まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

東京大学駒場祭を歩く

2011年11月30日 | 旅行記C・関東甲信越

Dscn2023「お散歩だんらんの会」の11月後半のイベントの目的地は東京大学の駒場キャンパス。実はメンバーの中に東京大学で勤務している方がいらっしゃって(ご自身は東大の出身ではないとのことだが、それでも、職場が東京大学というのはやはり知性を感じさせて憧れますね)、11月に学園祭が行われるということで、ぜひともキャンパスライフを楽しんでいただきたいとの企画である。まあ、こういう機会でもなければ「東京大学」に入ることなんてないだろうし・・・。

学園祭か・・・。かくいう私も20年近く前は大学生だったが、学園祭に参加したのは1・2回生の時だけだったと記憶している。私のいた学科の同じ学年で食べ物の店を出したのだが、1回生の時にはOBとして、そして学生アルバイトとしてお世話になっていた岡山に本社のある某通信教育会社の企画で、「現役大学生が大学受験を目指す高校生を学園祭で案内して、大学への興味を持ってもらおう」というイベントに参加した。高校生たちを自分のところの店に連れて来たり、教室をお借りしてクイズ大会みたいなものもやった。ただ一方で、それが終了した後には自分の店に入って、(もう時効だから書くが)強い酒を飲み倒してその場でひっくりかえり、気が付けば後夜祭に突入していた・・・なんてのもあった。

ただそれも3~4回生となれば自分の学科で店を出すということもなく(下の学年はあったのかもしれないが)、「要するに全日休講」という感じで捕えていた。これを秋の3~4日間の休みととらえて、大阪から夜行列車でローカル線の乗りつぶしに出かけたこともあった。

Dscn1979・・・とまあ、学園祭という言葉からいろいろと脱線してしまったが、混雑する駒場東大前駅の改札に集まったのは私を含めて10人。「お散歩だんらんの会」の代表である旅の侍さん、そして先に書いた東京大学関係者のみやざわさん、後はすっかりおなじみの夏岳さん、たけしさん、そしてさいとんさん。さらに初対面となる女性陣のモモコさん、とかげさん、そして初参加というマツコさん、ささきさんというメンバー。

Dscn1983午後の時間帯であるが大勢の学生、そして一般客が詰めかけており、なかなかの雑踏ぶりである。なかなか団体行動が難しい感じである。まあまずはキャンパスを一通り歩こうということで学内に入るが、この時点でもう列が長くなっている。

Dscn1992それにしても数々の趣向をこらした食べ物の屋台群。久しぶりに見る光景であるが、私たちが出店をやっていた時と比べても食物がインターナショナルというか、新しいメニューが出ているなと感心する。アルコール類も売っているのでグッと惹かれるものもあるが、まあここは「夜の部」を楽しみにするかな。

学内の案内所まで来て集団もばらけたので、あとは学内でのフリータイムということになった。すでに「行方不明」になったメンバーも。これまでの「お散歩」からすれば、一つのコースをみんなでそぞろ歩くというスタイルであったが、こういう一か所でとなるとばらけて過ごすほうがお互いに楽しめるかなと。

Dscn1996私のいる集団は一番人数も多く、配布されたプログラムを見ていくつかのぞいてみることにする。そこでまずやってきたのが競技用ロボット(ロボコン)の展示。実際に操作体験ができるとのことであったが順番待ちが長くそれは断念。子どもたちがプレステのコントローラーを使ってロボットを操り、コーヒーの缶やブロックを山積みする様子などを見学する。この学生の活動も結構資金がいるようで、受付にはカンパ募集の瓶も置かれていた。

近い学舎に皆さんの興味が集まっているようで、その中でも皆さんが興味を持っていたのがステージマジック。ちょうど入場待ちの時間のようで、皆さんはそちらの列に加わったがここで私一人離脱する。せっかく来たのだからいろいろと見て回ろうと。ちょうど一つ上のフロアで「世界のビール大博覧会」なるものをやっているのを見つけたこともあった。ただそこは入ってもギャラリーがおらず、ちょっと「楽しむ」という雰囲気には欠けていたので結局パス。その同じフロアでやっていた「駒場寄席」というのに入る。

Dscn1998ちょうど舞台では漫才をやっていたが、それが終わると大喜利のコーナー。お題を出すのも解答するのもこの寄席の前半で出演していたらしい人たち。前半に出てくるからおそらく下級生(前座扱い?)ということになるのかな。それでも、お題に対してそれなりにボケてみたり、あるいは東大生らしく学術的にまじめに?答えてみたりと、いろいろと楽しませてくれる。大喜利と言えば一昔前までは「笑点」の独占であったが、最近では視聴者参加型の「ケータイ大喜利」というのもあり、大喜利でひねった回答を出すのも、お笑いとして頭の回転を速めるトレーニングになるのだろうな。

この後は学内をぶらつく。伝統的な建造物に指定されている1号館にも入る。こちらは「ナントカ研究会」が教室ごとで自らの「研究成果」を披露している。その中には「女装カフェ」なんていうのもあるのだが・・・・。

Dscn2004ここではテーブルマジックで間近にスプーン曲げならぬフォーク曲げという技を見たり、トランプを使用したマジックを見たり。

Dscn2003ブロック玩具のレゴを使用してさまざまなものをこしらえているのを見たり(それにしてもこのバーコード、実際に携帯端末をかざしてもコードを読みとることができ、そこでアクセスした画面で「投票お願いします」とサークルの宣伝もできたりする)、鉄道研究会で鉄道模型を走らせているのを見ながらうなったりする。

Dscn2008鉄道模型のレイアウトの外側の線路に、先の記事でも触れた京王井の頭線3000系の模型が飾られていたのは意外だった。沿線としてあえて狙ったことなんだろうな・・・・。

Dscn1984学内全般を見渡せば有名人による講演が行われていたり、もちろん屋台の食べ物を次々に胃袋に収めるのもありかもしれない。ただ同じ学舎にあって、普段ならみんな顔をしかめながら受けている授業があるのも確かである。そういうところではどういうことが行われているのかを見るのも楽しい。

Dscn2012そろそろ集合時間近くとなって、集合場所の正門広場に向かう。ちょうど正門広場のイベント舞台では和太鼓グループ「彩」による演奏が行われていた。先ほどから腹に響く衝撃というのを感じていたところであるが、これは見なければいけないだろう。

Dscn2019それにしてもイケメン、腕っぷしも強く、日本の伝統的楽器を奏でるセンス・・・・こういうのってやはり女性の憧れということになるのだな。やはり決まっているし・・・・。

太鼓の鼓動に気持ちが奮い立つような感じがする。今度はこの駒場から、今回のお散歩の終点である世田谷のキャロットタワーを目指す・・・。

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東京ドーム・野球殿堂へ

2011年11月28日 | 旅行記C・関東甲信越

26日は「お散歩だんらんの会」の11月集会に参加のために東京へ。先の記事でも書いたように、当初予定していた新幹線に寝坊で乗り遅れるということはあったが、後続の新大阪始発の列車で自由席を確保。空きすぎず混雑しすぎずという乗車率で東京にやってくることができた。

Dscn1908途中の富士山、もう少しすれば雪をかぶった姿を見ることができるのだろう。やはりこうして見ることができると、この先の旅も楽しいものになりそうな予感がする。

Dscn1918東京に到着。お散歩のほうが午後からの集合でそれまで時間がある(この、集合までの時間をどのように費やすかもこのサークルに遠征してくる時の楽しみ)。ただ今回は、ホテルも水道橋に取っていることだし、西本監督の訃報のこともある。久しぶりに東京ドームに行こう。まあ、野球は行われていないが、こちらに併設されている野球体育博物館、その中の野球殿堂に行ってみることに。

水道橋で下車。結構人ごみが激しい。コインロッカーに荷物を預けて東口から外に出ると、「チケット譲ってください」と書かれた画用紙を掲げている女性の姿も見える。そういえば幅広い年齢層の女性の姿が多いように見受けられる。これが西口だと馬券売り場が近いせいかおっちゃんの姿が多くなるのだが。

Dscn1919何かイベントでもあるのかと思ってドームに行く。するとそこには「チケット引き換え最後尾」「グッズ売り場最後尾」などのプラカードが出て、相当な数の行列ができている。しかも、そこを埋めているのはほぼ100%が女性。「今ここでこの集団の中にもぐりこんだらえらいことになるやろうな」と、アホなことを思ってみる。

Dscn1920その行列のお目当てというのが、韓流スターのチャン・グンソクのコンサートという。韓流スターねえ・・・特に最近はワイドショーや芸能ニュースでほとんど毎日取り上げられているといっていいだろう。本当にそこまで人気があるのか?と半信半疑で見ているところがあるのだが、こうやって「現場」にやってくると、やっぱりすごいのかなと思う。これがKARAとか少女時代とかってなると、今度は世の男性たちが行列をなすのだろうが。まあ、かくいう私は当時ロッテの石井浩郎の応援歌にもなっていた「ワ」とか、ドラマの挿入歌ともなった「HEAVEN」で紅白にも出たイ・ジョンヒョンあたりならついていけるが(・・・って、もはや古い部類なんでしょうな)。

Dscn1929そんな行列を尻目にやってきた野球体育博物館。こちらでは12球団のユニフォーム、選手が使用していた野球用具、監督の色紙などに出迎えられ、その後は野球の歴史に関する紹介コーナーである。

Dscn1934Dscn1936こういう博物館にいると時間が経つのが早く感じられる。

Dscn1939そしてやってきた野球殿堂。これまで日本の野球界に貢献した人たちを順次表彰するというものである。先ほどまでのコーナーとは違い、何だか凛とした雰囲気が漂ってくる。現在は見学客が便利なように大型画面をタッチして殿堂入りの人たちを検索することができるようになっている。

Dscn1942そこでありました、西本監督のレリーフ。大毎、阪急、近鉄で合計8回のリーグ優勝、数々の選手を育て上げた功績というのは文句なしの殿堂入りである。亡くなったからと特に何かされているわけではないが、こういう形でくれば思わず手を合わせていた。

Dscn1950殿堂の奥では、この2011年に殿堂入りを果たした人の表彰式の様子が流れていた。その一人が中日の落合前監督。これまでに「もらわなかった賞はない」とも言われていた落合「選手」であるが、ただ一つ、野球殿堂入りだけは決められたルールの中で投票で選ばれるものである。それがようやく獲れたことで「野球選手としての落合博満は終わりました」とあいさつしていたのが印象的である。選手として、そして監督としても功績を残した落合博満・・・次はどこかのユニフォームを着るのだろうか。

Dscn1953ユニフォームということで、この時期に懐かしいユニフォームの企画展示が行われていた。まず出迎えたのは2つの「背番号3」で、巨人・長嶋と西武・清原。これを中心に、セパ両チームの懐かしいユニフォームがずらりと並ぶ。

Dscn1957Dscn1961Dscn1959こういうのを見ると、思わずうなってしまうなあ・・・。

Dscn1966それぞれの球団の代表的なユニフォームが展示される中、「近鉄バファローズ」のユニフォームとして紹介されていたのが「68」番・・・・。これは西本監督のものである。まあ、ちょうど亡くなったから展示をしているということではなく、元々この姿で出展されていたのだろうが、これも何かの巡り合わせかなと思う。やはり来てよかったなと思う。

久しぶりの野球体育博物館に満足して、ドームを後にする。こちらに来れば必ず立ち寄る「山下書店」、野球関連の書籍が充実しているのだが、この日は「チャン・グンソク写真集」「チャン・グンソク2012カレンダー」といったところが店頭に山積みされ、多くの女性客があふれていて店内に入るのも一苦労。ネットでの「ネトウヨ」の書き込みを見るとボロカスにこき下ろされているスターであるが、これは本当の人気と思っていいのだろうかな。

Dscn1971水道橋駅前で軽く昼食として、電車乗り継ぎで渋谷へ。岡本太郎の「明日の神話」のスケールの大きさにうならされてやって来たのが京王井の頭線の乗り場。この線、東京にいた時も1回乗っただけだったかな。

Dscn1975_3井の頭線といえば独特の顔を持つ3000系が長い間一線を張っていたが、この12月で引退するという。これに会えないかちょっとホームで観察してみるが、やって来るのはもっと近代的な車両。

Dscn1972まあ利用客とすれば新しく快適な車両のほうが好まれるところである。編成ごとにいくつものバージョンの塗装が施されているのは井の頭線の伝統だろうか。

この電車に乗ること2駅で駒場東大前に到着。今回のお散歩の目的地はこちらということで・・・・。(続く)

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悲運の闘将・西本幸雄氏死去

2011年11月26日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

本日26日は「お散歩だんらんの会」のイベントに出席のため東京へ。ただ、ネットでの出張プランで予約していた早朝の「のぞみ」の出発時刻にちょうど目覚める、というハプニングがあり、結局1時間以上遅れての乗車。土曜日の朝、新大阪始発ということで何とか自由席を確保。車内にてこの文章をパソコンに入力して投稿。

昨夜就寝前にパソコンでニュースをチェックしているときに見たのが「西本幸雄氏死去」。91歳というから長生きされたものである。

西本氏といえばパ・リーグの大毎オリオンズ、阪急ブレーブス、そして近鉄バファローズと3球団で監督を務め、合計8回の優勝。しかし日本シリーズでは大洋・三原監督、巨人・川上監督、広島・古葉監督の前に敗れた(考えてみれば、8回の優勝で3人の監督としか対戦していないんですな。ただしいずれも日本の球史に残る名監督ばかり)。その敗れ方というのも、大毎時代にはスクイズ失敗、「バカヤロー辞任」、阪急時代には日本シリーズ初の退場事件となった土井の本塁突入、山田が王に打たれたサヨナラ3ラン、そして近鉄時代には「江夏の21球」・・・と、何と言うのだろう、敗れ方にもドラマ性があったように思う。

また選手の育成ということについては大毎には(コーチ時代含めて)山内、阪急では長池、福本、加藤、近鉄では梨田、佐々木、栗橋、羽田(そこに外国人本塁打王のジョーンズを入れてもいいだろう)と、数々の強打者、好打者を育て上げた。もちろん、阪急の山田や近鉄の鈴木らといった投手たちの精神的な師でもあった。

私がものごころついて野球ファンになった時には西本氏はもう監督を勇退していて野球解説者をやっていたり、料亭のCMに出ていたり(私の父親などは解説を聞いていてその独特の鼻声に「耳鼻科へ行ってこい」などと言っていたが)、山際淳司の「江夏の21球」とか近藤唯之のコラムをはじめとして、かつてのプロ野球のことについて書かれたノンフィクションものなどを読むに、パ・リーグ一筋に生きたこの監督に敬意を表するようになったところである。

確かグラウンドでナマの姿を見たのは2回。2001年、近鉄最後の日本シリーズとなったヤクルトとの第1戦、大阪ドームの始球式に出た時。当時は「どん兵衛」のCMで中村ノリと共演していた優香さんを呼ぼうかという話もあったらしいが、近鉄サイドとしてかつての闘将に敬意を表する形での始球式となった(結局、このシリーズでも梨田監督は敗れ去り、近鉄という球団はその後優勝、日本一になることなく合併されたのが)。そして2回目が、その近鉄がオリックスと合併してオリックス・バファローズとなった初年度。東北楽天との試合前のイベントで上田・元阪急監督とのグラウンドでの「競演」というものがあったことを憶えている。

かつては人気のなかったパ・リーグも、本拠地の移転やファンサービスの充実、そして「実力のパ」を受け継ぐ好選手たちが揃い、人気面でもセ・リーグをしのぐほどになった。その礎をつくった功労者とも言えるのではないだろうか。

今年に近鉄の復刻イベントがあり、その試合前のトークショーで鈴木啓示氏が「西本さんも91歳で、体は相当弱っておられるがアタマはまだまだ冴えていて、テレビで高校野球、大リーグ、そしてプロ野球とずっと野球のことを追いかけていらっしゃいますよ」と語っていたが、91歳というその年齢に驚いたものである。さすがにもうグラウンドに立つことはできないだろうが、今年の阪急・近鉄の復刻イベントでその姿を見たいと思っていたものだ。

監督最後のシーズンとなったのは30年前か。だから60歳で監督から勇退したことになるが、その当時で60歳といえばかなり老け込んでいるものの、今年日本シリーズを戦った中日の落合監督がもうすぐ60歳、また来年の高木監督に至っては70歳というから、「年の取り方」にも時代の流れを感じる。私にとって懐かしさより憧れを感じる「昭和のプロ野球」がまた一つ過去のものになろうとしている。

この後東京に向かうが、散歩の集合までは時間がある。今夜の宿泊地が東京ドームに近い水道橋ということもあり、まずはこちらに立ち寄って荷物を置き「野球殿堂」に行ってみようかな・・・・。

心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

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『出張ついでのローカル線』

2011年11月24日 | ブログ

ローカル線というのがブームである。最近になってローカル線というのは決して恥ずべき言葉ではなく、むしろそれを地元のPR、観光の目玉として盛り上げようとする動きすらあるという状況である。でもまあ、こういう「その筋」の人以外にとってみれば、ローカル線という言葉は必ずしもプラスではないだろうし、「利用しにくい"電車"なら、むしろないほうがマシ」と思っているフシもあるかもしれない。いやむしろ、そちらのほうが正常な感覚ではないかと思う。だから不便な鉄道には見向きもせず、もっぱらクルマ利用。仮に私がそういうローカル線の沿線に住んでいたとしたら、情緒の面はともかくとして日常生活ではおそらくクルマを利用するだろうな・・・。

さてそんなローカル線であるが、他の地方から出張などで訪れて、そこから少しの時間を作ってしばし寄り道をする・・・そういう接し方というのも面白いと思う。厳密に言えば「勤務時間中」ということになるのだろうが、せっかく遠方に出ているのだ、そのくらいは広い意味での「出張」として見てほしいなと思う。もっとも、私の今の職場のポジションでは出張といってもせいぜい東京の本社に行くくらいのもので、しかもビジネスライクと来ているものだからなかなか寄り道もできないのだが。

『出張ついでのローカル線』。野田隆著、メディアファクトリー新書版。

Isbn9784840142786_1_2野田隆氏といえば「乗り鉄」に関する著作をいろいろと出されており、できるだけ一般人目線で鉄道の旅を楽しむ、というスタンスで書かれている。その中にあって「出張ついで」ということに着目したのがこの一冊。

出張先での用務を終え、帰途に着くまでの半日、あるいは数時間。せっかく遠征したのだから寄り道をしよう、その行き先はローカル線・・・ということで、札幌、仙台、新潟、東京、名古屋、大阪、高松、広島、福岡、鹿児島と、おそらく出張で訪れる機会が多いであろう全国の主要都市をベースとして、そこから少しの時間楽しめる路線、あるいはコースを紹介している。まあ、どのくらい余裕があるかはその時次第ということになるが、決して乗り詰めというのではなく、それなりの時間でできるだけ多くのアイテムを楽しもうというプランが目白押し。

全国的な超人気路線だけではなく、主な路線とすれば函館本線(山線)、札沼線、仙山線、弥彦線、京成金町線、北勢線、阪堺線、汐見橋線、広電、琴電、香椎線、指宿枕崎線・・・といったところ。いずれも個性があるところ。自宅から大枚をはたいてわざわざその線だけに乗りに行くとすればコストがかかるが、出張のついでに(もちろん自腹で)乗車するというのは、出費も少なくてすむし、仕事以外のところでも見聞が広まるというものである。これはここで出ている都市だけではなく、全国の県庁所在地クラスのところであればそれなりに合ったプランで実行できることではないだろうか。

これは何も出張だけでなく、例えば別件でその都市を訪れて、帰りの新幹線までポッカリと時間が空いた時、あるいは夜行列車や夜行バスで早朝にその都市に到着し、予定の時間まで時間がある時など、プライベートでも楽しめることだと思う。わずか数時間のことであればフトコロもさほど痛むことはない。こういう楽しみ方、時間の過ごし方もあるということは知っておいて損はないことだろう。

こういう観点での書物が出ること自体、鉄道の旅の敷居が低くなったことの現れなのかな。

さて、出張というわけではないが、この週末に東京を訪れる私。メインイベントの散歩は土曜日に行われるとあって、翌27日の日曜日はとりあえずフリー。そのためにわざわざサイコロを持ち込んで行き先を決めよう・・・・というところなのだが、ここにサイコロの出目によって決まる18の候補地を書くことにする。ローカル線あり、大都市路線あり。

ひたちなか海浜鉄道、鹿島臨海鉄道、関東鉄道・真岡鉄道、銚子電鉄、東京湾フェリー、京急、いすみ鉄道・小湊鉄道、信越線、吾妻線、上越線、富士急行、中央線、会津鉄道、烏山線、東武日光線、鶴見線、御殿場線、伊豆急行・・・・。

私鉄が中心となったが、関西からはなかなか行く機会の少ないところをピックアップ。果たして、サイコロの運命はどうなるのやら??

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万博公園へ~アイヌ・韓国・エコデン

2011年11月23日 | ブログ

今年は日独交流150周年という。その記念事業の一環として万博記念公園にある国立民族学博物館にて現在開催されているのが「千島・樺太・北海道 アイヌのくらし」という特別展示。

Dscn1890なぜドイツとアイヌがつながっているのかということであるが、19世紀末から20世紀初めにかけて、ドイツの民族学博物館が収集を行ったアイヌの生活用具や衣装などをわざわざ借用してのものである。欧州から見ればアイヌの独自の文化や、装飾を施した生活用具というのはエキゾチックなものとして映ったという。

日本の先住民族(ということで国会でも認められた)アイヌ。私たち内地人、大和人とは異なる生活様式、近世以降は搾取、差別の対象ともなったアイヌ。北海道への旅行を通してアイヌについてのいくつかの文献を読んだのだが、先住民族とかことさらに崇拝する気はないものの、今でいう日本文化の諸相の一つとして、アイヌ文化というのにも興味を持つようになった。

Rscn1882久しぶりの万博公園。今年は生誕100年ということで岡本太郎があちこちでブームになっている。そういえば「OKAMOTO’S」なるバンドもいるな(これはメンバーが岡本姓の集まりというだけで、岡本太郎とは関係ないようだが・・・)。太陽の塔、自然文化園を抜けて民族学博物館へ。

2011112314260001こちらの特別展示では100年前、日本との同化が進む中でまだアイヌの習俗が残っていた千島、樺太、北海道からの収集物について、「とる」「たべる」「すまう」「よそおう」「いのる」の5つに分けて、数々の生活用具が展示されている。北海道のアイヌ関連の施設で見たことのある用具も多いのだが、ドイツの博物館が収集するとなると実用性の他に装飾、工芸品としても目を引くものが多い。

2011112314280000衣装には植物繊維を使ったもののほかに、鮭の皮を用いたものもある。鮭の皮が衣服の材料になるとは初めて見た。おそらく祭祀などの特別な時に着たものだろうが、これも生き物の全てを有効に利用する、そのことが自然とともに生きる上で欠かせない考えであるということがよく現れていると思う。

※残念ながら特別展示の写真撮影は禁止されていたので、写真撮影OKの本館の通常展示にあるアイヌのコーナーでの写真を貼りつけてます。

2011112314270000日本との同化が進んだためか現在はその数も少なくなっているが、そのルーツはアイヌであり、そして自らアイヌとしてその文化を次に伝承していこうという活動も行われている。その拠点の一つが北海道の白老町のアイヌ博物館「ポロトコタン」であるが、そこで伝統儀式、芸能を受け継ぐ人たちの様子を撮影した映像が「アイヌと境界」ということで紹介されている。

この「境界」というのは国境という意味もあるだろうし、民族としての境界、歴史としての境界、いろいろとあるだろう。ただこの映像は、この儀式に参加した中の4人の「日常」にも密着する形で作成されており、ある人はこのポロトコタンで働き、ある人は博物館の責任者でもありローソンの店長でもあったり、ある人は札幌で映像関係の仕事をしていたり・・・と、アイヌの民族衣装をまとった時と、ごく普通に市井の市民として私たちと同じような日常生活を送る時との、いわばオンとオフの姿を密着して追いかけている。

和人とアイヌの交流、あるいは同化について最近読んだのが池澤夏樹の『静かな大地』という作品であるが、そこで描かれている明治時代の差別構図というのはまだ現在でも残っているのではないかと思う。ただその中でも現在、そして未来に向けてどのように文化を伝承しようかという動きは確実に残っており、このような展示や作品を通して多くの人に伝わればよいのではないだろうか。

一つ言うなれば、こういうのをドイツの民族学に持って行かれているというのが日本としてどうかと思うのである。これが日本における歴史というものだろう。

さて、せっかく民族学博物館に来たのだから本館のほうも見学する。展示もリニューアルされたとかでレイアウトも変わっているし、画面にタッチすることで映像解説やミニゲーム形式で民族文化に触れることができる。世界のありとあらゆるところの展示品が集められており、これを一つ一つじっくり見て回る、あるいはビデオライブラリーで映像を鑑賞するとなると一日で足りるモノではない。何回も足を運んでということになる。

2011112314180000あまり時間がなかったので本館展示はさらっとなでるようなコースとなったが、その中で一点だけ「これは」と思ったのがこちら。朝鮮半島の文化のコーナーにあったものだが、1998年シーズンの韓国プロ野球のユニフォーム。これも韓国の現代文化としての紹介であるが、今は身売り、解散してしまったチームもあり、レア度ということでは博物館ものかなというところか。ユニフォームにハングルが書かれているのは、日本で言えば高校野球で漢字で校名が書かれたユニフォームのようなものだろう。

Dscn1894さて高校生といえば、この日はお祭り広場で「エコデンレース」なるものが行われていた。全国自動車教育研究会というところの主催で、手のひらサイズのバッテリーや蓄電池を動力とするクルマを作成し、決められた時間で移動できる距離を競うもの。高校生の研究活動の一環として、全国あちらこちらの工業高校、工科高校でチームをつくって出走するというものである。

Dscn1906エネルギーのほうが限られているものだから、車体も軽量かつ抵抗の少ないものとする必要がある。このため、ほとんどのクルマがドライバーが仰向けに寝たような状態で運転するつくりになっている。もちろんドライブテクニックも重要。ドライバーとエンジニアたちが一体となってレースを行うという点ではF1などのモータースポーツと変わるところはない。

Dscn1907私の勤務先企業でも工業系学科の生徒に対する求人活動を行っていることもあり、そこでなじみとなった学校も参加していた。よし、次に学校訪問することがあればこのことも話題にしてみようかな・・・・。

天気は今一つであったが、さまざまな文化に触れることのできた秋の一日であった。

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サイコロの旅・出走表

2011年11月22日 | ブログ

次の週末には「お散歩だんらんの会」の月例の散歩イベントに参加する予定。首都圏で活動しているサークルにあって、関西からとなるとどうしても半年に一度とか、そういう頻度になる。

そして、散歩に訪れたらその次の日は「どこかに行く」のも私にとって定番となっている。前回は今年の6月に参加して、次の日は新幹線と在来線を乗り継いで、東日本大震災で大きな津波被害を受けた気仙沼を訪問。その前はちょうど1年前、わたらせ渓谷鉄道を訪ねて秋の風情を満喫したところである。

さて今回はどうしようか。あれこれ考えるうちに、あそこにも行きたい、ここにも行きたいという欲張りが頭をもたげてきた。あまりにいろいろあるので、ここは以前に「青春18きっぷ」利用の旅先を決めたように、「サイコロ」で決めることにしよう。

そして今回は初めて「2段階選抜」を行う。まず1回目のサイコロで「東京都心からどちら方面の列車に乗るか」を選択する。そして、その沿線、あるいはそこから足を伸ばしたところで何か面白いものがあればということである。

まずは「出走表」をつくることに。東京を中心として各方面に出かけるとなったとして、次の路線がまずは第一段階。ここでは出目の順に「常磐線」「総武線」「高崎線」「中央線」「東武浅草線」「東海道線」と分けられる。続く2回目で、この方面別の中でどこに行きたいかが決まる。各コース、それぞれ日帰りスポットとしては充実しているところを選んだつもりである。

そして、この出走表をもとにサイコロを振るのは、どうせなら前日に顔を合わせる「お散歩だんらんの会」のメンバーにお願いするのも面白いかと。自分の行き先が他人の意志で決まるというのも、鉄道の旅ならではのお楽しみだろう。

さて、どこに行くのやら・・・・?

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神戸マラソン観戦記

2011年11月20日 | まち歩き

先月30日に大盛況だった大阪マラソンに続き、本日20日は関西4大市民マラソンの第2戦となる神戸マラソンが行われた。

2万5000人がエントリーするというこのマラソンであるが、今回は私の知っている人が2人出場するということで、声援を兼ねて観戦に訪れることにした。

一人はこのブログでもリンクしているが、奈良を本拠地に活動している司法書士のKEN氏。彼のブログではこの夏以降はとにかくほぼ毎日かかさず長距離の走り込みを行っていることが書かれており、市民ランナーとしての練習量は大変なものがある。このレースでも自身の自己ベスト更新だけではなく、このところカンボジアへの国籍変更でロンドン五輪を目指すとかで話題になっている猫ひろしさんの記録を上回るのが目標という。ということは2時間30分の前半ということで。

もう一人は以前に旅のサークルでご一緒させていただいたOさん。このマラソンのためにはるばる横浜から遠征ということで、こちらも神戸でのさまざまな活動に触れて「地元の皆さんの熱意というのを感じています」というコメントをいただいている。こちらは目標4時間とか。

コースマップを見て、どのあたりにポイントを置くかを決める。やはり神戸らしい、このコースならではのところで見たいという気持ちはあるのだが・・・。

Dscn1759とりあえず早朝から神戸に向かうことにする。今回はちょうど有効期間にある「スルッとKANSAI 3daysチケット」と購入。これで自宅から大阪市内への往復も含め、神戸、さらにその先への移動もスムーズに行ける。3日分で5,000円するが、また別の日に出かければ十分元は取れる計算である。

Dscn1761そして向かったのは神戸・元町。やはり神戸なのだから旧居留地の洋館街とか中華街などをバックに走るところを見たいなという気がしたのだ。ただマップをよく見ると洋館街が面している2号線あたりはコースに入っておらず、ならばということで中華街の長安門前に移動する。まだ朝早いとあってそれほど観客の姿はいないが、おそらくこの辺りは大観衆に膨れ上がるのだろう。スタッフの人が応援用の紙製メガホン(こちらにコースや交通規制ポイントが載っている)を配っており、これを応援グッズということで。

ちょうどここはスタート地点から1キロにもならない区間である。ただ、ワンセグでサンテレビの中継(午前中に生中継、午後から録画を交えた特番をやるとか)をやっているのを見ると、スタート地点の神戸市役所前は見渡す限り人、人、人・・・で埋め尽くされているようである。これではKEN氏やOさんの姿を探すのは(KEN氏からはゼッケン番号を教えてもらっていたが)まず不可能である。

Dscn17689時のスタートから2分、先導車と白バイがやってきた。これに続くのは先頭集団。ケニア出身のワキウリ選手の姿も見える。ゲストランナーということで参加しているとのこと。

Dscn1773そして第一集団が続く。このあたりはかなりの人数がスピードを上げて通過するので、誰が誰やらわからない。これに合わせて長安門の前で龍の舞が披露され、「神戸らしさ」を演出する。

Dscn1777その後となるととにかく歩道を埋め尽くす人の波である。真剣に走ろうというランナーもいれば、コスチュームのほうで目立とう(それだけ楽しんで走ろう)というランナーもいて、市民マラソンらしい光景が見られる。それにしても、阪神タイガースのユニフォームやら虎の被り物や帽子などにをまとう人というのは結構目立つなあ。

さて、ある程度人の波が過ぎたところで、移動にかかる。目指すのは折り返し地点となる舞子公園。ちょうど明石海峡大橋の下で折り返すことになる。そこは一つ観戦ポイントになるかな。ということで、また元町駅に戻り、山陽電車への直通特急で西へ向かう。同じように西へ移動しようという人も結構乗っているようだ。ただ、神戸市街区間は直通特急といえども各駅に停まっていく。このために思うほど早く進めない。

Dscn1782地上に出る。ちょうど線路と須磨の海岸が近づくポイントであるが、もうすでにランナーの姿が結構見える。思わず扉のガラス越しに撮影する。KEN氏ももう先に行っていたりして。向こう側には須磨のギラギラした海岸を眺めることができるのだが、果たしてランナーたちの目にはその海岸は目に映っているのだろうか。

Dscn1786明石海峡大橋に臨む舞子公園に到着。とにかく西からの風が強い。これではランナーも苦労するのではないだろうか。

Dscn1787そしてそれよりもすでに折り返し点には何重もの人垣ができており、沿道を眺めるのも結構先のほうまで行かなければならない。すでにトップランナーは過ぎ去っているようだ。後のことも考えてここでの声援は断念、すぐに東方向に戻ることにする。

Dscn1793帰りは新長田までJRで移動。こちらからもランナーたちの姿を見ることができる。まだまだこの人垣は続いているようだ。ただ、これより後続まで来るとトップランナーたちのレースというよりは、何か祭りで山車を曳く行列でも続いているかのように見える。電車から「車窓」として見ているからだろうか。

Dscn1804新長田到着。ここでは駅前の鉄人28号モニュメントを見る。往路のコースではこの後ろを通ることもあり、広場では数々の屋台が出ており、かつ新長田商店街のパンフレットを配る光景も見られた。確かこのマラソンのテーマは「感謝と友情」。そこには「被災からの復興」ということも含まれており、16年前の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた新長田地区から、今年の東日本大震災で被災した東北を支援するということで東北の屋台も出ていたりした。

さて、ここから地下鉄の海岸線に乗り換えてやってきたのは和田岬駅。今でこそ地下鉄の駅として機能しているが、一昔前までは(現在もあるのだが)JRの和田岬線の終点駅である。コースで言えばちょうど32キロ手前の地点。ここまで来ればランナーの波も長くなっており、走ってくる人を見つけやすいということもある。少し手前にホームズスタジアムがあり、観客の多くはそちらに行くと考えれば、まあ穴場というところか。鉄道ファン的にも「和田岬駅」といえば独特の位置づけがあることだし・・・・。ということで、ここだけは間に合うように移動してきた。

11時10分前に到着。スタッフの人に尋ねるとトップはすでに通過したという。ただ、KEN氏が自分で想定するラップタイムからすれば来るまではもう少し時間がありそうだ。周りはそれほど観客もおらず、またランナーもまばらにしかやって来ないので探すのもそう難しくないだろう。穴場の見立てとしてはよかったかなと思う。

Dscn1818何人かのランナーが通過していき(写真は女子の部のトップランナー)、このあたりはゼッケン番号も若く、いかにもよく走りそうという人たちが通過していく。

Dscn1819そして遠くに見覚えのある体格、ゼッケン番号も聞いていた通りのものだ。メガホンを片手に名前を呼ぶと、向こうもこちらに気づいたようで手を振って応えてくれる。結構しんどそうだが残り10キロあまり、何とかベストタイムに向けて頑張ってほしいものである。

この後はランナーも少しずつやってくるが、朝から動き回ったこともあり早めの昼食とする。入ったのはその名も「駅前」という店。昼は定食、夜は海鮮を中心とした居酒屋で、ここでは日替わりの定食をいただいたが、夜の部も訪れてみたくなるような雰囲気のところであった。

Dscn1823さて、ここからは和田岬線に乗って兵庫駅まで移動して・・・と言えば簡単なのだが、和田岬線といえば知る人ぞ知る路線である。

Dscn1824時刻表はご覧のとおり。純粋な通勤路線なのである。まあ、こういうコアな場所というのも観戦場所に選んだ理由なのだけど。ちなみにこの日、次の列車は17時台!

Dscn1830まあ地下鉄で移動してもいいのだが、道の勝手も知っているところであり、少しでもランナーと同じ空間を楽しもうということで、このままランナーの波に併走する形でしばらくコース沿いに歩いてみる。和田岬から中央卸売市場を経て神戸駅に至るあたりは工場やら市場やらが多いこともあり、それほど観客もいない。それだけに選手に近いところで声援を送ることができる。コース沿いに歩きながら、ランナーたちに声をかける。さすがにOさんの姿は、4時間でゴールするならちょうどこの辺りを走ってそうなものだが人数が多く見つけることはかなわなかったが・・・(こちらが歩いている横を通過していった、ということにはなると思うが)。

Dscn1834Dscn1836沿道のサポートも充実しており、給水ポイントでは水にスポーツドリンクのコップを大量に並べ、補食ポイントではバナナに紀州みかん。それを受け取るランナーもいれば、さすがに30キロを過ぎて脚に来ているランナーも目につく。

Dscn1849中にはコースを外れてストレッチをしたり、スタッフの人にスプレーをかけてもらったりという光景も。競技マラソンではない市民マラソンとしての光景で、そういう人にはコース復帰後より大きな声援が送られる。

Dscn1845歩道橋の上から見ると、やはり圧巻ですな。

Dscn1864そのまま歩いてやってきたのは神戸駅前ハーバーランド地区。神戸新聞の建物の前ではサンバが披露されていたり、太鼓をたたいての声援も送られる。さすがにこの辺りは観客が多く、選手を奮い立たせてくれる。

Dscn1869ここで国道2号線に出るが、普段は大阪方面からの高架道路となっているところが本日はマラソンコースになっている。それを上るランナーたち。普段はクルマが走る高架を多くの人が上るのも異例の光景。ただその横で毛布を掛けられている人も。そこに救急車がかけつけて運ばれていった。さすがに終盤に来て限界が来てしまったか。マラソンの過酷な一面を垣間見たように思う。

Dscn1868結局観戦はここで終了。後でKEN氏から聞いたところでは、タイムは2時間44分10秒。自己ベストおよび目標タイムには及ばなかったものの、上位陣もそれほどタイムが伸びていたわけでなく、この日のコンディションも考えれば決して悪いタイムではないと思う。それだけ、練習量はきちんと出ていたのではないだろうか。一方、ネットで検索したところではOさんは4時間14分という記録。こちらも目標を4時間ということを考えればまずまずのところではないだろうか。ともにお疲れ様でした。

Dscn1851さて、こうやって市民マラソンを見るに、走る人、サポートする人、それぞれの思いというのがよく伝わったイベントだったと思う。沿道に出ているだけで何だかランナーたちから元気をもらったような気もしたし。復興と街の活性化のために、今後続けて実施されることを期待したいところである。

え?お前は(例えばバファローズのユニフォーム姿で)走らないのかって??・・・・いやいやいや、そいつはご免こうむりやしょう。走る前に、まず42キロを続けて歩けるくらいにウエイトを落とさないと・・・。

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日本シリーズは最終戦へ。大阪府知事選挙は・・・・?

2011年11月19日 | ブログ

今夜の日本シリーズ第6戦、ソフトバンク有利で迎えたところ、中日・吉見の好投の前に攻撃もチグハグなところがあり、またしても2対1のロースコアで中日が勝利、これで3勝3敗のタイとなり、また勢いでは中日のほうが有利になったかなと。

ただ、第7戦、何か球史に残るドラマチックな出来事が起こりそうな気がする。「江夏の21球」とまではいかないにしても・・・・。

さてまあ、今夜でソフトバンクが勝っていれば「日本一」ということでこのブログも書くところであったが、それがもつれたということで別の話題で。

27日に行われる大阪府知事選挙、私は26~27日は関東遠征を行うということで当日の投票ができず、本日期日前投票を行った。市役所の会議室を訪ね、期日前投票の申請用紙に住所、氏名を記載し、当日投票できない理由を選択する。これを係りの人が確認して投票用紙を渡される。この間、時間にして2分くらいのものである。

自治体にもよるのだろうが、この投票の手続きもかなり簡素化されていると思う。私の場合は早々と投票先を決めたのでよかったのだが、まだ日もあることであり、ぜひとも当日御用とお急ぎのある方については期日前投票を行い、少しでも投票率を上げてほしいものである。

さて一方では鉄道の話題。前の記事で「日本海」廃止のことを書いたが、そのお別れ乗車ということでこの年末年始の休みの旅先を青森に設定した。おそらく寝台券の入手は困難と思われるが、まず「できること」として、JR西日本の年末年始の指定席事前電話予約のサービスを申し込む。通常なら1ヶ月前、ネット予約の会員でも1ヶ月+1週間前からの予約開始であるが、年末年始についてはさらに前倒しでの電話予約受付となった。なかなか電話がつながらず、1時間ほどしてようやくオーダーすることができたのだが、結果が出るのは1ヶ月前になってから。事前予約といっても、要はコンピューターでの処理の順番が早くなるだけの話であり、席が保証されるものではない。

もしこれでダメなら非合法的な手段での入手ということにならざるを得ないが・・・今はそのことは考えないでおこう。

その前に、来週の関東行き。26日は「お散歩だんらんの会」の散歩参加で都内宿泊として、27日がフリーである。結局行き先は「サイコロ」に委ねることに。選択肢がいろいろと出てきたので、出目の組み合わせを複雑にした「出走表」でもつくることにしようか・・・。

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寝台特急「日本海」廃止へ・・・

2011年11月18日 | ブログ

このところ「春の風物詩」の感もあった国鉄~JRにかけての由緒ある列車や車両の廃止であるが、来年の3月のダイヤ改正をもって、ついにこの列車にも「廃止」の断が下されるようである。

「日本海」、確かこれまでに3回ほど乗車したことがあるが、関西と北東北を結ぶ列車として独特の存在感があったと思う。ちなみに私が初めて北海道に上陸したのも、大阪から「日本海」に揺られて青函トンネルを抜けて江差線~函館を訪れたところから、印象に残っている列車である。

今年の大阪駅の大改装後、確かに駅としての見晴らしがよくなったり、おしゃれな感じが漂ってくるようになったのはいいことだが、このところ、大阪駅を発着する列車、車両ごとの「顔」の違いがあまり目立たなくなった。いい意味ではスマートだし、悪い意味では個性がない。ただその中にあって、夕方の一時、赤い機関車(時には緑の機関車のこともあるが)に深い青の客車がホームに横たわる風情というのは独特の存在感があった。それに乗って出かけることはそうあるものではないが「特急 日本海 青森」という文字を見ると、線路のつながりというか、はるか遠い土地への憧れというのを感じる。これが「トワイライトエクスプレス 札幌」という文字を見ても、札幌は青森より遠いところであるにも関わらずさほど強い憧れを感じないのは、列車の性格もあるだろうし、やはり鉄路で直接行く「最果て」というのは本州最北端の青森ということになるのかなと思う。

2011071017420000そんな「日本海」も、車両の老朽化、利用客の減少ということもあり、来年春をもって定期列車からは姿を消すという。多客期の臨時列車としては運転されるようだが、そうやって臨時列車で運転されるのもわずかな間のことで、事実上は「廃止」ということでいいだろう。東北に地縁血縁のない私からすれば、「日本海」が廃止になったところで自分の生活に何か影響があるというものではないが、やはり残念だなという気がする。

となるとそうなる前に乗りに行きたくなるのが人の常であるが、この年末年始の休みはどうだろうか。ここまで「行き先」に迷いがあったのだが、こうなれば東北新幹線の乗りつぶしも兼ねて彼の地を目的地としたい。

ただ、おそらく帰省客等で寝台券は取りにくいところに来て、この廃止発表である。寝台券が秒殺で売り切れるのは必至だろう。何とかならないものかと思う。ネットオークションの軍門に降り、定価の何倍もの料金を払ってまで券を入手するか。難しいところである。

さて、どうするかな・・・・?

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B級グルメあらずんば町にあらず?

2011年11月16日 | ブログ

先の週末、姫路にて行われたB-1グランプリ。その土日は行く時間もなかったし、またあまりの混雑ぶりの報道に触れると、時間があっても行こうという気になかなかなれなかったというのはある。

投票の結果、優勝が岡山の「ひるぜん焼きそば」、そして2位が同じく岡山の「津山ホルモンうどん」ということで、岡山がワンツーフィニッシュ。また9位には初出場ながら日生のカキオコが入ったということで、まあ開催地が岡山にも近い姫路だったということも大きいと思うが、さすがは広島に成り代わって中国の中心になろうという岡山、最近元気があるだけのことはあると思う。

それにしても、このところどこに行っても「B級グルメ」である。そういうグルメがなければ観光地として何の魅力もない・・・と言わんばかりの広がりで、同じB級と思われる、例えば広島のお好み焼きとか、福岡・博多のラーメンとか、東京のもんじゃ焼きなどというのはもはや俗な存在となり、B級グルメとは言われないようだ。まあ大阪のお好み焼きだのたこ焼きだのってのは、せいぜいC級がお似合いのカスな食べ物ですがね・・・・。

なぜ焼きそばなのか、なぜホルモンなのか。そういう伝統が起こったのはその街の気候風土、歴史背景や産業構造があるわけで・・・・。

昨今の町おこしの定番ツールであり、それだけに「ホンマに地元の人はこれを当たり前のように食べているの?」と疑問を呈したくなるようなものが多い。無理にステレオタイプをつくっていないか?あるいは、どこぞの局で「県民ショー」とか言って、単なる行政のくくりでしかない都道府県単位で、その地域の人たちの行動様式をしばっているようなことをしていないか。たかが数十年、あるいは数年のはやりでしかないのをわざと仰々しくPRしていないか。

B級グルメの「名店」となると、それに行列をしなければならない。だいたい食べ物で行列をつくるって、そんなどこぞの国の難民キャンプとか、共産主義の配給制の国のやること。それをさせること自体が店の責任ではないのか。何とも思わず当然という感じであしらう、何か勘違いしている店の多いのも鼻につく。昨今のB級グルメとかでにわかに有名になった店に多いことではないかな。

まあでも、B級グルメにあらずんば人にあらずという傾向は今後しばらく続くんだろうな・・・・。まあ仕方ないか。

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都道府県の幸福度ランキング

2011年11月14日 | ブログ

13日に告示された大阪市長選挙。平松邦夫・現大阪市長と橋下徹・前大阪府知事の一騎打ちということになった。これは実に珍しいケースではないだろうか。一般的な選挙なら同じ一騎打ちといっても与野党相乗りの現職対共産党推薦の新人候補、という図式がほとんどで、共産党推薦候補もいなければいわゆる「泡沫候補」もいない大都市の首長選挙というのもなかなかないことだろう。それだけに論点が明確といえば明確ではあるのだが、タレント票の多い大阪、今回はどのような結果になるだろうか。テレビの露出度ということになれば平松市長もMBSの夕方のニュースアンカーを長年務めており、橋下前知事に引けは取らない。

そんな2人の直接公開討論の場で、「大阪は住みやすいか」という話が出た。平松市長はイギリスの経済学者のコメントを引用して大阪の住みやすさをアピールした一方、橋下前知事は先の「幸福度ランキング」で大阪が最下位になったことを踏まえて、だからこそ大阪を解体しなければならないと主張する。

その「幸福度ランキング」とはどういうものだろうか。確かに地元・大阪が「最下位」と言われてうれしくは思わないところだ。

このランキング、法政大学の坂本教授という人が生活や安全性、医療・福祉の充実度など40の項目について統計を取り、それをポイント化したもので総合順位を決めたものという。それによれば1位が福井、2位が富山、3位が石川と、北陸3県がペスト3を独占する結果であった。これは、働く場所として安定したメーカーの生産拠点が数多くあったり、気候面、持ち家比率、子育ての環境(保育所の充実など)、老人や障害者に優しい環境、犯罪発生率などで評価したところ上位に来たということである。特に北陸は子育て環境が充実しているといい(ひょっとすれば、所得が少ないから共働きをせざるをえない家庭が多く、そのために子どもの受け皿を町全体、県全体で整備しなければならないというのがあるのかもしれない)、そこのポイントが高かったという。

一方で東京や大阪、愛知、福岡といった大都市圏は軒並み低い評価である。都市インフラは整備されているし、公共交通も発達している、さまざまな産業も集まり、人が集まり街自体は活気があるように見える・・・・なのに「幸福度」ではポイントが低い。

これって、どう判断すればいいのかな。普段「都会」と言われているところのポイントが低く、「田舎」「地味」というところが上位なのだから。まあ評価の観点が独特ということがあって北陸が上位に来ているのだろうが、これが物質的な豊かさ、「住んでみたい」イメージからすれば都市部が上位に来るのではないだろうか。

まあそれだけ、見方によってはどの都道府県も住みやすさがあれば不便なところもあるということだ。後は、そこに住む人、あるいはこれから住もうとする人がどう評価するかである。このニュースを受けて街の人々にインタビューする映像が流れていたが、大阪の人にとっては「そんなんどうでもええやん」「オレは大阪ええとこや思っとるから、ランキングなんて関係あらへん」「そんなん人それぞれやん」などという、最下位なぞどこ吹く風という映像が流れていた。

それと同時に地方に住むことに憧れる人もいれば、地方の生活に将来性を見つけられず都会に出てくる人もいる。もう、ランキングの順位というのがどういう意味をなすのかということにはさほど気にすることはないと思うのだが・・・。要は、自分がどういう街に住んでみたいか。どういうことで生計を立てようと思うか。

関西においてその行方は単に大阪市内にとどまらず、関西全域に影響を及ぼすであろう大阪市長選挙。それぞれのパーソナリティやマスコミへの露出、演説手法にだけとらわれるのではなく、より多くの市民が幸福感を味わいながら生活することができる大阪市をどのようにつくっていくのか注目したい。

私個人としては、あえて複雑な手続きを経て「大阪都」とせずとも、どのような形であれば改革が実行できるのかということも注目したいものである・・・。

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秋のゴルフコンペ

2011年11月13日 | ブログ

本日13日、世間ではB級グルメとか、鉄道に関する催しとかいろいろとあったようであるが、私はかねてからの予定通り、会社と業者の親睦を兼ねたゴルフコンペに出席。

まあ私は「幹事枠」で参加しているようなもので、普通に実力本位ということであれば「足を引っ張るから参加はご容赦されたし」と言われてもおかしくないくらいである。自分でも練習場でいろいろとイメージして打球を飛ばしてはいるものの、やはり実戦となると、ね・・・・。

2011111310490000本日訪れたのは兵庫県の真ん中、中国自動車道を降りて10分ほど走ったところにある「花屋敷ゴルフ倶楽部」。こちらは毎年春に女子プロのトーナメントも行われているコース。ホールによってはドライバーの飛距離を指すということで、フェアウェイ上に古閑美保とか横峯さくらとかのプロが「ここまで飛ばしました」ということでプレートが刺さっていたりする。

合わせて10組40人が参加するとあって結構時間のかかるプレーとなったが、プロのトーナメントが行われるくらいの難しいコースながら、それだけにコースのスタッフの方々が迅速なプレイのためにサポートしてくれたり、キャディのようにコースマネジメントをしてくれたり、なかなかいいものである。

私もその難しさに苦労して(というよりかは、そこに至るまでのレベルに達していないヘボゴルファーですが・・・)、結局はスコアは最低。いかに幹事とはいえ「メーカー」になってしまった。「仕事でトラブルメーカー、ゴルフでブービーメーカーになってどないすんねん」というツッコミが聞こえてきそうだが、まあ、幹事枠ですわ(だいたい、支店にあって「仕事の付き合い上、ゴルフは必須科目でしょう」という要素のあるポストにいて、役割的には対業者的にその人が幹事をする必要があるというのに、「オレは一生やらん」と頑固に拒絶する人がいるのにも困ったものであるが)。

ともかく、参加者から数多くの賞品の提供をいただき、表彰式もそれなりに盛り上げることができて、まあ賑やかなムードの中で終わったこと、そして次回は来年春の開催となるが、それに向けて「またよろしく」という雰囲気もできたことで、とりあえず幹事としての任務は無事に終わったかなと。賞品も「上位だからいいものが当たる」ということではなく、下位であっても皆がうらやむようなものを用意して楽しみを増やしたりした甲斐もあった(下位の成績の人にゴルフバッグやパターが賞品として当たるのも意外といえば意外)。

帰路は毎度おなじみの中国自動車道の渋滞にはまり(それにしても、なぜいつも「宝塚西トンネル」が渋滞の先頭なんだろうかと思う)、往路よりは時間がかかったが、それでもしかるべき時間帯には帰宅することができた。

2011111318230000帰宅後、クルマを置いて近所の居酒屋へ。クルマを運転する、あるいは幹事という役割もあって日中はビールを呑まなかったので、夜になってからの一杯となった。それが日曜の夜というのに、仕事を終えてから乾杯するように美味かった。時間制限ながら飲み放題のコースもあったのがよかった。

さて、次回おそらくラウンドするのはその来年春のコンペということになるのだろうが、今回の結果、いかに幹事枠とはいえもう少しは他人の目にも耐えれるようなスコアにはしないといけないと思う。それにはこの冬場のトレーニングということになるのかな。チェックポイントはいろいろと教えてもらっていると思うので・・・・。

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巨人・清武代表の会見

2011年11月11日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

会社での昼休みにネットを見ていると、新着記事に「巨人清武代表、午後に緊急記者会見」というのがあった。何でもコンプライアンス云々についての話とかで、明日から日本シリーズが始まるというこの時期にいったい何事かと思った。

夕方になってその内容が明らかになったのが、読売新聞の渡邊恒雄氏の「球団私物化」について「ガマンならない」ということで告発に踏み切ったとか。声明文によれば、来年もヘッドコーチを務めることが現場レベルでは決まっていた岡崎コーチを「鶴の一声」で解任し、江川卓氏をヘッドコーチに据えようとしたその「人事」への反発があったという。

まあこれはきっかけの一つであって、本当のところは清武代表にも長年の恨みというか、鬱憤のようなものが蓄積していたことであろう。そこへきてこのところ相次いでいる、大王製紙とかオリンパスに見られるような、経営者に対する内部告発。どこか旧態依然とした感じのある巨人においても、「これではいけない」と感じての、自分のクビをかけての反乱だったのだろう。

私個人としては別に巨人ファンというわけでもないし、まあ関西マスゴミの偏向報道で大手を振ってのさばっている西宮タイガースよりは「まだまし」というくらいの存在であるが、清武代表になってからは一時のFAで札束をはたいて選手を獲得するという戦略はおとなしくなり(今、それをやっているのがかつてそれをむちゃくちゃ非難していたはずの西宮狂虎軍)、育成路線に転じて成果を出している。それは認めてもいいのかなと思う。

ただ、何といってもナベツネさんである・・・・。

それでも一方で、ナベツネさんのような人を支持する、あるいは面白がって記事にする連中がいたのも確か。私個人としては、名物オーナー(ナベツネはオーナーでも何でもないが、読売新聞の主筆というのだからたいしたもんだ)というのがいてもいいのかなと思っている。

古いところでは大陽~松竹の田村駒治郎、東映の大川博、大映~大毎~東京オリオンズの永田雅一、近鉄の佐伯勇、日本ハムの大社義規、阪神の久万俊二郎、西武の堤義明、広島の松田一族、ダイエーの中内功、オリックスの宮内義彦、楽天の三木谷、ソフトバンクの孫さん・・・・まあ、野球のオーナーと呼ばれる人たちは一クセも二クセもあって、いい意味でも悪い意味でも人間味があって、それだけでネタになりそうな人たちが多い。時にはこうした個性派オーナーたちが球界を盛り上げる役割を果たすこともある。

ただその中にあって、ナベツネさんのように「自分が何か言えば巨人だけでなく、球界全体が思うように動く」というのは考えもの。確かに巨人は伝統があるチームであるが、あくまでの12チームある中の一つの球団であって、それが絶対というものではない。いつしか、そこを見誤って暴走するようになったのは残念。

それでも、マスゴミ嫌いの私からみれば、そうさせたのもマスゴミによるところが大きいのではないかと思う。これだけパ・リーグが人気と実力を兼ね備えた選手が揃うようになってもテレビ中継は相変わらず巨人戦が尺度になっているし、何かあればナベツネさんの話を訊きに行く。おそらく長年の巨人中心で、報道の中でも先輩がそう教えられ、それをまた後輩に受け継ぐ・・・そんな感じで取材してきたんだろうなと思う。

球団のオーナーがある程度球団を私物化するのはやむを得ないと思う。そりゃ、自分が「オーナー」なんだから。上記の個性派オーナーたちは賛否両論あっても、自分のチームを愛していたと思う。ナベツネもそう。ただ、やはり現場の声というのを大事にすることがチームを強くする近道であることに気づいていたかどうか。

それよりも問題にすべきは・・・やはりマスコミの対応であろう。直接見ていないのだが、夕方のニュースでは各局トップでこの会見を伝えたという。しかしその中になって日本テレビ、讀賣新聞はこのことを一切伝えなかった、あたかも「この世でそういう出来事は起こらなかった」という姿勢だったという。

むしろ、このことのほうが問題ではないだろうか。いくら系列の局、新聞とはいえ、その日、世間が注目している出来事、社会に影響を与えるであろう出来事について一切触れない・・・というのは、中立公正を旨とすべきマスコミにおいてあってはならないことではないだろうか。

自分のところに都合のいい、あるいはPRになるという出来事はバンバン報道する、そして不利益になることは一切伝えない、それどころか、「そういう出来事は起こらなかった」という形でやり過ごすのは、本当に民主主義国家(日本は「官主主義国家」ですが)の報道なんだろうか。北朝鮮の「キムジョンイルマンセー!」とかやっているテレビ局と何ら変わりないのではないか。

それは、他の局でこういうことが起きればトップニュースでジャンジャン伝えるくせに、自局に都合の悪いことは伏せる、どこでもやっていること。

マスゴミがこういうことをやるようなら、国民は何を信じればいいのか。こんなことでいいのか!

巨人の代表がどうのこうのというより、それを受けての反応のほうが怖いなと思ったこの夕方~夜である・・・。

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「伊藤嘉昭農園」のみかんをいただきながらTPPについて考える

2011年11月10日 | ブログ

TPPに関する論議が行われている。まあ結局とのところは交渉に参加するという政府に一任するということになり、慎重派もこれからは「条件闘争」という形になったようだ。結局「TPPで影響を受けるんだから政府は農業に対して補助金を出して・・・」ということになってしまうのか。それではまたバラマキになりやしないかと思うのだが・・・。

ただ、TPP交渉に参加するとはっきり言うのかと思えば、記者会見を一日延期するという。本当のところ、みんな何をどうすればいいのかわからなくなってしまっているんだろうな。

2011110922000000そんなことを考える中、実家あてに届いたダンボール箱。先にこのブログでも紹介した「伊藤嘉昭農園」で収穫した有田みかんである。私の名前で両親あてに注文したものである。

さっそくに箱を開けてみる。中からは鮮やかに実ったみかんの実がいっぱいに出てきた。酸っぱい中にも甘味が広がり、甘味だけではないコクもあり、普段スーパーなどで購入するのとは違った手作り感がある。

2011110922290000農園のホームページには彼のブログも綴られているが、収穫を迎えるまでの下準備、それは土づくりあったり草取りであったりするのだが、まさに地道な作業である。今年は新たな肥料も開発したとか。彼の場合は一人でやっているのだが、結構な面積がある。自然相手にいいなと思うが、それが朝から夜までの仕事となると私たち消費者には見えない苦労も多いことだと思う。

友人の作ったものだからという贔屓目を置いても、産地の味を楽しめることができる。ぜひ、興味のある方は1箱注文してやってくださいな。

http://blog.murablo.jp/shuunou/shop/

さて、みかんを食べながらまたTPPについて考える。「日本の農業を守れ」という観点から反対する人たちがいる。伊藤氏の場合は大規模経営農家というより、一人で有田のみかん畑を借りて栽培している、いわば職人のような生活なのだが、TPPについてはどう考えているのだろうか。

でも、「有田みかん」を食べると「やはり日本のみかんは美味しいな」と思うのではないだろうか。TPPに参加するとすぐ明日から日本の農業がダメになるかのような論調だが、必ずしもそうではないのでは。特にこういう食の安全が叫ばれる中、少々高くてもやはり国産の食物を支持する人は多いはず。まあ一方で安く手に入りやすいものがあってもいいと思うが、それが市場すべてを席巻するわけではないだろう。

農業の市場の論理がよくわかっていない者が言うことではないだろうが、ここは農家も「外国産に負けない、よりよいものを作る」という姿勢を見せてほしいものである。相当なご苦労があるのはわかるのだが、必ず支援する消費者も多いと思う。そうして日本の産業を強くする、そして逆に日本の農産物を外国で売ってやろうというくらいの気概がほしいと思う(どうも、反対派の様子を伝える報道を見るに、「こいつら補助金目当てで運動しているのか」と言う風に見えなくもなかったので)。

一つ言えるのは、このままほったらかしにしておいても何もいいことはないということで・・・・。

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鳴門海峡渦景色

2011年11月08日 | 旅行記G・四国

再び徳島紀行の話。

南海フェリーで徳島に上陸し、市内のスーパー銭湯に立ち寄った後に向かったのは鳴門海峡。何だか大回りをしたような格好である。

鳴門海峡は通ったことがあるし、大鳴門橋を眺めたことはあるのだが、有名な渦潮を見物するのは初めてである。これを見るなら観潮船というのがあり、その乗り場に向かう。

Dscn1398観潮船には2種類あり、一つは大型の「わんだーなると」。普通タイプの観光船である。そしてもう一つが、水中観潮船「アクアエディ」。水中から見るというのも面白いかな。値段はアクアエディのほうが高いが、こちらが先に出航するとあって購入する。

Dscn1399そして船内へ。「階段を降りて船室にお入りください」という案内があって入るが、これが結構狭い。隣の人とほぼ体が密着する。

現在の時刻は13時前、潮見表によれば、13時40分が干潮を迎え、この時間に南からの潮流が最速となり、もっとも大きな渦ができるという。これをピークとした前後1時間~1時間半程度が渦潮の見ごろとか。ちょうど、干潮に近い時間帯である。

Dscn1405水中船ということであるが、窓を見ても魚が優雅に泳ぐ姿が見えるわけでもないし、グリーンの海水がずっと続くだけだ。最初は客室に入っていた客も次々に外に出る。狭い甲板に乗船客があふれかえる。中国からのお客の姿も目立つ。

Dscn1406数分で大鳴門橋に近づく。そしてゆっくりと橋の下へ。そこには、朝から見てきた穏やかな海面とは一変して、右から左から激しく潮流がぶつかり合い、一つの風景ができていた。

Dscn1418乗船客はそのまま甲板にくぎ付けとなり、あちらこちらでできる渦を指さしてはカメラを向ける。おそらく、客室に残っている人はいないのではないだろうか(そうすれば何のための水中観潮船なのかということにもなるが)。

Dscn1423ただ、静止画ではなかなか渦の様子はわかりにくい。これはもう実際に行って見物していただいたほうがよろしいかと。見ていてうなるばかりである。

Dscn1424ふと、この渦があちこちでできる景色を見るうちに頭に浮かんだのが、「鳴門海峡渦景色」。津軽海峡冬景色のような演歌、雄大な旅情あふれる景色とはまた違った、内海と外海の狭間の狭い海域で目まぐるしく繰り広げられる景色というのもよろしいものだ。

大鳴門橋の下をぐるぐると回っていた観潮船も時間となり、再び乗り場へと戻る。徳島のシンボルを初めて間近に見ることができてよかった。ちなみにサッカーのヴォルティス徳島のヴォルティスとは、イタリア語で「渦」の意味とか。こういう、土地にちなんだチーム名というのもなかなかよろしいものである(その意味では、四国アイランドリーグの「徳島インディゴソックス」も、徳島名産の「藍」からついた名前であるが)。

まだ球場に向かうには時間があり、もう一か所は立ち寄ることができそうだ。そこで行ってみたのが、同じ鳴門にある「ドイツ」・・・・。

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