ここまで長々と書いてきた宮脇俊三の『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行。実際の旅行に出ることが難しい時期にあって、ブログを書く側としてはちょうどその空白を埋めるネタになったかと思う。ようやく最終日だ。
薩摩大口からは、これも民営化直前で廃止された山野線の区間を行く。山野線は水俣から肥薩線の栗野を結んでいた路線で、現在はこの区間は南国交通のバスが走っている。『最長片道』では唯一の快速列車に乗っている。川内川沿いの区間だが、ここまで来ると車窓の刺激も薄くなったのか、本文、取材ノートともに短く記されている。
そして肥薩線。栗野は前日通った吉松の隣の駅である。肥薩線は大畑ループ線やスイッチバック、そして球磨川の眺めを見たが、逆方向の隼人方面は霧島の山々を見る。途中通過するのが、現在では昔ながらの駅舎があることで人気の嘉例川。季節運転の特急「はやとの風」も嘉例川に停車する。それも時刻表の記載によれば5分、長いケースで8分停車する。ここで対向列車との行き違いがあるわけでなく、駅舎の見物、記念撮影の時間である。
JR九州はローカル線にイベント列車の要素もある特急を走らせている。いわゆる「水戸岡デザイン」というのは私個人的にはあまり好みではないのだが、こうした列車が観光客誘致に一役買っているのは確かである。リアルの2020年では列車の運休も余儀なくされていたが、これから運転も再開される。また九州の各線も実際に回ってみたいものだ。
隼人から日豊本線に入り、再びの錦江湾、そして桜島を見る。どうしても海側の景色に気を取られるが、『最長片道』では反対の山側の景色も面白いとしている。シラス台地がそそり立ち、クスノキやクロガネといった温帯植物が生い茂る様子に触れている。
鹿児島を通過する。鹿児島の玄関駅は隣の西鹿児島(現・鹿児島中央)で、鹿児島は通過駅だが、ここで連想するのがバファローズの西村徳文監督。宮崎の高校を出て、社会人野球の国鉄鹿児島鉄道管理局チームに所属していた。国鉄での最初の配属が鹿児島駅で、駅の改札で切符を切ることもあったそうだ。その時期を見ると、国鉄に入ったのが1978年の春のこと。つまり『最長片道』の旅の当時、西村監督が鹿児島の駅員だったということになる。午後は野球部の練習をしていたそうだから宮脇氏の乗った列車を見ることはなかっただろうし、こういうつながりを見つけるのも面白いものである。
社会人野球の都市対抗や日本選手権の前になると、現在プロで活躍している選手たちが社会人時代に「社業でこういうことをしていました」という記事が出る。純粋に野球だけに打ち込んでプロに入った学生出身(もちろん、学業もきちんとしていたと思うが・・・)と比べて、どこか人間味というか、世間を多少なりとも見てきたというところがあり、私も目を引くところである(別に私の勤務先企業に同様の人間がいるからというわけではないが・・)。
さて、西鹿児島(現・鹿児島中央)から最後の線区である指宿枕崎線に入る。机上旅行では12時発の枕崎行きというタイミングのいい列車がある。一方の『最長片道』では午後の列車だが、枕崎行きまでの時間が空くので、その前に出る山川行きに乗っている。鹿児島市内、路面電車とも並走する区間を過ぎて、今度は桜島を逆方向から眺める。喜入の石油備蓄タンクも登場する。
指宿を通過して山川に到着。現在も「日本最南端の『有人駅』」である(沖縄は除外)。『最長片道』では枕崎行きまでの時間、バスで港を訪ねたり、タクシーで鰻池を見物したりして過ごしている。
そして山川から出発。『最長片道』では、これまで200本近い列車に乗った中でこれほどの満員は初めてと触れているが、3両の車内は下校の高校生で混雑していたとある。これまで「ガラ空き列車の旅でもあった」としていたのが最後の最後でくつがえる。最後に見たのは開聞岳と、水平線の向こうに見える黒い雲。
枕崎に到着。高校生たちは駅ごとに下車しており、『最長片道』の本文ではあたかも淋しげな雰囲気で綴られているが、「取材ノート」では100人くらいがぞろぞろ降りたという記載がある。駅員も1日の締め作業で慌ただしく事務をしていたようで、しばらくは宮脇氏も声をかけるのを遠慮したようだ。一段落したところで、前日で効力の切れた「最長片道切符」を差し出して、下車印を押してもらっている。
・・・これで、北海道の広尾から続いた『最長片道切符の旅』も終了である。
『最長片道』では枕崎に着いたのが夕方の18時30分。それからどうしたかということだが、「取材ノート」にはその続きがある。もっとも、こういう舞台裏というか、楽屋の話をのぞき見するのが良いのか悪いのかは賛否があるように思う・・・。
最初の選択肢は、当時走っていた鹿児島交通の伊集院行き。当初はこれに乗ろうとしたが、車内の座席が汚いという理由で見送る。次は、指宿枕崎線で西鹿児島に引き返すか、それとも酒かと迷う。枕崎に泊まるという選択肢もあったが、旅館が見当たらなかったようだ。そして選んだのが、西鹿児島に行く列車までの20分、寿司屋で酒を飲むこと。イカ刺、鉄火巻、酒2本とある。さすがだ・・・。
帰りはガラ空きの指宿枕崎線で西鹿児島まで2時間半。本格的な夕食は鹿児島に戻ってからのようだった。そして翌日には東京に向かっている。
・・・一方の机上旅行。枕崎に到着するが、以前のように鹿児島交通の列車があるわけでもなく、当時の駅舎も新しいものになっている。まだ午後ということで枕崎駅周辺を少し散策して(さすがに居酒屋はまだ開いていないだろうが)、帰りは鹿児島交通のバスに乗る。薩摩半島を一跨ぎする形で鹿児島に戻る。
そして・・・鹿児島中央駅で1時間ほどインターバルを取った後でも、九州新幹線「さくら」に乗れば、その日のうちに大阪まで戻って来てしまう。まあ、リアルに枕崎、鹿児島まで行ったならばせっかくなのでどちらかに1泊するとは思うが、ここは2020年の机上旅行ということで、鹿児島から大阪まで4時間で行けるということを示しておく。鹿児島中央での待ち時間で薩摩料理のあれこれを仕入れて、「さくら」の車内で打ち上げ・・・。新大阪行きなので寝過ごす心配もない??
※『最長片道』のルート(第34日続き)
薩摩大口12:00-(山野線)-12:23栗野12:42-(肥薩線~日豊本線)-14:13西鹿児島14:54-(指宿枕崎線)-山川17:15-(指宿枕崎線)-18:30枕崎19:09-(指宿枕崎線)-西鹿児島
※もし行くならのルート(第35日)
大口7:15-(南国交通バス)-7:54栗野9:18-(肥薩線)-10:02隼人10:09-(日豊本線)-10:59鹿児島中央12:02-(指宿枕崎線)-14:41枕崎16:00-(鹿児島交通バス)-17:31鹿児島中央18:28-(さくら572号)-22:49新大阪
・・・当初は、1998年に「40年後の『最長片道切符の旅』はどうなるか」ということで北海道から机上旅行の記事を書いたが、東北まで来たところで中断。このまま打ち切りの感じだったが、2020年のこうした状況で旅行に行くこともならなかったことで、続きをまとめてみた。まあ、個人のブログなので話はどうでもいい方向に脱線するが(『「最長片道切符の旅」取材ノート』にどうでもいい脚注をつけていた某教授の筆力には及ばないが)、約40年前と現在の比較も面白かったし、懐かしく思うこと、また当時の世相と並べることで新たに気づくこと、いろいろあったと思う。
でもまあ、実際に行けと言われればどうだろうか・・・。関西近郊の2~3日なら現在でも「最長片道切符」のルートになっているところも多いのでたどってみるのも面白いが。一方、現在はもちろんこのようなルートの切符は発行できないので、乗車券もどのように購入すればよいのかということもある。JR各社が出しているフリー切符や、シーズンなら青春18きっぷを適宜使ったとしても、基本は個別に賄わなければならないので、当時と比べても交通費はバカ高いものになるだろう。
とはいうものの、現在もJR各社をつないだ「最長片道切符」は存在する。鉄道趣味の認知度も高くなり、またSNSや動画配信という手段で実際の旅行の様子も手軽に発信できる環境にある。この後、2020年現在のルートを紹介することにしよう・・・。