まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

オリックス、米国人投手をテスト

2008年01月30日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

パウエルの契約騒動はスポーツ紙の一面を飾るなど大きな問題になっているが、ここに来て大勢の意見は、「契約の正当性としてはソフトバンク有利」というもの。人情論として「やり方としてはよろしくないなあ」という声もあるが、どうもこのままソフトバンクと契約ということになるのだろう。

それを見越してかどうかはわからないが、オリックスが2月の宮古島キャンプでメジャー経験も少しあるヤング投手の入団テストを行うと発表した。やはりパウエルが獲得できなかった場合の保険としての新しい戦力なのだろう。正直、どのくらいの実力なのかは全くわからないが・・・。

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パウエル、ソフトバンクと正式契約・・・

2008年01月29日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

いったい、どうなっておるのだ。

オリックス・バファローズと契約合意に達したと報道された、近鉄-オリックス-巨人と渡り歩いたJPことパウエル投手が、29日になってソフトバンクと正式契約したという発表がなされた。

何の気なしにプロ野球関係の記事をネットで見ていたらそんな話題が飛び込んできて、唖然とするばかり。

記事を総合してみると、オリックスとパウエルはいわば「口約束」で、正式契約の証となる統一契約書は交わしていなかったという。そこに目をつけたソフトバンクが好条件を出したことから、パウエル側がそちらに乗った・・・というもの。オリックスが統一契約書を交わさなかったのは「もう内諾を得ているのだから書面という固いものは来日後でもいいや」と感じたのか、パウエル側から「正式契約はまた後にしてくれ」といわれたのか、それはわからないが、日本の通常の感覚であれば「もうウチにくるもの」というのが、外国人には通用しないことということだろう。

この件について中村勝広本部長がリーグに抗議しているが(それにしてもこの中村さん、阪神監督時代から悲運というかボケというか、損な役回りばかりで表に出ているような気がするが・・・・)、法的根拠ということになればソフトバンク側が正当ということになるのだろう。あちらも先発陣のコマ不足が伝えられるだけに必死だったということだが、正当性ということではオリックス側は弱い。

まあ、パウエルがオリックスを出て巨人に移ったのも契約がこじれての話だし、最初から彼とは縁がなかったということでしょう。昨年の中村ノリの契約に続き、またオリックスのドタバタぶりを象徴する話だが、まだ2月直前、あまり深追いしないほうがいいのではないか。これから新しい外国人投手を探す一方で(誰ぞ左腕がおらんかな)、「先発の枠が一つ空いたぞ」とキャンプで若手にゲキを飛ばすか、次のことを考えねばやってられんぞ。

やはり何事もゲタを履くまでわからない、ということか・・・・。

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江戸東京たてもの園

2008年01月28日 | まち歩き

27日は大相撲初場所千秋楽。久しぶりの横綱同士による千秋楽相星決戦ということで大入り必至、当日の自由席券を求めるのであれば夜明けくらいから国技館に並ばなければ・・・と思っていたのだが、当日は目が覚めたら「所さんの目がテン!」でアンコウの科学をやっていた・・・という始末で、どんなに急いでも当日券の前売りには間に合わないということで結局断念。

P1275970_2ただ寒いものの雲がほとんどない関東の冬の澄んだ晴天とあればどこかに出かけようということで、小金井公園にある「江戸東京たてもの園」に向かうことにする。ここには一度訪れたことがあるのだが、個人的に東京の中でも面白いスポットの一つということで、行ってみることにしたのだ。

この日は西武新宿線の花小金井駅に降り立ち、バスで小金井公園に着く。前回訪れた時はこの公園を舞台にクラシックカーのイベントが行われていたのだが、今は冬の閑散期。花も何も咲いていない。地元の少年野球チームの子どもたちが耐寒マラソンということで、公園内を走り回っているのが目に付く程度。春になれば桜のスポットとして賑わうのだろうが。

訪れた江戸東京たてもの園。まずは屋内の展示室へ。企画展で「移りゆくくらしの歴史」というのをやっており、かつての「いろりのある家」から、時代を経て「茶の間のある家」、「DKのある家」、「電化製品の歴史」ということで、近現代の家庭の変遷を実際の家財用具とともに紹介するコーナー。これらを並べてみてやはり変化の大きいのは台所回り。いかに家事の負担を軽減するかというのが、家財用具の変遷に現れているものである。どこの時代に属するかは伏せておくが、かつてを懐かしむように展示品を見て回る見学客が結構いた。

展示では「サザエさん」の4コマ漫画の単行本を史料として活用し、戦後新しい家財用具が入ってきたことのネタや、波平やマスオさんが台所に立つシーンで「これからは男も家事」というのをさりげなく描いているネタを紹介し、当時の時代背景というのが面白く紹介されていた。

P1275971さてこの江戸東京たてもの園のメインは、屋外に展示されている家屋の数々。両国の江戸東京博物館の屋外版というのもうなづける。まずは農村風景が再現された一角に向かう。ここでは藁葺き屋根の家が移築保存されており、この日もボランティアの人たちがいろりに火をくべていた。これは単なる客寄せということではなく、こうして火を焚くことで家そのものを維持するという目的がある。先月、岡山県井原市の「中世夢が原」という、中世の民家を再現したテーマパークを訪れたのだが、火を焚くことで建物に艶を出させるという話を聞いたことがある。単にセットを置くのではなく、こうした維持活動が建物を長持ちさせるものだということを改めて感じさせられる。

P1275983建物の中央は近代的な高級住宅街というイメージ。「田園調布に家が建つ」の田園調布の大川邸や、日本の近代建築に貢献した前川國男の自邸などが建つ。特に前川邸は切妻屋根に吹き抜けの居間を大胆に配した独特の明るい造りということで、見学客の姿も多い。今でも前川國男の設計による建造物が日本のあちこちに残っており、先日逝去した黒川紀章の作品と合わせて、その建造物たちを見学して回る旅というのもテーマとしては面白そうだ(全然実行には移せていないが)。

P1276004立派な庭園のある高橋是清邸を過ぎると、昔の下町の風情を再現したゾーンにいたる。荒物や、文具店、醤油店などが、かつて商売をしていた姿に限りなく近い形で保存されている。たてもの園の特徴として、かつての家を「居抜き」で再現しているということがある。当時使用していた小道具なども当時の姿に限りなく忠実に再現しているということで、いないのは店主くらいのものである。

P1276006個人的には、かつて白金で店を構えていた「小寺醤油店」の佇まいが気に入っており、味噌樽や醤油のビン、酒・ビールのビンの配置などにうならされるものである。石原裕次郎の「札幌、ミュンヘン、ミルウォーキー」というコピーのサッポロビールのポスターも時代を感じさせるものである。

P1276007その商店街の突き当りが「子宝湯」。北千住の銭湯を移してきたものだが、神社仏閣を思わせる外観は「銭湯」という言葉がよく似合う。宮崎駿の映画でもモデルとなった建物という。

P1276010ちなみにこの写真は女湯から撮ったもの。堂々と女湯で撮影できるのも、たてもの園のなせる技・・・?

P1276012_3・・・銭湯の横には、下谷にあった居酒屋「鍵屋」がある。酒を飲むことはできないが、カウンターの様子から何から、見事に居酒屋の風情である。この建物を案内する職員も絣の着物姿で(それにしても、絶対下町の居酒屋におるなあ~という感じのおかみさん的なの女性をうまい具合にここの担当に配置したものだ)、思わず「熱燗一本!」と声をかけたくなる風情。内田百閒や山口瞳など、かつての酒豪であり文豪であるお歴々も愛した居酒屋。うーん、たまにはこういう店で飲んでみたいものだ・・・・(まだまだ人生経験的に早いのだろうが)。

P1275993江戸から昭和にかけてのさまざまな建物の展示を楽しむことができて、これで400円。一通り見るだけでも最低2時間、その気になれば何時間でも楽しめるところである。東京の穴場的スポットとして、ぜひ他からの観光客にも訪れてほしいものである・・・・。

P1276020※この時期に小金井まで出たのは、2月をもって西武多摩湖線から引退するという西武101系を見ようかな~ということから。しかし江戸東京たてもの園見学後、萩山駅に出たもののその姿はなく、多摩湖線も別の車両が行ったり来たりするという運用で結局断念。後でブログを検索したところでは、午前中限りの運用とか、近くの車両区に行けば見られたとかいう情報がたくさん。うーん、その筋の人間たるもの、やはり事前調査は抜かりなく行わなければならないということですな・・・・。

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初場所は両横綱のデッドヒート

2008年01月25日 | ブログ

熱戦が繰り広げられている大相撲初場所。13日目を終わって白鵬、朝青龍の両横綱が1敗で優勝争いのトップを走り、2敗で平幕の鶴竜が追うという展開。大関陣の不甲斐なさは横に置いておくとして、優勝争いの展開としては面白くなっているところである。

もっとも話題の中心は朝青龍のほうで、白鵬のほうは勝っても格段に騒がれない。白鵬の真面目な性格にもよるのだろうし、両者の相撲の違い(豪快に勝つ朝青龍と、淡々と白星を重ねる白鵬)にもよるものだろう。

おそらくこのまま千秋楽での相星決戦ということになるだろう。横綱同士が優勝を争うとなると、貴乃花と武蔵丸以来のことではないだろうか。個人的には一日の長で朝青龍が勝ってしまうのではないかと予想している。

日曜日の早朝、自由席券を求めて夜の明けない間から国技館に並ぶかどうしようか、思案しているところ・・・・。

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横手の町とほっとゆだ

2008年01月23日 | 旅行記B・東北

まだ夜明け前の盛岡駅に出る。これから乗るのは盛岡5時22分発の田沢湖線大曲行きである。秋田新幹線が走るこの田沢湖線であるが、鈍行列車の本数は実に少なく、盛岡から県境を越えて田沢湖まで行くのは1日わずか4本。未乗車区間である北上線ほっとゆだ~横手に乗るのが今日の目的であるが、横手側から乗り、ほっとゆだでも温泉につかり、その日のうちに「青春18」1枚で帰るということを考えた場合に、このプランということになったのだ。

P1135917その田沢湖線、前日から何度も乗った701系であるが、なぜかクロスシートとロングシートが交互に並ぶというつくり。聞けばこの線オリジナルの仕様という。ただ、なぜ田沢湖線だけなのだろう。こういうつくりならば東北本線に導入してもよさそうに思うのだが、よくわからない。始発電車のこととて乗客もほとんどおらず、ボックス席を独り占めにする。

昨夜からまた新たに雪が積もったようで、雪明かりの中を淡々と進む。赤渕から県境越えとなり、田沢湖着。20分ほど停車するので一度外に出たが、本降りの雪の前にすぐに退散。

そろそろ空が白みだした。小さな駅に停まっていくが、日曜日だからだろうか乗客もほとんどいない。それでも、どんな小さな駅でも保線の職員か地元の人だかが出て、ホームの雪掻きをしている光景に出会う。こうした心遣いというのを忘れてはならないと思う。

P1135926大曲からは湯沢行きの列車に乗り継ぎ、横手を目指す。やってきた車両は前面も横扉も雪が固まっている。また線路上も雪に覆われており、一見線路があるようには見えないのだが、それでも車両で雪を掻き分けつつ、きちんと線路の上を走る。見ようによっては不思議なものである。こうした本格的な雪景色の中を走るのも私にとっては久しぶりのこと。

横手着。ここですぐ北上線に乗り継いでもよかったのだが、かまくらでも有名な雪の町に来たのだからということで、1本列車を落とす。それまでの間、町歩きをしようというものである。

P1135940・・・ということで駅前に出たものの、実に変わりやすい天候。少し晴れ間が見えたと思ったらすぐに雲に覆われ、強い風と粉雪に見舞われたかと思えばすぐに穏やかになる・・・という繰り返し。その中を何を思ってか、雪中行軍とする。途中で地元の商店街の皆さんが総出で歩道の雪掻きをしていたり、ブルドーザーが道路の雪をさらって路肩に捨てていたりと、雪国の朝の光景を見ることができる。これが一日だけではなく、冬の間ほとんど毎日続くのである。まったく余計な仕事であろう。

P1135935そんな中、小高い丘の上にある横手城(ちなみに雪のため頂上到達は断念・・・・もっとも冬季休館だったのだが)を中心とした雪の城下町を歩く。昔の学校「日新館」に出会ったり、本館が有形文化財に指定されている平源旅館の建物を見たりと、寒い中でも味わいのある町での一時を過ごす。また横手といえばかまくらということで、「かまくら館」という、町の文化センターや観光案内所を兼ねた建物に行く。ここではマイナス10度の室内にかまくらをこしらえて年中見られるとのことだが、これまでにおそらくマイナスの町中を行軍してきた身にとってはマイナス10度もさほどの寒さと感じなかった。夏の暑い時ならマイナス10度も異次元の世界ということで面白いのだろうが・・・。ちなみに本物のかまくら祭りも一ヵ月後ということで、何とも中途半端な時期に来たものである。

さてようやく北上線の時間である。今は何も実っていないブドウ畑を抜け、さらに雪深い区間に入る。聞こえるのは気動車のエンジン音のみ。こんなところでもホームの雪掻きはされているし、ポイントのあたりでは保線の職員が出てポイント保護の作業を行っている。本当に頭が下がる。

P1135945ほっとゆだ着。ここまで来て北上線は完乗となる。次の列車まで2時間、ゆだ錦秋湖の冬の景色を楽しんだ後で駅構内の温泉・・・ということを思っていたのだが、駅から外は吹雪で全くといっていいほど視界が効かない。これでは外歩きをするだけ無謀ということで断念し、駅前の観光案内所兼レストランでまずは昼食とする。古代米と山菜の田舎定食に、雪見酒ということで両関の冷酒をつける。これほどの雪だが自動車の往来はそこそこある。よく雪の中を運転できるものだと感心しながら一杯やるうちに、窓ガラスも曇ってきた。

再び駅に戻り、駅の中の温泉に浸かる。シャンプーその他は自分で用意しなければならないが、250円でゆったりできるのはありがたい。時間もあることなのでしばしのんびり。

P1135957 ようやく次の北上行きの時間となった。ゆだ錦秋湖もすっかり凍結しているようで雪景色もしばし楽しめたが、北上まで出ると積雪もほとんどなく、また青空が戻ってきた。あとはここからひたすらに乗り継いで東京まで戻るだけである・・・・。

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盛岡名物に挑戦

2008年01月21日 | 旅行記B・東北

盛岡といえば最近では「三大麺料理」が名物である。その中でも最近はじゃじゃ麺に盛岡冷麺の人気が高いとか(もっとも、盛岡駅の観光案内所のポスターでは「南部はっと麺」というのを入れて「盛岡四大麺」といっていたが)。ただその中でも一番の伝統というか、知名度があるのがわんこそばであろう。

P1125904ということで、この日の夜はわんこそばに決めており、前日に名店「東家」に予約を入れておいた。実は15年くらい前、学生の頃に盛岡に一度宿泊したときに一度わんこそばには挑戦しているのだが(その時も駅前のビルのどこかだったと思うが、この「東家」ではなかったのでは)、一つのお盆に9杯のわんこそばがあり、それが9回分で合計81杯食べたというのを記憶している。それを上回るかどうか。

その「東家」、何でもこの日は座敷をどこかの送別会が貸し切りにしており、わんこそば注文は私だけ。予約していたからだろう。本店は市内の中心部にあるが、そこまで凍結した道を歩くのがかったるい。

P1125906目の前にはマグロの刺身、山掛け、なめこおろしなどのさまざまな薬味が並ぶ。これらをうまく使ってのど越しをよくする一方、薬味を取りすぎると肝心のそばが入らなくなるという、正に薬のようなものである。宴会の一方で私に専属ということになったお姐さんから講釈を受けて「覚悟はよいか」という心持にさせられる。

そしてやってきたそば。お盆に3×5の15杯が乗っかっている。これで普通のざるそば1枚分にあたるとか。そして「そーれ」とか「どっこい」とか「まだまだ」とか「よいしょ」とか掛け声で次々にそばが投げ込まれる。私も薬味はほとんど使わずに、つるっとやっては余計なことを考えずに椀を差し出す。まず15杯が終わり、そばの入れ替えでお姐さんが一度下がる。1分ほどしてまたやってきて、試合再開。あっという間に30杯まで来た。

そんな楽勝気分も、3ラウンドが終了し(45杯)、4ラウンド目に突入すると、ここで急に腹が重たくなった。そろそろボディーブローが効いてきたかな。前のそばを口の中に入れ、しばしモグモグさせてからお替りするようになった。そんな感じで4~5ラウンドをしのぐ。

P1125907そしてやって来た7ラウンド目。もうちょっといけるかと思ったが、そばの威力というのはすごい。ちょうど15×7=105杯としたところで、思わずお椀に蓋をする。試合終了のゴングである。何やかんやで試合開始から15分ほどしか経過していないが、やはりここまで。「これでちょうどかけそば7杯分ね。普通の人で50~60杯だから、よくがんばりました」とやれやれ。ただ多い人は15分でも底なしにいってしまうそうで、あのギャル曽根などは400杯以上いったという。

P1125914100杯を超えると通行手形を模した認定証をいただける。やれやれ、世の大食いには敵わんが、取り合えず最低ラインをクリアということで、盛岡まで来た証にしよう。ただどうだろう、かけそば(ざるでもいいか)7杯分を食べたわけだが、これがわんこそばという形でなく、ざるにてんこ盛りになっていたらどう出ていたか。自分のペースで食べてよいのなら案外もう少し入るかもしれないな。

P1125911しばらく腹ごなしに駅前を歩く。するとどうだろう、そばというのはよほど消化がよいのか、30分も歩けばまた腹に空間ができるのを感じる。であればじゃじゃ麺か盛岡冷麺・・・いや、麺はもういいかなということで、居酒屋に入って軽く飲むことにする。三陸からの牡蠣が入荷されているということで、盛岡の地酒とともに海の幸をいただくことにする。

翌日は同じく未乗車の北上線に挑むことにして、この日は早々に休む・・・。(続く)

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東北歴史博物館

2008年01月20日 | 旅行記B・東北

仙台から乗ったのは小牛田行きのロングシート車。市街地を抜けると広大な田園地帯に出る。ササニシキやひとめぼれなど、宮城米の産地である。

P1125900陸前山王を過ぎ、国府多賀城に着く。ちょうど停車したところの窓の外を見て、思わず立ち上がってドア開閉ボタンを押してしまった。「東北歴史博物館」である。ちょうど、奈良時代の東北支配の拠点となった多賀城跡の一角にあたる。また、現在読みかけでバッグの中に入れてきたのが、奈良時代の朝廷内権力闘争と中央・蝦夷の対立を描いた高橋克彦の「風の陣」だったものだから、「ここで降りよ」という暗示が働いたのかもしれない。乗り継ぎの旅といいつつも途中下車が多いが・・・。

東北歴史博物館。文字通り東北の歴史に関する展示であり、旧石器時代から昭和の戦後までの東北の歴史、文化が多くの史料とともに紹介されている。特に多賀城を中心とした朝廷と蝦夷の対立については詳しい。

P1125897畿内で生まれ育った私などは(あるいは、日本の歴史教育もそうなのだが)どうしても大和朝廷を中心とした見方で、未開の地で野蛮な蝦夷を支配下に置き、大和朝廷の勢力範囲を広げた、ということになるのだが、最近では先述の高橋克彦の歴史小説を初めとして、「東北から日本を見つめなおそう」という動きも盛んになっている。これは何も古代のことに限らず、現在の東京一極集中に対するものでもある。歴史の教育というもの、一つの事実に対していろんな角度・立場からのアプローチを心がけたり、「なぜそういう事象に発展していったのか」ということを考えることがもっと必要であろう。

展示物も多く、予定していた1時間半もあっという間に過ぎ、再びロングシートの客となる。先ほど乗ってきたのは小牛田止まりだったのでガラガラだったが、次の一ノ関行きは「青春18」の客も多く見られて通勤電車なみの混雑。ただ駅ごとに少しずつ下車があり、再び周りの地面が雪で白くなったところで一ノ関着。

そして本日最後となる盛岡行きも、言われなくてもわかっているロングシート。外はすっかり雪景色となり、世界遺産の登録を目指す平泉を過ぎ、ひたすら北上する。日が暮れるのが早く、今回初めての乗車となった花巻~盛岡間もほとんど闇の中だったが、まあ昼間の列車での通過ということで、乗車区間に含めることにする。

P1125903盛岡着。この駅に降り立つのはおよそ15年ぶり。東北新幹線の延伸もあるし、また最近ターミナル駅にはさまざまなテナントも入るようになって明るい感じになっている。

駅前のホテルにチェックインし、さていよいよ盛岡名物に挑戦である・・・。(続く)

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湯本の足湯と仙台の牛たん

2008年01月19日 | 旅行記B・東北

北東北に残るJR未乗車区間の乗りつぶし。3日間あれば東京から鈍行利用で途中下車しながらでも制覇できるプランも作成したのだが、今回は2日間でそのうちの東北本線花巻~盛岡、北上線ほっとゆだ~横手をターゲットとする。本州のJR線乗りつぶしまではあとわずかだ。

まだ夜も明けない中、常磐線の勝田行きグリーン車で出発。仙台までは常磐線経由で北上する。東北本線経由と比べても、「青春18」利用者による混雑度が低いし、所要時間もさほど変わらない。ただ本数が少なくパターンダイヤでもないので、乗る前に時刻表を確認する必要がある。

次のいわき行きが水戸始発のため、水戸で乗り継ぎ。この日はあいにくの雨で、途中で姿を見せる太平洋も暗い感じだ。このままいわきまで行っても次の列車まで1時間近く待ち合わせとなるので、手前の湯本で下車する。

P1125882この湯本は常磐ハワイアンリゾートでも有名な温泉地。旧炭鉱に関する資料館もあり、私としてはそちらにも興味があるのだが、そこまでの時間もないので、駅前にある足湯で一時休憩(実は駅の1番ホームにも「駅の足湯」なるものが沸いているのだが、どうも湯量が貧相に見えたのでパス)。屋根はあるのだが雨も吹き込んでくるところで、体を縮こまらせて傘をさしながらの足湯というのも妙なものだ。少しは疲れが取れたところで、いわきに向かう。

P1125884いわきから原ノ町へはワンマンの701系。いよいよ、「青春18」利用者の天敵?701系の牙城に足を踏み入れる。まあこの車両が登場して長いこともあり、ここでじたばたしても仕方ない。ただ、ロングシートなのは仕方ないとして、暖房の構造からか尻がやけに熱くなるのと、ドア開閉時の「キンコーン、キンコーン」の高音が「もうちょっとどうにかならんのか」という気にさせる。原ノ町に向かうまでの間に、雨から雪に変わった。

P1125888原ノ町からは新車のE721系。シートのつくりなどは東京近郊の宇都宮線や高崎線などを走るクロスシート車のそれ。一気に東京近郊に戻された感じだが、先のロングシート車に比べれば居住性は格段によい。福島県から宮城県に入るとまた雪がなくなった。

P1125891仙台着。ちょうど昼の時間帯。改札を出てまっすぐに駅構内の「牛たん通り」へ。ここは仙台名物牛たんの名店が軒を連ねる人気スポット。そのうちの「喜助」で「一人なら空いてますよ」と手招きされたので入る。限定30食という「厚焼き定食」を注文。塩味が効いていていくらでも入りそうだ。定番の麦飯、漬物、テールスープを含めてあっという間に平らげてしまう。ちょうど入店したタイミングがよかったようで、その後の「牛たん通り」はどこの店も長い行列ができていた。

コンコースで牛たんの燻製と笹かまぼこを買い求め(仙台に来るとやはり買ってしまいますな)、東北本線の旅を続ける。さてここからまたロングシートの旅だ・・・・。(続く)

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インフルエンザ

2008年01月18日 | ブログ

いや~、しんどかった(今もまだちょいとしんどいのだが・・・)。

今週はインフルエンザに罹患し、それでほぼ一週間を棒に振ったようなものだった。

おかしいなと思ったのは14日の成人の日。昼間外出していたのだが、その時からセキが続くようになり、寒気も覚えた。早めに帰宅し、その日は大相撲で朝青龍が稀勢の里に敗れた一番をテレビで見ていたのだがどうも体の調子がだるく、食事もあまりおいしく感じない。こんな日は早く寝るに限ると横になる。ところが寒気の一方で熱っぽさもあるというわけのわからない感じ。体温を測ると38度を軽く越えていた。

こりゃいかんと思いつつバファリン飲んで眠ろうとしても眠れずうなされるばかり。15日朝になると逆に39度に上がっているという始末。座るのがやっとでは会社にも行けない。午前中は横になり熱いお茶で汗をかこうとするが、いつもならすぐに汗が出るのにそれが一向に出ない。むしろ寒気が増し、体温も低くて38度、高くて40度という有様。

・・・ということで近所の病院へボーゼンとしつつようやく歩いて到達。休み明けのことで患者も多かったが、病状が病状ということで結構先に処置室へ通される。最近は鼻水を採取してインフルエンザの検査が10分くらいでできるとか。

その結果は、「A型インフルエンザだね。」 続けて、「知ってると思うけど、タミフルって特効薬があるけど・・・・。あなた一人暮らしか。じゃあ、これは投与できないね。誰か見守る人がいなければ、もし万が一のことがあってはいけないので・・・・。」なるほど、独身士族の行動は何かとヤバイかもしれない。

ということで、ウイルスを抑える薬や解熱やら咳止めやらで4種類の薬を処方される。あとは薬を飲み、水分を取り、栄養を取って十分に休む・・・・ということ。

翌16日はまだ体温の引く気配がなかったが、夕方から夜に来てようやく汗が出るようになった。少しずつ情勢はこちら有利になってきたようである。そして17日、熱はほとんど平熱に近くなったが、まだ咳も出るし体もだるいので、それはまだ治ったとは言えないとのこと。結局15~17日の3日間、会社を休むことになり多くの人に迷惑をかけることになった。

これまでの記憶をたどってみると、風邪による発熱はよくあるが、インフルエンザにかかったというのはなかったように思う。2003年1月(ちょうど今頃)に高熱と体のだるさ等が重なって4日間会社を休んだことがある(なぜ2003年1月というのを覚えているかというと、横綱貴乃花の引退記者会見の中継を布団の中から観ていたため)。

ただ、その時はなぜかインフルエンザとは診断されなかった。医師に「インフルエンザにかかったヤツが歩いて病院に来れるか!風邪じゃ!」と言われた記憶があり・・・・(今思えば正しいような間違っているような)。

というわけで「とうとうかかっちゃったな」というところだが、その原因はいくつか考えられる中、そのうちの一つはこの↓の記事にある行いではなかったかと思う。この次は、その時のことを書いてみよう。

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盛岡へ

2008年01月12日 | ブログ

青春18きっぷの消化と、東北に残るJR未乗車区間の一部走破のために、東京から鈍行を乗り継ぎ、途中下車しながら乗り続けること13時間、東北は盛岡にたどり着いた。

夕食は盛岡名物の「アレ」で、自分の限界に挑戦してみたのだが・・・・。

詳しくはまた帰ってから。

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パウエル、カブレラ獲得

2008年01月09日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

オリックス・バファローズの08年の新外国人選手に、05年にプレーしていたJP日本郵便ことパウエル投手に、昨年まで西武でプレーしていたカブレラが加わることが決まった。背番号はパウエルが50、カブレラが42。

これで今年はローズ、カブレラと、シーズン55本塁打の記録を持つ2人が同じチームに加わることになり、見かけだけではラロッカ、濱中、古木らと合わせて超重量級打線ができることになる。まあこれが実力を発揮するのか、あるいは見掛け倒しに終わるのか、いずれにしても応援のしがい、野次の飛ばしがいがあるというものだ。

一方の先発もパウエルの加入により、パウエル、デイビー、平野佳、川越、岸田、金子、ユウキといったあたり(左投手が誰もおらんがな)が先発枠を争ってしのぎをけずるのか、頭数だけの烏合の衆に終わってしまうのか、こちらも応援のしがい、野次の飛ばしがいがあるというものだ。

まあ、賑やかにやりましょうや。

それとこれは余談だが、同じくスポーツ関係のニュースを追っていたら、「ゴセージ、米野球殿堂入り」の記事があった。メジャーでも抑え投手の草分け的存在として、メジャー通算で124勝310セーブという成績を残している。

ただ私がこの名前に気を止めたのは、ゴセージ投手がバリバリのメジャーの抑え投手の鳴り物入りで当時のダイエーに入団したが、選手としての峠はすでに越しておりよく打たれていたために「誤セージ」というありがたくない見出しをもらっていたからである。日本では「ダメ外人」の一人だったのだが、やはり野球選手としての実力はすごかったのだ。

ローズやカブレラが米国の野球殿堂入りすることはないだろうが、これまでの日本のプレーでの活躍度、印象度は大きなものがある。その名を落とさないような活躍を期待したいものである・・・。

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最初で最後の三木鉄道

2008年01月07日 | 旅行記E・関西

P1035706北条鉄道に乗車後、粟生から厄神に南下する。次に乗るのはこちらも初めての三木鉄道。ただ、この路線、乗客の減少もあり今年の3月末で廃線となる。このあたりまで出張ってくることもなかなかないだろうから、私にとってはこれが最初で最後の三木鉄道になる。

P1035709三木方面からやってきた1両の気動車が折り返す。わずか6.6キロの区間であるがクロスシートを備えている。廃止が近いということで「その筋」の乗客の姿が目立つが、それ以外にも地元の人とおぼしき乗客も結構いて、座席もほどよく埋まる。車内は「ありがとう三木鉄道」というポスターやら、車両の走行風景や駅の写真などが飾られている。ただその中に「鉄道アイドル」のナントカいうのやらのポスターも混じっており、私としては不快に感じる。

厄神を出発し、わずか6.6キロの間に8つの駅に停まる。だから2分も走れば次の駅で、もっと身近に利用しやすそうなものなのだが、やはり走る場所が中途半端なのだろう。三木から神戸に向かう人は神戸電鉄に乗るし、加古川方面に出るにも厄神乗換えが面倒だし・・・。

途中の駅に停まると、そのたびに誰かがホームでカメラを構えている。また沿道のあちこちにはこれもカメラを構える姿を見かける。これが3月の春休みともなればもっと大勢の「その筋」の人が押し寄せ、乗車もままならず、沿線はカメラの放列ということになるのだろう。

P1035719わずか13分で終点の三木着。先の北条鉄道の北条町駅とは異なり、昔ながらの木造駅舎が出迎える。いかにも一昔前の国鉄の駅という雰囲気がそのまま残っている。窓口では各種入場券やらグッズやらが売られているが、中には完売となったものもある。私は三木駅の「単品」の硬券入場券を買い求め、これで乗車記念とする。

P1035729しばらく駅舎を眺め、そのまま折り返しに乗ってもよかったのだが、どうせなら三木の町を歩いてみよう。かつては羽柴秀吉が中国攻めの先鋒戦として兵糧攻めを行った三木城跡や、姫路から有馬を経由し、参勤交代の街道でもあった「湯の山街道」の名残を残している。

P1035730このほか三木は金物の産地であり、今でも金物を扱う店や、三木城跡近くには金物資料館がある(あいにく訪れた日は休館日だったが、唱歌「村の鍛冶屋」の石碑が見られた)。また道が「鍵屋の辻」のように折れ曲がっていたり、格子に漆喰壁の町家もいくつか残るなど、小さいながらもなかなか味のある町並みである。屋号の絵が描かれた卯建も三木独特のつくりという。

ここまでくれば神戸電鉄のほうが近くなり、神鉄上ノ丸駅から神戸電鉄で神戸に出ることにする。三木の人からすれば神戸電鉄に乗るほうがまだ便利だろうし、三木鉄道もこれと接続していればまた状況が変わったのかもしれない。そんなことを思いつつ、六甲の山を越え、神戸の街に降りる(この後、こちらも初めての和田岬線に乗車)。

P1035723第三セクター線や地方私鉄の「廃止」が相次いでいる。元々乗客が少ないことに加え、これらの路線を支援している地方財政が年々厳しくなっていることも追い討ちをかけているのだろう。三木鉄道の場合も、財政再建の一環として三木鉄道の廃止を掲げた人が市長選挙に当選したということも廃止を早めることになったとか。これらローカル線をどうするかという妙案がなかなか出ないだけに難しい問題だ。これらがなくなる前に一つでも多くの路線を訪ねて、沿線の様子を見ることしかできないのだろうか・・・・。

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北条鉄道に乗車

2008年01月06日 | 旅行記E・関西

P1035682大和人さんと神戸寺社めぐりをした翌3日、今度は一人でのんびりと晴天の下出かけることにする。大阪から向かったのは福知山線の谷川駅。ここから、久しぶりの加古川線乗車とする。前に乗ったときには気動車で、当時は途中の西脇市(当時は野村という駅名だった)から伸びていた鍛冶屋線と一緒に乗りに行ったくらいだから、かなり前のことである。

P1035685今度はワンマン電化で、西脇市で乗り換え。西脇市からは独特の塗装の車両だ。沿線の風景だろうか、何を描いているのかもう一つわからず、なにやら迷彩服のようにも見える。ただ車内は普通の内装で、のんびりと加古川に沿って粟生着。

P1035687ここから乗るのは北条鉄道。こちらの線は初めての乗車である。かつて加古川線から分岐していた国鉄北条線を引き継いだ第三セクター線。「フラワ1985」という形式のレールバスが、端のホームにポツンと停まっている。この「1985」は北条鉄道が発足した年だそうで、まあ「東京ヴェルディ1969」みたいなものか。だから20年以上走っている計算になる。その車体も列車というよりはやはり大型バスに近い。

P1035689P1035691昼間のこととて、乗客は10人といない。おまけに半分以上が私を含めて「その筋」の人である。そのバスが加古川線から分かれて、冬の田園地帯を走る。「ガタン、ガタン」と、いつもの列車とは違う音が伝わる。普通の車両は前と後ろに2組ずつの車輪がついており、レールの継ぎ目を通るときには「ガタンゴトン」と連続した音が出るのだが、このレールバスは1組ずつしか車輪がないために、独特の音が伝わるのだ。速度を上げると横に揺れる感じも含めて、正にバスに乗っている感じ。運賃の表示板も、一昔前のバスのそれのようだ。

P1035694途中には国鉄時代そのままの姿を伝える駅舎もあり、ローカル線らしさを味わうこと約20分で終点北条町着。粟生ではホームに借り物のように停まっていたり、国鉄時代の駅舎がそのまま残っているのに対し、こちらは最近建てたとおぼしき立派な駅舎である。再開発によるもののようで、これからも町の顔として頑張っていこうということか。ここには新型の気動車が停まっている。バスと比べてやはりどっしりしている。

P1035696ここで「長寿切符」というのを買い求める。途中に「長(おさ)」駅というのがあり、「長駅寿入り入場券」に「長行き(長生き)乗車券」が入っていた。やはりこうした縁起切符というのは多少こじつけ気味のところもあるが、それも日本独特の洒落ということで、こういうのがあってもよい。

北条町からの折り返し列車には地元の人も乗り、レールバスの座席はほぼ埋まった。また独特の振動を感じながら、粟生駅に戻る。ここからは加古川行きに乗り継ぎ、厄神駅で下車する・・・。

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神戸寺社初詣めぐり・後

2008年01月03日 | 旅行記E・関西

P1025658山陽電車の車両で神戸高速の長田駅に降り立った私と大和人さん。これから向かうのは長田神社である。神功皇后のころに創祀されたという神社であるが、先ほどの生田神社や湊川神社に比べて、その参道は実に庶民的な雰囲気がする。初詣につきものの食べ物の屋台以外にも、地元の商店街が「初売り」の屋台を出していたりする。

P1025662この長田神社、武門の神である八幡社もあれば商売の神もあり、ここでのクーポン引き換えの縁起物は、事代主神が描かれた袋に入った福銭である。また本殿奥では、樹齢700年を超える神木のクスノキをまつった稲荷社に行列ができている。稲荷社といえばそれこそ商売の神のイメージが強いが、ここは無病息災が大きなご利益とかで行列ができている。その社には無病息災を願う「赤えい絵馬」が多数奉納されている。神社ごとにこうした違いが見られるのも、ハシゴ参拝の面白いところだ。

駅から近いところばかりだったためか、午前中で縁起物引き換えクーポンの3社を回り終える。昼食だが屋台の食べ物で済ませるのもちょっと・・・ということで、また神戸高速~阪神電鉄乗り継ぎで南京町の中華街へ。中国の正月は2月の旧正月であるが、日本の正月も大勢の観光客で賑わっており、店頭で売られる饅頭やラーメンなどに長い行列ができている。

P1025666やはり腰掛けて食事したいという我々、中華街を一回りした末に、路地を入った小さな料理店に空席を見つけて昼食とする。「華流ソバ」に「華流チャーハン」という、この店オリジナルのあんかけソバにあんかけチャーハンを食べる。体が十分温まる。この店、大将が一人で中華鍋を操って炒め物もやればギョーザも焼くしラーメンもゆでるしとマルチに料理をこしらえており、表通りの気取った店にはない家庭的な雰囲気というのもなかなかよかった。

腹ごしらえができたところで再び乗り歩きとする。阪神元町から阪神今津、阪急今津線に乗り換え、西宮北口乗り継ぎで宝塚、さらに乗り換えて着いたのは中山。神社の後はお寺で・・・ということで、駅前にある大本山中山寺に向かう。

P1025673山門でわれわれを出迎えたのは、願い事が記された腹掛けのさらし。そう、この中山寺は子授祈願・安産祈願の寺として名高いのである。「そういう願い事やったら一緒に来る相手間違っとるがな!」とお互い思うのだが、何か知恵を授かるとか、よいアイデアが生まれるとか、話を子供に限定しなくても・・・と都合のいいように考えるのである。

P1025674それはこの寺のオープンさにもよるものだろう。ご本尊は十一面観音菩薩なのだが、観音さまがあるかと思えば奥には大師堂もあるし、最近建立されたとおぼしき大願塔には阿弥陀堂もある。おまけに鎮守社ということで鳥居に祠があったり。翻って参道を見れば七福神もいるし、閻魔堂もあれば文殊堂もある。もちろん水子供養もやっている。

とにかく拝むものがたくさんあり、まさに「日本仏教のテーマパーク」状態。私たち初詣客はありがたやありがたやと、自分が見たいパビリオン、もといお参りしたい神様仏様に手を合わせる(そんなことに全然頓着しない人も多いだろう)のだが、一神教がベースであることが多い外国人から見ればさぞ不思議な光景に写っていることだろう。

それでも私たちは意に介することなく、実にすがすがしい気持ちになってまた電車に乗り込むのであった。今年もいいことがありますように・・・。

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神戸初詣寺社めぐり・前

2008年01月02日 | 旅行記E・関西

本年も「まつなる的雑文」をよろしくお願いいたします。

さて、今年も関西の鉄道と初詣の寺社めぐりということで、大和人さんとのお出かけである。今年目指したのは神戸方面。

P1025653阪急電鉄と阪神電車が「阪急・阪神ホールディングス」として何かと共同で行うようになったことの現われか、阪急・阪神に神戸高速鉄道の全線が乗り放題となる初詣フリーきっぷが売られていたので、こちらを買い求めてまずは梅田から阪急の特急で出発。このきっぷ、1000円で1日乗り放題なのに加え、神戸・京都・宝塚地区の寺社で縁起物と引き換えてくれるクーポンが付き、ホテルのランチ・ディナーの割引特典もあるというスグレもの。阪急・阪神の運賃は安いのだが、乗り降りすれば元は十分取ることができるだろう。

P1025651六甲の山の手のゆったりした住宅地を抜け、阪急三宮着。風もほとんどなく穏やかな天候だ。歩行者天国の雑踏の中、まず向かったのが生田神社。生田神社といえば「藤原紀香と陣内智則の結婚式が行われた」という話題が(特に関西では)まだ引っ張られているのが不思議に思う。縁結びの神のような言い方をされているが、それにとどまらず神戸という地域の守り神であり、大勢の参拝客を集めていた。二人で頭を下げ(それぞれどのようなお願いをしたかはさておき)、早速クーポン券で縁起物に引き換える。生田神社の名前の入った福寿箸である。

P1025657続いて向かったのは高速神戸駅すぐの湊川神社。こちらは湊川の戦いで奮戦した楠木正成を祭る神社。「武運長久」という言葉が浮かぶ。まずは大勢の参拝客に混じって手を合わせたのだが、帰りに拝殿の横で、「昇殿参拝 初穂料200円」という張り紙を見つける。200円ならばいいのでは?と、初穂料を納め、巫女さんの案内で昇殿する。ここで紙に願い事を記し、二礼二拍手で参拝。大勢の初詣客の雑踏の音も拝殿の扉で遮断され、なんだかすがすがしい気持ちになる。最後にお神酒をいただき、縁起物の箸と干支の描かれた凧を頂戴する。初詣とあらばお賽銭で200円以上投げることもあるだろう。ただ、同じ200円でこれだけのことができるのだから、よりご利益がありそうなよい心持となった。

「武運長久」、別に私は軍人ではないが、「サラリーマンならビジネスの戦いのようなものやないの?」と大和人さんに言われ、そういうものかなと気持ちを新たにするのであった。

この後は駆け足になるが、山陽電車の車両で高速長田へ。本日3ヶ所目の長田神社を目指す・・・(続く)。

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