まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「計画運休」という言葉が流行語になりそうな

2018年09月30日 | ブログ
9月の終わりに日本列島を縦断する台風24号。ちょうどこの記事を書いている時間帯には紀伊半島に近づいているところである。30日の夜遅くから日付が変わるくらいの時間で関西を一気に駆け抜ける模様である。

さて、台風接近となった30日だが、早い時点で「計画運休」が発表された。関西でいえば最も早く店じまいしたのがJRの在来線で、阪急、京阪、南海、近鉄も昼過ぎから順次「計画運休」に入った。最も遅くまで運転していた阪神も夕方には運休となった。

今年も多くの災害が発生した。地震のように不意に来るものは別として、台風や大雨前線が予想される場合、少し前ならギリギリまで動かすのが当然だったと思う。関西の場合、JRはすぐに止まって私鉄はギリギリでも動く、特に近鉄(その中でも私の沿線である南大阪線)などは平気で運転するのが当たり前だった。それが、もう早い段階で運休を決めて発表することで混乱を避ける方向に多くの鉄道が向かっている。今年「計画運休」という言葉を何回聞いたことか。変な意味で流行語になりそうだ。

この流れを受けてか、各種イベントの中止・延期、百貨店や人気スポットも休業となった。友人が大阪に遊びに来るので会う予定をしていたのだが、前日の時点で中止とした。さらには近所の店も臨時休業するところが相次いでおり、これはもう家で大人しくしておくしかない。久しぶりの何もしない休日で、休養と言うことではよかったのかな。

そう言えばということで気になったのが、29日~30日に大阪~鳥取間で運転された団体臨時列車「白兎」の旅。DD51型機関車、12系客車を使用した「乗り鉄」にとってはぜひ行きたかったツアーである。2日の往復乗車が基本で片道のみの設定がなかったために行くのを断念したのだが・・・。

ツアーを主催した日本旅行のホームページによると、片道の29日のみの運転だったそうである。ただ気になるのは鳥取駅で解散ということで、帰りの交通手段は手配しないとあった。鳥取での宿泊つきで申し込んだ場合も宿泊施設は強制キャンセルとなった。旅行代金の復路や宿泊費相当分は払い戻しされるそうだが、現地に行って後は知らんでは参加者も困っただろう。前日の時点で30日は「計画運休」になることが決定的だから、夕方に鳥取について夜の特急や高速バスでその日のうちに大阪に戻るしかなかったことだろう。こうなると往路そのものもキャンセルする客も多かっただろうし、実際どのような様子だったのかレポートを見てみたい。

さて、書き終えたところで台風が紀伊田辺に上陸したようである。大きな被害になりませんように・・・。
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引退

2018年09月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
平成という年号も31年4月30日で終わりとなるが、それに合わせる形ではないだろうが、今年は多くの著名人の訃報が多いように感じる。一つの時代の終わりと言われればそうなのかもしれない。

また一方で、「引退」という文字も最近よく目にするようになった。もっとも話題になったのは安室奈美恵さんだろう。昭和の山口百恵さんの引退と重なるようで重ならないというか、平成の時代らしい引退劇かなというところかと思う。

この数日だと私も記事にした貴乃花親方の引退とか、先般飲酒運転の上での轢き逃げ事故を起こした吉澤ひとみ被告の引退とか、引退なのか解雇なのか退職なのかよくわからないワイドショーネタも出ている。

さてそんな中でのプロ野球である。今年はシーズン中での引退表明が多いように感じる。いわゆる「戦力外通告」は公式戦終了後になされるところだが、その前に自ら引退表明をして試合中に花道を作ってもらったり、2軍の試合が最後の出場だったりいろいろある。

ふと、ここまでで引退表明をした選手たちでスタメンが組めないかと思った。いわゆる「松坂世代」のほか、タイトルホルダーや「レジェンド」と呼ばれる選手も名を連ねる。途中退団の外国人選手などは抜きにしたうえでの独断と偏見で選ぶとして・・・

1.(左)松井稼頭央(西武、楽天)

2.(遊)荒木雅博(中日)

3.(指)村田修一(横浜、巨人)

4.(一)新井貴浩(広島、阪神)

5.(三)小谷野栄一(日本ハム、オリックス)

6.(右)後藤武敏(西武、DeNA)

7.(二)脇谷亮太(巨人、西武)

8.(中)岡田幸一(ロッテ)

9.(捕)金澤岳(ロッテ)

P.(先)杉内俊哉(ソフトバンク、巨人)

P.(中)浅尾拓也(中日)

P.(抑)岩瀬仁紀(中日)

昨年NPBを離れた村田修一を入れるのはいかがなものかという声もあるだろうが、今季でBCリーグの引退表明、さらには東京ドームでのジャイアンツ対ベイスターズ戦での引退セレモニー開催ということもあり、対象に含めた。そのうえでスタメンを組んでみたが、特に下位打線は他の候補と拮抗して選定に迷ったが、結果としてはそこそこの選手が並んだ感じである。それよりも投手陣が浅尾、岩瀬という、ドラゴンズのみならずNPBの中でも最強の中継ぎ、リリーフというところだろう。

で、このメンバーを率いる監督を選ぶとすれば誰になるだろうか。条件はただ一つ、今季限りで退任(解任)される人ということで、現時点では途中解任の梨田監督、辞任が確定の福良監督ということになるが、この他にもそうした人が出るかどうか・・・?
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どーせ運輸やら建設やらは社会的地位が低い職業ですよ。

2018年09月27日 | ブログ
政治家、役人、アナウンサー、芸能人、IT社長、公務員、大手メーカー、金融・・・

そういう人たちがいい思いをしているんですよね。

この売り手市場、運輸やら建設やら、所詮はブラック企業の集まり。学生は見向きもしない。

ああそうですよ。所詮はヤクザの集まりですからね。

社会的地位は低いですよ。世間からバカにされ、虫けらのように扱われて。軽蔑のまなざしで見られて。

ごめんなさい。生きている価値なくて。
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カープ優勝と貴乃花親方引退が重なって・・

2018年09月27日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
そろそろ9月も終わりという中だが、週末から週明けにかけては台風が日本列島を直撃するという。月曜日の10月1日は私の勤務先企業でも東京の本社で来年春入社予定の皆さんの内定式が行われるのだが、交通機関の運休があれば出席に及ばず(内定を取り消すことはしない)との通知も出た。

日曜日は私の旧友も名古屋から大阪に来る予定なのだがどうなるやら。

で、野球の開催にも影響がありそうだ。連戦のタイガースもそうだが、私としては四国、そしてBCのチャンピオンシップへの影響が気がかりだ。

さてそんな中、26日にカープがリーグ3連覇、マツダスタジアムでは初の胴上げである。皆さんおめでとうございます。私もかつて広島勤務だったことでカープ優勝はうれしいが、広島以外の地域では地上波やBSで中継がなかったのは残念だ。

順当に行けばカープ対ライオンズの日本シリーズになるところだが、両チームとも打撃のチーム。毎試合ルーズベルトゲームのような展開になるのかなと勝手に予想する。先程の言葉をひっくり返すようだが、そこはパ・リーグファンとして、また勤務先企業OBが監督を務めるライオンズを応援したい。

ただそれに水差すどころか水をぶっかけるようなニュースの話題といえば貴乃花親方である。引退届(退職届)を出したことで、また相撲協会対貴乃花親方のいざこざが出て、ワイドショーの格好のネタになっている。

真相がわからないのだが、私としては貴乃花親方に対しては否定的に見る。やることが両極端、それが好ましく見えるファンの方も大勢いると思うが、もし皆さんが属する組織(学校のクラスや職場でもいい)に貴乃花親方のような人がいて、ああいう言動をしていたらどう感じるだろうか。またどのような対処をするだろうか。

貴乃花親方がまっとうなことを堂々とわかりやすく語るのならともかく、肝心なところは言葉を濁すし、結局何がしたいのか、何をしてほしいのかわからない。行動も極端だし、やはりこの方は何かに洗脳されているのかなと思う。相撲協会の対応も決していいとは思わないが、日本型という点でいえば大なり小なり相撲協会のような運営や対応はあるのではないか。いや、全くないとは言わせませんよ。

何だか現役力士たちの頑張り(稀勢の里のもがき苦しみも含めて)を台無しにするようないざこざだ。

部屋の力士たちは隆三杉の千賀ノ浦部屋に移籍するようだが、ならば「隆景勝」、「隆ノ岩」、「隆源治」などと改名すべきと思うが、いかがだろうか・・・。
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福良監督辞任は仕方ないとして、後任田口監督「ありき」でいいのかな?

2018年09月25日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
すっかりNPB関連の記事がこのブログでは少なくなってしまったが、リーグ優勝はカープとライオンズでほぼ決まり、他のAクラスの順位もそろそろ決まるところである。関西のマスゴミは相変わらずタイガースが逆転でCS出場とか叫んでいるようだが、残り試合が多いぶん、そこそこの勝ち星で最終順位が上回る可能性がまだあるためにあり得ない話ではない(ただし、CSが始まる直前の日程までの順位で足切りになる可能性もあるが)。

そんなタイガースびいきの筆頭がデイリースポーツだが、25日の一面にはなんとバファローズの福良監督辞意の記事が来た。前日の試合、タイガースが0対0のドローで見せ場もほとんどなかったからだろう。

24日のマリーンズ戦に敗れて今季の負け越しが決まったのをけじめとして、これまで慰留もあったそうだが固辞したと伝えられる。3年半監督を行って全てBクラスとなると監督としての評価も低いのは仕方ないだろう。若手の育成や投手陣の整備には実績もあったが、采配面への批判はファンの人たちのブログ等見ても手厳しいものがあった。詳しいことはそれらをご覧いただいたほうがわかりやすい。

まあ、チーム状態が悪い中で監督を引き受け、審判の判定への「物言い」では高い確率で「軍配差し違え」を生じさせたり、イニング間に球場のビジョンに流れる「Yes!高須クリニック」のCMでは「やらされ感」たっぷりの決めポーズを見せたりと、悪い人ではないのだがどこか損な役回りの人だったのかなと思う。表に出るよりも裏方に回ったほうが成果を出すというか。

さて次期監督ということで最有力とされているのが田口二軍監督。OBでありメジャーリーガー、球団も二軍監督として経験を積ませたからそろそろ・・というつもりらしいが、最初から「田口ありき」は果たして本当によいのだろうか。二軍監督としてチーム状態も理解しているとはいえ、ウエスタンリーグで優勝や「田口が育てた」と言い切れる若手が出た実績はない。最終的にそうなるとしても、最初から簡単に内部昇格で済まそうとしてよいのやらという気がする。

誰かというのは難しいが、外部の経験者、厳しい人、かつ明るい人という方にいったんはお願いしたほうがよいのではないかと思う。チームカラーを変えるくらいの施策が必要ではないだろうか・・・。
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稀勢の里は10勝5敗

2018年09月23日 | ブログ
勝ち星は確かに10個重ねたが、何とかギリギリで引退の危機を免れたという感じである。

8場所連続の休場から復活となった横綱稀勢の里。序盤は危なっかしい取組が続いた。私は序盤戦で負けが続いて引退するだろう・・いや引退してほしいと思っていたので、相手力士に対して「惜しい」「なぜそこでもう一押しできなかったかな」と、スポーツニュースを見て思っていたものである。

中盤から後半になっては力強い取組もあったが、一方ではあっさりと寄り切られる、投げられるという一番も見られ、強いのか弱いのかよくわからないまま、最後は10勝5敗。白鵬の全勝優勝と比べれば差は歴然としたが、もう一人の横綱の鶴竜も終盤5連敗で同じ10勝5敗だから、何とか引退は免れたということか。

本人も引退する気はないようだし、横綱審議委員会も「よくやった」くらいのプラス評価をするのだろう。ただ真価が問われるのは次の九州場所で、今場所と同じような相撲が続くようだとまた現役続行に黄信号となる。もうしばらくは、多くの相撲ファンがこの「和製横綱」にやきもきするのだろう。

さて秋場所が終わると西日本を中心に秋巡業が行われる。私もある会場での巡業のチケットを持っている。夏巡業は台風の影響で交通機関が乱れることを想定して行くのを取り止めたので、「仕切り直し」である。その時は、「稀勢の里が引退し、御嶽海が新大関となって秋巡業」という予想をしていたのだが、そのどちらもなくなったというのが、勝負は何が起こるかわからないところである。

10月もまた忙しいことになりそうだ・・・。

なお、話は変わって四国アイランドリーグのチャンピオンシップ。22日の香川対愛媛の第1戦は2対1で香川が先勝し、迎えた23日の第2戦は終盤まで愛媛が2対0とリードしていたが、2対1の9回裏、中村のタイムリーで同点。さらに満塁として妹尾のサヨナラヒットが出た。ちょうどアイランドリーグのホームページで一球速報を見ていたところで、画面に向かってうなるばかりであった。

これで香川が連勝してチャンピオンシップに王手となり、29日からは舞台が松山に移る。私の期待では香川だが、後期を逆転で制覇した愛媛も侮れない。こちらも勝負は何事が起こるかわからないところだ・・・。
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3選すれば党の規定を変更して4選を目指すのでは?

2018年09月20日 | ブログ
自民党の総裁選、安倍首相が石破元幹事長を破って3選を果たした。

これを受けて、この先3年は安倍政権が続くことになる。まあ、事前に予想されていたことだし、石破氏の得票も健闘に値するという意味では妥当な数字だったのではないかと思う。

これから先3年の安倍政権で消費税の増税や憲法改正がどうなるのかが注目されるところである。まあ、何らかの形で結果を出すことになるのだろう。私個人としては、消費増税は致し方ないかなと思うが、憲法改正については、その程度のことで憲法改正をしたというドヤ顔はしてほしくない。憲法を改正するのなら、天皇制、二院制、基本的人権、その他もろもろを一斉にメンテナンスすべきだと思うので。たかが自衛隊をどうのこうの、ということだけが自民党、その中でも岸信介から続く一家の悲願だったのか? 改正するならそんなことよりももっと突っ込んだ内容にすべきである。大きなことを言っているように見えてケツの穴が小さいし、いざ国難になったら真っ先に安全なところに逃げ込むヤツにこの先を任せるとは、正直終わっている。

で、「安倍3選は終わりの始まり」とか言う方もいらっしゃるようだが、「3選で終わり」は本当だろうか。何やかんやで自分に支持が集まっているからとか、憲法改正に必要だからとか屁理屈をつけて、党の規約を変更して4選を目指すのではないかと思う。どうせ、今の派閥の連中も不承不承支持するのだろう。これについては野党も同じような長期独裁体制だから人のことは言えませんな。

いっそのこと、戦前のように武力をもって首相を暗殺して権力を剥奪するほうが健全なのかもしれないな・・・。
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四国アイランドリーグの年間チャンピオンシップの行方で八十八所めぐりのアクセスが変わる

2018年09月19日 | 四国八十八ヶ所
私の四国八十八所めぐりの中でちょくちょく登場する四国アイランドリーグ。現在の回るペースからすると、観戦と札所めぐりのリンクは今季が一応最後になるのかなと思う。来季に野球が始まる頃には88番までたどり着くのではという見通しなので。

現在、瀬戸大橋のたもと、宇多津にある78番の郷照寺まで回っていて、次は10月の7日、または8日にて、予讃線沿線の79番天皇寺、80番国分寺あたりを予定している。この7日、8日というのは、四国アイランドリーグとBCリーグの年間王者が対戦する日本独立リーグチャンピオンシップの四国ラウンドが行われることになっている。四国では前期が香川オリーブガイナーズが優勝し、また八十八所めぐりも香川県なので、ちょうど絡めることができると踏んでいた。球場が高松か丸亀かはわからないので、高松、そして宇多津のホテルを予約する。上の札所めぐりもそれに合わせて組んだようなものだ。

しかし、前期に圧倒的な強さを見せたオリーブガイナーズも後期は成績が上がらない。一方で快調だったのは徳島インディゴソックスで、8月の時点で早々とマジックも点灯させていた(8月のお盆時期の丸亀4連戦、香川が1勝3敗だったのも大きい)。前期と後期の優勝チームで争うチャンピオンシップは香川対徳島かなと思い、それならば10月は徳島での開催もあるかなと徳島のホテルも押さえる。もちろん、香川開催のほうが八十八所めぐりとのリンクと言えるのだが、最後に逆に徳島から宇多津に出るのもいいかなと思う。

そんな感じで8月以降のアイランドリーグの試合結果をチェックしていたが、9月に入り、愛媛マンダリンパイレーツが勝ち星を伸ばしてきた。いつの間にか徳島のマジックは消えたが、それでも首位はキープしていた。16日以降は「優勝決定のパターン」がホームページでも知らされるようになった。それが最後までもつれ、徳島首位、1ゲーム差で愛媛が追う状況で、19日の新居浜での愛媛対徳島の直接最終対戦を迎えた。徳島が勝つか引き分けで徳島優勝、しかし愛媛が勝てば勝率の差で逆転して愛媛優勝である。

で、その試合は3対3の同点から終盤に愛媛が勝ち越し、7対3で愛媛が勝利した。その結果、後期の勝率は愛媛・600、徳島・593で、勝利数では徳島が1勝上回ったが、引き分けの差で勝率は愛媛が上というものである。実際に観戦したわけではないので何とも言えないが、スコアを見ると両チームとも必死の試合だったとうかがえる。

これで四国アイランドリーグの年間王者を決めるシリーズは香川対愛媛となった。となれば、10月7日~8日のシリーズが愛媛で行われる可能性も出てきた。何なら、勢いなら愛媛有利と言ってもいい・・となると、いったん松山(おそらく坊っちゃんスタジアムの試合なのだろう)まで行き、試合観戦の翌日に宇多津まで戻って八十八所めぐりとなる行程もありだ。私としては香川頑張れだが、松山からの「大返し」もネタになりそうで、徳島の宿をキャンセルして松山の宿を押さえにかかる。

さて、対戦するBCリーグのチャンピオンシップもこれからである。こちらは地区制と前後期制の併用で、東地区の年間王者は群馬ダイヤモンドペガサス(元バファローズのカラバイヨは今季も健在)、西地区の年間王者は福井ミラクルエレファンツである(滋賀ユナイテッドはいつになればこうしたチームになるのやら)。こちらも地力では群馬優勢だが、結果はいかに・・・?
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第30番「如意輪寺」~近畿三十六不動めぐり・21(後醍醐天皇、楠木正行と来てなぜか亀井静香)

2018年09月17日 | 近畿三十六不動
吉野の中千本からの下り~上りの1キロあまりの道を歩き、最後には100段近い石段が待つ。「後醍醐天皇即位七百年」の幟が立つ。後醍醐天皇は1318年に即位し、鎌倉幕府や南北朝の争いの中で廃位や譲位もあり、1339年にこの吉野で亡くなった。如意輪寺は平安時代中期、真言宗の修験者であった日蔵が開いたとされており、如意輪寺という名前は後醍醐天皇の念持仏である如意輪観音を本尊としたことからだという。後醍醐天皇が吉野で南朝を開いた時は勅願寺とした。南朝の衰退とともに寺も衰えたが、江戸時代になる浄土宗の寺として再興し、後醍醐天皇陵を守るような形で現在に至っている。

吉野のメインストリートからさらに分け入ったところにあるためか、先ほどよりもひっそりした佇まいの境内で、まずは本堂の如意輪堂でお勤めとする。毎年9月27日は、後醍醐天皇が亡くなった旧暦の8月16日にちなんで後醍醐天皇御忌という法要が行われ、その日に限って本堂の内部が拝観できる。平日でもあるし、この近畿三十六不動めぐりも行事や法要の日程はあまり関係なく回っているので、そういうものなのかと思う。吉野にあって後醍醐天皇という人物は今でも慕われる対象であることが感じられる。

・・・と書いて思い出したが、そもそも今回は近畿三十六不動めぐりで吉野に来ているのだった。蔵王堂にて役行者や蔵王権現に触れた後なので不動明王の陰が少し薄くなっているようだが、札所に選定された難切不動尊は如意輪堂の右手の不動堂に祀られている石像である。寺のホームページによると、石像としては日本一の大きさだという不動明王像がいつ頃造られたのかは触れられていないが、元々吉野に上る途中の不動坂に祀られていたのが、およそ60年前、ある信者に「如意輪寺に行きたい」とお告げがあり、この寺に祀られるようになったとある。その昔には坂道から牛車が転落した時にその農夫の身代わりとなって負傷したそうで、交通安全の守護として、またあらゆる災難を切ってくれるので難切不動尊と呼ばれるようになった。これらの言い伝えと、「吉野からも一ヶ所選定しておこう」ということから如意輪寺が不動めぐりに入ったのかな。

如意輪堂の裏手にある後醍醐天皇陵にも行く。「身はたとえ南山の苔に埋むるとも、魂魄は常に北闕の天を望まん」という天皇の遺志を表すように、天皇陵としては唯一北(京都)の方を向いて葬られた。終生を「天皇親政」「武士との戦い」に費やした天皇だった。

本坊のベルを鳴らして、三十六不動の朱印と、有料拝観をお願いする。この奥のエリアが有料となっている。朱印は用意しておくのでどうぞということで中に入る。まず目に入るのは後醍醐天皇の御霊殿で、天皇自作の木造が安置されている。ここも後醍醐天皇御忌の時に開扉される。

楠公父子の石像がある。楠木正成、正行父子の「桜井の別れ」の場面である。特に戦前は「滅私奉公」の教材として国語や修身の教科書でも紹介されており、戦後はその反動で「天皇崇拝」、「軍国主義」の現れとして否定的に扱われるという、太平記の時代の評価の難しさを表す場面であるが、歴史の教養としては知っておく必要はあると思う。

桜井で父正成と別れた正行は南朝方の武将として成長し、北朝方との戦いに挑む。一族郎党とともに吉野の後村上天皇に挨拶し、如意輪寺にて後醍醐天皇陵に参拝し、如意輪堂の扉に鏃で辞世の歌を刻んだ。「かえらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」という、この戦いで生きて帰らない覚悟を残し、四条畷の戦いに討ち死にをした。

この時の扉が宝物館に保存されているので入ってみる。入口には座椅子というのか、簡易ベッドのようなものが置かれている。これは何だろうか。

天井には如意輪観音が描かれており、仰向けになるとちょうど正面に拝むことができる。「ねおがみ観音」というもので、なかなか珍しいものではないかと思う。

宝物館にはその扉をはじめ、蔵王権現像や楠木正行の遺品とされる武具、吉野曼荼羅などが展示されている。

奥には多宝塔があり、周りには寄贈で植えられた桜の木が並び、寄贈した人の名札も立てられている。

その中に「広島県 亀井静香」の名前がある。広島県で亀井静香といえば・・あの元国会議員である。どういう経緯で南朝ゆかりの地を訪ねたのかはわからないが、かつては自民党の重鎮、大臣も務めた人物だったが、郵政民営化に反対して自民党を離れ、「郵政選挙」では刺客(ホリエモン)を送られ、その後は国民新党にて自らの正統性?を誇示し続けた。ひょっとしたら自身を楠木正成、正行に置き換えたのかもしれない。

さらにその近くには「北海道 鈴木宗男」という立札が。北海道で鈴木宗男といえば・・・これもあの元国会議員である。こちらもどういう経緯で南朝ゆかりの地を訪ねたのかはわからないが、北方領土開発に絡む事件で起訴・有罪となり、その後は新党大地にも身を置いた。こちらも南朝方に自身の境遇を重ねたのかもしれない。

当時は小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」として国民からの人気を集め、郵政民営化を巡っては「抵抗勢力」に対する「刺客」を送ったり、いわゆる「劇場型政治」が支持された頃である。南北朝時代とは単純に置き換えられないが、北朝(小泉純一郎や田中真紀子)と南朝(亀井静香や鈴木宗男)というように見えなくもない。

如意輪寺からかなり話がそれてきたように思うが、現代においても敗者の悲哀を感じさせる寺であった。難切不動尊の影が薄い紀行文になったが、今回は列車もそうだし、吉野全体を楽しむことができたので満足である。

有料エリアから戻ると、朱印も袋に入れられて受付台に置かれていた。これを受けて、次の札所を決めるくじ引きとサイコロで・・・

1.湖西(葛川明王院)

2.嵯峨(大覚寺、仁和寺、蓮華寺)

3.神戸北(無動寺)

4.河内長野(明王寺)

5.東山(聖護院、青蓮院、智積院)

6.醍醐(醍醐寺)

サイコロの目は「2」、京都市街である。今回大覚寺が含まれるのは、後醍醐天皇が大覚寺統だったことで偶然とはいえつながりを感じる。

如意輪寺を後にして、山道から吉野駅へ直接続く車道を歩く。吉野温泉の元湯がある谷の道だがクルマも通らず、静かな中を歩くこと30分で駅まで戻って来た。

直近の特急に乗ることにして時刻表を見ると、15時04分発の特急がある。往路の「青の交響曲」とは異なり、昔からの南大阪・吉野線特急の車両である16000系。蒸し暑い中を歩いたので冷房が涼しく感じる。

次に訪ねるのは京都市街、早ければこの連休中にでも行ってみたいところだが、各寺のページを見て「これは10月にしたほうがいいな」と少し間を空けることにする。その理由はその時に書くとして・・・。
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第30番「如意輪寺」~近畿三十六不動めぐり・21(蔵王堂、吉水神社)

2018年09月16日 | 近畿三十六不動
今回の近畿三十六不動めぐりの目的地は如意輪寺だが、吉野に来たからには金峯山寺の蔵王堂は外せないだろう。

まずは国宝の仁王門。今年の秋から10年がかりで大修理が行われるということで、門の外側は足場で囲まれている。

境内に入る。この時季は訪ねる人もそう多くなく、静かな佇まいである。蔵王堂の中に上がることにする。

金峯山寺は7世紀後半の白鳳年間に役行者により開かれ、蔵王堂には本尊の蔵王権現が祀られている。毎年一定の時期に開帳されるのだがこの日は幕が下ろされている。それでもけっかく来たのだからと畳敷きの外陣に上がり、お勤めである。

蔵王権現は不動明王と同じように火炎を背負い、怒りの表情を見せる仏である。役行者が大峯山を開いた時、社会と衆生を守護する本尊を祈請したところ、まず釈迦如来、次いで千手観音、そして弥勒菩薩が現れたという。しかし「混迷しきった世間や人心を救うには優しすぎる」として、さらに祈ったところに蔵王権現が現れたのだという。また一方、蔵王権現は釈迦如来(過去)、千手観音(現在)、弥勒菩薩(未来)が姿を変えて現れたともされている(蔵王堂の蔵王権現像は3体がセットになっている)。こうして蔵王権現を得た役行者は吉野に下り、桜の木で蔵王権現像を彫った。そのことから桜がご神木としてありがたられ、吉野が桜の名所になったことにつながる。

また蔵王権現開帳の時期に来たいなと思いつつ、奥に進む。何か昼食をと思う。柿の葉寿司、うどん、葛料理などあるが、今一つ入ろうという気にならない。そんな中で目についたのは新しい感じの豆腐の店。「豆富茶屋 林」。大豆、水、塩それぞれにこだわりを持つとあり、こういうところではやはり水がいいのだなと思う。

珍しいもので「豆腐ラーメン膳」を注文する。また素材の味を楽しもうとざる豆腐もいただく。ざる豆腐は豆の味が濃厚な感じがする。醤油をかけていただいたが、塩をかけても十分美味くいただけそうだ。豆腐ラーメンは、具材に湯葉とあげ、そして和風のだしということで「豆腐はどこに?」という感じだったが、実は麺にも豆腐が使われいるのだという。膳のセットはいなり寿司で、まさに大豆づくし、豆腐づくしである。他にも湯豆腐やら麻婆豆腐、厚揚げなどメニューは豊富で、いろいろ味わいたくなる。

食後に参拝するのは吉水神社。元々は役行者が開いた吉水院という寺で、南北朝の時には後醍醐天皇が南朝の皇居としても滞在したところである。明治の神仏分離の時には修験道などは徹底的に排除されるのだが、その際に後醍醐天皇を祭神とする神社に改めることで生き残った。祭殿には後醍醐天皇、そして脇には楠木正成が祀られている。

横の書院(有料エリア)には吉野の歴史が満載で、まずは源義経が兄頼朝の追手を逃れて弁慶や静御前と隠れ住み、静御前との別れの場ともなった「潜居の間」がある。

続いては後醍醐天皇の玉座。京都を離れた後醍醐天皇はこの吉水院を南朝の皇居とし、何とか都の奪還を願ったが叶わずに亡くなった。

また吉水院では、豊臣秀吉が大規模な花見を催した場でもあった。その時に用いた金屏風も残されている。一目千本の眺めも楽しめるし、目を転じれば蔵王堂も見える。

源義経と後醍醐天皇は都から逃れる形で吉野に隠れ住み、遥か昔には大海人皇子(後の天武天皇)が天智天皇の後継争いを巡って一時隠棲したこともある。吉野にはどこか中央と対峙するような、「逃れる」とか「隠れ棲む」のに適した何かがあるのだろう。

さてここから如意輪寺に向かうが、旅館街からその建物らしきものを見ることができるが、一度谷を下ってまた上がる必要がある。1キロあまりの道のり、雨は降っていないが蒸す感じがして汗が出る。「後醍醐天皇が歩かれた道」という立札もある中で参道を歩いて行く・・・。
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第30番「如意輪寺」~近畿三十六不動めぐり・21(青の交響曲で吉野へ)

2018年09月15日 | 近畿三十六不動
近畿三十六不動めぐりの初めのほうで、天川村にある龍泉寺を訪ねた。大峯山の麓にあり、大峯山をめぐる修験道の人たちの出発地のような寺である。その同じ吉野郡ではもう一つ、如意輪寺が近畿三十六不動の札所の一つになっている。如意輪寺といえば南北朝の争いの中でも登場するところで、境内に隣り合う形で後醍醐天皇陵もあるところだ。ここも不動明王と関係があるというわけか。

ということで今回は私の地元の近鉄南大阪線から伸びる近鉄吉野線での吉野行きである。ここは普段乗る機会がない特急で行くことにする。そして南大阪線・吉野線となれば、観光特急「青の交響曲」に乗ってみたい。事前に9月15~17日の連休のどこかで空席がないか検索すると、15日の大阪阿部野橋10時10分発の便に空席があった。桜の時季でもない限り、「青の交響曲」以外の南大阪線・吉野線の特急が満席になることはほぼないから、帰りはそのタイミングで出る特急に乗ることにする。

藤井寺からいったん大阪阿部野橋に出る。すでにホームには青色の車体が停車しており、発車準備をしている。観光特急ではあるが、元は通勤型の一般車両を改造したものである。「青の交響曲」に乗るのはこれが2回目で、前回初めて乗った時は「通勤型の改造」というのに少しもどかしいものを感じたのだが、改めて見ると親しみやすさはあるのかなと思う。JRだって、キハ40やキハ47といった「ローカル線用車両」が小じゃれた観光列車に改造されて、鉄道ファンだけではなく一般の旅行者にも楽しみを与えている。

ドアが開き車内に入る。今回1人席を割り当てられているのだが、せっかくなのでまずは2号車のラウンジカーに陣取る。発車前から他の席にも乗客がやって来るが、ラウンジカーの販売は列車が発車してからということでしばらく待つ。

10時10分に発車。今回車内で味わうのは、吉野の地酒の利き酒セット。これから寺参りなのだが少し先のことだし、まずは吉野への旅情を高めようというこじつけである。お猪口が3つ並んだのは猩々、やたがらす、蔵王桜というもので、いずれも飲みやすい。日常通勤で使っている路線の外の景色を眺めながら一献というのは非日常的な感じがする。他の客もスイーツのセットやら、スパークリングなど注文している。こうしたスイーツが評判だからか、女性客の率が多いのもこの列車の特徴と言える。

座席に戻る。ラウンジカーのメニューは座席に持ち込んでもよいので、2人、4人向い合せのテーブルなどではめいめいが購入したものが広げられ、お互いにそれを少しずつシェアする光景も見られる。

列車は奈良県に入り、二上山、葛城山などの山々も見える。当初は15日は雨の予報だったがここまでは何とか持っている。今回は山の中を行くのでできれば雨は降ってほしくない。

橿原神宮前からは単線の吉野線に入る。車窓もぐっと山の風情となり、ローカル色も強くなった。停車駅も増え、そのタイミングで対向する特急や急行と行き違う。下市口で下車する人も結構いるのは、バスに乗り継いで天川村、洞川方面に向かうのだろうか。

吉野川(紀ノ川)を渡る。阿部野橋から吉野まで1時間16分だが、これは他の特急列車のダイヤと変わらない。観光特急とは言いながらも列車に乗り続けるだけではなく、列車を降りたその先を楽しんでもらう役割もあるので、特別に遅く走ったり、長時間停車をすることもなく通常運転である。

吉野に到着。これ以上進めない、どん詰まりの駅である。ここまで来ても天気は何とか持っている。

これから吉野山に入って行くが、そのアクセスとなる吉野山ロープウェイは運休である。2017年4月にゴンドラが駅施設に接触する事故が発生してしまい、その復旧工事のためである。当初は接触したところを修繕すれば運転再開という見込みだったが、その時の調査でワイヤーロープやゴンドラの走行輪の摩耗などが見つかったために工事期間が延び、2018年の桜のシーズンは代行バスでの対応となった。近鉄の駅では2018年夏頃の運転再開を見込むという断り書きのポスターが出ていたが、その時期も過ぎ、このところは再開時期の表記もなくなった。何でも資金難で工事が続かなくなったのだという。また吉野山まで代行バスも出ていたが、そのバスも連休明けの9月18日から10月中旬までは運転を見合わせるとある。ということで、せっかく「青の交響曲」で吉野まで来たのはいいが、その後はタクシーにでも乗るか歩いて上がるしかないわけだ。

今回訪ねた時は代行バスが発車を待っていたが、そのまま歩いて上がる。閉鎖されたロープウェーの吉野駅の横を過ぎ、舗装の七曲坂と未舗装、階段の近道を組み合わせて上る。金剛杖は持っていないが、四国八十八所めぐりではよくあるパターンの上り道である。15分ほどで山上のメインストリートに出た。

時刻は12時前。先に食事にしてもいいのだが、せっかく来たのだからまずは吉野山の中心である金峯山寺(蔵王堂)にお参りすることにしよう・・・。
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第20回四国八十八所めぐり~夜の八十八所山陽線

2018年09月13日 | 四国八十八ヶ所
やはり、ここで夜の八十八所をすることになったか。

岡山駅前のミシュラン居酒屋「鳥好」。2週間前に青春18日帰り旅の帰りに入ったばかりだが、その時「四国八十八所めぐりの帰りに入るのも面白そうだ」と思った。早速その通りにしたのは、今回が宇多津編だったこともある(まあ、ある意味狙っていたのだが)。これが高松で終わりとなった場合は高松で夜の八十八所となるか、そのままバスで直接大阪に戻ることになるだろう。

時刻は16時半を回ったところで前回とほぼ同じ時間の訪問だが、カウンター、テーブルともにすでにぎっしりである。入口には予約の名前が何組も書かれている。たまたま入口近くのカウンターが空いていたのでよかったが、すぐ後に来た予約なしの3人連れは断られていた。どれだけ人気があるのやら。この後も次々に客がやって来るが、たまたま勘定を済ませて客が帰るタイミングで来た人はラッキーにも通されたが、それ以外は断られていた。ランチのように並んでいればそのうち空くというものでもなく、客のほうもあきらめが早い。

この日は徳島産の岩ガキがあるという。夏の岩ガキも久しぶりなのでいただく。

この他には名物鳥酢やシャコ、さらには「のりくらっち」である。ビールもよく進む。

結構なひとときを過ごせたのでよかったが、もし次に来ることがあるとして、満席だったらどうするか。その時になってようやく新たな店を開拓しようとなるのかな。近くにも大衆酒場の店があるし、ホッピーにやきとんというのもある。「鳥好」にはホッピーはないのでそれもありかな。

そろそろ大阪に向けて帰ることにする。山陽線の姫路行きは19時17分発で、岡山始発だが混雑しそうなので早めに並ぶ。この線では最も長いであろう6両編成でやって来て、無事に座ることはできたが立ち客も結構いる。

夜なので外の様子はよく見えないが、駅ごとに少しずつ下車がある。岡山白陵高校がある熊山駅も過ぎる。一方で、午後には上がっていた雨がまた降りだして、山間部に近づくと窓ガラスにもはっきりと雨が叩きつける。姫路に着いても結構な量の雨だった。

さて、四国八十八所も残り10ヶ所となった。香川へどのような方法で往復するかも含めて、もう少し楽しみたいところである・・・。
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第20回四国八十八所めぐり~宇多津は意外なものが名物のようで

2018年09月12日 | 四国八十八ヶ所
第78番の郷照寺の参詣を終えて今回の札所めぐりはおしまいとなり、昼食とする。さぬきうどんの「おか泉」に行くのだが、その前に先ほど見かけた路地のうどん屋を覗いてみることにする。

宇夫階神社の鳥居に戻る。鳥居の向こう、境内の左手にのれんが見える。神社への寄付「金五拾萬圓」と記された石碑が並ぶ後ろにある。「うぶしな」という店で、検索すると「境内のうどん店」というのが特徴とある。これは郷照寺が、というよりは宇夫階神社の神の引き合わせだろうか。元々神社の納屋だった建物を改装したそうで、ご主人は宮司の息子さんだという。

奥のカウンターで注文して番号札をもらい、番号が呼ばれたら取りに行くシステムで、天ぷらやおでんは自分で取る。一押しと値札にかかれた肉ごぼうぶっかけを注文する。出てきたのはちょっと平べったい形の麺で、肉汁に絡ませていただく。汁は甘辛で、すき焼き鍋の中に入れて食べるうどんの味わいで、ご飯にも合いそうだ。神社の中で何だかありがたい気持ちになる。

続いて「おか泉」に向かう。有名店で少し待った後に入る。こちらは席で注文を取る。名物は冷天おろしだが、天ぷらは先ほどいただいたのでシンプルに生醤油にする。おか泉オリジナルの醤油に、すだちと大根おろしがつく。うどんについて語れるだけの知識があるわけではないが、のど越し、歯ごたえは上品に感じる。

うぶしな、おか泉、食べたものが違うこともあり単純に比較できないし、どちらも美味かったということで満足した。本当は、8月に七ヶ所まいりをした時もこういう感じで地元のうどんを食べ比べたかったのだが・・。

うどんを食べ終えると雨が上がっていた。駅に戻るがまだ時間はあるので、海のほうに向かう。駅周辺は再開発でさまざまなチェーン店も並ぶし、高層マンションも目立つ。そんな町のシンボル?と言えるのがゴールドタワー。瀬戸大橋の開業に合わせてオープンしたが、その後は閉鎖と再開を繰り返す。現在は展望台と子ども向けのプレイランドを備えているが、有料の展望台に上がるかどうか。雨は止んだが雲は広がっていて、眺望は期待できないだろう。

そのまま素通りして突き当たりにあるのが、道の駅でもあるうたづ臨海公園。何でも「恋人の聖地」の一つだそうで、そう言えば先ほど通ってきた歩道のへりにも、愛だの恋だのを詠み込んだ川柳のパネルが並んでいた。

宇多津はかつて製塩が栄えたところで、瀬戸内で開発された入浜式塩田が復元されている。塩作りの体験もできるそうだ。

ここから瀬戸大橋や塩飽の島々を見ることができる。ゴールドタワーに上らなくてもこれでいいかな。

海べりを歩くと、向こうから歩いてきた地元の人らしいお婆さんがすれ違いざま、「チョコレートやるわ」と包みを一つ私の手に滑らせる。さすが「恋人の聖地」・・・なわけないか。金剛杖も持っていないから札所めぐりとはわからないはずだが、まあお接待の一つと受け止める。

それはそうと、公園の中には若者のグループや子ども連れも多いが、皆一様にスマホに目を下ろしながら辺りをウロウロしている。何事かと様子を見るに、どうやらポケモンGoをやっているようだ。私はプレーしないので検索すると、このうたづ臨海公園は、香川県随一のポケモンのスポットなのだという。数もそうたが、なかなか出ないレアなポケモンもゲットできる確率が高いそうで、その筋の人たちには人気スポットなのだという。「恋人の聖地」ならぬ「ポケモンの聖地」なのか。まあ、ポケモン好きのカップルには間違いなく聖地だろう。

そろそろ本州に戻ることにする。いったん丸亀まで1駅乗って、丸亀15時16分発の普通岡山行きに乗る。マリンライナーとはまた違った車両で、宇多津側から瀬戸大橋を渡る。四国八十八所めぐりの中で四国滞在が最も短い行程になった。

児島でマリンライナーが先に発車するがそのまま鈍行に残る。瀬戸大橋線の各駅に停まり、16時半に岡山に到着した。頃合いとしてはちょうどいいだろう。「夜の八十八所」は香川の対岸の岡山にて・・・。
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3試合連続で0封負けでも来季も続投、長期政権って、どこぞの安倍政権以上に恵まれていますね。そこにファンの民意は入らないわけで。

2018年09月11日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
それはそうとして、いつまでもナントカの一つ覚えでトランペットを同じように鳴らしてバカ騒ぎしている右翼団体・・・もとい右翼席の連中も、何か抗議するとか、せめてワンパターンの応援を止めるとか、そういうことはしないのかねえ。

右翼団体は所詮球団からカネをもらっているから、言うだけ無駄か。
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第20回四国八十八所めぐり~第78番「郷照寺」

2018年09月11日 | 四国八十八ヶ所
高架の宇多津駅前に降り立つ。駅そのものは明治に讃岐鉄道が丸亀~高松間を開業した時にできたが、それまでは単に宇多津の町の駅でしかなかった。それが一変したのは瀬戸大橋の開通である。坂出と並んで瀬戸大橋の四国側の駅として新たに高架化されたとともに、駅前の再開発が進められた。駅からほど近いさぬき浜街道沿いにも大型店舗やチェーン店が並んでいる。

これから向かう郷照寺は海とは反対側だが、案内では徒歩15分とある。丸亀市との間にある青ノ山の麓に位置する。相変わらず雨が降っていて傘を差して歩く。ここまで触れていなかったのだが、実は今回、金剛杖は家にある。別に持つのを忘れたわけではないが、今回は終日雨の予報で、菅笠はかぶらないので傘を差す必要があるのと、駅からすぐの札所一つだけということで、特段躊躇することなく置いてきた。出で立ちは普段の鉄道旅行や西国などの日帰り札所めぐりと変わるところはなく、境内で四国の輪袈裟を掛けるだけだ。たまにはこういうスタイルもいいだろう。

昔からの道しるべらしい石標識が出て、クルマも通れない路地を歩く。その途中の民家らしい軒先に「うどん」ののれんが掛かっている。これは讃岐ならではのセルフ式の怪しい?うどん屋かな。実はこの日の昼食は郷照寺にお参りした後で、有名店の「おか泉」がほど近いので行く予定にしていた。ただ、この細い通りにあるうどん屋も面白そうなので行ってみるのも面白そうだ。

宇夫階(うぶしな)神社というのに出る。大己貴神を祭神としており、平安初期の807年に社殿が建てられたという。その名前からして、この辺り一帯の産土神として古くから信仰を集めたようだ。

ここからは昔からある感じの町並みである。元々の宇多津の中心だったのだろうか。青ノ山に続く斜面を囲むようにいくつかの寺も建っている。郷照寺もその中の一つという趣で、山門をくぐり、最後は数十メートルのコンクリートの坂道を上って到着する。何かの案内では境内から瀬戸大橋が見えるとあったが、あいにくの雨天気のためか、瀬戸大橋へと続いていく高架橋しか見えない。何もこんな雨の日を選ばなくてもと苦笑する。

郷照寺は四国八十八所で唯一、時宗の寺である。いや八十八所で唯一というが、八十八所以外でも時宗の寺そのものが全国にどのくらいあるのやら。一遍上人、踊り念仏、総本山は神奈川藤沢の遊行寺だったかな(箱根駅伝の実況でコールされる)というくらいの知識しかない。

時宗の寺がなぜ弘法大師の八十八所の一つなのかだが、まず寺を開いたのは行基で、阿弥陀如来を本尊とした。宇多津は瀬戸内海に面した港町として古くから開けていたのだろう。その後弘法大師が伽藍を設け、伊予出身の一遍上人も遊行の時に逗留して踊り念仏の道場も開いた。ここも長宗我部元親の兵火で焼け(これで何ヶ所やねん)、江戸時代に高松藩主の松平氏により再興されたが、その時の住職が時宗を選んだそうである。

まあ、四国八十八所の寺院の本尊はさまざまで、阿弥陀如来もあれば薬師如来、釈迦如来、観音菩薩、その他いろいろある。弘法大師が大師堂にいれば八十八所のメンバーになり得るということかな。それはさておき、雨のためロウソクや線香の着火に手間取りながらも本堂でお勤め。大師堂は本堂奥の階段を上がったところにある。

大師堂は宇多津の厄除け大師として信仰を集めている。絵馬にも「厄」の文字があるし、厄除け祈願も随時受け付けている。寺としても踊り念仏よりは厄除け大師を前面に出したほうがより多くの信仰を集めるだろう。そこはおいとくとして、普通にお勤めする。

大師堂の奧は女性の神様である淡島明神を祀るお堂があり、さらには西国三十三所の観音石像も並ぶ。阿弥陀如来に弘法大師、さらには淡島明神に観音菩薩・・・とにかくあらゆる仏様が踊るように配置されている印象である。

大師堂のすぐ横に聖観音像が立ち、足元には地下へ続く階段がある。

万体観音洞、階段を下りたその先にはこれでもかと金色の観音像が並ぶ。ただお供え物にはお菓子やぬいぐるみ、おもちゃが目立ち、よくある永代供養とは趣が違うなと見ると、これらは水子供養なのだという。通路の内側のポイントには十三仏、外側のポイントには西国三十三所の本尊の像がまとめ役のように立っている。実際は全部が水子供養ではなく、先祖の永代供養も多いそうだが、観音菩薩は「地蔵菩薩が請け負うことが多い水子供養もきっちりやりまっせ」とかアピールしているのかな。

境内には他に江戸時代からの庭園もあるが、雨のために池の水も濁っている。まあここは庭園もあるよということで見たことにする。

厄除け祈願を随時受け付けるためか幅が広く取られている納経所で朱印をいただき、今回の八十八所の札所めぐりはこれで終わりとする。先の記事でも、次の79番天皇寺、80番国分寺は同じ予讃線沿線で、しかも駅から近いところに位置しているのでこの後に一気に回ることができると書いたが、あえて次以降に取っておく。次のタイミングはいつかというところだが、それは「ある要素」によって決まる・・・ということに止めておく。

ともかく今回訪ねることにしていた海岸寺と郷照寺を回り終えて、少し遅めの昼食とする。まずは先ほど見かけた路地の小さなうどん屋にでも行ってみようか・・・・。
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