た17時54分発のマリンライナーで四国を後にする。天気が良ければ夕陽を見ることができる時間帯だろうが、あいにくの雲である。

四国から本州に渡った時点で、青春18の移動としては折り返しである。ただ今回本州側は暗い中。岡山で糸崎行きに乗り継ぎ、糸崎では1分接続で岩国行きに乗り継ぐ。このまま淡々と進むので、車内で少しずつ「積ん読」の精算を行う。半年前に広島に来てからというもの、通勤がクルマになり、以前のように往復の時間に読書する習慣がなくなった。書店に通うペースもぐっと減ったように思う。

まあ、いろいろ思うことはあるのだが、青春18はまだ2回残っている。これまで北、東、南と来たので、次は西を目指すことに・・・。

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伊予西条で乾杯

2021年03月27日 | 旅行記G・四国

広島から今治に渡り、青春18で予讃線に乗って伊予西条に到着。今回はこれまでの2回使用で元が取れた形なので、3回目以降は気楽に、かつ他の交通手段も活用することにしている。

さて、伊予西条で鉄道関係の見学を終えた後、見覚えのあるロゴが入ったマイクロバスでやって来たのが、アサヒビールの四国工場。ちなみに向かいにあるのは私の勤務先企業の拠点の一つ。この辺りのメーカー関係が商売相手なのだろう。

伊予西条には四国八十八ヶ所めぐりの時にベースキャンプにしたことがあるが、その時3泊したがアサヒビールには来なかった。まあ、泊まっていたのが駅前のホテルで、工場は駅から3キロほど離れたところにあるから移動が面倒だったのもあるし、その時は郷土料理を食べるのがいいかなと思ったこともある。3日間で店を変えて、今治焼き鳥や骨付鶏、鯛の刺身などを楽しんだ。

今回伊予西条に来るから昼食をビール園にするのか、ビール園目当てで伊予西条に来たのか、まあその両方だが、四国で昼飲みもいいだろう。本来なら工場見学とセットがいいのだが、コロナ対策ということで2020年の2月から見学は中止されている。ただ、併設のビール園は営業中ということで、セットメニューを予約していた。

建物に入るとガランとしている。一応、アサヒのPRコーナーはあるが人の気配がなく、大丈夫かと思う。それでも2階のレストランに向かうと奥のほうから歓声(まあ、昨今の会食云々を気にする人にとってはさぞかし不快、自粛警察発動したくなるような声)が聞こえてきて、逆にほっとする。

歓声はあったものの店全体としてはガラガラである。私が通されたテーブルも完全に他のグループと隔離された隅の席。

ビール園といえばジンギスカンということで、ドリンク飲み放題、具材はラム肉にプラスして豚肉、ソーセージの食べ放題がついた「ひうちプラン」。四国で羊肉とは結び付かないが、「ひうち」とは燧灘から取っている。

まずはスーパードライで一人乾杯。専用の鍋でジンギスカンをやるのも久しぶりだが、飲み放題メニューの裏面で焼き方の指南がある。牛脂で鍋を温めた後、まずもやしを薄く広く敷き、その上に肉を乗せる。そしてもやし、キャベツで蓋をして蒸し焼きにし、肉に火が通ったら下からすくうようにして食べる。最初は強火、後は弱火で鍋を焦げ付かせないのがプロ・・とあるが、そう上手く行くものではない。最初は手広く野菜、肉を乗せすぎてえらいことになったが、一人で食べるのだし、それぞれ少量ずつやればほどよい焼き具合となった。

飲み放題の中に、スペシャリティビールというのがある。「TOKYO隅田川ブルーイング」の醸造家が客との対話を重ねてレシピを開発し、アサヒビールがそれを実現したというもの。この日出たのはペールエールで、2種類のホップで香りと苦味を醸し出したという。まあ、こちらのほうが本来のビールの味というものだろう。ペールエールから見ると、スーパードライは水みたいに感じるかもしれない。

この後はチューハイも挟み、結局120分の持ち時間で肉、野菜とも2皿ずついただいた。この後鈍行を乗り継いで22時前に帰宅したのだが、途中、そして帰宅後も夕食を口にすることがなくても済んだので、実に腹持ちがよかったことになる。帰りもシャトルバスで駅に戻る。ちょうど出来上がった感じの女性2人が車内でベラベラとしゃべり続けていたのには閉口したが・・。

次に乗るのは15時30分発の多度津行きである。アサヒビール園に入ったのが13時前で、それから2時間飲み食いしたのでもうこんな時間である。この後は広島に向けて大回りで戻ることに・・・。

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今治から伊予西条、鉄道の町へ

2021年03月26日 | 旅行記G・四国

広島からしまなみ海道経由の「しまなみライナー」で今治に到着。今治は私にとって四国八十八ヶ所めぐり区切り打ちの基点となったところの一つである。松山方面から来て今治がゴールだったこともあるし、今治駅前には第55番の南光坊(大山祇神社の別宮)もある。また、今治駅近辺の札所もいろいろと回っている。2017年~2018年春にかけてのことである。3年ぶりくらいかな。

今治に泊まった時には、残念ながら焼き鳥には縁がなかったが、鯛料理やせんざんき、来島サザエなどいただいた。B級グルメに焼豚玉子飯というのもあった。今回は昼食のアテがあるのでこれらはスルーしてしまうのがもったいない。せめて土産として地酒の300mlくらい買うことにしよう。

待合室の上に、岡山理科大学今治キャンパス、獣医学部の看板がある。大学名だけではピンと来ない方がいるかもしれないが、一時「モリカケ問題」で国会を騒がせた加計学園獣医学部のことである。私の四国めぐりの時、ちょうど前の札所から今治駅までの何キロかを歩いたのだが、少しだけ遠回りして、ちょうど建設中の今治キャンパスの横を通ってみた。

その「モリカケ問題」も、結局は証拠不十分というか、結論がうやむやのうちにいつしか忘れられたようだし、実際は次から次へと明らかになる問題、疑惑で上書きされてしまった感がある。結局安倍内閣から菅内閣に替わったが、コロナ対策は別としても、こちらはこちらでさまざまな問題があって・・。

岡山理科大学今治キャンパスの場合は、「国家戦略特区」などという仰々しい言葉も出たと思う。「四国には獣医学部がない」ということで、この特区制度を利用してキャンパスが建てられ、学生数も募集枠に対してそれなりに埋まっているようだが、四国の獣医師不足を解消するためとして設けられた「四国枠特待生制度」については、応募者がほとんどいない状態が続いているという。これを受けて、別に今治で認可することはなかったのではないか、やはり安倍首相(当時)の友人だから認可されたのではないか・・という野党の声もある。

今治にはまた来ることにして、青春18にスタンプをいただき、11時07分発の高松行きに乗る。この列車の始発は松山で、9時36分発。終点の高松には14時33分着という5時間コースである。車両は2両つないでいるが、後ろの車両は回送扱いということで実質は単行運転である。

ボックス席とロングシートが交互に並ぶ四国オリジナルの車両、ボックス席にはすでに先客がいるので、ロングシートに陣取る。松山から高松まで5時間かけて走る車両だが、トイレがないのが難点である。5時間乗り通す人はほとんどいないだろうが、実際には途中の列車行き違い停車がトイレ時間になるし、今治や、この先の観音寺、多度津といった区切りの駅では10分以上停車する。そうした情報も仕入れたうえで乗るのがよさそうだ。

この列車も今治で20分近く停車した後、1両編成としてはそこそこの乗車率で出発。次の伊予富田で何人かの客が下車するが、そのうちの一人の男性が運転手と何やら話をしている。その後で下車したが、列車は停まったまま。運転手が無線で「お客様お手洗い」と告げている。JR四国ではやむを得ずこうした措置が行われているようだが、仮に時間が長引けば、単線区間のため列車の行き違いにも影響が出るところ。この客は今治から乗って来たが、松山方面から通しで乗っていたのなら「今治で停まっている間に行っとけよ」と言われても仕方ないところ・・。幸い、列車運行に影響がない程度で戻って来て発車する。

西条市に入り、伊予小松、伊予氷見、石鎚山と走る。この辺りも四国八十八ヶ所の札所が固まっているところ。今治シリーズの後は伊予西条をベースキャンプにしてこの辺りの札所を回り、横峰寺への遍路転がしをたどったり、果てはロープウェー併用で石鎚登山までしたのも思い出である。伊予西条そのものも名水の町だし、四国の中でもよい印象を持っている町の一つである。

11時45分、伊予西条に到着。ここで途中下車する。乗客のほとんどがここで下車した。さすがに松山から高松まで乗り通そうという人は(少なくともこの日は)いなかったようだ。

伊予西条、今回は札所めぐりや石鎚登山をする予定はないが、青春18日帰りの目的地である。列車が近づくと「千の風になって」のメロディが流れる駅。

まずは、駅に隣接する四国鉄道文化館に向かう。西条出身で、国鉄総裁として東海道新幹線の実現に尽力した十河信二を顕彰する意味もあって建てられた博物館である。

この博物館の目玉は0系新幹線。現実には四国に新幹線は走っていないのだが(予土線のそれっぽい改造車両はさておき)、その生みの親が十河信二ということで、瀬戸内海を越えて展示されている。

当時の座席もそのまま残されているし、運転室にも入ることができる。以前来た時には運転台にも上がれたが、コロナ対策ということで人形を置いて立入禁止としている。

0系と並ぶのがディーゼル機関車のDF50。主に四国で活躍した形式である。

他の鉄道博物館と比べれば小ぢんまりした建物だが、中には四国の鉄道の素朴な風情が発信されている。

駅構内を跨ぐ通路の向こうには南館がある。実際の側線にDE10が停まっていたのは偶然として、こちらも個性的な車両が並ぶ。

まずは屋外に展示されているフリーゲージトレインの試作車。新幹線と在来線という軌間が異なる路線の直通が可能という触れ込みで開発され、九州新幹線の長崎ルートでも導入が検討されたが、結局はフル規格での建設となった。

屋内にはC57、キハ65、DE10という車両が並ぶ。個人的には新幹線よりもこうした車両たちに目が行く。この中でキハ65はオリジナルの国鉄急行型の塗色で、見ているだけでも旅情が掻き立てられる。中のボックス席は張り替えられたものだが、さすがに急行型ということでゆったりしている。

しばし昔懐かしい鉄道風情を楽しみ、観光交流センターで土産物をのぞいた後、駅前のバス乗り場に向かう。

これからバスに乗ってもう一つの目的地に向かうのだが、バスはバスでもこのロゴマークが入る・・・。

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しまなみ海道から今治へ

2021年03月25日 | 旅行記G・四国

青春18きっぷの3回目の使用。この後、1泊旅行で使う予定があるため、日帰り旅でどこかに行こうかというところである。これまでの2回は、広島から北へ、東へと向かい、図らずも「中国地方循環の旅」ということになった。この後は西に向かおうかと思っているので、今回は広島から南に向かうとなる。・・・となると、瀬戸内海を渡ることになる。

広島、愛媛両県にまたがる島それぞれにはまた個別に行くとして、今回は久しぶりに予讃線に乗ってみようか。四国といえば四国八十八ヶ所めぐりで鉄道、バスなどいろいろ利用して、予讃線も特急、鈍行、並走するバスと利用したが、今回は鈍行でたどることにする。3月20日の日帰りでのお出かけとする。

四国へのルートはいくつかある。宇品港から松山まで高速艇、またはフェリーで行くのが順当で、他にも柳井から三津浜に向かうルートも利用したことがある。その中で今回利用することにしたのは広島から今治への高速バス。今回予讃線に乗るにあたり、とりあえず伊予西条を目的地としたが、その前後の便、そしてぐるりと瀬戸大橋を回って岡山から戻ることを考えると、松山まで行ったらちょっとしんどいかなと。今治に上陸して、そこから東に進み、坂出から瀬戸大橋を渡ることにする。

今回選んだのは、広島バスセンター7時50分発の広交観光バス「しまなみライナー」。コロナ禍の影響で現在は1日3便に減便されている。事前にネットで予約したが、乗車前に空席照会をすると半数以上の席が埋まっているようだ。私の予約した隣にも相客があるようだ。

定刻となり、バスセンターから出発。広島駅新幹線口と合わせて結構な数の乗客がある。コロナ禍の有無が関係するのか、いつもこのくらいの乗車はあるのか。

バス会社の飛沫感染対策として、1列目の着席を取り止めたり、前の座席の背もたれにPETシールドを設置している。

新幹線口を出発して、広島高速から山陽自動車道に入る。今治までは2時間半あまりの道のりで、まずは渋滞もなく順調に走っていく。

1時間あまり走り、八幡パーキングエリアで15分休憩。セブンイレブンが入っているが、広島土産も一通りは揃っている。

福山西インターから松永道路、そして西瀬戸自動車道に入る。

新尾道大橋を渡り、本州の本土からしまなみ海道に入る。この先広島県内、生口島の瀬戸田までは乗車が可能である。まずは向島を走り、因島大橋で因島に入る。ここから夫婦連れの乗車があった。ウォーキングスタイルで、運転手に「大三島まで」と告げて現金払い。予約がなくても空きがあれば乗車できるようだ。

生口島を走る。天気が今一つなのが残念だが、レモン畑としまなみの景色を眺めながら走る。

県境の多々羅大橋を渡る。サイクリングを楽しむ人が結構いる。私もかつて、瀬戸田からレンタサイクルを利用して多々羅大橋を渡ったことがあるのだが、高所が苦手な者としては結構スリルある一時だった。早く渡り終えないかと、心持ち車道寄りを走ったように思う。

一度西瀬戸自動車道を下りて大三島バス停に停まる。先ほど因島から乗って来た夫婦連れが下車し、再び自動車道に乗る。

この先は伯方島、大島と渡る。大島の手前には、村上水軍の本拠地として知られる能島も見える。この辺りの車窓は飽きることない。

そして最後は来島海峡大橋を渡る。尾道からここまで1時間足らず、島と橋の繰り返しという景色もここならではである。以前広島に住んでいた当時にしまなみ海道が開業したが、当時は(若かったので私の給料が安かったこともあったのだが)通行料金が高く、なかなか渡ろうという気にはならなかった。実際通行したのも数えられる回数しかなかったと思う。

ただ年月が経つと地元自治体の要望もあり、地元の人たちの生活対策の面もあって、通行料金の引き下げが進んだ。もっとも一般の高速道路と同様の料金体系にするということで、特にETC利用で休日に走る分には安くなったが、さすがに中国山地の高速道路のように「無料」ではない。

この後は今治市街を走り、10時39分、今治駅前に到着。バスはこの先今治桟橋まで行くが、大半の客は駅前で下車した。ともかく四国に上陸したことで、ここからが青春18利用である。広島まで瀬戸内海を挟んでの循環旅の始まりである・・・。

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第18回中国観音霊場めぐり~松江から陰陽連絡バス

2021年03月23日 | 中国観音霊場

雪景色、春景色を見つつの大山寺からの帰りは、米子から松江に出る。この日(3月14日)は青春18きっぷは使わず、米子からICOCAにて松江まで移動する。11時56分発の西出雲行きは115系の2両編成。列車の短編成化にともなって中間車両に無理やり運転台をくっつけたタイプのものである。

前回の目的地だった安来を過ぎ、中海をちらりと見ながら進む。12時33分、松江に到着。

今回の復路だが、松江から広島への高速バスに乗ることにした。前回、1月の中国観音霊場めぐりの安来シリーズで、雪のために結局往復ともに乗れなかった路線である。松江市内がどうこうということではなく、途中の奥出雲、雲南地域の積雪の影響だった。

この日は松江駅14時発の便を予約していた。がっつりと山陰を楽しむなら夕方の便でも広島に戻れるが、この時に限っては、なるべく早く帰宅しようと思っていた。まあ、日曜の夜を家でゆっくり過ごしたいというだけのこと。バスの発車まで1時間半近くあるので、ここを昼食~昼飲みに当てる時間配分としていた。

松江駅の高架下に「大衆酒蔵」という心くすぐる看板がある。まあ、その中身は「よろこんで!」の「庄や」である。このところ松江に来るたびに店構えが気になっていたのだが、タイミングが合わずに初入店である(正しくは、何年も前のリニューアル前に一度訪ねているのだが)。

時間としてはランチタイム。店内は定食の人と昼飲みの人が半々というところで、昼飲みメニューはおそらく通常メニューの半分以下である。その中でいろいろ頼んだが、郷土料理という点でいえば、第15回(WEST EXPRESS銀河からつながる出雲の札所めぐりで訪ねた回)の帰途、松江でのちょい昼飲みに入った「はなの舞」のほうが充実していたように思う。別に「庄や」が悪いわけではないのだが。

駅前のバス乗り場に向かう。やって来た広島行きのバスは窓側の席がほぼ埋まるくらいの乗車率。

まずは宍道湖のほとりを走り、山陰自動車道に入る。

玉造、宍道といったところに停車して乗客を拾い、無料の松江道に入る。写真を撮り損ねたが、先日乗った木次線の線路を大きくまたぐ。陸上交通にあっては、線路の上をまたぐのは(歴史的に見て)先輩路線に対する後輩路線の礼儀とされているのだが、こうした廃止も取りざたされているローカル線と、地方自治体のおかげで無料区間として開通した自動車道だと、どうしても自動車道がローカル線をあざ笑うかのように走っているように感じられる。

それならば高速バスは途中エリアの人たちが大いに利用しているのかとなると・・・それは別の話。この先、木次線の線路からやや離れたところのいくつかのバス停に立ち寄るが、乗客はなし。まあ、沿線の人たちにとってはJRのローカル線も高速道路を行くバスも移動の選択肢には入っていないのだろう。最初からクルマで移動したほうが早いし、何かと便利だ。

・・にしても、「無料区間」ねえ・・・。

バスはいつしかトンネルを抜け、島根県から広島県に入る。もっともこの辺りは広島県でも奥深い地域。

その後はウトウトしてしまったようで、気づけば三次東で中国自動車道に合流し、三次を通過して江の川パーキングエリアでの休憩のアナウンスだった。ここまで来れば広島への道も見えてくる。

その後は西風新都インターから広島高速4号線を経て、広島市街に入る。バスセンターを経て、まだ日があるうちに広島駅新幹線口に到着した。このまま帰れば日曜夕方の「サザエさん」に間に合うタイミングで、それほど移動の疲れを残さずに月曜からの仕事に臨めそうだ。

・・さてこれで鳥取県西部まで来たことになり、中国観音霊場めぐりは残り5ヶ所。倉吉・三朝シリーズ、そして鳥取市内シリーズということで、満願も見えてきた。もっとも、三朝にはあの難所も控えていて、アクセスも含めてどのように仕上げるかであるが・・・。

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第18回中国観音霊場めぐり~第29番「大山寺」

2021年03月22日 | 中国観音霊場

朝8時半、バス停から大山寺へ続く参道を歩く。ちょうどこれから大山登山をしようという人、前夜宿泊したロッジや旅館から帰ろうというクルマが行き交う頃である。

参道の途中には地蔵像が目立つ。その中で「弘化の大地蔵」というのがある。弘化は西暦に置き換えれば1845年から1848年に当たる。

10分ほど歩いて山門に着く。中国観音霊場めぐりの中で最も高い場所に位置する札所である。

山門の下に断り書きがある。朱印の書き置きの用紙がケースに収められている。冬期は日中でも諸堂を閉鎖している場合があるとのことで、大山寺のホームページでも告知されている。これが出ているということはお堂にも人がいないのだろうなと、先に書き置きを受け取る(代金はケースの中へ)。すでに中国観音霊場でもいくつかが書き置きのものを朱印帳に貼っているから、別にこだわりはない。

中国観音霊場めぐりの本尊は、石段を上がったところの下山観音堂。白鳳時代の作という十一面観音像で、現在は宝物館にあたる霊賓閣に安置されている。こちらの霊賓閣も3月いっぱいまで閉館中。まあ、それも承知のうえでのこの時季に来ているのだが。まずはここでお勤めとする。

さらに石段を上がると大山寺の本堂に出る。こちらは1951年に再建された建物で、本尊は地蔵菩薩である。鐘があったので打ち鳴らして、ここでも手を合わせる。

大山寺は元々山岳信仰の場として開かれたところで、寺として開かれたのは奈良時代、金蓮上人によるとされる。金蓮は元々猟師で、ある日大山で鹿を弓で射たが、近づいてみると、鹿だと思っていたのが実は地蔵菩薩だった。殺生が罪深いことだと悟り、出家して金蓮と名乗り、お堂を建てて地蔵菩薩を祀ったのが大山寺の始まりという。

平安時代になると天台宗の寺となり、別格本山として西日本の天台宗の一大拠点となった。多くの塔頭寺院が周囲にはでき、多くの僧兵も抱えていた。鎌倉時代の末期、後醍醐天皇が倒幕に失敗して隠岐に流されたが、伯耆の武士である名和長年の手により脱出した。その長年の弟が大山寺別当の信濃坊源盛という人で、僧兵を引き連れて各地を転戦したという。

また、大山は古くから牛や馬の守り神としても信仰されていて、全国から牛や馬を売買する人が集まり、市もできた。そのため、牛や馬の霊を慰める石碑や、撫で牛も祀られている。現代とはまた違った町の様子だったことだろう。

戦国時代には尼子氏、毛利氏の保護により多くの造営がなされ、江戸時代も幕府から寺の領地を認められた。ところが、この後で明治の神仏分離、廃仏毀釈が起こる。

現在はこの本堂や先ほど手を合わせた観音堂などの一帯が大山寺であるが、元々はもっと広い境内を有していた。それが神仏分離で大神山神社と大山寺に分けられた。本尊の地蔵菩薩も元々はこの奥にある大神山神社にて祀られていたもの。大山にもこのような歴史があったのである。

ということで、この奥にある大神山神社奥宮に向かうことにする。大山寺の本堂の横からも道があるようだが、雪に閉ざされている。試しに一歩足を踏み入れたのだが、膝の下まではまってしまった。さすがに雪中行軍は無理で、いったん石段の下まで戻り、改めて鳥居をくぐる。

かつての神仏習合の名残かなと思うのは、鳥居から内側にも地蔵菩薩像があり、石畳の参道の途中にも奥宮までの距離を示す丁石として地蔵菩薩が立てられている。また、磨崖仏のように彫られた阿弥陀如来像もある。神仏分離とはいってもこちらでは廃仏毀釈はそれほど行われなかったようだ。

銅の鳥居があり、かつての本坊である西楽院跡を過ぎる。そして「後向き門」を通る。最初に見た感じでは「どこが後向き?」と思ったが、門の閂が奥宮の外側に来るように扉が取りつけられたことからその名がついたそうだ。なぜそのようにつけられたのかは諸説あるようだ。

そして到着した大神山神社奥宮。大山は修験者の修行の場であったが、大山寺はその遥拝所でもあった。神仏習合の考えとして、大山の山岳信仰の神である智明権現を祀り、その本地仏として地蔵菩薩があった。神仏分離において、地蔵菩薩が切り離されて現在の大山寺の本堂(かつては別の名前のお堂だったようだ)に移され、大神山神社の祭神は大己貴神(大国主神)となった。なお、ここは「奥宮」と呼ぶが、さすがに冬の大山は今よりも雪深く、お勤めが厳しいということで麓の尾高にもう一つ社を立てて「冬宮」と呼んだ。現在の「本社」はそちらにある。

奥宮の現在の社殿は江戸時代の再建で、権現造り。中には入れなかったが、天井画の花鳥風月が有名だという。大山寺は無人だったがこちらには係の人もおり、お守り、朱印その他も受け付けている。

大山寺で訪ねたいスポットがあった。金門と賽の河原。大山の北壁を望み、かつての僧兵たちの修行の場であり、現在もパワースポットとして人気という。神社や大山寺の本堂奥から標識が出ていて道は続いているようだが、根雪に阻まれている。これが冬の姿で、石畳の参道だけ参詣者のために除雪されているのかなと思う。仕方なく、大山寺の境内下からその河原の下流だけ眺める。

これで大山寺、大神山神社と回って今回の中国観音霊場めぐりの目的は達成。参道を下り、土産物を物色したり、大山自然歴史館を見学してバスの時間を迎える。

10時45分発の米子駅行きで大山寺を後にする。やはりこちらが大山観光の表玄関で、観光道路沿いにレジャー施設も点在する。駐車場にも多くのクルマが停まっていて、春の自然を楽しんでいるようだ。もっとも、バスの窓から振り返る大山はあるところから上は雲に覆われて、2日間通してその姿を仰ぎ見ることはできなかったのだが・・・。

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第18回中国観音霊場めぐり~大山で1泊

2021年03月21日 | 中国観音霊場

3月13日の夜は大山で宿泊。夕方のバスで大山寺に到着して、ロッジやレンタルスキー店が並ぶ中、この日の宿である「ホテル大山しろがね」に到着。建物の前の駐車場には普通にクルマが停まっていたが、積雪がある時季は駐車場は閉鎖されるという。クルマの人はバス停がある大山ナショナルパークセンターの駐車場にクルマを置き、ホテルの雪上車で送迎するのだとか。

チェックインを済ませて向かった部屋は、10畳の和室にシングルベッドが2台備えられているツインルーム。もちろん、ベッドのない純粋な和室タイプの部屋もあるのだが、ネット予約した時にツインタイプしかなかったのか、あるいは私がよく見ずに選択したか。

この日は2食付とした。ホテルとしては地元食材を売りにしているし、また周辺に夜開いている飲食店、コンビニ等がないこともある(フロント横の売店で、土産物以外にカップラーメンや菓子くらいは買えるが)。レストランでの食事の時間は選べたが、早い時間の18時からとした。

部屋番号が書かれたテーブルに着くと、すでに前菜その他がセッティングされている。まずは生ビールをつけるとして、お品書きを見ながらそれらを楽しむ。

前菜は「紅ズワイ蟹みぞれ和え」、「あみ茸旨煮」、「春菊胡麻和え」、「白蕪田楽」、「鯖寿司」、「大山あけまの森ベーコン エリンギ巻き」。また刺身はアジ、イカ、ブリ、甘海老。野菜は大山の恵み、魚介類は境港からのものである。

鍋物はアマダイと豚ロース。また大山鶏の茶わん蒸しもある。

着席してから調理するという焼物は「境港銀鮭のタルタル焼き」、「海老のココット」。恥ずかしながら、「ココットとは何ぞや?」とスマホで検索してしまった。なかなか普段の自炊、また居酒屋メニューでは出てこない一品たちである。

大山の地ビールもあるのだが、ここは地酒の飲み比べセットに目が行く。純米セットの「鷹勇強力」、「八郷」、「自然紀行」が並ぶ。いずれも飲みやすくて料理によく合い、美味しくいただく。共通するのは、大山の水と大地の恵み。

1時間ほどかけての夕食を終え、部屋に戻る。浴衣に着替えて大浴場に向かう。こちらの浴場は温泉ではないが、大山の天然水を沸かしているという。大山はブナ林が豊かで、ブナの葉に集められた雨や雪がおよそ20年かけて腐葉土の地層を経て濾過され、地下水として蓄えられる。そのため大山の天然水はミネラルがバランスよく含まれていて、なめらかな「超軟水」。湯冷めしにくく体の芯までしっかりと温め、肌を潤すとある。ここにも大山の恵みである。

湯上りに、米子で買っていたチューハイなどを飲みながらくつろぐ。BSも映るのでチャンネルをいろいろ切り替えると、BS朝日でオリックス対巨人のオープン戦中継をやっていた。そういえば野球のオープン戦もちゃんと見ていなかったなと、試合途中からではあるが画面に注目する。

この試合、バファローズは開幕2戦目先発予定の宮城が5回まで好投、6回からは開幕3戦目先発予定の山岡が調整登板(翌日が開幕カードの西武戦ということで、あえて対戦を避けてこの日登板した模様)。打線は佐野が先頭打者本塁打を含む2打点でアピールし、3対1でバファローズの勝利。プロ野球も3月26日開幕、今季は広島から声援を送ることになったが、ぜひ大阪、神戸での観戦も計画したいものである。

外はそれなりに冷え込むようだが、暖房もほどよく効いておりゆっくり休める。10畳の部屋とはいいながら、実質使ったのは窓側の半分だけだったが。

翌朝。前日とはうって変わって明るい空である。この日は目的地の大山寺への参詣、11時前のバスで下山する予定である。寺にはそんなに早い時間に行かなくてもいいから、多少はホテルでのんびりできそうだ。天然水の朝風呂に入った後、正統派の旅館朝食で腹ごしらえとする。

チェックアウトして、いったんバス停がある大山ナショナルセンターに向かう。

前夜は暗闇と霧のために気付かなかったが、ホテル手前のリフト乗り場の近くにこのような石碑を見つける。「大関荒岩亀之助碑」とある。明治時代の大関で、大山の生まれという。建立されたのは昭和に入ってからで、石碑の揮毫は当時の時津風理事長、あの双葉山である。この荒岩は小柄ながらあらゆる技をこなす名人という評価があるそうだ。鳥取県出身の力士というのもそう多くなく、琴櫻が唯一の鳥取県出身の横綱であるが、「鳥取城北高校出身」なら現役力士含めて多士済々である。

この無料のリフト乗り場の向こうにはだいせんホワイトリゾートがある。ただ、訪ねた3月14日がシーズンの営業最終日ということで、大山にも春の訪れが見られる。

ナショナルパークセンターに着くと、登山客らしい人の姿もちらほら見る。室内は単なる観光案内所にとどまらず、シャワー室や小上がりの休憩スペースもある。大山登山をする人たちの支度部屋といったところだ。その大山だが、頂上(弥山)までは往復6時間という。この時季だとまだ冬山という認識でいいのかな。いずれにしても、素人が軽い気持ちで登るところではない。

コインロッカーに荷物を預け、これからいよいよ大山寺に向かう・・・。

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第18回中国観音霊場めぐり~大山口へ

2021年03月19日 | 中国観音霊場

大山寺を目指す今回の中国観音霊場めぐり。それと中国地方のローカル線大回りを兼ねる旅の途中で、山陽線で岡山に来てから津山線~因美線と乗り継いで智頭に到着。この日は日本海側では雨の予報で、智頭でもホームに退避して列車を待つ人が目立つ。

折り返しとなる12時56分発の鳥取行きは、智頭急行の車両の2両編成。先ほど1両の中に収まっていた乗客も2両に分かれてゆとりを持って乗車する。同じく津山から鳥取を目指しながらもいったん離れていた国道53号線と、千代川に沿って走る。昼食の後ということもあり、ボックス席でウトウトするうちに鳥取に到着。

鳥取には1月に西国四十九薬師めぐりの但馬シリーズの帰途に立ち寄った。その時は列車からバスに乗り継ぐために1時間近くいたが、今回は列車の乗り換えだけである。17分の接続で14時01分発の快速「とっとりライナー」米子行きに乗り換える。まあ、鳥取については中国観音霊場めぐりの満願の地であるし、また来ることになる。今の見通しでは間に倉吉シリーズを挟んで夏までには来ることができるだろう。

「とっとりライナー」は、アニメ「名探偵コナン」のキャラクターが描かれた車両。鳥取県は境線を走る「鬼太郎列車」が知られていて「まんが王国」をアピールしている。こちらの「コナン列車」も、ドアの横に「パシャッ」と書かれ、ちょうど列車に乗る前に記念撮影でもできそうなスペースがある。

快速といっても、鳥取近郊の青谷までは各駅に停まる。この辺りも海岸に近いが列車はやや内陸を走る。松崎を過ぎると、東郷湖に面した燕趙園の建物が見える。次の倉吉シリーズを回るにあたり、この辺りで泊まるのもいいかなと考えているが、なかなか手頃な宿がない。結局は倉吉の市街地に泊まることになりそうだ。

下北条に到着。「ようこそ 名探偵コナンに会えるまち 北栄町へ」ということで、コナン君のパネルがお出迎え。

その中心となるのは隣の由良。「コナン駅」の愛称もある。ここで下車する人、あるいはクルマで駅までやって来て「コナン列車」を撮影する人も何人かいる。少し前に山陰線のこの区間に乗った時には、大陸の人たちがこの駅で結構降りていたのを覚えている。ちなみに、中国語で「コナン」は「湖南(省)」ではなく「柯南」と書くそうだ。どうでもいいことだが。

雨は鳥取を出る頃には止んでいた。ただ曇天は続き、左手には大山が広がるはずだが見えず、右手に日本海からの風を受ける風車群を見る。

15時47分、米子に到着。大山寺へのバスは16時50分発ということで時間がある。かといって、鳥取から後の鈍行では間に合わない。また、先ほど通過した大山口からも16時50分発のバスが出ている。大山寺へは大山口からのほうが近いので、大山口発のバスに乗れば米子発より20分ほど早く着く。ただ先ほどの「とっとりライナー」で大山口に下車すると時間を持て余すので(地図で見たところ、駅周辺で1時間以上の待ち時間をつぶせそうなスポットは見当たらない)、いったん米子まで出て、次の列車で大山口に行くことにした。青春18だからこそできることだ。

米子駅前のコンビニで、この日の夜食その他を仕入れた後、16時15分発の「とっとりライナー」に乗る。先ほどの「コナン列車」が折り返す。鳥取からの便では通過したが、こちらでは停車する大山口を目指す。

ログハウス風の大山口に到着。下車したのは私ともう一人で、その人は迎えのクルマで駅を後にした。駅前で少し外れたところに大山寺行きのバスが停まっているので乗れるのは間違いないが、このタイミングでは米子方面に向かう列車もなく、バスに乗るのは私だけのようだ。

果たしてそうで、最後部の座席に陣取る。16時50分発だが大山寺への最終便である。途中、昔ながらの格式ある家が並ぶ佐摩の集落を抜ける。この辺りは坊領道と呼ぶそうで、かつての大山寺への参詣道で、またその名前から察するにかつて大山寺が所領としていた一帯なのかなと思う。

集落を抜けるとバスもスピードを上げ、周囲は大山の自然林に入る。外も暗くなってきた。そんな中17時20分、大山寺のバス停に到着。霧というか靄の中で、視界が効かない。最初は眼鏡が曇ったのかと思ったが、眼鏡を取っても同じである。そんな中、案内板を頼りに車道を歩く。ただ通りの店は軒並みシャッターを下ろしていて、外を歩く人もいない。一瞬、この先大丈夫かなと思ってしまう。

5分ほどで着いたのが、この日の宿である「ホテル大山しろがね」。幸い、駐車場には何台もクルマが停まっていて、ちょうど家族連れもチェックインするところ。ようやくホッとする。まずは翌日14日の参詣に向けて、ゆっくりした一夜を過ごすことにする・・・。

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第18回中国観音霊場めぐり~みまさかスローライフの道へ

2021年03月19日 | 中国観音霊場

広島から米子に向かうのに、降り立ったのは岡山。別にここから特急「やくも」に乗るわけではなく、向かったのは津山線ホーム。実はこの先、津山線~因美線~山陰線という大回りルートを取る。

そこに停まっているのは、津山線9時47分発の快速「ことぶき」。そして運用されるのはキハ47の「ノスタルジー」塗装である。内装を「ノスタルジー」に仕立てた車両は数年前から走っているが、その時から塗装が変わっている。以前は赤色の車体の窓の部分がクリーム色だったのが、今いるのはクリーム色の車体の窓の部分が赤色という、国鉄の急行色である。2020年の2月に塗色が変更されたそうで、かつて津山線~因美線を走っていた急行「砂丘」をイメージさせる。

また、「ノスタルジー」要素としては、かつての青色のシート、栓抜きのあるテーブル、「JNR」の扇風機(もっとも、据付型の冷房装置もついているが)といったところ。以前は「みまさかスローライフ列車」に代表されるように、岡山県内を中心に、昔懐かしい列車、そして田舎の風景を楽しむためのイベント列車としても運行されていたが、現在はコロナ禍の影響で中止となっている。まあもっとも、イベント専用にしてしまうのではなく、こうして定期列車として運転したほうが車両も活きるのではないかと思う。

青春18の客もちらほら見かけるが、地元の人のほうが多い様子で出発。座席も程よく埋まったが、次の法界院で結構下車する。岡山駅からバスも通っているところだが、所要時間でいえば津山線のほうが有利だ。法界院はこの中国観音霊場めぐりで二度参りした札所で、この先には特別霊場の誕生寺もある。岡山から鳥取を経て米子に向かうことで、先に列車等での中国一周ルートは完成する。

旭川沿い、そして田園が広がる中を快走する。快速のためスピードを感じるのはよいが、途中で列車の行き違いによる数分停車というのがないので、途中の駅で国鉄急行色の姿を見ることができない。まあ、これは乗り鉄では仕方のないことだ。

1時間あまりで津山に到着。津山の駅ホームじたいも昔ながらの風情が残っており、この塗色も駅によく似合っている。いったん改札を出るために連絡階段を下りるが、姫新線、津山線、因美線に今も残る古い駅舎の写真パネルもあり、見る人を楽しませる。またホームの端から扇形の機関庫も見える。今回は時間の都合で「津山まなびの鉄道館」は訪ねないが、またいずれ、姫新線あたりの乗車と組み合わせて来たいものだ。

次に乗るのは11時35分発の因美線の智頭行き。この前の列車は6時台、次の列車は14時台と、これも閑散とした区間である。鳥取と岡山、関西を結ぶ鉄道は智頭急行が中心となっており、岡山~鳥取を結ぶ特急「いなば」も、わざわざ兵庫県の上郡まで行った後で、智頭急行を走る。そのため、因美線の東津山から智頭までの区間は県境越えもあって閑散としている。まあ、その辺りが「スローライフ列車」の舞台にもなったところだが、あの手の列車は乗客も多く、また途中停車駅のイベントもごった返して、「スロー」ではなく「ラッシュ」だった印象もある・・。

駅内のコンビニで昼食を仕入れて乗車。早めにホームに入っていたので、単行のキハ120のボックス席に陣取ることができた。他にはロングシートも少し埋まる程度だったが、ちょうど隣のホームに新見からの姫新線の列車がやって来た。こちらからの乗り継ぎ客が意外に多く、ロングシートもほぼ埋まるくらいの乗車で出発。

市街地に近い東津山まで走り、ここから因美線に入る。沿線には菜の花や梅などが見ごろで、穏やかな景色の中を走る。ただその中でもやはり出てくるのは中国山地でおなじみの時速25キロの標識。文字通りのスロー列車となる。

美作滝尾に到着。映画「男はつらいよ」にも登場する木造駅舎で知られる。1928年の開業当時の建物がそのまま使われている。因美線の智頭までの区間はこうした昔ながらの建物が残る駅が多く、それもスローライフ列車の演出にも一役買っている。

この先も時速25キロ区間を挟みながらゆるゆると進み、同じく木造駅舎が残る知和、美作河井といったところを過ぎる。そろそろ鳥取県が近いが、ここに来て窓に雨粒がつくようになった。この日(3月13日)の天気は山陰側は曇り、雨の予報。どうやらその境界に差しかかったようだ。

県境の物見トンネルを通過。3000メートル余りの長さで、因美線の中では最難関のところ。現在のキハ120は勾配そのものはそれほど苦にはしないので、トンネルの中は快調に飛ばしていく。

鳥取県に入ると雨の景色となり、外も少し寒そうだ。広島では暑いだろうなと思いつつ、この先大山まで行くのだからと雨避けも含めて多少厚着をしてきたのだが、鳥取県に入ると服装の選択ははずれではなかったなと思う。

12時43分、智頭に到着。列車の乗り継ぎはまだまだ続くが、それはまた次の記事にて・・・。

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第18回中国観音霊場めぐり~いよいよ最終・鳥取県へ・・・の長い道のり

2021年03月18日 | 中国観音霊場

中国観音霊場めぐりも、いよいよ最後の1県となる鳥取県に入る。鳥取県の札所は6ヶ所で、大山に1ヶ所、倉吉・三朝に2ヶ所、鳥取に3ヶ所分布している。宿泊を含めて順調に行けば残り3シリーズで満願ということになる。

今回は札所順として大山を目指す。前回、島根の安来を訪ねたのは1月の積雪が多かった時で、アクセスで予約していた高速バスが運休して(ちなみに木次線も運休)急遽伯備線で往復したり、現地でも境内が雪に埋もれて歩くのに難儀したこともあった。まあ、冬の山陰を少しだけでも体験することができたのはよかった。

では大山にはいつ行くか。さすがに1月や2月に訪ねるのは厳しそうなので、3月の青春18きっぷの時季に焦点を当てていた。3月ともなれば麓の米子辺りは普通の景色だろうが、標高800メートルほどのところにある大山寺辺りは冬の風情が残っているかもしれない。そこで中旬の3月13日~14日を当てる。

大山寺へのアクセスは米子、もしくは大山口からバスである。13日の夜は麓の米子に泊まるのが便利だが、前回は米子に泊まっているし、初めてとなる大山寺周辺で泊まるのも面白そうだ。登山客、スキー客向けの民宿・旅館、あるいは大山寺の宿坊というのもあるが、ここは大浴場つきのホテルを選択する。13日の昼過ぎに大山寺に入って、参詣後に宿泊するか、夕方に大山寺に入って宿泊、翌朝に参詣するかの選択となる。その中で、こういう場所なら朝方にお参りするほうが気持ちよさそうに思い、米子、もしくは大山口から夕方のバスで上がることにする。いずれのルートも到着は18時前、日が暮れるぎりぎりのところだろう。

さて、例によって近くまでどうやって行くか。往路は青春18を使った鈍行利用で米子まで向かうことにする。広島から山陽線で倉敷、倉敷から伯備線で米子、場合によっては山陰線で大山口・・がまともなルートだが、ここはもう少しローカル線を巡っても面白そうかなという選択肢を含んで向かうことにする。

帰りは、前回雪による運休のため乗れなかった松江~広島の高速バスに乗ってみよう。こちらは14日の午後の便をネットで予約した。

3月13日早朝、駅舎改築が進む西広島から山陽線の糸崎行きで出発する。このたびJRグループのダイヤ改正が行われ、この日から新しいダイヤでの運行となった。ただ広島地区にあっては、新しい列車が走るとか新車が入るという明るい話題はほとんどなく、列車の減便に関するものが多い(まあ、他の地方でもこうした話題が目立つのだが)。

中吊り広告がモノトーンなのも暗さを感じさせる。山陽線の快速・普通の減便、各線の終電の繰り上げが行われる。路線によっては最終の広島着の「のぞみ」が接続しないところもあるという。

糸崎で福山・岡山方面の列車に乗り換える。糸崎発7時57分というのは同じだが、前のダイヤでは岡山の先の和気行きだったのが、この日からのダイヤでは和気の手前の瀬戸行きに変更されている。この列車を含めて、山陽線の岡山以東でもこれまで和気行きだった列車が瀬戸行きに短縮されることになった。

普段利用する区間ではないので、まあ「そんなもんか」と、出かける時に時刻表を確認して行程を組めばいいだけだが、普段その列車を利用していた人にとっては厳しいことだろう。別の意味で「新しい生活様式」を考えなければならない。

9時13分、倉敷着。普通に米子または大山口に向かうなら、倉敷から伯備線に乗ればよい。ただ、今回はこのまま乗り続け、岡山で下車する。

今回、同じ米子に行くにあたって遠回りすることにした。岡山から津山線~因美線で鳥取に出て、山陰線に乗り継ぐ。この中でキモになるのは因美線の津山~智頭間。この区間も大概なローカル線で、この機会に乗ることにする。復路が松江~広島の高速バスということで、広島~岡山~鳥取~島根という中国循環ルートにもなる(山口が外れているが・・)。

9時31分、岡山着。この次に津山に向かう列車は・・・こちら。

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芸備線・・でも逆方向に乗って大回り

2021年03月16日 | 旅行記F・中国

木次線の乗車を終えて、終点の備後落合に到着。ちょうど木次線、芸備線双方向からの3本の列車が「落ち合い」、その後離散する時間帯である。広島に帰るのであれば芸備線の三次行きに乗るところだが、ここは同じ芸備線でも逆方向、新見行きに乗車する。

芸備線の広島からの区間は広島市内を走ることもありそれなりの本数があるが、進むにつれて徐々に減ってくる。そしてもっとも本数が少ないのが備後落合~東城間で、1日4往復しかない。早朝、朝、午後、夜・・・それでおしまい。もっとも、東城へは広島から三次、庄原経由の高速バスが通じていて、庄原~東城間の区間便を含めると6往復ある。本数は多くないものの、広島~東城は2時間半ほどで結んでいるからまだ使い勝手はいいだろう。

備後落合の次は道後山、直線距離だとそれほど離れていないが、線路は一度北に向かい、そして南下する。無理やり長いトンネルを掘るわけでもなく、地形に沿って走らせているようだ。この区間に時速25キロゾーンがあり、早速まったりとした走りを見せる。車窓も先ほどの「おろちループ」やスイッチバックのような見せ場があるわけではないが、中国山地の山間を細々と走る。広島~東城の高速バス云々と上に書いたが、備後落合から東城に至る区間は中国道からも大きく離れており、バスは関係ないことだった。

道後山に着くと駅前に青色のクルマが停まっていて、こちらにカメラを向ける人がいる。そういえば、先ほど備後落合を出てしばらくのところで似たようなクルマ、カメラを向ける人を見たような気がする。気動車がのたくっている間に先行したのかな。ローカル線の鈍行とクルマの競走・・・私も以前に中部地方のあるローカル線で実践したことがあるだけに、わかるような気がする。その時は最後が市街地の駅だったので、どちらが早く着いたのかはうやむや、結局ドローとしたように思うが・・。

小奴可、内名といった駅を過ぎる。この辺りの駅は最近の1日平均の乗車人数が1人、2人というレベルで、先ほどの道後山にいたっては0人という年が続いている。単純計算で、年間延べ365人以上の乗車人員がいなければ平均で1人を下回るわけだが・・。

以前にこの区間に乗った時、通過した踏切で列車待ちをしていたクルマを目にしたことがある。1日4往復、合計8本の列車が通過するタイミングである。よりによってその時に踏切に引っかかるとは、よほど運が悪いのかよぼどの強運の持ち主なのか・・という印象を持ち、当時のノートに書いたのを覚えている。

成羽川の流れに沿って走り、この区間最大の駅である東城に到着。帝釈峡の玄関口であり、また東城の町並みはかつてたたら製鉄で栄えた名残で、隠れたスポットという。備後落合から結構長く乗って来たが、ここもまだ(合併後の)庄原市の一部である。さすが、市の面積としては西日本1位だけのことはある。

東城からは少し地形も開けたようで、中国道も並走する。駅の周囲も少しは生活の気配が感じられるようになった。

備中神代で伯備線に入り、芸備線の列車だけが停車する布原を経て16時01分、新見に到着。さすがにこの先姫新線の津山行きに乗って・・・となると青春18だけで広島には戻れなくなるので、伯備線に乗り換える。芸備線、または木次線から乗り継いで来た人もほとんどは伯備線の倉敷、米子いずれかの方面に乗り継ぐようだ。

16時52分発の三石行きまでの間、駅前を少し散策。コンビニもあり、早い食事と燃料を購入することもできた。また駅前の観光案内所でも地元の土産物を購入。一応「ローカル線に乗って地域も元気!!」の一部でも貢献できたかなと思う。

ちなみに、新見はこの方の選挙区の一部。岡山5区のエリアというのはかつての備中国とほぼ同じではないかと思う。明らかにポスター用の笑顔に見える(少なくとも、大臣や官房長官としての会見時に見せる、人を見下したような笑顔とは異なる)。

それはさておき、高梁川に沿って走る。辛うじて明るさが残る中で、倉敷に到着。

倉敷からは18時09分発の糸崎行きに乗る。213系の4両編成という珍しい巡りあわせ。途中の笠岡で後から来た快速「サンライナー」福山行きが先に発車する。あちらは117系がまだ現役で使われていて、せっかくなので福山まででも乗ればよかったかなと思う。この3月のダイヤ改正では、117系の数年後に似たようなタイプの車両として登場した185系の定期運用終了が話題になっているが、117系も息の長い車両になった。それでもまだ「WEST EXPRESS銀河」にも改造されるなど、活躍の舞台はある。

糸崎で広島行きに乗り継ぎ、すっかり暗くなった中を淡々と走る。備後落合から三次経由で戻るよりも3時間ほど余計にかかったが、そのぶん乗り鉄は楽しめた。青春18の元値の半分くらいは1日で回収できたようだ。

とりあえず、高速バスを使った前泊を利用して青春18の1回分を使用。せっかくなのでこの期間も(春分の日が土曜日と重なっているので1日損した気分だが)さまざまな交通手段を使いながら5回分を消化していきたい・・・。

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木次線に乗る~後編

2021年03月15日 | 旅行記F・中国

宍道から備後落合まで木次線に乗車。前の記事では途中の出雲横田で車両切り離しのために21分停車したところまで来た。ここからが後半戦。車両も1両となり、後の車両に乗っていた人たちも含めて立ち客も出る賑わいとなった。もっとも青春18の時季だけの光景だろうが。

出雲横田の次は八川。ここで下車する人がいる。地元の人ではなくて青春18の客である。八川の木造駅舎目当てか、駅前の八川そば目当てか。

八川の次が出雲坂根だが、周りが少しずつ山深くなる中、時速25キロ区間の中をゆっくりと走る。出雲横田からこの先が冬になると運休することが多い区間である。この冬もしばしば運休しており、今回乗車の直前、2月18日~2月28日の期間も運転を見合わせていた。春の青春18の時季に合わせたかのようである。

線路際に見覚えのある施設がある。「舞茸奥出雲」の直売所。11月に庄原市のツアーで出雲坂根のスイッチバックを下った後、駅に先回りしていたバスに急き立てられるように乗せられてやってきたのがこちら。お買い物タイムの確保と、備後庄原駅からの帰りの高速バスの時間との兼ね合いで急き立てる形ではあったが、買った舞茸は帰宅後に美味しくいただけたし、敷地では「延命水」を汲むことができた。また、「延命水」と舞茸、シイタケで作っただし醤油も、和風料理の味付けに活躍した。

舞茸奥出雲から少し進み、出雲坂根に到着。ありがたいことにここでも20分ほど停車する。別に列車の行き違いがあるわけでもなく、これも青春18の客に合わせたダイヤかなと思う。

三段式スイッチバックの前にまずは行き止まりの駅に入る形で、駅や車両の撮影タイムとなる。また、駅舎の脇に設けられた「延命水」を待ちかねる客も多い。私も空にしたペットボトルを持って1本分汲む。何と言うか、独特の味がするんですな。

「延命水」は道路の向かい側にも水汲み場があり、流出量はこちらのほうが多い。地元の人たちがクルマにポリタンクを載せて汲みに来るのはこちらである。

発車時刻となり、進行方向が変わって三段式スイッチバックの二段目に入る。列車によってはスイッチバックの解説が入ることもあるそうだが、この列車に関してはスイッチバックなんて言わずもがなの客ばかりと見たか、淡々と上って行く。二段目の行き止まりまで走り、運転手が再び運転台を移動して三段目に挑む。こうやってジグザグに進むのは、やはり上り勾配のほうが見ごたえがあるように思えた。

元々、木次線はたたら製鉄の資材運搬を目的として木次から宍道まで敷かれた簸上鉄道が前身で、その先は国有鉄道として建設された歴史がある。だから八川から出雲坂根を経たほうがその歴史をたどるようだし、「この勾配をクリアするためにスイッチバック形式になったんですよ」ということがより実感できる。

三段目を進むと、右手には「おろちループ」が見えてくる。右手側の窓からカメラ、スマホが向けられる。出雲坂根から三井野原の区間では、1983年に列車が転落する事故が起きた。乗客乗員は救出されて死者はなかったが、転落した気動車は回収することができずにそのまま廃車となった。その後、10年以上放置された(国道の工事に合わせて回収された)とも、今も埋められたままとも言われている。庄原市ツアーの時に備後落合駅で話を聞いたボランティアガイドの方は「埋められたまま」説だが、実際はどちらだろう。

三井野原に到着。ここで下車する人がいる。スイッチバックを折り返すのだろうか。単に折り返すだけならこの先備後落合まで行っても一緒だが、そこは中国地方で最も高い位置にある駅の途中下車目当てなのだろう。単に乗るだけではない木次線の楽しみがそれぞれにありそうだ。

この先、時速25キロの区間を挟みながらゆっくり進み、14時33分、備後落合に到着。この時間が、備後落合が一日でもっとも、いや唯一賑わう時間帯である。

備後落合は芸備線の三次からの列車、新見からの列車、そして木次線の列車が「落ち合う」駅であるが、3方向の列車が一同に会するのはこの時間だけ。この先、木次線の折り返しは14時41分発、三次行きは14時43分発、新見行きは14時38分発と、数分おきに離れていく。木次線ホームから向かいのホームに行く時、乗り換え客を誘導するボランティアガイドの永橋さんの姿があった。

さて、広島に帰るなら14時43分発の三次行きに乗ればいい。ただ、まだ時間はある。同じホームには新見行きも停まっている。芸備線の備後落合~新見(正しくは備中神代までなのだが)も中国山地のローカル線にあって存続が危ぶまれている区間だ。こちらも久しく乗っていない路線だし、数時間帰宅するのが遅くなるだけなら、この機会に乗ってみようか。

木次線の列車ほどではないが、三次からの列車の先客たちで席もほどよく埋まっていて、ロングシートに陣取る。この先新見まで長時間停車の駅もないが、久しぶりの区間を楽しむことにする・・・。

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木次線に乗る~前編

2021年03月14日 | 旅行記F・中国

3月7日、宍道からの乗り継ぎで11時12分発の木次線備後落合行きに乗る。2両編成だが、後の1両は途中の出雲横田で切り離すという。同駅からの折り返し列車に充てるためだ。それを承知のうえで、後の車両に乗っているその筋の人たちも目立つ。ボックス席もあるし、とりあえず途中まででもいいのでゆったり行こうということか。

前の1両、備後落合まで直通の車両はロングシートにそこそこの乗客がいる。9割がたが青春18旅行者と見える。ロングシートだが体を横に向けても迷惑にならない形だ。

発車してしばらく走ると高架橋の下をくぐる。山陰自動車道である。木次線はこの先、少し離れた松江自動車道と並走することになる。かつては木次線が広島と山陰、松江を結ぶ役割を果たしていたが、今はすっかりこうした自動車道の勝ちである。

一方の木次線は早くものんびりした景色。ただその中でまた新しい道路が建設中である。

加茂中からは平野部を行く。3月に入り暖かい日も続いている。

木次で列車行き違いのために数分停車する。木次線のジグザグした路線図をヤマタノオロチのように描いた看板や、「き♡」という駅名標もある。「木次=き好き」ということか。

昔ながらの駅名標が残る日登から下久野にかけてが難所である。速度がガクンと落ちる。気動車の性能からすればすんなり走ることができるようだが、制限速度が25キロに抑えられている。JR西日本のローカル線ではしばしば見かけられる。線路や路盤整備にコストをかけるのが難しく、強い衝撃を与えないようゆっくり走ることにしているという。まあ、乗っている客のほとんどが先を急ぐ様子はなく、これ込みで3時間の乗車を楽しもうというところだ。

木造駅舎の出雲八代、物産販売所も兼ねた新しい感じの出雲三成を通る。以前に広島に住んでいた時は、木次線沿線をたどりながら近隣の観光スポットを回ったこともある。なかなか木次線だけで沿線のスポットを回るのも難しいところである。

亀嵩に到着。松本清張の『砂の器』で知られる場所だが、駅舎にそば屋が併設されていることで知られている。木次線で途中下車して食べる・・のはなかなか難しいこともあり、「そば弁当」が売られている。事前予約で何時の列車に乗ることを告げるとホームまで持ってきてもらえる。私も予約しようか少し迷い、結局注文しなかったのだが、ホームに着くと後の車両からも含めて10人ほどが最前部のドアにやって来た。早速ロングシートですする人もいる。

12時48分、出雲横田に到着。後の1両を切り離すこともあって13時09分発まで21分停車。時間的にもちょうど中間地点、休憩スポットということでホーム、駅前には客がぞろぞろ出て、トイレと撮影の時間となる。

駅舎は神社の拝殿をイメージした造りで、しめ縄まで飾られている。天気がいいので、駅前の広場で先ほどの亀嵩のそば弁当を広げる人もいる。

後の車両からあぶれ出た客でロングシートも埋まり、立ち客も出る(あえて、前方の車窓を見るために立っているとも言える)。出雲横田からはいよいよ、スイッチバックもある県境の本当の難所に向かうことに・・・。

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穏やかな海景色を見つつ、石見から出雲へ

2021年03月13日 | 旅行記F・中国

折居から山陰線を改めてたどる。先ほど通過した周布までの区間、乗り鉄だからこそ楽しめる日本海の景色である。今朝方出発した浜田に着き、5分停車の間に乗客も入れ替わる。この先宍道までは2時間20分の乗車である。

まずは下府に到着。中国観音霊場めぐりの多陀寺への最寄り駅である。その時は浜田駅から並走するバスに乗ったが。また、広島から浜田に来るまでの記事でも触れたが、浜田と広島を結ぶ鉄道がここから建設された歴史もある。アクオス最寄の波子も過ぎるが、路線バスなら建物の前に停車する。

江津に到着。浜田からの客はここで下車する人が多い。数分停車するので、いったん車外に出て改めてラッピング車両を眺める。石見神楽を生で見たことがないのでどこか機会がないかと思うが、後で知ったところでは、前日泊まった浜田にある三宮神社では毎週土曜日の夜に公演があるという。もっともコロナ対策としてさまざまな制限を行ったうえでの公演で、事前予約も必要とのこと。事前にわかっていたら、鑑賞するプランを考えたかもしれない。

また、江津が石州瓦の原点であることもPRしている。

江の川を渡った先は、久しぶりに鉄道で走る区間である。中国観音霊場めぐりで国道9号線を移動した時は雨に降られたところだ。その時は三次から三江線の廃線跡をたどるためにクルマを選んだのだが、鉄道には鉄道の楽しみがある。海岸沿いの風車も眺めながら進む。

温泉津に到着。ここでも行き違いのために停車する。温泉津の温泉というのはまだ訪ねたことがない。中国地方、まだまだそうしたところが多い。

この先には「鳴り砂」で知られる琴ヶ浜がある仁万を過ぎる。

石見銀山の玄関口である大田市から先も海岸が続く。この辺りに来ると集落の家屋の屋根の色も変わってくる。ちょうど石見と出雲の境界に近づいたこともある。その中の田儀も、海が見える駅として隠れた人気があるという。

穏やかな日本海を存分に眺めて進んだが、田儀を出るとそろそろ陸地に入る。出雲の平野部に入った。市街地にある出雲市からは乗客も増える。この日のメインイベントである木次線への乗り換えである宍道はもうすぐだ。

11時09分、宍道に到着。日本有数の閑散線区である木次線への乗り継ぎ時間は3分。幸い、2両の気動車はホームの向かい側に停まっている。乗り継ぎが3分しかないのが慌ただしく感じるが、そういうものだろう。1両目のロングシートにはすでに先客がそこそこいて、その間に座らせてもらう・・・。

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