まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

ミタイケンひろしま~これからもよろしくお願いします

2020年09月30日 | ブログ

10月の人事異動にて、大阪から広島勤務となる。

広島勤務は初めてではなく、勤務先企業の初任地であり、彼の地で8年勤務していた。広島を出て16年半ぶりに勤めることになったが、驚きとともに「原点回帰」として新たな喜びを感じている。

ただ、異動先の部署は初めてのことなので、そこはこれから新たな緊張、張り合い、刺激としてゼロから務めることになる。

そんな勤務を数日先に控える中、今の通勤ルートのJR某駅で、このような手作りの飾りつけを目にした。

10月から始まる「せとうち広島ディスティネーション」。サブタイトルは「ミタイケンひろしま」である。広島弁の「見たいけん」と「未体験」をかけているが、いや、自分がこの画像のようになるとは思わなかった。

その中で上記のような喜びもあるし、「未体験」ではないが以前の広島勤務から長い年月を経た中での「新たな体験」ができるのではないかと思う。

・・・しばらくは異動・引越の関係で、数少ない貴重な方が訪ねるこのブログもお休みとはなりますが、決して廃止ではなくいずれ再開する予定です。これからもよろしくお願いします・・・。

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第15回中国観音霊場めぐり~松江から帰阪

2020年09月29日 | 中国観音霊場

一畑口12時51分発の列車に乗り、朝方出発した松江しんじ湖温泉に到着。朝方、列車待ちの時間に駅前の足湯に浸かったが、同じ浸かるのなら、先ほど一畑寺からの帰り道を歩いた後の今だろう。ただこの先の移動を考えて、速やかにロータリーに向かい、JRの松江駅に向かうバスに乗る。

途中、城下町エリアをいろいろ回りながら松江駅に着く。

次に乗るのは15時01分発の「やくも22号」。「WEST EXPRESS銀河」乗車当選の後で、復路列車の確認があり、この列車を選択していた。伯備線を明るいうちに走り通す時間帯で、新大阪着も遅くならない。ただ、これに乗ろうとすると一畑寺への生活バスや、松江に戻ってからの一畑電車~路線バス~JRの接続が気になり、1300段を歩いて下りることにまでなった。よく考えればもう1本後の「やくも」でも問題なかったのではと思う。

「やくも22号」までは1時間少しある。まだ昼食を取っていなかったし、何なら昼の「飲み鉄」で、高架下の店で島根の幸で一杯やるか。

入ったのは「はなの舞」。昼の部も定食だけでなく一品料理があり、まずは生ビール、つまみに赤天。歩いた後だけあってのど越しがよい。
 
前夜と同じようにハタハタ塩焼き、シジミの酒蒸しをいただく。手軽に食べられるのはよかった。
 
締めは出雲そば。ともかくこれで前日からの出雲を楽しんだことで、大阪に戻る。
 
松江発15時01分発の「やくも22号」に乗る。連休中にもかかわらず、最少の4両編成である。車掌が、「◯号車の指定席券をお持ちのお客様がいらっしゃいましたら、空席をご案内しますので車掌にお知らせください」とアナウンスする。どうやら、当初は増車で対応する予定だったのが、乗客が少ないとみて取り止めたようだ。
 
中海に沿って走り、安来に到着。この安来には第27番の雲樹寺、第28番の清水寺がある。中でも清水寺はこの辺りの観光スポットでもあるようで、次の次あたり、安来シリーズを組むことになる。広島からだとまた遠くなるところだが。
 
米子でそこそこの乗車はあったが、私の乗った車両の座席は半分も埋まってないようだ。これで伯備線に入っていく。
 
この「やくも」を担当する381系車両は、カーブの多いを高速で通過するため「振り子式車両」として登場して、中央線の「しなの」、紀勢線の「くろしお」、そして1982年から「やくも」として走っている。しかし現在残っているのは「やくも」のみで、それも老朽化にともないあと数年で廃車になるのではと言われている。
 
往路の「WEST EXPRESS銀河」も元は117系。往路復路で国鉄時代の車両となったが、381系が「銀河」のように改造されてイベント列車になることはあるのだろうか。
 
大山は雲に隠れて見えなかったが、日野川の景色など楽しむ。
 
伯備線の中間地点である新見までは覚えていたが、その先の倉敷までの区間ははっきりしていない。今回はご縁あって「WEST EXPRESS銀河」に乗れるということで出かけたが、よくよく考えれば前日に転居をともなう異動を言い渡されたにもかかわらず、のんびりしたものである。まあ、この時は広島での住まいも決まっていなかったので動きようがなかったし、引き継ぎ作業は連休明けからのことなので、どうしようもないといえばどうしようもない。せいぜい、今の住まいにある不用物を整理するくらいで、それなら連休後半でもできる。
 
ただ、列車の中や現地での歩き、飲みの席では先のことをあれこれ考えていたのも確かである。考えても仕方のないことなのだが・・・。最後は気疲れしたのかもしれない。
 
17時39分、岡山に到着。この駅を訪ねる、通過することもこれから増えるだろう。落ち着いたら、駅前のミシュラン居酒屋にも久々に行ってみたい(とは言うものの、在来線で訪ねるならら広島よりも大阪のほうが所要時間が短い)。
 
さて、日本旅行のプランでは「やくも22号」からの乗り継ぎ列車として17時58分発の「のぞみ48号」の指定席券がついている。これに乗れば大阪に早く着くのだが、あえてそれより前の17時49分に出る「こだま856号」に乗る。厳密に言えば、旅行会社のプランで指定された列車に乗らないのでルール違反だろう。ただこの時は、岡山を先発する「こだま」の自由席だから・・と、各駅停車の風情を優先した。
 
「こだま856号」は700系レールスター。始発の博多は14時07分で、岡山まで3時間半走っている。7、8号車は自由席車両だが2列の幅広シートである。その感覚でガラガラの7号車に向かい、どっかりと腰を落ち着けたのはよいが、ふと前を見ると「指定席」の表示。後で知ったのだが、これは連休だからというわけではなく、「こだま」でも一部時間帯の列車ではいつも指定席だという。
 
あわてて後方の自由席車両まで移動する。まあ、自由席もガラガラなので横並びを一手にする形で座れた。
 
相生、姫路、西明石と通過待ち。このうち姫路ではホームの売店で「えきそば」のカップを購入。現地で食べる現物のほうがもちろん美味しいが、どこでも旅情が味わえるのがよい。連休中にいただいた。
 
19時12分、新大阪に到着。ここ数回の中国観音霊場めぐりで見れば、早い時間の帰宅となった。伯備線を明るいうちに走り抜けようということでこの乗り継ぎにしたのだが、その伯備線の区間を居眠りで通過したのはいただけない。
 
ともかく、この先の中国観音霊場めぐりは、私自身が中国地方に引き寄せられて広島から出かけることになった。対象は島根、鳥取両県だが、新たなアプローチも楽しみである。さてどうなるか・・・。
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第15回中国観音霊場めぐり~第26番「一畑寺」

2020年09月28日 | 中国観音霊場

一畑電車から出雲市生活バスを乗り継いで、一畑寺の駐車場に到着する。ここに参詣する人のほとんどはクルマで、あとはタクシー、生活バス、徒歩で1300段の石段を上がるというものだろう。

一畑寺としてはこちらが玄関口のようで、饅頭やせんべいを売る山上商店街が軒を連ねている。その途中に、先ほど一畑口駅で見かけた目玉おやじのモニュメントが出迎える。「欲にころぶな 元気におまいり」、「うん(運)と頂く結縁の道」、「果報はねてまて 涅槃おやじ」というメッセージも書かれている。

商店街を抜けると境内に入り、「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」という薬師如来の真言の碑が建つ。今回は観音霊場めぐりで来ているが、一畑寺は一畑薬師の名で知られるように薬師如来が本尊の寺である。

◯に一の文字をあしらった灯籠が並び、その向かいには「南無一畑薬師瑠璃光如来」「南無大慈大悲観世音菩薩」の幟が交互に並ぶ。観音のほうも篤い信仰を集めているようで、薬師と観音が組み合わされば現世利益は最強ではないだろうか。

1300段の石段の(本来なら)表参道と合流する。ここから本堂までは100段あまり。目玉おやじも「あと一息じゃ!」と声援を送っているようである。

山門をくぐり、もう少し上がって境内に到着。出雲では有名な寺院ということで人出もそこそこある。

ここで出迎えるのは「のんのんばあ」と、少年時代の水木しげるの像。「のんのんばあ」とは、幼い頃に水木家のお手伝いさんだった景山ふさという人で、一畑薬師を篤く信仰していた。「のんのん」とはこの辺りで「神仏に手を合わせる」を意味する言葉だという。水木しげるはその「のんのんばあ」に連れられて一畑薬師にもお参りしたが、道中でも妖怪やお化けの世界をいろいろと語り聞いた。それが後に多くの作品を生み出すベースとなった。

まずは正面の本堂、薬師如来にお参りする。私も極度の近視で子どもの頃から眼鏡が手放せないのだが、そこに別の眼病が出ないよう願って手を合わせる。薬師如来は病気を癒す力があるとして信仰されている。

では一畑が「目の薬師さん」なのはなぜだろうか。本堂の柱に絵巻と一緒に解説が貼られている。平安時代、この辺りの漁村に与市という漁師と、目の見えない母親が住んでいた。

ある日与市が漁をしていると海中に光るものがあり、それをすくってみると立派な薬師如来像が上がってきた。与市はこれを持ち帰って大切に礼拝していると、ある夜、薬師如来が夢枕に立ち、「あなたの信仰心の深さを示すために百丈の滝から飛び降りよ。母親の目は治る」と告げた。

与市はそのお告げを信じ、体に千把のワラをつけて百丈の滝から飛び降りた。すると母親の目が見事に開き、与市も無事だった。これを奇跡として与市は現在の地に伽藍を建て、みずからも比叡山で得度して僧侶となり、今の一畑寺を開いた。後に臨済宗の寺になったが、その後も子どもの目が治ったという霊験が広まり、いつしか「目の薬師さん」、「子どもの無事成長の仏様」として信仰を集め、戦国時代の尼子氏、毛利氏、江戸時代の松平氏からも手厚く保護された。

現在では、これまでの歴史で一畑薬師の分身を勧請した各地の寺院を束ねる意味で、「一畑薬師教団」の総本山でもある。「教団」と書くと、何やら怪しい銭儲けの新興宗教ととらえる人がいるかもしれないが、行われていることは普通にイメージするお寺と何ら変わりないのでご安心を。

で、中国観音霊場めぐり。本堂を向いて右手前に観音堂がある。こちらの本尊は「瑠璃観世音菩薩」という。つまり薬師如来に姿を変えた観音さんということで、そこはあらゆるものに形を変えて人々を救う観世音菩薩の最たるものといえる。

観音堂では、「百八観音霊場」のお砂踏みができる。納札が入ったカプセルがあり、それぞれの札所のお砂が入った座布団を踏んで回ることで、108寺院を回ったのと同じご利益が得られるという。ちなみにこの「百八観音霊場」、現在私が回っている中国観音霊場に、四国三十三観音霊場、九州三十三観音霊場を加えた霊場である。せっかくなのでお砂踏みをしようと思ったが、ここは全体に向けて手を合わせるにとどめた。これは私の勝手な思いなのだが、中国観音霊場めぐりの中で住まいが広島に移ることになったことを受けて、いずれ四国や九州を、「お砂踏み」ではなくガチの札所めぐりで訪ねる日が来るのではないかということが頭によぎる。

一畑寺はそうしたことに熱心なのか、観音堂の中では中国観音霊場、百八観音霊場のPRもあるし、奉納された納経軸も多く掲げられている。

境内から宍道湖方面の眺めもよい。天候が良ければ遠くに大山の雄姿を見ることもできるとある。一畑寺と大山寺、歴史的なつながりがあれば面白いと思う。

また本堂を囲むように八万四千仏の薬師如来が奉納されていたり、十六羅漢像の前には絵馬が多くかかる。「め」の字が多い。これを見て連想するのは壺阪寺。思わず「走るよ目っ!」とやってしまう。

しばらくすると本堂で読経が始まった。祈祷を申し込んだ人たちが外陣に入り、経典を読む。僧侶が「都度ページ数を言いますので」と、薬師如来に関する経典を読み、最後は般若心経で仕上げる。

そのお経を聞きながら朱印をいただく。私は中国観音霊場で来たが、一畑寺は他にも出雲国神仏霊場や出雲十大薬師などさまざまな札所を兼ねている。ただし、新興勢力の中国四十九薬師霊場には入っていない。そこは一畑薬師のプライドがあるのかな。

「お茶湯」のお接待がある。一畑寺の井戸水で沸かしたお茶を薬師如来にお供えして祈念したもので、ありがたくいただく。目を守ってほしい人はまぶたにつけて拝むとよいという。

そろそろ下山することにする。時刻は11時半、下りということを考えれば、12時51分発の列車には間に合うだろう。帰り道を行くと先ほどの商店街に出るので、再び参道を歩き、目玉おやじのモニュメントがある石段に出る。一畑電車の物故者の慰霊碑もここにある。

今度はここから下る。かつてはこの1300段が名物だったそうだが、今はクルマが走るジグザグ道がメインで、この石段を上り下りする人はほとんどない。私が下りた時にすれ違いで上って来たのは二人だけだったが、トレーニングで走っている格好をしていた。それだけに石段もところどころ欠けていたり、かつての灯籠も崩れて倒れていたり、時代の移り変わりを感じる。

下りだからそれほどしんどいこともなく、幸い膝や脚に来ることはなかったが、これが上りならヒイヒイ言って、本堂に着いたらへたりこんでしまうのではと思われた。もし真夏の猛暑日なら、目の薬師さんでも目も当てられない姿になっていただろう。

中間点と石段の麓に目玉おやじのモニュメントがあり、一畑口駅を含めて7種類すべてを見ることができた。これもご利益とする。

ここから一畑口駅までは一本道。少し下った後は平坦な道のりである。途中に小さな滝や、先ほどの車道との交差点に初代な石灯籠を見る以外は淡々と進む。これはこれでしんどい。

ようやく前方に一畑口の駅舎が見えて、行き止まりの線路を目にしてほっとする。一畑寺からは1時間少しかかった。列車まで時間があるので、ホームのベンチでしばらく涼む。

出雲大社前からの列車が来た。また宍道湖沿いに走るが、寺参りでほっとしたのか松江しんじ湖温泉まではのんびり、うたた寝である・・・。

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第15回中国観音霊場めぐり~一畑口へ

2020年09月27日 | 中国観音霊場

明けて20日、中国観音霊場めぐり2日目である。この日目指すのは第26番の一畑寺。途中の第24番、第25番は次の機会として、今回は一畑電車の社名の由来ともなった一畑寺に参詣する。

ホテルで目覚め、朝風呂とする。朝食は本館に移動して最上階のレストランである。バイキング形式だが、混雑を避けるために6時30分から30分刻みで取ることになっている。チェックイン時に6時30分からの部に申し込んでいた。食べ物を取る時はビニール手袋を着用し、共用のトング、またはそれが気になる人は使い切りの菜箸を使う。メニューにはシジミの味噌汁に炊き込みご飯、出雲そば、赤天、のどぐろの干物など、ローカルメニューもある。

宍道湖を見下ろす形での朝食。湖畔の遊歩道では朝からジョギングやウォーキングをする人の姿が結構あり、改めて地元の人たちの憩いの場になっている様子が見える。

朝食後、しばし部屋でくつろいだ後にチェックアウト。一畑電車の松江しんじ湖温泉駅に向かう。この日は単純に一畑口まで往復するだけなので、券売機で往復で乗車券を買っておく。9時18分発の出雲大社前行きに乗ろうと思うが、それでも時間が少しある。ということで、駅前にある足湯に入る。先ほど朝風呂に入ったばかりなのだが・・・。時折湖からの涼しい風が吹き抜ける。

出雲大社前行きは元京王電車の車両。セミクロスシートに改造されており、宍道湖側のシートに座る。この日も前日に続いて晴天で、朝日を受けて湖面も輝いて見える。

9時45分、一畑口に到着。ここも無人駅のため、運転手に切符を渡して下車する。列車はここで向きを変えて出雲大社前に向かう。ちょうど出雲大社前からの列車も入って来て、二つの列車がここで行き違いとなる。

映画『RAILWAYS』でも主要なシーンの舞台となった一畑口。

また、改札口の前では、「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉おやじが出迎える。一畑寺が「目の薬師さん」として信仰を集めていることもあるが、作者の水木しげるが少年時代に大きな影響を受けた「のんのんばあ」が一畑薬師を熱心に進行していて、水木少年も連れて行ってもらったという。その縁でこうした目玉おやじの像が建てられた。このシリーズは他にもあり、この後で出会うことになる。

少し時間があるので駅の周辺を見て回る。少し進むと線路が途切れ、車止めがある。それもがっちりした終着駅というよりは、どこか中途半端にも見える。

ここで一畑電車の成り立ちに触れると、出雲今市(現在の電鉄出雲市)から一畑寺を結ぶ路線として計画され、出雲今市から平田(現在の雲州平田)まで開業したのが1914年。そして翌年に平田から小境灘(現在の一畑口)を経由して一畑坂下(後の一畑)まで開業した。一方、1928年に北松江(現在の松江しんじ湖温泉)から小境灘までも開業した。

しかし戦時中の1944年、小境灘~一畑間が「不要不急路線」に指定され、営業休止のうえ線路を撤去して、軍需輸送を行っていた名古屋鉄道に供出することになった。その後運行が再開されることなく、1960年に正式廃止となった。線路跡は現在は県道の一部になっている。先ほど車止めが中途半端に見えたのも、そうした歴史が現れているようだ。

ということで、一畑口まで来たのはいいが肝心の寺まではあと少しである。タクシー以外、公共交通機関は・・とみると、出雲市の生活バスが運行されている。ただこの生活バスも難所で、平日は日中を中心に7往復あるものの、土日祝日は3往復だけとなる。これから乗るのは10時19分発の第1便で、一畑寺までは10分あまりで着くのだが、着いたバスはそのまますぐに折り返す。一畑寺からの次の戻りは13時18分発と間隔が空く。いくら寺参りといっても、山上の寺で3時間近くというのは時間を持て余しそうだ。またこのバスで戻ると、その後に電車とバスを乗り継いだとしてJRの松江からの帰りの特急「やくも」がぎりぎりになる。

一畑口から一畑寺までは、地図で見ると4~5キロほどだろうか。それならば、帰りは下り道ということもあるので歩くことにするか。1本早い12時51分発の松江しんじ湖温泉行きに乗れそうだ。

待つうちに生活バスがやって来た。バスといっても10数人乗りのマイクロバスである。発車まで時間があるので一度離れたところで退避する。そして、松江方面からもう1本後の出雲大社行きが到着した。この列車からは、60歳代くらいのご夫婦が降りてきた。奥さんのほうがサングラスに杖をついていて、旦那さんが付き添う様子だ。「目の薬師さん」に願掛けをしに行くのだろう。

時間になりバスが駅前に横付けされ、私とそのご夫婦が乗り込む。一応途中のバス停はあるのだがあっさりと通過して、途中から車道の上り道に入る。実は一畑寺には麓から本堂まで1300段の石段があるそうだが、クルマは坂道を上って行く。この坂道もジグザグして結構長く続く。思ったよりも標高が高いところまで出て、先ほどの宍道湖も遠くに見下ろすようになった。

10分ほどで駐車場に入り、バス停に到着。寺へはこの先まだしばらく歩くようで、これからぼちぼちお参りである・・・。

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第15回中国観音霊場めぐり~松江にて一夜

2020年09月26日 | 中国観音霊場

19日は松江しんじ湖温泉にある松江ニューアーバンホテルに宿泊。「WEST EXPRESS銀河」の日本旅行のプランでセットになったホテルである。抽選申し込み時に、宿泊地は出雲市、松江の順で出していたが、松江泊になったのは、翌日の特急「やくも」に松江から乗るということも関係したのかなと思う。

部屋は普通のビジネスホテルの広さ。窓の向こうには宍道湖大橋が見える。

ホテルの売りは天然温泉。大浴場は客室より低い3階にあるが、浴槽に浸かりながら宍道湖を眺めるにはほどよい高さである。他に誰もおらず、しばし景色を独り占めする。

さて夕方の一杯だが、どうしようかと思う。JRの松江駅前ならチェーン居酒屋含めてさまざまな店があるのは知っていたが、橋の北側は松江しんじ湖温泉はあるが夕食つきの旅館が多いし、松江城や官公庁、武家屋敷のイメージである。どこかに何かないか、何もなければホテル1階のコンビニで買い物とするかということで、そろそろ暗くなる中を外に出る。

ふと、松江城の天守閣がちらりと見えたので、せっかくなので行ってみることにした。元々、松江城や武家屋敷といったところは次回以降の観音霊場めぐりで行くかなと思っていたが。中に入ると時間がかかるので、天守閣を下から仰ぎ見るだけでもよいだろう。県庁前を過ぎるともうすぐだ。

松江城は日本の国宝に指定された5つの城の一つである(残りは、姫路城、犬山城、松本城、彦根城)。

大手前広場に立つのは、松江開府の祖である堀尾吉晴像。天守の方向に指示棒を差し出す堂々とした姿である。

城内はまだ開いていて、そこそこの人が出入りしている。

そして到着した天守閣。外観四重、内部五階という造りである。千鳥城の呼び名もある。黒壁で、落ち着いた感じのある建物に見える。間近で見ることができてよしとする。

宍道湖につながる大橋川と京橋川に囲まれた一帯が昔の商人町だったそうで、この日はこの中で一杯やる店をさがす。大衆酒場、焼き鳥屋もいいが、やはり宍道湖、日本海のなにがしかはあったほうがよい。

ただ、気軽に入れそうな店が案外少なかったり、入ろうかという店もこの日は「予約客のみ営業」だったり、難しい。中には「新型コロナウイルス感染防止のため県外客はお断り」と張り紙があった店も。まだ(逆の意味で)こんなこと言って頑張っている店もあるものだ。

これならバスで松江駅まで出ようかと思いつつ歩いた中で、ようやく腰を落ち着けたのは「おいでやす おおきに屋」。松江で京都弁とは、京料理の店というわけでもなさそうだが。店は賑わっていて、カウンターの間に入れさせてもらう。

メニューの表紙に由来があり、この辺りは「京店」というエリアだそうだ。江戸中期の藩主・松平宣維に京の公家から岩姫が嫁いできた。そこで松江藩では、京の町を懐かしんでもらおうと、そうした町を造った。それが「京店」エリア。これは初めて知った。

店としては京風のおばんざいも用意しているが、ここは日本海や島根のものを中心にしよう。そこで出た刺身盛り合わせ。宍道湖七珍の一つであるスズキも入っている。

いや、宍道湖といえばシジミ。現地ならではで、アサリではなくシジミの酒蒸し。シジミエキスを食べるようで、効きそう。

山陰はハタハタも名産。結構大ぶりなやつの塩焼きが出てきた。よろしい。

店のイチオシは串焼きということで、盛り合わせをいただく。しっかり味がついている。

ビール、チューハイの後にいただいたのは「李白」。松江では「國暉」と並んでよく見る銘柄である。始まりは明治時代だが、名付け親は二度首相を務めた若槻礼次郎。詩と酒が好きな人物で、それならばと名付けたものである。もし現代で、当の李白が飲んだらどういう感想を出すのかな。

こちらこそ「おおきに」で店を後にしてホテルに戻る。併設のコンビニでもなにがしかの買い物をして、部屋でくつろぐ。翌日20日も楽しみに・・・。

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第15回中国観音霊場めぐり~旧大社駅から松江しんじ湖温泉

2020年09月25日 | 中国観音霊場

神門寺と出雲大社参詣、古代出雲歴史博物館の見学を終えて、宿泊地の松江しんじ湖温泉に向かう。

その前に、いったん出雲大社前駅を素通りして、南に数100メートル歩く。向かうのは、かつての大社駅。ここも出雲市の観光スポットである。

旧国鉄大社線が出雲今市(現・出雲市)から大社まで開業したのが1912年。その後二代目の駅舎が建てられたのが1924年。それ以降、1990年の大社線廃止まで使われたのが、こちらの神社風の建物である。列車は二度と来ないが、建物は国の重要文化財にも指定されている。

中はかつての風情そのままで、入ったところは三等待合室。かつての切符の等級制の名残である。中央には出札窓口も残る。

廃線当時の運賃表も残る。平成になって間もなくの頃だが、その頃はこうした駅(といっては失礼だが)にも東京、横浜、名古屋、京阪神、広島、福岡、山陰「本線」、山陰「支線」と、各方面の運賃表があり、線路が全国につながっていることを意識させるものだった。かつては各地から大社行きの直通急行もあった。今ではせいぜい近距離の駅の運賃表があるくらい。まあ、それが利用者の実態なのだが・・。

先ほど見た一畑電車のデハニとは対照的だが、近距離の「電車」、長距離の「汽車」という見方もできる。

ホームに出る。駅舎側の片面ホームと、向かいの島式ホーム。間の線路も適度に草むしていて、これはこれで旅情をかきたてるものがある。観光用のポスターにもなったそうだ。

今回「WEST EXPRESS銀河」が出雲市まで走ったことを受けて、どこかの掲示板で「出雲市から大社まで復活しないか」という内容の書き込みがあった。今や線路跡も道路等に転用されているので無理な話だが、大社線が廃止された30年前を振り返るに、何とか存続できなかったのかという思いはある。

今は移設保存されたD51だけが辛うじて雰囲気を出している。

出雲大社前に戻り、14時52分発の松江しんじ湖温泉行きに乗る。島根県の観光キャラクター「しまねっこ」がご縁を結ぶという「ご縁電車」である。元東急の車両。

一畑電車では追加料金で自転車を持ち込むことができ、都市部の鉄道なら車椅子向けのスペースとなる車端部が駐輪スペースになっている。

ちょうど、ツーリングのコンビが2両の駐輪スペースを使っていた。そこに途中からママチャリのおっちゃんがホームと電車の段差を「よっこらしょ」と押して乗り込んだ。普段なら車端部の駐輪スペースに行くのだろうが先客がいる。それでも気を悪くせず、「あ、いっぱいじゃ」と淡々とシートに座り、その前にママチャリのスタンドを立てる。おっちゃんは雲州平田でホームと電車の段差を「よっこらしょ」と押して降りて行った。

東急電車はガタゴトと走り、一畑口に着く。ここでスイッチバックする。別に山岳地でもないが、これは一畑電車の歴史に関係する。翌日には中国観音霊場めぐりの一畑寺に行くために再び一畑口に来るので、その時に触れることにする。

一畑口を境に、進行右側に宍道湖が見える。多少波はあるものの穏やかな景色で、一畑電車おすすめの車窓である。国道431号線が線路と宍道湖の間を走るために、線路と湖岸が接する場面はないが、JRよりは身近である。

松江しんじ湖温泉駅に到着。この日の宿泊は松江ニューアーバンホテル。「WEST EXPRESS銀河」の乗車に応募した際に候補の一つとして選択したホテルである。宍道湖に面するというのがポイントだった。

松江しんじ湖温泉駅からホテルは多少離れている。その間、宍道湖畔を歩く。湖岸で釣りや貝拾いを楽しむ家族連れや子どもたちがいる。9月の連休とかは関係なく、地元の人たちが日常に楽しんでいるように見える。また湖畔は歩道も整備されているので、ジョギングやウォーキングを楽しむ姿も見える。自然体でいいなと思う。

宍道湖大橋のたもとにある須衛都久(すえつぐ)神社に手を合わせて、境内と一体化している立地の松江ニューアーバンホテルにチェックイン。館内にも松江しんじ湖温泉の大浴場があるそうで、リラックスした夜になりそうだ・・・。

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第15回中国観音霊場めぐり~出雲大社と出雲の歴史へ

2020年09月24日 | 中国観音霊場

神門寺参詣と、出雲市駅前で温泉に入ったところで、出雲大社に向かう。バスで行く手もあるが、ここはせっかくなので一畑電車に乗ることにする。

1日フリー乗車券と、出雲大社にある島根県立古代出雲歴史博物館の通常展の入館券のセットが1800円であったので購入する。一畑電車はおそらく電鉄出雲市~出雲大社前~松江しんじ湖温泉と乗るだけなので1日乗車券の元は取れないが、博物館には行こうと思っていたのでこれは便利である。

次に乗るのは11時50分発の特急出雲大社前行き。新しいタイプの車両である。ボックスシートとロングシートが互い違いに並ぶ。壁や天井には宍道湖の名産が描かれている。

列車は特急とあって、大津町、川跡と停車し、川跡で向きを変えると出雲大社前まで停まらない。途中には出雲ドームも遠くに見て、所要時間16分で出雲大社前に到着。

駅前から出雲大社に続く神門通りは多くの人やクルマで賑わっている。例年に比べてどのくらいの人出かはわからないが、この4連休は各地の観光地で緊急事態宣言発令前と比べて人が大幅に増えたと言われている。

参詣の前に、駅横に展示されているデハニ50形電車を見学する。1928年の製造で、現在旅客営業で走ることはないが、車両としてはまだ籍が残っている。2009年には中井貴一さんが一畑電車の運転手を演じた映画『RAILWAYS』にも実車として登場しており、今でも一畑電車のシンボル的存在である。これからも大切に保存してほしい。

さて、出雲大社に向かう。鳥居の前で記念撮影する人が多い。そのまま参道をぶらつく。コロナ禍に立ち向かう人たちへの感謝の気持ちを示すとして、「疫役と闘う全ての皆さんへ感謝 心をひとつにして頑張りましょう」と書かれた幟が参道の両側に並ぶ。

一方、手水場からは柄杓が撤去され、竹の樋を伝って落ちる水を手で受ける。

まず拝殿に向かうが、行列ができている。密を避けて一度に手を合わせる人を減らしているのかと思ったが、係の人が来て「賽銭箱は3ヵ所あります。広がってお参りください。並ぶ必要はありません」と案内して、行列がばらける。おそらく、注連縄が拝殿の片側だけにあるため、そこをくぐった正面だけがお参り口だと思った人が列を作ったのだろう。

出雲大社の注連縄といえば、コインを下から投げて挟まったらご利益がある・・・と言われて、その昔、私もやってみたことがある。その時、一発で挟まった。これは出雲の縁結びもあるな!・・と期待したが、実はこれは大間違い。出雲大社もはっきりと否定している。神聖な注連縄に賽銭を投げつけるのは神様に失礼というわけだ。今はそれが一般に正しく理解されていて、注連縄に賽銭が刺さっているのも見えない。

この後は本殿に近い八足門から改めて手を合わせる。

今回は何もいただかなかったが、出雲大社は神仏習合の歴史もあり、周辺の寺社を見渡すと中国地方や出雲の国で形成された札所めぐりがいくつかある。これから広島に生活を移すと、いずれはこうした地域の札所めぐりをやる日が来るのかな?と、勝手に想像する(もっと真剣に、真摯に取り組むべきは仕事なのだが・・・)。

参道の途中から外に出て、島根県立古代出雲歴史博物館に向かう。こちらはコロナ対策として、建物入口と出口を別にしたり、検温・連絡先記入の実施があった。

ちょうどこの時期は入れ替えのため特別展はなく通常展のみ。ただそれだけでもボリュームがあり、十分満足できる。

まず中央のホールにあるのは、鎌倉時代の社殿を支えた柱の一部である宇豆柱。当時の本殿の規模の大きさ、またそれを支えるだけの技術力を物語るという。

まずは出雲大社の歴史や、「出雲国風土記」にも現れる先進文化の紹介である。出雲大社はこれまで何とも建て替えられたが、平安時代にはより高い位置に、長い階段の上に建てられたともあるし、また一時は神仏習合の影響で境内に五重塔があったともいう。さまざまな記録や絵図から復元した模型もあり、出雲大社の長い歴史を感じることができる。

他には、「出雲国風土記」に見えるさまざまな郡の由来や、昔の生活の様子がうかがえる。

さらに、古代の出雲に強大な勢力があったことを伝えるとして、荒神谷遺跡で発掘された銅剣、銅鐸や、加茂岩倉遺跡で見つかった銅鐸の数々が並ぶ。いずれも国宝である。こうした地方からの視点で歴史を見ると、まだまだいろいろなことが明らかになりそうだ。

通常展のもう1つのコーナーは島根県、特に出雲地方全体の通史のようで、考古学の比重が高い中で、戦国武将の尼子経久や、江戸時代松江藩の松平不昧公なども紹介されている。

また松江藩は怪物で知られた大関・雷電をはじめとした多くの力士を抱え、一時は西方番付の上位を占めていた。また島根出身力士として、唯一の横綱である陣幕や、江戸時代の大坂相撲で活躍した巨体の釈迦ヶ嶽などが取り上げられ、島根は名力士ゆかりの地であるとさりげなくPRしている。今ならば北の富士さんにいつも喝を入れられている隠岐の海か。頑張れ。

他にも石見銀山、たたら製鉄などさまざまな展示があったが全ては紹介しきれない。確かなのは、これだけの展示で600円とは実にお得で、お腹いっぱいになれること。売店の図書も充実している。

・・・もっとも、実際のお腹はだいぶ減ってきた。ここまで来たなら出雲そばだろうと、神門通りの店をのぞくが、軒並み満席、名前を書いて待つパターンである。こうした店に並ぶのは嫌いなので、結果としては通りから脇に入った喫茶店に入る。

店構えは喫茶店だが、メインのメニューは出雲そばやうどん。そばを頼んだらちゃんと三段の割子で来た。そば粉十割ではないだろうが、普通に食べるぶんには天ぷらも含めて悪くなかった。ええやん、出雲では喫茶店でもそばが食えるということで。

この後は一畑電車で松江しんじ湖温泉に向かうが、次の列車まで少し時間があるし、せっかくなので出雲大社の鉄道といえば?・・・の場所に向かう。もう、おわかりだろう・・・。

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第15回中国観音霊場めぐり~第23番「神門寺」

2020年09月23日 | 中国観音霊場

9月19日、「WEST EXPRESS銀河」でやって来た出雲市。この列車に乗った人の多くは例えば一畑電車や他のJR線に乗るとか、出雲大社や松江城に行くのが目的なのだろうが、中国観音霊場めぐりがお目当てというのはなかなかいないだろう。私もこの後で出雲大社に行く予定だが、その前にまずは観音霊場めぐりである。

この日訪ねるのは第23番の神門寺(かんどじ)。神の門、いかにも出雲大社につながる名前に見える。

出雲市駅前に出る。この駅に降り立つのも久しぶりである。出雲大社側の出口は神社の拝殿をイメージしており、ヤマタノオロチや因幡の白うさぎといった山陰が舞台となった「古事記」の物語のイラストが出迎える。

この後出雲大社へは一畑電車で移動することにして荷物をいったんコインロッカーに預け、反対側の南出口から神門寺に向かう。地図で見ると1キロあまりといったところだろうか。近郊の住宅地を抜け、島根大学の出雲キャンパスの手前に森が見える。駅から徒歩15分。

塩冶町神前という町名板がある。出雲大社の門前の歴史でもあるのだろうか。

寺の南側の入口に到着する。「出雲国風土記登場地」の表示もある。寺の由来が記された案内板によると、神門寺は781年、光仁天皇の勅願所として宋肇菩薩により創建されたとある。この辺りを神門郡と呼ぶのは、神門を奉納したことから神門臣という姓を賜ったことから取られている。神門は鳥居のことだという説が有力で、だとすれば出雲大社の入口とか、出雲大社を遥拝するとか、そうした場所だったのだろう。

その後、二世が伝教大師、三世が弘法大師で、弘法大師がここで「いろは歌」を作ったとされているが、これは果たして本当だろうか。

以来密教の道場となっていたが、鎌倉時代になり、良空上人が法然の専修念仏に帰依して、その後は山陰における浄土宗の中心的な道場になり、現在に至るとある。

山門から境内に入る。ちょうど彼岸の時季ということで、地元の人が次々と境内の奥にある墓地にお参りにやって来る。

正面の本堂に手を合わせる。寺としての本尊は行基が彫ったとされる阿弥陀如来である。

本堂を見て左手前に「普門殿」の額が掲げられる観音堂があり、慈覚大師作とされる秘仏の十一面観音が中国観音霊場の本尊である。こちらでお勤めとする。7月、8月の札所めぐりを思うと、般若心経を唱えるのも楽になった。

観音堂と並んで弘法大師堂がある。現在は浄土宗の寺だとしても、弘法大師が三世で、「いろは歌」をここから広めたという伝説があるということで、敬意を表しているのだろう(「いろは歌」が弘法大師の手によるということ自体疑わしいとされていることは置いておくとして・・・)。

山門の奥に「塩冶判官高貞公の墓」がある。塩冶高貞は鎌倉~南北朝時代の武将で、当初は鎌倉幕府を倒そうという後醍醐天皇を支え、後には北朝方についた。後に北朝の足利氏内部の争いの中で高師直の讒訴に遭い、自害してしまう。神門寺は塩冶氏の菩提寺だったという。

塩冶判官と高師直といえば、後に浄瑠璃や歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の登場人物として知られる。忠臣蔵は播州赤穂の浅野内匠頭と三河の吉良上野介のトラブルが発端であるが、当時は事件を直接ネタにすることははばかられたため、南北朝時代の争い、それも高師直が塩冶判官の妻に横恋慕したことから事件が始まったことにした。浅野の赤穂は塩・・ということで塩冶判官、吉良の役職は高家・・ということで高師直となった。よく考えられたものである。

・・・とすると、「仮名手本忠臣蔵」の「仮名手本」は、いろは四十七文字と赤穂四十七士を掛け合わせたもので、塩冶判官ゆかりの神門寺が先に触れた「いろは歌」発祥の地というのはそのつながりから来た・・・ということがあったりして。

納経所にて朱印をいただく。まずはこれで「WEST EXPRESS銀河」と中国観音霊場めぐりがつながり、ほっとする。

ほっとしたところで出雲市駅まで歩いて戻り、改めて一息つくことにする。前夜は出発前に入浴したのだが、やはり夜行での移動だったため一風呂浴びたい。そこで事前にチェックしていたのが、駅前にある「らんぷの湯」。「WEST EXPRESS銀河でようこそ」の看板もある。

「らんぷの湯」というだけあって休憩スペースには数々のランプが並び、浴室内はヒノキの浴槽にランプがともる。露天風呂は竹林を眺めながら一人ずつのヒノキの浴槽につかる。先ほど歩いたのも含めてここで汗を落とす。これから出雲大社に向かうのに身を清める・・というのはオーバーだが。

そして出雲大社である。出雲市駅からはバスで行くのが近いのだが、せっかくなので一畑電車の全線に乗ることにする。ということで、隣接する電鉄出雲市駅に向かう・・・。

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第15回中国観音霊場めぐり~WEST EXPRESS銀河で山陰へ・朝編

2020年09月22日 | 中国観音霊場

9月19日、「WEST EXPRESS銀河」は伯備線を走行中。外が明るくなって自然に目覚める。外は曇りというよりは霧が出ているようで、山の中で迎える朝である。何とも幻想的だ。

車内放送が入り、間もなく生山に着く。6時02分着で、発車は6時34分。岡山行きの特急「やくも2号」と交換し、また新見発出雲市行きの鈍行を先行させる。あくまで、定期列車の運転に影響が出ないように走るダイヤである。

乗客にとっては朝のお目覚めタイムである。昨夜の大阪、姫路では暗い中だったが、ここに来て明るい空の下、銀河の車両を見ることになる。ちょっとした撮影タイムとなる。

また地元の人たちも「WELCOME SANーIN」と書かれた横断幕でお出迎え。

生山駅がある鳥取の日南町はトマトの名産地だという。ホーム上ではそのトマトを使ったジュースやレトルトカレーなどが販売されており、目覚めの1杯ということで「まるごととまと」の塩入り、無塩それぞれの小瓶を購入する。わざわざ冷やしてもらっていて、前夜の飲み鉄や「えきそば」でお疲れの胃袋によく効く。

6時29分発の出雲市行きの鈍行を先に通して、6時34分に出発。次の停車駅は米子だから、その間に鈍行を追い越してしまうのでは?と思ったが、時刻表を見ても鈍行のほうが先に着く。これはどこか途中の駅でドア扱いのない停車があるのだろうか。

そう思ってぼんやり外を見ると、果たして2駅先の黒坂で停車する。朝早くから子どもを連れた地元の人たちがホームに見物にやって来る。外が明るくなったので、この先いたるところで撮り鉄の人や、家の軒先で銀河を見送る人たちを見ることになる。

列車は日野川沿いに走り、徐々に周りも水田が増える開けた景色となる。伯耆富士の大山の車窓案内が入る。あいにく頂上付近は雲に覆われていたが、山陰に来たことを実感する。ちなみに中国観音霊場の札所の一つに、その中腹にある大山寺が含まれていて、いずれ訪ねることになる。その頃は大阪からではなく広島発となっているはずで、今後交通機関の組み立てをどうするかという新たな楽しみもできる。

伯耆大山から山陰線に入り、7時46分、米子に到着。8時18分まで停車である。米子は57年間存続した駅舎が先日閉鎖され、南北自由通路の新設を含めてリニューアル工事に入ったばかりである。

ここで朝食の弁当が積み込まれ、引換券を持って4号車の「遊星」に向かう。さすがに朝はここで食べる人で席が埋まっており、自席に持ち戻っていただくことにする。こちらは「吾左衛門酢」で知られる「米吾」特製の幕の内弁当で、紅ズワイ蟹、ハタハタ、あご野焼きちくわ、大山鶏、イカ麹漬などがびっしり詰められている。むしろこちらのほうが朝から一杯やりたくなるようなメニューだが、この後は札所めぐりがあるために自重する。

米子まで来ると外は青空で、この後は島根県に入り、中海から宍道湖をたどる。途中、安来、松江、玉造温泉、宍道と停車する。各駅では生山と同じように「WELCOME SAN-IN」の横断幕を持った地元の人たちがお出迎え。米子から先は通常列車の合間を縫うこともあり、それぞれの停車時間も2~3分ほどしかない。まあ、この辺りは私が中国地方に移ることで新たな「地元エリア」になることから、来る機会も増えることだろう・・(といいつつ、他の地方にも出かけるのだろうが)。

しばしうとうとしながら宍道湖の南を走り、9時31分、終点の出雲市に到着。

ここで最後の撮影タイムとなる。大阪から11時間かけて走ってきて、お疲れさまである。今回リクライニングシートでも夜の顔、朝の顔と十分楽しめ、まずは旅の大きな思い出となった。ぜひ、多くの人に乗っていただきたい列車である。

なお「WEST EXPRESS銀河」は一休みした後、夕方16時、大阪に向けて出発する。今回の日本旅行プランでは往復乗車というのもあり、その場合は出雲市滞在6時間半で再び車中の人となる。それも慌ただしい。

私はといえば、ここからがお目当ての観音霊場めぐりである・・・。

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第15回中国観音霊場めぐり~WEST EXPRESS銀河で出発・夜編

2020年09月21日 | 中国観音霊場

9月18日、夜の大阪駅に向かう。

中国観音霊場めぐりをしているうちに、私自身が人事異動で中国地方に行くことになるという、これも観音さんの「ご縁」なのかなという気持ちで、今回「WEST EXPRESS銀河」の抽選に繰り上げ当選したのもその前触れだったのかなと思う。実は9月乗車にはどうせ落選だろうと10月乗車分に応募しており、さらに11月乗車分の応募も検討していた。10月分は実際に落選したのだが、仮に当選したとしても乗りに行くのはちょっと難しかっただろう。また、18日から募集が始まった11月乗車分については応募も見合わせることにした。

ただ、12月からは山陽線の昼行列車として大阪~下関を走るそうで、こちらに応募するのもありかなと考えている。まだ住むところも決まっていないのに、こういうことだけは気が早い。

大阪駅構内のコンビニにて、夜の飲み物と、銀河のグッズとしてクリアファイルと、眠るのによいかなと空気枕を購入する。一夜を過ごすのは通常のリクライニングシートのため、枕はあったほうがよい。

3番ホームに上がる。電光掲示板の「銀河」の文字の横に☆マークがあしらわれている。かつて大阪~東京を走っていた夜行急行の「銀河」を連想させる。

今回の乗車は日本旅行主催の団体旅行の扱いで、大阪駅では4号車のみドアが開くとのことで、その付近に集合するよう案内を受けていた。係の人に体温を記入したチェックシートを提出すると、改めての検温と、参加者の印としてワッペンを渡される。途中の駅でも停車するので、正当な乗客であることを見分けるためでもある。

22時21分、3番ホームに青黒く塗られた117系がヘッドライトをともしながら入線する。22時28分までが停車で、それまでしばしお披露目の時間である。ホームの向かい側はまだ新快速、快速が発車しており、通勤帰りの人もこちらに注目している。晴れがましい。

4号車はフリースペースの「遊星」。4人掛けのボックスシートや小上がりの座敷が並ぶ。

後方の5号車はノビノビ座席の「クシェット」。かつてのB寝台をイメージさせるが、B寝台と比べると座席同士の間隔が狭いように見える。知らない人と相席になったら気を使いそうだ。

最後尾の6号車はグリーン個室。それぞれの部屋が斜めに配置されていて、通路も曲がっている。個室なので中の様子はうかがえない。最後尾にはフリースペースの「彗星」がある。

車内を取って返して、所定の3号車に向かう。車両の中央部がリクライニングシートで、左右5列ずつ並ぶ。このツアーでは密を避けるために1人あたり2席が割り当てられており、通路側の席も使うことができる。前後の間隔も通常の座席より広く取られているので、フルにリクライニングしてもお互いに気にならない。横にはなれないが、「クシェット」よりは自分の空間が保てるのではないかと思う。そうするうちに大阪を発車。

同じ3号車にはフリースペースの「明星」がある。テーブルカウンターには、「明星」のほかに「距離」、「マスク」など、かつての夜行列車のヘッドマークをあしらったコロナ対策のよびかけがなされたアクリル板で仕切られている。「距離」のイメージが「瀬戸」で、本州と四国の距離になぞらえているのが面白い。

しばしここで陣取って、夜の「飲み鉄」とする。ツアーのセットで夜食として「WEST EXPRESS銀河弁当」がついていて、4号車で乗車記念証と一緒に受け取る。弁当の製造元は関西では言わずと知れた淡路屋で、兵庫の「たこ飯おにぎり」、大阪の「いもたこなんきん」、京都の「すぐき漬と抹茶わらび餅」が盛り付けられている。六甲の夜景を眺めながらしばしの一献である。

三ノ宮、神戸で停車して、明石海峡大橋まで見たところで「明星」の席を立つ。本来ならばこの先の2号車、1号車も見たいところだが、2号車は女性専用席、1号車はグリーン車ということで、それぞれの号車の利用者以外は立入禁止となっている。

ここで引き返し、リクライニングシートは後でいいかなということで、しばらく「遊星」の小上がりでくつろぐ。靴を脱いで上がれるのがよい。フローリングの感触が心地よい。

しばらく停車の案内があったのは土山。「WEST EXPRESS銀河」は先を急ぐわけでもなく、定期列車や貨物列車の合間を縫って走るので、こうした長時間停車がちょこちょこある。ドアの扱いがないので車内から外には出ることはできず、逆に外からはしばし撮影タイムである。どの駅でどのくらい停車するのかという情報も出回っているのだろう。23時を回っているにも関わらずホームからカメラを向ける人の姿も結構見かける。

次の停車は姫路。金曜日運転時に限り23時48分に到着して、0時42分まで1時間近く停車する。

ここでは「WEST EXPRESS銀河」の乗客のためだけのサービスがある。名物の「えきそば」のスタンドが臨時営業していて、私もお目当てにしていた。他の客も楽しみにしていたようで、スタンドには行列ができる。持ち帰り用の容器に入れているのでホームでも、車内でも食べられるとのこと。私は外の風に当たりたかったのでホームのベンチでいただいたが、「遊星」のスペースでもいたるところでそばをすする音が聞こえる。

また、深夜の駅弁の立ち売りもあった。「えきそば」や駅弁の立ち売りを追いかけるテレビ局のクルーがいて、乗客にもインタビューをしたり、そばをすすっているところの映像を撮っていた。私もMBS毎日放送から一言求められたが、そんなに面白いコメントはしなかったので、たぶん放送で使われることはないだろう。

1時間も停車するということで、改めて編成を外側から見ることにする。かつて新快速で使われ、関西のエースとして君臨した117系だが、往年の外観のイメージをそのまま残しつつ、内部をよくあそこまでリニューアルできたものだなと感心する。

姫路ではテレビ局のクルーもいたが、それ以外にもスマホやら小型カメラを手にして、ホームの上をブツブツ言いながら歩く人が何人もいる。ユーチューバーなのだろう。そりゃ、「銀河」に乗ったとなれば動画もアップしたいところだろうし、それを観る人も「銀河」に乗ったような感覚になれる。ひょっとしたら私もどこかで映っているかもしれず、また検索してみよう。

時刻は0時を回ったが、眠る前にもう1杯飲もう。売られていたのは姫路の地酒「龍力(たつりき)」。こちらを「遊星」の小上がりで飲み、そろそろ眠ることにする。翌朝もゆっくりしたもので、終点の出雲市到着は9時31分。多少眠りが足りなくても、朝寝ができるのはよい。

リクライニングシートの2席をフルに使う。枕を使って身体を斜めにしたり、あるいは窓を枕にして横向きにしたり・・・要は眠る体勢をあれこれ試行錯誤していたのだが、岡山や倉敷といったところは全く気付かなかったのでそれなりに眠れたのだろう。

翌朝は鳥取の山中で目覚める・・・。

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第15回中国観音霊場めぐり~出発前に私自身大きな動き、これも観音さん?

2020年09月20日 | 中国観音霊場
9月18日の夜に「WEST EXPRESS銀河」に乗車して出雲市に行き、中国観音霊場めぐりの続きを行うとして準備をしていた。

私自身、この列車の抽選に繰り上げ当選したのは観音さんのご利益、お導きだととらえて、これは札所めぐり2ヶ所(神門寺、一畑寺)、そして出雲大社にも行くことに決めていた。

そして、出発を翌日に控えた17日の昼、職場でトップから呼び出しを受けた。私はてっきり、パソコンの操作の仕方でも教えてくれというのかなと思って入ったところ、「内示です」と切り出された。

そこで出たのは、広島への異動。事前に何の気配も感じなかったのは私が鈍感なのだろうが、今の職場も長かった中、正直驚いた。

そこを謹んで受け取り、異動先にも挨拶の電話。話を聞く限りでは昇格人事だし、どちらかといえば先方からの申し入れによるものとのこと。18日に社内で正式に発表があった。

私にとっては、広島は入社時に配属され、社会人生活をスタートさせたところ。その時はまる8年勤めて、後に東京や大阪と回ったが、今回の異動で16年半ぶりに「古巣に復帰」という形になった。

同じ異動でもこれが他の地域だったらもっと驚きだったが、行き先が広島というのも上記の経緯からとはいえ、私には「中国観音霊場のご縁が私を引き寄せた」と思える。「もうちいと、近いところで回りんさい」とでも言われているような・・・。

これから引き継ぎ、転居と慌ただしくなるが、今回の札所めぐりは予定通り行くことにする。せっかくの列車旅である。また新たな人生局面に向けて、気持ちを整えたいものである・・・。
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第15回中国観音霊場めぐり~WEST EXPRESS銀河に乗る

2020年09月17日 | 中国観音霊場

当初はこの時期に行くはずはなかった中国観音霊場めぐりであるが、思わぬことから9月に急遽組み入れることになった。

前回(第14回)の紀行文の最後に、9月18日出発分の「WEST EXPRESS銀河」に繰り上げ当選したことを書いた(その記事はこちら)。

運転初日の9月11日の出発の様子はニュースにも出ていたが、コロナ対策で定員を絞ったこともあってか、抽選倍率は11日発の下り出雲市行きが53倍、12日発の上り大阪行きが27倍、上下合わせて40倍というものだったという。上下で倍率に差があるのは、下りは銀河利用、上りはやくも+のぞみという組み合わせの希望が多かったためと言える。18日発は初日ほどとはいかないにしても、数十倍の競争率は間違いないところだろう。

そこを繰り上げとなったのは、日程が合わずキャンセルしたか、料金の支払いが期日に間に合わなかった方がいてのことだが、私個人としては中国観音のご利益だと勝手に思っている。

無事に乗車券・特急券と、夜食・朝食・ホテルのバウチャーが送られてきた。銀河のしおりや、現地で記念品と交換できるパスポートも入っている。

今回は日本旅行主催のツアーに参加する形で、代金は31200円。特急で往復する定額よりも安いうえに、ホテル(朝食つき)もついている。そこに弁当2食分。さらに、GoToキャンペーンが適用される。35%割引となり、実質支払いは20280円。これは、乗る前に観音経を唱えるしかない(車内では迷惑なので)。

で、肝心の中国観音霊場めぐりだが、今回は第23番の神門寺(かんどじ)、第26番の一畑寺を訪ねることにする。前者は出雲市駅から近く、出雲大社とセットにする。後者は一畑電鉄の社名の由来にもなった名刹で、今回の現地泊が一畑電鉄の松江しんじ湖温泉駅近くということもあり、敬意を示すことにした。挟まれた形になる第24番の禅定寺と第25番の鰐淵寺は、いずれも公共交通機関で行くには超難所のため、次回に石見~出雲と回るルートの中で、レンタカー利用も視野に入れて訪ねることにする。

乗るのは普通のリクライニングシート車なので、グリーン個室やグリーン車、あるいはクシェット(ノビノビ座席)と比べれば地味かもしれないが、懐かしい座席夜行の風情が楽しめそうだ。この機会を貴重なものとして、決して無駄にしないように・・・。

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「安倍亜流内閣」・・・いや、「帰ってきた民主党」の方に言われても、何もうれしくないですよ。

2020年09月16日 | ブログ
16日、安倍内閣総辞職を受けて、菅内閣が発足。

まあ、派閥の論理がどうのとかはあるが、とりあえず各派閥の顔色をうかがいつつ、あまり色物的な人物も登用せず、まずは手堅く行くようだ。加藤官房長官というのにはさまざまなツッコミも出ているが、政権とすればこういう状況に「適材適所」なのだろう。

その一方で、新たに発足した立憲民主党の枝野某は、さっそく「安倍亜流政権」と名づけたとのこと。

まあ、それが実態だとしても、あんたがそれを言う資格があるのかな。貴様こそ、立件民主党・・・もとい立憲民主党で独裁者気取りでしょ。その党も気楽な身分で甘い汁を吸うことに関する能力はギネス級の汚沢に毒されているだけで。

本気なら、菅を殺してでも政権を奪うくらいの気概を見せろや・・・。
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第45番「三千院」~西国四十九薬師めぐり・21(京阪特急で出かけましょう)

2020年09月15日 | 西国四十九薬師

9月に入り、多少は猛暑も和らいできたところ。9月12日にギリギリということで慌てて京都国立博物館に西国三十三所関連の特別展を見に行ったが、これを機に、同時に回っている西国四十九薬師めぐりもぼちぼち再開である。

次に訪ねるのは、7月初めのくじ引きとサイコロで決まった三千院。その時は「京都の中でも避暑地のようなものだから」と、真夏の時季に行くつもりでいたが、やはり猛暑、台風、混雑・・まあ、何やかんや理屈を並べて、結局7月、8月と出かけることはなかった。ただこれではいつまでも次に進めないので、とりあえず行くことにする。9月14日、医療機関での検査があるのでこの日は有給休暇を取得して、朝イチに病院に行ったその足で出かける。大阪、京都の最高気温もようやく30度そこそこに落ち着いてきたこともある。

12日は「近鉄1dayおでかけきっぷ」を活用する形でわざわざ近鉄電車で大回りをして京都に向かい、帰りには2階建てのビスタカーにも乗った。ただ14日はシンプルに京都・出町柳まで行ってそこから大原行きのバスに乗り継ぐことにする。

・・・というわけで、この日はこちらの2階建て車両に乗る。淀屋橋から出町柳までは50分あまり。

大原行きのバスは30分に1本。少し時間があるので高野川と鴨川の合流地点で少し涼んだ後に、バスに乗り込む。地元の人が結構乗り込み、立ち客も大勢出る中での移動である。途中、道路工事にともなう片側交互通行の区間があり、渋滞する。この区間を抜けるだけで15分近いロスになったが、市街地を抜けると高野川沿いに順調に進んで行く。停留所ごとに少しずつ下車もあるが、観光客もそこそこ乗り続けている。

終点の大原に到着。ここに来るまでの沿道でも目立っていたが、信号の横で出迎えるのはこの方のポスター。ちょうどこの日の午後に自民党では菅新総裁が選出され、前後して野党では立憲民主党と国民民主党がそれぞれ合流・分党の形で再結成された。その中で前原氏は国民民主党に残ることを選択している。今となっては「過去の人」のようなイメージだが、新たな政治局面の中で存在感を発揮することができるだろうか。

三千院の参道を上がる。坂道に沿って土産物店、食堂などが並ぶが、そのうち何軒かはシャッターを閉じている。三千院は近畿三十六不動めぐりの札所でもあり、ちょうど2年前の8月にも来ているが、その時の賑わいとは違う。単に今回が平日なので休んでいるだけなのか、それともインバウンドの客が減っているために店をたたんだのかはわからないが。それでも人気スポットということで、人通りがまったくないわけではなく、静かな雰囲気の中である。

三十六不動めぐりの時にも触れたのだが、三千院は元々最澄が比叡山に開いた「円融房」がルーツで、平安後期から門跡寺院となり、坂本や洛中など場所を移しながら、明治になって大原に移ってきた。一方、大原には平安末期から「極楽院」という阿弥陀堂があったが、明治になってこれらが合わさり、天台宗の「一念三千」の教えから「三千院」と改められた。

こうした門跡寺院に共通するように思うのだが、正面の門も仁王像が建つ山門とは異なり、屋敷の門の造りである。ここで受付を済ませ、靴を持って書院に上がる。最澄の肖像画や、元三大師のおみくじなど天台宗らしいところを抜け、池泉鑑賞の聚碧園を見る。風も涼しく感じられる。

そして宸殿に向かう。かつての紫宸殿を模して建てられたもので、三千院の本堂といえる場所だ。現在も法要や祈祷が行われる場所で、ここに祀られている秘仏の薬師如来が西国四十九薬師の札所本尊である。そのためここでお勤めとなるが、外の縁側は人の行き来もあって落ち着かない。中の畳敷の端に腰を下ろして般若心経をオネオネと唱える。

この後は苔の生える庭園と、往生極楽堂の一角。

「わらべ地蔵」があるのもここで、三千院といえばこの苔庭の眺めを連想する方も多いだろう。表情もユーモラスで、見ようによっては童ではなくお爺さんにも見えるのだが、何ともほほえましい。

こうした地蔵は境内の他の一角でも見ることができる。

もう少し石段を上がり、不動堂、観音堂でも手を合わせる。不動堂は近畿三十六不動めぐりで訪ねた札所本尊だが、その時はお堂の中に椅子が並べられ、腰掛けるとちょうど目の高さで不動明王像に手を合わせることができたのだが、密を避けるためか、椅子の数も減らされている。その分、床にマーキングが施され、朱印を待つ人が間隔を開けて並ぶようにされている。もっとも、西国薬師の朱印はここでは扱わず、出口近くの円融蔵併設の納経所で受け付けるという。

また観音堂は、前はお堂の中に入って手を合わせることができたが、当面の間は柵で仕切られ、お堂の外から手を合わせるようにとあった。

今は比較的お参りの人が少ない時期とも言えるが、この先、あちこちでソーシャルディスタンスを保つよう呼びかけられている中で、特に寺社が賑わう「初詣」の時はどうなるのだろうと思う。祭礼、行事であれば規模を縮小する、あるいは中止してしまうことで「密」にならない対応ができたかもしれないが、まさか初詣に来るなとは言えないだろう。間隔を開けて並ぶにしても、大勢の人が参詣する寺社では限界のあることで、せいぜい混んでいる時間帯を避けるよう呼びかけるくらいだろうが、ひょっとしたら2年参りのタイミングでは門を閉ざしてしまう寺社も出るのではないかと思う。

円融蔵まで戻り、ここで薬師霊場としての朱印をいただく。ここから次の札所選びで、くじ引きで決めた出走表は・・・

1.たつの(斑鳩寺)
2.奈良公園(興福寺、元興寺)
3.高野山(龍泉院、高室院)
4.三井寺(水観寺)
5.池田(久安寺)
6.湖南(善水寺)

いずれもこれまでの出走表に何度も出ている札所ばかりだが、特に湖南の善水寺は10回目の出番、2回に1回は登場するがここまでご縁がない。こういうのが結局最後のほうまで残るのだろう。

そしてサイコロは・・・「2」。奈良のメインである。この中ではもっとも行きやすいところである。たまにはこうした「王道」もいいだろう。興福寺となると西国三十三所の3巡目とも重なる。新たに再建された中金堂も見てみたいもので、ここはまた近鉄のおでかけきっぷの出番になりそうだ。

バス停まで戻り、そのまま出町柳駅まで出る。帰りも京阪に乗ることにする。

そこで登場するのはプレミアムカー。500円かかるが、せっかくなので乗り込む。こういう時、京阪電車の所要時間の長さが逆に生きる。それだけリラックスした時間を過ごすことができる。現在はコロナ対策ということで、ブランケットやスマホ充電器の貸し出しが停止されている。また10月からは、利用状況を鑑みて深夜時間の一部列車でプレミアムカーの利用を中止するという。まあ、これはコロナが直接関係するようでもなさそうだが。

帰りは京橋で下車。緊急事態宣言以降ではじめて京橋で飲む。やはりビールは美味い・・・。

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やたら「中嶋監督代行」を持ち上げいている方々が多いようですが・・

2020年09月14日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

で、何が変わったんですか?

別に西村監督がよかったとはいいませんが、中嶋監督代行に代わったからといって、チームに何か変革は起きたのでしょうか。やたら期待していた皆さん、教えてください。

ネットの書き込み、ブログではやれ杉本を使え、中川を使えとかいろいろ言ってましたが、使ったのはいいが所詮は実力が伴っていない。

そして、貧打、走塁ミス、守乱、ボーンヘッド、三塁コーチの壊れた信号機、肝心なところで勝負できないリリーフ陣、凡退してもヘラヘラしている野手陣・・・中嶋監督代行になったからといってどこが改善したのですか。借金増やしとるばかりやろが。

で、監督代行のコメントもだんだん他人事、「アレがソレで、ソコはコウせないかん」という、政治家の答弁のようになってきたし。まあ、代行だから責任もないわな。

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